第2章(外殻大地編)
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46 対比的な響きのための
無事にバチカルに着き、親書を届けることが出来た。その夜、ユニはグランコクマを出てから初めてぐっすりと眠ることが出来た。王城に用意された寝室で、清潔な寝巻を着て、太陽の匂いがする暖かい布団で、泥のように眠った。
目が覚めた時にはもう、窓の外は眩しいくらいに輝いていて。ぼうっとしたまま起き上がると、ジェイドの置き手紙が目に入った。
『城へは私がマルクトの代表として行きますので、買い物でもしていてください。用が済んだら王城前まで来るように』
「あわわ、置いていかれた……!」
彼はユニが眠りこけているのを見て、気を利かせてくれたのだろうか。
昨夜緊急議会が招集され、キムラスカとマルクトは和平条約を締結することで合意した。これは眠る前にジェイドが教えてくれたことだ。その事実がより一層ユニを深淵なる眠りへと誘ったのはいうまでもない。
また、親書には平和条約締結の提案と共に、救援の要請があった。すなわち、マルクト帝国のアクゼリュスという鉱山都市が障気で壊滅の危機に陥っているが、マルクトからの街道は障気が充満しているため、キムラスカ側から住民を保護してほしいというものだった。
「キムラスカはあのルークを親善大使に任命するとのことですよ」と彼が言っていたのも思い出した。正式な発表は、ちょうど今頃謁見の間で行っているのだろう。
ルークが親善大使に任命されるのはきちんとした理由がある。彼がアクゼリュスへ向かうことは、預言に詠まれていたのだという。昨夜の会議でキムラスカ側がそういう話をしていた、とジェイドから聞いた。
「『ND2018。花に愛されし少女は、要塞の都市の皇帝の命を受け、死霊使いと共に再び世界をまわるだろう。少女はその旅で失われた光を取り戻し、そして小さきながらも人々の力になるだろう』か……」
バチカルの市場を歩きながら、ユニはぽつりと呟く。それはグランコクマで詠んでもらった生誕の預言だ。この預言のせいで、ユニはジェイドと共に使者としてキムラスカへ派遣されることになったのだ。
「あの預言がなかったら、わたしはこんなところにはいなかったから、感謝してはいるんだけど」
絶対的な力を持つ預言は、ときに意志に反することさえも人に強制させる。ルークが行きたくないと言ったところで、彼のアクゼリュス行きを告げる預言の前では何の役にも立たないのだろうと少し考えた。
そしてユニの預言も、効力を失ってはいないようだった。あの預言に詠まれていることはまだ終わっていない。「失われた光」が何なのか、わかっていない。
ユニはまたジェイドたちとともに旅に出る。そこで答えがわかるのだろうか。アクゼリュスとはどんなところなのだろう。障気に侵された人たちに自分の治癒術は効くのだろうか。「光」とやらは取り戻せるのだろうか。
悶々と考えを巡らせながら歩いていると、突然、視界の端を鮮やかな緑色が駆け抜けていった。ユニはハッとしてそれを目で追う。路地の方へ消えていくのが一瞬だけ見えた。なぜか呼ばれているような気がして、ユニはその方へと走り出した。
しかし曲がった先の裏通りには誰の姿も見当たらなかった。なんの痕跡も残されていないので、気のせいかと頭を振って大通りへと戻ろうとした。その時だった。
「この度は無事に親書を届けられてオメデトウ」
「……やっぱり」
仮面の下から聞こえてくる透明な声。六神将のシンクだった。振り返ると、彼はいつものように高圧的な態度でユニを見下ろしていた。
「シンク、こんなところで何してるの。またわたしたちの邪魔? 六神将は何が目的なの」
「答える筋合いはないね。それよりユニ」
ユニの質問を跳ね除け、シンクはこちらへ踏み出した。距離が縮まって、彼が腕を伸ばせばすぐに捕まえられそうな距離になった。ユニは緊張したまま、シンクから視線を逸らせずにいた。
二年前の彼と今のシンクは変わらないのに。変わってしまったのは、自分の方なのだろうか。
「ケセドニアで言ってたこと……何?」
「え?」
「アッシュがアンタに何かしたっていう話だよ」
そう言ってシンクはおもむろにユニの腕を掴んだ。ユニが身動きする隙すらなかった。
「ちょ、ちょっと、離してよ」
「離したら逃げるだろ」
「痛いんだって」
「……」
苦し紛れのユニの言葉をなぜかシンクは真に受けて、握る力を少し弱めてくれた。
「……ケセドニアで言ったよな? アッシュがアンタをグランコクマに連れ戻したって」
「う、うん……二年前のときは、そうだったよ」
シンクたちを足止めするためには仕方なかったのだが、時間稼ぎの話題としてユニのことを選んだジェイドを少し恨みながら、返答する。
「なんで連れ戻した? ダアトで何かあったわけ?」
「……シンクたちはあの頃遠征に出てたから知らないと思うけど……わたしが神託の盾本部によく侵入してたことがばれて、刑が科されるかもしれないっていう話になってたの。それでアッシュにグランコクマまで一緒に来てもらった。それだけだよ」
喋らなければ離してくれそうにないので、ユニは今わかっていることを彼に伝えた。
最近になってその裏に何か重大な事件があったのかもしれないということがわかってきたのだが、真相はユニ自身も全くわからないし、隠しておこうと思った。
「それだけ? それで、もうダアトには来なくなったっていうわけ?」
「うん……」
シンクは拍子抜けしたような声を出したが、果たしてこれで納得してくれたのだろうか。
「……これ以上聞いても無駄みたいだね。アンタが上手な嘘をつけるような人間だとは思えないし」
「ま、まあそれはわたしの美徳でしょ」
シンクの失礼さに今は感謝しつつ、ユニは日の傾き具合に目をやった。そろそろ王城前へ行かなければ。
しかし彼はまだ離してはくれなかった。
「ユニ。もう一つ質問があるんだけど」
「まだ何かあるの?」
シンクは下を向いて、少しの間黙っていた。ユニの腕を掴む力が切なげに少し強くなった。
「あいつ……ガイってやつとは……どういう関係……?」
「えっ? ガイ?」
的外れにも思える質問に、ユニは困惑するしかなかった。アッシュのことを訊くのはわかる。しかしなぜ今、ガイの名前が出るのだろう。
「アンタは、あいつを……」
「へ? なんでガイのこと……わたしたちまだ会ったばっかりだけど……?」
「……」
「むしろシンクとガイにどういう関係があるの?」
ユニが心の底から不思議がって質問を返すと、シンクは無言で考え込んだ。あまりにも沈黙が長いので「シンク?」とユニが覗きこむと、彼はようやく顔を上げる。
「いい。なんでもない」
そう言って彼はぱっとユニの腕を離した。ユニは驚いて彼を見る。突っ立っていると、シンクは「なに? 逃げないの?」と言って笑っていた。
「離してくれたんなら逃がす気があるってことでしょ」
「ああ。今は見逃す。だから僕のいうことを聞いてほしい、ユニ」
シンクはまっすぐにユニの目を見ていた。仮面を着けているのに、なぜかはっきりとわかった。彼の真剣さが、離された腕からまだ伝わってきている。
「アンタたち、アクゼリュスに行くんだろ?」
「……どうしてそれを」
「ユニはここに残って。あの街には行かないでよ。お願いだからさ」
「え……?」
聞いたこともないシンクの声色に、ユニは動揺していた。どう返事をしていいかもわからなかった。
タルタロスで彼に会ったときもそうだった。彼がユニにジェイドたちから離れるように言うのは、なぜなのだろう?
ユニが口を開けずにいると、もう用事は済んだとばかりにシンクはくるりと背を向けて歩き出した。
「……ま、待って、シンク、どうして! アクゼリュスに行くと何が起こるっていうの」
「教えない。でも僕のいうことを聞けば、そのうちわかるよ。ほんと、大人しくしててくれると助かるんだけど」
シンクは、こちらを振り返らずに言った。薄暗い路地裏で、その背中はいつもより小さくて、彼の声は悲しい歌を歌っているようだった。
「戻りなよ、僕の気が変わらないうちに」
そう言われてユニは身構えた。見逃してくれているうちに彼から離れないと、確かに何をされるかわからない。今の彼は敵だ。それに、みんなと早く合流しなければ。
しかしユニは、王城前に戻ろうとして、数歩進んだあとで、立ち止まった。彼に言い忘れていたことがあったのを思い出したのだ。
「シンク」
「……なんだよ」
「いきなりダアトに行かなくなってごめんね。心配させちゃったよね……?」
「な、なんだよ、うるさいな。僕は別にアンタの心配なんてしてない。勘違いするなよ」
「はは。そうだよね。ごめんね、シンク。……でもわたしは会えなくて、寂しかったから。じゃあまたね」
「あ……」
背を向けて歩き出したから、彼が手を伸ばしかけたことに、ユニは気付くことができなかった。
そうして急いで城へ向かう途中で、ユニはヴァンとばったり会った。
彼はバチカルに着くなり投獄されてしまったと、それもジェイドから昨夜聞いた。詳しい事情はよくわからないが、今回のルークの出奔はヴァンが仕組んだものだと疑われていたのだ。だからこんな街中で彼と遭遇するとは思わず、驚いて息が詰まりかける。
「ヴァ、ヴァン謡将!? こんなところにいて大丈夫なのですか?」
「……謂われのないことだが、私の投獄のことで迷惑をかけたな。だがアクゼリュス救援隊に同行するということを条件に、一旦解放していただいたのだ。これから港へ向かうところだが」
「そ、そうでしたか……でも、ジェイドたちは……?」
アクゼリュス救援隊は王城前で待機しているとジェイドに聞いていたのだが、ユニが遅いのでもうみんな港へと向かったのだろうか、と顔を曇らせた。するとヴァンは察したように状況を説明し始める。
「中央大海を神託の盾の船が監視しているようなので、海へおとりの船を出港させることになったのだ。その船には私が乗り、カーティス大佐たちは陸路でケセドニアへ向かうよう変更になった。ケセドニアから先のローテルロー海はマルクトの制圧下にあるので、そこから船でカイツールへ向かうためにな」
「そうなのですか、ありがとうございます」
「ああ。ではさっそくだが、失礼する。大佐たちはまだ城の前でお前を待っていたぞ」
「あはは……」
ユニは苦笑し、ヴァンに別れの挨拶をする。しかしそうして行きかけたユニを、彼は呼び止めた。
「そうだ、ユニ」
「なんでしょう?」
「アリエッタをダアトに連れ帰ったときに少し不可解な噂を聞いたのだ」
ダアトという言葉が出て、ユニは眉を寄せた。嫌な予感が少しした。最近、ダアトにまつわる話が出るたびに、ユニはわけがわからなくなっていたから。
「数年前、ダアトによく出入りしていたグランコクマ出身の少女とはあなたのことか?」
「……いえ。違うと思います」
ユニは反射的に嘘をついた。
ヴァンの聞き方に不信感を覚えたせいだろうか。否、そうではない。根拠はないのに、本当のことを言ったらいけないような気がしていたのだ。なぜだか指先が震えている。なぜだろう。
「そうか。私にはどうもそれがユニのことを指しているような気がしてならないのだがな」
「……」
「噂には続きがある。その少女は教会の中で見てはいけないものを見た」
「!!」
ヴァンの言葉に、ユニの脳がぐわんと揺さぶられる。そうだ、それがずっとわからないのだ。アッシュの行動も、それがわかれば説明がつく。それがわかれば、あの時のユニに何があったのか、そして今何が起きているのか、わかるかもしれない。
ユニは焦燥してヴァンに詰め寄った。
「ヴァン謡将! それは何なのですか!? その子は一体何を見て……教えてください、ヴァン謡将!」
「……やはり記憶を消されているか」
「……え?」
急に声のトーンを落としたので、最後のヴァンの言葉は聞き取れなかった。
呆然とするユニに冷たい視線を投げかけ、そして答えをはぐらかしたまま、彼は港へと足早に去っていった。残されたユニが感じたのは嫌な悪寒だけだった。圧倒的な力、低い声色、見透かすようなあの目。
彼を本心から怖い、と感じてしまった。
しばらくの間ユニは立ち尽くしていたが、通行人にぶつかられて我に帰った。急いで王城前へ戻ると、すでにアクゼリュス救援隊らしき面々が揃っていた。ユニが姿を現すなりルークに「遅ぇぞ、何してたんだ」と文句を言われたが、先日までの旅とまったく変わらない雰囲気にユニは気を緩めて苦笑してしまった。
「す、すいません。遅くなって。……でもまたこのメンバーで旅が出来るなんて」
「そうだな、ユニ。また会えて嬉しいよ」
「ガイ……うん、またよろしく」
隣でガイが朗らかに言うのを、ユニはなぜだか素直に喜ぶことが出来なかった。
シンクに彼のことを問われたのが原因だったのだと思う。確かにユニとガイは先の旅で出会ったばかりだ。しかしガイはユニを知っているかのような素振りがある。今まではガイの勘違いなのだろうと大して気にしていなかったのだが、シンクに言われ、妙な違和感を覚え始めていた。
なぜだろう、急速にいろいろなことがわからなくなってきている。そこには何の因果関係もない筈なのに。
アッシュがユニをダアトから連れ出した理由、ガイがユニのことを知っている理由、そしてヴァンに言われたことの真相も――
「では全員揃ったことですし、行きますか。街から出ましょう。神託の盾がいる可能性があるので、注意して」
ジェイドは急かすように仲間に声をかけた。ユニは無意識に髪飾りの位置を直していた。
バチカルの入り口近くまで行くと、一行の真横から突然、ツインテールの少女が弾丸のように飛んできた。
「ルーク様ぁ!」
「う、うわっ。なんだよアニスか、驚かすなよ……」
「あの! 大変なんですぅ! イオン様が……朝起きたらベッドがもぬけの殻で……」
「え!?」
「街を捜したら、どこかのサーカス団みたいな人が、イオン様っぽい人と街の外へ行ったって聞いて……」
「サーカス団……漆黒の翼でしょうか」
ジェイドが静かに、だが深刻に言った。それを受けてルークは「そういえばあいつらこの街で神託の盾の奴らと何か話してたぞ。グルなのか!」と悔しそうに叫ぶ。
「追いかけようにも、街を出てすぐのトコに六神将のシンクがいるんですよぉ……」
アニスの嘆きを聞いて、ユニは胸が苦しくなった。
シンクには「アクゼリュスに行くな」と言われたが、そうするわけにもいかない。もしもあの街で何かが起きるとするならば、ジェイドや住民たちが心配だった。それに、敵の言葉を無闇に信じるのも危険である。
ユニ自身は、自分の力が役に立つならアクゼリュスへ行きたいと思っていた。少しでもみんなの助けになりたい、和平の使者として役目を果たしたい、と。自分のことは別にいい。自分の命はすでにマルクトの皇帝に捧げているのだから。
「……まずいですね。六神将がいたら私たちが陸路を行くことも知られてしまう」
「ほえ? ルーク様たち船でアクゼリュスへ行くんじゃないんですか」
「いえ、そちらはおとりです」とジェイドが返すと、ならばとアニスは途中まで自分も連れて行って欲しいと言った。街を出れば彼女もイオンを探すことが出来る。
こうしてアクゼリュス救援隊と、街から出てイオンを探したいアニスの当面の目的は一致した。
「ではどうやって街を出ましょうか。入口は正面だけではない筈だと思いますが」
「オレにいい考えがあるよ」
ジェイドの問いに答えたのはガイだった。
彼が案内してくれたのはバチカルの廃工場だった。都市の下層に位置するこの工場はすでに閉鎖されているのだが、その排水設備から街の外へ出られるのではないかと考えたのだ。
日光がほとんど入らず薄暗くじめじめとした工場内は、魔物の巣窟になっていた。暗くて足元がよく見えないので、ユニは恐る恐る進んでいく。ときどき天井から滴り落ちる水滴が、工場設備を叩き大きく響いていた。アニスはコーラル城のときと同じように「なにか出そう~……」と言ってびくびくする。
「見つけましたわ」
かなり奥まで進んだところで、突然背後から女性の声が聞こえて、ユニたちは飛びあがった。ユニとアニスはお互いの背中に隠れようとしながら、ゆっくりと振り返る。しかしそこにいたのは、可憐な戦闘服に身をつつんだ、お姫様だった。
「お、お前、ナタリアじゃねえか。そんなカッコでどうしてこんなトコにいるんだよ」
ルークは驚き、唖然としながら彼女に問いかけた。昨日彼の屋敷で会ったキムラスカの王女が、こんなところにいるとは、誰も予想していなかった。しかもドレス姿ではなく、上品ではあるが動きやすい服装で、背中には矢筒を背負っていた。
「決まってますわ。宿敵同士が和平を結ぶという大事な時に、王女のわたくしが出て行かなくてどうしますの」
当然のように答えた彼女を見て、ルークとガイは同時に顔を見合わせた。
「……アホか、お前。外の世界はお姫様がのほほんとしてられる世界じゃないんだよ。下手したら魔物だけじゃなくて、人間とも戦うんだぞ」
「わたくしだって三年前、ケセドニア北部の戦で、慰問に出かけたことがありますもの。覚悟は出来ています」
「慰問と実際の戦いは違うしぃ。お姫様は足手まといになるから残られた方がいいと思いまぁ~す」
「失礼ながら、同感です」
「ナタリア様、城へお戻りになった方が……」
アニス、ティア、ガイが順番に彼女に向かって戻るよう諭す。しかしナタリアは強い眼差しでキッと全員を睨みつけるのだった。
「お黙りなさい! わたくしはランバルディア流アーチェリーのマスターランクです。それに、治癒術士としての学問も修めました! その頭の悪そうな神託の盾や無愛想な神託の盾よりよほど役に立つはずですわ!」
「……何よ、この高慢女ぁ!」
アニスの発言に悪意が滲み出ていたせいか、ナタリアも負けじと「頭の悪い」と言い放った。もちろんアニスは、身分も忘れて暴言を浴びせ返す。
「下品ですわね。浅学が滲んでいてよ」
「呆れたお姫様だわ……」
アニスほどではないが共に侮辱されたティアも、溜息をついて頭を抱えた。あっという間に険悪なムードになっていく女性陣だったが、ジェイドは一人我関せずといった調子で「これは面白くなってきましたねぇ」と素で笑顔を浮かべていた。その横でガイは「これだから女性は怖いんだよ……」と言って青ざめていたが。
そんな人たちの間でおろおろとするだけのユニの態度は「ついてきても構わない」というふうにとったのだろうか、ナタリアはつかつかとユニに歩み寄ると、手をとってにっこりと笑いかけた。
「先日お会いしましたわね? たしかピオニー陛下の世話役の、ユニさん」
「は、はい、ナタリア様……」
「一緒に旅をする以上は王族としての身分も捨てますので、好きなように呼んでくださって構いませんわ。敬語もおやめください。もちろんあなたにわたくしの身の周りの世話をしていただく必要もありません」
「そんな。よ、よろしいのでしょうか……」
「ナタリア様、いきなりではユニも困りますよ」
たじろぐユニにガイが助け舟を出してくれたが、ナタリアは振り返ってじろっとガイを見る。
「ガイ、あなたも同じですのよ」
「おっと。そうでした。失礼……ではなくて、悪かったな。ナタリア」
「そう、それでいいのです」
「んも~ほんと勝手なお姫様だなあ」
「だーもう! なんでもいいからついてくんなよ!」
ついにルークが苛々として叫んだ。工場内にぐわんぐわんと響くその声が収束するのを待たずに、ナタリアはルークの方へまっすぐに歩いていき、「あのことをバラしますわよ」と囁いた。
二人で何かこそこそ話し合ったあとで、ルークは「ナタリアに来てもらうことにした」とみんなに発表した。
もちろんこれには非難轟々だったが、彼は「うるせぇ! とにかく親善大使はオレなんだから、オレの言うことは絶対だ! いいな!」と跳ね除けた。
「そうと決まれば、一刻も早くアクゼリュスへ! 病に倒れた住民がわたくしたちを待っていますわ!」
「わーったって」
「そうですね」
「りょーかい」
「なーんか、男性陣の物分りがいい気がするんですけど」
「ははは……」
明るくリーダーシップを取るナタリアに、きちんと答えて歩き出した男三人。それを見てアニスは頬を膨らませ、ぶうぶう言っていた。
その後のルークは、妙にナタリアに従順で、明らかに何か弱みを握られているといった感じだった。
工場内では何度か魔物と戦闘になった。実戦に慣れないお姫様であるはずなのに、意外にもナタリアは攻守で活躍していて、アニスとティアも少しだけ彼女を見直したようだ。
そしてなんだかんだ言いつつも自分をかばいながら戦うアニスとティアに、ナタリアも感謝していて、工場を出る頃には三人の距離はずいぶんマシなものになっていた。戦闘中はいつも後方から援護しているユニだけが気付くことの出来る、小さな変化だった。
廃工場を出ると、雨が降っていた。薄暗い空の下で、普段なら乾いた土地がぐっしょりと濡れている。
「おい、あれ、なんだ……?」
少し離れたところに黒い陸艦が停泊していた。ルークは目を凝らしてそれを見る。兵士たち――神託の盾兵たちが、忙しそうに動いていた。
「……シ、シンク」
ユニはその中にシンクの姿を見つけて、思わずぎくりとしてその名を口にした。遠く離れていてユニの声が聞こえるはずがないのに、彼はこちらを見た。そして、兵士に拘束された人影も同じくこちらを振り返った。
それは導師イオンだった。
「イオン様!」
「おまえら、イオンを、返せー!!」
アニスが声をあげると同時に、すでにルークは走り出していた。ガイが慌てて後を追うが、ルークは頭に血が上っているようで止まらない。走りながら剣を抜き、赤い髪の男に切りかかった。
振り返った男は、ルークの剣を受け止め、はじき返す。しかしルークもほとんど同じように流し、剣をぶつけ合った。ギリギリと剣を交えるその様は、まるで鏡のようであった。
ユニの目に飛び込んできたのは見覚えのある燃える瞳。アッシュだった。しかし、強烈な違和感に襲われ、思わず「どういうこと……?」と呟く。
「……お、お前……っ!」
アッシュの瞳を覗き込んだルークは、力が抜けたようにへなへなと剣を下ろしてしまった。駆け寄るガイたちも、アッシュの顔を正面から見ると、息を呑んで立ち竦んだ。
ユニも同様だった。雨で前へ流れてきたアッシュの髪を見つめ、そしてその瞳と目を合わせた。瞬間、全身をぬるりとした何かに捕えられたような感触を覚えた。
――アッシュは、こんな顔をしていたんだっけ?
「アッシュ! 今はイオンが優先だ!」
「わかってる!」
静寂を破ったのはシンクだった。イオンを陸艦の中へ連れていきながら、アッシュに早く乗るようにと促す。ユニは顔を上げたが、シンクはもうこちらを見てはいなかった。
「良いご身分だな! ちゃらちゃら女を引き連れやがって」
アッシュはそう吐き捨てて、ルークを睨み、ユニを一瞥し、ナタリアをその視界の端に映した。
無事にバチカルに着き、親書を届けることが出来た。その夜、ユニはグランコクマを出てから初めてぐっすりと眠ることが出来た。王城に用意された寝室で、清潔な寝巻を着て、太陽の匂いがする暖かい布団で、泥のように眠った。
目が覚めた時にはもう、窓の外は眩しいくらいに輝いていて。ぼうっとしたまま起き上がると、ジェイドの置き手紙が目に入った。
『城へは私がマルクトの代表として行きますので、買い物でもしていてください。用が済んだら王城前まで来るように』
「あわわ、置いていかれた……!」
彼はユニが眠りこけているのを見て、気を利かせてくれたのだろうか。
昨夜緊急議会が招集され、キムラスカとマルクトは和平条約を締結することで合意した。これは眠る前にジェイドが教えてくれたことだ。その事実がより一層ユニを深淵なる眠りへと誘ったのはいうまでもない。
また、親書には平和条約締結の提案と共に、救援の要請があった。すなわち、マルクト帝国のアクゼリュスという鉱山都市が障気で壊滅の危機に陥っているが、マルクトからの街道は障気が充満しているため、キムラスカ側から住民を保護してほしいというものだった。
「キムラスカはあのルークを親善大使に任命するとのことですよ」と彼が言っていたのも思い出した。正式な発表は、ちょうど今頃謁見の間で行っているのだろう。
ルークが親善大使に任命されるのはきちんとした理由がある。彼がアクゼリュスへ向かうことは、預言に詠まれていたのだという。昨夜の会議でキムラスカ側がそういう話をしていた、とジェイドから聞いた。
「『ND2018。花に愛されし少女は、要塞の都市の皇帝の命を受け、死霊使いと共に再び世界をまわるだろう。少女はその旅で失われた光を取り戻し、そして小さきながらも人々の力になるだろう』か……」
バチカルの市場を歩きながら、ユニはぽつりと呟く。それはグランコクマで詠んでもらった生誕の預言だ。この預言のせいで、ユニはジェイドと共に使者としてキムラスカへ派遣されることになったのだ。
「あの預言がなかったら、わたしはこんなところにはいなかったから、感謝してはいるんだけど」
絶対的な力を持つ預言は、ときに意志に反することさえも人に強制させる。ルークが行きたくないと言ったところで、彼のアクゼリュス行きを告げる預言の前では何の役にも立たないのだろうと少し考えた。
そしてユニの預言も、効力を失ってはいないようだった。あの預言に詠まれていることはまだ終わっていない。「失われた光」が何なのか、わかっていない。
ユニはまたジェイドたちとともに旅に出る。そこで答えがわかるのだろうか。アクゼリュスとはどんなところなのだろう。障気に侵された人たちに自分の治癒術は効くのだろうか。「光」とやらは取り戻せるのだろうか。
悶々と考えを巡らせながら歩いていると、突然、視界の端を鮮やかな緑色が駆け抜けていった。ユニはハッとしてそれを目で追う。路地の方へ消えていくのが一瞬だけ見えた。なぜか呼ばれているような気がして、ユニはその方へと走り出した。
しかし曲がった先の裏通りには誰の姿も見当たらなかった。なんの痕跡も残されていないので、気のせいかと頭を振って大通りへと戻ろうとした。その時だった。
「この度は無事に親書を届けられてオメデトウ」
「……やっぱり」
仮面の下から聞こえてくる透明な声。六神将のシンクだった。振り返ると、彼はいつものように高圧的な態度でユニを見下ろしていた。
「シンク、こんなところで何してるの。またわたしたちの邪魔? 六神将は何が目的なの」
「答える筋合いはないね。それよりユニ」
ユニの質問を跳ね除け、シンクはこちらへ踏み出した。距離が縮まって、彼が腕を伸ばせばすぐに捕まえられそうな距離になった。ユニは緊張したまま、シンクから視線を逸らせずにいた。
二年前の彼と今のシンクは変わらないのに。変わってしまったのは、自分の方なのだろうか。
「ケセドニアで言ってたこと……何?」
「え?」
「アッシュがアンタに何かしたっていう話だよ」
そう言ってシンクはおもむろにユニの腕を掴んだ。ユニが身動きする隙すらなかった。
「ちょ、ちょっと、離してよ」
「離したら逃げるだろ」
「痛いんだって」
「……」
苦し紛れのユニの言葉をなぜかシンクは真に受けて、握る力を少し弱めてくれた。
「……ケセドニアで言ったよな? アッシュがアンタをグランコクマに連れ戻したって」
「う、うん……二年前のときは、そうだったよ」
シンクたちを足止めするためには仕方なかったのだが、時間稼ぎの話題としてユニのことを選んだジェイドを少し恨みながら、返答する。
「なんで連れ戻した? ダアトで何かあったわけ?」
「……シンクたちはあの頃遠征に出てたから知らないと思うけど……わたしが神託の盾本部によく侵入してたことがばれて、刑が科されるかもしれないっていう話になってたの。それでアッシュにグランコクマまで一緒に来てもらった。それだけだよ」
喋らなければ離してくれそうにないので、ユニは今わかっていることを彼に伝えた。
最近になってその裏に何か重大な事件があったのかもしれないということがわかってきたのだが、真相はユニ自身も全くわからないし、隠しておこうと思った。
「それだけ? それで、もうダアトには来なくなったっていうわけ?」
「うん……」
シンクは拍子抜けしたような声を出したが、果たしてこれで納得してくれたのだろうか。
「……これ以上聞いても無駄みたいだね。アンタが上手な嘘をつけるような人間だとは思えないし」
「ま、まあそれはわたしの美徳でしょ」
シンクの失礼さに今は感謝しつつ、ユニは日の傾き具合に目をやった。そろそろ王城前へ行かなければ。
しかし彼はまだ離してはくれなかった。
「ユニ。もう一つ質問があるんだけど」
「まだ何かあるの?」
シンクは下を向いて、少しの間黙っていた。ユニの腕を掴む力が切なげに少し強くなった。
「あいつ……ガイってやつとは……どういう関係……?」
「えっ? ガイ?」
的外れにも思える質問に、ユニは困惑するしかなかった。アッシュのことを訊くのはわかる。しかしなぜ今、ガイの名前が出るのだろう。
「アンタは、あいつを……」
「へ? なんでガイのこと……わたしたちまだ会ったばっかりだけど……?」
「……」
「むしろシンクとガイにどういう関係があるの?」
ユニが心の底から不思議がって質問を返すと、シンクは無言で考え込んだ。あまりにも沈黙が長いので「シンク?」とユニが覗きこむと、彼はようやく顔を上げる。
「いい。なんでもない」
そう言って彼はぱっとユニの腕を離した。ユニは驚いて彼を見る。突っ立っていると、シンクは「なに? 逃げないの?」と言って笑っていた。
「離してくれたんなら逃がす気があるってことでしょ」
「ああ。今は見逃す。だから僕のいうことを聞いてほしい、ユニ」
シンクはまっすぐにユニの目を見ていた。仮面を着けているのに、なぜかはっきりとわかった。彼の真剣さが、離された腕からまだ伝わってきている。
「アンタたち、アクゼリュスに行くんだろ?」
「……どうしてそれを」
「ユニはここに残って。あの街には行かないでよ。お願いだからさ」
「え……?」
聞いたこともないシンクの声色に、ユニは動揺していた。どう返事をしていいかもわからなかった。
タルタロスで彼に会ったときもそうだった。彼がユニにジェイドたちから離れるように言うのは、なぜなのだろう?
ユニが口を開けずにいると、もう用事は済んだとばかりにシンクはくるりと背を向けて歩き出した。
「……ま、待って、シンク、どうして! アクゼリュスに行くと何が起こるっていうの」
「教えない。でも僕のいうことを聞けば、そのうちわかるよ。ほんと、大人しくしててくれると助かるんだけど」
シンクは、こちらを振り返らずに言った。薄暗い路地裏で、その背中はいつもより小さくて、彼の声は悲しい歌を歌っているようだった。
「戻りなよ、僕の気が変わらないうちに」
そう言われてユニは身構えた。見逃してくれているうちに彼から離れないと、確かに何をされるかわからない。今の彼は敵だ。それに、みんなと早く合流しなければ。
しかしユニは、王城前に戻ろうとして、数歩進んだあとで、立ち止まった。彼に言い忘れていたことがあったのを思い出したのだ。
「シンク」
「……なんだよ」
「いきなりダアトに行かなくなってごめんね。心配させちゃったよね……?」
「な、なんだよ、うるさいな。僕は別にアンタの心配なんてしてない。勘違いするなよ」
「はは。そうだよね。ごめんね、シンク。……でもわたしは会えなくて、寂しかったから。じゃあまたね」
「あ……」
背を向けて歩き出したから、彼が手を伸ばしかけたことに、ユニは気付くことができなかった。
そうして急いで城へ向かう途中で、ユニはヴァンとばったり会った。
彼はバチカルに着くなり投獄されてしまったと、それもジェイドから昨夜聞いた。詳しい事情はよくわからないが、今回のルークの出奔はヴァンが仕組んだものだと疑われていたのだ。だからこんな街中で彼と遭遇するとは思わず、驚いて息が詰まりかける。
「ヴァ、ヴァン謡将!? こんなところにいて大丈夫なのですか?」
「……謂われのないことだが、私の投獄のことで迷惑をかけたな。だがアクゼリュス救援隊に同行するということを条件に、一旦解放していただいたのだ。これから港へ向かうところだが」
「そ、そうでしたか……でも、ジェイドたちは……?」
アクゼリュス救援隊は王城前で待機しているとジェイドに聞いていたのだが、ユニが遅いのでもうみんな港へと向かったのだろうか、と顔を曇らせた。するとヴァンは察したように状況を説明し始める。
「中央大海を神託の盾の船が監視しているようなので、海へおとりの船を出港させることになったのだ。その船には私が乗り、カーティス大佐たちは陸路でケセドニアへ向かうよう変更になった。ケセドニアから先のローテルロー海はマルクトの制圧下にあるので、そこから船でカイツールへ向かうためにな」
「そうなのですか、ありがとうございます」
「ああ。ではさっそくだが、失礼する。大佐たちはまだ城の前でお前を待っていたぞ」
「あはは……」
ユニは苦笑し、ヴァンに別れの挨拶をする。しかしそうして行きかけたユニを、彼は呼び止めた。
「そうだ、ユニ」
「なんでしょう?」
「アリエッタをダアトに連れ帰ったときに少し不可解な噂を聞いたのだ」
ダアトという言葉が出て、ユニは眉を寄せた。嫌な予感が少しした。最近、ダアトにまつわる話が出るたびに、ユニはわけがわからなくなっていたから。
「数年前、ダアトによく出入りしていたグランコクマ出身の少女とはあなたのことか?」
「……いえ。違うと思います」
ユニは反射的に嘘をついた。
ヴァンの聞き方に不信感を覚えたせいだろうか。否、そうではない。根拠はないのに、本当のことを言ったらいけないような気がしていたのだ。なぜだか指先が震えている。なぜだろう。
「そうか。私にはどうもそれがユニのことを指しているような気がしてならないのだがな」
「……」
「噂には続きがある。その少女は教会の中で見てはいけないものを見た」
「!!」
ヴァンの言葉に、ユニの脳がぐわんと揺さぶられる。そうだ、それがずっとわからないのだ。アッシュの行動も、それがわかれば説明がつく。それがわかれば、あの時のユニに何があったのか、そして今何が起きているのか、わかるかもしれない。
ユニは焦燥してヴァンに詰め寄った。
「ヴァン謡将! それは何なのですか!? その子は一体何を見て……教えてください、ヴァン謡将!」
「……やはり記憶を消されているか」
「……え?」
急に声のトーンを落としたので、最後のヴァンの言葉は聞き取れなかった。
呆然とするユニに冷たい視線を投げかけ、そして答えをはぐらかしたまま、彼は港へと足早に去っていった。残されたユニが感じたのは嫌な悪寒だけだった。圧倒的な力、低い声色、見透かすようなあの目。
彼を本心から怖い、と感じてしまった。
しばらくの間ユニは立ち尽くしていたが、通行人にぶつかられて我に帰った。急いで王城前へ戻ると、すでにアクゼリュス救援隊らしき面々が揃っていた。ユニが姿を現すなりルークに「遅ぇぞ、何してたんだ」と文句を言われたが、先日までの旅とまったく変わらない雰囲気にユニは気を緩めて苦笑してしまった。
「す、すいません。遅くなって。……でもまたこのメンバーで旅が出来るなんて」
「そうだな、ユニ。また会えて嬉しいよ」
「ガイ……うん、またよろしく」
隣でガイが朗らかに言うのを、ユニはなぜだか素直に喜ぶことが出来なかった。
シンクに彼のことを問われたのが原因だったのだと思う。確かにユニとガイは先の旅で出会ったばかりだ。しかしガイはユニを知っているかのような素振りがある。今まではガイの勘違いなのだろうと大して気にしていなかったのだが、シンクに言われ、妙な違和感を覚え始めていた。
なぜだろう、急速にいろいろなことがわからなくなってきている。そこには何の因果関係もない筈なのに。
アッシュがユニをダアトから連れ出した理由、ガイがユニのことを知っている理由、そしてヴァンに言われたことの真相も――
「では全員揃ったことですし、行きますか。街から出ましょう。神託の盾がいる可能性があるので、注意して」
ジェイドは急かすように仲間に声をかけた。ユニは無意識に髪飾りの位置を直していた。
バチカルの入り口近くまで行くと、一行の真横から突然、ツインテールの少女が弾丸のように飛んできた。
「ルーク様ぁ!」
「う、うわっ。なんだよアニスか、驚かすなよ……」
「あの! 大変なんですぅ! イオン様が……朝起きたらベッドがもぬけの殻で……」
「え!?」
「街を捜したら、どこかのサーカス団みたいな人が、イオン様っぽい人と街の外へ行ったって聞いて……」
「サーカス団……漆黒の翼でしょうか」
ジェイドが静かに、だが深刻に言った。それを受けてルークは「そういえばあいつらこの街で神託の盾の奴らと何か話してたぞ。グルなのか!」と悔しそうに叫ぶ。
「追いかけようにも、街を出てすぐのトコに六神将のシンクがいるんですよぉ……」
アニスの嘆きを聞いて、ユニは胸が苦しくなった。
シンクには「アクゼリュスに行くな」と言われたが、そうするわけにもいかない。もしもあの街で何かが起きるとするならば、ジェイドや住民たちが心配だった。それに、敵の言葉を無闇に信じるのも危険である。
ユニ自身は、自分の力が役に立つならアクゼリュスへ行きたいと思っていた。少しでもみんなの助けになりたい、和平の使者として役目を果たしたい、と。自分のことは別にいい。自分の命はすでにマルクトの皇帝に捧げているのだから。
「……まずいですね。六神将がいたら私たちが陸路を行くことも知られてしまう」
「ほえ? ルーク様たち船でアクゼリュスへ行くんじゃないんですか」
「いえ、そちらはおとりです」とジェイドが返すと、ならばとアニスは途中まで自分も連れて行って欲しいと言った。街を出れば彼女もイオンを探すことが出来る。
こうしてアクゼリュス救援隊と、街から出てイオンを探したいアニスの当面の目的は一致した。
「ではどうやって街を出ましょうか。入口は正面だけではない筈だと思いますが」
「オレにいい考えがあるよ」
ジェイドの問いに答えたのはガイだった。
彼が案内してくれたのはバチカルの廃工場だった。都市の下層に位置するこの工場はすでに閉鎖されているのだが、その排水設備から街の外へ出られるのではないかと考えたのだ。
日光がほとんど入らず薄暗くじめじめとした工場内は、魔物の巣窟になっていた。暗くて足元がよく見えないので、ユニは恐る恐る進んでいく。ときどき天井から滴り落ちる水滴が、工場設備を叩き大きく響いていた。アニスはコーラル城のときと同じように「なにか出そう~……」と言ってびくびくする。
「見つけましたわ」
かなり奥まで進んだところで、突然背後から女性の声が聞こえて、ユニたちは飛びあがった。ユニとアニスはお互いの背中に隠れようとしながら、ゆっくりと振り返る。しかしそこにいたのは、可憐な戦闘服に身をつつんだ、お姫様だった。
「お、お前、ナタリアじゃねえか。そんなカッコでどうしてこんなトコにいるんだよ」
ルークは驚き、唖然としながら彼女に問いかけた。昨日彼の屋敷で会ったキムラスカの王女が、こんなところにいるとは、誰も予想していなかった。しかもドレス姿ではなく、上品ではあるが動きやすい服装で、背中には矢筒を背負っていた。
「決まってますわ。宿敵同士が和平を結ぶという大事な時に、王女のわたくしが出て行かなくてどうしますの」
当然のように答えた彼女を見て、ルークとガイは同時に顔を見合わせた。
「……アホか、お前。外の世界はお姫様がのほほんとしてられる世界じゃないんだよ。下手したら魔物だけじゃなくて、人間とも戦うんだぞ」
「わたくしだって三年前、ケセドニア北部の戦で、慰問に出かけたことがありますもの。覚悟は出来ています」
「慰問と実際の戦いは違うしぃ。お姫様は足手まといになるから残られた方がいいと思いまぁ~す」
「失礼ながら、同感です」
「ナタリア様、城へお戻りになった方が……」
アニス、ティア、ガイが順番に彼女に向かって戻るよう諭す。しかしナタリアは強い眼差しでキッと全員を睨みつけるのだった。
「お黙りなさい! わたくしはランバルディア流アーチェリーのマスターランクです。それに、治癒術士としての学問も修めました! その頭の悪そうな神託の盾や無愛想な神託の盾よりよほど役に立つはずですわ!」
「……何よ、この高慢女ぁ!」
アニスの発言に悪意が滲み出ていたせいか、ナタリアも負けじと「頭の悪い」と言い放った。もちろんアニスは、身分も忘れて暴言を浴びせ返す。
「下品ですわね。浅学が滲んでいてよ」
「呆れたお姫様だわ……」
アニスほどではないが共に侮辱されたティアも、溜息をついて頭を抱えた。あっという間に険悪なムードになっていく女性陣だったが、ジェイドは一人我関せずといった調子で「これは面白くなってきましたねぇ」と素で笑顔を浮かべていた。その横でガイは「これだから女性は怖いんだよ……」と言って青ざめていたが。
そんな人たちの間でおろおろとするだけのユニの態度は「ついてきても構わない」というふうにとったのだろうか、ナタリアはつかつかとユニに歩み寄ると、手をとってにっこりと笑いかけた。
「先日お会いしましたわね? たしかピオニー陛下の世話役の、ユニさん」
「は、はい、ナタリア様……」
「一緒に旅をする以上は王族としての身分も捨てますので、好きなように呼んでくださって構いませんわ。敬語もおやめください。もちろんあなたにわたくしの身の周りの世話をしていただく必要もありません」
「そんな。よ、よろしいのでしょうか……」
「ナタリア様、いきなりではユニも困りますよ」
たじろぐユニにガイが助け舟を出してくれたが、ナタリアは振り返ってじろっとガイを見る。
「ガイ、あなたも同じですのよ」
「おっと。そうでした。失礼……ではなくて、悪かったな。ナタリア」
「そう、それでいいのです」
「んも~ほんと勝手なお姫様だなあ」
「だーもう! なんでもいいからついてくんなよ!」
ついにルークが苛々として叫んだ。工場内にぐわんぐわんと響くその声が収束するのを待たずに、ナタリアはルークの方へまっすぐに歩いていき、「あのことをバラしますわよ」と囁いた。
二人で何かこそこそ話し合ったあとで、ルークは「ナタリアに来てもらうことにした」とみんなに発表した。
もちろんこれには非難轟々だったが、彼は「うるせぇ! とにかく親善大使はオレなんだから、オレの言うことは絶対だ! いいな!」と跳ね除けた。
「そうと決まれば、一刻も早くアクゼリュスへ! 病に倒れた住民がわたくしたちを待っていますわ!」
「わーったって」
「そうですね」
「りょーかい」
「なーんか、男性陣の物分りがいい気がするんですけど」
「ははは……」
明るくリーダーシップを取るナタリアに、きちんと答えて歩き出した男三人。それを見てアニスは頬を膨らませ、ぶうぶう言っていた。
その後のルークは、妙にナタリアに従順で、明らかに何か弱みを握られているといった感じだった。
工場内では何度か魔物と戦闘になった。実戦に慣れないお姫様であるはずなのに、意外にもナタリアは攻守で活躍していて、アニスとティアも少しだけ彼女を見直したようだ。
そしてなんだかんだ言いつつも自分をかばいながら戦うアニスとティアに、ナタリアも感謝していて、工場を出る頃には三人の距離はずいぶんマシなものになっていた。戦闘中はいつも後方から援護しているユニだけが気付くことの出来る、小さな変化だった。
廃工場を出ると、雨が降っていた。薄暗い空の下で、普段なら乾いた土地がぐっしょりと濡れている。
「おい、あれ、なんだ……?」
少し離れたところに黒い陸艦が停泊していた。ルークは目を凝らしてそれを見る。兵士たち――神託の盾兵たちが、忙しそうに動いていた。
「……シ、シンク」
ユニはその中にシンクの姿を見つけて、思わずぎくりとしてその名を口にした。遠く離れていてユニの声が聞こえるはずがないのに、彼はこちらを見た。そして、兵士に拘束された人影も同じくこちらを振り返った。
それは導師イオンだった。
「イオン様!」
「おまえら、イオンを、返せー!!」
アニスが声をあげると同時に、すでにルークは走り出していた。ガイが慌てて後を追うが、ルークは頭に血が上っているようで止まらない。走りながら剣を抜き、赤い髪の男に切りかかった。
振り返った男は、ルークの剣を受け止め、はじき返す。しかしルークもほとんど同じように流し、剣をぶつけ合った。ギリギリと剣を交えるその様は、まるで鏡のようであった。
ユニの目に飛び込んできたのは見覚えのある燃える瞳。アッシュだった。しかし、強烈な違和感に襲われ、思わず「どういうこと……?」と呟く。
「……お、お前……っ!」
アッシュの瞳を覗き込んだルークは、力が抜けたようにへなへなと剣を下ろしてしまった。駆け寄るガイたちも、アッシュの顔を正面から見ると、息を呑んで立ち竦んだ。
ユニも同様だった。雨で前へ流れてきたアッシュの髪を見つめ、そしてその瞳と目を合わせた。瞬間、全身をぬるりとした何かに捕えられたような感触を覚えた。
――アッシュは、こんな顔をしていたんだっけ?
「アッシュ! 今はイオンが優先だ!」
「わかってる!」
静寂を破ったのはシンクだった。イオンを陸艦の中へ連れていきながら、アッシュに早く乗るようにと促す。ユニは顔を上げたが、シンクはもうこちらを見てはいなかった。
「良いご身分だな! ちゃらちゃら女を引き連れやがって」
アッシュはそう吐き捨てて、ルークを睨み、ユニを一瞥し、ナタリアをその視界の端に映した。