第2章(外殻大地編)
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45 耳で聞く風景
空を飛ぶ術を持つアリエッタやディストがいないせいか六神将の妨害工作はケセドニア以来何もなく、静かな船旅になった。
船はついにバチカルへ入った。
カイツールで送った伝書鳩が無事に届いたのだろう、港ではたくさんの兵が待ち構えていて、ルークの姿を見ると一斉に頭を下げた。緊張で表情が強張るユニの肩を、ジェイドが軽く叩いた。
「この度は無事のご帰国おめでとうございます」
並び立つ兵士たちに声をかけられ、「ああ、終わった、成功したんだ」とやっと安心できた。グランコクマを出てからずっと封印されていたような懐かしい気持ちだ。
ユニはほとんど上の空で、仲間たちとともに縦長のバチカルの街を上って行った。バチカル名物の天空客車で、王城のある最上部まで一気に到達する。
そのまま入城し、謁見の間のすぐ前の扉まで進んだのだが、ここで、なぜか兵に止められてしまった。
「ただいま大詠師モースが陛下に謁見中です。しばらくお待ち下さい」
使節団の話は事前に通してあるはずだが。ルークはムッとして、兵を睨みつけた。扉の向こうから話し声が漏れ聞こえる。どうやらモースは、マルクトが着々と戦争準備を始めているなどと国王インゴベルトに吹きこんでいるようだった。
「おい、オレはファブレ公爵家のルークだ! 邪魔をするなら、お前をクビにするよう申し入れるぞ!」
「ル、ルーク」
「強引ですねぇ」
自分の街に帰ってきたからか、ルークがいつもよりも強い調子で兵をどかせる。ジェイドは気に留める様子もなく笑っていたが、ユニはルークの横顔になぜか焦りのようなものを感じて首を傾げた。
乱暴な音が響き渡り、目の前が開けた。恐らく、こんなに勢いよく開けられたのは、この扉にとっても初めてだろう。その先には霞むほどに高い天井と、三つの玉座の真ん中に座る男性、そして、力任せに開かれた扉の音にびくりと肩を震わせる恰幅のいい男――大詠師モースがいた。
「伯父上! そいつの言ってることはでたらめだぜ!」
「そなたは……ルーク! 無事であったか!」
こんな非常識な行為も、ルークの「顔」のおかげでなんとかお咎めを免れる。
「オレはマルクトを見てきたんだ。首都には近付けなかったけど、エンゲーブやセントビナーは呑気なものだったぜ。戦争の準備なんかしちゃいねぇよ」
事故とはいえマルクトに渡っていたルークが、自分の目で見てきた真実を述べる。
「それどころか、キムラスカがいつ攻め込んでくるか噂が絶えないって言ってたぜ」
「適当なことを……陛下! 私の話を……」
「るせー! 戦争起こしたがってんのはお前だろ!」
「な、何を言うか……!」
ルークとモースの間で口論になったところで、脇に控えていた大臣がパンパンと手を打つ。二人ははっとして口をつぐんだが、国王の前でこんなに騒がしいマネをして、親書が受け取ってもらえなかったらどうするのだろう、とユニはハラハラしていた。
「っと、とにかく、マルクトに戦争するつもりがないのはこいつらが証明してくれるぜ」
ルークは横に一歩引き、国王の目にイオンとジェイドが入るよう配慮した。
「ご無沙汰しております、陛下。イオンにございます」
「おお! イオン殿! よくいらしてくださった。ルークが世話になったようですな」
「僕の方こそ、彼にはお世話になりました。ルーク殿はとてもお優しい方です」
イオンがふわりと微笑んで言うと、ルークの顔が一気に赤くなった。ユニはくすりと笑う。横にいるガイも少し表情を崩していた。
「陛下。こちらがピオニー九世陛下の名代、ジェイド・カーティス大佐です」
「御前を失礼致します。我が君主より、偉大なるインゴベルト六世陛下に親書を預かって参りました」
ジェイドは進み出ると、スッと礼をして跪いた。
「どうぞお納め下さい」
アニスが恭しく親書を掲げ、その隣に立つ。インゴベルト王はゆっくりと、マルクト皇帝に敬意を表すように頷いた。大臣が歩み寄り、「確かに!」と王に代わってそれを受け取った。
「はあ~なんとか無事に親書を届けられましたね~」
城を出た瞬間、アニスがふにゃふにゃと伸びをした。アニスだけではない、ほとんど全員が緊張で疲れきっていた。
「あとはルークを家まで送り届ければ任務完了ですね」
「オ、オレは別に一人だって帰れるっての!」
「僕はルークのお屋敷を拝見したいです」
「ちっ……しょうがねえな」
ジェイドが朗らかに言い、イオンにも頼まれて、ルークは照れながらも了承する。
長い旅がようやく一段落した。けれど、これは一つの任務が終わったに過ぎない。親書を渡しただけで和平交渉が成立してくれればいいのだが、ユニたちにはまだまだ仕事が残されていた。それに、個人的な問題ではあるが、ダアトでユニに何があったのか、アッシュに訊かねばならない。まだ、旅は終わっていない。
ルークの屋敷へ着くと、執事や大勢のメイドたちが喜んで出迎えてくれた。彼の両親は見当たらなかった。聞けば、父である公爵は火急の用件でルークたちと入れ違いに登城したとか。
「ルーク様、よくぞご無事で。預言に良い出来事があると詠まれていたのはこのことだったのでしょう」
「お戻りを心待ちにしておりました。ナタリア殿下も心配されておりましたよ」
白銀の鎧の騎士たちだけでなく、メイドまでもが、気軽に彼に話しかける。いつかガイが言っていたように、「ルークはいい意味で偉い人にも使用人にも分け隔てなく横暴」だから、きっと慕われているのだろう。
「ルーク様! お帰りなさいませ! ガイもお帰りなさい!」
メイドの女の子が嬉しそうに近付いて、待ちかねたように大きな声を出した。ユニの横でガイがびくりとしたが、しかし、親しげに彼女に笑みを返した。
「あ、ああ……ん? 泣いてたのか? 目が赤いぞ」
「うん……二人がやっと戻ってきてくれたから、つい嬉しくって……」
「そうか、ありがとう。ごめんな、心配かけて」
「んもう、ガイったら相変わらず優しいわね!」
「だ、だから近付くなって!」
ばしっと腕を叩かれて、ガイは震えあがり、そして凄い速さで柱の陰に隠れた。それを見て、メイドの子は楽しそうに笑う。
「ふふ、ガイって素でキザなんだから~」
バチカルに来てから、何人もの女の子が彼に親しげに声をかけていた。彼自身は女性に近付くことも出来ないのだが、彼のキザで優しい言葉や怯える様子が、彼女たちはお気に入りのようだった。
――そんな彼の日常を目にして、なぜか、なんとなくもやもやしてしまう。
「……ガイってモテるんだね」
「へっ? いや、そんなことないさ。からかわれてるだけだろ……」
ユニが言うとガイは困ったように笑った。ああ、この笑顔のせいか、とユニはぼんやりと考えるのだった。
ファブレ家からの歓迎が落ち着いて、さてどうするか、という時だった。カツカツと靴で床を打つ音が聞こえ、物凄い速さでこちらに近付いてきた。ルークは「げ」と声を漏らす。
「ルーク! 心配しましたのよ! ご無事でなによりですわ!」
現れたのは、青いドレスに身を包み美しい金色の髪をした女性だった。ルークに駆け寄り、「お変わりありませんのね」と高貴に微笑んだ。
「うわっ美人! なになに誰なの?」
ルークを狙っているアニスがやきもきしながらガイに訊いた。するとガイは「キムラスカ王国の王女ナタリア姫だよ。ルークの婚約者の」と説明した。
「こ、婚約者ーッ!?」
アニスが爆発したように叫び、ルークは少し顔を赤くする。
「お前もな、大袈裟なんだよ。もういいから、城に戻っておけよ」
「まあ、何ですのその態度は! わたくしや皆がどんなに心配していたか!」
「いや、まあ、ナタリア様……。ルーク様は照れてるんですよ」
ガイがルークをフォローしようとしたが、ナタリアは新たな敵をみつけたかのようにじろりと彼を睨みつけるのだった。ジェイドは「どこの国の王族も似たようなものですねぇ」と他人事のように笑っていた。
「ガイ! あなたもあなたですわ! ルークを捜しに行く前に、わたくしの所へ寄るようにと伝えていたでしょう? どうして黙って行ったのです!」
「わわわ!」
ナタリアはカッと大きく一歩近付いた。そのオーラに弾かれるように、ガイは慌てて飛び退き柱に隠れた。
「おおおおれみたいな使用人が城に行ける訳ないでしょう!」
「何故逃げるの」
「ご存知でしょう!」
ガイは泣きそうな声で叫んだ。震えているのが声でわかる。アニスは他人事のようにあははと笑っていた。
「わたくしがルークと結婚したら、お前はわたくしの使用人になるのですよ。少しは慣れなさい!」
「む、無理ですぅ~!」
「おかしな人。こんなに情けないのに、何故メイドたちはガイがお気に入りなのかしら」
ナタリアは溜息をつくと、ルークに向き直った。怯えるガイは、まだ柱の後ろから出てこられずにいた。
「だいたい……なんです!?」
次にナタリアが視線を向けたのは、ユニたちの方だった。キッと睨みつけられて、思わずたじろいでしまう。
「女性ばかり引きつれて、はしたない! まさか使用人に手をつけたのではありませんわよね!」
「うっぜーなぁ! ちげーよ!」
「あ、あ、あの……ナタリア様」
ルークが怒鳴り散らす後ろで、ユニは静かに彼女に呼び掛けた。ナタリアはさっと振り返りこちらを見る。睨んではいなかったが、まだ怖い顔をしていた。ユニは怯えながらも、すっと頭を下げた。
「申し遅れました。わたくしはマルクト帝国皇帝ピオニー九世陛下のお世話係を務めている者にございます」
「まぁ、ピオニー陛下の……名はなんとおっしゃいますの?」
「はい、ユニ・シェフィールドでございます」
「ユニですのね。礼儀正しい方ですわ……それに比べて、ガイ!!」
「ひぃ!」
収まったかに見えたが、再び、彼女の怒りの矛先がガイに向いてしまった。彼は柱の向こうで飛びあがった。
「いつまでそのように隠れているつもりですの!」
「いや、で、ですから……」
「聞いていまして? この方は賢帝と名高いピオニー陛下の使用人にあらせられるのですよ。せっかくですからユニからいろいろと学んでおきなさい!」
「は、はい……」
そうして全員が挨拶をすませると、ナタリアは用事があると言って嵐のように去っていった。
「……ったく。ナタリアの奴は相変わらずだなぁ」
ようやく解放されて、ルークは脱力しながら呟く。
「早速のナタリア節だったな」とガイが柱の陰から出てきて笑うが、その表情はまだ少しだけ強張っていた。
「お姫様~、な感じの人だったね~。綺麗な召し物。優雅な物腰。上品なおしゃべり。あれがいわゆる上流階級? ちょっと賑やかなのも含めてぇ」
「では、アニスも上流階級ですね」
「むー。大佐、それってどういう意味ですかぁ」
アニスはぶーと頬を膨らませた。その横で、少しだけ恍惚とした表情のティアが呟く。
「ナタリア様って綺麗な人。可愛いドレスも似合うし……」
「そうかぁ? ぎゃあぎゃあうるせーだけだよ」
「それに、ティアだって綺麗じゃないか」
ガイが、ティアに向かって少しの照れもなく言った。突如として囁かれた甘い言葉に、ティアはもちろんユニまで赤くなってしまった。
ティアは「あ……ありがとう……」とぽつりと言い、思わずガイに近付く。しかしガイはナタリアに対する神経過敏状態がまだ続いていたようで、慌てて飛び退いた。
「……ご、ごめんなさい。うっかりしてたわ」
「いや、こっちこそスマン」
「お前さ、さらっとそういうこと言うから女に惚れられるんだよ」
ルークが呆れて言う。彼は他の女性にもこういう態度で、日常茶飯事なのだろう。「思ったことを言ってるだけなんだがなぁ」と、ガイは眉を下げた。
ルークの母であるシュザンヌが倒れていると聞いて、ルークとティアはお見舞いに行くことになった。もともと病弱だったが、ルークの失踪が原因で悪化したのだという。ティアも責任を感じているようだった。
王城から使者がやってきて、城内に部屋の準備が整ったと伝えられた。「では僕たちはこれで失礼することにしましょうか」とイオンが言い、ユニたちは城へ足を向けた。しかしそこで「ユニ」とガイに呼び止められて、なんだろうと思いながら振り返る。
「前に、宮殿の庭師してたって言ってたよな。うちにも庭師がいるんだ。少し話をしていかないか」
「そうなの? じゃあ、せっかくだから」
ユニはガイの方へ駆け戻った。すると城へ戻りかけていたジェイドも身を翻した。「旦那も来るかい?」とガイは訊く。
「別にユニが心配だからというわけではありませんので。どうぞご自由に」
「うわ、なんかやりにくいなぁ……」
三人はファブレ家の庭へ向かった。円形の庭の周りには花壇があり、よく整備され慎ましやかに花が咲いていた。その花壇のそばに座り込み、作業をする老人に、ガイは呼びかけた。
「ルーク様がご無事だとはお聞きしました。そちらの方々がお屋敷まで送り届けてくださったのでしょうか」
「まぁ、そんなとこだな」
深々と礼をするペールを見て、ガイは「でさ、この子、前に庭師をしてたんだって」とユニを紹介する。
「はじめまして。ペールと申します」
「ユニ・シェフィールドす。よろしくおねがい……」
「なんと……シェフィールド様ですと……!?」
下げていた頭を上げて彼の顔を見ると、驚いて目を丸くしていた。マルクトでファミリーネームを言うと大抵の軍人は驚いていたものだが、まさかキムラスカでまでこの反応を目にするとは思わなかった。
「どうしたんだ、ペール」
「あ、ああ、失礼いたしました。なんでもございません」
ガイが声をかけると、ようやくペールは首を振って次の言葉を口にした。不思議に思ってジェイドに目をやると、彼はこの老人をじっとみつめていた。ペールはその視線に気付き、首を傾げる。
「何か……?」
「私はマルクト帝国のジェイド・カーティス大佐です。失礼ですが、どこかでお会いしたことがありませんか?」
ジェイドは柔らかな物腰で言ったが、なぜか只事ではない雰囲気が流れた。ペールはまたしても驚いていたし、ガイも眉を寄せていた。
「き、記憶にありませんが……」
「そうですか……失礼いたしました」
キムラスカの庭師がマルクトの軍人と知り合いである筈はないのだが、なぜそんなことを訊くのだろう。ジェイドはそれ以上詮索しようとはしなかったが、代わりにちらりとガイの方を見た。
その後、ユニはペールと庭仕事についての話をした。バチカルとグランコクマではもちろん気候も違うから、育つ植物も違った。随分長くこの屋敷に勤めているようだったし、ユニよりもたくさんの知識を持っていた。
説明を聞きながら、のんびりと庭を一周し終えた。
「そろそろ戻りましょうか、ユニ」
ガイと雑談していたジェイドがこちらに声をかける。日も傾きはじめていた。旅に出てからはじめて本当にゆっくり過ごせる時間が出来たせいか、ついつい長居をしてしまった。ファブレ家の奥様に会いにいったティアも用事を済ませ、既に城に戻っているに違いない。ユニは返事をすると、ペールに向き直り礼をする。
「ペールさん、ありがとうございました。いろいろと勉強になりました」
「この老人でよろしければまたお顔を見せて下され」
「はい!」
嬉しい言葉に笑顔を浮かべると、ペールはなぜだか切なそうな表情をするのだった。
「シェフィールド様、現在はマルクトのピオニー陛下にお仕えしていると聞きましたが……」
「はい、そうですが」
「失礼ですが、治癒士でいらっしゃいますでしょうか?」
「あ、はい、まぁ……でもどうして?」
「……い、いえ、すみません……」
ペールは先ほどから何か肝心なところで言い淀んでいた。離れたところにいるジェイドが、こちらに視線を投げかけている。
「……もしかして、わたしの両親をご存知ですか?」
「! ……は、はい……ご健在ですかな……?」
「ごめんなさい。残念ながら二人とも……」
「そ、そうですか……」
目を伏せてそう言うと、ペールは肩を落とした。ユニの両親のことを知っている人がなぜキムラスカで庭師をしているのかはわからなかったが、ユニはそれ以上訊かずにジェイドのところへ戻っていった。彼の悲しげな表情は、本物だと思いたかったからだ。
二人は玄関まで見送りに来てくれた。
「じゃあ、ここまでご苦労さん、ユニ、ジェイド。バチカルを出る前にまた寄ってくれたら嬉しいよ。ちょっと話したいこともあるし」
「ええ、わかりました。では、長居をしてすみません。うちの者がお世話になりました、ペール殿」
ジェイドが軽く会釈をすると、対してペールは深々と頭を下げた。
「とんでもございません、カーティス大佐。ユニ様をどうかよろしくお願いいたします」
「ペールさん……?」
「ご立派に成長されましたこと、ご両親に代わりこのペールがお喜び申しあげます」
「ペール? なにを……」
「ユニ様。どうか、キムラスカをお恨みにならないでくだされ」
ファブレ家の屋敷を出ると、真っ赤な夕日に包まれた王城が見えた。美しかった。グランコクマとどちらが綺麗かと問われても、即答はできそうになかった。
ふと、ジェイドが「なるほど」と声を出した。
「あのご老人、どこかで会ったことがあると思っていましたが、今思い出しました。マルクトの軍部です」
「え!? マルクトの軍人だったってことですか?」
「恐らく。彼はユニのご両親を知っていたようですし」
キムラスカを恨むな、と言ったのは、ユニの両親がキムラスカとの戦争で死んだのを知っているということだろう。ペールはマルクトの軍人だったのだろうか? だとしたら、その彼が、どうしてここに? なぜ敵国であるキムラスカの公爵家に仕えているのだろうか?
なぜ、キムラスカを恨むなと言うのだろうか――?
しかし彼の素性を疑うのは、あまり気分のいいことではなかった。
「……でも、ペールさんはきっといい人ですよ」
「はい。なぜ彼がこんなところで庭師をしているのかは、あなたとガイに免じて詮索しないでおきましょう」
「……ありがとうございます」
そうして俯くユニの背を見て、ジェイドはひとり溜息をついた。
「……それにしても彼は、この旅が終わってもまだあなたに会いたいようですねぇ。これは困りました」
空を飛ぶ術を持つアリエッタやディストがいないせいか六神将の妨害工作はケセドニア以来何もなく、静かな船旅になった。
船はついにバチカルへ入った。
カイツールで送った伝書鳩が無事に届いたのだろう、港ではたくさんの兵が待ち構えていて、ルークの姿を見ると一斉に頭を下げた。緊張で表情が強張るユニの肩を、ジェイドが軽く叩いた。
「この度は無事のご帰国おめでとうございます」
並び立つ兵士たちに声をかけられ、「ああ、終わった、成功したんだ」とやっと安心できた。グランコクマを出てからずっと封印されていたような懐かしい気持ちだ。
ユニはほとんど上の空で、仲間たちとともに縦長のバチカルの街を上って行った。バチカル名物の天空客車で、王城のある最上部まで一気に到達する。
そのまま入城し、謁見の間のすぐ前の扉まで進んだのだが、ここで、なぜか兵に止められてしまった。
「ただいま大詠師モースが陛下に謁見中です。しばらくお待ち下さい」
使節団の話は事前に通してあるはずだが。ルークはムッとして、兵を睨みつけた。扉の向こうから話し声が漏れ聞こえる。どうやらモースは、マルクトが着々と戦争準備を始めているなどと国王インゴベルトに吹きこんでいるようだった。
「おい、オレはファブレ公爵家のルークだ! 邪魔をするなら、お前をクビにするよう申し入れるぞ!」
「ル、ルーク」
「強引ですねぇ」
自分の街に帰ってきたからか、ルークがいつもよりも強い調子で兵をどかせる。ジェイドは気に留める様子もなく笑っていたが、ユニはルークの横顔になぜか焦りのようなものを感じて首を傾げた。
乱暴な音が響き渡り、目の前が開けた。恐らく、こんなに勢いよく開けられたのは、この扉にとっても初めてだろう。その先には霞むほどに高い天井と、三つの玉座の真ん中に座る男性、そして、力任せに開かれた扉の音にびくりと肩を震わせる恰幅のいい男――大詠師モースがいた。
「伯父上! そいつの言ってることはでたらめだぜ!」
「そなたは……ルーク! 無事であったか!」
こんな非常識な行為も、ルークの「顔」のおかげでなんとかお咎めを免れる。
「オレはマルクトを見てきたんだ。首都には近付けなかったけど、エンゲーブやセントビナーは呑気なものだったぜ。戦争の準備なんかしちゃいねぇよ」
事故とはいえマルクトに渡っていたルークが、自分の目で見てきた真実を述べる。
「それどころか、キムラスカがいつ攻め込んでくるか噂が絶えないって言ってたぜ」
「適当なことを……陛下! 私の話を……」
「るせー! 戦争起こしたがってんのはお前だろ!」
「な、何を言うか……!」
ルークとモースの間で口論になったところで、脇に控えていた大臣がパンパンと手を打つ。二人ははっとして口をつぐんだが、国王の前でこんなに騒がしいマネをして、親書が受け取ってもらえなかったらどうするのだろう、とユニはハラハラしていた。
「っと、とにかく、マルクトに戦争するつもりがないのはこいつらが証明してくれるぜ」
ルークは横に一歩引き、国王の目にイオンとジェイドが入るよう配慮した。
「ご無沙汰しております、陛下。イオンにございます」
「おお! イオン殿! よくいらしてくださった。ルークが世話になったようですな」
「僕の方こそ、彼にはお世話になりました。ルーク殿はとてもお優しい方です」
イオンがふわりと微笑んで言うと、ルークの顔が一気に赤くなった。ユニはくすりと笑う。横にいるガイも少し表情を崩していた。
「陛下。こちらがピオニー九世陛下の名代、ジェイド・カーティス大佐です」
「御前を失礼致します。我が君主より、偉大なるインゴベルト六世陛下に親書を預かって参りました」
ジェイドは進み出ると、スッと礼をして跪いた。
「どうぞお納め下さい」
アニスが恭しく親書を掲げ、その隣に立つ。インゴベルト王はゆっくりと、マルクト皇帝に敬意を表すように頷いた。大臣が歩み寄り、「確かに!」と王に代わってそれを受け取った。
「はあ~なんとか無事に親書を届けられましたね~」
城を出た瞬間、アニスがふにゃふにゃと伸びをした。アニスだけではない、ほとんど全員が緊張で疲れきっていた。
「あとはルークを家まで送り届ければ任務完了ですね」
「オ、オレは別に一人だって帰れるっての!」
「僕はルークのお屋敷を拝見したいです」
「ちっ……しょうがねえな」
ジェイドが朗らかに言い、イオンにも頼まれて、ルークは照れながらも了承する。
長い旅がようやく一段落した。けれど、これは一つの任務が終わったに過ぎない。親書を渡しただけで和平交渉が成立してくれればいいのだが、ユニたちにはまだまだ仕事が残されていた。それに、個人的な問題ではあるが、ダアトでユニに何があったのか、アッシュに訊かねばならない。まだ、旅は終わっていない。
ルークの屋敷へ着くと、執事や大勢のメイドたちが喜んで出迎えてくれた。彼の両親は見当たらなかった。聞けば、父である公爵は火急の用件でルークたちと入れ違いに登城したとか。
「ルーク様、よくぞご無事で。預言に良い出来事があると詠まれていたのはこのことだったのでしょう」
「お戻りを心待ちにしておりました。ナタリア殿下も心配されておりましたよ」
白銀の鎧の騎士たちだけでなく、メイドまでもが、気軽に彼に話しかける。いつかガイが言っていたように、「ルークはいい意味で偉い人にも使用人にも分け隔てなく横暴」だから、きっと慕われているのだろう。
「ルーク様! お帰りなさいませ! ガイもお帰りなさい!」
メイドの女の子が嬉しそうに近付いて、待ちかねたように大きな声を出した。ユニの横でガイがびくりとしたが、しかし、親しげに彼女に笑みを返した。
「あ、ああ……ん? 泣いてたのか? 目が赤いぞ」
「うん……二人がやっと戻ってきてくれたから、つい嬉しくって……」
「そうか、ありがとう。ごめんな、心配かけて」
「んもう、ガイったら相変わらず優しいわね!」
「だ、だから近付くなって!」
ばしっと腕を叩かれて、ガイは震えあがり、そして凄い速さで柱の陰に隠れた。それを見て、メイドの子は楽しそうに笑う。
「ふふ、ガイって素でキザなんだから~」
バチカルに来てから、何人もの女の子が彼に親しげに声をかけていた。彼自身は女性に近付くことも出来ないのだが、彼のキザで優しい言葉や怯える様子が、彼女たちはお気に入りのようだった。
――そんな彼の日常を目にして、なぜか、なんとなくもやもやしてしまう。
「……ガイってモテるんだね」
「へっ? いや、そんなことないさ。からかわれてるだけだろ……」
ユニが言うとガイは困ったように笑った。ああ、この笑顔のせいか、とユニはぼんやりと考えるのだった。
ファブレ家からの歓迎が落ち着いて、さてどうするか、という時だった。カツカツと靴で床を打つ音が聞こえ、物凄い速さでこちらに近付いてきた。ルークは「げ」と声を漏らす。
「ルーク! 心配しましたのよ! ご無事でなによりですわ!」
現れたのは、青いドレスに身を包み美しい金色の髪をした女性だった。ルークに駆け寄り、「お変わりありませんのね」と高貴に微笑んだ。
「うわっ美人! なになに誰なの?」
ルークを狙っているアニスがやきもきしながらガイに訊いた。するとガイは「キムラスカ王国の王女ナタリア姫だよ。ルークの婚約者の」と説明した。
「こ、婚約者ーッ!?」
アニスが爆発したように叫び、ルークは少し顔を赤くする。
「お前もな、大袈裟なんだよ。もういいから、城に戻っておけよ」
「まあ、何ですのその態度は! わたくしや皆がどんなに心配していたか!」
「いや、まあ、ナタリア様……。ルーク様は照れてるんですよ」
ガイがルークをフォローしようとしたが、ナタリアは新たな敵をみつけたかのようにじろりと彼を睨みつけるのだった。ジェイドは「どこの国の王族も似たようなものですねぇ」と他人事のように笑っていた。
「ガイ! あなたもあなたですわ! ルークを捜しに行く前に、わたくしの所へ寄るようにと伝えていたでしょう? どうして黙って行ったのです!」
「わわわ!」
ナタリアはカッと大きく一歩近付いた。そのオーラに弾かれるように、ガイは慌てて飛び退き柱に隠れた。
「おおおおれみたいな使用人が城に行ける訳ないでしょう!」
「何故逃げるの」
「ご存知でしょう!」
ガイは泣きそうな声で叫んだ。震えているのが声でわかる。アニスは他人事のようにあははと笑っていた。
「わたくしがルークと結婚したら、お前はわたくしの使用人になるのですよ。少しは慣れなさい!」
「む、無理ですぅ~!」
「おかしな人。こんなに情けないのに、何故メイドたちはガイがお気に入りなのかしら」
ナタリアは溜息をつくと、ルークに向き直った。怯えるガイは、まだ柱の後ろから出てこられずにいた。
「だいたい……なんです!?」
次にナタリアが視線を向けたのは、ユニたちの方だった。キッと睨みつけられて、思わずたじろいでしまう。
「女性ばかり引きつれて、はしたない! まさか使用人に手をつけたのではありませんわよね!」
「うっぜーなぁ! ちげーよ!」
「あ、あ、あの……ナタリア様」
ルークが怒鳴り散らす後ろで、ユニは静かに彼女に呼び掛けた。ナタリアはさっと振り返りこちらを見る。睨んではいなかったが、まだ怖い顔をしていた。ユニは怯えながらも、すっと頭を下げた。
「申し遅れました。わたくしはマルクト帝国皇帝ピオニー九世陛下のお世話係を務めている者にございます」
「まぁ、ピオニー陛下の……名はなんとおっしゃいますの?」
「はい、ユニ・シェフィールドでございます」
「ユニですのね。礼儀正しい方ですわ……それに比べて、ガイ!!」
「ひぃ!」
収まったかに見えたが、再び、彼女の怒りの矛先がガイに向いてしまった。彼は柱の向こうで飛びあがった。
「いつまでそのように隠れているつもりですの!」
「いや、で、ですから……」
「聞いていまして? この方は賢帝と名高いピオニー陛下の使用人にあらせられるのですよ。せっかくですからユニからいろいろと学んでおきなさい!」
「は、はい……」
そうして全員が挨拶をすませると、ナタリアは用事があると言って嵐のように去っていった。
「……ったく。ナタリアの奴は相変わらずだなぁ」
ようやく解放されて、ルークは脱力しながら呟く。
「早速のナタリア節だったな」とガイが柱の陰から出てきて笑うが、その表情はまだ少しだけ強張っていた。
「お姫様~、な感じの人だったね~。綺麗な召し物。優雅な物腰。上品なおしゃべり。あれがいわゆる上流階級? ちょっと賑やかなのも含めてぇ」
「では、アニスも上流階級ですね」
「むー。大佐、それってどういう意味ですかぁ」
アニスはぶーと頬を膨らませた。その横で、少しだけ恍惚とした表情のティアが呟く。
「ナタリア様って綺麗な人。可愛いドレスも似合うし……」
「そうかぁ? ぎゃあぎゃあうるせーだけだよ」
「それに、ティアだって綺麗じゃないか」
ガイが、ティアに向かって少しの照れもなく言った。突如として囁かれた甘い言葉に、ティアはもちろんユニまで赤くなってしまった。
ティアは「あ……ありがとう……」とぽつりと言い、思わずガイに近付く。しかしガイはナタリアに対する神経過敏状態がまだ続いていたようで、慌てて飛び退いた。
「……ご、ごめんなさい。うっかりしてたわ」
「いや、こっちこそスマン」
「お前さ、さらっとそういうこと言うから女に惚れられるんだよ」
ルークが呆れて言う。彼は他の女性にもこういう態度で、日常茶飯事なのだろう。「思ったことを言ってるだけなんだがなぁ」と、ガイは眉を下げた。
ルークの母であるシュザンヌが倒れていると聞いて、ルークとティアはお見舞いに行くことになった。もともと病弱だったが、ルークの失踪が原因で悪化したのだという。ティアも責任を感じているようだった。
王城から使者がやってきて、城内に部屋の準備が整ったと伝えられた。「では僕たちはこれで失礼することにしましょうか」とイオンが言い、ユニたちは城へ足を向けた。しかしそこで「ユニ」とガイに呼び止められて、なんだろうと思いながら振り返る。
「前に、宮殿の庭師してたって言ってたよな。うちにも庭師がいるんだ。少し話をしていかないか」
「そうなの? じゃあ、せっかくだから」
ユニはガイの方へ駆け戻った。すると城へ戻りかけていたジェイドも身を翻した。「旦那も来るかい?」とガイは訊く。
「別にユニが心配だからというわけではありませんので。どうぞご自由に」
「うわ、なんかやりにくいなぁ……」
三人はファブレ家の庭へ向かった。円形の庭の周りには花壇があり、よく整備され慎ましやかに花が咲いていた。その花壇のそばに座り込み、作業をする老人に、ガイは呼びかけた。
「ルーク様がご無事だとはお聞きしました。そちらの方々がお屋敷まで送り届けてくださったのでしょうか」
「まぁ、そんなとこだな」
深々と礼をするペールを見て、ガイは「でさ、この子、前に庭師をしてたんだって」とユニを紹介する。
「はじめまして。ペールと申します」
「ユニ・シェフィールドす。よろしくおねがい……」
「なんと……シェフィールド様ですと……!?」
下げていた頭を上げて彼の顔を見ると、驚いて目を丸くしていた。マルクトでファミリーネームを言うと大抵の軍人は驚いていたものだが、まさかキムラスカでまでこの反応を目にするとは思わなかった。
「どうしたんだ、ペール」
「あ、ああ、失礼いたしました。なんでもございません」
ガイが声をかけると、ようやくペールは首を振って次の言葉を口にした。不思議に思ってジェイドに目をやると、彼はこの老人をじっとみつめていた。ペールはその視線に気付き、首を傾げる。
「何か……?」
「私はマルクト帝国のジェイド・カーティス大佐です。失礼ですが、どこかでお会いしたことがありませんか?」
ジェイドは柔らかな物腰で言ったが、なぜか只事ではない雰囲気が流れた。ペールはまたしても驚いていたし、ガイも眉を寄せていた。
「き、記憶にありませんが……」
「そうですか……失礼いたしました」
キムラスカの庭師がマルクトの軍人と知り合いである筈はないのだが、なぜそんなことを訊くのだろう。ジェイドはそれ以上詮索しようとはしなかったが、代わりにちらりとガイの方を見た。
その後、ユニはペールと庭仕事についての話をした。バチカルとグランコクマではもちろん気候も違うから、育つ植物も違った。随分長くこの屋敷に勤めているようだったし、ユニよりもたくさんの知識を持っていた。
説明を聞きながら、のんびりと庭を一周し終えた。
「そろそろ戻りましょうか、ユニ」
ガイと雑談していたジェイドがこちらに声をかける。日も傾きはじめていた。旅に出てからはじめて本当にゆっくり過ごせる時間が出来たせいか、ついつい長居をしてしまった。ファブレ家の奥様に会いにいったティアも用事を済ませ、既に城に戻っているに違いない。ユニは返事をすると、ペールに向き直り礼をする。
「ペールさん、ありがとうございました。いろいろと勉強になりました」
「この老人でよろしければまたお顔を見せて下され」
「はい!」
嬉しい言葉に笑顔を浮かべると、ペールはなぜだか切なそうな表情をするのだった。
「シェフィールド様、現在はマルクトのピオニー陛下にお仕えしていると聞きましたが……」
「はい、そうですが」
「失礼ですが、治癒士でいらっしゃいますでしょうか?」
「あ、はい、まぁ……でもどうして?」
「……い、いえ、すみません……」
ペールは先ほどから何か肝心なところで言い淀んでいた。離れたところにいるジェイドが、こちらに視線を投げかけている。
「……もしかして、わたしの両親をご存知ですか?」
「! ……は、はい……ご健在ですかな……?」
「ごめんなさい。残念ながら二人とも……」
「そ、そうですか……」
目を伏せてそう言うと、ペールは肩を落とした。ユニの両親のことを知っている人がなぜキムラスカで庭師をしているのかはわからなかったが、ユニはそれ以上訊かずにジェイドのところへ戻っていった。彼の悲しげな表情は、本物だと思いたかったからだ。
二人は玄関まで見送りに来てくれた。
「じゃあ、ここまでご苦労さん、ユニ、ジェイド。バチカルを出る前にまた寄ってくれたら嬉しいよ。ちょっと話したいこともあるし」
「ええ、わかりました。では、長居をしてすみません。うちの者がお世話になりました、ペール殿」
ジェイドが軽く会釈をすると、対してペールは深々と頭を下げた。
「とんでもございません、カーティス大佐。ユニ様をどうかよろしくお願いいたします」
「ペールさん……?」
「ご立派に成長されましたこと、ご両親に代わりこのペールがお喜び申しあげます」
「ペール? なにを……」
「ユニ様。どうか、キムラスカをお恨みにならないでくだされ」
ファブレ家の屋敷を出ると、真っ赤な夕日に包まれた王城が見えた。美しかった。グランコクマとどちらが綺麗かと問われても、即答はできそうになかった。
ふと、ジェイドが「なるほど」と声を出した。
「あのご老人、どこかで会ったことがあると思っていましたが、今思い出しました。マルクトの軍部です」
「え!? マルクトの軍人だったってことですか?」
「恐らく。彼はユニのご両親を知っていたようですし」
キムラスカを恨むな、と言ったのは、ユニの両親がキムラスカとの戦争で死んだのを知っているということだろう。ペールはマルクトの軍人だったのだろうか? だとしたら、その彼が、どうしてここに? なぜ敵国であるキムラスカの公爵家に仕えているのだろうか?
なぜ、キムラスカを恨むなと言うのだろうか――?
しかし彼の素性を疑うのは、あまり気分のいいことではなかった。
「……でも、ペールさんはきっといい人ですよ」
「はい。なぜ彼がこんなところで庭師をしているのかは、あなたとガイに免じて詮索しないでおきましょう」
「……ありがとうございます」
そうして俯くユニの背を見て、ジェイドはひとり溜息をついた。
「……それにしても彼は、この旅が終わってもまだあなたに会いたいようですねぇ。これは困りました」