第2章(外殻大地編)
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44 そぞろな悩める心
艇は無事ケセドニアに到着した。
ここでヴァンがダアトに向かうため離脱することになったのだが、ルークはそれを心底残念がっていた。しかしヴァンにたしなめられると、すぐに大人しくなった。
本当に、ルークは彼の前だと態度が変わる。よほど尊敬して、頼りにしているのだろう。それはほとんど崇拝に近く、ルークはヴァンの言葉を少しの疑いなく聞き入れているようだった。
ケセドニアは砂漠に面した街であった。商人ギルドによる自治権を有した、世界の流通の拠点。商人ギルドはダアトに莫大な献金をしているため、教団は見返りにケセドニアを自治区として認めているのだという。
砂が舞うこの街では国境は形だけで、人々は自由に行き来し、物を売買している。様々な国の人が忙しなく動きまわり、賑やかで活気にあふれていた。
キムラスカの領事館に行くと、艇の出港まではもう少し時間がかかると言われた。そこで、艇を待つ間、ユニたちは自由行動をすることにした。イオンとジェイドは、この街一番の富豪だというアスター氏のところへ音譜盤を調べに行くと言う。アニスは何か見たいものがあるらしく、一人でそそくさとでかけて行った。
「おいルーク! 音機関の店があるらしいんだ、一緒に行かないか?」
「んーいいや、興味ねーし。てきとーにぶらついてくる」
ガイは嬉々としてルークを誘うが、彼は無気力に返事をして人ごみの中に消えてしまった。ティアも「私も買い物に行くわね」と言って去っていく。風で砂埃が舞い上がる。結局残ったのはユニとガイだけだった。
「あ、ガイ。わたし特に見たいものないから……一緒に行こうか?」
「いいのか? オレがキミの買い物に付き合うのでも全然いいんだけど」
そしてさらりと「オレは一人でも構わないけど、キミを一人にするのは心配だからね」と付け加える。その笑顔に、なんだか少しくすぐったくなってしまった。
ユニはガイと一緒にケセドニアの街を歩いた。そのときの話題は半分以上が「音機関」だった。ガイは音機関に目がないらしく、店を出た後もずっとその話をしていた。好きなことを話しているときのガイは子供のように目が輝いていた。いつも落ち着いているのに珍しいな、と思って、ユニはその表情を眺めながら、適当なところでうんうんと相槌を打つのだった。
「な? な? いいよなぁ音機関」
「そうだね」
「ユニならわかってくれると思ったよ。ルークのやつ、オレがこの話をし出すといつも逃げちまって……」
「あはは、ルークにはちょっと難しいかもねぇ」
「いや、オレのこんなマニアックな話聞いてくれるのは今も昔もユニだけだよ」
「え? 昔?」
ガイは、はっとして足を止めた。止まらずに二、三歩先に行ってしまったユニは、不思議な気持ちで彼を振り返った。「悪いな。まだ慣れないっていうか……」と彼は困ったように笑う。
「キミが、オレの昔会ったユニだったらいいなぁってずっと思ってるんだ。約束したのに、結局あれから一度も会えてないままだし……」
「……えっと……」
「ごめん、なんでもないよ」
ガイは「行こう」と言ってユニの前に出ながら、こちらに手を伸ばした。
差し出されたその手に、ユニは驚いてしまう。
彼が自分から女性との距離を縮めるなんて、初めて見る光景かもしれない。しかし、ユニはその手を取ることは出来ない。震えて動けなくなる程に、女性に触るのを怖がっている彼を見てしまったのだから。ガイだって本当にユニに触れようとは思っていないだろう。
それに、この手はきっと、「自分」へ差し伸べられたものではないのだろう。そのことがなんとなく寂しく感じてしまって、ユニは「ありがとう」とだけ言って、また歩き出した。
買い物も済んだので、仲間たちに合流しようと国境付近に行く。しかしまだ誰も戻ってきていなかった。ひとまずは行き先のわかるジェイドたちと合流するため、アスターの屋敷を少し見に行くことにした。
「う、うわー……これ、宮殿みたいだね……」
開放された門を通ると、まるで天国のような空間に出た。階段が美しく曲線を描いて連なり、広い庭園にはユニの見たことがない花が咲いている。この庭にも庭師がいるのだろうか、とユニは思った。ピオニーの世話係になってから庭を整備することはなくなったのだが、ユニはこの仕事をとても気に入っていたのだ。ガイの音機関への熱意を聞いていたら、久しぶりに自分も趣味の話をしたくなってきた。
「ねえ、ガイはお花とか好きじゃない?」
「花かい? そうだな、バチカルの屋敷にも花はたくさんあったからな、好きだよ」
「じゃあ今度はわたしがいろいろ語るから、聞いてよ」
「いいさ。もちろん」
「うん、わたし、今ではピオニー陛下のお世話係だけど、昔は庭師をしていて……」
「……え……」
ユニが意気込んで話し始めたその時、屋敷の扉が開いた。見ると、見覚えのある蒼い軍服と、穏やかな緑の少年がそこにいた。
「おやぁ、おふたりとも。デートですか?」
「ち、ちがいますよ!」
ジェイドはそう言って冷やかしながら、階段を下りてきた。「ガーイ。うちのユニをたぶらかすのは結構ですが、もしよかったら荷物持ちをお願いしてもよろしいですか」と声をかけながら、ガイに音譜盤と解析結果の資料らしきものを渡した。ガイは半笑いでそれを受け取って、そして少しバランスを崩した。
「って、重……すごい量だな」
「ええ。さきほど目を通したのですが……骨が折れましたよ」
「えっもう全部読んだんですか」
両手を天に向けてやれやれと溜息をつくジェイドに、ユニは目を見開いた。彼の能力は本当に底知れない。
国境付近に行くと、すでに他の仲間たちが集まっていた。キムラスカの兵士も一緒だった。「あ、大佐ー! 船の準備が出来たそうですよ!」とアニスが元気よく叫んだ。その時だった。
殺気が、物凄い速さで迫ってきた。音もなく駆けてくるその気迫だけで、全身が硬直した。この感じはもしや、と思う間もなく、烈風のシンクが視界を駆け抜ける。
「あ、危ない!」
既に狙いをつけていたのかもしれない。彼は狂いなく拳をガイの右腕に打ち込んだ。ガイは地に倒れ、持っていた資料や音譜盤が乾いた地面に散らばった。シンクはカラカラと音を立てて転がる音譜盤を拾い上げ、再び狙いを定める。
「くっ……ユニ! 資料を!」
「あっ、うん!」
呻き声をあげるガイに駆け寄ろうとしたが、彼は素早く立ち上がってユニに「大丈夫だ」というように軽く手を振ってみせた。それを見て急いで資料をかき集め腕の中におさめると、同時にジェイドの声が飛ぶ。
「ここで諍いを起こしては迷惑です。船へ!」
「逃がすか!」
全員で一気に走り出した。船のことを知らせに来ていた兵士は呆気にとられたまま、その場に取り残された。
「ジェイドっ、お、おいつかれますよ! シンクはめちゃくちゃ足速いですからっ」
砂漠の街を疾走しながら喘ぎ喘ぎ伝えると、ジェイドは背後へと視線を流した。砂埃をあげながら猛烈な勢いで迫る少年。船が港を出るまでの時間を考えると、どこかで足止めせねばならない。幸いにも、船着き場へ向かう階段付近には住民の姿は見当たらなかった。
「……そうですね。私も少し確かめたいことがあります。ユニ、手伝ってください」
ジェイドは足を止め、振りむきざまに詠唱を開始した。足元から砂塵が立ち上る。
「唸れ烈風、大気の刃よ」
「わわ、ジェイドっ」
「え!? 大佐、ユニ! シンクの相手するんですか!?」
ユニも慌てて立ち止まる。後ろを走っていたアニスらも驚いていたが「わたしたちで時間稼ぎするから、行って、船を出して!」と伝えると、「わかった! ちゃんと追いついてよね!」と言って横を通り抜けて行った。
「斬り刻め! タービュランス!」
「!」
ジェイドが譜術を展開させる。シンクの周辺に突風が起こり、砂を巻き上げ、その足を止めた。
「アンタたち二人で僕の相手をしようって言うの?」
砂塵が落ち着き、シンクが静かに一歩踏み出した。彼の言うとおり、肉弾戦を得意とするシンクに譜術士が勝つのはかなり難しい。とくに彼は素早い。突っ立って譜術の詠唱なんてしている暇はないだろう。ユニはここに残ったことをはやくも後悔し始めていたが、ジェイドが無謀な策に出るとも思えない。
「あなたに勝つつもりはありませんよ、シンク」
「フン、じゃあ時間稼ぎってとこ? そう簡単に逃がしてくれると思う?」
「ハーッハッハッ! そうですよ、この私から逃げられるとでも?」
「……」
低く言い放つシンクの声を掻き消すように、空から降ってきた声があった。高らかな笑いがこだまして、ジェイドとシンクが同時に溜息をつく。「やはり来ましたねぇ」とジェイドは呟き、そして聞こえるか聞こえないかくらいの声でユニに耳打ちをした。
「――いいですか?」
「……わ、わかりました」
「何をこそこそと話しているのですか陰険ジェイド!」
「おや、鼻垂れディストじゃないですか」
ジェイドが事も無げに返すと、ディストはキィキィと金切り声をあげて「薔薇! 薔薇のディスト様だ!」と訂正した。しかし「死神ディストでしょ」と、仲間のシンクまでもがばっさりと言う。
「ところでジェイド……やっぱりディストと知り合いだったんですね」
「おやユニ、なぜそれを?」
「陛下とジェイドとディストと、あと女の子が四人で写ってる写真を昔見た記憶があって……」
「そうです。そこの陰湿ロン毛メガネのジェイドは、この天才ディスト様のかつての友」
「どこのジェイドですか? そんな物好きは」
「なんですって!?」
「ほらほら、怒るとまた鼻水が出ますよ」
「キィー! 出ませんよ!」
ジェイドの挑発にディストが面白いように反応しているのを、ユニとシンクは黙って見ていた。シンクは馬鹿馬鹿しくて戦う気も失せているようだった。なるほど、ジェイドはこれを狙っていたのかもしれない。もう十分すぎるほどに時間も稼げただろう。
「許しませんよジェイド! おとなしく音譜盤のデータを渡しなさい!」
「これのことですか?」
「あ、ちょ、ジェイドっ……!」
ジェイドはユニの手にあった資料を取ると、ディストに向かってちらつかせた。その瞬間、譜業椅子に乗ったディストが物凄い速さで急降下し、彼の手からそれをひったくって、また元の場所に戻っていった。
「ハハハッ! 油断しましたねぇ、ジェイド!」
「差し上げますよ。その内容はすべて覚えましたから」
「ムキー! 猿が私を小馬鹿にして!」
「……ひとつ訊ねたいことがあるのですが、ディスト」
地団駄を踏むディストを見据えて、ジェイドは言った。先ほどまでの冗談めいた声色とは別人のように、真剣で、怒りすら感じられる声だった。空気が変わったためか、シンクも改めて身構える。
「ルークを使って何をしようとしている」
「……へ? ジェイド……なんのことですか?」
ユニには、なぜここでジェイドがそんなことを訊くのか、まるで見当がつかなかった。
「ふ……さすがは死霊使いサマ。ディストが割り込んできたから少しどうでもよくなったけど、やっぱりここで逃がす訳にはいかない。アンタも、ユニも」
「それから、ユニとアッシュのことで何か心当たりはありませんか? シンク」
「え、わたし……?」
「……ユニと、アッシュだと?」
驚くユニ以上に、シンクの表情が歪んだような気がした。相変わらず彼は仮面をつけているので、気がしただけに過ぎないが。
「二年前、アッシュがユニをグランコクマに連れ戻した話はご存知でしたか?」
「……何?」
シンクの態度がわかりやすく変化したのを見て、ジェイドはにやりと笑って話を続けた。「あぁ、知りませんでしたか。すみません」とわざとらしく言い、港の方へちらりと視線を流す。船が動き出すのと同時に走れば、ぎりぎり乗れるかどうかの距離だ。
「アッシュが、ユニに何をしたって……?」
「いえいえ。彼は親切にもうちのユニにいろいろよくして下さったようでしてねぇ」
ジェイドの意図が読めず、何か余計なことを言わないかと、ユニはハラハラしながら話の行方を見守っていた。しかし同時に、ジェイドに言われた通り、頭の中では冷静に譜術の組み立てを何度も行っていた。シンクたちに悟られないように注意しながら、彼の合図を待つ。
「しかし、あなたにもずいぶんと心配していただいたようで」
「はぁ?」
「アニスに聞きましたよ。ユニがなかなかダアトに現れないのでシンクが大変だったと」
「!」
シンクがばっと顔をあげた。見えないのに、なぜか彼とばっちり目が合ってしまったような気がした。シンクの拳が微かに震えていた。しかしそれがどういう感情を表しているのかまでは、ユニにはわからなかった。
「フン……あぁ、イライラしたよあの時は。アッシュが何をしたのかは知らないけど、それはアンタたちを捕まえた後で聞くよ」
「結構なことです――ユニ!」
「はい! 荒れ狂う流れよ、スプラッシュ!」
ジェイドの声でユニがディストめがけて譜術を発動したのと同時に、港の方で船が煙を噴き上げる音が聞こえた。出港の合図だ。ジェイドはユニを抱き上げると、悲鳴をあげるディストには目もくれずに走り出した。どこまで計算しているのか、恐ろしくなるほどに正確なタイミングだった。
(ディストの譜業椅子は厄介です。飛んで来ますからね。船に乗っても撒けません。ですから、まずは水をかけてあれを破壊して下さい)
先ほど耳打ちされた通り、譜業機械は水に滅法弱いようだった。ディストは椅子ごと地面に落下した。いつもあれに乗って移動している彼が自力でこちらに追いつけるとは思えない。ディスト、撃破だ。
(その後は私があなたを抱えて港まで走りますから、譜術でシンクが追ってくるのを邪魔してください)
ジェイドの背中越しに、ユニはいくつか譜術を放つ。前方はジェイドに任せ、攻撃に専念できるので、それは狂いなくシンクの足元を襲った。シンクは少ない動きでそれをかわすが、こちらとの距離は縮まらなかった。
「ジェイド! こっちだ!」
「大佐ー! はやくぅー!」
港へ駆け込むと、船が陸地を離れる寸前だった。「間に合いましたねぇ、ユニ」とジェイドは涼しく言って、ユニを抱く手に力を込めた。そして走ってきた勢いのまま、陸を蹴る。海を眼下に一瞬映して、そして船へと着地した。「きゃー! 大佐、カッコイイー!」とアニスが歓声をあげる。ユニはまだ目を瞬かせながら、ジェイドにしがみついていた。胸がどきどきして痛い。呆然としていると、静かに地面におろされた。
「いやぁ、老体にはきつい運動でした」
珍しく汗をぬぐいながらジェイドが言うが、相変わらず涼しい表情だった。
◇
「……くっ、逃がしたか」
港に残されたシンクは、遠ざかっていく船を見て唇を噛んだ。
「ゆ、ゆ、許しませんよ……!」
ディストも追いついてきたのだろう、背後からゼイゼイ言う声が聞こえた。六神将が二人がかりで追ったのに逃げられるとは、我ながら情けない話だった。
「……ジェイドってやつは思ってたより切れるんだね。アンタの知り合いだとか言うからもっと間抜けだと思ってたよ」
「な、なんですってー!?」
ディストは甲高い声で喚いたが、シンクはそれを無視して海に背を向けた。
「アッシュを問い詰めないとね。それに……あのガイとかいう奴のことも」
「こ、こらシンク! 待ちなさい!」
足早に立ち去るシンクを制止するが、気に留める様子もなく彼は消えて行ってしまった。ぽつんと残されたディストは、ぷるぷると震え出す。
「ムキー! シンクに、ユニに、ジェイド! 覚えていなさい! 全員まとめて復讐日記につけておきますからね!」
◇
「ふわー、どうなることかと思った~」
艇の欄干に寄りかかって、先の逃亡劇で熱くなった身体を冷ます。ユニの気の抜けた声を聞いて、隣にいたガイは朗らかに笑った。
「オレもひやひやしたよ。けど、ジェイドの旦那はさすがだよな。改めて、ジェイドが敵じゃなくてよかったと思ったよ」
「それはほんとに……けどあれでまだ本調子じゃないし、なんであの人わたしの上司なんだろう……」
「はは、それも含めて素直に羨ましいよ。さっきのも、まるで王子様みたいだったじゃないか」
「ちょっと、ええ? そうだった?」
冗談にしては、ユニのイメージと離れすぎていて、少し笑ってしまった。だとしたら自分がお姫様になってしまうし、ジェイドは王子というには陰険すぎるし。
「王子様っていったらガイの方だと思うけど。かっこよくて、優しくて、強くて、きらきらしてるから」
思ったことを口にして、笑って彼の方を向いた。しかしガイはやや硬直して黙り込んでしまった。
「ん? あれ? どうしたの?」
不思議に思って覗き込むと、彼は口元を隠して「……キミにそんなことを言われたら嬉しすぎるよ」と呟き、ユニから視線を逸らした。
(えっ、ガイ、そ、その反応は何なの……確かにちょっと恥ずかしいこと言ったかもだけど……)
いつも通りさわやかに受け流すと思っていたのだが、妙に真に受けられて、こちらも恥ずかしくなってしまった。それにしても、これくらいは周りの女の子たちから言われ慣れていると思うのだけど、どうしてユニのときばっかり、不意打ちにあったみたいな顔をするのだろう。
お互いへんにどぎまぎして、顔を合わせられず、会話もできなくなって、しばらく沈黙が流れた。
「おーいガイ、ちょっと付き合ってくんねえ?」
すると急にルークが甲板に現れて、ガイを呼んだ。彼は少しびくりとして「わ、ルークか。ああ、今行く」と返事をする。
「じゃあユニ。ありがとな。ゆっくり休んでおくんだぞ」
そう言われて、ユニはぎこちなく「は、はい」と呟いて、彼を見送った。そのあとで、さっきよりもぽーっと熱くなってしまった頭をぶんぶんと振るのだった。
艇は無事ケセドニアに到着した。
ここでヴァンがダアトに向かうため離脱することになったのだが、ルークはそれを心底残念がっていた。しかしヴァンにたしなめられると、すぐに大人しくなった。
本当に、ルークは彼の前だと態度が変わる。よほど尊敬して、頼りにしているのだろう。それはほとんど崇拝に近く、ルークはヴァンの言葉を少しの疑いなく聞き入れているようだった。
ケセドニアは砂漠に面した街であった。商人ギルドによる自治権を有した、世界の流通の拠点。商人ギルドはダアトに莫大な献金をしているため、教団は見返りにケセドニアを自治区として認めているのだという。
砂が舞うこの街では国境は形だけで、人々は自由に行き来し、物を売買している。様々な国の人が忙しなく動きまわり、賑やかで活気にあふれていた。
キムラスカの領事館に行くと、艇の出港まではもう少し時間がかかると言われた。そこで、艇を待つ間、ユニたちは自由行動をすることにした。イオンとジェイドは、この街一番の富豪だというアスター氏のところへ音譜盤を調べに行くと言う。アニスは何か見たいものがあるらしく、一人でそそくさとでかけて行った。
「おいルーク! 音機関の店があるらしいんだ、一緒に行かないか?」
「んーいいや、興味ねーし。てきとーにぶらついてくる」
ガイは嬉々としてルークを誘うが、彼は無気力に返事をして人ごみの中に消えてしまった。ティアも「私も買い物に行くわね」と言って去っていく。風で砂埃が舞い上がる。結局残ったのはユニとガイだけだった。
「あ、ガイ。わたし特に見たいものないから……一緒に行こうか?」
「いいのか? オレがキミの買い物に付き合うのでも全然いいんだけど」
そしてさらりと「オレは一人でも構わないけど、キミを一人にするのは心配だからね」と付け加える。その笑顔に、なんだか少しくすぐったくなってしまった。
ユニはガイと一緒にケセドニアの街を歩いた。そのときの話題は半分以上が「音機関」だった。ガイは音機関に目がないらしく、店を出た後もずっとその話をしていた。好きなことを話しているときのガイは子供のように目が輝いていた。いつも落ち着いているのに珍しいな、と思って、ユニはその表情を眺めながら、適当なところでうんうんと相槌を打つのだった。
「な? な? いいよなぁ音機関」
「そうだね」
「ユニならわかってくれると思ったよ。ルークのやつ、オレがこの話をし出すといつも逃げちまって……」
「あはは、ルークにはちょっと難しいかもねぇ」
「いや、オレのこんなマニアックな話聞いてくれるのは今も昔もユニだけだよ」
「え? 昔?」
ガイは、はっとして足を止めた。止まらずに二、三歩先に行ってしまったユニは、不思議な気持ちで彼を振り返った。「悪いな。まだ慣れないっていうか……」と彼は困ったように笑う。
「キミが、オレの昔会ったユニだったらいいなぁってずっと思ってるんだ。約束したのに、結局あれから一度も会えてないままだし……」
「……えっと……」
「ごめん、なんでもないよ」
ガイは「行こう」と言ってユニの前に出ながら、こちらに手を伸ばした。
差し出されたその手に、ユニは驚いてしまう。
彼が自分から女性との距離を縮めるなんて、初めて見る光景かもしれない。しかし、ユニはその手を取ることは出来ない。震えて動けなくなる程に、女性に触るのを怖がっている彼を見てしまったのだから。ガイだって本当にユニに触れようとは思っていないだろう。
それに、この手はきっと、「自分」へ差し伸べられたものではないのだろう。そのことがなんとなく寂しく感じてしまって、ユニは「ありがとう」とだけ言って、また歩き出した。
買い物も済んだので、仲間たちに合流しようと国境付近に行く。しかしまだ誰も戻ってきていなかった。ひとまずは行き先のわかるジェイドたちと合流するため、アスターの屋敷を少し見に行くことにした。
「う、うわー……これ、宮殿みたいだね……」
開放された門を通ると、まるで天国のような空間に出た。階段が美しく曲線を描いて連なり、広い庭園にはユニの見たことがない花が咲いている。この庭にも庭師がいるのだろうか、とユニは思った。ピオニーの世話係になってから庭を整備することはなくなったのだが、ユニはこの仕事をとても気に入っていたのだ。ガイの音機関への熱意を聞いていたら、久しぶりに自分も趣味の話をしたくなってきた。
「ねえ、ガイはお花とか好きじゃない?」
「花かい? そうだな、バチカルの屋敷にも花はたくさんあったからな、好きだよ」
「じゃあ今度はわたしがいろいろ語るから、聞いてよ」
「いいさ。もちろん」
「うん、わたし、今ではピオニー陛下のお世話係だけど、昔は庭師をしていて……」
「……え……」
ユニが意気込んで話し始めたその時、屋敷の扉が開いた。見ると、見覚えのある蒼い軍服と、穏やかな緑の少年がそこにいた。
「おやぁ、おふたりとも。デートですか?」
「ち、ちがいますよ!」
ジェイドはそう言って冷やかしながら、階段を下りてきた。「ガーイ。うちのユニをたぶらかすのは結構ですが、もしよかったら荷物持ちをお願いしてもよろしいですか」と声をかけながら、ガイに音譜盤と解析結果の資料らしきものを渡した。ガイは半笑いでそれを受け取って、そして少しバランスを崩した。
「って、重……すごい量だな」
「ええ。さきほど目を通したのですが……骨が折れましたよ」
「えっもう全部読んだんですか」
両手を天に向けてやれやれと溜息をつくジェイドに、ユニは目を見開いた。彼の能力は本当に底知れない。
国境付近に行くと、すでに他の仲間たちが集まっていた。キムラスカの兵士も一緒だった。「あ、大佐ー! 船の準備が出来たそうですよ!」とアニスが元気よく叫んだ。その時だった。
殺気が、物凄い速さで迫ってきた。音もなく駆けてくるその気迫だけで、全身が硬直した。この感じはもしや、と思う間もなく、烈風のシンクが視界を駆け抜ける。
「あ、危ない!」
既に狙いをつけていたのかもしれない。彼は狂いなく拳をガイの右腕に打ち込んだ。ガイは地に倒れ、持っていた資料や音譜盤が乾いた地面に散らばった。シンクはカラカラと音を立てて転がる音譜盤を拾い上げ、再び狙いを定める。
「くっ……ユニ! 資料を!」
「あっ、うん!」
呻き声をあげるガイに駆け寄ろうとしたが、彼は素早く立ち上がってユニに「大丈夫だ」というように軽く手を振ってみせた。それを見て急いで資料をかき集め腕の中におさめると、同時にジェイドの声が飛ぶ。
「ここで諍いを起こしては迷惑です。船へ!」
「逃がすか!」
全員で一気に走り出した。船のことを知らせに来ていた兵士は呆気にとられたまま、その場に取り残された。
「ジェイドっ、お、おいつかれますよ! シンクはめちゃくちゃ足速いですからっ」
砂漠の街を疾走しながら喘ぎ喘ぎ伝えると、ジェイドは背後へと視線を流した。砂埃をあげながら猛烈な勢いで迫る少年。船が港を出るまでの時間を考えると、どこかで足止めせねばならない。幸いにも、船着き場へ向かう階段付近には住民の姿は見当たらなかった。
「……そうですね。私も少し確かめたいことがあります。ユニ、手伝ってください」
ジェイドは足を止め、振りむきざまに詠唱を開始した。足元から砂塵が立ち上る。
「唸れ烈風、大気の刃よ」
「わわ、ジェイドっ」
「え!? 大佐、ユニ! シンクの相手するんですか!?」
ユニも慌てて立ち止まる。後ろを走っていたアニスらも驚いていたが「わたしたちで時間稼ぎするから、行って、船を出して!」と伝えると、「わかった! ちゃんと追いついてよね!」と言って横を通り抜けて行った。
「斬り刻め! タービュランス!」
「!」
ジェイドが譜術を展開させる。シンクの周辺に突風が起こり、砂を巻き上げ、その足を止めた。
「アンタたち二人で僕の相手をしようって言うの?」
砂塵が落ち着き、シンクが静かに一歩踏み出した。彼の言うとおり、肉弾戦を得意とするシンクに譜術士が勝つのはかなり難しい。とくに彼は素早い。突っ立って譜術の詠唱なんてしている暇はないだろう。ユニはここに残ったことをはやくも後悔し始めていたが、ジェイドが無謀な策に出るとも思えない。
「あなたに勝つつもりはありませんよ、シンク」
「フン、じゃあ時間稼ぎってとこ? そう簡単に逃がしてくれると思う?」
「ハーッハッハッ! そうですよ、この私から逃げられるとでも?」
「……」
低く言い放つシンクの声を掻き消すように、空から降ってきた声があった。高らかな笑いがこだまして、ジェイドとシンクが同時に溜息をつく。「やはり来ましたねぇ」とジェイドは呟き、そして聞こえるか聞こえないかくらいの声でユニに耳打ちをした。
「――いいですか?」
「……わ、わかりました」
「何をこそこそと話しているのですか陰険ジェイド!」
「おや、鼻垂れディストじゃないですか」
ジェイドが事も無げに返すと、ディストはキィキィと金切り声をあげて「薔薇! 薔薇のディスト様だ!」と訂正した。しかし「死神ディストでしょ」と、仲間のシンクまでもがばっさりと言う。
「ところでジェイド……やっぱりディストと知り合いだったんですね」
「おやユニ、なぜそれを?」
「陛下とジェイドとディストと、あと女の子が四人で写ってる写真を昔見た記憶があって……」
「そうです。そこの陰湿ロン毛メガネのジェイドは、この天才ディスト様のかつての友」
「どこのジェイドですか? そんな物好きは」
「なんですって!?」
「ほらほら、怒るとまた鼻水が出ますよ」
「キィー! 出ませんよ!」
ジェイドの挑発にディストが面白いように反応しているのを、ユニとシンクは黙って見ていた。シンクは馬鹿馬鹿しくて戦う気も失せているようだった。なるほど、ジェイドはこれを狙っていたのかもしれない。もう十分すぎるほどに時間も稼げただろう。
「許しませんよジェイド! おとなしく音譜盤のデータを渡しなさい!」
「これのことですか?」
「あ、ちょ、ジェイドっ……!」
ジェイドはユニの手にあった資料を取ると、ディストに向かってちらつかせた。その瞬間、譜業椅子に乗ったディストが物凄い速さで急降下し、彼の手からそれをひったくって、また元の場所に戻っていった。
「ハハハッ! 油断しましたねぇ、ジェイド!」
「差し上げますよ。その内容はすべて覚えましたから」
「ムキー! 猿が私を小馬鹿にして!」
「……ひとつ訊ねたいことがあるのですが、ディスト」
地団駄を踏むディストを見据えて、ジェイドは言った。先ほどまでの冗談めいた声色とは別人のように、真剣で、怒りすら感じられる声だった。空気が変わったためか、シンクも改めて身構える。
「ルークを使って何をしようとしている」
「……へ? ジェイド……なんのことですか?」
ユニには、なぜここでジェイドがそんなことを訊くのか、まるで見当がつかなかった。
「ふ……さすがは死霊使いサマ。ディストが割り込んできたから少しどうでもよくなったけど、やっぱりここで逃がす訳にはいかない。アンタも、ユニも」
「それから、ユニとアッシュのことで何か心当たりはありませんか? シンク」
「え、わたし……?」
「……ユニと、アッシュだと?」
驚くユニ以上に、シンクの表情が歪んだような気がした。相変わらず彼は仮面をつけているので、気がしただけに過ぎないが。
「二年前、アッシュがユニをグランコクマに連れ戻した話はご存知でしたか?」
「……何?」
シンクの態度がわかりやすく変化したのを見て、ジェイドはにやりと笑って話を続けた。「あぁ、知りませんでしたか。すみません」とわざとらしく言い、港の方へちらりと視線を流す。船が動き出すのと同時に走れば、ぎりぎり乗れるかどうかの距離だ。
「アッシュが、ユニに何をしたって……?」
「いえいえ。彼は親切にもうちのユニにいろいろよくして下さったようでしてねぇ」
ジェイドの意図が読めず、何か余計なことを言わないかと、ユニはハラハラしながら話の行方を見守っていた。しかし同時に、ジェイドに言われた通り、頭の中では冷静に譜術の組み立てを何度も行っていた。シンクたちに悟られないように注意しながら、彼の合図を待つ。
「しかし、あなたにもずいぶんと心配していただいたようで」
「はぁ?」
「アニスに聞きましたよ。ユニがなかなかダアトに現れないのでシンクが大変だったと」
「!」
シンクがばっと顔をあげた。見えないのに、なぜか彼とばっちり目が合ってしまったような気がした。シンクの拳が微かに震えていた。しかしそれがどういう感情を表しているのかまでは、ユニにはわからなかった。
「フン……あぁ、イライラしたよあの時は。アッシュが何をしたのかは知らないけど、それはアンタたちを捕まえた後で聞くよ」
「結構なことです――ユニ!」
「はい! 荒れ狂う流れよ、スプラッシュ!」
ジェイドの声でユニがディストめがけて譜術を発動したのと同時に、港の方で船が煙を噴き上げる音が聞こえた。出港の合図だ。ジェイドはユニを抱き上げると、悲鳴をあげるディストには目もくれずに走り出した。どこまで計算しているのか、恐ろしくなるほどに正確なタイミングだった。
(ディストの譜業椅子は厄介です。飛んで来ますからね。船に乗っても撒けません。ですから、まずは水をかけてあれを破壊して下さい)
先ほど耳打ちされた通り、譜業機械は水に滅法弱いようだった。ディストは椅子ごと地面に落下した。いつもあれに乗って移動している彼が自力でこちらに追いつけるとは思えない。ディスト、撃破だ。
(その後は私があなたを抱えて港まで走りますから、譜術でシンクが追ってくるのを邪魔してください)
ジェイドの背中越しに、ユニはいくつか譜術を放つ。前方はジェイドに任せ、攻撃に専念できるので、それは狂いなくシンクの足元を襲った。シンクは少ない動きでそれをかわすが、こちらとの距離は縮まらなかった。
「ジェイド! こっちだ!」
「大佐ー! はやくぅー!」
港へ駆け込むと、船が陸地を離れる寸前だった。「間に合いましたねぇ、ユニ」とジェイドは涼しく言って、ユニを抱く手に力を込めた。そして走ってきた勢いのまま、陸を蹴る。海を眼下に一瞬映して、そして船へと着地した。「きゃー! 大佐、カッコイイー!」とアニスが歓声をあげる。ユニはまだ目を瞬かせながら、ジェイドにしがみついていた。胸がどきどきして痛い。呆然としていると、静かに地面におろされた。
「いやぁ、老体にはきつい運動でした」
珍しく汗をぬぐいながらジェイドが言うが、相変わらず涼しい表情だった。
◇
「……くっ、逃がしたか」
港に残されたシンクは、遠ざかっていく船を見て唇を噛んだ。
「ゆ、ゆ、許しませんよ……!」
ディストも追いついてきたのだろう、背後からゼイゼイ言う声が聞こえた。六神将が二人がかりで追ったのに逃げられるとは、我ながら情けない話だった。
「……ジェイドってやつは思ってたより切れるんだね。アンタの知り合いだとか言うからもっと間抜けだと思ってたよ」
「な、なんですってー!?」
ディストは甲高い声で喚いたが、シンクはそれを無視して海に背を向けた。
「アッシュを問い詰めないとね。それに……あのガイとかいう奴のことも」
「こ、こらシンク! 待ちなさい!」
足早に立ち去るシンクを制止するが、気に留める様子もなく彼は消えて行ってしまった。ぽつんと残されたディストは、ぷるぷると震え出す。
「ムキー! シンクに、ユニに、ジェイド! 覚えていなさい! 全員まとめて復讐日記につけておきますからね!」
◇
「ふわー、どうなることかと思った~」
艇の欄干に寄りかかって、先の逃亡劇で熱くなった身体を冷ます。ユニの気の抜けた声を聞いて、隣にいたガイは朗らかに笑った。
「オレもひやひやしたよ。けど、ジェイドの旦那はさすがだよな。改めて、ジェイドが敵じゃなくてよかったと思ったよ」
「それはほんとに……けどあれでまだ本調子じゃないし、なんであの人わたしの上司なんだろう……」
「はは、それも含めて素直に羨ましいよ。さっきのも、まるで王子様みたいだったじゃないか」
「ちょっと、ええ? そうだった?」
冗談にしては、ユニのイメージと離れすぎていて、少し笑ってしまった。だとしたら自分がお姫様になってしまうし、ジェイドは王子というには陰険すぎるし。
「王子様っていったらガイの方だと思うけど。かっこよくて、優しくて、強くて、きらきらしてるから」
思ったことを口にして、笑って彼の方を向いた。しかしガイはやや硬直して黙り込んでしまった。
「ん? あれ? どうしたの?」
不思議に思って覗き込むと、彼は口元を隠して「……キミにそんなことを言われたら嬉しすぎるよ」と呟き、ユニから視線を逸らした。
(えっ、ガイ、そ、その反応は何なの……確かにちょっと恥ずかしいこと言ったかもだけど……)
いつも通りさわやかに受け流すと思っていたのだが、妙に真に受けられて、こちらも恥ずかしくなってしまった。それにしても、これくらいは周りの女の子たちから言われ慣れていると思うのだけど、どうしてユニのときばっかり、不意打ちにあったみたいな顔をするのだろう。
お互いへんにどぎまぎして、顔を合わせられず、会話もできなくなって、しばらく沈黙が流れた。
「おーいガイ、ちょっと付き合ってくんねえ?」
すると急にルークが甲板に現れて、ガイを呼んだ。彼は少しびくりとして「わ、ルークか。ああ、今行く」と返事をする。
「じゃあユニ。ありがとな。ゆっくり休んでおくんだぞ」
そう言われて、ユニはぎこちなく「は、はい」と呟いて、彼を見送った。そのあとで、さっきよりもぽーっと熱くなってしまった頭をぶんぶんと振るのだった。