第2章(外殻大地編)
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43 センチメンタルな情景
城の屋上に駆け上がって最初に見たのは、どんよりと沈むような空だった。視界を遮るものは何もないのに、目に入るのは灰色の雲ばかり。重たく虚ろなそれは、今にも崩れ落ちそうに、ユニたちを見下ろしていた。
「待ちかねた……です……」
その空の下で、アリエッタが魔物たちと共に佇んでいた。彼女の華奢な身体を守るように、二体の魔物が寄り添っている。
「……イオン様を渡してください」
「そう簡単にはいきません。ルークはどこです?」
ジェイドが前に進み出ながら、槍を具現化する。それぞれが武器を取り出し、臨戦態勢に入った。相手はアリエッタ、戦闘はもはや避けられない。金属や衣の擦れあう音が、緊張を高め、神経を研ぎ澄ます。
「……教えない……アリエッタ、あの人嫌い。あの人もあなたも嫌い。アリエッタのママを殺したから」
アリエッタは人形を潰れるほどに抱き締める。誰も声を発することができなかった。
「みんなアリエッタに意地悪する。みんなアリエッタの大事なもの取っちゃう……一番嫌いなのはアニス」
「!」
アニスの肩がぴくんと跳ねた。アリエッタのすすり泣く声が、空気を伝わってわずかに聞こえてくる。
「アリエッタのイオン様を取った……アニスさえいなければアリエッタはずっとイオン様のそばにいられたのに……!」
「アリエッタ、違うんです! あなたを導師守護役から遠ざけたのは、そういうことではなくて……」
「聞きたくない! あなたたち倒してからイオン様を取り返す! ママの仇っ、ここで死んじゃえっ!」
「……来ます!」
イオンの訴えにも耳を塞ぎ、アリエッタはいやいやと首を振って子供のように叫んだ。呼応するように、魔物が襲いかかってきた。その殺気は、本物だった。
「ユニ! ガイの援護を!」
「はいっ」
ユニとジェイドでイオンを守るように立ち、前線のガイとアニスを、譜術とティアの譜歌で援護する。アニスはアリエッタと口論になりながら、魔物とやり合う。
「もぉー根暗ッタ! いいかげんにしてよね!」
「うああああん! アニスのばかばかばかー!」
アニスの挑発に泣き叫ぶたびにアリエッタの譜術は威力を増し、魔物は凶暴化していくようだった。やりにくいうえに、状況は悪化するばかり。しかしここでガイが魔物の爪をすり抜け、アリエッタに突進していった。彼女はそれに気付くと、はっとして顔を歪める。
「み、みんな大っ嫌い! あっちへ行ってよぉ! リミテッド!」
「おっと!」
アリエッタの叫びとともに足元に譜陣が浮かび上がると、すぐさま光の鉄槌がその場を襲った。ガイは体勢を崩しながらもかろうじてそれを避ける。だが、そこへ鳥の姿をした魔物が襲いかかろうとしていた。ユニは咄嗟に口を開いた。
「終りの安らぎを与えよ! フレイムバースト!」
「ギャアアア!」
間一髪のところで魔物めがけて炎を炸裂させると、それは呻き声をあげて飛び退った。「ありがとな、ユニ!」とガイは目配せし、立ち上がってまた走り出す。
「ユニ、二体の魔物に同時に譜術を当てます。私は飛んでいる方を狙いますので」
「りょ、了解です!」
「タイミングを誤らないように!」
「わかってますよ!」
このままでは埒があかないと判断したのか、ジェイドが作戦を提案する。確かに、魔物の相手をしつつアリエッタの譜術を避けるのは、そう何度も出来るものではなかった。それに、疲れの見えはじめたガイやアニスと対照的に、アリエッタたちの力はどんどん膨れ上がっているように見えた。そろそろ終わりにしなければ、危険だ。
「憎しみ……でしょうか」
「え?」
「彼女をあそこまで強く動かしているのが憎しみや復讐のためという感情ならば、我々はフーブラス川で彼女を殺しておくべきでした」
「……アリエッタのためにも?」
「……とにかく、戦闘を終わらせますよ」
読めない表情で言うと、ジェイドは静かに感覚を研ぎ澄ました。ユニも言われて、目を閉じる。
「炎帝の怒りを受けよ」「吹き荒べ業火」
「フレアトーネード!!」
まったく同時に発動した譜術は狂いなく二体の魔物をそれぞれ捉え、焼き尽くさんばかりに燃え上った。炎に縛られて動けない魔物の間を縫って、アニスがアリエッタめがけて加速する。彼女がそれに気付くも、叫び声をあげる暇はなかった。巨大化したぬいぐるみが腕を振り上げた。
「神槍の一撃ぃっ!」
「きゃっ……!」
防御も出来ずにまともに喰らい、アリエッタは床に転がった。力を失ったように、彼女の魔物も倒れていく。アリエッタはくたりとして、死んだように動かなかった。
「――アリエッタ!」
イオンがユニたちの間から飛び出して彼女に駆け寄った。「大丈夫ですよぅ、気を失っているだけです」とアニスが安心させようとするが、彼の顔は強張ったままだ。そこへ、槍で空気を切りながら、ジェイドが近付く。
「やはり見逃したのが仇になりましたね」
「待って下さい! アリエッタを連れ帰り、教団の査問会にかけます。ですから、ここで命を絶つのは……」
「ここで見逃せばまた復讐に来ますよ、何度でも」
ジェイドは静かな口調で言った。アリエッタがこちらを許すことはないし、復讐を果たしたとしても喜ぶことはない。彼女の一生を憎しみで繋ぐことが正しいことなのかどうか、ユニにはわからなかった。
イオンはアリエッタを抱き起こし、その身を守るようにして、ジェイドに視線を合わせた。
「教団でしかるべき手順を踏んだ後、処罰し、報告書を提出します。それが僕らの規律です」
「それがよろしいでしょう」
背後から威厳のある声が飛んできた。ヴァンだった。彼は「アリエッタは私が保護して連れていきましょう」と穏やかに言った。
「お願いします。傷の手当てをしてあげて下さい」
そうイオンが言い、アリエッタをヴァンに引き渡そうとしたとき、彼女は目を覚ました。苦しそうに呻くと、イオンをみつめて目を見開いた。その時にはもうすでに涙が零れ落ちていた。ジェイドはいつの間にか槍を掻き消していた。
「イオン様……ご、ごめんなさい、許してっ、嫌いにならないで……」
彼女はしゃくりあげながらイオンにしがみついた。アリエッタという少女にとって、イオンとライガの家族たちだけが、世界のすべてだったのかもしれない、とユニは思った。そのどちらも奪われたのだから、今は憎しみしか、彼女にはない。
「何を言ってもあなたを傷付けたことの言い訳にはなりません。でもこれだけは信じてください。僕は……導師イオンは、あなたを嫌いになんてなっていません」
イオンの言葉でアリエッタは泣きやみ、一瞬微笑んだ。そして安心したのだろうか、意識を手放すのだった。気絶したアリエッタは、ヴァンが先に連れ帰るという。
ユニたちは引き続き、コーラル城のどこかにいるであろうルークを捜すことになった。
「……な~るほど。音素振動数まで同じとはねぇ。これは完璧な存在ですよ」
「そんなことはどうでもいいよ。奴らがここに戻ってくる前に情報を消さなきゃいけないんだ」
声がする。緑の光が波紋のように広がっては消えた。
「そんなにここの情報が大事なら、アッシュにこのコーラル城を使わせなければよかったんですよ」
「あの馬鹿が無断で使ったんだ。後で閣下にお仕置きしてもらわないとね。……ほら、こっちの馬鹿もお目覚めみたいだよ」
仮面で顔を覆った少年が嘲笑うように言った。
「いいんですよ。もうこいつの同調フォンスロットは開きましたから。早くこの情報を解析したいものです。ふふふ」
ルークは動かない身体に力をいれて、やっとの思いで首を捻って声のする方を見た。
「……お前ら一体……オレに何を……」
「答える義理はないね」
声を絞り出すが、少年に一掃される。その時だった。彼の背後に音もなく駆けてくる影があった。足場を飛び移り、少年めがけて斬りかかる。
「!」
譜業椅子に乗った男は瞬時に浮き上がり、仮面の少年は飛び退ってそれを避けた。しかしその足元に、カランと音を立てて何かが落ちた。大きな音譜盤だった。
ガイはそれを拾い上げ、首を傾げる。
「……なんだこれ?」
「しまった!」
「シンク! なにをしているのですかっ!」
譜業椅子の男がキイキイと金切り声をあげた。「なるほど、大事なものかい」とガイが呟いて音譜盤を懐にしまった瞬間、足場を飛び移ってきたシンクが蹴りを放った。しかしガイはそれを刀でかわし、逆に追い詰める。振るった切っ先が、その仮面を弾き飛ばした。
「……あれ……? お前……?」
カラカラと音を立てて仮面が転がる。ガイは目を瞬かせて、黙り込むシンクをみつめていた。その時、追いついて来た仲間の足音とともに「ガイ! どうしたの!」とアニスが心配そうに叫んだ。ガイが視線を流した一瞬、シンクが目にも止まらぬ速さで蹴りあげた。かろうじて避けたものの、ガイは下層に落下する。
「他の奴らも追いついてきましたよ、シンク!」
宙に浮く譜業椅子から男が地団駄を踏んで訴えると、シンクは静かに仮面を拾い上げた。そしてそれを付け直すと、ガイに向かって吐き捨てる。
「今回の件は正規の任務じゃないんでね。お前らを殺すのはこの次だ」
ここでユニたちが部屋に駆け込んできた。ユニはシンクの姿を見るなり何も考えずに「シンク!」と叫んでいた。それを聞いて、彼はくるりと背を向ける。
「……行くよディスト」
シンクが言い、二人はあっという間に消えてしまった。
「こ、これは……!」
「ルーク!」
巨大な譜業装置を見てジェイドが息を呑んだ。ティアはそれには目もくれず、装置の上に倒れているルークのもとへ走った。抱き起こすが、彼は目を覚まさない。しかし気を失っているだけのようで、「大丈夫。命に別状はなさそうよ」とティアがみんなに知らせた。
ガイはぼんやりとして、シンクの逃げた方向をみつめていた。その隣にイオンが静かに近付き「どうしました、ガイ?」と訊く。しかしガイはイオンの心配そうな顔を避けるように目を逸らして「……いや。なんでもないよ」と呟いた。
「変な音譜盤を手に入れたから、何かと思ってさ。あとでジェイドの旦那に見てもらうか」
そう言ってガイは操作盤の前で佇んでいるジェイドに声をかけた。しかし彼は無反応だった。不思議に思って、ユニが下から覗きこむ。
彼の視線は譜業装置をみつめたまま硬直していた。
「ジェイド? ……どうしたんですか? 何か知ってるんですか」
「……いえ……まだ結論は出せません。確信が持てないと……。いや、確信できたとしても……」
「……珍しいな。あんたがうろたえるなんて」
ガイもそこへ近付き、ジェイドの隣に立った。ようやくジェイドは装置から目を離したが、どこを見るでもなく、眼鏡を押し上げるふりをして少し俯いていた。
「オレも気になってることがあるんだ。もしあんたが気にしてることがルークの誘拐と関係あるなら……」
「きゃー! ねずみぃー!」
その時、ねずみに驚いたアニスが悲鳴をあげてガイの背中にしがみついた。咄嗟のことで、アニスも彼が女性恐怖症だということを忘れていたのだろう。
ガイは放心しながら、自分に抱きつくアニスの手を見た。そして――
「……う、うわあっ! やめろぉっ!」
「きゃあ!」
ガイはアニスを勢いよく跳ね除けてうずくまり、がたがたと震え出した。ユニはアニスに駆け寄る。驚いたせいか、彼女も立ち上がれずにいた。
「な、何……?」
ユニに助け起こされながら、アニスは呆然として呟く。ガイは確かに女性恐怖症だ。女性に触る事はおろか近付くことも出来ない。初めて会ったときからそれは重症だと思っていたが、今のこの怯え様は異様だった。
「ガイ、大丈夫ですか」
「……あ……オレ……」
見兼ねたジェイドが声をかけると、ようやく彼は我に返った。少し息が荒い。なんとか立ち上がるが、眼差しは虚ろだった。
「……今の驚き方は尋常ではありませんね。どうしたんです」
「……すまない。体が勝手に反応して……」
ガイは情けなさそうに呟いて「悪かったな、アニス。怪我はないか?」と振り向いて声をかける。「……う、うん。なんか、ゴメン」とアニスも珍しく静かに謝った。
「何かあったんですか? ただの女性嫌いとは思えませんよ」
「悪い……。わからねぇんだ。ガキの頃はこうじゃなかったし。ただ、すっぽり抜けてる記憶があるから、もしかしたらそれが原因かも……」
「ガイも記憶障害? ルークみたいな?」
ユニが訊くと、ガイはすっと顔をあげた。それは、遠い地に思いを馳せるように。
「違う……と、思う。一瞬だけなんだ。抜けてんのは」
「どうして一瞬だと分かるの?」
「分かるさ」
ガイは歪んだ表情で、問いかけるティアに答えた。
「抜けてんのは……オレの家族が死んだときの記憶だけだからな。――オレの話はもういいよ。それより、あんたの話を……」
「あなたが自分の過去について語りたがらないように、私にも語りたくないことはあるんですよ」
ジェイドは逃げるように視線を逸らし、気を失ったままのルークの方を向く。「さて、ルークを取り戻したことですし、行きますか」とみんなに言った。それぞれ頷き、歩き出したが、重たい空気はそのままだった。
「それにしても、ディストまで絡んでいましたか……となると、やはり……」
カイツールへ戻ると、キムラスカ軍基地の司令官であるアルマンダイン伯爵が出迎えてくれた。事情を説明すると、彼からバチカルへ向けて、使節団の到着を知らせる伝書鳩を送ってもらえることになった。
タルタロスとは違って小ぶりの艇に乗り込む。途中でケセドニアへ寄ることになるが、あとはもうすぐにバチカルに着く。そして国王に謁見すれば、ユニたちの仕事も一段落する。長い旅だった。最初はどうなることかと思ったけれど、なんとかここまで辿り着くことができた。潮風が優しく頬を撫でる。あの頃より、少しは成長できたかもしれない。はやく帰って、ピオニーに元気な姿を見せたいとユニは思った。
「……バチカルかぁ」
「ようやく、って顔してるな」
ぽつりと呟くと、ガイがその言葉に反応した。
「まあ話は通したし、きっと大丈夫さ」
「そうだね。うまくいくといいけど」
「せっかくだから天空客車とか闘技場とか楽しんでいってくれよ。あ、知ってるか? バチカル名物の」
まるでただの観光のように言われて、ユニも不安な気持ちが少し和らいだ。優しい彼の傍にいると、不思議とそれだけで心が満たされるようだった。
「知ってるよ。バチカルにはずっと行きたかったから」
昔見たガイドブックのことを、今でも鮮明に覚えている。ただ、なぜそこまでバチカルに焦がれていたのかは、あまりよく思い出せなかった。
「ガイに案内してもらえたら嬉しいけど……そんな時間ないかな」
親書のとおり事が進めば、またすぐにバチカルを発つことになるだろう。短い間だが一緒に旅をしてくれた彼にも、きちんとお礼を言えるかどうか。
「いいさ。今じゃなくても。オレはずっと待ってるよ」
海を透かした彼の金色の髪が、とてもとても綺麗だった。思わず、目を逸らして赤面してしまうほどに。
「……あ、ありがとう」
「本当は、他でもないオレがキミをここへ連れてこられたらよかったんだけど。もう遅いよな」
「……ん?」
「いや、少し後悔してるだけだよ」
誤魔化すように言って、彼は船室に引き返していった。寄せる波の中、ユニの眼差しも揺れていた。
城の屋上に駆け上がって最初に見たのは、どんよりと沈むような空だった。視界を遮るものは何もないのに、目に入るのは灰色の雲ばかり。重たく虚ろなそれは、今にも崩れ落ちそうに、ユニたちを見下ろしていた。
「待ちかねた……です……」
その空の下で、アリエッタが魔物たちと共に佇んでいた。彼女の華奢な身体を守るように、二体の魔物が寄り添っている。
「……イオン様を渡してください」
「そう簡単にはいきません。ルークはどこです?」
ジェイドが前に進み出ながら、槍を具現化する。それぞれが武器を取り出し、臨戦態勢に入った。相手はアリエッタ、戦闘はもはや避けられない。金属や衣の擦れあう音が、緊張を高め、神経を研ぎ澄ます。
「……教えない……アリエッタ、あの人嫌い。あの人もあなたも嫌い。アリエッタのママを殺したから」
アリエッタは人形を潰れるほどに抱き締める。誰も声を発することができなかった。
「みんなアリエッタに意地悪する。みんなアリエッタの大事なもの取っちゃう……一番嫌いなのはアニス」
「!」
アニスの肩がぴくんと跳ねた。アリエッタのすすり泣く声が、空気を伝わってわずかに聞こえてくる。
「アリエッタのイオン様を取った……アニスさえいなければアリエッタはずっとイオン様のそばにいられたのに……!」
「アリエッタ、違うんです! あなたを導師守護役から遠ざけたのは、そういうことではなくて……」
「聞きたくない! あなたたち倒してからイオン様を取り返す! ママの仇っ、ここで死んじゃえっ!」
「……来ます!」
イオンの訴えにも耳を塞ぎ、アリエッタはいやいやと首を振って子供のように叫んだ。呼応するように、魔物が襲いかかってきた。その殺気は、本物だった。
「ユニ! ガイの援護を!」
「はいっ」
ユニとジェイドでイオンを守るように立ち、前線のガイとアニスを、譜術とティアの譜歌で援護する。アニスはアリエッタと口論になりながら、魔物とやり合う。
「もぉー根暗ッタ! いいかげんにしてよね!」
「うああああん! アニスのばかばかばかー!」
アニスの挑発に泣き叫ぶたびにアリエッタの譜術は威力を増し、魔物は凶暴化していくようだった。やりにくいうえに、状況は悪化するばかり。しかしここでガイが魔物の爪をすり抜け、アリエッタに突進していった。彼女はそれに気付くと、はっとして顔を歪める。
「み、みんな大っ嫌い! あっちへ行ってよぉ! リミテッド!」
「おっと!」
アリエッタの叫びとともに足元に譜陣が浮かび上がると、すぐさま光の鉄槌がその場を襲った。ガイは体勢を崩しながらもかろうじてそれを避ける。だが、そこへ鳥の姿をした魔物が襲いかかろうとしていた。ユニは咄嗟に口を開いた。
「終りの安らぎを与えよ! フレイムバースト!」
「ギャアアア!」
間一髪のところで魔物めがけて炎を炸裂させると、それは呻き声をあげて飛び退った。「ありがとな、ユニ!」とガイは目配せし、立ち上がってまた走り出す。
「ユニ、二体の魔物に同時に譜術を当てます。私は飛んでいる方を狙いますので」
「りょ、了解です!」
「タイミングを誤らないように!」
「わかってますよ!」
このままでは埒があかないと判断したのか、ジェイドが作戦を提案する。確かに、魔物の相手をしつつアリエッタの譜術を避けるのは、そう何度も出来るものではなかった。それに、疲れの見えはじめたガイやアニスと対照的に、アリエッタたちの力はどんどん膨れ上がっているように見えた。そろそろ終わりにしなければ、危険だ。
「憎しみ……でしょうか」
「え?」
「彼女をあそこまで強く動かしているのが憎しみや復讐のためという感情ならば、我々はフーブラス川で彼女を殺しておくべきでした」
「……アリエッタのためにも?」
「……とにかく、戦闘を終わらせますよ」
読めない表情で言うと、ジェイドは静かに感覚を研ぎ澄ました。ユニも言われて、目を閉じる。
「炎帝の怒りを受けよ」「吹き荒べ業火」
「フレアトーネード!!」
まったく同時に発動した譜術は狂いなく二体の魔物をそれぞれ捉え、焼き尽くさんばかりに燃え上った。炎に縛られて動けない魔物の間を縫って、アニスがアリエッタめがけて加速する。彼女がそれに気付くも、叫び声をあげる暇はなかった。巨大化したぬいぐるみが腕を振り上げた。
「神槍の一撃ぃっ!」
「きゃっ……!」
防御も出来ずにまともに喰らい、アリエッタは床に転がった。力を失ったように、彼女の魔物も倒れていく。アリエッタはくたりとして、死んだように動かなかった。
「――アリエッタ!」
イオンがユニたちの間から飛び出して彼女に駆け寄った。「大丈夫ですよぅ、気を失っているだけです」とアニスが安心させようとするが、彼の顔は強張ったままだ。そこへ、槍で空気を切りながら、ジェイドが近付く。
「やはり見逃したのが仇になりましたね」
「待って下さい! アリエッタを連れ帰り、教団の査問会にかけます。ですから、ここで命を絶つのは……」
「ここで見逃せばまた復讐に来ますよ、何度でも」
ジェイドは静かな口調で言った。アリエッタがこちらを許すことはないし、復讐を果たしたとしても喜ぶことはない。彼女の一生を憎しみで繋ぐことが正しいことなのかどうか、ユニにはわからなかった。
イオンはアリエッタを抱き起こし、その身を守るようにして、ジェイドに視線を合わせた。
「教団でしかるべき手順を踏んだ後、処罰し、報告書を提出します。それが僕らの規律です」
「それがよろしいでしょう」
背後から威厳のある声が飛んできた。ヴァンだった。彼は「アリエッタは私が保護して連れていきましょう」と穏やかに言った。
「お願いします。傷の手当てをしてあげて下さい」
そうイオンが言い、アリエッタをヴァンに引き渡そうとしたとき、彼女は目を覚ました。苦しそうに呻くと、イオンをみつめて目を見開いた。その時にはもうすでに涙が零れ落ちていた。ジェイドはいつの間にか槍を掻き消していた。
「イオン様……ご、ごめんなさい、許してっ、嫌いにならないで……」
彼女はしゃくりあげながらイオンにしがみついた。アリエッタという少女にとって、イオンとライガの家族たちだけが、世界のすべてだったのかもしれない、とユニは思った。そのどちらも奪われたのだから、今は憎しみしか、彼女にはない。
「何を言ってもあなたを傷付けたことの言い訳にはなりません。でもこれだけは信じてください。僕は……導師イオンは、あなたを嫌いになんてなっていません」
イオンの言葉でアリエッタは泣きやみ、一瞬微笑んだ。そして安心したのだろうか、意識を手放すのだった。気絶したアリエッタは、ヴァンが先に連れ帰るという。
ユニたちは引き続き、コーラル城のどこかにいるであろうルークを捜すことになった。
「……な~るほど。音素振動数まで同じとはねぇ。これは完璧な存在ですよ」
「そんなことはどうでもいいよ。奴らがここに戻ってくる前に情報を消さなきゃいけないんだ」
声がする。緑の光が波紋のように広がっては消えた。
「そんなにここの情報が大事なら、アッシュにこのコーラル城を使わせなければよかったんですよ」
「あの馬鹿が無断で使ったんだ。後で閣下にお仕置きしてもらわないとね。……ほら、こっちの馬鹿もお目覚めみたいだよ」
仮面で顔を覆った少年が嘲笑うように言った。
「いいんですよ。もうこいつの同調フォンスロットは開きましたから。早くこの情報を解析したいものです。ふふふ」
ルークは動かない身体に力をいれて、やっとの思いで首を捻って声のする方を見た。
「……お前ら一体……オレに何を……」
「答える義理はないね」
声を絞り出すが、少年に一掃される。その時だった。彼の背後に音もなく駆けてくる影があった。足場を飛び移り、少年めがけて斬りかかる。
「!」
譜業椅子に乗った男は瞬時に浮き上がり、仮面の少年は飛び退ってそれを避けた。しかしその足元に、カランと音を立てて何かが落ちた。大きな音譜盤だった。
ガイはそれを拾い上げ、首を傾げる。
「……なんだこれ?」
「しまった!」
「シンク! なにをしているのですかっ!」
譜業椅子の男がキイキイと金切り声をあげた。「なるほど、大事なものかい」とガイが呟いて音譜盤を懐にしまった瞬間、足場を飛び移ってきたシンクが蹴りを放った。しかしガイはそれを刀でかわし、逆に追い詰める。振るった切っ先が、その仮面を弾き飛ばした。
「……あれ……? お前……?」
カラカラと音を立てて仮面が転がる。ガイは目を瞬かせて、黙り込むシンクをみつめていた。その時、追いついて来た仲間の足音とともに「ガイ! どうしたの!」とアニスが心配そうに叫んだ。ガイが視線を流した一瞬、シンクが目にも止まらぬ速さで蹴りあげた。かろうじて避けたものの、ガイは下層に落下する。
「他の奴らも追いついてきましたよ、シンク!」
宙に浮く譜業椅子から男が地団駄を踏んで訴えると、シンクは静かに仮面を拾い上げた。そしてそれを付け直すと、ガイに向かって吐き捨てる。
「今回の件は正規の任務じゃないんでね。お前らを殺すのはこの次だ」
ここでユニたちが部屋に駆け込んできた。ユニはシンクの姿を見るなり何も考えずに「シンク!」と叫んでいた。それを聞いて、彼はくるりと背を向ける。
「……行くよディスト」
シンクが言い、二人はあっという間に消えてしまった。
「こ、これは……!」
「ルーク!」
巨大な譜業装置を見てジェイドが息を呑んだ。ティアはそれには目もくれず、装置の上に倒れているルークのもとへ走った。抱き起こすが、彼は目を覚まさない。しかし気を失っているだけのようで、「大丈夫。命に別状はなさそうよ」とティアがみんなに知らせた。
ガイはぼんやりとして、シンクの逃げた方向をみつめていた。その隣にイオンが静かに近付き「どうしました、ガイ?」と訊く。しかしガイはイオンの心配そうな顔を避けるように目を逸らして「……いや。なんでもないよ」と呟いた。
「変な音譜盤を手に入れたから、何かと思ってさ。あとでジェイドの旦那に見てもらうか」
そう言ってガイは操作盤の前で佇んでいるジェイドに声をかけた。しかし彼は無反応だった。不思議に思って、ユニが下から覗きこむ。
彼の視線は譜業装置をみつめたまま硬直していた。
「ジェイド? ……どうしたんですか? 何か知ってるんですか」
「……いえ……まだ結論は出せません。確信が持てないと……。いや、確信できたとしても……」
「……珍しいな。あんたがうろたえるなんて」
ガイもそこへ近付き、ジェイドの隣に立った。ようやくジェイドは装置から目を離したが、どこを見るでもなく、眼鏡を押し上げるふりをして少し俯いていた。
「オレも気になってることがあるんだ。もしあんたが気にしてることがルークの誘拐と関係あるなら……」
「きゃー! ねずみぃー!」
その時、ねずみに驚いたアニスが悲鳴をあげてガイの背中にしがみついた。咄嗟のことで、アニスも彼が女性恐怖症だということを忘れていたのだろう。
ガイは放心しながら、自分に抱きつくアニスの手を見た。そして――
「……う、うわあっ! やめろぉっ!」
「きゃあ!」
ガイはアニスを勢いよく跳ね除けてうずくまり、がたがたと震え出した。ユニはアニスに駆け寄る。驚いたせいか、彼女も立ち上がれずにいた。
「な、何……?」
ユニに助け起こされながら、アニスは呆然として呟く。ガイは確かに女性恐怖症だ。女性に触る事はおろか近付くことも出来ない。初めて会ったときからそれは重症だと思っていたが、今のこの怯え様は異様だった。
「ガイ、大丈夫ですか」
「……あ……オレ……」
見兼ねたジェイドが声をかけると、ようやく彼は我に返った。少し息が荒い。なんとか立ち上がるが、眼差しは虚ろだった。
「……今の驚き方は尋常ではありませんね。どうしたんです」
「……すまない。体が勝手に反応して……」
ガイは情けなさそうに呟いて「悪かったな、アニス。怪我はないか?」と振り向いて声をかける。「……う、うん。なんか、ゴメン」とアニスも珍しく静かに謝った。
「何かあったんですか? ただの女性嫌いとは思えませんよ」
「悪い……。わからねぇんだ。ガキの頃はこうじゃなかったし。ただ、すっぽり抜けてる記憶があるから、もしかしたらそれが原因かも……」
「ガイも記憶障害? ルークみたいな?」
ユニが訊くと、ガイはすっと顔をあげた。それは、遠い地に思いを馳せるように。
「違う……と、思う。一瞬だけなんだ。抜けてんのは」
「どうして一瞬だと分かるの?」
「分かるさ」
ガイは歪んだ表情で、問いかけるティアに答えた。
「抜けてんのは……オレの家族が死んだときの記憶だけだからな。――オレの話はもういいよ。それより、あんたの話を……」
「あなたが自分の過去について語りたがらないように、私にも語りたくないことはあるんですよ」
ジェイドは逃げるように視線を逸らし、気を失ったままのルークの方を向く。「さて、ルークを取り戻したことですし、行きますか」とみんなに言った。それぞれ頷き、歩き出したが、重たい空気はそのままだった。
「それにしても、ディストまで絡んでいましたか……となると、やはり……」
カイツールへ戻ると、キムラスカ軍基地の司令官であるアルマンダイン伯爵が出迎えてくれた。事情を説明すると、彼からバチカルへ向けて、使節団の到着を知らせる伝書鳩を送ってもらえることになった。
タルタロスとは違って小ぶりの艇に乗り込む。途中でケセドニアへ寄ることになるが、あとはもうすぐにバチカルに着く。そして国王に謁見すれば、ユニたちの仕事も一段落する。長い旅だった。最初はどうなることかと思ったけれど、なんとかここまで辿り着くことができた。潮風が優しく頬を撫でる。あの頃より、少しは成長できたかもしれない。はやく帰って、ピオニーに元気な姿を見せたいとユニは思った。
「……バチカルかぁ」
「ようやく、って顔してるな」
ぽつりと呟くと、ガイがその言葉に反応した。
「まあ話は通したし、きっと大丈夫さ」
「そうだね。うまくいくといいけど」
「せっかくだから天空客車とか闘技場とか楽しんでいってくれよ。あ、知ってるか? バチカル名物の」
まるでただの観光のように言われて、ユニも不安な気持ちが少し和らいだ。優しい彼の傍にいると、不思議とそれだけで心が満たされるようだった。
「知ってるよ。バチカルにはずっと行きたかったから」
昔見たガイドブックのことを、今でも鮮明に覚えている。ただ、なぜそこまでバチカルに焦がれていたのかは、あまりよく思い出せなかった。
「ガイに案内してもらえたら嬉しいけど……そんな時間ないかな」
親書のとおり事が進めば、またすぐにバチカルを発つことになるだろう。短い間だが一緒に旅をしてくれた彼にも、きちんとお礼を言えるかどうか。
「いいさ。今じゃなくても。オレはずっと待ってるよ」
海を透かした彼の金色の髪が、とてもとても綺麗だった。思わず、目を逸らして赤面してしまうほどに。
「……あ、ありがとう」
「本当は、他でもないオレがキミをここへ連れてこられたらよかったんだけど。もう遅いよな」
「……ん?」
「いや、少し後悔してるだけだよ」
誤魔化すように言って、彼は船室に引き返していった。寄せる波の中、ユニの眼差しも揺れていた。