第2章(外殻大地編)
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42 それは物憂い陶酔
「……二年前のダアトで、わたしは神託の盾騎士団の本部によく出入りしていました。一般人の立ち入りは禁止されていましたが、アニスたちに協力してもらって中に入っていました。もちろん何も盗んでいないし、悪いことはしていないつもりでした。だけどある日、アッシュがわたしの家を訪ねてきて。わたしが本部に無断で侵入しているのがばれたから、審問されて刑が科されるかもって話になって」
「ほぇ? そんなことあったの? 初耳だけど……」
「うん、確かあの頃アニスたちは遠征でしばらく帰ってこなかったから、知らないんだと思う」
当時のことを思い出しながら、1つずつ話す。こんなところでアッシュに会うとは思ってもみなかったが、彼の発言のせいで、なんだかややこしいことになってしまった。ユニはダアトとはもう何の関係もなくなった、そのはずだったのに。
それにしても、あんなに怒鳴られたということは、彼のいう「時効」はまだ来ていないのだろうか。
「――それで、アッシュがグランコクマまで送ってきてくれて。ダアトには二度と来るなって言われました」
「なるほど……それであなたは……ふむ」
ジェイドは一人で頷く。ユニが最後にダアトに行き、グランコクマに一日早く戻ってきたその日にアッシュに会ったことを覚えているような人だ。きっとあの頃のいろいろな謎に合点がいっているに違いない。
「でもでも、騎士団本部への無断侵入くらいじゃ、大した罰はないと思いますけど?」
アニスの疑問に、ジェイドがハッとして顔をあげた。そして不審そうにユニを見つめる。
「……アッシュが大袈裟だったというのですか。しかし彼がそこまで親切だとは思えません。ならば、もっと大きな事件に巻き込まれていた可能性がある」
ジェイドは早口にそう言った。まるで自分の思考を止めるのが惜しいかのように。そしてアニスに顔を向ける。
「アニス。ダアトで一般的に死罪となるのはどんな場合ですか」
「え……死罪って」
ユニが呆然として繰り返す。するとアニスが答えるよりも先に、ティアが「いくつかありますが、最も有名なのは、閲覧権のない者が秘預言を調べた場合、です」と言った。冗談を言っている様子はなく、怖いほどに真面目な顔をしていた。
「ユニ、そういったことをした覚えはありませんか?」
「……ないです。わたしはただ、教会へ行って、本部に行って、アニスたちに会っていただけ、です……」
話はそこで終わった。状況から推測するに、ユニが知らず知らずのうちに大きな事件に巻き込まれていた可能性が高いということ、それを知ったアッシュが親切にもグランコクマへ送り届けてくれたのだろう、とひとまず結論づけることにした。
真相ははっきりしていない。
ユニは自分の話したことがすべてだとずっと思っていたが、確かに本部侵入を咎められる程度ならばアッシュの行動は大袈裟過ぎた。
「二度とダアトの地を踏むな、グランコクマから出るな」と彼がそこまで言った理由とは、なんだったのだろう? 本当にユニは秘預言を見たのだろうか。しかしそんな記憶はない。何かの間違いなんじゃないかと眉を寄せながら顔を上げた。
すると、その視線の先で、見てはいけないものを見てしまったように顔を強張らせているイオンがいた。
彼は、ユニと目が合うとすぐに視線を逸らした。
ヴァンは宿の前で待っていた。「頭は冷えたか?」とティアに訊いてくる。しかしそれは逆効果だったようで、ティアは思いきり彼を睨みつけたのだった。
「……なぜ兄さんは戦争を回避しようとなさるイオン様を邪魔するの?」
「はぁ!? お前まだそんなこと言ってんのかよ! 師匠がそんなことするわけねーだろ!」
「お待ちください三人とも」
ティアがヴァンに詰め寄り、それにルークがぎゃんぎゃんと反論しているところに、イオンが割って入る。
「どうやら教団内部でも情報が錯綜しているようです。いったん整理してみませんか」
ヴァンを交えた一行は、またアッシュのように邪魔が入ることを警戒して、カイツールの郊外へ移動した。
「イオン様を連れ出したのは私です。まずは私がご説明しましょう」
ジェイドが進み出て、これまでのことを話した。世界情勢の悪化を見越して、マルクト皇帝ピオニーがキムラスカへ和平条約締結を提案した親書を送ることにしたこと。中立の立場の使者として導師イオンに協力を要請し、それに同意した彼を密かに連れ出したこと。だが六神将に執拗に追われていること。
「今回の和平交渉に付随する行動は完全に僕個人の独断です。教団本部はこれに関与していません」
「……なるほど。事情は分かった」
ジェイドとイオンの話を静かに聞いていたヴァンは、ここで大きく頷いた。
「実際のところ私は何も知らされていない。イオン様が失踪した経緯はもちろんのこと六神将が動いていることも知らなかった。おそらく私を通さず大詠師モースより直々の命令があったのだろう」
「なるほどねぇ。ヴァン謡将が呼び戻されたのも、マルクトからイオン様を奪い返せってことだったのかもな」
ガイがヴァンの後ろに立って言った。ヴァンはまた頷く。それはなんとも聡明な仕草であり、さすがは神託の盾騎士団を束ねる主席総長だ、と思わせる。
「あるいはそうかもしれぬ。先程お前たちを襲ったアッシュも六神将だが、奴が動いていることは私も知らなかった」
「……それを信じろと? じゃあ、兄さんは無関係だって言うの?」
「いや、部下の動きを把握していなかったという点では無関係ではないな。だが私は大詠師派ではない」
「そんな都合のいい話……っ!」
ここで我慢が出来なくなったのだろうか、今にも殴りかかりそうになってティアが立ち上がった。拳をわなわなと震わせている。
「モース様にすべての疑惑を押しつけてこの場を逃れようというの!?」
「おい、ティア、お前いい加減に――うわああ!?」
再び口喧嘩が始まろうとしていた、その時だった。何かが急降下してきて、ルークを掠め取って行った。魔物の匂いが鼻につき、巨大な羽がばさばさと舞い落ちる。
「ルーク!」
上空を旋回する鷲のような魔物に、ルークは掴まれてもがいていた。その魔物の背には、ピンク色の髪をなびかせる少女の姿がある。
「アリエッタ! 誰の許しを得てこんなことをする!」
「ヴァン総長……ごめんなさい。アッシュに頼まれて……」
フーブラス川から、もうアリエッタが追いついてきたようだった。タルタロスを襲われたときも、彼女の魔物がまず攻撃をしてきた。敵側に空を飛べる術があるのは、こちらの計算を狂わせ、かなり手強い。
「なにしてんの根暗ッタ! ルーク様を返せ~!」
「根暗じゃないモン! アニスのイジワルゥ~!」
アニスとアリエッタが口論する間で、ルークが「何すんだ! オイコラおろせ!」と叫んでいたが、それは巨大な魔物の羽音で掻き消されてしまう。
「この人を返してほしければ、イオン様を連れてコーラル城へ来い……です。でないと……この人……殺す……です」
コーラル城は、岬の突端にあった。もとはファブレ家の別荘だったが、国境近くにあり敵の侵攻が迫ってきたのでやむなく棄てられた古城だという。
「ところで、あなたもマルクト軍の方でしたか」
「も、申し遅れました。マルクト軍の所属でもありますが、わたしの本業はピオニー陛下のお世話係で、ユニと申します」
コーラル城へ続く街道を歩いていると、ヴァンがユニの隣に来て尋ねた。女や子供を含めたこのメンバーの中でもとくに弱そうなのがユニであったから、なぜそんな少女がここにいるのか不思議だったのかもしれない。
だがヴァンは、ゆっくりとユニのつま先から頭までを眺め、そしてふっと笑った。
「ユニか。よい譜術士とみえる。覚えておこう」
「えっ……」
彼はそれだけ言うと、すっと歩みを速め、先へ進んでいってしまうのだった。
ユニは呆然としてその場に立ち尽くしていた。ヴァンに言われた言葉を理解されるまでかなりの時間がかかったように思えた。
「突っ立ってどうした? ユニ」
「はっ」
後ろからガイの声が聞こえて、ユニはやっと息をした。驚いたのだ。まさか神託の盾騎士団の主席総長に、褒められるとは夢にも思わなかった。しかもユニが実際に戦っているところを見てもいないのに。
(見なくてもスゴい人にはわかるのかな……ってことはわたしも、自信持っていいのかな……)
「ん? なんだか嬉しそうだな?」
「う、うん、なんかわかんないけどヴァン謡将に褒められちゃった」
「そいつは、攫われたルークが聞いたら怒るだろうな」
「じゃあ秘密にして。早く助けてあげなきゃね」
お世辞だったとしても、素直に嬉しいと思う。どきどきと鳴り止まない心臓を抑えていると、ガイに「ユニ。喜ぶのはいいけど、ぼんやりしてると置いていくぞ」と声をかけられた。
コーラル城の崩れ落ちた城門の前で、一行は立ち止まった。草は伸び放題で、城壁には蔦が絡みついている。別荘と呼ぶにはあまりに荒れており、いかにも「何か出そう」といった雰囲気を醸し出していた。
「……そういえば、七年前にルークが記憶をなくした状態で発見されたのもこのコーラル城だったなぁ」
城を前にして思い出したのか、ガイが感慨深そうに言った。ルークが今一緒にいたら、この風景を見て何か思い出したかもしれない。彼は無事だろうか――
「二手に分かれた方がいいだろう」
そう言ったのはヴァンだった。「どうしてですか総長」とアニスが訊く。どうやらティアと同じくアニスもあまりヴァンを信用していないようで、疑うような声だった。
「六神将が待ち構えている可能性が高い。一つにまとまっていてはいろいろと不利になろう」
「あの、わたしは賛成です」
遠慮がちにヴァン側につくと、ティアの視線が少し厳しくなった気がした。それにしても、なぜ彼女は実の兄に対しこんなにも敵意を剥き出しにしているのだろうか。ティアは最初から根拠もなく「兄さんは戦争を起こしたがっている」の一点張りだった。こんなに強くて頼もしい兄がいて、何故信じられないのだろう。
「ではユニは私と裏にまわろう」
「は、はい!」
「ちょっと待ってください」
しかし、意気揚々と答えるユニを、イオンが遮った。
「どうかされましたか、導師」
「すみません、ヴァン。この旅ではユニは僕の守護役ということになっています。僕の傍を離れる訳にはいかないのです」
「え、イオン様、いっ……」
「いつからそんなことになったんですか」と口を開きかけた瞬間、視界の端にいたジェイドが、ヴァンに見えないようにそっと口の前に人差し指を立てた。咄嗟に、ユニはわけもわからず言葉を呑み込む。
「総長なら一人でも全然平気ですよ。こっちはイオン様もいるし、大人数で守った方がいいと思いまーす」
「……よかろう。裏へは私ひとりで行こう。くれぐれも気をつけてな」
アニスの言葉を受け入れたヴァンは潔く身を翻すと、荒れ放題の庭を横切って行った。
「……あの、イオン様。失礼ながら、いつからわたしが守護役になんて……」
「ユニはヴァンと一緒に行きたかったのですか?」
薄暗い天気のせいで城内は余計に暗かった。灯りのない通路に六人分の靴音を響かせ、歩く。隣の人が誰なのかやっとわかるくらいの明るさだった。ひそひそとイオンに尋ねると、彼も囁くような声で返した。
「……そういうわけでもないんですけど」
「ならいいじゃないですか。僕はユニに一緒に来て欲しかっただけです」
あまりにもきっぱりと言われたのでユニは返事が出来なかった。言葉のままに受け取っていいものか、少し悩んで、とりあえず「ありがとうございます」とだけ呟いた。イオンは恥ずかしいことを言った後だというのに、赤くなったり照れたりするわけでもなく、むしろ心配そうな顔をしていた。そして「ユニ……ヴァンには」と彼が言いかけたところで、アニスが「も~じめじめして気持ち悪い! アニスちゃん帰りたいよぅ~!」とユニにのしかかってきて、そこで会話は途切れた。
「ユニ、なんだか調子がいいですねぇ」
「えへへ、ありがとうございます」
魔物との何回目かの戦闘を終えた後で、ジェイドがユニに近付き、話しかけた。ヴァンに褒められたことで自信がついた単純なユニは、いつもより上手く譜術を扱えていた。封印術のせいで力が出せないジェイドに代わり、ユニの譜術が何度も炸裂する。
「ところでユニ、先ほどの話ですが。なぜイオン様がヴァン謡将に嘘をついたか、心当たりはありますか?」
「へ?」
「なぜ嘘をついてまであなたをヴァン謡将と行かせなかったのか、ということですよ」
彼の問いの意図が、ユニにはよくわからなかった。
「知らないですよ。むしろわたしの方が知りたいです」
「あなたとヴァンが接触するのを無理にでも避けようとしているように、私には見えましたが」
ジェイドはユニの答えなんか待たずにさっさと自分の答えを口にし、「そう考えるのが自然ではないですか?」と付け加える。
「……なにがなんだか」
「では忘れてください。これは憶測だけの話ですから」
どうにも、自分の知らないところで話が進んでいく。ジェイドは勝手にいろいろと推理しているし、イオンの行動もよくわからない。アッシュのことだってそうだ。ユニが信じていたことが、覆されかけている。
(……ダアトだ。あの時のダアト)
すべての謎がそこに行き着くような確信が、突然にして湧き起こった。アッシュに連れ戻されたあの日のことがどうして今になって波紋を呼ぶのか、ユニにはわからなかったが、どう考えてもそこが転換点なのだ。
(わたし、ダアトで何したんだろう)
知らないうちにいろいろなことが起こっている。ダアトでユニに何かがあった。それが原因でアッシュに連れ戻された。そして――今。アッシュに再会して以来、ジェイドは憶測でばかり話を進めるし、イオンの様子もよくわからなくなった。
(あの時本当は何が起きたのか、わたしは知らなくちゃいけない……と思う。次にアッシュに会ったとき、ちゃんと訊かなきゃ)
ユニは心の中で強く思った。今はまだ何もわからないが、真実に手を伸ばし続けなければ。
ふと、アッシュのことを考えたら、一つ疑問だったことを思い出した。
「ジェイド、そういえば」
「なんですか?」
「どうしてアッシュはルークを狙うんでしょうか?」
「……」
国境を越えるとき、アッシュはイオンには目もくれず執拗にルークに剣を向けていた。そしてアッシュに頼まれたというアリエッタは、イオンではなくルークを攫った。六神将が必要としているのは、イオンではなかったのか?
「六神将の中でアッシュだけが明らかにルークを狙ってますよね? おかしいですよ」
「……ええ、そうですね」
ジェイドは目を伏せた。それ以上、この話題は続かなかった。
「……二年前のダアトで、わたしは神託の盾騎士団の本部によく出入りしていました。一般人の立ち入りは禁止されていましたが、アニスたちに協力してもらって中に入っていました。もちろん何も盗んでいないし、悪いことはしていないつもりでした。だけどある日、アッシュがわたしの家を訪ねてきて。わたしが本部に無断で侵入しているのがばれたから、審問されて刑が科されるかもって話になって」
「ほぇ? そんなことあったの? 初耳だけど……」
「うん、確かあの頃アニスたちは遠征でしばらく帰ってこなかったから、知らないんだと思う」
当時のことを思い出しながら、1つずつ話す。こんなところでアッシュに会うとは思ってもみなかったが、彼の発言のせいで、なんだかややこしいことになってしまった。ユニはダアトとはもう何の関係もなくなった、そのはずだったのに。
それにしても、あんなに怒鳴られたということは、彼のいう「時効」はまだ来ていないのだろうか。
「――それで、アッシュがグランコクマまで送ってきてくれて。ダアトには二度と来るなって言われました」
「なるほど……それであなたは……ふむ」
ジェイドは一人で頷く。ユニが最後にダアトに行き、グランコクマに一日早く戻ってきたその日にアッシュに会ったことを覚えているような人だ。きっとあの頃のいろいろな謎に合点がいっているに違いない。
「でもでも、騎士団本部への無断侵入くらいじゃ、大した罰はないと思いますけど?」
アニスの疑問に、ジェイドがハッとして顔をあげた。そして不審そうにユニを見つめる。
「……アッシュが大袈裟だったというのですか。しかし彼がそこまで親切だとは思えません。ならば、もっと大きな事件に巻き込まれていた可能性がある」
ジェイドは早口にそう言った。まるで自分の思考を止めるのが惜しいかのように。そしてアニスに顔を向ける。
「アニス。ダアトで一般的に死罪となるのはどんな場合ですか」
「え……死罪って」
ユニが呆然として繰り返す。するとアニスが答えるよりも先に、ティアが「いくつかありますが、最も有名なのは、閲覧権のない者が秘預言を調べた場合、です」と言った。冗談を言っている様子はなく、怖いほどに真面目な顔をしていた。
「ユニ、そういったことをした覚えはありませんか?」
「……ないです。わたしはただ、教会へ行って、本部に行って、アニスたちに会っていただけ、です……」
話はそこで終わった。状況から推測するに、ユニが知らず知らずのうちに大きな事件に巻き込まれていた可能性が高いということ、それを知ったアッシュが親切にもグランコクマへ送り届けてくれたのだろう、とひとまず結論づけることにした。
真相ははっきりしていない。
ユニは自分の話したことがすべてだとずっと思っていたが、確かに本部侵入を咎められる程度ならばアッシュの行動は大袈裟過ぎた。
「二度とダアトの地を踏むな、グランコクマから出るな」と彼がそこまで言った理由とは、なんだったのだろう? 本当にユニは秘預言を見たのだろうか。しかしそんな記憶はない。何かの間違いなんじゃないかと眉を寄せながら顔を上げた。
すると、その視線の先で、見てはいけないものを見てしまったように顔を強張らせているイオンがいた。
彼は、ユニと目が合うとすぐに視線を逸らした。
ヴァンは宿の前で待っていた。「頭は冷えたか?」とティアに訊いてくる。しかしそれは逆効果だったようで、ティアは思いきり彼を睨みつけたのだった。
「……なぜ兄さんは戦争を回避しようとなさるイオン様を邪魔するの?」
「はぁ!? お前まだそんなこと言ってんのかよ! 師匠がそんなことするわけねーだろ!」
「お待ちください三人とも」
ティアがヴァンに詰め寄り、それにルークがぎゃんぎゃんと反論しているところに、イオンが割って入る。
「どうやら教団内部でも情報が錯綜しているようです。いったん整理してみませんか」
ヴァンを交えた一行は、またアッシュのように邪魔が入ることを警戒して、カイツールの郊外へ移動した。
「イオン様を連れ出したのは私です。まずは私がご説明しましょう」
ジェイドが進み出て、これまでのことを話した。世界情勢の悪化を見越して、マルクト皇帝ピオニーがキムラスカへ和平条約締結を提案した親書を送ることにしたこと。中立の立場の使者として導師イオンに協力を要請し、それに同意した彼を密かに連れ出したこと。だが六神将に執拗に追われていること。
「今回の和平交渉に付随する行動は完全に僕個人の独断です。教団本部はこれに関与していません」
「……なるほど。事情は分かった」
ジェイドとイオンの話を静かに聞いていたヴァンは、ここで大きく頷いた。
「実際のところ私は何も知らされていない。イオン様が失踪した経緯はもちろんのこと六神将が動いていることも知らなかった。おそらく私を通さず大詠師モースより直々の命令があったのだろう」
「なるほどねぇ。ヴァン謡将が呼び戻されたのも、マルクトからイオン様を奪い返せってことだったのかもな」
ガイがヴァンの後ろに立って言った。ヴァンはまた頷く。それはなんとも聡明な仕草であり、さすがは神託の盾騎士団を束ねる主席総長だ、と思わせる。
「あるいはそうかもしれぬ。先程お前たちを襲ったアッシュも六神将だが、奴が動いていることは私も知らなかった」
「……それを信じろと? じゃあ、兄さんは無関係だって言うの?」
「いや、部下の動きを把握していなかったという点では無関係ではないな。だが私は大詠師派ではない」
「そんな都合のいい話……っ!」
ここで我慢が出来なくなったのだろうか、今にも殴りかかりそうになってティアが立ち上がった。拳をわなわなと震わせている。
「モース様にすべての疑惑を押しつけてこの場を逃れようというの!?」
「おい、ティア、お前いい加減に――うわああ!?」
再び口喧嘩が始まろうとしていた、その時だった。何かが急降下してきて、ルークを掠め取って行った。魔物の匂いが鼻につき、巨大な羽がばさばさと舞い落ちる。
「ルーク!」
上空を旋回する鷲のような魔物に、ルークは掴まれてもがいていた。その魔物の背には、ピンク色の髪をなびかせる少女の姿がある。
「アリエッタ! 誰の許しを得てこんなことをする!」
「ヴァン総長……ごめんなさい。アッシュに頼まれて……」
フーブラス川から、もうアリエッタが追いついてきたようだった。タルタロスを襲われたときも、彼女の魔物がまず攻撃をしてきた。敵側に空を飛べる術があるのは、こちらの計算を狂わせ、かなり手強い。
「なにしてんの根暗ッタ! ルーク様を返せ~!」
「根暗じゃないモン! アニスのイジワルゥ~!」
アニスとアリエッタが口論する間で、ルークが「何すんだ! オイコラおろせ!」と叫んでいたが、それは巨大な魔物の羽音で掻き消されてしまう。
「この人を返してほしければ、イオン様を連れてコーラル城へ来い……です。でないと……この人……殺す……です」
コーラル城は、岬の突端にあった。もとはファブレ家の別荘だったが、国境近くにあり敵の侵攻が迫ってきたのでやむなく棄てられた古城だという。
「ところで、あなたもマルクト軍の方でしたか」
「も、申し遅れました。マルクト軍の所属でもありますが、わたしの本業はピオニー陛下のお世話係で、ユニと申します」
コーラル城へ続く街道を歩いていると、ヴァンがユニの隣に来て尋ねた。女や子供を含めたこのメンバーの中でもとくに弱そうなのがユニであったから、なぜそんな少女がここにいるのか不思議だったのかもしれない。
だがヴァンは、ゆっくりとユニのつま先から頭までを眺め、そしてふっと笑った。
「ユニか。よい譜術士とみえる。覚えておこう」
「えっ……」
彼はそれだけ言うと、すっと歩みを速め、先へ進んでいってしまうのだった。
ユニは呆然としてその場に立ち尽くしていた。ヴァンに言われた言葉を理解されるまでかなりの時間がかかったように思えた。
「突っ立ってどうした? ユニ」
「はっ」
後ろからガイの声が聞こえて、ユニはやっと息をした。驚いたのだ。まさか神託の盾騎士団の主席総長に、褒められるとは夢にも思わなかった。しかもユニが実際に戦っているところを見てもいないのに。
(見なくてもスゴい人にはわかるのかな……ってことはわたしも、自信持っていいのかな……)
「ん? なんだか嬉しそうだな?」
「う、うん、なんかわかんないけどヴァン謡将に褒められちゃった」
「そいつは、攫われたルークが聞いたら怒るだろうな」
「じゃあ秘密にして。早く助けてあげなきゃね」
お世辞だったとしても、素直に嬉しいと思う。どきどきと鳴り止まない心臓を抑えていると、ガイに「ユニ。喜ぶのはいいけど、ぼんやりしてると置いていくぞ」と声をかけられた。
コーラル城の崩れ落ちた城門の前で、一行は立ち止まった。草は伸び放題で、城壁には蔦が絡みついている。別荘と呼ぶにはあまりに荒れており、いかにも「何か出そう」といった雰囲気を醸し出していた。
「……そういえば、七年前にルークが記憶をなくした状態で発見されたのもこのコーラル城だったなぁ」
城を前にして思い出したのか、ガイが感慨深そうに言った。ルークが今一緒にいたら、この風景を見て何か思い出したかもしれない。彼は無事だろうか――
「二手に分かれた方がいいだろう」
そう言ったのはヴァンだった。「どうしてですか総長」とアニスが訊く。どうやらティアと同じくアニスもあまりヴァンを信用していないようで、疑うような声だった。
「六神将が待ち構えている可能性が高い。一つにまとまっていてはいろいろと不利になろう」
「あの、わたしは賛成です」
遠慮がちにヴァン側につくと、ティアの視線が少し厳しくなった気がした。それにしても、なぜ彼女は実の兄に対しこんなにも敵意を剥き出しにしているのだろうか。ティアは最初から根拠もなく「兄さんは戦争を起こしたがっている」の一点張りだった。こんなに強くて頼もしい兄がいて、何故信じられないのだろう。
「ではユニは私と裏にまわろう」
「は、はい!」
「ちょっと待ってください」
しかし、意気揚々と答えるユニを、イオンが遮った。
「どうかされましたか、導師」
「すみません、ヴァン。この旅ではユニは僕の守護役ということになっています。僕の傍を離れる訳にはいかないのです」
「え、イオン様、いっ……」
「いつからそんなことになったんですか」と口を開きかけた瞬間、視界の端にいたジェイドが、ヴァンに見えないようにそっと口の前に人差し指を立てた。咄嗟に、ユニはわけもわからず言葉を呑み込む。
「総長なら一人でも全然平気ですよ。こっちはイオン様もいるし、大人数で守った方がいいと思いまーす」
「……よかろう。裏へは私ひとりで行こう。くれぐれも気をつけてな」
アニスの言葉を受け入れたヴァンは潔く身を翻すと、荒れ放題の庭を横切って行った。
「……あの、イオン様。失礼ながら、いつからわたしが守護役になんて……」
「ユニはヴァンと一緒に行きたかったのですか?」
薄暗い天気のせいで城内は余計に暗かった。灯りのない通路に六人分の靴音を響かせ、歩く。隣の人が誰なのかやっとわかるくらいの明るさだった。ひそひそとイオンに尋ねると、彼も囁くような声で返した。
「……そういうわけでもないんですけど」
「ならいいじゃないですか。僕はユニに一緒に来て欲しかっただけです」
あまりにもきっぱりと言われたのでユニは返事が出来なかった。言葉のままに受け取っていいものか、少し悩んで、とりあえず「ありがとうございます」とだけ呟いた。イオンは恥ずかしいことを言った後だというのに、赤くなったり照れたりするわけでもなく、むしろ心配そうな顔をしていた。そして「ユニ……ヴァンには」と彼が言いかけたところで、アニスが「も~じめじめして気持ち悪い! アニスちゃん帰りたいよぅ~!」とユニにのしかかってきて、そこで会話は途切れた。
「ユニ、なんだか調子がいいですねぇ」
「えへへ、ありがとうございます」
魔物との何回目かの戦闘を終えた後で、ジェイドがユニに近付き、話しかけた。ヴァンに褒められたことで自信がついた単純なユニは、いつもより上手く譜術を扱えていた。封印術のせいで力が出せないジェイドに代わり、ユニの譜術が何度も炸裂する。
「ところでユニ、先ほどの話ですが。なぜイオン様がヴァン謡将に嘘をついたか、心当たりはありますか?」
「へ?」
「なぜ嘘をついてまであなたをヴァン謡将と行かせなかったのか、ということですよ」
彼の問いの意図が、ユニにはよくわからなかった。
「知らないですよ。むしろわたしの方が知りたいです」
「あなたとヴァンが接触するのを無理にでも避けようとしているように、私には見えましたが」
ジェイドはユニの答えなんか待たずにさっさと自分の答えを口にし、「そう考えるのが自然ではないですか?」と付け加える。
「……なにがなんだか」
「では忘れてください。これは憶測だけの話ですから」
どうにも、自分の知らないところで話が進んでいく。ジェイドは勝手にいろいろと推理しているし、イオンの行動もよくわからない。アッシュのことだってそうだ。ユニが信じていたことが、覆されかけている。
(……ダアトだ。あの時のダアト)
すべての謎がそこに行き着くような確信が、突然にして湧き起こった。アッシュに連れ戻されたあの日のことがどうして今になって波紋を呼ぶのか、ユニにはわからなかったが、どう考えてもそこが転換点なのだ。
(わたし、ダアトで何したんだろう)
知らないうちにいろいろなことが起こっている。ダアトでユニに何かがあった。それが原因でアッシュに連れ戻された。そして――今。アッシュに再会して以来、ジェイドは憶測でばかり話を進めるし、イオンの様子もよくわからなくなった。
(あの時本当は何が起きたのか、わたしは知らなくちゃいけない……と思う。次にアッシュに会ったとき、ちゃんと訊かなきゃ)
ユニは心の中で強く思った。今はまだ何もわからないが、真実に手を伸ばし続けなければ。
ふと、アッシュのことを考えたら、一つ疑問だったことを思い出した。
「ジェイド、そういえば」
「なんですか?」
「どうしてアッシュはルークを狙うんでしょうか?」
「……」
国境を越えるとき、アッシュはイオンには目もくれず執拗にルークに剣を向けていた。そしてアッシュに頼まれたというアリエッタは、イオンではなくルークを攫った。六神将が必要としているのは、イオンではなかったのか?
「六神将の中でアッシュだけが明らかにルークを狙ってますよね? おかしいですよ」
「……ええ、そうですね」
ジェイドは目を伏せた。それ以上、この話題は続かなかった。