第2章(外殻大地編)
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41 森へ向かって角笛の音色は悲しく
セントビナーを出て街道を進んでいると、フーブラス橋が落ちたといって引き返してくる商人たちとすれ違った。数日前の大水で流されてしまったらしい。だが、今の季節のフーブラス川は水流も穏やかで、水嵩も高くない。相談の結果、少し迂回をするが、浅瀬を通って直接カイツールに入ることにした。
服が濡れたり汚れたりしたので、ルークは終始不機嫌だったが、なんとか全員で川を渡り終えた。
「あー、びしょびしょだぜ……ったく。でももうすぐキムラスカ領なんだよな」
「ああ。少し行くとカイツールっていう街がある。あそこは非武装地帯だからな」
ぶつぶつと文句を言うルークに、ガイはその方角を示しながら答える。
「ガイってほんとになんでも知ってるんだね。わたしマルクト人なのに、このあたりのことはさっぱりで」
ユニが少し恥ずかそうに言うので、「ま、ずっと地図を眺めてるか自分の足で歩いたりしないと、普通は覚えられないさ」と返した。
「ユニも旅行が趣味とかって聞いたんだけどな?」
彼女がダアトへよく行っていたという話をジェイドから聞いたのを思い出して、なんとなく尋ねてみる。
「ん~。実はダアトくらいしか行ったことなくて。それに、グランコクマから外に出るようになったのもここ最近のことで……」
「え?」
「なんかいろいろあって。ガイは? 卓上旅行じゃなくて実際の旅行は?」
聞きたいことがいろいろ浮かんできたのに、早々とユニに質問を返されてしまった。
ガイは、公爵から休みをもらった際、内密でマルクトへ旅したときのことを思い出していた。二年以上前、あの時のユニに出逢った旅のこと。
「そうだな。グランコクマには行ったことがあるんだ」
「え?」
「……そこでキミによく似た子に会った」
「……」
じっとみつめると、困惑したようにユニの瞳が揺れた。水の流れがその瞳に映り、淡く光る。やっぱり、同じなのだ。彼女はユニだ。それなのに、彼女は自分に会ったことを覚えていない。
◇
その時、突然何かが頭上を飛び越え、前方に着地した。
「……ライガ!」
全員が武器を取りだして戦闘態勢に入った。ジェイドはひゅっと槍を出しながら「後ろからも誰か来ます」と言った。ライガに気を配りつつ振り返ると、人形を抱えた少女がそこにいた。
「逃がしません……っ」
タルタロスで出会ったときと同様に、魔物を従えた、六神将『妖獣のアリエッタ』だった。
「アリエッタ! 見逃してください。あなたなら分かってくれますよね? 戦争を起こしてはいけないって」
「イオン様の言うこと……アリエッタは聞いてあげたい……です」
守るように立っていたユニの前に進み出て、イオンが直接彼女に言った。これはかなり効果があると思ったが、アリエッタは涙ぐみながらそれを跳ね除ける。
「でもその人たち、アリエッタの敵!」
「アリエッタ! 彼らは悪い人ではないんです!」
「ううん……悪い人です。だってアリエッタのママを……殺したもん!」
その言葉に、ぞわりとした。親を、殺した……?
「何言ってんだ? オレたちがいつそんなこと……」
「アリエッタのママは、お家を燃やされてチーグルの森に住みついたの。ママは仔供たちを……アリエッタの弟と妹たちを守ろうとしてただけなのに……」
唇を噛み切りそうなほどにぎゅっと結ぶ少女を見て、ユニたちに動揺が広がっていく。
「まさかライガ・クイーンのこと? でも彼女、人間でしょう?」
「……彼女はホド戦争で両親を失って、魔物に育てられたんです。魔物と会話できる力を買われて神託の盾騎士団に入隊しました」
ティアの問いにはイオンが答えた。絶句してしまう。嫌な感覚。これが、恨まれるということなのか。
「じゃあ、オレたちが殺したライガが……」
「それがアリエッタのママ……! アリエッタはあなたたちを許さない! 地の果てまで追いかけて……殺しますっ!」
アリエッタは叫び、抱いていた人形を前に突き出してぐっと力を込めた。もう止められない。それが戦闘開始の合図だった。躊躇うルークやユニの隣で早くもジェイドが詠唱を始め、魔物を止めようとガイが走り出した、その時。
「うわぁぁ!」
突然大地が大きく揺れた。体勢を崩し、アリエッタはしゃがみこむ。ユニも倒れそうになったところで、ジェイドに肩を支えられた。ぐらぐらと揺れる視界のなかで目を凝らすと、地面から紫色の蒸気のようなものが噴き上がっていた。
「地震……!?」
「おい、この蒸気みたいなのは……」
「障気だわ……!」
「いけません! 障気は猛毒です!」
イオンが警告すると同時に、地面から障気の塊が噴き出してアリエッタとライガに直撃した。悲鳴をあげて倒れた彼女たちを見て、ルークが焦って声をあげる。
「吸い込んだら死んじまうのか!?」
「長時間、大量に吸い込まなければ大丈夫。とにかくここを逃げ……」
そうティアが言いかけたとき、地面に亀裂が走り、逃げ場がなくなった。このままでは、充満する障気の中に取り残されてしまう。
「どうするんだ! 逃げらんねぇぞ!」
「……っ」
ルークが怒鳴ると、ティアは唇を噛み、そして譜歌を歌いはじめた。この状況には似つかわしくない、優しい旋律だった。なぜか、なんとなく、懐かしい。
「譜歌を詠ってどうするつもりですか」
「待って下さい、ジェイド。この譜歌は――ユリアの譜歌です!」
歌い終わると、ティアを中心に半球状の結界が現われた。白い光に包まれた数秒後、周囲に立ち込めていた障気はなくなっていた。
「障気が消えた……!?」
「障気が持つ固定振動と同じ振動を与えたの。一時的な防御壁よ。長くはもたないわ」
ティアが早口で説明した。ジェイドは顎に手をあて、なにやら思案しているようだ。
「噂には聞いたことがあります。ユリアが残したと伝えられる七つの譜歌……。しかし、あれは暗号が複雑で詠み取れた者がいなかったと……」
「詮索は後だ。ここから逃げないと」
「――そうですね」
ガイの言葉に思考を止め、ジェイドはくるりと向きを変えた。そして手の中に槍を現す。ひゅっとそれを振り、気を失っているアリエッタに迫った。その行動を見ていたルークは、ハッとして声を荒げる。
「や、やめろ! なんでそいつを殺そうとするんだ!」
「生かしておけばまた命を狙われます」
「だとしても、気を失って無抵抗の奴を殺すなんて……」
「……ジェイド、見逃して下さい。アリエッタは、元々僕付きの導師守護役なんです」
どんな償いをしても、きっとアリエッタには許してもらえないだろう、とユニはぼんやり考えた。つまりユニたちは、本当に彼女の言うとおり地の果てまで命を狙われ続けることになる。でもそれはアリエッタにとっても報われない。復讐に命を燃やし続けるなんて。そんなことになるなら、ここでいっそ殺してしまった方が、彼女のためになるのではないか?
そう思った後で、ユニは振り払うように頭を強く振った。違う。殺していい命なんて、あるわけない。
「……まあ、いいでしょう」
少しの沈黙の後で、ジェイドはこちらに向き直った。その手にあった槍は、掻き消えていた。
障気が噴出していた場から十分離れたあと、先頭を歩くジェイドが足を止めて振り返った。
「少しよろしいですか?」
「……んだよ。もうすぐカイツールだろ。こんなところで何するんだっつーの」
はやくヴァンのいるカイツールに行きたくて仕方がないのだろうか、ルークがイライラした様子で愚痴る。そんなルークを視界におさめてから、イオンが言う。
「ティアの譜歌の件ですね」
「ええ。前々から、おかしいとは思っていたんです。彼女の譜歌は私の知っている譜歌とは違う。しかもイオン様によれば、これはユリアの譜歌だというのではありませんか」
「はあ? だから?」
ルークがそんなのどうでもいいだろといった調子で返すと、ジェイドの代わりにガイが説明を始めた。
「ユリアの譜歌ってのは特別なんだよ。そもそも譜歌ってのは、譜術における詠唱部分だけを使って旋律と組み合わせた術なんだ。ぶっちゃけ譜術ほどの力はない」
「ところがユリアの譜歌は違います。彼女が遺した譜歌は譜術と同等の力を持つそうです」
「……私の譜歌は、確かにユリアの譜歌です」
誤魔化すのは困難だと判断したのか、そもそも隠していたわけではなかったのだろうが、硬い声でティアが答えた。
「しかし、ティアの譜歌がユリアの譜歌とは……。ユリアの譜歌は、譜と旋律だけでは意味を成さないのではありませんか?」
ジェイドが続けて質問をする。ルークは理解できないらしく、頭を抱えていた。
「そうなのか? ただ詠えばいいんじゃねぇのか?」
「――『譜に込められた意味と象徴を正しく理解し、旋律に乗せるときに隠された英知の地図を作る』」
何かの一節を諳んじるように、ガイが静かに言う。
「……はあ? 意味分かんね」
「という話さ。一子相伝の技術みたいなものらしいな」
「ええ……その通りよ。よく知っているのね」
「昔、聞いたことがあってね」
ティアは驚いた様子で彼を見ていた。ガイの知識の広さはジェイドに匹敵する程だとユニも感心した。しかしジェイドは、そんな二人をしばらく見つめる。
「ティア。あなたは何故、ユリアの譜歌を詠うことが出来るのですか。誰から学んだのですか?」
「……それは私の一族がユリアの血を引いているから……だという話です。本当かどうかは知りません」
「ユリアの子孫……なるほど……」
「ってことは師匠もユリアの子孫かっ!?」
そこで唐突に、ルークが場違いな明るい声を出した。
「……まあ、そうだな」
「すっげぇっ、さっすがオレの師匠! カッコイイぜ!」
困ったように笑ってガイが教えると、ルークは興奮して顔を輝かせた。そのせいか黙っているティアに向かって、ジェイドが「ありがとうございます」と礼をして話は終わった。なぜかガイも堅い表情のままだった。
マルクト側の入り口から、カイツールに入った。検問所を挟んで、マルクトとキムラスカの両軍が駐留している国境地帯だ。街を歩く兵士たちは皆ぴりぴりしていて、なんだか音を立てるのが怖かった。張りつめた空気の中で口数が少なくなりながら進んで行くと、妙にきゃぴきゃぴした声が遠くから聞こえた。
「あれ、アニスじゃねぇか?」
ルークは目を瞬かせた。検問所に近付くと、誰かが兵士と押し問答していた。茶色の髪をツインテールにして、その背にぬいぐるみを背負った少女だった。
「証明書も旅券もなくしちゃったんですぅ。通して下さい。お願いしますぅ」
「残念ですが、お通しできません」
「……ふみゅぅ~」
くねくねと可愛らしい声を出して懇願するが、兵士は応じなかった。作戦が失敗して、少女は身を翻す。
「……月夜ばかりと思うなよ」
そしてぼそりと、いつもの数倍低い声で呟いた。
「アニス。ルークに聞こえちゃいますよ」
追い返されてきたアニスにイオンが呼びかけると、彼女は「ん?」と先ほどの調子のまま低い声を出して視線を上げた。しかしそこに仲間たち、そしてルークの姿を捉えると「きゃわ~ん! アニスの王子様ぁ~」とルークに抱きつき、くるくる回った。
「……女って怖いなぁ」
「アニスは特別だよ~」
ガイが青ざめながら言うのを聞いて、ユニは笑った。そんな中、アニスはガイの視線に気付き、うっすらと目を細める。
「なになに? お兄さんってば、私に興味ありげ?」
「いやっ、え、えっと」
先ほどのアニスの変貌ぶりを見たせいか、距離があるにも関わらずガイはびくりとする。女性恐怖症の彼にとって、アニスはまさに天敵なのだろう。ルークのようにいきなり抱きつかれたりしたら、ガイといえども気を失ってしまいそうだ。
「あ、アニス。この人はルークの家にお仕えしている……」
「ルーク様の!? きゃわん! よろしく~!」
ユニがガイを守るようにその前に立って紹介したが、言い方が悪かった。ルークの家の、という単語に反応したアニスはユニの横をすり抜け、ガイに向かって勢いよく握手を求めた。心の中で即座に「ってことはアニスちゃんの未来の家来!」と思ったのだろう。
「うわああああ!」
しかし、ガイは驚いて叫びながら何メートルも遠ざかっていくのだった。
「ところで、どうやって検問所を越えますか? 私もルークも旅券がありません」
いつものことだ、といった調子でティアがジェイドに訊ねた、その時だった。
「ここで死ぬ奴に、そんなものはいらねぇよ!」
突然、怒鳴るような声が聞こえた。ユニがそこへ目を走らせるより速く、黒い法衣に赤髪を靡かせた男が、ルークに真上から襲いかかっていた。
それは残像となってユニの目に映る。揺れる視界のなかで、燃えあがる、焔。
(この声、赤い髪……! まさか……!)
振り下ろされた剣をぎりぎりで受け止めたが、ルークは弾き飛ばされて地面に倒れた。アニスは身を翻し、素早くイオンのところへ駆け戻った。しかし赤髪の男はそれには目もくれずに、ルークめがけて駆け出した。
だが、まさに斬りかかろうとした時、そこに別の影が割って入り、甲高い金属音を響かせて剣を受け止めた。
「退け、アッシュ!」
「……ヴァン……どけ!」
ヴァン・グランツだった。そして彼の口から放たれた「アッシュ」という名に、ユニは目を見開く。悪い予感が当たってしまった。それは六神将『鮮血のアッシュ』であり、二年前にユニをダアトから連れ出した張本人に違いなかった。
「や、やっぱり、アッシュなの!?」
ユニは声をあげずにはいられなかった。アッシュはヴァンの剣を弾き、数歩飛び退る。そして驚きながら、背中越しにユニに視線を向けるのだった。
「バカな……ユニか!?」
「アッシュ……どうして!」
「お前こそ、ここで何してやがる! グランコクマから出るなと言っただろうが!」
ルークに斬りかかった時よりも大きな声で彼が怒鳴ったので、ユニはびくりとして口を噤んだ。その声よりも、彼との約束を破ったのを思い出したことの方が堪えたのかもしれない。アッシュは黙りこむユニに向かって舌打ちをして、そして再びルークに剣を向けた。
「どういうつもりだ、アッシュ。私はお前にこんな命令を下した覚えはない。――退け!」
「……」
ヴァンに命じられると、アッシュはやや黙ってから剣を引き、鞘にそれをおさめた。そしてユニたちを肩越しに一瞥する。ガイとジェイドを視界に捉えたとき、彼はまた舌打ちをしたような気がした。だが次の瞬間、彼は地面を蹴ると、カイツールの街に消えて行った。
その後は、ルークが子犬のようにヴァンにしっぽを振っていたこと、ティアがヴァンに斬りかかろうとしてみんなに止められたこと、頭を冷やして誤解を解こうとヴァンが言ったこと、そんなことが立て続けに起こった。
しかしユニの頭の中は、アッシュのことでいっぱいだったのだ。
「ユニ。いくつか質問があるのですが」
「あ、はい……」
ヴァンと落ち合う宿に向かう途中で、予想通りジェイドに捕まった。
「六神将のアッシュと面識があったようですね?」
「……は、はい」
「彼は『グランコクマから出るなと言っただろうが』と言っていましたが、どういうことか、ご説明いただけますか?」
そしてさっそく核心をつく質問をされた。さすがジェイドだ。本当に容赦なくて、かえって安心してしまう。
「あ、ねぇねぇユニ、わたしもそれ聞きた~い」
ここでアニスも割り込んできた。といっても、全員がしっかりとユニの言葉に耳をそばだてていたのだが。
「ユニって昔ダアトによく来てたじゃないですか。でも突然来なくなっちゃって。何かあったのかなぁって、心配してたんですぅ。シンクとかそれ以来ずっとすっごいイライラしてて大変だったんだから~。それに、アッシュと知り合いってのも今はじめて聞いたんだけどぉ」
「……だそうですけど、ユニ?」
「あ、そ、それは……」
どこから話せばよいものか。とりあえずアッシュとの関係を話さなければ、ジェイドに解放してもらえそうになかった。しかし彼は言いよどむユニを制した。
「その前に、私の推測を聞いていただけますか? ユニ。きっとあなたが説明するより早いと思いますので」
「は、はぁ。じゃあお願いします……」
「ユニが最後にダアトへ旅行したとき、グランコクマへ予定よりも一日早く帰ってきましたね」
「……は!? なんでそんなこと覚えてるんですか!?」
「私を誰だと思っているのです」
ジェイドはそう言い切る。唖然としたが、確かにそうだ、彼はそういう人だった。
「あの日、私はグランコクマでアッシュに会いました」
「……!?」
「先ほどのアッシュの発言で納得がいきました。彼がダアトからあなたを連れ戻したのですね。一体、あの時ダアトで何が起きたのですか?」
ジェイドの眼鏡がきらりと光った。たった一言から二年前のすべてを読み解いてしまったかのように、彼の推理は鮮やかだった。当人であるユニの方が思い出すのに時間がかかるくらいで。
理解できていたのは、二年かけてせっかく積み上げなおした日常が、また、ゆっくりと壊れ出していたということだけだった。
セントビナーを出て街道を進んでいると、フーブラス橋が落ちたといって引き返してくる商人たちとすれ違った。数日前の大水で流されてしまったらしい。だが、今の季節のフーブラス川は水流も穏やかで、水嵩も高くない。相談の結果、少し迂回をするが、浅瀬を通って直接カイツールに入ることにした。
服が濡れたり汚れたりしたので、ルークは終始不機嫌だったが、なんとか全員で川を渡り終えた。
「あー、びしょびしょだぜ……ったく。でももうすぐキムラスカ領なんだよな」
「ああ。少し行くとカイツールっていう街がある。あそこは非武装地帯だからな」
ぶつぶつと文句を言うルークに、ガイはその方角を示しながら答える。
「ガイってほんとになんでも知ってるんだね。わたしマルクト人なのに、このあたりのことはさっぱりで」
ユニが少し恥ずかそうに言うので、「ま、ずっと地図を眺めてるか自分の足で歩いたりしないと、普通は覚えられないさ」と返した。
「ユニも旅行が趣味とかって聞いたんだけどな?」
彼女がダアトへよく行っていたという話をジェイドから聞いたのを思い出して、なんとなく尋ねてみる。
「ん~。実はダアトくらいしか行ったことなくて。それに、グランコクマから外に出るようになったのもここ最近のことで……」
「え?」
「なんかいろいろあって。ガイは? 卓上旅行じゃなくて実際の旅行は?」
聞きたいことがいろいろ浮かんできたのに、早々とユニに質問を返されてしまった。
ガイは、公爵から休みをもらった際、内密でマルクトへ旅したときのことを思い出していた。二年以上前、あの時のユニに出逢った旅のこと。
「そうだな。グランコクマには行ったことがあるんだ」
「え?」
「……そこでキミによく似た子に会った」
「……」
じっとみつめると、困惑したようにユニの瞳が揺れた。水の流れがその瞳に映り、淡く光る。やっぱり、同じなのだ。彼女はユニだ。それなのに、彼女は自分に会ったことを覚えていない。
◇
その時、突然何かが頭上を飛び越え、前方に着地した。
「……ライガ!」
全員が武器を取りだして戦闘態勢に入った。ジェイドはひゅっと槍を出しながら「後ろからも誰か来ます」と言った。ライガに気を配りつつ振り返ると、人形を抱えた少女がそこにいた。
「逃がしません……っ」
タルタロスで出会ったときと同様に、魔物を従えた、六神将『妖獣のアリエッタ』だった。
「アリエッタ! 見逃してください。あなたなら分かってくれますよね? 戦争を起こしてはいけないって」
「イオン様の言うこと……アリエッタは聞いてあげたい……です」
守るように立っていたユニの前に進み出て、イオンが直接彼女に言った。これはかなり効果があると思ったが、アリエッタは涙ぐみながらそれを跳ね除ける。
「でもその人たち、アリエッタの敵!」
「アリエッタ! 彼らは悪い人ではないんです!」
「ううん……悪い人です。だってアリエッタのママを……殺したもん!」
その言葉に、ぞわりとした。親を、殺した……?
「何言ってんだ? オレたちがいつそんなこと……」
「アリエッタのママは、お家を燃やされてチーグルの森に住みついたの。ママは仔供たちを……アリエッタの弟と妹たちを守ろうとしてただけなのに……」
唇を噛み切りそうなほどにぎゅっと結ぶ少女を見て、ユニたちに動揺が広がっていく。
「まさかライガ・クイーンのこと? でも彼女、人間でしょう?」
「……彼女はホド戦争で両親を失って、魔物に育てられたんです。魔物と会話できる力を買われて神託の盾騎士団に入隊しました」
ティアの問いにはイオンが答えた。絶句してしまう。嫌な感覚。これが、恨まれるということなのか。
「じゃあ、オレたちが殺したライガが……」
「それがアリエッタのママ……! アリエッタはあなたたちを許さない! 地の果てまで追いかけて……殺しますっ!」
アリエッタは叫び、抱いていた人形を前に突き出してぐっと力を込めた。もう止められない。それが戦闘開始の合図だった。躊躇うルークやユニの隣で早くもジェイドが詠唱を始め、魔物を止めようとガイが走り出した、その時。
「うわぁぁ!」
突然大地が大きく揺れた。体勢を崩し、アリエッタはしゃがみこむ。ユニも倒れそうになったところで、ジェイドに肩を支えられた。ぐらぐらと揺れる視界のなかで目を凝らすと、地面から紫色の蒸気のようなものが噴き上がっていた。
「地震……!?」
「おい、この蒸気みたいなのは……」
「障気だわ……!」
「いけません! 障気は猛毒です!」
イオンが警告すると同時に、地面から障気の塊が噴き出してアリエッタとライガに直撃した。悲鳴をあげて倒れた彼女たちを見て、ルークが焦って声をあげる。
「吸い込んだら死んじまうのか!?」
「長時間、大量に吸い込まなければ大丈夫。とにかくここを逃げ……」
そうティアが言いかけたとき、地面に亀裂が走り、逃げ場がなくなった。このままでは、充満する障気の中に取り残されてしまう。
「どうするんだ! 逃げらんねぇぞ!」
「……っ」
ルークが怒鳴ると、ティアは唇を噛み、そして譜歌を歌いはじめた。この状況には似つかわしくない、優しい旋律だった。なぜか、なんとなく、懐かしい。
「譜歌を詠ってどうするつもりですか」
「待って下さい、ジェイド。この譜歌は――ユリアの譜歌です!」
歌い終わると、ティアを中心に半球状の結界が現われた。白い光に包まれた数秒後、周囲に立ち込めていた障気はなくなっていた。
「障気が消えた……!?」
「障気が持つ固定振動と同じ振動を与えたの。一時的な防御壁よ。長くはもたないわ」
ティアが早口で説明した。ジェイドは顎に手をあて、なにやら思案しているようだ。
「噂には聞いたことがあります。ユリアが残したと伝えられる七つの譜歌……。しかし、あれは暗号が複雑で詠み取れた者がいなかったと……」
「詮索は後だ。ここから逃げないと」
「――そうですね」
ガイの言葉に思考を止め、ジェイドはくるりと向きを変えた。そして手の中に槍を現す。ひゅっとそれを振り、気を失っているアリエッタに迫った。その行動を見ていたルークは、ハッとして声を荒げる。
「や、やめろ! なんでそいつを殺そうとするんだ!」
「生かしておけばまた命を狙われます」
「だとしても、気を失って無抵抗の奴を殺すなんて……」
「……ジェイド、見逃して下さい。アリエッタは、元々僕付きの導師守護役なんです」
どんな償いをしても、きっとアリエッタには許してもらえないだろう、とユニはぼんやり考えた。つまりユニたちは、本当に彼女の言うとおり地の果てまで命を狙われ続けることになる。でもそれはアリエッタにとっても報われない。復讐に命を燃やし続けるなんて。そんなことになるなら、ここでいっそ殺してしまった方が、彼女のためになるのではないか?
そう思った後で、ユニは振り払うように頭を強く振った。違う。殺していい命なんて、あるわけない。
「……まあ、いいでしょう」
少しの沈黙の後で、ジェイドはこちらに向き直った。その手にあった槍は、掻き消えていた。
障気が噴出していた場から十分離れたあと、先頭を歩くジェイドが足を止めて振り返った。
「少しよろしいですか?」
「……んだよ。もうすぐカイツールだろ。こんなところで何するんだっつーの」
はやくヴァンのいるカイツールに行きたくて仕方がないのだろうか、ルークがイライラした様子で愚痴る。そんなルークを視界におさめてから、イオンが言う。
「ティアの譜歌の件ですね」
「ええ。前々から、おかしいとは思っていたんです。彼女の譜歌は私の知っている譜歌とは違う。しかもイオン様によれば、これはユリアの譜歌だというのではありませんか」
「はあ? だから?」
ルークがそんなのどうでもいいだろといった調子で返すと、ジェイドの代わりにガイが説明を始めた。
「ユリアの譜歌ってのは特別なんだよ。そもそも譜歌ってのは、譜術における詠唱部分だけを使って旋律と組み合わせた術なんだ。ぶっちゃけ譜術ほどの力はない」
「ところがユリアの譜歌は違います。彼女が遺した譜歌は譜術と同等の力を持つそうです」
「……私の譜歌は、確かにユリアの譜歌です」
誤魔化すのは困難だと判断したのか、そもそも隠していたわけではなかったのだろうが、硬い声でティアが答えた。
「しかし、ティアの譜歌がユリアの譜歌とは……。ユリアの譜歌は、譜と旋律だけでは意味を成さないのではありませんか?」
ジェイドが続けて質問をする。ルークは理解できないらしく、頭を抱えていた。
「そうなのか? ただ詠えばいいんじゃねぇのか?」
「――『譜に込められた意味と象徴を正しく理解し、旋律に乗せるときに隠された英知の地図を作る』」
何かの一節を諳んじるように、ガイが静かに言う。
「……はあ? 意味分かんね」
「という話さ。一子相伝の技術みたいなものらしいな」
「ええ……その通りよ。よく知っているのね」
「昔、聞いたことがあってね」
ティアは驚いた様子で彼を見ていた。ガイの知識の広さはジェイドに匹敵する程だとユニも感心した。しかしジェイドは、そんな二人をしばらく見つめる。
「ティア。あなたは何故、ユリアの譜歌を詠うことが出来るのですか。誰から学んだのですか?」
「……それは私の一族がユリアの血を引いているから……だという話です。本当かどうかは知りません」
「ユリアの子孫……なるほど……」
「ってことは師匠もユリアの子孫かっ!?」
そこで唐突に、ルークが場違いな明るい声を出した。
「……まあ、そうだな」
「すっげぇっ、さっすがオレの師匠! カッコイイぜ!」
困ったように笑ってガイが教えると、ルークは興奮して顔を輝かせた。そのせいか黙っているティアに向かって、ジェイドが「ありがとうございます」と礼をして話は終わった。なぜかガイも堅い表情のままだった。
マルクト側の入り口から、カイツールに入った。検問所を挟んで、マルクトとキムラスカの両軍が駐留している国境地帯だ。街を歩く兵士たちは皆ぴりぴりしていて、なんだか音を立てるのが怖かった。張りつめた空気の中で口数が少なくなりながら進んで行くと、妙にきゃぴきゃぴした声が遠くから聞こえた。
「あれ、アニスじゃねぇか?」
ルークは目を瞬かせた。検問所に近付くと、誰かが兵士と押し問答していた。茶色の髪をツインテールにして、その背にぬいぐるみを背負った少女だった。
「証明書も旅券もなくしちゃったんですぅ。通して下さい。お願いしますぅ」
「残念ですが、お通しできません」
「……ふみゅぅ~」
くねくねと可愛らしい声を出して懇願するが、兵士は応じなかった。作戦が失敗して、少女は身を翻す。
「……月夜ばかりと思うなよ」
そしてぼそりと、いつもの数倍低い声で呟いた。
「アニス。ルークに聞こえちゃいますよ」
追い返されてきたアニスにイオンが呼びかけると、彼女は「ん?」と先ほどの調子のまま低い声を出して視線を上げた。しかしそこに仲間たち、そしてルークの姿を捉えると「きゃわ~ん! アニスの王子様ぁ~」とルークに抱きつき、くるくる回った。
「……女って怖いなぁ」
「アニスは特別だよ~」
ガイが青ざめながら言うのを聞いて、ユニは笑った。そんな中、アニスはガイの視線に気付き、うっすらと目を細める。
「なになに? お兄さんってば、私に興味ありげ?」
「いやっ、え、えっと」
先ほどのアニスの変貌ぶりを見たせいか、距離があるにも関わらずガイはびくりとする。女性恐怖症の彼にとって、アニスはまさに天敵なのだろう。ルークのようにいきなり抱きつかれたりしたら、ガイといえども気を失ってしまいそうだ。
「あ、アニス。この人はルークの家にお仕えしている……」
「ルーク様の!? きゃわん! よろしく~!」
ユニがガイを守るようにその前に立って紹介したが、言い方が悪かった。ルークの家の、という単語に反応したアニスはユニの横をすり抜け、ガイに向かって勢いよく握手を求めた。心の中で即座に「ってことはアニスちゃんの未来の家来!」と思ったのだろう。
「うわああああ!」
しかし、ガイは驚いて叫びながら何メートルも遠ざかっていくのだった。
「ところで、どうやって検問所を越えますか? 私もルークも旅券がありません」
いつものことだ、といった調子でティアがジェイドに訊ねた、その時だった。
「ここで死ぬ奴に、そんなものはいらねぇよ!」
突然、怒鳴るような声が聞こえた。ユニがそこへ目を走らせるより速く、黒い法衣に赤髪を靡かせた男が、ルークに真上から襲いかかっていた。
それは残像となってユニの目に映る。揺れる視界のなかで、燃えあがる、焔。
(この声、赤い髪……! まさか……!)
振り下ろされた剣をぎりぎりで受け止めたが、ルークは弾き飛ばされて地面に倒れた。アニスは身を翻し、素早くイオンのところへ駆け戻った。しかし赤髪の男はそれには目もくれずに、ルークめがけて駆け出した。
だが、まさに斬りかかろうとした時、そこに別の影が割って入り、甲高い金属音を響かせて剣を受け止めた。
「退け、アッシュ!」
「……ヴァン……どけ!」
ヴァン・グランツだった。そして彼の口から放たれた「アッシュ」という名に、ユニは目を見開く。悪い予感が当たってしまった。それは六神将『鮮血のアッシュ』であり、二年前にユニをダアトから連れ出した張本人に違いなかった。
「や、やっぱり、アッシュなの!?」
ユニは声をあげずにはいられなかった。アッシュはヴァンの剣を弾き、数歩飛び退る。そして驚きながら、背中越しにユニに視線を向けるのだった。
「バカな……ユニか!?」
「アッシュ……どうして!」
「お前こそ、ここで何してやがる! グランコクマから出るなと言っただろうが!」
ルークに斬りかかった時よりも大きな声で彼が怒鳴ったので、ユニはびくりとして口を噤んだ。その声よりも、彼との約束を破ったのを思い出したことの方が堪えたのかもしれない。アッシュは黙りこむユニに向かって舌打ちをして、そして再びルークに剣を向けた。
「どういうつもりだ、アッシュ。私はお前にこんな命令を下した覚えはない。――退け!」
「……」
ヴァンに命じられると、アッシュはやや黙ってから剣を引き、鞘にそれをおさめた。そしてユニたちを肩越しに一瞥する。ガイとジェイドを視界に捉えたとき、彼はまた舌打ちをしたような気がした。だが次の瞬間、彼は地面を蹴ると、カイツールの街に消えて行った。
その後は、ルークが子犬のようにヴァンにしっぽを振っていたこと、ティアがヴァンに斬りかかろうとしてみんなに止められたこと、頭を冷やして誤解を解こうとヴァンが言ったこと、そんなことが立て続けに起こった。
しかしユニの頭の中は、アッシュのことでいっぱいだったのだ。
「ユニ。いくつか質問があるのですが」
「あ、はい……」
ヴァンと落ち合う宿に向かう途中で、予想通りジェイドに捕まった。
「六神将のアッシュと面識があったようですね?」
「……は、はい」
「彼は『グランコクマから出るなと言っただろうが』と言っていましたが、どういうことか、ご説明いただけますか?」
そしてさっそく核心をつく質問をされた。さすがジェイドだ。本当に容赦なくて、かえって安心してしまう。
「あ、ねぇねぇユニ、わたしもそれ聞きた~い」
ここでアニスも割り込んできた。といっても、全員がしっかりとユニの言葉に耳をそばだてていたのだが。
「ユニって昔ダアトによく来てたじゃないですか。でも突然来なくなっちゃって。何かあったのかなぁって、心配してたんですぅ。シンクとかそれ以来ずっとすっごいイライラしてて大変だったんだから~。それに、アッシュと知り合いってのも今はじめて聞いたんだけどぉ」
「……だそうですけど、ユニ?」
「あ、そ、それは……」
どこから話せばよいものか。とりあえずアッシュとの関係を話さなければ、ジェイドに解放してもらえそうになかった。しかし彼は言いよどむユニを制した。
「その前に、私の推測を聞いていただけますか? ユニ。きっとあなたが説明するより早いと思いますので」
「は、はぁ。じゃあお願いします……」
「ユニが最後にダアトへ旅行したとき、グランコクマへ予定よりも一日早く帰ってきましたね」
「……は!? なんでそんなこと覚えてるんですか!?」
「私を誰だと思っているのです」
ジェイドはそう言い切る。唖然としたが、確かにそうだ、彼はそういう人だった。
「あの日、私はグランコクマでアッシュに会いました」
「……!?」
「先ほどのアッシュの発言で納得がいきました。彼がダアトからあなたを連れ戻したのですね。一体、あの時ダアトで何が起きたのですか?」
ジェイドの眼鏡がきらりと光った。たった一言から二年前のすべてを読み解いてしまったかのように、彼の推理は鮮やかだった。当人であるユニの方が思い出すのに時間がかかるくらいで。
理解できていたのは、二年かけてせっかく積み上げなおした日常が、また、ゆっくりと壊れ出していたということだけだった。