第2章(外殻大地編)
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40 七つめの悔恨の覚え書き
日が昇った。朝が来た。欠伸をしていると、すでに起きていたジェイドがやってきて「火を消しておいてください」と言った。
くすぶっている焚き火に譜術で水をかけ、鎮火する。花に水を与えるように、柔らかく第四音素を具現化した。懐かしい作業だ。昔はグランコクマで毎日これをやっていた。もう二、三年も前のことだ。そう思って、また欠伸をした。ふと横に目をやると、ガイがこちらを見ていた。目が合うと、彼はさっと視線を逸らした。
出発の前に一度全員が集まり、今後のことについて確認し合った。六神将の介入により、この先ますます状況は厳しくなるだろうということ。しかしこちらもなんとしてもイオンと親書をキムラスカへ送り届けねばならないこと。
「奇襲に備えて態勢を整える必要がありますね」
話が戦闘のことに移ったとき、ジェイドがおもむろに切り出した。
「私とガイとティアで三角に陣形を取ります。ユニは中央でイオン様を守りながら援護を。ルークはイオン様と一緒に中心にいて、もしもの時は身を守って下さい」
「え?」
ルークはぽかんとして声をあげる。「あなたは戦わなくてもいいということですよ」とジェイドが事も無げに返した。
「今後についての話は以上です。では行きましょうか」
その一言で全員が立ちあがった。セントビナーの大樹がうっすらと見える。まずはあそこへ辿り着かなければ。
しかしルークは一人、立ち尽くしていた。
「ルーク……行こう」
ユニは彼を促す。しかしルークは俯いて、拳を握り締めた。
「……ま、待ってくれ!」
彼は下を向いたまま叫んだ。先を歩くジェイドたちは足を止めたが、まるでこうなることを予想していたかのように、驚いている者はいなかった。
「……オレも、戦う! 戦わせてくれ」
「ルーク、いいのよ……」
ティアが腕の怪我を抑えて、申し訳なさそうに言った。昨夜、みんなで決めたのだ。ルークに「戦わなくていい」と言っても、彼は「戦う」と言い出すだろう。しかしルークは人を殺すことに怯えている。殺されそうになっても反撃出来ないほどに。それほどまで純粋な彼の手を、血で染めて本当にいいのだろうか。彼を戦わせていいのだろうか。彼の心を守った方がいいのではないか、と。
「わたし、あなたが民間人だということを知っていたのに、理解出来ていなかったわ。今までごめんなさい」
「な、なんでお前が謝るんだよ。その怪我だってオレのせいで……」
「わたしは軍人だもの。民間人を守るのは当然よ」
「戦えば必ず人を傷付けることになります。それが自分の身を守るためでも、人を殺すということは、相手の可能性を奪うということです」
「喜びや悲しみ、怒りや優しさ――そのすべてを無理やり暴力で打ち壊すことになるんだ。そんなものルークは背負わない方がいい。恨みを買うことだってある」
ジェイドは眼鏡を押し上げながら、ガイは視線を逸らしながら、言い聞かせるように呟いた。それはルークに向かってなのか、自分自身に向かってなのか。
「大丈夫。わたしがちゃんとあなたを守るわ。お屋敷につくまでの辛抱よ」
ティアが苦しそうに言ったところで、ルークはばっと顔をあげた。
「お前、言ってたろ。好きで殺してる訳じゃねえって!」
「……」
「……決心したんだ。みんなが戦ってるのにオレだけ隠れてなんていられるかよ。もうオレたちのうちの誰かが傷付くところは見たくねえ! オレもちゃんと責任を背負う!」
「……でも……」
「いいじゃありませんか。……ルークの決心とやら、見せてもらいましょう」
ジェイドはティアを優しく遮り、また歩き出した。ガイはルークのもとへ戻ってきてその肩に手を置くと「無理するなよ、ルーク」と声をかけた。
「ルーク、ありがとう。みんなが傷付くのが嫌って言ってくれて。私も一緒に戦うから……頑張ろうね」
ユニはそれだけ言ってジェイドの傍へ走った。自分の決心も、もう揺るがせない。そう思いながら前を向いた。
セントビナーは、高い塀に囲まれた城砦都市だった。この街にはマルクト軍の基地があり、アニスとはそこで落ち合う予定だった。街全体を包むほどに枝を伸ばす大樹が、近付くとより一層巨大に見える。珍しい花の香りが漂ってきて、ユニは木漏れ日に目を細めた。
「ジェイド~ここは綺麗な街ですね! はやく入りたいな~。入り口はそこですか?」
「隠れて下さい!」
「ひわっ」
ぼんやりとしていたら急に腕をひっぱられ、体勢を崩したユニはジェイドの懐に収まるような格好になった。皆もそれに続いて、物陰に隠れる。首を伸ばしてセントビナーの入り口を覗くと、そこでは武装した神託の盾兵が検問を敷き、街へ入る人々を見張っていた。
「なんで神託の盾騎士団がここに……」
「タルタロスの停止位置から一番近い街はこのセントビナーだからな。休息に立ち寄ると思ったんだろ」
不思議なことに、ジェイドが解説するよりも先にガイが口を開いていた。
「……おや、ガイはキムラスカ人の割にマルクトに土地勘があるようですね」
「卓上旅行が趣味なんだ」
「これはこれは、そうでしたか」
含みのある声でジェイドが言うと、さらりとガイが返した。
突然「導師イオンはみつかったか?」と鋭い声が聞こえてきて、ユニは思わずびくりと肩を震わせた。あの、タルタロスでの戦いが脳裏に蘇ったのだ。
「リグレット教官……!」
ティアが低い声で呟いたその人は、入り口を見張る兵にではなく、別の集団に向かって話していた。
「導師はセントビナーには訪れていないらしいよ」
「そうか。少し前にあの導師守護役がうろついていたようだが、マルクト軍と接触していたらしいな。軍の奴らは機密事項と称して情報開示しようとしないが」
リグレットと話をしていたのは、シンクだった。
「オレがあの死霊使いに後れをとらなければ、アニスを取り逃がすこともなかった。面目ない」
そう言ったのは、黒獅子ラルゴだ。「……ラルゴを殺り損ねましたか」とジェイドがユニの頭上で呟いた。その大男の隣で、人形を握り締める少女アリエッタがぶつぶつと何か言っている。
アニスが無事にここまで来ていたらしいことに安心する一方で、ユニは胸が苦しくなる。かつてダアトで会ったときには、今こうして彼らと敵対することになろうとは、少しも思っていなかったのに。
「ハーッハッハッハッハッ! だーかーらー言ったのです! あの性悪ジェイドを倒せるのはこの華麗なる神の使者、薔薇のディスト様だけだと!」
空から高らかな笑い声が聞こえたと思ったら、それはすぐに地上に降ってきた。宙に浮く奇妙な椅子に乗った、銀髪で眼鏡をかけた男。ユニがジェイドの方を振り返ると、彼は盛大に溜息をついた。
「薔薇じゃなくて死神でしょ」
「この美し~い私が、どうして薔薇でなく死神なんですかっ!」
シンクが的確につっこむと、ディストはきいきいと反論した。
「過ぎたことはいい。これからどうする、シンク?」
しかしリグレットはそれを無視して、仮面の少年に問いかける。
「エンゲーブとセントビナーの兵は撤退させるよ」
「……おい」とディストが唸ったが、それも綺麗に流されていた。シンクの言葉に、リグレットは頷く。どうやら作戦の指揮権はシンクにあるようだ。
「しかし!」
「ラルゴ、アンタはまだ怪我が癒えてない。死霊使いに殺されかけたんだ。暫く大人しくしてたら? このまま駐留してマルクト軍を刺激すると、外交問題に発展する。……それに、どうせ奴らはカイツールから国境を越えるしかないんだ」
言い迫ったラルゴを宥めると、シンクは仮面の下で静かに笑った。「おい、無視するな!」とディストが叫ぶが、誰も反応しなかった。
「カイツールでどう待ち受けるか……ね。一度タルタロスに戻って検討しましょう」
リグレットが言い、ラルゴに視線を向ける。仕方ない、といった調子で彼は頷いてから、兵に向かって吼えるように命じた。
「伝令だ! 第一師団! 撤退!」
「了解!」
門を囲んでいた兵は素早く集合し、そして街道を去っていった。ただひとり、ディストを残して。
「きぃぃっ! 私が美と英知に優れているから嫉妬しているんですねーっ!」
ディストの叫び声は、妙な譜業椅子で飛び去りながら空の彼方へ消えていった。
「あれが六神将……。初めて見た」
「なあ、六神将って何なんだ?」
彼らがいなくなった後で、ガイがにわかに感嘆したように言うのを聞いて、ルークは首を傾げた。
「神託の盾の幹部六人のことです」とイオンが答える。ユニも彼らの存在についてはよく知らなかったが、軍人の間では有名であるようだ。
「でも五人しかいなかったな」
「『黒獅子ラルゴ』に『死神ディスト』だろ。『烈風のシンク』、『妖獣のアリエッタ』、『魔弾のリグレット』……と。いなかったのは『鮮血のアッシュ』だな」
「アッシュ……?」
ガイが指折り数えながら言うと、ユニが首を傾げた。その名にたいへんな聞き覚えがあったからだ。もしもその「鮮血のアッシュ」がユニの知っているアッシュならば、これからますます戦いづらくなってしまう。
「彼らはヴァン直属の部下よ」
「ヴァン師匠の!?」
しかしユニが「アッシュってどんな感じの人?」と尋ねる前に、ティアが言い放ち、ルークがしっかりそれに食いついた。
「六神将が動いているなら、戦争を起こそうとしているのはヴァンだわ」
「六神将は大詠師派ですから。モースがヴァンに命じているのでは?」
イオンが冷静に反論するが、ティアは心外だというように眉を寄せた。
「大詠師モースがそのようなことをなさるはずがありません。極秘任務のため詳しいことを話す訳にはいきませんが、あの方は平和のための任務を私にお任せ下さいました」
「ちょっと待てよ! ヴァン師匠だって、戦争を起こそうなんて考える訳ないって」
「兄ならやりかねないわ」
「なんだと! お前こそモースとかいう奴のスパイじゃねぇのか!?」
「ふ、二人とも、落ち着いて」
「そうだぜ。モースもヴァン謡将もどうでもいい。今は六神将の目をかい潜って戦争を食い止めるのが一番大事なことだろ」
目の前で喧嘩を始められたので困りながらユニが間に入ると、ガイも仲裁に加わった。彼の言う通りだった。ルークとティアは口を噤み、そしてお互いに視線を逸らした。
「……そうね。ごめんなさい」
「……ふん。師匠を悪く言う奴は認めねぇ」
「終わったみたいですねぇ。それでは神託の盾もいなくなったことですし、セントビナーへ入りましょう」
「あんた、いい性格してるなぁ」
ジェイドがにこやかに言うのを聞いて、ガイが呆れたように笑った。
セントビナーは、石造りの家々が建ち並び、道は石畳で舗装されていた。その道に沿って花壇も整備されている。美しい街だった。おかげでユニの興味はあちこちへ移り変わった。宿屋の裏手に大きな花畑が見えたので、思わず門扉の隙間から覗き込んだ。「ユニ、花は後でも見れますから」とジェイドに促されて花畑から目を離すと、またガイと目が合ったが、すぐに視線を逸らされた。
マルクト帝国セントビナー駐留軍基地に入る。六神将の話からすると、少し前にアニスもここへ立ち寄ったのだろう。しかし、通された執務室からは言い争う声が聞こえてきた。
「ですから、父上。神託の盾騎士団は建前上、預言士なのです。彼らの行動を制限するには陛下の勅命が……」
「黙らんか! 奴らの介入によってホド戦争がどれほど悲惨な戦争になったか、お前も知っとろうが!」
ノックをしても気付かないほどだった。その声を聞いて「中にいらっしゃるのはグレン・マクガヴァン将軍と、その父であるマクガヴァン元元帥です。礼儀正しくして下さいね」とジェイドが教えるが、その間も口論は続いていた。仕方なく、返事を待たずに扉を開けた。
「お取り込み中、失礼します」
ジェイドが声を掛けると、彼らはハッとしてようやく口を噤んだ。銀髪の若々しい男性と、白い髭をたっぷりと蓄えた背の低い老将だった。
「おお! ジェイド坊やか!」
「死霊使いジェイド……!」
二人は正反対の反応を見せた。老マクガヴァンは嬉しそうな声をあげたが、若い方のグレンは眉を寄せ、ジェイドたちの来訪をあまり歓迎していないようだった。
「ご無沙汰しています。マクガヴァン元帥」
「わしはもう退役したんじゃ。そんな風に呼んでくれるな。お前さんこそ、そろそろ昇進を受け入れたらどうかね。本当ならその若さで大将にまでなっているだろうに」
「どうでしょう。大佐で充分身に余ると思っていますが」
退役しているとはいえ元帥であった人と親しげに話すジェイドを見て、ルークとガイは顔を見合わせた。
「ジェイドって偉かったのか?」
「そうみたいだな」
「ふふ、ジェイドは強くて頭も良くて、すごいんだよ」
ユニが誇らしげに伝えると、ガイは「へえ」と言いながらジェイドに視線を戻した。
「そうだ。お前さんは陛下の幼なじみだったな。陛下に頼んで神託の盾騎士団を何とかしてくれんか」
「神託の盾騎士団なら、つい先ほど立ち去りましたよ。それに、彼らの狙いは私たちですので」
「どういうことじゃ?」
「陛下の勅命ですので、詳しいことはお話できないのですよ。すみません」
ここでわざとらしい咳払いが聞こえ、ユニたちはその方を向く。グレンが、渋い顔でジェイドを見ていた。
「カーティス大佐。御用向きは?」
どうやら、グレンとジェイドはあまりいい関係ではないようだ。この基地の責任者はグレンだったが、「礼儀正しくして下さいね」と言った本人は、グレンに話しかけるどころか挨拶すらしていなかった。
「ああ、失礼。ここを神託の盾の導師守護役が訪ねてきませんでしたか?」
「あれですか。既に街を出ましたが、手紙を残して行きました。……失礼ながら、念のため開封して中を確認させてもらいましたよ」
「結構ですよ。見られて困ることは書いていないはずですから」
グレンは乾いた笑いを浮かべて手紙を渡した。ジェイドは、目を通し終えるとそれをルークに回した。
「どうやら半分はあなた宛のようです。どうぞ」
「アニスの手紙だろ? イオンならともかく、なんでオレ宛なんだよ」
ひったくるように受け取って、ルークはめんどくさそうに、声に出してその文面を読んだ。
「『親愛なるジェイド大佐へ❤
すっごく怖い思いをしたけど何とかたどり着きました☆ 例の大事なものはちゃんと持っていま~す。誉めて誉めて♪ もうすぐ神託の盾がセントビナーを封鎖するそうなので、先に第二地点へ向かいますね❤
アニスの大好きな(恥ずかしい~☆ 告っちゃったよぅ❤)ルーク様はご無事ですか? すごーく心配しています。早くルーク様❤に逢いたいです☆ ついでにイオン様のこともよろしく。それではまた☆
アニスより』 ……目が滑る……」
「おいおいルークさんよ。モテモテじゃねぇか。でも程々にしとけよ。お前にはナタリア姫っていう婚約者がいるんだからな」
「冗談じゃねーや。あんなウザイ女……」
ルークは溜息をついて、手紙から顔をあげた。
「用件は済みましたので、私たちはこれで失礼します」
「そうして頂けると助かりますな、我々の活動に影響が出ますゆえ。神託の盾の狙いが大佐のご一行とは想像できませんでした。死霊使いジェイドが下手を打つとは、ピオニー陛下もさぞお嘆きでしょうに」
ジェイドが礼をすると、グレンが長々と皮肉を言った。自分の父親やピオニーに目をかけられているジェイドのことが気に食わないのが、ありありと伺えた。しかしその剥き出しの敵意をあえて煽るようなジェイドも、案外負けず嫌いというかなんというか。
「……第二地点というのは?」
「ここから南西にあるカイツールのことです。フーブラス橋を渡り、デオ峠を越えた場所にあります」
基地を出て広場まで来てから、ジェイドが説明する。
「ヴァン謡将はカイツールを拠点にしてルークを捜していたはずだ。そこまで行けば謡将と合流できるな」
ガイの言葉に「兄さんが……」とティアが小さく呟いた。するとガイはティアに一歩歩み寄り、とはいっても十分な距離があったが、穏やかに言い聞かせる。
「なあティア。何があったか知らないが、ヴァン謡将と兄妹なんだろ。バチカルの時みたいにいきなり斬り合うのは勘弁してくれよ」
「……分かってるわ」
その時、人ごみの中から駆けてきた少年がユニにぶつかった。驚いて「きゃ」と小さく声をあげると、少年は「ごめんなさい、お姉さん」と言ってきちんと礼をした。
「いえいえ、こちらこそ部下がすみません。怪我はありませんか?」
仰々しくジェイドが謝ってみせると、少年は興味津々な様子で、頭からつま先までを眺めた。
「おじさん、マルクトの軍人さん?」
「そうですよ」
「ならさ、死霊使いって知ってる?」
少年は嬉々として尋ねる。ユニたちは無言で成り行きを見守っていた。
「……ああ、知ってますねぇ」
「オレのひい爺ちゃんが言ってた。死霊使いは死んだ人を生き返らせる実験をしてるって」
「え……?」
その少年の言葉で、死霊使い以外の全員が表情を曇らせた。そして渦中の彼を見る。
「今度会ったら頼んどいてよ。キムラスカの奴らに殺されたオレの父ちゃんを生き返らせてくれって」
「そうですね。……伝えますよ」
「頼んだぞ! 男と男の約束だぞ」
少年はそう言うと、手を振って行ってしまった。
「大佐、すごいですの!」
少年が去った後で最初に口を開いたのはミュウだった。素直に驚き、褒めている。
「おいおい、勝手な噂に決まってるだろ」
ルークがミュウをあしらう。あたりまえだ。死んだ人間が生き返るはずがない。
「そうだよな。本当なら、オレが頼みたいぐらいだ」
「え、誰か亡くしたの……?」
聞こえてしまった呟きを流すわけにもいかず、ユニは恐る恐るガイに訊いた。
「一族郎党……な。ま、こんなご時世だ。そんな奴は大勢いるよ」
「そ、そっか……」
感情を抑えた声色と、碧い瞳に揺れる寂しさが胸に迫った。自分も両親がいないのだとは、なんとなく言い出せなかった。
「ティアだって両親がいないんだろ。ヴァン謡将から聞いてるぜ」
「え、ええ……」
次にその瞳はティアに向けられた。深い色だった。寂しさ、悲しみ、憎しみ、割り切れない混濁した想いを、飽きるほどに映してきたような。
「おーい、こんなのただの噂だろ、さっさと行こうぜ!」
ルークがそう言うとみんな顔をあげた。そして街の入り口へ歩き出す。
「……火のないところに煙は立ちませんがね」
「へ?」
歩き出そうとしたユニの耳に微かに聞こえたジェイドの呟き。後ろを振り返ると「いえ、なんでもありません」といつもの貼りつけたような笑顔で言われ、横を追い越された。
そうだ、どうせ二つ名から派生した根も葉もない噂だろう、と考えて再び歩き出そうとした。しかし、何かにくんっと引っ張られ、振り返る。そこには青白い顔をしたイオンがいて、今にも倒れそうになりながらユニの服の裾を掴んでいた。
「イオン様?」
「あの……わがままを言ってすみませんが、少し休ませてもらえませんか」
その声はひどく弱々しくつらそうだった。「あ、みんな、ちょっと待って!」と呼ぶと、彼らは足を止めてこちらを振り返った。ルークが駆け戻ってきたので、ユニは文句を言われる準備をした。しかし。
「なんだよ? お前、また顔色が悪いな」
「すみません……」
「手間のかかる奴だなぁ」
驚くユニを横目に、ルークは仲間たちの方を向いて「おーい、戻ろうぜ。宿に行こう」と言った。
「おや、案外優しいところがあるのですね」
「それがルークのいいところってやつさ。使用人にもお偉いさんにも分け隔てなく横暴なんだ」
ユニと同じ感想を口にしたジェイドは、物珍しそうにルークの方を見ていた。一方ガイは少し誇らしげに彼を評する。それは褒めているのか貶しているのかよくわからないものだったが、おそらく彼の声から察して前者だったのだろう。
ルークは世間に疎いせいもあり、相手の地位に関係なく対等に接し、自分の権力を振りかざすこともない。使用人のガイにも、世界中から崇められる導師イオンにも、彼はまったく同じように接していた。
結局、セントビナーの宿に一泊することになった。ベッドでしばらく眠っていたイオンが目を覚ましたので、ジェイドは全員をその一室に集めた。
「イオン様、横になりながら聞いてくださっていいのですよ?」
ジェイドが言うと彼は「平気です」と返した。半身を起しているイオンの顔色は、先ほどよりは良くなっているものの、やはり疲労が滲んでいた。
「それより、僕の為にカイツールへ行くのが遅れてすみません。六神将はカイツールで待ち受けると言っていましたから、彼らに準備の時間を与えることになってしまいました」
「別にいいよ。弱い奴に無理させたってしょうがねーからな」
「そうですね。まずは体力を回復させることが先決です。それに先日の野営でセントビナーへの到着が遅れたのが幸いして神託の盾は立ち去りましたし。休むのも大事ですので、今日はゆっくり休養しましょう」
柔らかい表情でジェイドが言うと、イオンも安心したように目を閉じた。そしてその横でルークが嬉しそうに伸びをするのだった。
「ふぅー、やっとまともなベッドで眠れるぜー」
「はは。ルークに野宿はきつかったか?」
「どうってことねー……って言いたいところだけど、やっぱベッドがいいわ」
「夜盗や魔物も出ないから、見張りの必要もないしな」
「ま、どんな奴らが襲ってきても余裕だけどな」
緊張感が消えたのか、ガイの前で、ルークはいつもの調子を取り戻していた。
「そうだなぁ。マルクトの死霊使いと皇帝世話係に、神託の盾の響長。それにローレライ教団の導師にキムラスカの公爵の息子。こんなメンバーだと、夜盗じゃなくても逃げ出すな」
「ガイも居ますしね」
イオンが言うと「いやいや、オレはただの使用人だって」とガイは笑った。
「ただの使用人、ですか……」
そう呟いて、ジェイドは静かに彼らを見つめる。
「そういえばイオン様。タルタロスから連れ出されていましたが、どちらへ?」
「……セフィロトです」
「セフィロト?」
「大地のフォンスロットの中で最も強力な十箇所のことよ」
「星のツボだな。記憶粒子(セルパーティクル)っていう惑星燃料が集中してて音素が集まりやすい場所だ」
「……し、知ってるよ。物知らずと思って立て続けに説明するな」
聞き返したそばからティアとガイにすらすらと解説されて、ルークは少し不機嫌そうに言った。
「その、セフィロトで何を?」
「……言えません。教団の機密事項です」
「そればっかだな。むかつくっつーの」
教団の機密事項、今まで何度か出てきた言葉だった。ルークが思ったことをそのまま口に出すと、イオンは顔を暗くした。
「すみません」
「う……」
話したくても仕方がないのだとルークにもわかったようで、悲しそうなイオンの声に少したじろぐ。
「そ、そうだ。ジェイド、お前は? 封印術って、体に影響はないのか?」
「ええ。身体能力が著しく低下していますよ。体内のフォンスロットを閉じられた訳ですから」
ジェイドの説明には、ルークは首を傾げるばかりだった。譜術を使ったことがないのでその感覚がわからないのかもしれない。
「なあ、それってどんな感じなんだ?」
「そうですね……全身に重りをつけて、海中散歩させられている感じ……ですかね。まあ、大丈夫ですよ」
「ちっとも大丈夫じゃねーじゃねぇか!」
深刻な話なのにジェイドがなんともないように言うので、ルークは思わず叫んだ。するとミュウが「ご主人様、優しいですの」と手を叩く。
「ち、ちげーよ! このおっさんにぶっ倒れられると迷惑だから……」
「照れるな照れるな」
「照れてねー!」
ガイがからかうと、さらに彼は顔を赤くした。最初はどうなることかと思ったが、ルークも少しずつジェイドに心を開いてきているようだ。
「ジェイド、全解除は難しいですか?」
「封印術は、一定時間で暗号が切り替わる鍵のようなものなんです。少しずつ解除してはいますが、もう少しかかりそうですね」
心配して尋ねるユニにはそう答えながら、しかしジェイドは周りを見渡して、少し笑った。
「まあ元の能力が違うので、多少の低下なら、戦闘力はみなさんと遜色ないかと」
「むかつく……」
ルークの言葉には「すみません。根が正直なもので」とおどけてみせた。
◇
「……それにしてもこの消耗。病弱というだけではないはず……。それに初めて会ったときの違和感は、やはり……」
静かに眠るイオンの横顔に視線を向ける。ばらばらだった考えが繋がり、この時ばかりは自分の勘の良さを呪いたくなるのだった。
「なぜ、今になってこんな……。鮮血のアッシュ……それにルーク……まさか、イオン様も、同じなのでは……?」
日が昇った。朝が来た。欠伸をしていると、すでに起きていたジェイドがやってきて「火を消しておいてください」と言った。
くすぶっている焚き火に譜術で水をかけ、鎮火する。花に水を与えるように、柔らかく第四音素を具現化した。懐かしい作業だ。昔はグランコクマで毎日これをやっていた。もう二、三年も前のことだ。そう思って、また欠伸をした。ふと横に目をやると、ガイがこちらを見ていた。目が合うと、彼はさっと視線を逸らした。
出発の前に一度全員が集まり、今後のことについて確認し合った。六神将の介入により、この先ますます状況は厳しくなるだろうということ。しかしこちらもなんとしてもイオンと親書をキムラスカへ送り届けねばならないこと。
「奇襲に備えて態勢を整える必要がありますね」
話が戦闘のことに移ったとき、ジェイドがおもむろに切り出した。
「私とガイとティアで三角に陣形を取ります。ユニは中央でイオン様を守りながら援護を。ルークはイオン様と一緒に中心にいて、もしもの時は身を守って下さい」
「え?」
ルークはぽかんとして声をあげる。「あなたは戦わなくてもいいということですよ」とジェイドが事も無げに返した。
「今後についての話は以上です。では行きましょうか」
その一言で全員が立ちあがった。セントビナーの大樹がうっすらと見える。まずはあそこへ辿り着かなければ。
しかしルークは一人、立ち尽くしていた。
「ルーク……行こう」
ユニは彼を促す。しかしルークは俯いて、拳を握り締めた。
「……ま、待ってくれ!」
彼は下を向いたまま叫んだ。先を歩くジェイドたちは足を止めたが、まるでこうなることを予想していたかのように、驚いている者はいなかった。
「……オレも、戦う! 戦わせてくれ」
「ルーク、いいのよ……」
ティアが腕の怪我を抑えて、申し訳なさそうに言った。昨夜、みんなで決めたのだ。ルークに「戦わなくていい」と言っても、彼は「戦う」と言い出すだろう。しかしルークは人を殺すことに怯えている。殺されそうになっても反撃出来ないほどに。それほどまで純粋な彼の手を、血で染めて本当にいいのだろうか。彼を戦わせていいのだろうか。彼の心を守った方がいいのではないか、と。
「わたし、あなたが民間人だということを知っていたのに、理解出来ていなかったわ。今までごめんなさい」
「な、なんでお前が謝るんだよ。その怪我だってオレのせいで……」
「わたしは軍人だもの。民間人を守るのは当然よ」
「戦えば必ず人を傷付けることになります。それが自分の身を守るためでも、人を殺すということは、相手の可能性を奪うということです」
「喜びや悲しみ、怒りや優しさ――そのすべてを無理やり暴力で打ち壊すことになるんだ。そんなものルークは背負わない方がいい。恨みを買うことだってある」
ジェイドは眼鏡を押し上げながら、ガイは視線を逸らしながら、言い聞かせるように呟いた。それはルークに向かってなのか、自分自身に向かってなのか。
「大丈夫。わたしがちゃんとあなたを守るわ。お屋敷につくまでの辛抱よ」
ティアが苦しそうに言ったところで、ルークはばっと顔をあげた。
「お前、言ってたろ。好きで殺してる訳じゃねえって!」
「……」
「……決心したんだ。みんなが戦ってるのにオレだけ隠れてなんていられるかよ。もうオレたちのうちの誰かが傷付くところは見たくねえ! オレもちゃんと責任を背負う!」
「……でも……」
「いいじゃありませんか。……ルークの決心とやら、見せてもらいましょう」
ジェイドはティアを優しく遮り、また歩き出した。ガイはルークのもとへ戻ってきてその肩に手を置くと「無理するなよ、ルーク」と声をかけた。
「ルーク、ありがとう。みんなが傷付くのが嫌って言ってくれて。私も一緒に戦うから……頑張ろうね」
ユニはそれだけ言ってジェイドの傍へ走った。自分の決心も、もう揺るがせない。そう思いながら前を向いた。
セントビナーは、高い塀に囲まれた城砦都市だった。この街にはマルクト軍の基地があり、アニスとはそこで落ち合う予定だった。街全体を包むほどに枝を伸ばす大樹が、近付くとより一層巨大に見える。珍しい花の香りが漂ってきて、ユニは木漏れ日に目を細めた。
「ジェイド~ここは綺麗な街ですね! はやく入りたいな~。入り口はそこですか?」
「隠れて下さい!」
「ひわっ」
ぼんやりとしていたら急に腕をひっぱられ、体勢を崩したユニはジェイドの懐に収まるような格好になった。皆もそれに続いて、物陰に隠れる。首を伸ばしてセントビナーの入り口を覗くと、そこでは武装した神託の盾兵が検問を敷き、街へ入る人々を見張っていた。
「なんで神託の盾騎士団がここに……」
「タルタロスの停止位置から一番近い街はこのセントビナーだからな。休息に立ち寄ると思ったんだろ」
不思議なことに、ジェイドが解説するよりも先にガイが口を開いていた。
「……おや、ガイはキムラスカ人の割にマルクトに土地勘があるようですね」
「卓上旅行が趣味なんだ」
「これはこれは、そうでしたか」
含みのある声でジェイドが言うと、さらりとガイが返した。
突然「導師イオンはみつかったか?」と鋭い声が聞こえてきて、ユニは思わずびくりと肩を震わせた。あの、タルタロスでの戦いが脳裏に蘇ったのだ。
「リグレット教官……!」
ティアが低い声で呟いたその人は、入り口を見張る兵にではなく、別の集団に向かって話していた。
「導師はセントビナーには訪れていないらしいよ」
「そうか。少し前にあの導師守護役がうろついていたようだが、マルクト軍と接触していたらしいな。軍の奴らは機密事項と称して情報開示しようとしないが」
リグレットと話をしていたのは、シンクだった。
「オレがあの死霊使いに後れをとらなければ、アニスを取り逃がすこともなかった。面目ない」
そう言ったのは、黒獅子ラルゴだ。「……ラルゴを殺り損ねましたか」とジェイドがユニの頭上で呟いた。その大男の隣で、人形を握り締める少女アリエッタがぶつぶつと何か言っている。
アニスが無事にここまで来ていたらしいことに安心する一方で、ユニは胸が苦しくなる。かつてダアトで会ったときには、今こうして彼らと敵対することになろうとは、少しも思っていなかったのに。
「ハーッハッハッハッハッ! だーかーらー言ったのです! あの性悪ジェイドを倒せるのはこの華麗なる神の使者、薔薇のディスト様だけだと!」
空から高らかな笑い声が聞こえたと思ったら、それはすぐに地上に降ってきた。宙に浮く奇妙な椅子に乗った、銀髪で眼鏡をかけた男。ユニがジェイドの方を振り返ると、彼は盛大に溜息をついた。
「薔薇じゃなくて死神でしょ」
「この美し~い私が、どうして薔薇でなく死神なんですかっ!」
シンクが的確につっこむと、ディストはきいきいと反論した。
「過ぎたことはいい。これからどうする、シンク?」
しかしリグレットはそれを無視して、仮面の少年に問いかける。
「エンゲーブとセントビナーの兵は撤退させるよ」
「……おい」とディストが唸ったが、それも綺麗に流されていた。シンクの言葉に、リグレットは頷く。どうやら作戦の指揮権はシンクにあるようだ。
「しかし!」
「ラルゴ、アンタはまだ怪我が癒えてない。死霊使いに殺されかけたんだ。暫く大人しくしてたら? このまま駐留してマルクト軍を刺激すると、外交問題に発展する。……それに、どうせ奴らはカイツールから国境を越えるしかないんだ」
言い迫ったラルゴを宥めると、シンクは仮面の下で静かに笑った。「おい、無視するな!」とディストが叫ぶが、誰も反応しなかった。
「カイツールでどう待ち受けるか……ね。一度タルタロスに戻って検討しましょう」
リグレットが言い、ラルゴに視線を向ける。仕方ない、といった調子で彼は頷いてから、兵に向かって吼えるように命じた。
「伝令だ! 第一師団! 撤退!」
「了解!」
門を囲んでいた兵は素早く集合し、そして街道を去っていった。ただひとり、ディストを残して。
「きぃぃっ! 私が美と英知に優れているから嫉妬しているんですねーっ!」
ディストの叫び声は、妙な譜業椅子で飛び去りながら空の彼方へ消えていった。
「あれが六神将……。初めて見た」
「なあ、六神将って何なんだ?」
彼らがいなくなった後で、ガイがにわかに感嘆したように言うのを聞いて、ルークは首を傾げた。
「神託の盾の幹部六人のことです」とイオンが答える。ユニも彼らの存在についてはよく知らなかったが、軍人の間では有名であるようだ。
「でも五人しかいなかったな」
「『黒獅子ラルゴ』に『死神ディスト』だろ。『烈風のシンク』、『妖獣のアリエッタ』、『魔弾のリグレット』……と。いなかったのは『鮮血のアッシュ』だな」
「アッシュ……?」
ガイが指折り数えながら言うと、ユニが首を傾げた。その名にたいへんな聞き覚えがあったからだ。もしもその「鮮血のアッシュ」がユニの知っているアッシュならば、これからますます戦いづらくなってしまう。
「彼らはヴァン直属の部下よ」
「ヴァン師匠の!?」
しかしユニが「アッシュってどんな感じの人?」と尋ねる前に、ティアが言い放ち、ルークがしっかりそれに食いついた。
「六神将が動いているなら、戦争を起こそうとしているのはヴァンだわ」
「六神将は大詠師派ですから。モースがヴァンに命じているのでは?」
イオンが冷静に反論するが、ティアは心外だというように眉を寄せた。
「大詠師モースがそのようなことをなさるはずがありません。極秘任務のため詳しいことを話す訳にはいきませんが、あの方は平和のための任務を私にお任せ下さいました」
「ちょっと待てよ! ヴァン師匠だって、戦争を起こそうなんて考える訳ないって」
「兄ならやりかねないわ」
「なんだと! お前こそモースとかいう奴のスパイじゃねぇのか!?」
「ふ、二人とも、落ち着いて」
「そうだぜ。モースもヴァン謡将もどうでもいい。今は六神将の目をかい潜って戦争を食い止めるのが一番大事なことだろ」
目の前で喧嘩を始められたので困りながらユニが間に入ると、ガイも仲裁に加わった。彼の言う通りだった。ルークとティアは口を噤み、そしてお互いに視線を逸らした。
「……そうね。ごめんなさい」
「……ふん。師匠を悪く言う奴は認めねぇ」
「終わったみたいですねぇ。それでは神託の盾もいなくなったことですし、セントビナーへ入りましょう」
「あんた、いい性格してるなぁ」
ジェイドがにこやかに言うのを聞いて、ガイが呆れたように笑った。
セントビナーは、石造りの家々が建ち並び、道は石畳で舗装されていた。その道に沿って花壇も整備されている。美しい街だった。おかげでユニの興味はあちこちへ移り変わった。宿屋の裏手に大きな花畑が見えたので、思わず門扉の隙間から覗き込んだ。「ユニ、花は後でも見れますから」とジェイドに促されて花畑から目を離すと、またガイと目が合ったが、すぐに視線を逸らされた。
マルクト帝国セントビナー駐留軍基地に入る。六神将の話からすると、少し前にアニスもここへ立ち寄ったのだろう。しかし、通された執務室からは言い争う声が聞こえてきた。
「ですから、父上。神託の盾騎士団は建前上、預言士なのです。彼らの行動を制限するには陛下の勅命が……」
「黙らんか! 奴らの介入によってホド戦争がどれほど悲惨な戦争になったか、お前も知っとろうが!」
ノックをしても気付かないほどだった。その声を聞いて「中にいらっしゃるのはグレン・マクガヴァン将軍と、その父であるマクガヴァン元元帥です。礼儀正しくして下さいね」とジェイドが教えるが、その間も口論は続いていた。仕方なく、返事を待たずに扉を開けた。
「お取り込み中、失礼します」
ジェイドが声を掛けると、彼らはハッとしてようやく口を噤んだ。銀髪の若々しい男性と、白い髭をたっぷりと蓄えた背の低い老将だった。
「おお! ジェイド坊やか!」
「死霊使いジェイド……!」
二人は正反対の反応を見せた。老マクガヴァンは嬉しそうな声をあげたが、若い方のグレンは眉を寄せ、ジェイドたちの来訪をあまり歓迎していないようだった。
「ご無沙汰しています。マクガヴァン元帥」
「わしはもう退役したんじゃ。そんな風に呼んでくれるな。お前さんこそ、そろそろ昇進を受け入れたらどうかね。本当ならその若さで大将にまでなっているだろうに」
「どうでしょう。大佐で充分身に余ると思っていますが」
退役しているとはいえ元帥であった人と親しげに話すジェイドを見て、ルークとガイは顔を見合わせた。
「ジェイドって偉かったのか?」
「そうみたいだな」
「ふふ、ジェイドは強くて頭も良くて、すごいんだよ」
ユニが誇らしげに伝えると、ガイは「へえ」と言いながらジェイドに視線を戻した。
「そうだ。お前さんは陛下の幼なじみだったな。陛下に頼んで神託の盾騎士団を何とかしてくれんか」
「神託の盾騎士団なら、つい先ほど立ち去りましたよ。それに、彼らの狙いは私たちですので」
「どういうことじゃ?」
「陛下の勅命ですので、詳しいことはお話できないのですよ。すみません」
ここでわざとらしい咳払いが聞こえ、ユニたちはその方を向く。グレンが、渋い顔でジェイドを見ていた。
「カーティス大佐。御用向きは?」
どうやら、グレンとジェイドはあまりいい関係ではないようだ。この基地の責任者はグレンだったが、「礼儀正しくして下さいね」と言った本人は、グレンに話しかけるどころか挨拶すらしていなかった。
「ああ、失礼。ここを神託の盾の導師守護役が訪ねてきませんでしたか?」
「あれですか。既に街を出ましたが、手紙を残して行きました。……失礼ながら、念のため開封して中を確認させてもらいましたよ」
「結構ですよ。見られて困ることは書いていないはずですから」
グレンは乾いた笑いを浮かべて手紙を渡した。ジェイドは、目を通し終えるとそれをルークに回した。
「どうやら半分はあなた宛のようです。どうぞ」
「アニスの手紙だろ? イオンならともかく、なんでオレ宛なんだよ」
ひったくるように受け取って、ルークはめんどくさそうに、声に出してその文面を読んだ。
「『親愛なるジェイド大佐へ❤
すっごく怖い思いをしたけど何とかたどり着きました☆ 例の大事なものはちゃんと持っていま~す。誉めて誉めて♪ もうすぐ神託の盾がセントビナーを封鎖するそうなので、先に第二地点へ向かいますね❤
アニスの大好きな(恥ずかしい~☆ 告っちゃったよぅ❤)ルーク様はご無事ですか? すごーく心配しています。早くルーク様❤に逢いたいです☆ ついでにイオン様のこともよろしく。それではまた☆
アニスより』 ……目が滑る……」
「おいおいルークさんよ。モテモテじゃねぇか。でも程々にしとけよ。お前にはナタリア姫っていう婚約者がいるんだからな」
「冗談じゃねーや。あんなウザイ女……」
ルークは溜息をついて、手紙から顔をあげた。
「用件は済みましたので、私たちはこれで失礼します」
「そうして頂けると助かりますな、我々の活動に影響が出ますゆえ。神託の盾の狙いが大佐のご一行とは想像できませんでした。死霊使いジェイドが下手を打つとは、ピオニー陛下もさぞお嘆きでしょうに」
ジェイドが礼をすると、グレンが長々と皮肉を言った。自分の父親やピオニーに目をかけられているジェイドのことが気に食わないのが、ありありと伺えた。しかしその剥き出しの敵意をあえて煽るようなジェイドも、案外負けず嫌いというかなんというか。
「……第二地点というのは?」
「ここから南西にあるカイツールのことです。フーブラス橋を渡り、デオ峠を越えた場所にあります」
基地を出て広場まで来てから、ジェイドが説明する。
「ヴァン謡将はカイツールを拠点にしてルークを捜していたはずだ。そこまで行けば謡将と合流できるな」
ガイの言葉に「兄さんが……」とティアが小さく呟いた。するとガイはティアに一歩歩み寄り、とはいっても十分な距離があったが、穏やかに言い聞かせる。
「なあティア。何があったか知らないが、ヴァン謡将と兄妹なんだろ。バチカルの時みたいにいきなり斬り合うのは勘弁してくれよ」
「……分かってるわ」
その時、人ごみの中から駆けてきた少年がユニにぶつかった。驚いて「きゃ」と小さく声をあげると、少年は「ごめんなさい、お姉さん」と言ってきちんと礼をした。
「いえいえ、こちらこそ部下がすみません。怪我はありませんか?」
仰々しくジェイドが謝ってみせると、少年は興味津々な様子で、頭からつま先までを眺めた。
「おじさん、マルクトの軍人さん?」
「そうですよ」
「ならさ、死霊使いって知ってる?」
少年は嬉々として尋ねる。ユニたちは無言で成り行きを見守っていた。
「……ああ、知ってますねぇ」
「オレのひい爺ちゃんが言ってた。死霊使いは死んだ人を生き返らせる実験をしてるって」
「え……?」
その少年の言葉で、死霊使い以外の全員が表情を曇らせた。そして渦中の彼を見る。
「今度会ったら頼んどいてよ。キムラスカの奴らに殺されたオレの父ちゃんを生き返らせてくれって」
「そうですね。……伝えますよ」
「頼んだぞ! 男と男の約束だぞ」
少年はそう言うと、手を振って行ってしまった。
「大佐、すごいですの!」
少年が去った後で最初に口を開いたのはミュウだった。素直に驚き、褒めている。
「おいおい、勝手な噂に決まってるだろ」
ルークがミュウをあしらう。あたりまえだ。死んだ人間が生き返るはずがない。
「そうだよな。本当なら、オレが頼みたいぐらいだ」
「え、誰か亡くしたの……?」
聞こえてしまった呟きを流すわけにもいかず、ユニは恐る恐るガイに訊いた。
「一族郎党……な。ま、こんなご時世だ。そんな奴は大勢いるよ」
「そ、そっか……」
感情を抑えた声色と、碧い瞳に揺れる寂しさが胸に迫った。自分も両親がいないのだとは、なんとなく言い出せなかった。
「ティアだって両親がいないんだろ。ヴァン謡将から聞いてるぜ」
「え、ええ……」
次にその瞳はティアに向けられた。深い色だった。寂しさ、悲しみ、憎しみ、割り切れない混濁した想いを、飽きるほどに映してきたような。
「おーい、こんなのただの噂だろ、さっさと行こうぜ!」
ルークがそう言うとみんな顔をあげた。そして街の入り口へ歩き出す。
「……火のないところに煙は立ちませんがね」
「へ?」
歩き出そうとしたユニの耳に微かに聞こえたジェイドの呟き。後ろを振り返ると「いえ、なんでもありません」といつもの貼りつけたような笑顔で言われ、横を追い越された。
そうだ、どうせ二つ名から派生した根も葉もない噂だろう、と考えて再び歩き出そうとした。しかし、何かにくんっと引っ張られ、振り返る。そこには青白い顔をしたイオンがいて、今にも倒れそうになりながらユニの服の裾を掴んでいた。
「イオン様?」
「あの……わがままを言ってすみませんが、少し休ませてもらえませんか」
その声はひどく弱々しくつらそうだった。「あ、みんな、ちょっと待って!」と呼ぶと、彼らは足を止めてこちらを振り返った。ルークが駆け戻ってきたので、ユニは文句を言われる準備をした。しかし。
「なんだよ? お前、また顔色が悪いな」
「すみません……」
「手間のかかる奴だなぁ」
驚くユニを横目に、ルークは仲間たちの方を向いて「おーい、戻ろうぜ。宿に行こう」と言った。
「おや、案外優しいところがあるのですね」
「それがルークのいいところってやつさ。使用人にもお偉いさんにも分け隔てなく横暴なんだ」
ユニと同じ感想を口にしたジェイドは、物珍しそうにルークの方を見ていた。一方ガイは少し誇らしげに彼を評する。それは褒めているのか貶しているのかよくわからないものだったが、おそらく彼の声から察して前者だったのだろう。
ルークは世間に疎いせいもあり、相手の地位に関係なく対等に接し、自分の権力を振りかざすこともない。使用人のガイにも、世界中から崇められる導師イオンにも、彼はまったく同じように接していた。
結局、セントビナーの宿に一泊することになった。ベッドでしばらく眠っていたイオンが目を覚ましたので、ジェイドは全員をその一室に集めた。
「イオン様、横になりながら聞いてくださっていいのですよ?」
ジェイドが言うと彼は「平気です」と返した。半身を起しているイオンの顔色は、先ほどよりは良くなっているものの、やはり疲労が滲んでいた。
「それより、僕の為にカイツールへ行くのが遅れてすみません。六神将はカイツールで待ち受けると言っていましたから、彼らに準備の時間を与えることになってしまいました」
「別にいいよ。弱い奴に無理させたってしょうがねーからな」
「そうですね。まずは体力を回復させることが先決です。それに先日の野営でセントビナーへの到着が遅れたのが幸いして神託の盾は立ち去りましたし。休むのも大事ですので、今日はゆっくり休養しましょう」
柔らかい表情でジェイドが言うと、イオンも安心したように目を閉じた。そしてその横でルークが嬉しそうに伸びをするのだった。
「ふぅー、やっとまともなベッドで眠れるぜー」
「はは。ルークに野宿はきつかったか?」
「どうってことねー……って言いたいところだけど、やっぱベッドがいいわ」
「夜盗や魔物も出ないから、見張りの必要もないしな」
「ま、どんな奴らが襲ってきても余裕だけどな」
緊張感が消えたのか、ガイの前で、ルークはいつもの調子を取り戻していた。
「そうだなぁ。マルクトの死霊使いと皇帝世話係に、神託の盾の響長。それにローレライ教団の導師にキムラスカの公爵の息子。こんなメンバーだと、夜盗じゃなくても逃げ出すな」
「ガイも居ますしね」
イオンが言うと「いやいや、オレはただの使用人だって」とガイは笑った。
「ただの使用人、ですか……」
そう呟いて、ジェイドは静かに彼らを見つめる。
「そういえばイオン様。タルタロスから連れ出されていましたが、どちらへ?」
「……セフィロトです」
「セフィロト?」
「大地のフォンスロットの中で最も強力な十箇所のことよ」
「星のツボだな。記憶粒子(セルパーティクル)っていう惑星燃料が集中してて音素が集まりやすい場所だ」
「……し、知ってるよ。物知らずと思って立て続けに説明するな」
聞き返したそばからティアとガイにすらすらと解説されて、ルークは少し不機嫌そうに言った。
「その、セフィロトで何を?」
「……言えません。教団の機密事項です」
「そればっかだな。むかつくっつーの」
教団の機密事項、今まで何度か出てきた言葉だった。ルークが思ったことをそのまま口に出すと、イオンは顔を暗くした。
「すみません」
「う……」
話したくても仕方がないのだとルークにもわかったようで、悲しそうなイオンの声に少したじろぐ。
「そ、そうだ。ジェイド、お前は? 封印術って、体に影響はないのか?」
「ええ。身体能力が著しく低下していますよ。体内のフォンスロットを閉じられた訳ですから」
ジェイドの説明には、ルークは首を傾げるばかりだった。譜術を使ったことがないのでその感覚がわからないのかもしれない。
「なあ、それってどんな感じなんだ?」
「そうですね……全身に重りをつけて、海中散歩させられている感じ……ですかね。まあ、大丈夫ですよ」
「ちっとも大丈夫じゃねーじゃねぇか!」
深刻な話なのにジェイドがなんともないように言うので、ルークは思わず叫んだ。するとミュウが「ご主人様、優しいですの」と手を叩く。
「ち、ちげーよ! このおっさんにぶっ倒れられると迷惑だから……」
「照れるな照れるな」
「照れてねー!」
ガイがからかうと、さらに彼は顔を赤くした。最初はどうなることかと思ったが、ルークも少しずつジェイドに心を開いてきているようだ。
「ジェイド、全解除は難しいですか?」
「封印術は、一定時間で暗号が切り替わる鍵のようなものなんです。少しずつ解除してはいますが、もう少しかかりそうですね」
心配して尋ねるユニにはそう答えながら、しかしジェイドは周りを見渡して、少し笑った。
「まあ元の能力が違うので、多少の低下なら、戦闘力はみなさんと遜色ないかと」
「むかつく……」
ルークの言葉には「すみません。根が正直なもので」とおどけてみせた。
◇
「……それにしてもこの消耗。病弱というだけではないはず……。それに初めて会ったときの違和感は、やはり……」
静かに眠るイオンの横顔に視線を向ける。ばらばらだった考えが繋がり、この時ばかりは自分の勘の良さを呪いたくなるのだった。
「なぜ、今になってこんな……。鮮血のアッシュ……それにルーク……まさか、イオン様も、同じなのでは……?」