第2章(外殻大地編)
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39 なぜお前はわたしのもとを去ったのだ?
「ガイが女性恐怖症だということを、そのユニさんは知っていましたか?」
「ああ、知ってたさ」
「ではこのユニはやはり人違いですね」
セントビナーへ続く街道を歩きながら、女性陣から距離をとって歩くガイに、ジェイドが話しかけていた。
「いくら記憶力が悪くても、こんな面白い人間を忘れるなんてそうそう出来ませんよ」
「ぐっ……」
肩を竦めるジェイドに、ガイは反論することもできなかった。その様子を見てルークたちはのんびりと笑うのだった。後方に残してきたタルタロスを視界にいれないようにする為か、誰も後ろを振り向かなかった。
「でもガイさんみたいな人と会ったことあったら、絶対忘れないと思う」
その会話に、ユニも加わった。
「忘れない」と、あのユニも同じ声で言っていた。ガイの記憶の中で、重なり合ってどうしても離れない。
「……そうかい?」
「はい。えーと、えっと……こんな素敵な男の人は、初めてというか……」
「申し訳ありません。同行者がこのような老いぼれで」
「えっいや、別にジェイドのこと言ってる訳じゃないですから!」
息の合ったやり取りを見て、ガイは苦笑した。同じマルクト軍のようだし、互いに信頼しているのだろうと思った。あるいはそれ以上の関係なのかもしれない。そんな様子を見て溜息を一つ吐くたびに、「ユニ」との思い出が一つ消えていきそうな気がして、それをなんとか飲み込む。
「だからたぶん、ガイさんの知ってるユニさんは、やっぱりわたしじゃないと思いますよ」
「どうも、そうらしいね」
「残念だよ」と言った自分の声が本当に残念そうだったので、驚いた。ユニの方を見ると、彼女も「そうですね」と顔を傾けて少し寂しそうな顔をしてくれていた。違うとわかっているのにドキリとする。だってあまりにも、似すぎじゃないか。
「ほんとさ、オレはキミのことが、いやキミによく似た子のことが、可愛くて仕方なかったんだろうな。運命の再会かと思って嬉しかったんだけど」
「は、え……かわ……!? え、えっと……」
彼女は驚いたように目を見開いて、やや顔を赤くしていた。そんな初々しい様子に、なんだかこちらも呆けてしまいそうになった。
「……昔はこんなこと思わなかったけど、なんか照れるな。キミが大人っぽくなったせいかもな。あ、いや、悪い。そうじゃなかったんだが」
「あなた、女性恐怖症なのによくそんなことが言えるわね」
そう言ったのはティアだった。どうやら思い切り逃げられたことをまだ根にもっているらしい。
「わ、悪かったよ、ティア。オレはキミが嫌いなんじゃなくて、女性全般がだな……」
「ガイ、ほっとけよ。あいつはあーゆーツンケンしたやつなんだよ」
心底悪いと思って謝ろうとしたのに、ルークが軽い調子で遮った。もちろんティアは無言で、怒ったように歩調を早めた。ずんずんと地面を踏みつけるように歩き、ついには先頭にいたジェイドをも抜かしていった。「あ、ティア、待って」とユニは慌ててそれに追いつこうと駆けていく。
「あの二人は? ユニはマルクト人で、ティアは神託の盾だったよな」
ユニが追いついて一言二言交わすと、ティアの雰囲気が少し穏やかになったような気がした。ジェイドに尋ねると、彼は笑ってこちらを振り返った。
「実は彼女らは運命の再会を果たしたばかりのようでして。ユニとティアは過去に面識があったようですよ」
「え……それっていつ頃……」
「確か二年ほど前ですかね」
ということは、ガイが「ユニ」に出会った頃と大して変わらない。ティアのことを覚えていたのならば、彼女の記憶力にも問題はないようだが。
「ああ。そういえばユニはイオン様やアニス……六神将にも昔の知り合いがいたようですね」
「え、彼女、そんなに顔が広いのか」
しかし自分の知る「ユニ」は宮殿勤めの庭師で、何度もダアトへ旅行できるほど裕福には見えなかった。
(やっぱり違う、か……諦めるかな)
姿かたちは間違いなくあのユニだったが、どうもいろいろと一致しない。いまやガイの中には二人のユニが存在していた。あの庭で会ったユニと、今目の前にいるユニ。その二人は、見た目はそっくりだが、別人であると認めかけていた。また会おうと約束したのは、ここにいる彼女ではないのだと。
しかし、たった一つのことが、最初からずっと心の中でひっかかっていた。
(あの髪飾り、グランコクマで流行ってたのか……?)
◇
しばらく進んだところで、イオンが突然座り込んだ。どさり、という鈍い音にユニが振り返ると、すでにジェイドがイオンを抱え込んでいた。「イオン様!」とユニとティアが同時に叫んで、駆け戻る。
「イオン様。追手から逃げている時でしょうか、ダアト式譜術を使いましたね?」
「ダアト式譜術って、チーグルの森で使ってたアレか?」
青白い顔で弱々しく息を吐くイオンにジェイドが問うと、ルークが横から質問をした。ジェイドの代わりに「そう。あれのこと」とユニが答える。
イオンが倒れるのは、ユニが知る限りでは、ダアトから脱出する舟の上、チーグルの森、そして今回の三度であるが、そのどれも、ダアト式譜術を使った直後だった。
「すみません。僕の身体はダアト式譜術を使うようには出来ていなくて……」
イオンは、表情を歪めて申し訳なさそうに息を吐く。
「少し休憩しましょう。このままではイオン様の寿命を縮めかねません」
ジェイドの提案に全員が賛成し、街道の隅の木陰で一休みすることになった。
「……戦争を回避するための使者って訳か。でも何だってモースは戦争を起こしたがってるんだ?」
これまでのことを説明した後で、ガイは首を傾げて言った。すると「それはローレライ教団の機密事項に属しますので、申し訳ありませんがお話できません」と行儀よく正座したイオンがきっぱりと返す。少し休んだので、体調は良くなってきているようだ。
「なんだよ。けちくせぇ……」
「理由はどうあれ、戦争は回避すべきです。モースに邪魔はさせません」
文句を言うルークを諭すように、ジェイドがそう主張した。「ルークもえらくややこしいことに巻き込まれたなぁ……」とガイがぼやき、自身の腰にさしてある刀をゆるりと撫でた。ジェイドはそんな彼の様子を探るように見る。
「ガイは、キムラスカ人でしたね。ルークを捜しにここまで来たのですよね?」
「ああ。旦那様から命じられてな。マルクトの領土に消えてったのは分かってたから。オレは陸伝いにケセドニアから、グランツ閣下は海を渡ってカイツールから捜索してたんだ」
「ヴァン師匠も捜してくれてるのか!」
ふとガイの口からルークの大好きな師匠の名前が出ると、彼は顔を輝かせて喜んだ。ガイが現れた時以上に、嬉しそうだった。
「……兄さん」
チーグルの森でのことを思い出してティアの方を向くと、彼女はぽつりと呟いた。何があったのかはわからないが、思い詰めた表情だった。
「兄さん? 兄さんって……」と、ガイが不審そうに眉を寄せたその時だった。ガチャガチャと鎧がぶつかるような金属音が聞こえ、一同に緊張が走った。その足音は、かなり近くまで迫ってきていて、すでにユニたちを取り囲んでいた。
「やれやれ。ゆっくり話もできませんね」
ジェイドはそう言って手の中に槍を出現させる。確認せずとも、追ってくるのは神託の盾騎士団の者以外にありえなかった。ユニはイオンを守るように立ち、ぎゅっとロッドを握りしめる。
「に……人間……」
「ルーク、下がって! あなたじゃ人は斬れないでしょう!」
怯えるルークに、ティアが急いで声をかけた。しかし彼は立ちすくんだまま、動けずにいた。
「逃がすか!」
茂みから兵が現れ、ルークに向かって剣を突き出した。とっさに彼も剣を抜き、受け止める。そして、よほど修練を積んでいたのだろう、意外にも簡単に兵士を追い詰めていった。兵はバランスを崩し、倒れる。チャンスだった。しかしルークは動けなかった。「ルーク、とどめを!」とジェイドが槍で敵をなぎ倒しながら叫ぶが、彼の手は止まったまま。それを見ているユニもまた、足が凍ったように一歩も動けずにいた。
やっぱり、ルークに――わたしに――人を、殺せるわけがない。
「ボーッとすんな、ルーク!」
ガイが力任せに叫んだ声でユニもルークもはっとして正気に戻った。ルークは無我夢中で、勢いよく剣を振り上げた。ユニは目を瞑った。
しかし兵士の叫び声も、何も聞こえなかった。かわりにティアの「ルーク!」という声が耳をつんざき、ユニは目を開けた。ルークは剣を振り上げたままの格好で止まっていた。敵を、斬ることができなかったのだ。その隙に、起き上った兵士が剣を取り、ルークめがけて横薙ぎにした。もう一度ユニはぎゅっと目を瞑った。
再び目を開けたときには、倒れて腕から血を流すティアと、座り込んで呆然としているルーク、そしてガイに斬られた兵士がピクリとも動かず横たわっているだけだった。
ぱちぱちと音を立てて燃える焚き火をぼんやりと見つめている。隣にいるジェイドが「眠ってもいいですよ、ユニ」と言うのに適当に相槌を打って、目線を下げる。
日も落ちてきたので今日は街道で野営をすることになった。幸い、ティアの怪我はそこまでひどくなかった。ユニが治癒術をかけ、応急処置をした。「大丈夫だから」と言った彼女の目は、今まで見たこともないくらいに優しかった。
焚き火の向こうで、ルークとティアが話をしていた。話し声が少しだけ聞こえたが、かなり注意深く聞いていないと内容まではわからなかった。ユニは聴覚を手放し、ゆれる焚き火を見つめ続けた。
「……どうしました? 思い詰めた顔で」
上から降ってきた声に、ユニは少しだけ目を開けた。ぼやけた視界には蒼い軍服ばかりが映っていた。そして、栗色のさらりとした髪。意識が覚醒してくると、自分が今どういう体勢でいるのかがようやくわかった。
どうやら、ジェイドの肩を借りて眠ってしまっていたようだ。
「……ジェイドは、どうして軍人になったんだ?」
頭の上からルークの声が聞こえてきて、ユニは起きるタイミングを失ってしまった。今起きたら逆に恥ずかしいから、寝たふりをしよう、とまた瞼を閉じる。
「……人を殺すのが怖いですか?」
ジェイドは、質問に質問で返した。ルークは黙っていたが、そんなの怖いに決まっている、とユニは思った。そして、その「怖い」という感覚が薄れていったときのことを考えるのが、本当に怖いのだ。
「あなたの反応はまあ、当然だと思いますよ。軍人なんて仕事は、なるべくない方がいいんでしょうねぇ」
冗談のようにジェイドは言ったが、本気でそう思っているようにも聞こえた。
「オレは、どうしたらいいんだろう……」
「安心なさい。バチカルに着くまでちゃんと護衛してあげますよ。死なれては困りますから」
「バ……バカにするな!」
「バカになんてしていませんよ。逃げることや身を守ることは恥ではないんです。大人しく安全な街の中で暮らして、出かける時は傭兵を雇いなさい。普通の人々は皆そうやって暮らしているのですから」
こんな状況にいたから忘れてしまっていたけれど、ユニもルークも普通の民間人だった。軍人ではない。だから。だから? 敵から隠れて、仲間が戦っているのをただ見ているだけでいいのだろうか。みんなは「それでいい」と言うかもしれない。だけど自分は納得できないのだ。なぜ?
「ジェイドやティアの話は極端なものです。彼らは戦うことが仕事ですから」
ユニの横からイオンが言った。ぱちぱちと火の粉が飛び散る音がはっきり聞こえる、静かな夜だった。
「あなたは民間人です。こういうことを目の当たりにして、戸惑ったり悩むのも仕方のないことだと思いますよ」
「イオンは……自分の部下が人を殺したりするのって嫌じゃねえのか? お前、人を救うのが仕事なんだろ」
「……仕方がありません。残念ながら、今のローレライ教団は人を生かすための宗教ではなくなってきているんです。……いずれ、分かると思います」
イオンは悲しそうに言った。彼ですらどうにもならないこともある。戦わなければ、殺さなければ、こちらが死ぬ。そうしなければ生きていけない。
「ルーク、キツかっただろ。突然外に放り出されたんだもんな」
考え込んで沈黙しているルークに、ガイが話しかけた。まるで兄のように優しく、心から案じてくれていると思える声だった。どういうわけかみんなが集まってきてしまい、いよいよユニは寝たふりに徹するしかなくなった。
「オレ……知らなかった。街の外がこんなにやばいとこだったなんて」
「そうだな。街にはいないけどな、魔物と盗賊は、倒せば報奨金が出ることもある。だから街の外での人斬りは、私怨と立証されない限り罪にはならないんだ」
ルークが「それも初めて知った」という感じで溜息をついた後で、少し寂しそうに訊く。
「……ガイ、今までどれぐらい斬った?」
「さぁな。軍人の旦那よりは少ないだろうよ」
「おやー、それは光栄ですね」
ガイがはぐらかすように言うと、ジェイドも冗談で返した。
「……みんな、怖くないのか……?」
だが、ルークにはそんな余裕などない。
「怖いさ。怖いから戦うんだ。死にたくないからな。オレには、まだやることがある」
「やること……?」
「……復讐」
「へ?」
「……なんて、な。さーて、見回りにでも行ってくるか」
思わず顔を上げそうになったがユニは堪えた。一瞬だけ聞こえたガイの呟きに、恐ろしいほどの闇があったからだ。彼を追って、ルークも去っていく。二人分の足音がだんだん遠ざかる。イオンも「ティアと少し話をしてきます」と言って立ちあがり、焚き火の向こうへ歩いて行った。ぱちぱち。火の粉があがる。
結局、ジェイドとふたりきりになった。
「……ユニ」
「!」
「いつまで寝たフリをしているのですか」
「……ご、ごめんなさいっ」
声をかけられて、ユニは勢いよくジェイドから離れた。焚き火のせいかわからないが、顔が熱い。「そんなに私の肩は寝心地がよかったのですか」と訊かれたが、無視して顔を逸らした。
「……ジェイド」
「なんでしょう」
「わたしも、殺さなくちゃいけないんでしょうか」
「……私からそう命令されたら殺しますか?」
また質問に質問で返す。しかも意地の悪い質問だった。ユニは身体を丸めるように座り、腕の間に顔をうずめた。
「……命令してくれた方がラクですよ」
「それもそうですね」
ジェイドは呆れたように言ったが、その声は優しいものだった。
「自分の意思でここまでついてきたとはいえ、あなたには預言もありましたね。巻き込まれたという点で、立場はルークと変わらない。あなたもただの民間人です。……しかし、人を殺せる譜術を使える。私としては、私の封印術が解けるまでは、私の代わりとなって戦って欲しいのですよ。あぁ。これは命令ではありませんので、聞かなくても結構ですが」
「……ジェイドはなんでこういう時だけ甘いんですか」
いっそのこと「殺せ」と言って欲しかった。自分の手による殺戮を全部ジェイドに押しつけられたらどんなに楽だろうか。だけどユニがそんなことを出来るはずがないのを、ジェイドもわかっているのだろう。他人から言われて人を殺すなんて出来ない。彼のせいになんてもっと出来ない。だから自分の意思で人を殺すという選択肢しか、結局のところ残されていなかった。
「……わたしも、戦います。次は殺します」
「おや」
「怖いことを言いますね」と返すジェイドは、今度は笑ってはいなかった。
「イオン様やみんなを守らなくちゃいけませんから」
「出来ますか? ユニ」
「ジェイドが役に立たないんじゃ、わたしがやるしかないじゃないですか」
「大きく出ましたねぇ」
口ではなんとでも言えた。だけどきっとその光景を前にしたら、震えが止まらないだろう。それでも。
「こうなったのは私の責任もありますから、私も一緒に背負いましょう。ユニ、それなら大丈夫ですね?」
「ジェイドは……やっぱり甘いですよ」
全部見抜いたうえで、彼はそう言った。甘やかしてくれるのも、きっとユニがそこまで強くないとわかっているから。支えていないと、付け焼刃の決心も覚悟も、なにもかも折れてしまいそうで、心配なのだろう。だけどそう言ってくれたことで、ユニの心はずっと強くなった。この人の役に立ちたい、相手を殺してでも守りたい、そう思えるほどに。
ユニは溜息をついて、もう一度彼に寄りかかった。
「ユニ。ガイのことは本当に覚えていないのですか?」
「え? えっと……格好いい人だなとは思いましたけど。本当に、覚えていない、ですけど」
突然に話題が移ったのでユニは首を傾げた。しかも先ほど真剣な話をしていたときよりも一段と低く小さな声だ。
「……そうですか。あなたも案外面食いなんですね」
「えっ、そういうことじゃっ、客観的に思っただけでっ」
「それは結構ですけれど。ガイが私の肩で眠っているユニをずっと見ていたものでしてね、困りましたよ。相当執着があるようですから、一応、気をつけて下さい」
「ちょっと、ジェイド。ガイはそんな人じゃ……」と言った後でユニは口をつぐんだ。ガイのことなんてなにひとつ知らないのに、何を言ってるんだ。
「ガイが女性恐怖症だということを、そのユニさんは知っていましたか?」
「ああ、知ってたさ」
「ではこのユニはやはり人違いですね」
セントビナーへ続く街道を歩きながら、女性陣から距離をとって歩くガイに、ジェイドが話しかけていた。
「いくら記憶力が悪くても、こんな面白い人間を忘れるなんてそうそう出来ませんよ」
「ぐっ……」
肩を竦めるジェイドに、ガイは反論することもできなかった。その様子を見てルークたちはのんびりと笑うのだった。後方に残してきたタルタロスを視界にいれないようにする為か、誰も後ろを振り向かなかった。
「でもガイさんみたいな人と会ったことあったら、絶対忘れないと思う」
その会話に、ユニも加わった。
「忘れない」と、あのユニも同じ声で言っていた。ガイの記憶の中で、重なり合ってどうしても離れない。
「……そうかい?」
「はい。えーと、えっと……こんな素敵な男の人は、初めてというか……」
「申し訳ありません。同行者がこのような老いぼれで」
「えっいや、別にジェイドのこと言ってる訳じゃないですから!」
息の合ったやり取りを見て、ガイは苦笑した。同じマルクト軍のようだし、互いに信頼しているのだろうと思った。あるいはそれ以上の関係なのかもしれない。そんな様子を見て溜息を一つ吐くたびに、「ユニ」との思い出が一つ消えていきそうな気がして、それをなんとか飲み込む。
「だからたぶん、ガイさんの知ってるユニさんは、やっぱりわたしじゃないと思いますよ」
「どうも、そうらしいね」
「残念だよ」と言った自分の声が本当に残念そうだったので、驚いた。ユニの方を見ると、彼女も「そうですね」と顔を傾けて少し寂しそうな顔をしてくれていた。違うとわかっているのにドキリとする。だってあまりにも、似すぎじゃないか。
「ほんとさ、オレはキミのことが、いやキミによく似た子のことが、可愛くて仕方なかったんだろうな。運命の再会かと思って嬉しかったんだけど」
「は、え……かわ……!? え、えっと……」
彼女は驚いたように目を見開いて、やや顔を赤くしていた。そんな初々しい様子に、なんだかこちらも呆けてしまいそうになった。
「……昔はこんなこと思わなかったけど、なんか照れるな。キミが大人っぽくなったせいかもな。あ、いや、悪い。そうじゃなかったんだが」
「あなた、女性恐怖症なのによくそんなことが言えるわね」
そう言ったのはティアだった。どうやら思い切り逃げられたことをまだ根にもっているらしい。
「わ、悪かったよ、ティア。オレはキミが嫌いなんじゃなくて、女性全般がだな……」
「ガイ、ほっとけよ。あいつはあーゆーツンケンしたやつなんだよ」
心底悪いと思って謝ろうとしたのに、ルークが軽い調子で遮った。もちろんティアは無言で、怒ったように歩調を早めた。ずんずんと地面を踏みつけるように歩き、ついには先頭にいたジェイドをも抜かしていった。「あ、ティア、待って」とユニは慌ててそれに追いつこうと駆けていく。
「あの二人は? ユニはマルクト人で、ティアは神託の盾だったよな」
ユニが追いついて一言二言交わすと、ティアの雰囲気が少し穏やかになったような気がした。ジェイドに尋ねると、彼は笑ってこちらを振り返った。
「実は彼女らは運命の再会を果たしたばかりのようでして。ユニとティアは過去に面識があったようですよ」
「え……それっていつ頃……」
「確か二年ほど前ですかね」
ということは、ガイが「ユニ」に出会った頃と大して変わらない。ティアのことを覚えていたのならば、彼女の記憶力にも問題はないようだが。
「ああ。そういえばユニはイオン様やアニス……六神将にも昔の知り合いがいたようですね」
「え、彼女、そんなに顔が広いのか」
しかし自分の知る「ユニ」は宮殿勤めの庭師で、何度もダアトへ旅行できるほど裕福には見えなかった。
(やっぱり違う、か……諦めるかな)
姿かたちは間違いなくあのユニだったが、どうもいろいろと一致しない。いまやガイの中には二人のユニが存在していた。あの庭で会ったユニと、今目の前にいるユニ。その二人は、見た目はそっくりだが、別人であると認めかけていた。また会おうと約束したのは、ここにいる彼女ではないのだと。
しかし、たった一つのことが、最初からずっと心の中でひっかかっていた。
(あの髪飾り、グランコクマで流行ってたのか……?)
◇
しばらく進んだところで、イオンが突然座り込んだ。どさり、という鈍い音にユニが振り返ると、すでにジェイドがイオンを抱え込んでいた。「イオン様!」とユニとティアが同時に叫んで、駆け戻る。
「イオン様。追手から逃げている時でしょうか、ダアト式譜術を使いましたね?」
「ダアト式譜術って、チーグルの森で使ってたアレか?」
青白い顔で弱々しく息を吐くイオンにジェイドが問うと、ルークが横から質問をした。ジェイドの代わりに「そう。あれのこと」とユニが答える。
イオンが倒れるのは、ユニが知る限りでは、ダアトから脱出する舟の上、チーグルの森、そして今回の三度であるが、そのどれも、ダアト式譜術を使った直後だった。
「すみません。僕の身体はダアト式譜術を使うようには出来ていなくて……」
イオンは、表情を歪めて申し訳なさそうに息を吐く。
「少し休憩しましょう。このままではイオン様の寿命を縮めかねません」
ジェイドの提案に全員が賛成し、街道の隅の木陰で一休みすることになった。
「……戦争を回避するための使者って訳か。でも何だってモースは戦争を起こしたがってるんだ?」
これまでのことを説明した後で、ガイは首を傾げて言った。すると「それはローレライ教団の機密事項に属しますので、申し訳ありませんがお話できません」と行儀よく正座したイオンがきっぱりと返す。少し休んだので、体調は良くなってきているようだ。
「なんだよ。けちくせぇ……」
「理由はどうあれ、戦争は回避すべきです。モースに邪魔はさせません」
文句を言うルークを諭すように、ジェイドがそう主張した。「ルークもえらくややこしいことに巻き込まれたなぁ……」とガイがぼやき、自身の腰にさしてある刀をゆるりと撫でた。ジェイドはそんな彼の様子を探るように見る。
「ガイは、キムラスカ人でしたね。ルークを捜しにここまで来たのですよね?」
「ああ。旦那様から命じられてな。マルクトの領土に消えてったのは分かってたから。オレは陸伝いにケセドニアから、グランツ閣下は海を渡ってカイツールから捜索してたんだ」
「ヴァン師匠も捜してくれてるのか!」
ふとガイの口からルークの大好きな師匠の名前が出ると、彼は顔を輝かせて喜んだ。ガイが現れた時以上に、嬉しそうだった。
「……兄さん」
チーグルの森でのことを思い出してティアの方を向くと、彼女はぽつりと呟いた。何があったのかはわからないが、思い詰めた表情だった。
「兄さん? 兄さんって……」と、ガイが不審そうに眉を寄せたその時だった。ガチャガチャと鎧がぶつかるような金属音が聞こえ、一同に緊張が走った。その足音は、かなり近くまで迫ってきていて、すでにユニたちを取り囲んでいた。
「やれやれ。ゆっくり話もできませんね」
ジェイドはそう言って手の中に槍を出現させる。確認せずとも、追ってくるのは神託の盾騎士団の者以外にありえなかった。ユニはイオンを守るように立ち、ぎゅっとロッドを握りしめる。
「に……人間……」
「ルーク、下がって! あなたじゃ人は斬れないでしょう!」
怯えるルークに、ティアが急いで声をかけた。しかし彼は立ちすくんだまま、動けずにいた。
「逃がすか!」
茂みから兵が現れ、ルークに向かって剣を突き出した。とっさに彼も剣を抜き、受け止める。そして、よほど修練を積んでいたのだろう、意外にも簡単に兵士を追い詰めていった。兵はバランスを崩し、倒れる。チャンスだった。しかしルークは動けなかった。「ルーク、とどめを!」とジェイドが槍で敵をなぎ倒しながら叫ぶが、彼の手は止まったまま。それを見ているユニもまた、足が凍ったように一歩も動けずにいた。
やっぱり、ルークに――わたしに――人を、殺せるわけがない。
「ボーッとすんな、ルーク!」
ガイが力任せに叫んだ声でユニもルークもはっとして正気に戻った。ルークは無我夢中で、勢いよく剣を振り上げた。ユニは目を瞑った。
しかし兵士の叫び声も、何も聞こえなかった。かわりにティアの「ルーク!」という声が耳をつんざき、ユニは目を開けた。ルークは剣を振り上げたままの格好で止まっていた。敵を、斬ることができなかったのだ。その隙に、起き上った兵士が剣を取り、ルークめがけて横薙ぎにした。もう一度ユニはぎゅっと目を瞑った。
再び目を開けたときには、倒れて腕から血を流すティアと、座り込んで呆然としているルーク、そしてガイに斬られた兵士がピクリとも動かず横たわっているだけだった。
ぱちぱちと音を立てて燃える焚き火をぼんやりと見つめている。隣にいるジェイドが「眠ってもいいですよ、ユニ」と言うのに適当に相槌を打って、目線を下げる。
日も落ちてきたので今日は街道で野営をすることになった。幸い、ティアの怪我はそこまでひどくなかった。ユニが治癒術をかけ、応急処置をした。「大丈夫だから」と言った彼女の目は、今まで見たこともないくらいに優しかった。
焚き火の向こうで、ルークとティアが話をしていた。話し声が少しだけ聞こえたが、かなり注意深く聞いていないと内容まではわからなかった。ユニは聴覚を手放し、ゆれる焚き火を見つめ続けた。
「……どうしました? 思い詰めた顔で」
上から降ってきた声に、ユニは少しだけ目を開けた。ぼやけた視界には蒼い軍服ばかりが映っていた。そして、栗色のさらりとした髪。意識が覚醒してくると、自分が今どういう体勢でいるのかがようやくわかった。
どうやら、ジェイドの肩を借りて眠ってしまっていたようだ。
「……ジェイドは、どうして軍人になったんだ?」
頭の上からルークの声が聞こえてきて、ユニは起きるタイミングを失ってしまった。今起きたら逆に恥ずかしいから、寝たふりをしよう、とまた瞼を閉じる。
「……人を殺すのが怖いですか?」
ジェイドは、質問に質問で返した。ルークは黙っていたが、そんなの怖いに決まっている、とユニは思った。そして、その「怖い」という感覚が薄れていったときのことを考えるのが、本当に怖いのだ。
「あなたの反応はまあ、当然だと思いますよ。軍人なんて仕事は、なるべくない方がいいんでしょうねぇ」
冗談のようにジェイドは言ったが、本気でそう思っているようにも聞こえた。
「オレは、どうしたらいいんだろう……」
「安心なさい。バチカルに着くまでちゃんと護衛してあげますよ。死なれては困りますから」
「バ……バカにするな!」
「バカになんてしていませんよ。逃げることや身を守ることは恥ではないんです。大人しく安全な街の中で暮らして、出かける時は傭兵を雇いなさい。普通の人々は皆そうやって暮らしているのですから」
こんな状況にいたから忘れてしまっていたけれど、ユニもルークも普通の民間人だった。軍人ではない。だから。だから? 敵から隠れて、仲間が戦っているのをただ見ているだけでいいのだろうか。みんなは「それでいい」と言うかもしれない。だけど自分は納得できないのだ。なぜ?
「ジェイドやティアの話は極端なものです。彼らは戦うことが仕事ですから」
ユニの横からイオンが言った。ぱちぱちと火の粉が飛び散る音がはっきり聞こえる、静かな夜だった。
「あなたは民間人です。こういうことを目の当たりにして、戸惑ったり悩むのも仕方のないことだと思いますよ」
「イオンは……自分の部下が人を殺したりするのって嫌じゃねえのか? お前、人を救うのが仕事なんだろ」
「……仕方がありません。残念ながら、今のローレライ教団は人を生かすための宗教ではなくなってきているんです。……いずれ、分かると思います」
イオンは悲しそうに言った。彼ですらどうにもならないこともある。戦わなければ、殺さなければ、こちらが死ぬ。そうしなければ生きていけない。
「ルーク、キツかっただろ。突然外に放り出されたんだもんな」
考え込んで沈黙しているルークに、ガイが話しかけた。まるで兄のように優しく、心から案じてくれていると思える声だった。どういうわけかみんなが集まってきてしまい、いよいよユニは寝たふりに徹するしかなくなった。
「オレ……知らなかった。街の外がこんなにやばいとこだったなんて」
「そうだな。街にはいないけどな、魔物と盗賊は、倒せば報奨金が出ることもある。だから街の外での人斬りは、私怨と立証されない限り罪にはならないんだ」
ルークが「それも初めて知った」という感じで溜息をついた後で、少し寂しそうに訊く。
「……ガイ、今までどれぐらい斬った?」
「さぁな。軍人の旦那よりは少ないだろうよ」
「おやー、それは光栄ですね」
ガイがはぐらかすように言うと、ジェイドも冗談で返した。
「……みんな、怖くないのか……?」
だが、ルークにはそんな余裕などない。
「怖いさ。怖いから戦うんだ。死にたくないからな。オレには、まだやることがある」
「やること……?」
「……復讐」
「へ?」
「……なんて、な。さーて、見回りにでも行ってくるか」
思わず顔を上げそうになったがユニは堪えた。一瞬だけ聞こえたガイの呟きに、恐ろしいほどの闇があったからだ。彼を追って、ルークも去っていく。二人分の足音がだんだん遠ざかる。イオンも「ティアと少し話をしてきます」と言って立ちあがり、焚き火の向こうへ歩いて行った。ぱちぱち。火の粉があがる。
結局、ジェイドとふたりきりになった。
「……ユニ」
「!」
「いつまで寝たフリをしているのですか」
「……ご、ごめんなさいっ」
声をかけられて、ユニは勢いよくジェイドから離れた。焚き火のせいかわからないが、顔が熱い。「そんなに私の肩は寝心地がよかったのですか」と訊かれたが、無視して顔を逸らした。
「……ジェイド」
「なんでしょう」
「わたしも、殺さなくちゃいけないんでしょうか」
「……私からそう命令されたら殺しますか?」
また質問に質問で返す。しかも意地の悪い質問だった。ユニは身体を丸めるように座り、腕の間に顔をうずめた。
「……命令してくれた方がラクですよ」
「それもそうですね」
ジェイドは呆れたように言ったが、その声は優しいものだった。
「自分の意思でここまでついてきたとはいえ、あなたには預言もありましたね。巻き込まれたという点で、立場はルークと変わらない。あなたもただの民間人です。……しかし、人を殺せる譜術を使える。私としては、私の封印術が解けるまでは、私の代わりとなって戦って欲しいのですよ。あぁ。これは命令ではありませんので、聞かなくても結構ですが」
「……ジェイドはなんでこういう時だけ甘いんですか」
いっそのこと「殺せ」と言って欲しかった。自分の手による殺戮を全部ジェイドに押しつけられたらどんなに楽だろうか。だけどユニがそんなことを出来るはずがないのを、ジェイドもわかっているのだろう。他人から言われて人を殺すなんて出来ない。彼のせいになんてもっと出来ない。だから自分の意思で人を殺すという選択肢しか、結局のところ残されていなかった。
「……わたしも、戦います。次は殺します」
「おや」
「怖いことを言いますね」と返すジェイドは、今度は笑ってはいなかった。
「イオン様やみんなを守らなくちゃいけませんから」
「出来ますか? ユニ」
「ジェイドが役に立たないんじゃ、わたしがやるしかないじゃないですか」
「大きく出ましたねぇ」
口ではなんとでも言えた。だけどきっとその光景を前にしたら、震えが止まらないだろう。それでも。
「こうなったのは私の責任もありますから、私も一緒に背負いましょう。ユニ、それなら大丈夫ですね?」
「ジェイドは……やっぱり甘いですよ」
全部見抜いたうえで、彼はそう言った。甘やかしてくれるのも、きっとユニがそこまで強くないとわかっているから。支えていないと、付け焼刃の決心も覚悟も、なにもかも折れてしまいそうで、心配なのだろう。だけどそう言ってくれたことで、ユニの心はずっと強くなった。この人の役に立ちたい、相手を殺してでも守りたい、そう思えるほどに。
ユニは溜息をついて、もう一度彼に寄りかかった。
「ユニ。ガイのことは本当に覚えていないのですか?」
「え? えっと……格好いい人だなとは思いましたけど。本当に、覚えていない、ですけど」
突然に話題が移ったのでユニは首を傾げた。しかも先ほど真剣な話をしていたときよりも一段と低く小さな声だ。
「……そうですか。あなたも案外面食いなんですね」
「えっ、そういうことじゃっ、客観的に思っただけでっ」
「それは結構ですけれど。ガイが私の肩で眠っているユニをずっと見ていたものでしてね、困りましたよ。相当執着があるようですから、一応、気をつけて下さい」
「ちょっと、ジェイド。ガイはそんな人じゃ……」と言った後でユニは口をつぐんだ。ガイのことなんてなにひとつ知らないのに、何を言ってるんだ。