第2章(外殻大地編)
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38 絶望の逃走
「こんな、複雑な構造にしたのは、どこの誰よっ」
非常停止した際に隔壁がいくつも落とされたようで、かなり回り道をさせられてしまった。
神託の盾騎士団はタルタロスの内部構造を入手していたのかもしれないが、さすがに非常時下でどこに隔壁が落とされるかまでは知り得なかっただろう。ユニもそれに関してはあやふやな記憶しかなかったが、何も知らないよりは遥かに楽に迷路を抜けられた。確かそこの角を曲がればもう左舷昇降口だ。
「……! ジェイド!」
「ユニ! 無事でしたか」
外を覗く小さな窓に集まるように、ジェイド、ティア、ルークの三人がいた。ユニはほっとして、肩の力を抜く。しかしジェイドからすぐに「イオン様とアニスは」と訊かれ、また表情を強張らせねばならなかった。
「あの、脱出口の手前で六神将のシンクに会いました」
「シンク? 彼まで来ているの!?」
ティアが驚いて眉を寄せた。聞けば、ラルゴ、シンクの他にも六神将が乗り込んできたらしい。彼らも本気でイオンを奪い返しにきているようだが、果たしてここまでするものだろうか……?
「で、イオン様とアニスは、タルタロス後方の森に逃げました」
「そうですか。しかしどうやらイオン様は捕まってしまったみたいですよ」
「え……!?」
ジェイドに促され、ユニは小窓から外を覗いた。そこには数人の神託の盾兵と、拘束されるイオンの姿があった。アニスは――いない。
「そ、そんな……」
「とにかく、イオン様を取り返さないと」
強い声色で言ったティアに目をやると、その向こうに、さっきから一言も喋らないルークと、彼の手のひらが見えた。強引に拭きとったように擦れていたが、血が付いていた。
「……ルーク」
「ん、なんだよ」
「……ご、ごめん、なんでもない」
殺したんだろうか、とユニはなんとなく考えた。
ルークは公爵家の子息だ。人など殺したことはなかっただろう。ジェイドがラルゴを刺したとき、見開かれた彼の目をユニは一瞬だけ見た。あれは、そういう者の目だった。
(でも、ルークは戦ったんだ)
嫌だったろう。怖かったに決まっている。チーグルの森であれだけ傲慢な態度をとっていた彼が、今はひどく緊張しているようだった。この状況下で、覚悟を決めたのかもしれない。次も殺さねばならない、と。
(まただ、またわたしだけ)
ぎゅ、とロッドを強く握った。怖いという気持ちを振り切るように。もう戻れないのだと理解するように。
イオンを連れた兵たちが、金髪の女性を先頭にして昇降口に近付いてきていた。
「ユニ、念のため言っておきますが、先ほどラルゴから受けた封印術のおかげで、今の私はかなり弱体化しています。譜術はあなたより使えないと思います」
「え、ええ、ええぇ!?」
「身体能力も同様に低下しています。全身に重りをつけて、海中散歩をさせられている感じですね。なので、とりあえず譜術の方は任せましたよ、ユニ」
「えぇ……嘘でしょ、ジェイド……」
このタイミングでこんなことを知らせるなんて、ジェイドも人が悪い。しかしユニがいつも通りジェイドを当てにしてしまわないよう、はっきり言ってくれてよかったのかもしれない。
「セコい譜術しか使えないんだとよ」
「大佐は少しずつ封印術を解除しているのよ。そんな言い方、最低だわ」
「構いませんよ。事実ですから」
ルークが文句を言うと、ティアがさっと睨みつけた。そんな二人の様子がまるで当然であるかのように、ジェイドは朗らかに笑う。ルークとティアは相変わらず仲が良くないみたいだが、とにかく、やるしかなさそうだ。ユニの額を汗が伝った。
「わ、わかりました。ジェイド、指示をお願いします」
「非常昇降口を開け」
「了解」
金髪の女性が命じると、兵士は機械的に返事をし、艦に駆け寄った。レバーを操作すると、昇降口から階段が伸びた。その階段を駆け登り、彼は扉の開閉スイッチを押す。勢いよく扉が左右に開いた、その瞬間。
「……!?」
「おらぁ! 火ぃ出せぇっ!」
「みゅうううう!」
扉の向こうには、ミュウを抱えたルークが待ち構えていた。言われるがまま、ミュウが勢いよく炎を吐き出す。突然火炎放射を浴びた兵士は、逃げるように階段を転げ落ちていった。それを見て、金髪の女性は素早く二挺の譜銃を構える。しかし既にその頭上には、槍を構えたジェイドが飛び掛っていた。
だが、女性は恐ろしいほどの速さでその場を飛びのいた。ジェイドの投げつけた槍が、何もない地面に突き刺さる。着地するジェイドめがけて女性はすかさず銃を構えた。しかしその足元に、光の譜陣が浮かび上がり、彼女は顔色を変えたのだった。
「狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイク!」
ユニの声よりも早く、またも女性は素早い判断で飛び退った。しかしその体勢を崩した一瞬のあとで、ジェイドの槍の先が喉元にぴたりと突き付けられていた。
「当てなくてもいいですから」とジェイドに指示された通り、ユニは敵のタイミングを狂わせることだけに集中していた。これだけのことなのに、心臓が煩い。緊張と成功した嬉しさで、どきどきし続けている。女性は動きを止めて、目線だけを動かしてジェイドを見た。
「流石ジェイド・カーティス。譜術を封じても侮れないな」
「お褒めいただいて光栄です。さあ、武器を棄てなさい」
言われるまま、女性は大人しく譜銃を放った。それと同時にユニも階段を駆け下りながら、譜術を唱え、イオンから兵士を遠ざけさせた。ルークはミュウで別の兵士を殴りつけている。
「ティア、譜歌を!」
女性からは目を離さずに、ジェイドが命じる。ティアは階段を数歩おり、そして譜歌を歌おうと息を吸った。しかし場を見渡すようにしていた視線が急に止まり、彼女は目を見開いた。金髪の女性も、「ティア……? ティア・グランツか……!」と狼狽した様子で呻る。
「リグレット教官!?」
「……ティア! うしろっ!」
驚いて動きを止めたティアの背後に、すっと黒い影が現れた。ユニが叫ぶと同時にそれはティアに襲いかかった。ライガだった。間一髪のところでティアは鋭い爪から逃れたが、その一瞬の隙に、リグレットはジェイドの槍を蹴りあげて身を翻し、再びイオンを人質にとってこちらに銃を構えた。威嚇するように数発が放たれ、ジェイドとティアの動きが止まる。なんとかしようと詠唱を始めたユニだったが、倒れていた兵士が起き上りその剣を突きつけてきたので、口を閉じて両手を挙げた。
「ご主人様、囲まれたですの……」
ミュウが震える声でルークに訴えると、「わかってるっつーの!」とイライラした声でルークが応えた。
ライガとそれに乗った少女が、こちらへ降りてきた。少女は唇を噛みながら小さな声で「イオン様……」と呟く。その後で、ふとユニと目が合った。お互いが同時に目を丸くした。
「……ユニ?」
「え、アリエッ……」
「アリエッタ! タルタロスはどうなった?」
リグレットと呼ばれた女性が鋭く言い放つと、アリエッタは一瞬びくりと肩を震わせて、ユニから視線を逸らした。そしてライガから下りてたどたどしく口を開く。その手には人形が握り締められていた。
「制御不能のまま……。このコが隔壁、引き裂いてくれて、ここまで来れた……」
「よくやったわ。彼らを拘束して……」
ライガがのそりと動き出そうとした――その時だった。リグレットの遥か頭上で何かが煌めいた。
ユニは眩しさに目を細めるが、その点のような煌めきはどんどん大きくなった。
人だ。驚きで何も言えず、ただその光が落ちてくるのをみつめていると、視界の端でジェイドが微かに笑みを浮かべた。
リグレットが反応するより速く、その人影は落下の勢いのままに彼女に襲いかかった。さすがの彼女も不意をつかれて衝撃とともに倒れる。その隙に彼はイオンを脇に抱えてこちらへ走った。すぐにリグレットは銃を撃ったが、彼は剣を振るって全弾はじいてみせた。
すべてが一瞬の出来事だった。
十分な間合いをとると、彼は余裕の笑みで「ガイ様、華麗に参上」と付け加えた。
「うちの坊ちゃんを探しに来てみりゃなんの騒ぎだ、こりゃあ。とりあえずみんなまとめて返してもらうぜ」
「きゃっ……」
同時に小さな悲鳴が聞こえた。ジェイドがアリエッタを槍で抑え込んだのだ。彼女自身は非力な少女に過ぎないのだろう、身動きがとれず、目を潤ませている。
「形成逆転ですね。さあ、武器を棄てて、タルタロスの中へ戻ってもらいましょうか」
「……フン、もう一人いたのか。仕方ない」
リグレットは潔く武器を棄て、タルタロスの中へ入っていく。他の兵士たちも、それに続いた。
「さあ、最後はあなたです。魔物を連れてタルタロスへ」
ジェイドはアリエッタを抑えていた手を離し、優しい声色で言った。アリエッタは数歩、頼りなげに歩き、そして怯えた目でイオンを見つめた。
「イオン様……。あの……あの……」
「言うことを聞いて下さい、アリエッタ」
「……」
彼女は何度もイオンを振り返りながら、ライガを連れてタルタロスの中へ戻っていった。そして最後にユニをちらりと見た。その口元が「なんで」と、本当に微かに動いたような気がした。
強制的に扉を閉じた後で「暫くは、全ての昇降口が開かない筈です」とジェイドが言った。するとルークは、全身で大きく息を吐き出した。
「ふぅ、助かった……。ガイ! よく来てくれたな!」
「やー、捜したぜぇ。こんな所にいやがるとはなー。なんだか大変なことになってたみたいだな。ルーク」
「ああ。ったく、屋敷を出てからロクな事がねーぜ」
「はっはっは。屋敷を出てから大冒険! ってか?」
「あのな。笑い事じゃねーっての……」
突然空から現れた金髪の青年は、どうやらルークを探していたようだ。ユニは、二人の会話を少し羨ましく思いながら眺めた。気の合う男友達の朗らかな雰囲気。実際、ルークは彼が来てから随分といきいきしていた。
「イオン様、お怪我はありませんか。アニスはどうしました?」
その横で、ジェイドがイオンに近付いて訊く。ルークたちとは違ってこちらは空気が重かった。
「逃げ込んだ森で追手に追われ、はぐれてしまったんです……。親書もアニスが持っています。無事でいてくれるといいのですが……」
「彼女も優れた人形士(パペッター)です。信じましょう」
心配そうに俯いたイオンを勇気付けるようにジェイドは言い、そして皆を見回した。
「アニスとは、もしもの時の合流地点を決めてあります。そこへ向かいながら態勢を整えましょう」
「セントビナーですね」
「ええ」
「アニスですから、きっとしぶとく生きてくれていますよね……」
ジェイドたちと別れたときにアニスに聞いた「セントビナー」という街のことを考えながら、ユニは言った。確か、樹齢二千年といわれる大樹の聳える街――
喋り終わった時、ふいに視線に気付いてユニはそちらへ目を向けた。そこには、空から降ってきた青年がいた。ルークと会話しながらも、なんだか落ち着かない様子でちらちらとユニを見ている。
「おい、なんだよガイ、そわそわして」
「いや、その、なんだ……あの子が……」
「ユニがどうかしましたか?」
「ユニ!!」
彼は周りにいたルークやジェイドを押しのけるようにして一歩前に出ると、大きな声でユニの名前を呼んだ。それがあまりにも突然だったので、ユニはひどく驚いてしまった。ジェイドの「ユニ」という言葉を待っていたかのように、彼は反射的にその名を呼んだのだ。
「ユニだろ、やっぱり!」
彼は嬉しそうに顔を輝かせた。ルークもジェイドもぽかんとしている。
「久しぶりだな。二、三年ぶりか? 元気にしてたか? 随分大人っぽくなったなぁ。あの時は本当に世話になって、ありがとうな。……あ、ユニ……? オ、オレだよ。ガイ、だけど……」
彼のきらきらした笑顔と声は、いつの間にか不安そうな調子に変わっていた。最後は単語毎に元気がなくなる。
ユニが、あまりにも無反応だったからだ。
「……はあ、えっと、ガイさん……どこかでお会いしましたか……?」
ユニは目を丸くしたまま、ぱちぱちと瞬かせる。
失礼だと思ったが、本当に、彼のことは少しも記憶になかったのだ。それにルークの知り合いということは、キムラスカの人間だ。ユニが知っている筈もない。
「おやユニ、わからないのですか?」
「は、はい……すみません……」
ジェイドに話しかけられたところで、ユニはガイから視線を逸らした。みるみるうちに意気消沈していく彼の表情は見ていられなかった。
「その……悪い。人違いだったみたいだな」
「あ、あの……ところで、あなたは……」
会話が一段落したところでイオンが口を開き、一同の視線が金髪の青年へと注がれた。ユニは申し訳なくなって体を縮こまらせる。
彼は一歩進み出ると「そういや、自己紹介がまだだっけな」と少し立ち直った様子で、親指で自らを指してさわやかに言った。
「オレはガイ。ファブレ公爵のところでお世話になってる使用人だ」
「ローレライ教団、導師のイオンです」と、イオンはガイに近付いて笑顔で握手をした。続いて、ジェイドも名乗りながら彼と握手を交わす。初対面だが、身分も実力も問題ないと感じているようだ。
「あの、はじめまして……でいいですか? ガイさん」
「あ、あぁ。さっきはすまなかったね」
それに倣い、ユニもガイの前に立った。彼は困ったように笑ったが、ユニにはどうしようもなかった。
「ピオニー陛下お世話係のユニです。これからよろしくおねがいしま」
「ひっ!」
せめてもの償いと思って満面の笑みで彼に手を差し出した筈だった。なのに、なぜかガイは悲鳴をあげて後ろへ飛び退いた。
「……へ?」
全員が目を丸くすると、ルークが盛大に溜息をつく。
「ガイは女嫌いなんだ」
「……というよりは女性恐怖症のようですねぇ」
ガイの怯えっぷりを見て、ジェイドが訂正した。おそらくその表現が正しいのだろうけど。
「わ、悪い。キミがどうって訳じゃなくて、その……」
だが、理由はあれど思いきり拒絶されたのだ。手を差し出したまま泣きそうになっているユニを見てガイはあたふたと弁解していたが、「すみません……」と小さく言ってユニは手を引っ込めた。すると今度はティアがユニの横に立ち、彼に手を差し伸べる。
「神託の盾騎士団のティアよ。私のことは女だと思わなくていいわ」
「……」
しかし彼は無言で一歩下がっただけだった。ティアが一歩近付く。ガイが一歩下がる。それを数回繰り返した後でついにガクガクと震え始めたガイを見て、ティアは頭を抱えた。
「……本当なのね。分かったわ。不用意にあなたに近付かないようにする。それでいいわね」
「すまない……」
ティアが距離をとると、ようやく、ガイは情けない声を出して謝った。
「そろそろ行きましょう。いつまでもここにいては危険です」
息を吐いて、ジェイドが言った。そこでユニははっとして、タルタロスに背を向けた彼に詰め寄った。
「ジェイド、兵のみんなは? まだ中に何人か……」
「生き残りがいるとは思えません。証人を残しては、ローレライ教団とマルクトの間で紛争になりますから」
「行きましょう。私たちが捕まったら、もっとたくさんの人が戦争で亡くなるんだから……」
ティアがユニの肩に手を置いて、厳しい声で促した。進むしかなかった。どんなに取り零しても、それを取り戻すための後戻りは出来なかった。来た道は、もうすでに崩れているのだから。
「こんな、複雑な構造にしたのは、どこの誰よっ」
非常停止した際に隔壁がいくつも落とされたようで、かなり回り道をさせられてしまった。
神託の盾騎士団はタルタロスの内部構造を入手していたのかもしれないが、さすがに非常時下でどこに隔壁が落とされるかまでは知り得なかっただろう。ユニもそれに関してはあやふやな記憶しかなかったが、何も知らないよりは遥かに楽に迷路を抜けられた。確かそこの角を曲がればもう左舷昇降口だ。
「……! ジェイド!」
「ユニ! 無事でしたか」
外を覗く小さな窓に集まるように、ジェイド、ティア、ルークの三人がいた。ユニはほっとして、肩の力を抜く。しかしジェイドからすぐに「イオン様とアニスは」と訊かれ、また表情を強張らせねばならなかった。
「あの、脱出口の手前で六神将のシンクに会いました」
「シンク? 彼まで来ているの!?」
ティアが驚いて眉を寄せた。聞けば、ラルゴ、シンクの他にも六神将が乗り込んできたらしい。彼らも本気でイオンを奪い返しにきているようだが、果たしてここまでするものだろうか……?
「で、イオン様とアニスは、タルタロス後方の森に逃げました」
「そうですか。しかしどうやらイオン様は捕まってしまったみたいですよ」
「え……!?」
ジェイドに促され、ユニは小窓から外を覗いた。そこには数人の神託の盾兵と、拘束されるイオンの姿があった。アニスは――いない。
「そ、そんな……」
「とにかく、イオン様を取り返さないと」
強い声色で言ったティアに目をやると、その向こうに、さっきから一言も喋らないルークと、彼の手のひらが見えた。強引に拭きとったように擦れていたが、血が付いていた。
「……ルーク」
「ん、なんだよ」
「……ご、ごめん、なんでもない」
殺したんだろうか、とユニはなんとなく考えた。
ルークは公爵家の子息だ。人など殺したことはなかっただろう。ジェイドがラルゴを刺したとき、見開かれた彼の目をユニは一瞬だけ見た。あれは、そういう者の目だった。
(でも、ルークは戦ったんだ)
嫌だったろう。怖かったに決まっている。チーグルの森であれだけ傲慢な態度をとっていた彼が、今はひどく緊張しているようだった。この状況下で、覚悟を決めたのかもしれない。次も殺さねばならない、と。
(まただ、またわたしだけ)
ぎゅ、とロッドを強く握った。怖いという気持ちを振り切るように。もう戻れないのだと理解するように。
イオンを連れた兵たちが、金髪の女性を先頭にして昇降口に近付いてきていた。
「ユニ、念のため言っておきますが、先ほどラルゴから受けた封印術のおかげで、今の私はかなり弱体化しています。譜術はあなたより使えないと思います」
「え、ええ、ええぇ!?」
「身体能力も同様に低下しています。全身に重りをつけて、海中散歩をさせられている感じですね。なので、とりあえず譜術の方は任せましたよ、ユニ」
「えぇ……嘘でしょ、ジェイド……」
このタイミングでこんなことを知らせるなんて、ジェイドも人が悪い。しかしユニがいつも通りジェイドを当てにしてしまわないよう、はっきり言ってくれてよかったのかもしれない。
「セコい譜術しか使えないんだとよ」
「大佐は少しずつ封印術を解除しているのよ。そんな言い方、最低だわ」
「構いませんよ。事実ですから」
ルークが文句を言うと、ティアがさっと睨みつけた。そんな二人の様子がまるで当然であるかのように、ジェイドは朗らかに笑う。ルークとティアは相変わらず仲が良くないみたいだが、とにかく、やるしかなさそうだ。ユニの額を汗が伝った。
「わ、わかりました。ジェイド、指示をお願いします」
「非常昇降口を開け」
「了解」
金髪の女性が命じると、兵士は機械的に返事をし、艦に駆け寄った。レバーを操作すると、昇降口から階段が伸びた。その階段を駆け登り、彼は扉の開閉スイッチを押す。勢いよく扉が左右に開いた、その瞬間。
「……!?」
「おらぁ! 火ぃ出せぇっ!」
「みゅうううう!」
扉の向こうには、ミュウを抱えたルークが待ち構えていた。言われるがまま、ミュウが勢いよく炎を吐き出す。突然火炎放射を浴びた兵士は、逃げるように階段を転げ落ちていった。それを見て、金髪の女性は素早く二挺の譜銃を構える。しかし既にその頭上には、槍を構えたジェイドが飛び掛っていた。
だが、女性は恐ろしいほどの速さでその場を飛びのいた。ジェイドの投げつけた槍が、何もない地面に突き刺さる。着地するジェイドめがけて女性はすかさず銃を構えた。しかしその足元に、光の譜陣が浮かび上がり、彼女は顔色を変えたのだった。
「狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイク!」
ユニの声よりも早く、またも女性は素早い判断で飛び退った。しかしその体勢を崩した一瞬のあとで、ジェイドの槍の先が喉元にぴたりと突き付けられていた。
「当てなくてもいいですから」とジェイドに指示された通り、ユニは敵のタイミングを狂わせることだけに集中していた。これだけのことなのに、心臓が煩い。緊張と成功した嬉しさで、どきどきし続けている。女性は動きを止めて、目線だけを動かしてジェイドを見た。
「流石ジェイド・カーティス。譜術を封じても侮れないな」
「お褒めいただいて光栄です。さあ、武器を棄てなさい」
言われるまま、女性は大人しく譜銃を放った。それと同時にユニも階段を駆け下りながら、譜術を唱え、イオンから兵士を遠ざけさせた。ルークはミュウで別の兵士を殴りつけている。
「ティア、譜歌を!」
女性からは目を離さずに、ジェイドが命じる。ティアは階段を数歩おり、そして譜歌を歌おうと息を吸った。しかし場を見渡すようにしていた視線が急に止まり、彼女は目を見開いた。金髪の女性も、「ティア……? ティア・グランツか……!」と狼狽した様子で呻る。
「リグレット教官!?」
「……ティア! うしろっ!」
驚いて動きを止めたティアの背後に、すっと黒い影が現れた。ユニが叫ぶと同時にそれはティアに襲いかかった。ライガだった。間一髪のところでティアは鋭い爪から逃れたが、その一瞬の隙に、リグレットはジェイドの槍を蹴りあげて身を翻し、再びイオンを人質にとってこちらに銃を構えた。威嚇するように数発が放たれ、ジェイドとティアの動きが止まる。なんとかしようと詠唱を始めたユニだったが、倒れていた兵士が起き上りその剣を突きつけてきたので、口を閉じて両手を挙げた。
「ご主人様、囲まれたですの……」
ミュウが震える声でルークに訴えると、「わかってるっつーの!」とイライラした声でルークが応えた。
ライガとそれに乗った少女が、こちらへ降りてきた。少女は唇を噛みながら小さな声で「イオン様……」と呟く。その後で、ふとユニと目が合った。お互いが同時に目を丸くした。
「……ユニ?」
「え、アリエッ……」
「アリエッタ! タルタロスはどうなった?」
リグレットと呼ばれた女性が鋭く言い放つと、アリエッタは一瞬びくりと肩を震わせて、ユニから視線を逸らした。そしてライガから下りてたどたどしく口を開く。その手には人形が握り締められていた。
「制御不能のまま……。このコが隔壁、引き裂いてくれて、ここまで来れた……」
「よくやったわ。彼らを拘束して……」
ライガがのそりと動き出そうとした――その時だった。リグレットの遥か頭上で何かが煌めいた。
ユニは眩しさに目を細めるが、その点のような煌めきはどんどん大きくなった。
人だ。驚きで何も言えず、ただその光が落ちてくるのをみつめていると、視界の端でジェイドが微かに笑みを浮かべた。
リグレットが反応するより速く、その人影は落下の勢いのままに彼女に襲いかかった。さすがの彼女も不意をつかれて衝撃とともに倒れる。その隙に彼はイオンを脇に抱えてこちらへ走った。すぐにリグレットは銃を撃ったが、彼は剣を振るって全弾はじいてみせた。
すべてが一瞬の出来事だった。
十分な間合いをとると、彼は余裕の笑みで「ガイ様、華麗に参上」と付け加えた。
「うちの坊ちゃんを探しに来てみりゃなんの騒ぎだ、こりゃあ。とりあえずみんなまとめて返してもらうぜ」
「きゃっ……」
同時に小さな悲鳴が聞こえた。ジェイドがアリエッタを槍で抑え込んだのだ。彼女自身は非力な少女に過ぎないのだろう、身動きがとれず、目を潤ませている。
「形成逆転ですね。さあ、武器を棄てて、タルタロスの中へ戻ってもらいましょうか」
「……フン、もう一人いたのか。仕方ない」
リグレットは潔く武器を棄て、タルタロスの中へ入っていく。他の兵士たちも、それに続いた。
「さあ、最後はあなたです。魔物を連れてタルタロスへ」
ジェイドはアリエッタを抑えていた手を離し、優しい声色で言った。アリエッタは数歩、頼りなげに歩き、そして怯えた目でイオンを見つめた。
「イオン様……。あの……あの……」
「言うことを聞いて下さい、アリエッタ」
「……」
彼女は何度もイオンを振り返りながら、ライガを連れてタルタロスの中へ戻っていった。そして最後にユニをちらりと見た。その口元が「なんで」と、本当に微かに動いたような気がした。
強制的に扉を閉じた後で「暫くは、全ての昇降口が開かない筈です」とジェイドが言った。するとルークは、全身で大きく息を吐き出した。
「ふぅ、助かった……。ガイ! よく来てくれたな!」
「やー、捜したぜぇ。こんな所にいやがるとはなー。なんだか大変なことになってたみたいだな。ルーク」
「ああ。ったく、屋敷を出てからロクな事がねーぜ」
「はっはっは。屋敷を出てから大冒険! ってか?」
「あのな。笑い事じゃねーっての……」
突然空から現れた金髪の青年は、どうやらルークを探していたようだ。ユニは、二人の会話を少し羨ましく思いながら眺めた。気の合う男友達の朗らかな雰囲気。実際、ルークは彼が来てから随分といきいきしていた。
「イオン様、お怪我はありませんか。アニスはどうしました?」
その横で、ジェイドがイオンに近付いて訊く。ルークたちとは違ってこちらは空気が重かった。
「逃げ込んだ森で追手に追われ、はぐれてしまったんです……。親書もアニスが持っています。無事でいてくれるといいのですが……」
「彼女も優れた人形士(パペッター)です。信じましょう」
心配そうに俯いたイオンを勇気付けるようにジェイドは言い、そして皆を見回した。
「アニスとは、もしもの時の合流地点を決めてあります。そこへ向かいながら態勢を整えましょう」
「セントビナーですね」
「ええ」
「アニスですから、きっとしぶとく生きてくれていますよね……」
ジェイドたちと別れたときにアニスに聞いた「セントビナー」という街のことを考えながら、ユニは言った。確か、樹齢二千年といわれる大樹の聳える街――
喋り終わった時、ふいに視線に気付いてユニはそちらへ目を向けた。そこには、空から降ってきた青年がいた。ルークと会話しながらも、なんだか落ち着かない様子でちらちらとユニを見ている。
「おい、なんだよガイ、そわそわして」
「いや、その、なんだ……あの子が……」
「ユニがどうかしましたか?」
「ユニ!!」
彼は周りにいたルークやジェイドを押しのけるようにして一歩前に出ると、大きな声でユニの名前を呼んだ。それがあまりにも突然だったので、ユニはひどく驚いてしまった。ジェイドの「ユニ」という言葉を待っていたかのように、彼は反射的にその名を呼んだのだ。
「ユニだろ、やっぱり!」
彼は嬉しそうに顔を輝かせた。ルークもジェイドもぽかんとしている。
「久しぶりだな。二、三年ぶりか? 元気にしてたか? 随分大人っぽくなったなぁ。あの時は本当に世話になって、ありがとうな。……あ、ユニ……? オ、オレだよ。ガイ、だけど……」
彼のきらきらした笑顔と声は、いつの間にか不安そうな調子に変わっていた。最後は単語毎に元気がなくなる。
ユニが、あまりにも無反応だったからだ。
「……はあ、えっと、ガイさん……どこかでお会いしましたか……?」
ユニは目を丸くしたまま、ぱちぱちと瞬かせる。
失礼だと思ったが、本当に、彼のことは少しも記憶になかったのだ。それにルークの知り合いということは、キムラスカの人間だ。ユニが知っている筈もない。
「おやユニ、わからないのですか?」
「は、はい……すみません……」
ジェイドに話しかけられたところで、ユニはガイから視線を逸らした。みるみるうちに意気消沈していく彼の表情は見ていられなかった。
「その……悪い。人違いだったみたいだな」
「あ、あの……ところで、あなたは……」
会話が一段落したところでイオンが口を開き、一同の視線が金髪の青年へと注がれた。ユニは申し訳なくなって体を縮こまらせる。
彼は一歩進み出ると「そういや、自己紹介がまだだっけな」と少し立ち直った様子で、親指で自らを指してさわやかに言った。
「オレはガイ。ファブレ公爵のところでお世話になってる使用人だ」
「ローレライ教団、導師のイオンです」と、イオンはガイに近付いて笑顔で握手をした。続いて、ジェイドも名乗りながら彼と握手を交わす。初対面だが、身分も実力も問題ないと感じているようだ。
「あの、はじめまして……でいいですか? ガイさん」
「あ、あぁ。さっきはすまなかったね」
それに倣い、ユニもガイの前に立った。彼は困ったように笑ったが、ユニにはどうしようもなかった。
「ピオニー陛下お世話係のユニです。これからよろしくおねがいしま」
「ひっ!」
せめてもの償いと思って満面の笑みで彼に手を差し出した筈だった。なのに、なぜかガイは悲鳴をあげて後ろへ飛び退いた。
「……へ?」
全員が目を丸くすると、ルークが盛大に溜息をつく。
「ガイは女嫌いなんだ」
「……というよりは女性恐怖症のようですねぇ」
ガイの怯えっぷりを見て、ジェイドが訂正した。おそらくその表現が正しいのだろうけど。
「わ、悪い。キミがどうって訳じゃなくて、その……」
だが、理由はあれど思いきり拒絶されたのだ。手を差し出したまま泣きそうになっているユニを見てガイはあたふたと弁解していたが、「すみません……」と小さく言ってユニは手を引っ込めた。すると今度はティアがユニの横に立ち、彼に手を差し伸べる。
「神託の盾騎士団のティアよ。私のことは女だと思わなくていいわ」
「……」
しかし彼は無言で一歩下がっただけだった。ティアが一歩近付く。ガイが一歩下がる。それを数回繰り返した後でついにガクガクと震え始めたガイを見て、ティアは頭を抱えた。
「……本当なのね。分かったわ。不用意にあなたに近付かないようにする。それでいいわね」
「すまない……」
ティアが距離をとると、ようやく、ガイは情けない声を出して謝った。
「そろそろ行きましょう。いつまでもここにいては危険です」
息を吐いて、ジェイドが言った。そこでユニははっとして、タルタロスに背を向けた彼に詰め寄った。
「ジェイド、兵のみんなは? まだ中に何人か……」
「生き残りがいるとは思えません。証人を残しては、ローレライ教団とマルクトの間で紛争になりますから」
「行きましょう。私たちが捕まったら、もっとたくさんの人が戦争で亡くなるんだから……」
ティアがユニの肩に手を置いて、厳しい声で促した。進むしかなかった。どんなに取り零しても、それを取り戻すための後戻りは出来なかった。来た道は、もうすでに崩れているのだから。