第2章(外殻大地編)
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36 来る年も来る年もむなしく
ジェイドがてきぱきと兵に指示を出すのをただ見ているだけだったユニは、彼の後ろについてタルタロスに乗り込みながら、ぼんやりとグランコクマに思いを馳せていた。
作戦はまた一歩成功へ近付いた。ピオニーが議会を押し切って完成させた親書が、ユニたちがチーグルの森へ行っている間に、届いたのだ。
(陛下、ひとりで大丈夫でしょうか……って、平気に決まってるよね。わたしじゃあるまいし)
彼は今日も仕事から逃げて宮殿を走り回っているだろうか。ブウサギは元気だろうか。部屋は誰が片付けてくれているんだろうか。ユニの心はまだグランコクマに残されたままのようだった。世界は異常なくらいのスピードで回り始めている。そのことは、渦中にいるから嫌でもよくわかっていた。
先に進めていないのは、ユニだけなのかもしれない。
低い動力音が足元から伝わる。部屋に入り、拘束を解かれたルークとティアは並んでテーブルに着かされる。
彼らの前には、ジェイドを先頭に、アニス、イオン、ユニが立ち並び、部屋の入り口を塞ぐように兵が立っている。何が起こってもいいように、いつでも戦えるようにしておきなさい、とジェイドに言われていた。
作戦はうまくいっているが、だからこそもう戻れない、そして神託の盾騎士団もそろそろ追いついてくる頃であった。
「正体不明の第七音素の超振動はキムラスカ・ランバルディア王国王都方面から発生。マルクト帝国領土タタル渓谷付近にて収束しました。……超振動を起こしたのがあなた方ならば、不正に国境を越えマルクト帝国領内に侵入したことになりますねぇ」
「へっ、ねちねちイヤミな奴だな」
「へへ~、イヤミだってぇ、大佐」
「傷つきましたねぇ」
この期に及んで踏ん反り返って悪態をつくルークも、おかしそうに笑うアニスも、その冗談に乗るジェイドも、どれもユニは気が知れなかった。この余裕はどこからくるのだろうか。
「ま、それはさておき。ティアが神託の盾騎士団の人間だということはわかりました。ではルーク。あなたのフルネームは?」
「……ルーク・フォン・ファブレ。お前らが誘拐に失敗したルーク様だよ」
ルークが少しの沈黙の後で答えると、マルクト兵やジェイドに驚きが広がった。ユニもぴくりと眉を動かす。知らないわけがないのだ。
「ファブレって……」
「キムラスカ王室と姻戚関係にあるファブレ公爵のご子息のようですね」
「公爵」という単語をジェイドが発したとき、瞬時にアニスが目を輝かせた。しかし、事態は当初考えていたよりずっと複雑なようだ。
「敵国の王室関係者と神託の盾騎士団の人間が共謀しての不正入国――ただの観光とは考えにくいですね。それに誘拐とは? 穏やかではありませんが」
「知るかよ。お前らマルクトの連中がオレを誘拐したんだろ」
「……ジェイド?」
ユニは眉を寄せてジェイドへ視線を移した。どういうことだろう。話が見えない。アニスは「おかねもち……」とぶつぶつ呟いていて、この話題にはまったく興味がなさそうだ。
「……少なくとも私は知りません。先帝時代のことでしょうか」
「ふん、こっちだって知るか。おかげでガキの頃の記憶がなくなっちまったんだから」
「……」
先ほどから喋り続けていたジェイドが突然黙り込んだ。ユニが不審に思って彼を覗き込むと、俯いた横顔が「誘拐、記憶喪失……まさか……」と唇を動かしているのが見えた。その一瞬のあと、すぐに顔をあげて、ジェイドはルークをその赤い眼で見据えた。
「? なんだよ」
「……いえ、お気になさらず。それより今回のあなた方の行動は……」
「大佐! 今回の件は偶然発生した超振動で私たち二人が飛ばされてきてしまっただけです。ファブレ公爵家によるマルクトへの敵対行動ではありません。もちろん神託の盾騎士団も無関係です」
ジェイドの話を遮るように、ティアが勢いよく立ちあがり、そこまで一息で言い切った。「大佐。ティアの言う通りでしょう。彼らに敵意は感じられません」とイオンも支持したので、ジェイドは仕方ないといった調子で眼鏡を押し上げた。
「……まあ、そのようですね。とくにご子息の方は温室育ちのようで、世界情勢には疎いようですし?」
「悪かったな!」
一言多いのはジェイドの癖のようなものなので、ルークには受け流して欲しいところだったが。
急に、イオンが何かひらめいたようで「ここはむしろルークたちに協力をお願いしませんか?」と言い出した。ルークはそれを聞いて目を丸くしたが、こちら側は「その手があったか」と頷き合ったのだった。
「……我々は、マルクト帝国皇帝ピオニー九世陛下の勅命によって、キムラスカ王国へ向かっています」
「え? まさか、宣戦布告……?」
ジェイドがそう切り出すと、ティアははっとして目を見開いた。
「宣戦布告って……戦争が始まるのか!?」
「逆ですよぅ、ルーク様ぁ。戦争を止めるために私たちが動いてるんです」
同じく青ざめたルークを安心させるように、くねくねしながらアニスが言うと、ジェイドが「アニス。不用意に喋ってはいけませんね」と窘めた。
「ことは国家機密です。説明してなおご協力いただけない場合、あなた方を軟禁しなければなりません。ですからその前に決心していただかなければ。少し相談する時間を設けましょう。信じられると思えたら力を貸して欲しいのです――戦争を起こさせないために」
「ジェイド。大丈夫でしょうか、ティアたち……」
ジェイドと二人で甲板に出て、風を浴びた。陸地を走行しているので、景色は海のそれよりも目まぐるしく変化していく。
「さぁ、知りませんよ。あなたの方が彼らと長くいたのですから、よく知っているのではないのですか?」
「そうかもですけど……」
曖昧に答えて、ユニは溜息をついた。チーグルの森を一緒に探検したとはいえ、実際のところ、偶然の事故だとしても、彼らがどういう目的でここにいるのか、どういう人物なのか、何もわかっていなかった。ティアは確かに昔からの友人である。しかし彼女自身の話についてはあまり触れた記憶がない。
「でもジェイド。二人が協力してくれないのなら説明するにしろしないにしろ、どうせ軟禁するんですから、別に時間をあげなくてもよかったんじゃないですか? 協力を強要した方が早かったんじゃないですか?」
「強要されたことを喜んでやってくれる人がいたら大助かりですからねぇ」
迅速に作戦を進めてきたジェイドにしては寛大だと思ってユニは訊いたのだが、彼は風で前に流れる髪を耳にかけながら、微笑むのだった。
「説明を聞かず軟禁されるか、説明を聞いてそれに反対し軟禁されるか、または賛同し協力するか。確かに、実際彼らに選べる選択肢は『協力する』ということしかありません。しかし選択肢が一つであろうと、それを選ぶのは彼らです。いいですかユニ。周りからの説得、圧力があったとしても、最終的には『自分で選んだ』という行為こそが大事なのです。人は他人から押し付けられたことには逆らうものですが、自分で考えて選んだことには従うように出来ている」
「う~ん……ジェイドはやっぱり怖いなあ」
階段を下りて行くユニの背に向かって「あなたもその手にひっかかってグランコクマを出てきたんじゃありませんか?」とジェイドは呟いた。
もちろんルークたちの答えは「とりあえず説明を聞く」というものだった。先ほどと同じく席に着いたルークとティアに向かって、ジェイドとイオンが口を開く。
「昨今局地的な小競り合いが頻発しています。ホド戦争が休戦してからまだ十五年しか経っていませんが、このままでは再び本格的な全面戦争へと発展するのも時間の問題でしょう」
「そこでマルクト帝国ピオニー九世陛下は、平和条約締結を提案した親書を送ることにしたのです。僕はローレライ教団最高指導者という中立の立場から、協力を要請されました。僕たちは、和平の使者として戦争を止めるためキムラスカ王国へ向かっています」
「とはいえ我々は敵国の兵士です。いくら和平の使者といっても、すんなり国境を越えるのは難しい。……そこであなたにお願いがあるのです、ルーク。あなたの力……いえ、その地位は今の我々にとって非常に好都合。その権力をお貸しいただきたいのですが」
ルークは、ユニが知る限りで最も腹立たしげな表情をして舌打ちをする。ジェイドの言葉は、あえて彼を怒らせているかのようだった。
「……おいおい、おっさん。その言い方はねぇだろ。だいたい、人にものを頼むときは頭下げるのが礼儀じゃねーの?」
「ルークよしなさい。あなただって戦争が起きるのは嫌でしょう」
「うるせーな黙ってろよ!」
激昂したルークは、ティアの制止も振り切り、テーブルを叩いて立ち上がった。誰も口を開かず、椅子がガタガタと倒れる激しい音だけが部屋に響く。
「やれやれ」
皆が見守る中、ジェイドは溜息をつきながら肩を竦めた。そしてスッと片膝をつき、軍人とは思えない優雅な動作で恭しく礼をした。「ジェイド」「師団長!」と、イオンや部下の兵士が驚いて声をあげる。
「どうか、お力をお貸しください。ルーク様」
「……あんた、プライドねぇなあ」
「生憎と、この程度のことに腹を立てるような安っぽいプライドは持ち合わせていないものですから」
それでもまだ口は減らないものの、ジェイドは頭を下げ続けていた。ユニやイオンたちがハラハラしながらルークに目を向けると、彼もさすがにたじろぐ。
「分かったよ。伯父上――国王に取りなせばいいんだろ」
「ありがとうございます! ルーク様」
彼が了承すると同時にジェイドはすっくと立ち上がった。これにはルークをはじめとした全員が「いい性格してんなアンタ」と言いたくなっていた。
「あと、呼び捨てでいいよ。キモイな」
「分かりました。ルーク、様。そうと決まれば急ぎましょう。ぐずぐずしていては大詠師派の邪魔が入ります」
「大詠師派? そういえばどうしてイオンは行方不明って事になってんだ? ヴァン師匠はこいつを捜しに行ったんだぜ」
素朴な疑問、というようにルークは首を傾げたが、ティアやジェイドたちの目付きが変わった。その視線がイオンに集まる。
「それはローレライ教団の内部事情が影響しているんです。お恥ずかしい話ですが、ローレライ教団は、導師を中心とする改革的な導師派と、大詠師モースを中心とする保守的な大詠師派とで派閥抗争が起きているんです。今回、僕はマルクト軍の力を借りて、モースの軟禁から逃げ出してきました。モースは戦争が起きるのを望んでいるんです」
「導師イオン! 何かの間違いです。モース様は預言の成就だけを祈っておられます。戦争など望んでいるはずありません!」
モースの話になったところで、ティアが慌てて反論した。するとアニスが急にジト目になり、頬を膨らませてティアを眺めた。教団内部の抗争については詳しくないが、単純な話ではないようだ。
「ティアさんは大詠師派なんですね。ショックですぅ」
ぶーぶー言うアニスの声に、ティアは目を泳がせて「わ、私は中立よ。ユリアの預言も大切だけど、イオン様の意向も大事だわ……」と言葉を濁す。
「おーい! サッパリ話が見えねーんだけど……」
その時だった。何の前触れもなく突然、けたたましい警報音が鳴り響いた。身の毛もよだつような不穏な音色に、ユニは血の気がひいていくのを感じた。
――何かが、起きた。ジェイドが壁に取り付けてある伝令管へ走り、その先へ呼びかけていた。それ以外は、その場にいた全員が呼吸すら止めていた。
「艦橋! どうした!?」
「師団長! 敵襲です! 前方上空にグリフィンの大集団です! 総数は……不明! 総員第一戦闘配置につけ! 繰り返す! 総員第一戦闘配置につけ!」
それは機械を通した音声だったが、明らかに焦りが滲んでいた。通信を終えるとジェイドはこちらへ向き直り、それぞれに指令を与えようと口を開いた――
「グリフィンからライガが降下! 応戦間に合いません! 艦体に張り付き攻撃を加えています! 機関部が……うわぁぁ!?」
その背後で、途切れ途切れに悲鳴と騒音が響いた。悪夢のようだった。
「艦橋! 応答せよ、艦橋!」
ジェイドの呼びかけに応える声はなかった。続いて動力音も止まり、艦の揺れがなくなった。どうやらタルタロスは停止したようだ。
「ジェイド! 一体どうなって……」
「じょ、冗談じゃねぇっ! こんな陸艦に乗ってたら死んじまう! オレは降りるからな!」
「待って! 今外に出たら危険よ!」
怯えたルークが、叫んで扉へ走った。ティアが慌ててその腕を掴もうとしたが、間に合わなかった。
乱暴に扉を開けて部屋を出たルークを、そのすぐ外で待ち構えていたかのようなタイミングで何かが殴った。ルークは呻き声をあげて床に転がった。
「その通りだ」
ジェイドやユニが急いで外へ出ると、壁にへばりつくようにしているルークと、巨大な鎌を肩に担ぎ、黒い法衣に身を包んだ大男がいた。
それを確認するや否や、ジェイドがほとんど詠唱もなしに大男めがけて譜術を放った。男は大鎌を振るって弾き返す。そしてその軌道のまま、壁に貼り付いたルークの首を切り落とす直前で、ぴたりと止めた。
「……流石だな。だが、ここからは少し大人しくしてもらおうか。マルクト帝国軍第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐。――いや、死霊使いジェイド」
「死霊使い……! あなたが……!?」
男の声が重々しく、しかし楽しそうに響いた。その言葉に、ティアが驚いてジェイドを振り返る。
「これはこれは。私も随分と有名になったものですね」
「戦乱の度に骸を漁るお前の噂、世界にあまねく轟いているようだな」
「……あなたほどではありませんよ。神託の盾騎士団六神将、黒獅子ラルゴ」
「フ……。いずれ手合わせしたいと思っていたが、残念ながら今はイオン様を貰い受けるのが先だ」
「イオン様を渡す訳にはいきませんね」
ジェイドの後ろで、ティアが何かしようとしたのだろうか、僅かに身じろいだ。しかしラルゴはそれを目ざとくみつけ、ルークを捉える大鎌を握る手にぐっと力を込めた。
「おっと! この坊主の首、飛ばされたくなかったらうかつに動くなよ」
「く……」
悔しそうに、ティアは杖を握る手を下ろした。しかしジェイドは、先の忠告など聞いていないかのように一歩前へ出た。ルークが「ひっ」と声を漏らす。
「あなた一人で私を殺せるとでも?」
「死霊使いジェイド。お前を自由にすると色々と面倒だ」
ラルゴは素早い動作で小さな箱のようなものを取り出し、ジェイドの頭上に投げつけた。それが弾けると、閃光がジェイドを襲った。攻撃ではないようだが、彼はがくりと膝をついた。その光を見て、ティアがうろたえて叫ぶ。
「まさか、封印術(アンチフォンスロット)!?」
「導師の譜術を封じるはずの予定が狂ったが、まぁいい! お前はもう譜術を使えぬ!」
ラルゴはルークの首から鎌を離し、膝をついたままのジェイドに斬りかかろうと飛び出した。しかしそれを待ち構えていたかのように、ジェイドは低い姿勢のままコンタミネーション現象で手の中に槍を現した。そして突く。ラルゴは身をかわし、一瞬体勢が崩れた。
「ミュウ! 第五音素(フィフスフォニム)を天井に! 早く!」
「は、はいですの!」
隠れて様子を見ていたミュウだったが、ジェイドの剣幕に、弾かれたように廊下に跳ね出た。そして天井の音素灯めがけて一気に炎を吐く。過剰な音素を吸収した譜石は、暴走し、目が焼けるほど爆発的に輝いた。
「くっ……!」
「今です! アニス、ユニ! イオン様を!」
「はいっ!」
「へっ!?」
ラルゴが怯んだ隙に、ジェイドが声をあげる。呆然としているユニの手を、アニスが掴み、そしてもう片方の手でイオンを掴むと、一気に駆け出した。身を低くして、ラルゴの脇めがけて加速する。
「落ち合う場所は分かりますね!」
「大丈夫っ!」
まるでスローモーションのように、すれ違った一瞬、ジェイドとアニスが言葉を交わした。こんな時でもジェイドは冷静すぎると思っていたが、近くで見たら額に汗が浮かんでいた。ユニはやっとの思いで「ジェイドっ」と言葉を発したが、アニスにひっぱられるまま、すでにラルゴの脇をすり抜けていた。
「行かせるか!」
そう吼えて追おうとしたラルゴだったが、すぐに膝をついた。ティアの譜歌が発動していたのだ。そして次の瞬間、ジェイドの槍がラルゴをまっすぐに貫いた。ルークの目が虚ろに見開かれた。通路に駆け込む直前に、鮮血が飛び散ったのがユニにも見えた。
「……落ち合う場所って?」
「セントビナーだよ。ここから東南にある街」
「……あの、アニス」
「あ、これはね、ユニたちがチーグルの森に行ってる間に私と大佐で決めたんだ~」
「そっか」
あの場面でアニスがあそこまで迅速に動けたのは、きっとジェイドと話を付けていたからだろうと思っていたが、当たっていたようだ。ユニもジェイドとは先ほど二人で話をしたが、このようなことは何も教えてくれなかった。「信頼なくしてるなあ」と考えて、しかしそれを差し引いても、アニスの働きを見ていたら余計に自分の無力さに悲しくなった。
これまでなんとなく、イオンを守るのはアニスと自分の二人の役目だと認識していたが、チーグルの森へはアニスへなんの相談もせずに勝手に行ってしまった。そのことで彼女に嫌な思いをさせてしまったかもしれないという後ろめたさがずっとユニの中にあったが、アニスは気にしていないようだった。でもそれに甘えてはいられない。彼女とジェイド、両方にきちんと信頼してもらわなければ。
そのためには、ここを無事に脱出する必要がある。ユニはロッドを握り締めて、先ほど見たラルゴの鮮血を思い出した。もう戻れない。覚悟を決めるのが遅すぎた。
「イオン様、お怪我はありませんか、走れますかぁ?」
「大丈夫ですよ。ありがとうアニス、ユニ」
ユニはアニスと目を合わせ、頷き、そして出口を目指して走り出した。
しかしそこに立ち塞がる人影があった。衝撃で音素灯が壊れてしまったのだろう、薄暗い戦艦の廊下で、ユニたちを待っていたかのように、壁にもたれる少年。
「ここから先は行かせないよ」
「……え……シンク!?」
「久しぶりだね……ユニ」
ジェイドがてきぱきと兵に指示を出すのをただ見ているだけだったユニは、彼の後ろについてタルタロスに乗り込みながら、ぼんやりとグランコクマに思いを馳せていた。
作戦はまた一歩成功へ近付いた。ピオニーが議会を押し切って完成させた親書が、ユニたちがチーグルの森へ行っている間に、届いたのだ。
(陛下、ひとりで大丈夫でしょうか……って、平気に決まってるよね。わたしじゃあるまいし)
彼は今日も仕事から逃げて宮殿を走り回っているだろうか。ブウサギは元気だろうか。部屋は誰が片付けてくれているんだろうか。ユニの心はまだグランコクマに残されたままのようだった。世界は異常なくらいのスピードで回り始めている。そのことは、渦中にいるから嫌でもよくわかっていた。
先に進めていないのは、ユニだけなのかもしれない。
低い動力音が足元から伝わる。部屋に入り、拘束を解かれたルークとティアは並んでテーブルに着かされる。
彼らの前には、ジェイドを先頭に、アニス、イオン、ユニが立ち並び、部屋の入り口を塞ぐように兵が立っている。何が起こってもいいように、いつでも戦えるようにしておきなさい、とジェイドに言われていた。
作戦はうまくいっているが、だからこそもう戻れない、そして神託の盾騎士団もそろそろ追いついてくる頃であった。
「正体不明の第七音素の超振動はキムラスカ・ランバルディア王国王都方面から発生。マルクト帝国領土タタル渓谷付近にて収束しました。……超振動を起こしたのがあなた方ならば、不正に国境を越えマルクト帝国領内に侵入したことになりますねぇ」
「へっ、ねちねちイヤミな奴だな」
「へへ~、イヤミだってぇ、大佐」
「傷つきましたねぇ」
この期に及んで踏ん反り返って悪態をつくルークも、おかしそうに笑うアニスも、その冗談に乗るジェイドも、どれもユニは気が知れなかった。この余裕はどこからくるのだろうか。
「ま、それはさておき。ティアが神託の盾騎士団の人間だということはわかりました。ではルーク。あなたのフルネームは?」
「……ルーク・フォン・ファブレ。お前らが誘拐に失敗したルーク様だよ」
ルークが少しの沈黙の後で答えると、マルクト兵やジェイドに驚きが広がった。ユニもぴくりと眉を動かす。知らないわけがないのだ。
「ファブレって……」
「キムラスカ王室と姻戚関係にあるファブレ公爵のご子息のようですね」
「公爵」という単語をジェイドが発したとき、瞬時にアニスが目を輝かせた。しかし、事態は当初考えていたよりずっと複雑なようだ。
「敵国の王室関係者と神託の盾騎士団の人間が共謀しての不正入国――ただの観光とは考えにくいですね。それに誘拐とは? 穏やかではありませんが」
「知るかよ。お前らマルクトの連中がオレを誘拐したんだろ」
「……ジェイド?」
ユニは眉を寄せてジェイドへ視線を移した。どういうことだろう。話が見えない。アニスは「おかねもち……」とぶつぶつ呟いていて、この話題にはまったく興味がなさそうだ。
「……少なくとも私は知りません。先帝時代のことでしょうか」
「ふん、こっちだって知るか。おかげでガキの頃の記憶がなくなっちまったんだから」
「……」
先ほどから喋り続けていたジェイドが突然黙り込んだ。ユニが不審に思って彼を覗き込むと、俯いた横顔が「誘拐、記憶喪失……まさか……」と唇を動かしているのが見えた。その一瞬のあと、すぐに顔をあげて、ジェイドはルークをその赤い眼で見据えた。
「? なんだよ」
「……いえ、お気になさらず。それより今回のあなた方の行動は……」
「大佐! 今回の件は偶然発生した超振動で私たち二人が飛ばされてきてしまっただけです。ファブレ公爵家によるマルクトへの敵対行動ではありません。もちろん神託の盾騎士団も無関係です」
ジェイドの話を遮るように、ティアが勢いよく立ちあがり、そこまで一息で言い切った。「大佐。ティアの言う通りでしょう。彼らに敵意は感じられません」とイオンも支持したので、ジェイドは仕方ないといった調子で眼鏡を押し上げた。
「……まあ、そのようですね。とくにご子息の方は温室育ちのようで、世界情勢には疎いようですし?」
「悪かったな!」
一言多いのはジェイドの癖のようなものなので、ルークには受け流して欲しいところだったが。
急に、イオンが何かひらめいたようで「ここはむしろルークたちに協力をお願いしませんか?」と言い出した。ルークはそれを聞いて目を丸くしたが、こちら側は「その手があったか」と頷き合ったのだった。
「……我々は、マルクト帝国皇帝ピオニー九世陛下の勅命によって、キムラスカ王国へ向かっています」
「え? まさか、宣戦布告……?」
ジェイドがそう切り出すと、ティアははっとして目を見開いた。
「宣戦布告って……戦争が始まるのか!?」
「逆ですよぅ、ルーク様ぁ。戦争を止めるために私たちが動いてるんです」
同じく青ざめたルークを安心させるように、くねくねしながらアニスが言うと、ジェイドが「アニス。不用意に喋ってはいけませんね」と窘めた。
「ことは国家機密です。説明してなおご協力いただけない場合、あなた方を軟禁しなければなりません。ですからその前に決心していただかなければ。少し相談する時間を設けましょう。信じられると思えたら力を貸して欲しいのです――戦争を起こさせないために」
「ジェイド。大丈夫でしょうか、ティアたち……」
ジェイドと二人で甲板に出て、風を浴びた。陸地を走行しているので、景色は海のそれよりも目まぐるしく変化していく。
「さぁ、知りませんよ。あなたの方が彼らと長くいたのですから、よく知っているのではないのですか?」
「そうかもですけど……」
曖昧に答えて、ユニは溜息をついた。チーグルの森を一緒に探検したとはいえ、実際のところ、偶然の事故だとしても、彼らがどういう目的でここにいるのか、どういう人物なのか、何もわかっていなかった。ティアは確かに昔からの友人である。しかし彼女自身の話についてはあまり触れた記憶がない。
「でもジェイド。二人が協力してくれないのなら説明するにしろしないにしろ、どうせ軟禁するんですから、別に時間をあげなくてもよかったんじゃないですか? 協力を強要した方が早かったんじゃないですか?」
「強要されたことを喜んでやってくれる人がいたら大助かりですからねぇ」
迅速に作戦を進めてきたジェイドにしては寛大だと思ってユニは訊いたのだが、彼は風で前に流れる髪を耳にかけながら、微笑むのだった。
「説明を聞かず軟禁されるか、説明を聞いてそれに反対し軟禁されるか、または賛同し協力するか。確かに、実際彼らに選べる選択肢は『協力する』ということしかありません。しかし選択肢が一つであろうと、それを選ぶのは彼らです。いいですかユニ。周りからの説得、圧力があったとしても、最終的には『自分で選んだ』という行為こそが大事なのです。人は他人から押し付けられたことには逆らうものですが、自分で考えて選んだことには従うように出来ている」
「う~ん……ジェイドはやっぱり怖いなあ」
階段を下りて行くユニの背に向かって「あなたもその手にひっかかってグランコクマを出てきたんじゃありませんか?」とジェイドは呟いた。
もちろんルークたちの答えは「とりあえず説明を聞く」というものだった。先ほどと同じく席に着いたルークとティアに向かって、ジェイドとイオンが口を開く。
「昨今局地的な小競り合いが頻発しています。ホド戦争が休戦してからまだ十五年しか経っていませんが、このままでは再び本格的な全面戦争へと発展するのも時間の問題でしょう」
「そこでマルクト帝国ピオニー九世陛下は、平和条約締結を提案した親書を送ることにしたのです。僕はローレライ教団最高指導者という中立の立場から、協力を要請されました。僕たちは、和平の使者として戦争を止めるためキムラスカ王国へ向かっています」
「とはいえ我々は敵国の兵士です。いくら和平の使者といっても、すんなり国境を越えるのは難しい。……そこであなたにお願いがあるのです、ルーク。あなたの力……いえ、その地位は今の我々にとって非常に好都合。その権力をお貸しいただきたいのですが」
ルークは、ユニが知る限りで最も腹立たしげな表情をして舌打ちをする。ジェイドの言葉は、あえて彼を怒らせているかのようだった。
「……おいおい、おっさん。その言い方はねぇだろ。だいたい、人にものを頼むときは頭下げるのが礼儀じゃねーの?」
「ルークよしなさい。あなただって戦争が起きるのは嫌でしょう」
「うるせーな黙ってろよ!」
激昂したルークは、ティアの制止も振り切り、テーブルを叩いて立ち上がった。誰も口を開かず、椅子がガタガタと倒れる激しい音だけが部屋に響く。
「やれやれ」
皆が見守る中、ジェイドは溜息をつきながら肩を竦めた。そしてスッと片膝をつき、軍人とは思えない優雅な動作で恭しく礼をした。「ジェイド」「師団長!」と、イオンや部下の兵士が驚いて声をあげる。
「どうか、お力をお貸しください。ルーク様」
「……あんた、プライドねぇなあ」
「生憎と、この程度のことに腹を立てるような安っぽいプライドは持ち合わせていないものですから」
それでもまだ口は減らないものの、ジェイドは頭を下げ続けていた。ユニやイオンたちがハラハラしながらルークに目を向けると、彼もさすがにたじろぐ。
「分かったよ。伯父上――国王に取りなせばいいんだろ」
「ありがとうございます! ルーク様」
彼が了承すると同時にジェイドはすっくと立ち上がった。これにはルークをはじめとした全員が「いい性格してんなアンタ」と言いたくなっていた。
「あと、呼び捨てでいいよ。キモイな」
「分かりました。ルーク、様。そうと決まれば急ぎましょう。ぐずぐずしていては大詠師派の邪魔が入ります」
「大詠師派? そういえばどうしてイオンは行方不明って事になってんだ? ヴァン師匠はこいつを捜しに行ったんだぜ」
素朴な疑問、というようにルークは首を傾げたが、ティアやジェイドたちの目付きが変わった。その視線がイオンに集まる。
「それはローレライ教団の内部事情が影響しているんです。お恥ずかしい話ですが、ローレライ教団は、導師を中心とする改革的な導師派と、大詠師モースを中心とする保守的な大詠師派とで派閥抗争が起きているんです。今回、僕はマルクト軍の力を借りて、モースの軟禁から逃げ出してきました。モースは戦争が起きるのを望んでいるんです」
「導師イオン! 何かの間違いです。モース様は預言の成就だけを祈っておられます。戦争など望んでいるはずありません!」
モースの話になったところで、ティアが慌てて反論した。するとアニスが急にジト目になり、頬を膨らませてティアを眺めた。教団内部の抗争については詳しくないが、単純な話ではないようだ。
「ティアさんは大詠師派なんですね。ショックですぅ」
ぶーぶー言うアニスの声に、ティアは目を泳がせて「わ、私は中立よ。ユリアの預言も大切だけど、イオン様の意向も大事だわ……」と言葉を濁す。
「おーい! サッパリ話が見えねーんだけど……」
その時だった。何の前触れもなく突然、けたたましい警報音が鳴り響いた。身の毛もよだつような不穏な音色に、ユニは血の気がひいていくのを感じた。
――何かが、起きた。ジェイドが壁に取り付けてある伝令管へ走り、その先へ呼びかけていた。それ以外は、その場にいた全員が呼吸すら止めていた。
「艦橋! どうした!?」
「師団長! 敵襲です! 前方上空にグリフィンの大集団です! 総数は……不明! 総員第一戦闘配置につけ! 繰り返す! 総員第一戦闘配置につけ!」
それは機械を通した音声だったが、明らかに焦りが滲んでいた。通信を終えるとジェイドはこちらへ向き直り、それぞれに指令を与えようと口を開いた――
「グリフィンからライガが降下! 応戦間に合いません! 艦体に張り付き攻撃を加えています! 機関部が……うわぁぁ!?」
その背後で、途切れ途切れに悲鳴と騒音が響いた。悪夢のようだった。
「艦橋! 応答せよ、艦橋!」
ジェイドの呼びかけに応える声はなかった。続いて動力音も止まり、艦の揺れがなくなった。どうやらタルタロスは停止したようだ。
「ジェイド! 一体どうなって……」
「じょ、冗談じゃねぇっ! こんな陸艦に乗ってたら死んじまう! オレは降りるからな!」
「待って! 今外に出たら危険よ!」
怯えたルークが、叫んで扉へ走った。ティアが慌ててその腕を掴もうとしたが、間に合わなかった。
乱暴に扉を開けて部屋を出たルークを、そのすぐ外で待ち構えていたかのようなタイミングで何かが殴った。ルークは呻き声をあげて床に転がった。
「その通りだ」
ジェイドやユニが急いで外へ出ると、壁にへばりつくようにしているルークと、巨大な鎌を肩に担ぎ、黒い法衣に身を包んだ大男がいた。
それを確認するや否や、ジェイドがほとんど詠唱もなしに大男めがけて譜術を放った。男は大鎌を振るって弾き返す。そしてその軌道のまま、壁に貼り付いたルークの首を切り落とす直前で、ぴたりと止めた。
「……流石だな。だが、ここからは少し大人しくしてもらおうか。マルクト帝国軍第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐。――いや、死霊使いジェイド」
「死霊使い……! あなたが……!?」
男の声が重々しく、しかし楽しそうに響いた。その言葉に、ティアが驚いてジェイドを振り返る。
「これはこれは。私も随分と有名になったものですね」
「戦乱の度に骸を漁るお前の噂、世界にあまねく轟いているようだな」
「……あなたほどではありませんよ。神託の盾騎士団六神将、黒獅子ラルゴ」
「フ……。いずれ手合わせしたいと思っていたが、残念ながら今はイオン様を貰い受けるのが先だ」
「イオン様を渡す訳にはいきませんね」
ジェイドの後ろで、ティアが何かしようとしたのだろうか、僅かに身じろいだ。しかしラルゴはそれを目ざとくみつけ、ルークを捉える大鎌を握る手にぐっと力を込めた。
「おっと! この坊主の首、飛ばされたくなかったらうかつに動くなよ」
「く……」
悔しそうに、ティアは杖を握る手を下ろした。しかしジェイドは、先の忠告など聞いていないかのように一歩前へ出た。ルークが「ひっ」と声を漏らす。
「あなた一人で私を殺せるとでも?」
「死霊使いジェイド。お前を自由にすると色々と面倒だ」
ラルゴは素早い動作で小さな箱のようなものを取り出し、ジェイドの頭上に投げつけた。それが弾けると、閃光がジェイドを襲った。攻撃ではないようだが、彼はがくりと膝をついた。その光を見て、ティアがうろたえて叫ぶ。
「まさか、封印術(アンチフォンスロット)!?」
「導師の譜術を封じるはずの予定が狂ったが、まぁいい! お前はもう譜術を使えぬ!」
ラルゴはルークの首から鎌を離し、膝をついたままのジェイドに斬りかかろうと飛び出した。しかしそれを待ち構えていたかのように、ジェイドは低い姿勢のままコンタミネーション現象で手の中に槍を現した。そして突く。ラルゴは身をかわし、一瞬体勢が崩れた。
「ミュウ! 第五音素(フィフスフォニム)を天井に! 早く!」
「は、はいですの!」
隠れて様子を見ていたミュウだったが、ジェイドの剣幕に、弾かれたように廊下に跳ね出た。そして天井の音素灯めがけて一気に炎を吐く。過剰な音素を吸収した譜石は、暴走し、目が焼けるほど爆発的に輝いた。
「くっ……!」
「今です! アニス、ユニ! イオン様を!」
「はいっ!」
「へっ!?」
ラルゴが怯んだ隙に、ジェイドが声をあげる。呆然としているユニの手を、アニスが掴み、そしてもう片方の手でイオンを掴むと、一気に駆け出した。身を低くして、ラルゴの脇めがけて加速する。
「落ち合う場所は分かりますね!」
「大丈夫っ!」
まるでスローモーションのように、すれ違った一瞬、ジェイドとアニスが言葉を交わした。こんな時でもジェイドは冷静すぎると思っていたが、近くで見たら額に汗が浮かんでいた。ユニはやっとの思いで「ジェイドっ」と言葉を発したが、アニスにひっぱられるまま、すでにラルゴの脇をすり抜けていた。
「行かせるか!」
そう吼えて追おうとしたラルゴだったが、すぐに膝をついた。ティアの譜歌が発動していたのだ。そして次の瞬間、ジェイドの槍がラルゴをまっすぐに貫いた。ルークの目が虚ろに見開かれた。通路に駆け込む直前に、鮮血が飛び散ったのがユニにも見えた。
「……落ち合う場所って?」
「セントビナーだよ。ここから東南にある街」
「……あの、アニス」
「あ、これはね、ユニたちがチーグルの森に行ってる間に私と大佐で決めたんだ~」
「そっか」
あの場面でアニスがあそこまで迅速に動けたのは、きっとジェイドと話を付けていたからだろうと思っていたが、当たっていたようだ。ユニもジェイドとは先ほど二人で話をしたが、このようなことは何も教えてくれなかった。「信頼なくしてるなあ」と考えて、しかしそれを差し引いても、アニスの働きを見ていたら余計に自分の無力さに悲しくなった。
これまでなんとなく、イオンを守るのはアニスと自分の二人の役目だと認識していたが、チーグルの森へはアニスへなんの相談もせずに勝手に行ってしまった。そのことで彼女に嫌な思いをさせてしまったかもしれないという後ろめたさがずっとユニの中にあったが、アニスは気にしていないようだった。でもそれに甘えてはいられない。彼女とジェイド、両方にきちんと信頼してもらわなければ。
そのためには、ここを無事に脱出する必要がある。ユニはロッドを握り締めて、先ほど見たラルゴの鮮血を思い出した。もう戻れない。覚悟を決めるのが遅すぎた。
「イオン様、お怪我はありませんか、走れますかぁ?」
「大丈夫ですよ。ありがとうアニス、ユニ」
ユニはアニスと目を合わせ、頷き、そして出口を目指して走り出した。
しかしそこに立ち塞がる人影があった。衝撃で音素灯が壊れてしまったのだろう、薄暗い戦艦の廊下で、ユニたちを待っていたかのように、壁にもたれる少年。
「ここから先は行かせないよ」
「……え……シンク!?」
「久しぶりだね……ユニ」