第2章(外殻大地編)
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34 急げ、急げ、子供たち
「では、お二人もチーグルのことを調べにここへ?」
結局チーグルは見失ってしまったので、四人は少し立ち止まって話をすることにした。イオンとユニはチーグルが食糧庫を襲った真相を調べに森へ来たのだが、ルークとティアもチーグルが泥棒だという証拠を探しに来ていたのだという。
「フーン。だったら目的は一緒って訳か。仕方ねーな。お前らも付いて来いよ」
ルークは吐き捨てるように言って、イオンとユニを眺めた。なんとも上から目線な物言いであるが、こちらが魔物に襲われた時のあの非力さを見ていたのだから、当然かもしれない。
「え、よろしいんですか?」
「何を言ってるの! イオン様を危険な場所にお連れするなんて!」
ティアは怒ったように反対した。恐らく、イオンを一度村まで送り届けるつもりでいたのだろう。 これ以上森の奥に入るのは、確かに危険だった。
「だったらどーすんだよ。帰したってまたノコノコ森へ来るに決まってるだろ。それに、こんな青白い顔でぶっ倒れそうなやつらほっとく訳にはいかねーじゃんか」
ティアは少し面食らった様子で、何も言い返さなかった。ユニも驚いていた。この横柄に振る舞う少年が、言い方はこの際棚にあげるが、他人のことを気にかけてくれているとは。
「あ、ありがとうございます! ルーク殿は優しい方なんですね!」
イオンが進み出て輝くような笑顔でお礼を言うと、かあーっとルークの頬が赤くなっていった。それを見てユニとティアは顔を見合わせた。
「だ、だ、誰が優しいだ!? アホなこと言ってないで大人しく付いてくればいいんだよ!」
「はい!」
「あー、あと、あの変な術は使うなよ。お前、それでぶっ倒れたんだろ。魔物と戦うのはこっちでやるから」
「守って下さるんですか? 感激です! ルーク殿」
イオンは、心の底から「感激」と言ったような感じだった。彼らのやりとりを、ユニはぼうっと眺める。
「ちっ、ちげーよ! 足手まといだっつってんだよっ! 大袈裟に騒ぐなっ! そ、それと、オレのことは呼び捨てでいいからなっ! 行くぞ!」
「はい! ルーク!」
元気な声で応えて、イオンは嬉しそうにルークの後を追っていった。
何がそんなに嬉しいのか、ユニにはなんとなくわかってしまっていた。彼は「導師イオン」であり、ローレライ教団の最高位だった。その彼に、ここまで無礼に接してきたのは、恐らくルークが初めてだろう。つまり彼にとって、ルークは初めての対等な存在だった。
「なんかイオン様、楽しそう」
ティアを見ると、呆れたように笑って「仕方ないわね、私たちも行きましょう」と言った。
「チーグルは木の幹を住処にしています。恐らくこの大木がそうなのでしょう」
森の奥には他とは比べ物にならない太さの木が聳えていた。この木を中心に森が形成されているようだ。周囲は浅い泉で囲まれ、さらさらと水が流れている。近付いてみると、その根元にエンゲーブの焼印の入ったリンゴが数個転がっていた。イオンはそれを拾い上げ、「間違いありませんね」と呟く。
「やっぱりコイツらが犯人か! ったく頭ワリー魔物だなぁ」
「木の中から獣の気配がするわ……」
ルークはイライラした様子でリンゴを足で転がす。それを横目で見ながら、ティアは緊張した声で木の幹を睨みつけるのだった。
「イオン様、チーグルって……」
「襲ってはきませんよ」
「あ、イオン様!」
そう言うと、イオンは躊躇なく幹の割れ目へ踏み込んでいった。ユニは地面から飛び出す木の根に躓きそうになりながら、慌ててその後に続いた。
「導師イオン! 危険です!」
「しょうがねぇガキだな……」
それを追ってティアも駆け込んでいき、最後にルークが溜息をついて中へ入った。
木の中は巨大な空洞になっていた。イオンの法衣の裾を掴みながらゆっくりと前進する。まだ暗さに目が慣れない。微かに聞こえる「みゅうみゅう」という不思議な鳴き声に、不安が増幅される。
「ユニ、見てください。チーグルが、こんなにたくさん」
イオンの声で数回まばたきを繰り返す。見えるようになったときにはもう、うじゃうじゃとチーグルが群れ集まっていた。丸々とした身体に、大きな耳がふにふにと揺れて、二本足で歩いている。
「……くわ~! なっ、なんかコイツらウゼー! むかつく!」
踏みつぶさんばかりのルークを制止しつつ、イオンは「通して下さい」と、壁になるように群れているチーグルたちに呼びかけていた。
「チーグルって言葉通じるんですか?」
「チーグルは教団の始祖であるユリア・ジュエと契約し、力を貸したと聞いていますが……」
ユニの質問にイオンが困ったように答えたその時だった。奥から「みゅみゅー」と、他のものより低いしわがれた声がして、チーグルたちがさっと左右に分かれた。そして、イオンを先頭にしたユニたちの前に、年老いた様子のチーグルが現われた。その手には大きな(人間がすればちょうどいいのかもしれない)腕輪のようなものを抱えている。
「……ユリア・ジュエの縁者か?」
それまで「みゅうみゅう」としか言っていなかった魔物から、突然理解できる言葉が発せられたので、一同はびくりとして動きを止めた。
「おい、魔物が喋ったぞ!? どうなってんだ!」
「ユリアとの契約で与えられたリングの力だ」
それはルークとは違って落ち着いた調子で続ける。
「お前たちはユリアの縁者か?」
「はい。僕はローレライ教団の導師イオンと申します。あなたはチーグル族の長とお見受けしましたが」
イオンが臆することなく進み出たので、ユニは握り締めていた彼の法衣を離した。そしてかわりに、ロッドを握りなおす。なにがなんだかわからない、から。
「いかにも」
「おい、魔物! お前らエンゲーブで食べ物を盗んだだろ」
「ちょ、ルーク……」
老チーグルの声を遮るように、ルークがずいとイオンの横へ出た。もうちょっとましな言い方があっただろうに。ユニは彼らが怒らないかどうかハラハラしながら、視線を戻した。
「なるほど。それで我らを退治に来たのか?」
「へっ、盗んだことは否定しないのか」
「ルーク。……チーグルは草食でしたね。何故人間の食べ物を盗む必要があるのです?」
「食べ物が足りない訳ではなさそうね。この森には緑が沢山あるわ」
やんわりとルークを抑えながら、イオンは質問を続ける。ティアも言葉を加えた。老チーグルは、静かに一度目を伏せる。
「我らの仲間が北の地で火事を起こしてしまった。その結果、北の一帯を住み処としていた『ライガ』が、この森に移動してきたのだ。我らを餌とするために」
「では村の食料を奪ったのは、仲間がライガに食べられないようにするためなんですね」
「……そうだ。定期的に食料を届けぬと、奴らは我らの仲間をさらって喰う」
「ひどい……」
真相を知り、イオンが深刻そうな顔をして呟いた。しかしルークは「フン」と鼻を鳴らして、腕を組む。
「弱いモンが食われるのは当たり前だろ。しかも縄張り燃やされりゃ頭にも来るっつーの。自業自得じゃねーか」
「確かにそうかもしれませんが、本来の食物連鎖の形とは言えません」
イオンはそう訴えたが、ルークは退かなかった。
「ルーク。犯人はチーグルと判明したけど、あなたはこの後どうするつもり?」
「どうって……こいつらを村に突き出して……」
「でもそうしたら今度は、餌を求めてライガがエンゲーブを襲うでしょうね」
「えー、あんな村どうなろうと知ったこっちゃねーよ」
「あなた……」
「ま、待ってよ」
ルークとティアが軽く言い合いになったところで、ユニが割って入った。
「エンゲーブの食料は、世界中に出荷されているの。あの村を失ったら大変な食料問題に……」
「じゃあ、どうするんだよ」
「ライガと交渉しましょう」
そこでイオンがぴしゃりと言った。ユニもルークもティアも、彼の方を向いた。
「魔物と……ですか?」
「そのライガってのも喋れるのか?」
「僕たちだけでは無理ですが、チーグル族の誰かに訳してもらえれば……」
「……では、通訳の者にわしのソーサラーリングを貸し与えよう」
老チーグルが「みゅみゅー」と呼ぶと、群れの中から水色のチーグルがぱたぱたと歩いてきた。まだ子供のようで、他のチーグルと比べて少し小さかった。
「この者が北の地で火事を起こした同胞だ。これを連れて行って欲しい」
水色のチーグルは、渡されたソーサラーリングを頭から被ろうとして失敗し、結局足から穿いて浮輪のように腰にまいた。そしてもじもじとしながらルークたちを見上げるのだった。
「ボクはミュウですの。よろしくお願いするですの」
そう言って駆け寄ってくる途中で、ぼてっと転んだ。ルークの苛々が上昇していくのが見て取れた。
「……おいなんかムカつくぞこいつ」
「ごめんなさいですの、ごめんなさいですの!」
チーグルのミュウを加え、少年少女は森の奥深くへ進んでいく。
「おらぁっ、ブタザル、火ぃ吹けぇーっ!」
「みゅううううー」
「ルーク。ミュウがかわいそうですよ」
前方ではルークがミュウをいじめていて、イオンはそれを止めつつもどこか楽しそうであった。そんな様子を眺めながら、ユニとティアは後ろからゆっくりとついて行く。
「ユニ、本当に久しぶりね。二年ぶりくらいかしら」
「うん、それくらい。ティアってば、前も大人っぽかったけど今はもーっと色気が出たね。うらやましい」
「そんなことないわっ。ユニだって可愛いじゃないの」
お世辞ではなく本当のことを言ったつもりだったが、ティアは顔を赤くして少し怒ったように言葉を返した。
「……でもユニ、あれから何をしていたの? 今はどうしてイオン様のおそばに?」
「え、えーと」
いつか訊かれると思っていたが、まだ答えを考えていなかった。ユニは言葉を濁し、曖昧に笑った。
(ここは、慎重に答えなくちゃ)
ティアに嘘をつくのは悪い気がしたが、仕方ない。こんなところでイオンと一緒にいていいのは教団公認の導師守護役くらいだ。しかし自分が導師守護役だと証明できるものは何もないし、神託の盾に所属するティアを騙すのは難しい。真相を明かす方がいいだろうか? ティアの思想がこちらと一致すれば、仲間に出来るかもしれない。しかし神託の盾騎士団のティアにこの情報を教えるのは、リスクが大きすぎる。
結局いい策は何も浮かんでこなかった。とにかくここは誤魔化すしかない。
「あれから……わたしはグランコクマにずっといて、それでなんとか軍に入って……」
「軍に!? あなたが?」
「う、うん、まぁ……」
「マルクト軍ね? それが、どうしてイオン様と?」
「え、そ、それにはいろいろと事情が……」
『軍』というキーワードを出してしまったのはまずかったかもしれない。余計に話が複雑になってしまう。
「……そういえば、エンゲーブには導師守護役もいたわね。教団公認の旅なのかしら」
「うん。そ、そんな感じ……」
もう何も言うまい、とユニは口を閉じた。ティアはまだすっきりしない表情をしていたが、ユニに悪意を感じられなかったのだろう、ふぅと息をついた。その瞬間、待っていましたとばかりに口を開く。
「そうだティア、ティアはどうしてたのっ?」
「私は……士官学校を卒業して、正式に神託の盾騎士団に入団したわ。それで今は、大詠師モースの指揮下で動いているの」
「え、モース……?」
ちょっと待て、とユニは心の中で呟く。大詠師モースといえば、イオンの監禁を指示したその人ではなかったか。ティアがその部下ならば、ますます今回の作戦を知られるわけにはいかなくなってしまった。「そうなんだ、すごいね」と曖昧に返事をして、話題を変えた。しかしお互いに疑問の残る終わり方となってしまった。
(そういえば、ルークはなんでティアと一緒にいるんだろう。別に仲がいい感じもしないし……。それに、ティアのお兄さんのことも、何があったのか……)
ミュウの案内で、一行は森の最深部まで進んだ。暗い洞窟を抜けると、木々が取り囲むようにして壁を作っている空間に出た。その奥に、巨大なライガが横たわっていた。
「……あれが女王ね」
「女王?」
「ライガの集団は強大な雌を中心に群れをなす女王社会なのよ」
ティアは冷静に説明するが、ユニはとてもじゃないが落ち着いてなどいられなかった。低い唸り声がピリピリと空気を振動させる。見るからに気が立っている。
「ミュウ。ライガ・クイーンと話をします。通訳を頼みますよ」
「はいですの!」
ミュウはイオンの肩から飛び降りて、ライガに向かって「みゅうみゅう」と喋り出した。ライガ・クイーンはそれを睨みつけながらゆっくりと身を起こし、次の瞬間、恐ろしい声で咆哮をあげた。それだけで、吹き飛ばされるようにミュウがコロコロと転がった。
ティアが心配そうにミュウを拾い上げる横で、ルークはライガから目を離していなかった。恐怖からか、顔が引きつっている。
「おい……あいつは何て言ってんだ?」
「卵が孵化するところだから……来るな……と言ってるですの。ボクがライガさんたちのお家を火事にしちゃったから、女王様、すごく怒ってるですの……」
「まずいわ。卵を守るライガは凶暴性を増している筈よ」
「……卵が孵れば生まれた仔たちは食料を求めて街へ大挙するでしょう。ライガの仔は人を好むんです」
「ええ。だから街の近くに棲むライガは繁殖期前に狩り尽くすのが決まりよ」
ライガがもう一度吼えた。訳すまでもない。帰れ、と言っているに違いない。ユニは泣きそうになりながら、ロッドを握り締めた。もはや戦闘はまぬがれない。どの譜術が効きそうだろうか、火事で逃げてきたってことは炎系だろうか、と思考が勝手に巡りだす。
イオンはティアからミュウを受け取ると、それを地面に下ろした。
「ミュウ。彼らにこの土地から立ち去るように言ってくれませんか?」
「は、はいですの」
ミュウは怯えながらも前に出てライガ・クイーンに話しかけた。すると、一度沈黙してから前よりも激しい声でライガが吼えた。その声で洞窟全体が震え、岩石が崩れ落ちてきた。そのうちの一つが、ミュウの頭上に降り注ごうとしていた。
「危ない!」
「みゅ!?」
間一髪のところで、ルークが刀でそれを砕いた。肩にかかる粉塵を落として、ルークはそっぽを向く。
「あ、ありがとうですの!」
「か、勘違いすんなよ。おめーをかばったんじゃなくてイオンとユニをかばっただけだからな!」
だが、感激している間もなかった。ライガ・クイーンがついにユラリと立ち上がり、こちらへ足を向けたのだ。一歩一歩が重く、どすん、と地面を揺らした。
「大変ですの。ボクたちを殺して、孵化した仔どもの餌にすると言ってるですの……!」
「交渉決裂ね。……導師イオン、ミュウとユニと一緒におさがり下さい」
「わ、わたしも戦う。譜術なら使えるから」
「頼もしいわ、ユニ」
そう言いながら、ティアとユニが前に出た。しかしルークは困惑した表情でこちらを見るのだった。
「お、おい。ここで戦ったら卵が割れちまうんじゃ……」
「残酷なようだけど、その方が好都合よ」
「ふ、ふたりとも、来るよ!」
ライガ・クイーンは完全にこちらに照準を合わせた。空気が緊張で震えた。
「くそ……!」
ルークは舌打ちをしながらライガの前へ飛び出して行った。ユニの横で、はやくもティアが譜陣を展開している。ユニも負けじと、音素を再構築しはじめた。
「ルークさがって!」
「ああ!」
「全てを灰塵と化せ、エクスプロード!」
ユニがルークを下がらせると同時に、ライガ・クイーンの周囲で炎が大爆発した。ティアはすかさずルークに治癒術をかける。戦闘が始まってから数分が経過していた。ルークは何度もライガの攻撃を受けており、服はあちこちが破けてひどい有様だった。
爆発の衝撃であたりに煙が立ち込めて、ライガの姿は見えない。効いただろうか。いや、今の術が効かないとなると相当きつい。ユニたちは無言で、視界が晴れるのを待っていた。
「……やったかしら?」
「おい! あれ!」
黒々とした影が起き上った。ライガ・クイーンだ。ユニたちがその姿を確認すると同時に、ぞっとするような雄叫びが聞こえ、霧が一気に晴れた。
「どーなってるんだよっ! ピンピンしてるぞ!」
「どうしよう……ほとんど効いてない」
「じょ、冗談じゃねぇ! なんとかしろっ!」
「そんなこと言われても!」
「おい、また来るぞ!」
ルークに怒鳴られて、ユニはそれ以上言い返せなかった。力の差がありすぎる。上位譜術を何発も使うだけの体力はユニにはないし、それを唱える時間も、もうルークには稼げないだろう。敵うわけがない。立っているだけでこんなにも足が震えているのに。
――自分だけなら、諦めてしまえたかもしれない。
でもこの場にはイオンもいた。ユニと、ユニの大事な人たちのために、彼だけは守らなければならなかった。でも自分には、その力がない。ライガの懐に踏み込んで自分ごと爆散させれば、少しは時間が稼げるかどうかというくらい……
「それしかないなら、せめて、イオンだけでも――」
「やれやれ。見ていられないですね」
「!」
その声に、ユニは膝から崩れ落ちそうになった。
振り返らずとも、知っている。当たり前のようにその表情が瞼の裏に浮かんでくるのだった。
「では、お二人もチーグルのことを調べにここへ?」
結局チーグルは見失ってしまったので、四人は少し立ち止まって話をすることにした。イオンとユニはチーグルが食糧庫を襲った真相を調べに森へ来たのだが、ルークとティアもチーグルが泥棒だという証拠を探しに来ていたのだという。
「フーン。だったら目的は一緒って訳か。仕方ねーな。お前らも付いて来いよ」
ルークは吐き捨てるように言って、イオンとユニを眺めた。なんとも上から目線な物言いであるが、こちらが魔物に襲われた時のあの非力さを見ていたのだから、当然かもしれない。
「え、よろしいんですか?」
「何を言ってるの! イオン様を危険な場所にお連れするなんて!」
ティアは怒ったように反対した。恐らく、イオンを一度村まで送り届けるつもりでいたのだろう。 これ以上森の奥に入るのは、確かに危険だった。
「だったらどーすんだよ。帰したってまたノコノコ森へ来るに決まってるだろ。それに、こんな青白い顔でぶっ倒れそうなやつらほっとく訳にはいかねーじゃんか」
ティアは少し面食らった様子で、何も言い返さなかった。ユニも驚いていた。この横柄に振る舞う少年が、言い方はこの際棚にあげるが、他人のことを気にかけてくれているとは。
「あ、ありがとうございます! ルーク殿は優しい方なんですね!」
イオンが進み出て輝くような笑顔でお礼を言うと、かあーっとルークの頬が赤くなっていった。それを見てユニとティアは顔を見合わせた。
「だ、だ、誰が優しいだ!? アホなこと言ってないで大人しく付いてくればいいんだよ!」
「はい!」
「あー、あと、あの変な術は使うなよ。お前、それでぶっ倒れたんだろ。魔物と戦うのはこっちでやるから」
「守って下さるんですか? 感激です! ルーク殿」
イオンは、心の底から「感激」と言ったような感じだった。彼らのやりとりを、ユニはぼうっと眺める。
「ちっ、ちげーよ! 足手まといだっつってんだよっ! 大袈裟に騒ぐなっ! そ、それと、オレのことは呼び捨てでいいからなっ! 行くぞ!」
「はい! ルーク!」
元気な声で応えて、イオンは嬉しそうにルークの後を追っていった。
何がそんなに嬉しいのか、ユニにはなんとなくわかってしまっていた。彼は「導師イオン」であり、ローレライ教団の最高位だった。その彼に、ここまで無礼に接してきたのは、恐らくルークが初めてだろう。つまり彼にとって、ルークは初めての対等な存在だった。
「なんかイオン様、楽しそう」
ティアを見ると、呆れたように笑って「仕方ないわね、私たちも行きましょう」と言った。
「チーグルは木の幹を住処にしています。恐らくこの大木がそうなのでしょう」
森の奥には他とは比べ物にならない太さの木が聳えていた。この木を中心に森が形成されているようだ。周囲は浅い泉で囲まれ、さらさらと水が流れている。近付いてみると、その根元にエンゲーブの焼印の入ったリンゴが数個転がっていた。イオンはそれを拾い上げ、「間違いありませんね」と呟く。
「やっぱりコイツらが犯人か! ったく頭ワリー魔物だなぁ」
「木の中から獣の気配がするわ……」
ルークはイライラした様子でリンゴを足で転がす。それを横目で見ながら、ティアは緊張した声で木の幹を睨みつけるのだった。
「イオン様、チーグルって……」
「襲ってはきませんよ」
「あ、イオン様!」
そう言うと、イオンは躊躇なく幹の割れ目へ踏み込んでいった。ユニは地面から飛び出す木の根に躓きそうになりながら、慌ててその後に続いた。
「導師イオン! 危険です!」
「しょうがねぇガキだな……」
それを追ってティアも駆け込んでいき、最後にルークが溜息をついて中へ入った。
木の中は巨大な空洞になっていた。イオンの法衣の裾を掴みながらゆっくりと前進する。まだ暗さに目が慣れない。微かに聞こえる「みゅうみゅう」という不思議な鳴き声に、不安が増幅される。
「ユニ、見てください。チーグルが、こんなにたくさん」
イオンの声で数回まばたきを繰り返す。見えるようになったときにはもう、うじゃうじゃとチーグルが群れ集まっていた。丸々とした身体に、大きな耳がふにふにと揺れて、二本足で歩いている。
「……くわ~! なっ、なんかコイツらウゼー! むかつく!」
踏みつぶさんばかりのルークを制止しつつ、イオンは「通して下さい」と、壁になるように群れているチーグルたちに呼びかけていた。
「チーグルって言葉通じるんですか?」
「チーグルは教団の始祖であるユリア・ジュエと契約し、力を貸したと聞いていますが……」
ユニの質問にイオンが困ったように答えたその時だった。奥から「みゅみゅー」と、他のものより低いしわがれた声がして、チーグルたちがさっと左右に分かれた。そして、イオンを先頭にしたユニたちの前に、年老いた様子のチーグルが現われた。その手には大きな(人間がすればちょうどいいのかもしれない)腕輪のようなものを抱えている。
「……ユリア・ジュエの縁者か?」
それまで「みゅうみゅう」としか言っていなかった魔物から、突然理解できる言葉が発せられたので、一同はびくりとして動きを止めた。
「おい、魔物が喋ったぞ!? どうなってんだ!」
「ユリアとの契約で与えられたリングの力だ」
それはルークとは違って落ち着いた調子で続ける。
「お前たちはユリアの縁者か?」
「はい。僕はローレライ教団の導師イオンと申します。あなたはチーグル族の長とお見受けしましたが」
イオンが臆することなく進み出たので、ユニは握り締めていた彼の法衣を離した。そしてかわりに、ロッドを握りなおす。なにがなんだかわからない、から。
「いかにも」
「おい、魔物! お前らエンゲーブで食べ物を盗んだだろ」
「ちょ、ルーク……」
老チーグルの声を遮るように、ルークがずいとイオンの横へ出た。もうちょっとましな言い方があっただろうに。ユニは彼らが怒らないかどうかハラハラしながら、視線を戻した。
「なるほど。それで我らを退治に来たのか?」
「へっ、盗んだことは否定しないのか」
「ルーク。……チーグルは草食でしたね。何故人間の食べ物を盗む必要があるのです?」
「食べ物が足りない訳ではなさそうね。この森には緑が沢山あるわ」
やんわりとルークを抑えながら、イオンは質問を続ける。ティアも言葉を加えた。老チーグルは、静かに一度目を伏せる。
「我らの仲間が北の地で火事を起こしてしまった。その結果、北の一帯を住み処としていた『ライガ』が、この森に移動してきたのだ。我らを餌とするために」
「では村の食料を奪ったのは、仲間がライガに食べられないようにするためなんですね」
「……そうだ。定期的に食料を届けぬと、奴らは我らの仲間をさらって喰う」
「ひどい……」
真相を知り、イオンが深刻そうな顔をして呟いた。しかしルークは「フン」と鼻を鳴らして、腕を組む。
「弱いモンが食われるのは当たり前だろ。しかも縄張り燃やされりゃ頭にも来るっつーの。自業自得じゃねーか」
「確かにそうかもしれませんが、本来の食物連鎖の形とは言えません」
イオンはそう訴えたが、ルークは退かなかった。
「ルーク。犯人はチーグルと判明したけど、あなたはこの後どうするつもり?」
「どうって……こいつらを村に突き出して……」
「でもそうしたら今度は、餌を求めてライガがエンゲーブを襲うでしょうね」
「えー、あんな村どうなろうと知ったこっちゃねーよ」
「あなた……」
「ま、待ってよ」
ルークとティアが軽く言い合いになったところで、ユニが割って入った。
「エンゲーブの食料は、世界中に出荷されているの。あの村を失ったら大変な食料問題に……」
「じゃあ、どうするんだよ」
「ライガと交渉しましょう」
そこでイオンがぴしゃりと言った。ユニもルークもティアも、彼の方を向いた。
「魔物と……ですか?」
「そのライガってのも喋れるのか?」
「僕たちだけでは無理ですが、チーグル族の誰かに訳してもらえれば……」
「……では、通訳の者にわしのソーサラーリングを貸し与えよう」
老チーグルが「みゅみゅー」と呼ぶと、群れの中から水色のチーグルがぱたぱたと歩いてきた。まだ子供のようで、他のチーグルと比べて少し小さかった。
「この者が北の地で火事を起こした同胞だ。これを連れて行って欲しい」
水色のチーグルは、渡されたソーサラーリングを頭から被ろうとして失敗し、結局足から穿いて浮輪のように腰にまいた。そしてもじもじとしながらルークたちを見上げるのだった。
「ボクはミュウですの。よろしくお願いするですの」
そう言って駆け寄ってくる途中で、ぼてっと転んだ。ルークの苛々が上昇していくのが見て取れた。
「……おいなんかムカつくぞこいつ」
「ごめんなさいですの、ごめんなさいですの!」
チーグルのミュウを加え、少年少女は森の奥深くへ進んでいく。
「おらぁっ、ブタザル、火ぃ吹けぇーっ!」
「みゅううううー」
「ルーク。ミュウがかわいそうですよ」
前方ではルークがミュウをいじめていて、イオンはそれを止めつつもどこか楽しそうであった。そんな様子を眺めながら、ユニとティアは後ろからゆっくりとついて行く。
「ユニ、本当に久しぶりね。二年ぶりくらいかしら」
「うん、それくらい。ティアってば、前も大人っぽかったけど今はもーっと色気が出たね。うらやましい」
「そんなことないわっ。ユニだって可愛いじゃないの」
お世辞ではなく本当のことを言ったつもりだったが、ティアは顔を赤くして少し怒ったように言葉を返した。
「……でもユニ、あれから何をしていたの? 今はどうしてイオン様のおそばに?」
「え、えーと」
いつか訊かれると思っていたが、まだ答えを考えていなかった。ユニは言葉を濁し、曖昧に笑った。
(ここは、慎重に答えなくちゃ)
ティアに嘘をつくのは悪い気がしたが、仕方ない。こんなところでイオンと一緒にいていいのは教団公認の導師守護役くらいだ。しかし自分が導師守護役だと証明できるものは何もないし、神託の盾に所属するティアを騙すのは難しい。真相を明かす方がいいだろうか? ティアの思想がこちらと一致すれば、仲間に出来るかもしれない。しかし神託の盾騎士団のティアにこの情報を教えるのは、リスクが大きすぎる。
結局いい策は何も浮かんでこなかった。とにかくここは誤魔化すしかない。
「あれから……わたしはグランコクマにずっといて、それでなんとか軍に入って……」
「軍に!? あなたが?」
「う、うん、まぁ……」
「マルクト軍ね? それが、どうしてイオン様と?」
「え、そ、それにはいろいろと事情が……」
『軍』というキーワードを出してしまったのはまずかったかもしれない。余計に話が複雑になってしまう。
「……そういえば、エンゲーブには導師守護役もいたわね。教団公認の旅なのかしら」
「うん。そ、そんな感じ……」
もう何も言うまい、とユニは口を閉じた。ティアはまだすっきりしない表情をしていたが、ユニに悪意を感じられなかったのだろう、ふぅと息をついた。その瞬間、待っていましたとばかりに口を開く。
「そうだティア、ティアはどうしてたのっ?」
「私は……士官学校を卒業して、正式に神託の盾騎士団に入団したわ。それで今は、大詠師モースの指揮下で動いているの」
「え、モース……?」
ちょっと待て、とユニは心の中で呟く。大詠師モースといえば、イオンの監禁を指示したその人ではなかったか。ティアがその部下ならば、ますます今回の作戦を知られるわけにはいかなくなってしまった。「そうなんだ、すごいね」と曖昧に返事をして、話題を変えた。しかしお互いに疑問の残る終わり方となってしまった。
(そういえば、ルークはなんでティアと一緒にいるんだろう。別に仲がいい感じもしないし……。それに、ティアのお兄さんのことも、何があったのか……)
ミュウの案内で、一行は森の最深部まで進んだ。暗い洞窟を抜けると、木々が取り囲むようにして壁を作っている空間に出た。その奥に、巨大なライガが横たわっていた。
「……あれが女王ね」
「女王?」
「ライガの集団は強大な雌を中心に群れをなす女王社会なのよ」
ティアは冷静に説明するが、ユニはとてもじゃないが落ち着いてなどいられなかった。低い唸り声がピリピリと空気を振動させる。見るからに気が立っている。
「ミュウ。ライガ・クイーンと話をします。通訳を頼みますよ」
「はいですの!」
ミュウはイオンの肩から飛び降りて、ライガに向かって「みゅうみゅう」と喋り出した。ライガ・クイーンはそれを睨みつけながらゆっくりと身を起こし、次の瞬間、恐ろしい声で咆哮をあげた。それだけで、吹き飛ばされるようにミュウがコロコロと転がった。
ティアが心配そうにミュウを拾い上げる横で、ルークはライガから目を離していなかった。恐怖からか、顔が引きつっている。
「おい……あいつは何て言ってんだ?」
「卵が孵化するところだから……来るな……と言ってるですの。ボクがライガさんたちのお家を火事にしちゃったから、女王様、すごく怒ってるですの……」
「まずいわ。卵を守るライガは凶暴性を増している筈よ」
「……卵が孵れば生まれた仔たちは食料を求めて街へ大挙するでしょう。ライガの仔は人を好むんです」
「ええ。だから街の近くに棲むライガは繁殖期前に狩り尽くすのが決まりよ」
ライガがもう一度吼えた。訳すまでもない。帰れ、と言っているに違いない。ユニは泣きそうになりながら、ロッドを握り締めた。もはや戦闘はまぬがれない。どの譜術が効きそうだろうか、火事で逃げてきたってことは炎系だろうか、と思考が勝手に巡りだす。
イオンはティアからミュウを受け取ると、それを地面に下ろした。
「ミュウ。彼らにこの土地から立ち去るように言ってくれませんか?」
「は、はいですの」
ミュウは怯えながらも前に出てライガ・クイーンに話しかけた。すると、一度沈黙してから前よりも激しい声でライガが吼えた。その声で洞窟全体が震え、岩石が崩れ落ちてきた。そのうちの一つが、ミュウの頭上に降り注ごうとしていた。
「危ない!」
「みゅ!?」
間一髪のところで、ルークが刀でそれを砕いた。肩にかかる粉塵を落として、ルークはそっぽを向く。
「あ、ありがとうですの!」
「か、勘違いすんなよ。おめーをかばったんじゃなくてイオンとユニをかばっただけだからな!」
だが、感激している間もなかった。ライガ・クイーンがついにユラリと立ち上がり、こちらへ足を向けたのだ。一歩一歩が重く、どすん、と地面を揺らした。
「大変ですの。ボクたちを殺して、孵化した仔どもの餌にすると言ってるですの……!」
「交渉決裂ね。……導師イオン、ミュウとユニと一緒におさがり下さい」
「わ、わたしも戦う。譜術なら使えるから」
「頼もしいわ、ユニ」
そう言いながら、ティアとユニが前に出た。しかしルークは困惑した表情でこちらを見るのだった。
「お、おい。ここで戦ったら卵が割れちまうんじゃ……」
「残酷なようだけど、その方が好都合よ」
「ふ、ふたりとも、来るよ!」
ライガ・クイーンは完全にこちらに照準を合わせた。空気が緊張で震えた。
「くそ……!」
ルークは舌打ちをしながらライガの前へ飛び出して行った。ユニの横で、はやくもティアが譜陣を展開している。ユニも負けじと、音素を再構築しはじめた。
「ルークさがって!」
「ああ!」
「全てを灰塵と化せ、エクスプロード!」
ユニがルークを下がらせると同時に、ライガ・クイーンの周囲で炎が大爆発した。ティアはすかさずルークに治癒術をかける。戦闘が始まってから数分が経過していた。ルークは何度もライガの攻撃を受けており、服はあちこちが破けてひどい有様だった。
爆発の衝撃であたりに煙が立ち込めて、ライガの姿は見えない。効いただろうか。いや、今の術が効かないとなると相当きつい。ユニたちは無言で、視界が晴れるのを待っていた。
「……やったかしら?」
「おい! あれ!」
黒々とした影が起き上った。ライガ・クイーンだ。ユニたちがその姿を確認すると同時に、ぞっとするような雄叫びが聞こえ、霧が一気に晴れた。
「どーなってるんだよっ! ピンピンしてるぞ!」
「どうしよう……ほとんど効いてない」
「じょ、冗談じゃねぇ! なんとかしろっ!」
「そんなこと言われても!」
「おい、また来るぞ!」
ルークに怒鳴られて、ユニはそれ以上言い返せなかった。力の差がありすぎる。上位譜術を何発も使うだけの体力はユニにはないし、それを唱える時間も、もうルークには稼げないだろう。敵うわけがない。立っているだけでこんなにも足が震えているのに。
――自分だけなら、諦めてしまえたかもしれない。
でもこの場にはイオンもいた。ユニと、ユニの大事な人たちのために、彼だけは守らなければならなかった。でも自分には、その力がない。ライガの懐に踏み込んで自分ごと爆散させれば、少しは時間が稼げるかどうかというくらい……
「それしかないなら、せめて、イオンだけでも――」
「やれやれ。見ていられないですね」
「!」
その声に、ユニは膝から崩れ落ちそうになった。
振り返らずとも、知っている。当たり前のようにその表情が瞼の裏に浮かんでくるのだった。