第2章(外殻大地編)
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32 ワルツを踊れ
ユニたちは、マルクト側の陸地に着くと同時にあらかじめ配備していた陸上装甲艦タルタロスに乗り換えた。
海で使っていた高速艇よりもかなり大きく、様々な機能が備わっているマルクト軍の最新兵器であった。ダアトでは目立つという理由で使えなかったが、これほどの戦艦なら戦争になっても無事だろうと思わせるくらいで、ユニは少し安心してしまうのだった。
先の第七音素反応を確認するため発生地点へ向かう途中、近頃有名になっていた「漆黒の翼」と名乗る盗賊団らしき怪しい馬車を発見した。マルクト軍も彼らには随分苦しめられていたので見逃すわけにはいかず追跡を始めたが、彼らはローテルロー橋を爆発させて、その手から逃れて行ったのだった。
「仕方ありません。予定通りエンゲーブへ向かいましょう」
崩れ落ちた橋を見てジェイドは溜息をつき、船員たちに指示をとばした。タタル渓谷側へ渡れなくなってしまったので、結局、キムラスカからの第七音素反応についても手掛かりは得られなかった。
「グランコクマからの届け物はまだ着いていませんよ、大佐」
「そうですか……」
エンゲーブへ入り、ピオニーから親書を受け取るはずだった村の代表者ローズの家へ向かったが、そこでは彼女から残念な知らせを聞いただけだった。本来ならば、ここで親書を受け取り、すぐにでも次の目的地へ出発していた。
一抹の不安が、肩にのしかかる。もしもピオニーが親書を完成させられなかったら? 親書の完成が大幅に遅れていたら?
――戦争が、はじまってしまうかもしれない。
「ジェイド……」
「待ちましょう。我々のダアトでの作戦がうまくいきすぎたんですよ」
いつもは最悪な想定から始めるジェイドも、彼の最も信頼する友人とあれば、希望を口にするのだった。
「ですからみなさん、そう暗い顔をなさらずに」
ジェイドは振り向いて、イオンとアニス、そしてユニに言った。こうして戦場を離れれば、かなり幼く見える。彼が珍しく前向きなのも、彼以外の者がみな旅に慣れない子供ばかりだったからだろうか。
「少し外を歩いてもいいですか?」
ローズ夫人宅でしばらく待たせてもらっていると、痺れを切らしたかのようにイオンがぽつりと言った。ユニとアニスは、ジェイドへ視線を向ける。
「あの、導師として気になっていまして……この村の様子が見てみたいんです」
「……構いませんよ。ただし護衛もご一緒に願います」
「! ありがとう、ジェイド!」
イオンはぱぁっと顔を輝かせた。その隣でアニスも嬉しそうに笑い、すぐに準備をし始めた。
やっとの思いでダアトから逃走してきたばかりなのに呑気なものだ、と思ってユニはちらりとジェイドを見た。彼はユニのそんな視線に気付くと、眼鏡を押し上げてその奥にある赤い瞳を静かに閉じるのだった。
「いいんですかぁ、そんなの。と言いたそうな目ですね」
「……む」
「ユニも一緒に外を歩きに行ってはいかがですか」
「わたしは……」
「ダアトから脱出して日も浅い今しか、こうして自由に歩き回ることなんて出来ませんよ」
「え……」
「マルクトの高速艇、そしてタルタロスの移動速度は世界有数です。神託の盾に追いつかれる心配がないのは、今だけです」
神託の盾騎士団がこちらの存在に気付き、追いつくまでの、僅かな時間。その間、今だけしか、不用心に外を歩き回ることも出来ない。こんなに呑気でいられるのは、決して、この村が穏やかなせいだけではないのだ。
「あなたもエンゲーブは初めてでしょう。子どもは明るいうちに遊んでおきなさい。ユニ」
「のどかで平和な村ですね、エンゲーブは」
「戦争のことなんて、みんな頭にないみたいですね~」
広大な平地を利用して作られた畑を、風が通り抜ける。心地よい村だった。村人は野菜を楽しそうに収穫し、小さいながらも市場は客で賑わっていた。イオンはそんな様子を珍しそうに眺めていた。彼が訪れたことがあるのは、各国の首都や大きな街ばかりだったのだろうか。
「アニス、ユニ。僕は、この村が戦禍を被るところは見たくありません」
「そうですよーイオン様、がんばりましょうね!」
真剣な顔で言ったイオンに、少しだけピオニーの面影が重なった。うつろうようにしてそれは消えたが、グランコクマでの彼のことを考えると、ユニは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
(わたしにはジェイドがいるから大丈夫だけど、陛下はちゃんとできてるのかな。ブウサギも元気かな。お部屋は誰が掃除してるんだろう。親書は完成できましたか。わたしはこれからどうなるんだろう。はやく戻りたいな、グランコクマに……)
「この泥棒め!」
「!」
ぼんやりと思いを巡らせていると、小屋の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。はっとして顔をあげると、アニスたちも首を傾げている。静かな村に突然響いた、怒声。戦争が始まるときも、きっとこんな感じで、昨日までの平和が一瞬で壊されていくのだろう。
「も~、せっかくの平和モードがだいなし~」
「行ってみましょう、二人とも」
「あの~なんかさっきすごい声が聞こえたんですけどぉ、なにがあったんですかぁ?」
「ああ、君たちはマルクト軍の方だね。実はここのところ村の食糧庫が荒らされているんだけど……」
「ついさっき犯人がみつかったってさ、ローズさんちに連行されていったよ」
「食糧……泥棒……?」
三人で呟きながら、顔を見合わせた。それにしても、あの死霊使いがちょうどこの村にいるときに捕まるとは、なんともタイミングの悪い泥棒である。
誰かが怪我をした訳でもなく、もう犯人はみつかって一件落着したようだが、なぜかイオンはじっと足元の地面をみつめていた。ユニもその様子につられて、視線を落とす。天気も良く乾いた地面にはたくさんの足跡があったが、ほとんど消えかけていた。その中に、ぽつぽつと、かなり小さい点のような跡があった。無意識に目で辿ってみると、それは倉庫の中へと消えている。これも足跡だろうか? なにか、小さい動物の――?
「すみません、少し食糧庫の中を見せていただけませんか?」
「え? ああ構わんよ。もう何もないけど……」
「ありがとうございます」
「え? イオン様ぁ?」
すっと顔をあげて食糧庫の中へ入って行ったイオンを追いかけて、アニスも慌てて後に続いていく。不思議そうな表情をする村人たちに小さくお辞儀をして、ユニも中へと入った。
「イオン様~犯人はもう捕まったって言ってたじゃないですかぁ、なんで今更……」
「いえ、少し気になったんです。ちょっと付き合ってください、二人とも」
そう言いながら、イオンは座りこむようにして地面をみつめる。
「僕の予想だと、動物の毛が落ちているはずです。一緒に探してください」
「どうぶつ……ですか~?」
「わたしもそう思いました。ここの入り口に、小さい足跡がたくさんあったし」
イオンの手元を上から眺めながらユニが言うと、彼はこちらを振り返ってふわりと微笑んだ。
「ユニはなんだと思いますか? その生き物」
「ん……すいません、詳しくは……」
「あ! もしかして、アニスちゃん、わかっちゃった!」
ユニが首を傾げていると、アニスがすちゃっと片手をあげた。
「東ルグニカ平野の森に生息する草食獣……ローレライ教団の象徴、アノ生き物ですね!? イオン様!」
――それは確かに導師と縁のある生き物だった。
しかし真っ白な法衣の裾を汚してまで、イオンがこんな行動をとる理由は、それだけではないのだ。もしもイオンが疑っている生き物が真犯人だとしたら、先ほど連れて行かれた者は濡れ衣を着せられていることになるのだから。
イオンの素直な優しさにふれて、ユニは意図せずとも笑みが零れてしまうのだった。そんな彼の力になれるようにと、ユニもアニスも真剣に捜索をする。
「うーん、でもちょっと薄暗くて、そんなちっこい毛なんてみつかりっこないですよぉイオン様……あれ?」
「どうしたのアニス……あれ?」
地面を食い入るようにみつめていたアニスが、顔をあげてイオンの方を振り向いた。しかし聞こえたのは彼の声ではなく「あれ?」という間の抜けたアニスの声だけ。不思議に思ってユニも振り返ると、同じように「あれ?」と声を出すのだった。――イオンが、いない。
「え、な、なんで!? イオン様、どこへ!?」
「も、もしかして……もう神託の盾が追い付いたの!?」
二人でわたわたと倉庫内を駆け回るが、彼の姿はない。ユニの脳裏に恐ろしい光景が浮かんだ。せっかく連れ出したイオンを、はやくも神託の盾に奪われるなんて、そんなの絶対に許されない。
「さ、探そうアニス、まだ遠くへ行っていないはず!」
「そうだね! ほんとに神託の盾だったらやばいもん! じゃ、わたしはこっち行くから!」
「うん! 急ごう!」
二人は、逆方向に駆け出した。ここでイオンを失うわけにはいかなかった。まだ、ピオニーからの親書も届いていない、こんな旅の始まりで。
「は~、どうしよう、どうしよう……」
しかし結局イオンはみつからなかった。村中を走り回った後で、疲れきったユニは木にもたれかかって溜息をついた。身体は確かに休んでいるが、思考は止まらず動き続けていた。止められなかった。最悪な想像、どうしたらそれを回避できるか、どうしたらそれを止められるか、どうやって責任をとるか。ぐるぐると繰り広げられる寿命を削るような想像にいよいよ耐えきれなくなって、ユニは頭を振った。
「ジェイドが悪いんだよもう……外出なんて許すから……」などいうことは言えるはずがないし、言ったところで的外れだった。イオンの護衛を任されたのは自分たちで、イオンから目を離したのも自分たちで。
「……探さなきゃ」
ふうと息を吐いて、身体を起こし、また走りだした。しかし突然、目の前に影が現れた。
「きゃ!」
「きゃわー!」
思いきりぶつけた額と、反動で地面に無防備に打ち付けた下半身とに痛みが走った。涙ぐんで開けた視界に、ぼんやりと浮かぶツインテール。妙な叫び声。ああ……
「ご、ごめん、アニス……」
「あ! ユニ! いいところにっ!」
アニスはユニほどダメージを受けなかったのか、単純に彼女の方が強いのか、すぐに立ちあがるとユニの両手を握りしめてきた。ぽかんとしていると、アニスは安堵から泣きそうな笑顔を浮かべた。
「さっきね、イオン様を見た人がいたの! ローズさんちにいたって!」
「へ……な、なんだぁ……」
「ほーんと、無駄に慌てちゃった! 証拠みつけて一人でさっさと行っちゃってたみたいなのー。か弱い女の子二人振り回しちゃってぇ、いいご身分だよねー」
アニスに助け起こされたが、やっぱり足もとがふらついた。安心して肩の力が抜けきってしまったのだ。しかし次のアニスの言葉で、また眩暈がする。
「はうあ! もたもたしてる場合じゃなかった! もう『イオン様が行方不明』って噂になってるって言われたんだった!」
「待って、も、もう……!?」
アニスに腕をひかれて、転がるように広場を駆け抜けていく。鈍く働く脳で、ユニはぼんやりとこの少女のことを考えていた。さすが軍人というべきか。疲れきったユニとは正反対に、まだまだ元気だった。疲れた時、ピンチの時にこそ力を発揮できるよう訓練しているのだろうか。ユニより歳も若いのに。きっとアニスは人だって殺せるんだろう。ユニはまだその経験はない。でも、これからこの旅で、殺すこともある。きっとある――
「イオン様ぁ! ほんとに心配したんですよぉー!」
「あ、アニス、ユニ! す、すみません……急いでいたら二人に声をかけるのを忘れていて……」
気が付くとローズ夫人の家の中にいて、アニスが喚きながらイオンに迫っているところだった。横を見るとジェイドがいつもの読めない表情で立っており、ユニの視線に気付くと、眼鏡を押し上げた。
「もう噂になっているとは、前途多難です」
「そうですね……」
「ユニ、今回は杞憂ですみましたが、次からはそれが現実になりますよ。イオン様の護衛を任されたのなら、絶対に目を離さないで下さい。我々の策の要ですから」
「はい……」
これからはもうこんな気の抜けた毎日は送れなくなる。あたりまえなのに、そう覚悟してきたのに、実際こうしてグランコクマを離れてみると、その事実が重くのしかかった。耐えられるのか、うまくやれるのか。再び押し寄せる憂いの波が、身体を呑み込む。
しゅんとして伏せられた視界に影が落ちる。ジェイドが、ユニの頭にぽんと手を置いたのだ。
「ところで、食糧泥棒の件ですが」
「はい……」
「イオン様がチーグルの毛を持ってきてくださって、鮮やかに解決してくれましたよ」
「! そうですか、それはよかったです」
「ま、濡れ衣を着せられた方も、当然というかそういう感じの青年でしたが」
「?」
「疑いが晴れたことでまた図に乗っていなければいいのですがね」
「……?」
ユニたちは、マルクト側の陸地に着くと同時にあらかじめ配備していた陸上装甲艦タルタロスに乗り換えた。
海で使っていた高速艇よりもかなり大きく、様々な機能が備わっているマルクト軍の最新兵器であった。ダアトでは目立つという理由で使えなかったが、これほどの戦艦なら戦争になっても無事だろうと思わせるくらいで、ユニは少し安心してしまうのだった。
先の第七音素反応を確認するため発生地点へ向かう途中、近頃有名になっていた「漆黒の翼」と名乗る盗賊団らしき怪しい馬車を発見した。マルクト軍も彼らには随分苦しめられていたので見逃すわけにはいかず追跡を始めたが、彼らはローテルロー橋を爆発させて、その手から逃れて行ったのだった。
「仕方ありません。予定通りエンゲーブへ向かいましょう」
崩れ落ちた橋を見てジェイドは溜息をつき、船員たちに指示をとばした。タタル渓谷側へ渡れなくなってしまったので、結局、キムラスカからの第七音素反応についても手掛かりは得られなかった。
「グランコクマからの届け物はまだ着いていませんよ、大佐」
「そうですか……」
エンゲーブへ入り、ピオニーから親書を受け取るはずだった村の代表者ローズの家へ向かったが、そこでは彼女から残念な知らせを聞いただけだった。本来ならば、ここで親書を受け取り、すぐにでも次の目的地へ出発していた。
一抹の不安が、肩にのしかかる。もしもピオニーが親書を完成させられなかったら? 親書の完成が大幅に遅れていたら?
――戦争が、はじまってしまうかもしれない。
「ジェイド……」
「待ちましょう。我々のダアトでの作戦がうまくいきすぎたんですよ」
いつもは最悪な想定から始めるジェイドも、彼の最も信頼する友人とあれば、希望を口にするのだった。
「ですからみなさん、そう暗い顔をなさらずに」
ジェイドは振り向いて、イオンとアニス、そしてユニに言った。こうして戦場を離れれば、かなり幼く見える。彼が珍しく前向きなのも、彼以外の者がみな旅に慣れない子供ばかりだったからだろうか。
「少し外を歩いてもいいですか?」
ローズ夫人宅でしばらく待たせてもらっていると、痺れを切らしたかのようにイオンがぽつりと言った。ユニとアニスは、ジェイドへ視線を向ける。
「あの、導師として気になっていまして……この村の様子が見てみたいんです」
「……構いませんよ。ただし護衛もご一緒に願います」
「! ありがとう、ジェイド!」
イオンはぱぁっと顔を輝かせた。その隣でアニスも嬉しそうに笑い、すぐに準備をし始めた。
やっとの思いでダアトから逃走してきたばかりなのに呑気なものだ、と思ってユニはちらりとジェイドを見た。彼はユニのそんな視線に気付くと、眼鏡を押し上げてその奥にある赤い瞳を静かに閉じるのだった。
「いいんですかぁ、そんなの。と言いたそうな目ですね」
「……む」
「ユニも一緒に外を歩きに行ってはいかがですか」
「わたしは……」
「ダアトから脱出して日も浅い今しか、こうして自由に歩き回ることなんて出来ませんよ」
「え……」
「マルクトの高速艇、そしてタルタロスの移動速度は世界有数です。神託の盾に追いつかれる心配がないのは、今だけです」
神託の盾騎士団がこちらの存在に気付き、追いつくまでの、僅かな時間。その間、今だけしか、不用心に外を歩き回ることも出来ない。こんなに呑気でいられるのは、決して、この村が穏やかなせいだけではないのだ。
「あなたもエンゲーブは初めてでしょう。子どもは明るいうちに遊んでおきなさい。ユニ」
「のどかで平和な村ですね、エンゲーブは」
「戦争のことなんて、みんな頭にないみたいですね~」
広大な平地を利用して作られた畑を、風が通り抜ける。心地よい村だった。村人は野菜を楽しそうに収穫し、小さいながらも市場は客で賑わっていた。イオンはそんな様子を珍しそうに眺めていた。彼が訪れたことがあるのは、各国の首都や大きな街ばかりだったのだろうか。
「アニス、ユニ。僕は、この村が戦禍を被るところは見たくありません」
「そうですよーイオン様、がんばりましょうね!」
真剣な顔で言ったイオンに、少しだけピオニーの面影が重なった。うつろうようにしてそれは消えたが、グランコクマでの彼のことを考えると、ユニは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
(わたしにはジェイドがいるから大丈夫だけど、陛下はちゃんとできてるのかな。ブウサギも元気かな。お部屋は誰が掃除してるんだろう。親書は完成できましたか。わたしはこれからどうなるんだろう。はやく戻りたいな、グランコクマに……)
「この泥棒め!」
「!」
ぼんやりと思いを巡らせていると、小屋の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。はっとして顔をあげると、アニスたちも首を傾げている。静かな村に突然響いた、怒声。戦争が始まるときも、きっとこんな感じで、昨日までの平和が一瞬で壊されていくのだろう。
「も~、せっかくの平和モードがだいなし~」
「行ってみましょう、二人とも」
「あの~なんかさっきすごい声が聞こえたんですけどぉ、なにがあったんですかぁ?」
「ああ、君たちはマルクト軍の方だね。実はここのところ村の食糧庫が荒らされているんだけど……」
「ついさっき犯人がみつかったってさ、ローズさんちに連行されていったよ」
「食糧……泥棒……?」
三人で呟きながら、顔を見合わせた。それにしても、あの死霊使いがちょうどこの村にいるときに捕まるとは、なんともタイミングの悪い泥棒である。
誰かが怪我をした訳でもなく、もう犯人はみつかって一件落着したようだが、なぜかイオンはじっと足元の地面をみつめていた。ユニもその様子につられて、視線を落とす。天気も良く乾いた地面にはたくさんの足跡があったが、ほとんど消えかけていた。その中に、ぽつぽつと、かなり小さい点のような跡があった。無意識に目で辿ってみると、それは倉庫の中へと消えている。これも足跡だろうか? なにか、小さい動物の――?
「すみません、少し食糧庫の中を見せていただけませんか?」
「え? ああ構わんよ。もう何もないけど……」
「ありがとうございます」
「え? イオン様ぁ?」
すっと顔をあげて食糧庫の中へ入って行ったイオンを追いかけて、アニスも慌てて後に続いていく。不思議そうな表情をする村人たちに小さくお辞儀をして、ユニも中へと入った。
「イオン様~犯人はもう捕まったって言ってたじゃないですかぁ、なんで今更……」
「いえ、少し気になったんです。ちょっと付き合ってください、二人とも」
そう言いながら、イオンは座りこむようにして地面をみつめる。
「僕の予想だと、動物の毛が落ちているはずです。一緒に探してください」
「どうぶつ……ですか~?」
「わたしもそう思いました。ここの入り口に、小さい足跡がたくさんあったし」
イオンの手元を上から眺めながらユニが言うと、彼はこちらを振り返ってふわりと微笑んだ。
「ユニはなんだと思いますか? その生き物」
「ん……すいません、詳しくは……」
「あ! もしかして、アニスちゃん、わかっちゃった!」
ユニが首を傾げていると、アニスがすちゃっと片手をあげた。
「東ルグニカ平野の森に生息する草食獣……ローレライ教団の象徴、アノ生き物ですね!? イオン様!」
――それは確かに導師と縁のある生き物だった。
しかし真っ白な法衣の裾を汚してまで、イオンがこんな行動をとる理由は、それだけではないのだ。もしもイオンが疑っている生き物が真犯人だとしたら、先ほど連れて行かれた者は濡れ衣を着せられていることになるのだから。
イオンの素直な優しさにふれて、ユニは意図せずとも笑みが零れてしまうのだった。そんな彼の力になれるようにと、ユニもアニスも真剣に捜索をする。
「うーん、でもちょっと薄暗くて、そんなちっこい毛なんてみつかりっこないですよぉイオン様……あれ?」
「どうしたのアニス……あれ?」
地面を食い入るようにみつめていたアニスが、顔をあげてイオンの方を振り向いた。しかし聞こえたのは彼の声ではなく「あれ?」という間の抜けたアニスの声だけ。不思議に思ってユニも振り返ると、同じように「あれ?」と声を出すのだった。――イオンが、いない。
「え、な、なんで!? イオン様、どこへ!?」
「も、もしかして……もう神託の盾が追い付いたの!?」
二人でわたわたと倉庫内を駆け回るが、彼の姿はない。ユニの脳裏に恐ろしい光景が浮かんだ。せっかく連れ出したイオンを、はやくも神託の盾に奪われるなんて、そんなの絶対に許されない。
「さ、探そうアニス、まだ遠くへ行っていないはず!」
「そうだね! ほんとに神託の盾だったらやばいもん! じゃ、わたしはこっち行くから!」
「うん! 急ごう!」
二人は、逆方向に駆け出した。ここでイオンを失うわけにはいかなかった。まだ、ピオニーからの親書も届いていない、こんな旅の始まりで。
「は~、どうしよう、どうしよう……」
しかし結局イオンはみつからなかった。村中を走り回った後で、疲れきったユニは木にもたれかかって溜息をついた。身体は確かに休んでいるが、思考は止まらず動き続けていた。止められなかった。最悪な想像、どうしたらそれを回避できるか、どうしたらそれを止められるか、どうやって責任をとるか。ぐるぐると繰り広げられる寿命を削るような想像にいよいよ耐えきれなくなって、ユニは頭を振った。
「ジェイドが悪いんだよもう……外出なんて許すから……」などいうことは言えるはずがないし、言ったところで的外れだった。イオンの護衛を任されたのは自分たちで、イオンから目を離したのも自分たちで。
「……探さなきゃ」
ふうと息を吐いて、身体を起こし、また走りだした。しかし突然、目の前に影が現れた。
「きゃ!」
「きゃわー!」
思いきりぶつけた額と、反動で地面に無防備に打ち付けた下半身とに痛みが走った。涙ぐんで開けた視界に、ぼんやりと浮かぶツインテール。妙な叫び声。ああ……
「ご、ごめん、アニス……」
「あ! ユニ! いいところにっ!」
アニスはユニほどダメージを受けなかったのか、単純に彼女の方が強いのか、すぐに立ちあがるとユニの両手を握りしめてきた。ぽかんとしていると、アニスは安堵から泣きそうな笑顔を浮かべた。
「さっきね、イオン様を見た人がいたの! ローズさんちにいたって!」
「へ……な、なんだぁ……」
「ほーんと、無駄に慌てちゃった! 証拠みつけて一人でさっさと行っちゃってたみたいなのー。か弱い女の子二人振り回しちゃってぇ、いいご身分だよねー」
アニスに助け起こされたが、やっぱり足もとがふらついた。安心して肩の力が抜けきってしまったのだ。しかし次のアニスの言葉で、また眩暈がする。
「はうあ! もたもたしてる場合じゃなかった! もう『イオン様が行方不明』って噂になってるって言われたんだった!」
「待って、も、もう……!?」
アニスに腕をひかれて、転がるように広場を駆け抜けていく。鈍く働く脳で、ユニはぼんやりとこの少女のことを考えていた。さすが軍人というべきか。疲れきったユニとは正反対に、まだまだ元気だった。疲れた時、ピンチの時にこそ力を発揮できるよう訓練しているのだろうか。ユニより歳も若いのに。きっとアニスは人だって殺せるんだろう。ユニはまだその経験はない。でも、これからこの旅で、殺すこともある。きっとある――
「イオン様ぁ! ほんとに心配したんですよぉー!」
「あ、アニス、ユニ! す、すみません……急いでいたら二人に声をかけるのを忘れていて……」
気が付くとローズ夫人の家の中にいて、アニスが喚きながらイオンに迫っているところだった。横を見るとジェイドがいつもの読めない表情で立っており、ユニの視線に気付くと、眼鏡を押し上げた。
「もう噂になっているとは、前途多難です」
「そうですね……」
「ユニ、今回は杞憂ですみましたが、次からはそれが現実になりますよ。イオン様の護衛を任されたのなら、絶対に目を離さないで下さい。我々の策の要ですから」
「はい……」
これからはもうこんな気の抜けた毎日は送れなくなる。あたりまえなのに、そう覚悟してきたのに、実際こうしてグランコクマを離れてみると、その事実が重くのしかかった。耐えられるのか、うまくやれるのか。再び押し寄せる憂いの波が、身体を呑み込む。
しゅんとして伏せられた視界に影が落ちる。ジェイドが、ユニの頭にぽんと手を置いたのだ。
「ところで、食糧泥棒の件ですが」
「はい……」
「イオン様がチーグルの毛を持ってきてくださって、鮮やかに解決してくれましたよ」
「! そうですか、それはよかったです」
「ま、濡れ衣を着せられた方も、当然というかそういう感じの青年でしたが」
「?」
「疑いが晴れたことでまた図に乗っていなければいいのですがね」
「……?」