第2章(外殻大地編)
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31 歯車として出来ること
ふらふらするイオンを気遣って走るスピードを緩めると「僕に構わないでください」と少し怒られた。川へ向かう途中では、幸いなことに何も起こらなかった。
海へ続く川辺に着くと、すでにジェイドが小舟に待機していた。彼の顔を見たら途端に安心してしまう。彼と合流さえすれば、もうこの作戦はユニの中では終わったも同然だった。
「カーティス大佐!」
「お待ちしておりました。さあ導師、こちらへ」
「ジェイドぉ~! 会いたかったです~!」
「私もですよ、ユニ。戦闘ご苦労様でしたね」
「……えええ、なんで知ってるんですか!?」
「さあさあ急ぎましょう、導師守護役のお嬢さんはこちらへお乗り下さい」
「ちょ、ちょっとジェイド!」
小舟は川岸を離れ、高く聳える教会はぐんぐん遠ざかっていった。アニスは導師守護役でありながら導師の誘拐に手を貸してしまったことを、今更ながら後悔し、「クビになったらどうしよおお!」と叫んでいた。イオンは彼女をなだめるように、導師の権限でそんなことはさせないと言ったが、さすがにこんな前代未聞な事件を起こしておいてお咎めなし、というわけにはいかないだろう。やっと安心できたユニだったが、こんな会話を聞いていると改めてとんでもないことに首を突っ込んでしまったのだと思い知らされた。
慣れた手つきで舟を操縦するジェイドの隣で溜息をつくと、彼はこちらを見下ろして微笑んだ。そして珍しくさわやかな笑顔で、「実はユニが心配で見に行ってしまったんですよ」と軽い調子で先ほどの答えとなる言葉を口にするのだった。
「え……さっきの戦闘、見てたんですか……?」
「ええ」
「……だったらなんで助けてくれないんですか……」
「助ける必要があったら助けましたが?」
水飛沫を受けて髪をなびかせるジェイドは、実に格好よかった。ユニは少しだけ頬を赤くする。そしてイオンたちには聞こえないように声のトーンを落として彼を呼んだ。こんな初心者がお供だとわかったら、彼らも不安だろうから。
「あの、わたし、ちゃんと戦えていました? ジェイド以外の人とは初めて戦ったから、いまいちよくわからなくて」
「良い成績でしたよ。動きも硬くなく、余裕すら見えました」
「え……本当ですか!?」
「はい。想像以上です」
ジェイドが褒めてくれるなんてめったにないことなので、ユニは口元が緩むのを抑えることが出来なかった。だらしない笑顔を向けると、彼は優しい表情でユニの頭を撫でた。素直に嬉しいのか、はたまた別の気持ちなのか、胸が心地良い痛さで締め付けられる。
「ですがユニ、驕らないことです。鍛錬を怠らないように」
「へ……」
「神託の盾兵には、全軍教会正面へまわるよう命令が出ていました。そんな時に裏にいる兵なんて、恐らくいつもさぼっている不真面目な兵でしょう。下の下ですよ」
「そ、そうですよね……」
せっかくの高揚感が、彼の一言で一気に消沈した。目に見えて落ち込んでしまうと、呆れたように笑われる。
「とはいえ、初めての戦闘で二人を相手にかすり傷一つ受けることなく勝利したのは、私も驚きでした。よく頑張りましたね、ユニ。これからも期待していますよ」
「……はいっ!」
飴と鞭と、飴。自分の脆さも、ジェイドの甘さも、今は許してしまおう。今日は気を張りすぎてもう疲れてしまった。
「さあ、海はもうすぐですよ」
ジェイドの声に、ユニが瞼を閉じ、アニスとイオンが身を乗り出した――その時だった。
両側にあった林を抜けた途端、真横を走る船が何隻も現れた。アニスが「きょ、教団の船!」と叫ぶ。自分たちの船と並走するように、神託の盾兵が乗った船が迫っていた。
「あれは……モース様の追っ手です!」
「イオン様、私の側へ。ユニは譜術で援護して下さい」
「は、はい!」
「振り切りますよ!」
イオンの服を掴んだジェイドは、そう言うと同時に思いきりハンドルを切った。舟はほとんど直角に曲がり、追っ手の船の間を縫うように物凄いスピードで進んだ。
「そ、滄溟たる波濤よ、戦渦となりて厄を呑み込め……タイダルウェイブ!」
振り落とされそうになりながらやっとの思いで詠唱を終え、譜術を展開する。ユニの呼んだ大波が敵の二隻を完全に呑み込んだ時、隣でアニスが「うわー! やっちゃった!」と叫んだ。
「ユニー! ちょっと今のやりすぎだよぉ! このくらいでいいからぁ!」
「うそ! ご、ごめん!」
アニスが見本を見せるように、今追い抜いたばかりの船に向かって譜術を発動した。それはうまく動力を破壊したらしく、敵の船は減速していった。
「おおー! アニス、すごい!」
「ほう、お嬢さんも譜術を使えましたか。これは心強い」
「ま、まぁね! う~ん、でも加減が難しいなぁ。大怪我させるわけにもいかないし……」
風が吹き付けて、髪がバタバタと顔を打つ。潮の香りがし始めた。海はもうすぐそこだった。ここで彼らを振り切らなければ、マルクト軍の船を見られてしまう。導師誘拐がマルクトによるものだとわかれば、それこそ戦争を止めることなど出来なくなる。なにか良い考えがないか――
「……カーティス大佐、ダンスのご経験は?」
「え? アニス?」
「……たしなむ程度には。しかしダンスは床の上でするものだと思っていましたが? お嬢さん」
首を傾げるユニとイオンを置いて、会話が進む。
「アニス。アニス・タトリンです。大佐」
アニスはいたずらっぽくウィンクをしてみせた。
「これでも私……導師守護役です。しかも最年少エリートのっ」
「ふむ。これは失礼……」
ジェイドの笑い方に、なにか嫌な予感がしてユニは無意識に船の端に手をかけた。その途端だった。ジェイドが思いっきりハンドルを切った。
「わわわわ!」
「ではアニス殿。お手並み拝見といきましょうか」
「はい!」
「アニス!?」
船を蹴って勢いよく飛んだアニスを、ほとんど縦に傾いた船に必死でしがみつきながらユニは目で追った。空中でアニスが身を翻した瞬間、彼女の背中にいつもちょこんと乗っている人形が、彼女よりも大きく巨大化した。
「せぇーのっ!」
そう叫ぶと同時に、アニスは人形ごと神託の盾の船へ急降下した。
「一隻!」
そして船をまっぷたつにへし折ると、同時にまた空へ飛び上がった。次の船に狙いを定め、急降下する。すさまじい破壊音の中で「二隻!」とアニスの声が聞こえた。
「ア、アニス! なんて危険なことを……!」
「あなたを守るためですよ、導師」
巨大な人形とともに空を駆け、次々と船を潰していくアニスに見惚れていたユニの背後から、不安そうなイオンの声が聞こえた。振り返ると、ジェイドがイオンに向かって珍しく優しい表情を向けていた。
「いい部下をお持ちですね」
「……はい!」
嬉しそうに言ったイオンは、今まで見たことがないくらいに明るい笑顔を浮かべていた。ユニもあたたかい気持ちになって、もう一度アニスへと視線を戻した。しかし同時に、ユニは声をあげて身を乗り出す。
「ジェ、ジェイド! アニスが!」
空高く飛び上がったアニスから逃げるように、神託の盾の小船が離散していった。つまり、彼女の足場がなくなってしまったのだ。
「おっと」
ジェイドがハンドルを切って、ちょうどアニスの落下点に入った。巨大化した人形とともにアニスが降ってきて、どすん! と船に物凄い衝撃が走る。船は大きく傾き、ユニたちは思い切り水をかぶった。
「お、お見事! 大佐」
「あなたもね、アニス」
船に着地したアニスの背には、いつものサイズに戻ってくったりとしている人形がいた。ジェイドに礼を言う彼女も、もう普通の女の子に戻っていた。しかしこの二人、今日はじめて一緒に戦ったのに、なかなかのコンビネーションだ。だが、濡れた髪を掻き上げながら、アニスは渋い声を出した。
「あちゃー。結局囲まれちゃいましたねぇ、すいません」
速度を落としたユニたちの船の周りを、いつの間にか神託の盾の船が取り囲んでいた。その数は十を優に超えている。抜け出せそうな隙も、逃げ場もない。先ほどまでと一転した状況に、ユニは急激に不安になった。そう、今までが出来過ぎていた。こんな簡単にいくはずがない、そういう任務なのに、すっかり気が緩んでいた――
「ふーむ、さぁてどうしましょうかねぇ」
「どうしますかねぇ」
ジェイドとアニスが交互に声を漏らす。さすがに正真正銘の軍人だ。こんな時なのに落ち着いて飄々としてさえいる。
(それに比べたら、わたしやイオン様は……え、イオン様?)
わたしたちは、やっぱり無力だ。
そう思ってイオンの方を見たのだが、ユニは彼の表情に気圧されて硬直してしまった。深い碧の瞳の奥に、静かに燃える、焔。その横顔を食い入るようにみつめていると、ふっと彼が立ち上がった。
「みんな、掴まっていてください。少し――揺れます!」
「イオン様!?」
力強く響いた彼の声に驚いてジェイドやアニスがこちらを振り返る。そのときには既に彼の手元に莫大な音素が集中し、目に見える程に明るく輝いていた。
「アカシック・トーメント!!」
イオンが船床に手を付けると、そこから一気に波の上に譜陣が展開し、追手の船全てを呑み込んだ。水面を稲妻のように閃光が駆け抜ける。その一瞬の後で、神託の盾兵たちがバタバタと倒れていった。
しかし、その光を見たとき、ユニの心臓がどくりと脈打った。不思議な光。懐かしくて、なぜか怖い。何かを、思い出しそうになった……?
「……す、すごい! 兵たちを一度に!?」
静寂の後で、興奮したアニスの声が響き渡った。それを聞いてユニは我に返って、ふらりと立ち上がったイオンを見た。
「……イオン様……」
「気絶させただけです。すぐに……目が覚めます。今のうちに――」
「イ、イオン様!」
イオンは苦しげに笑うと、そのまま倒れてしまった。
イオンの譜術のおかげで無事に海へ出ることが出来、ユニたちは海上に待機していたマルクト軍の高速艇に乗り込んだ。使節団としての任務を、これでようやく一つクリアしたことになる。こんな綱渡りのような策はもうこりごりだと言いたいが、これから先の旅の方が確実に危険なのはわかっているので、ただただ先が思いやられる。
眠り続けるイオンの横で、ユニはひとり溜息をついた。
(アニスの戦い方も、イオン様の術も、すごかった……わたしは……)
仄暗い灯りのなかで考え事をしていたら、いつの間にかイオンが目覚めていた。彼はユニに笑いかける。
「……僕は、無事にダアトを出られたのですね。これからよろしくお願いします、ユニ」
「無礼を承知で申し上げます。独断の暴走はお控えください、導師」
イオンが目覚めたのでジェイドを呼んでくると、船室に入るなり彼はこう言った。突然のお説教モードのジェイドに、イオンもユニも黙り込む。
「あの場を切り抜ける手は まだいろいろありました。面識の浅い私を信用しろとは言いませんが……」
腕組みをして言うジェイドの後ろで、アニスもうんうんと頷いていた。
「……すみません……」
イオンは本当に申し訳なさそうに目を伏せた。なんで、彼が謝らなければならないのだろう。釈然としない思いで「イオン様はわたしたちを助けてくれたのに」と呟くと、ジェイドがこちらを冷たく見下ろしたので、ユニも誤魔化すように咳払いをする。
「助けていただいたことは感謝します。しかしそのためにあなたが倒れるというのは本末転倒だ。いいですか、導師」
眼鏡を押し上げたときの、かちゃりという金属音が、異様に冷ややかに聞こえた。
「今後、戦いは我々にまかせてください」
「……ま、かせる?」
その言葉に、イオンは怯えたように肩を震わせた。ひどく不安げな表情。その気持ちは、なんとなくユニにもわかる。「何もしなくていい」と言われるのは、自分の存在を消されるのと同義なんだ。思わず、言葉を返そうとジェイドへ視線を移した。しかし、それは杞憂だった。
「そうです。身体を張って戦うのは あなたの役目ではない」
ジェイドの表情には、包み込むような、珍しい、あたたかな優しさがあった。
「あなたはその御心で民を戦争から守ってください。イオン様」
彼の言葉にイオンは目を見開いた。重苦しい空気がふわりと軽くなる。張り詰めていた緊張が、一気に緩んだ。
「ふっ……あはっ! ははは!」
「!?」
「イオン様?」
「す、すみません、失礼しました。ありがとうございます。もう勝手はしません! 約束します、ふふっ」
くすくすと笑い続けるイオンを、ユニたちはぽかんとして見ていた。「何がおかしいんですかぁ?」とアニスが問いかけると、イオンは口元が緩むのを抑えきれないようで、困ったように笑う。
「だって、なんだか急に安心してしまったんです。ついさっきまではすごくすごく怖かったのに」
イオンは、沸き上がる興奮を隠そうともせずに、頬を上気させ、音叉型の法杖を両手で握り締めた。
「僕、こんなにドキドキしたのは生まれて初めてです!」
ああ、わかるなぁ、と思ってユニの心が揺れた。初めてグランコクマを出て、ダアトへ行き、アニスやシンクたちと出会った日は、夢なんじゃないかと思うくらいにドキドキしたものだった。
イオンも、ダアト以外の街へ行くのは初めてなんだろうか? いや、そんなはずはない。導師は各国の行事に出席するから、マルクトやキムラスカには当然行ったことがあるだろう、ただし公務として、だが。
だからきっと、はじめて「導師」ではなく「イオン」として行動したことが、嬉しくて仕方ないのだろう。
イオンたちを船室に残して、ユニとジェイドは部屋を出た。
「ご立派な方ですねぇ、イオン様は」
「本当ですね。さすが、導師です」
「……いえ、導師だから、導師ならば、皆ああなれるというわけではありませんよ」
音素灯に照らされた廊下を、時折兵士たちと擦れ違いながら、ジェイドがユニに言う。
「イオン様がいらっしゃれば、キムラスカも親書を快く受け取って下さるでしょう」
「そうですね。……陛下は大丈夫でしょうか?」
「これはあの方が言い出した作戦ですよ。意地でも完遂させる筈です」
「ま、陛下は大丈夫ですよね! だから次は……」
「次はエンゲーブへ向かいます。そこで陛下からの親書を受け取りましょう」
「はい」
簡単に進路の確認をしたところで、ジェイドは「では私は艦橋へ行きますので」と言って、分かれ道で立ち止まった。ユニは別にそちらへは行かなくてもいいのだろう。船の操作のことはわからないし。部屋で休もうか、次の戦闘のために――
(休んだって、わたしが次も役に立てるとは限らないけど……)
「ユニ」
「はい?」
ぼんやりと俯いていると、ジェイドの声が頭の上から落ちてきた。反射的に顔を上げると、彼の穏やかな視線と交錯した。今日は、彼の優しい表情ばかり拝める。珍しい日だ。
「舟の上でも言いましたが、今日は初めての実戦、ご苦労様でした。イオン様とアニスを守っていただき、ありがとうございます」
「はい……」
「私が教え込んだとおりきちんと出来ていましたしね。次も期待していますよ」
「は、はいっ!」
「私が教え込んだ」という言葉に、ユニの胸が熱くなった。ジェイドに褒めてもらえた、認めてもらえた、恥ずかしい弟子じゃないんだと思えて泣きそうになる。
次も、必ず彼を満足させられるように。そうやって積み上げていこうと密かに思うのだった。
◇
「……おっと、次は殺さなければいけません、ということを言い忘れてしまいました」
「げっ。怖いことおっしゃるんですね~大佐ってば」
「これはこれは、アニス殿」
ユニが去った後で呟いた独り言に、返事があった。ジェイドは「盗み聞きとはいけませんねぇ」と述べてから、後ろを振り向く。
そこにはしたり顔の導師守護役がいた。傍目に見れば、騒がしく明るい元気な少女。しかし真の姿は、こちらも顔負けするほどのやり手のようだ。
「やっぱり、ユニってホントの軍人じゃないんですね」
「おや、ばれてしまいましたか」
「はい。なんか加減がわかってなさそうだったし、敵なのになるべく怪我させないように、って戦っていましたし。大佐がそういうふうに指導したんですかぁ?」
「そんなことを教えた覚えはありませんがねぇ」
ジェイドがわざとらしく首を傾げたその時だった。窓の外に突然閃光が走り、衝撃で艇がぐらりと揺れた。
「きゃっ!?」
アニスが悲鳴をあげた。ジェイドは駆け出して窓の外を見る。はるか彼方に、天まで届くかのような光の柱が立ち昇っていた。
「カーティス大佐!」
「今のはなんです!?」
「きょ、強力な第七音素反応です! キムラスカ方面からマルクト領土へ収束を確認――正体は不明です!」
「キムラスカからの第七音素……!?」
荒々しく駆け込んで来た兵士が口早に報告する。ジェイドは顎に手をあててやや考え込んだ。本来ならば、他の何よりも優先してまっすぐにエンゲーブへ向かわねばならないのだが、この件はどうにも見過ごせそうになかった。これがキムラスカ軍による仕業ならば、その動向を調査しなければならない。新しい兵器だとすれば、キムラスカが戦争に向けて本格的な準備をしているということになる。使節団の今後の予定を変更せざるをえないかもしれない。
それ以外の何かだとしても、強力な第七音素反応――これは単純に放置しておけない脅威だった。
「総員、配置につけ!」
ふらふらするイオンを気遣って走るスピードを緩めると「僕に構わないでください」と少し怒られた。川へ向かう途中では、幸いなことに何も起こらなかった。
海へ続く川辺に着くと、すでにジェイドが小舟に待機していた。彼の顔を見たら途端に安心してしまう。彼と合流さえすれば、もうこの作戦はユニの中では終わったも同然だった。
「カーティス大佐!」
「お待ちしておりました。さあ導師、こちらへ」
「ジェイドぉ~! 会いたかったです~!」
「私もですよ、ユニ。戦闘ご苦労様でしたね」
「……えええ、なんで知ってるんですか!?」
「さあさあ急ぎましょう、導師守護役のお嬢さんはこちらへお乗り下さい」
「ちょ、ちょっとジェイド!」
小舟は川岸を離れ、高く聳える教会はぐんぐん遠ざかっていった。アニスは導師守護役でありながら導師の誘拐に手を貸してしまったことを、今更ながら後悔し、「クビになったらどうしよおお!」と叫んでいた。イオンは彼女をなだめるように、導師の権限でそんなことはさせないと言ったが、さすがにこんな前代未聞な事件を起こしておいてお咎めなし、というわけにはいかないだろう。やっと安心できたユニだったが、こんな会話を聞いていると改めてとんでもないことに首を突っ込んでしまったのだと思い知らされた。
慣れた手つきで舟を操縦するジェイドの隣で溜息をつくと、彼はこちらを見下ろして微笑んだ。そして珍しくさわやかな笑顔で、「実はユニが心配で見に行ってしまったんですよ」と軽い調子で先ほどの答えとなる言葉を口にするのだった。
「え……さっきの戦闘、見てたんですか……?」
「ええ」
「……だったらなんで助けてくれないんですか……」
「助ける必要があったら助けましたが?」
水飛沫を受けて髪をなびかせるジェイドは、実に格好よかった。ユニは少しだけ頬を赤くする。そしてイオンたちには聞こえないように声のトーンを落として彼を呼んだ。こんな初心者がお供だとわかったら、彼らも不安だろうから。
「あの、わたし、ちゃんと戦えていました? ジェイド以外の人とは初めて戦ったから、いまいちよくわからなくて」
「良い成績でしたよ。動きも硬くなく、余裕すら見えました」
「え……本当ですか!?」
「はい。想像以上です」
ジェイドが褒めてくれるなんてめったにないことなので、ユニは口元が緩むのを抑えることが出来なかった。だらしない笑顔を向けると、彼は優しい表情でユニの頭を撫でた。素直に嬉しいのか、はたまた別の気持ちなのか、胸が心地良い痛さで締め付けられる。
「ですがユニ、驕らないことです。鍛錬を怠らないように」
「へ……」
「神託の盾兵には、全軍教会正面へまわるよう命令が出ていました。そんな時に裏にいる兵なんて、恐らくいつもさぼっている不真面目な兵でしょう。下の下ですよ」
「そ、そうですよね……」
せっかくの高揚感が、彼の一言で一気に消沈した。目に見えて落ち込んでしまうと、呆れたように笑われる。
「とはいえ、初めての戦闘で二人を相手にかすり傷一つ受けることなく勝利したのは、私も驚きでした。よく頑張りましたね、ユニ。これからも期待していますよ」
「……はいっ!」
飴と鞭と、飴。自分の脆さも、ジェイドの甘さも、今は許してしまおう。今日は気を張りすぎてもう疲れてしまった。
「さあ、海はもうすぐですよ」
ジェイドの声に、ユニが瞼を閉じ、アニスとイオンが身を乗り出した――その時だった。
両側にあった林を抜けた途端、真横を走る船が何隻も現れた。アニスが「きょ、教団の船!」と叫ぶ。自分たちの船と並走するように、神託の盾兵が乗った船が迫っていた。
「あれは……モース様の追っ手です!」
「イオン様、私の側へ。ユニは譜術で援護して下さい」
「は、はい!」
「振り切りますよ!」
イオンの服を掴んだジェイドは、そう言うと同時に思いきりハンドルを切った。舟はほとんど直角に曲がり、追っ手の船の間を縫うように物凄いスピードで進んだ。
「そ、滄溟たる波濤よ、戦渦となりて厄を呑み込め……タイダルウェイブ!」
振り落とされそうになりながらやっとの思いで詠唱を終え、譜術を展開する。ユニの呼んだ大波が敵の二隻を完全に呑み込んだ時、隣でアニスが「うわー! やっちゃった!」と叫んだ。
「ユニー! ちょっと今のやりすぎだよぉ! このくらいでいいからぁ!」
「うそ! ご、ごめん!」
アニスが見本を見せるように、今追い抜いたばかりの船に向かって譜術を発動した。それはうまく動力を破壊したらしく、敵の船は減速していった。
「おおー! アニス、すごい!」
「ほう、お嬢さんも譜術を使えましたか。これは心強い」
「ま、まぁね! う~ん、でも加減が難しいなぁ。大怪我させるわけにもいかないし……」
風が吹き付けて、髪がバタバタと顔を打つ。潮の香りがし始めた。海はもうすぐそこだった。ここで彼らを振り切らなければ、マルクト軍の船を見られてしまう。導師誘拐がマルクトによるものだとわかれば、それこそ戦争を止めることなど出来なくなる。なにか良い考えがないか――
「……カーティス大佐、ダンスのご経験は?」
「え? アニス?」
「……たしなむ程度には。しかしダンスは床の上でするものだと思っていましたが? お嬢さん」
首を傾げるユニとイオンを置いて、会話が進む。
「アニス。アニス・タトリンです。大佐」
アニスはいたずらっぽくウィンクをしてみせた。
「これでも私……導師守護役です。しかも最年少エリートのっ」
「ふむ。これは失礼……」
ジェイドの笑い方に、なにか嫌な予感がしてユニは無意識に船の端に手をかけた。その途端だった。ジェイドが思いっきりハンドルを切った。
「わわわわ!」
「ではアニス殿。お手並み拝見といきましょうか」
「はい!」
「アニス!?」
船を蹴って勢いよく飛んだアニスを、ほとんど縦に傾いた船に必死でしがみつきながらユニは目で追った。空中でアニスが身を翻した瞬間、彼女の背中にいつもちょこんと乗っている人形が、彼女よりも大きく巨大化した。
「せぇーのっ!」
そう叫ぶと同時に、アニスは人形ごと神託の盾の船へ急降下した。
「一隻!」
そして船をまっぷたつにへし折ると、同時にまた空へ飛び上がった。次の船に狙いを定め、急降下する。すさまじい破壊音の中で「二隻!」とアニスの声が聞こえた。
「ア、アニス! なんて危険なことを……!」
「あなたを守るためですよ、導師」
巨大な人形とともに空を駆け、次々と船を潰していくアニスに見惚れていたユニの背後から、不安そうなイオンの声が聞こえた。振り返ると、ジェイドがイオンに向かって珍しく優しい表情を向けていた。
「いい部下をお持ちですね」
「……はい!」
嬉しそうに言ったイオンは、今まで見たことがないくらいに明るい笑顔を浮かべていた。ユニもあたたかい気持ちになって、もう一度アニスへと視線を戻した。しかし同時に、ユニは声をあげて身を乗り出す。
「ジェ、ジェイド! アニスが!」
空高く飛び上がったアニスから逃げるように、神託の盾の小船が離散していった。つまり、彼女の足場がなくなってしまったのだ。
「おっと」
ジェイドがハンドルを切って、ちょうどアニスの落下点に入った。巨大化した人形とともにアニスが降ってきて、どすん! と船に物凄い衝撃が走る。船は大きく傾き、ユニたちは思い切り水をかぶった。
「お、お見事! 大佐」
「あなたもね、アニス」
船に着地したアニスの背には、いつものサイズに戻ってくったりとしている人形がいた。ジェイドに礼を言う彼女も、もう普通の女の子に戻っていた。しかしこの二人、今日はじめて一緒に戦ったのに、なかなかのコンビネーションだ。だが、濡れた髪を掻き上げながら、アニスは渋い声を出した。
「あちゃー。結局囲まれちゃいましたねぇ、すいません」
速度を落としたユニたちの船の周りを、いつの間にか神託の盾の船が取り囲んでいた。その数は十を優に超えている。抜け出せそうな隙も、逃げ場もない。先ほどまでと一転した状況に、ユニは急激に不安になった。そう、今までが出来過ぎていた。こんな簡単にいくはずがない、そういう任務なのに、すっかり気が緩んでいた――
「ふーむ、さぁてどうしましょうかねぇ」
「どうしますかねぇ」
ジェイドとアニスが交互に声を漏らす。さすがに正真正銘の軍人だ。こんな時なのに落ち着いて飄々としてさえいる。
(それに比べたら、わたしやイオン様は……え、イオン様?)
わたしたちは、やっぱり無力だ。
そう思ってイオンの方を見たのだが、ユニは彼の表情に気圧されて硬直してしまった。深い碧の瞳の奥に、静かに燃える、焔。その横顔を食い入るようにみつめていると、ふっと彼が立ち上がった。
「みんな、掴まっていてください。少し――揺れます!」
「イオン様!?」
力強く響いた彼の声に驚いてジェイドやアニスがこちらを振り返る。そのときには既に彼の手元に莫大な音素が集中し、目に見える程に明るく輝いていた。
「アカシック・トーメント!!」
イオンが船床に手を付けると、そこから一気に波の上に譜陣が展開し、追手の船全てを呑み込んだ。水面を稲妻のように閃光が駆け抜ける。その一瞬の後で、神託の盾兵たちがバタバタと倒れていった。
しかし、その光を見たとき、ユニの心臓がどくりと脈打った。不思議な光。懐かしくて、なぜか怖い。何かを、思い出しそうになった……?
「……す、すごい! 兵たちを一度に!?」
静寂の後で、興奮したアニスの声が響き渡った。それを聞いてユニは我に返って、ふらりと立ち上がったイオンを見た。
「……イオン様……」
「気絶させただけです。すぐに……目が覚めます。今のうちに――」
「イ、イオン様!」
イオンは苦しげに笑うと、そのまま倒れてしまった。
イオンの譜術のおかげで無事に海へ出ることが出来、ユニたちは海上に待機していたマルクト軍の高速艇に乗り込んだ。使節団としての任務を、これでようやく一つクリアしたことになる。こんな綱渡りのような策はもうこりごりだと言いたいが、これから先の旅の方が確実に危険なのはわかっているので、ただただ先が思いやられる。
眠り続けるイオンの横で、ユニはひとり溜息をついた。
(アニスの戦い方も、イオン様の術も、すごかった……わたしは……)
仄暗い灯りのなかで考え事をしていたら、いつの間にかイオンが目覚めていた。彼はユニに笑いかける。
「……僕は、無事にダアトを出られたのですね。これからよろしくお願いします、ユニ」
「無礼を承知で申し上げます。独断の暴走はお控えください、導師」
イオンが目覚めたのでジェイドを呼んでくると、船室に入るなり彼はこう言った。突然のお説教モードのジェイドに、イオンもユニも黙り込む。
「あの場を切り抜ける手は まだいろいろありました。面識の浅い私を信用しろとは言いませんが……」
腕組みをして言うジェイドの後ろで、アニスもうんうんと頷いていた。
「……すみません……」
イオンは本当に申し訳なさそうに目を伏せた。なんで、彼が謝らなければならないのだろう。釈然としない思いで「イオン様はわたしたちを助けてくれたのに」と呟くと、ジェイドがこちらを冷たく見下ろしたので、ユニも誤魔化すように咳払いをする。
「助けていただいたことは感謝します。しかしそのためにあなたが倒れるというのは本末転倒だ。いいですか、導師」
眼鏡を押し上げたときの、かちゃりという金属音が、異様に冷ややかに聞こえた。
「今後、戦いは我々にまかせてください」
「……ま、かせる?」
その言葉に、イオンは怯えたように肩を震わせた。ひどく不安げな表情。その気持ちは、なんとなくユニにもわかる。「何もしなくていい」と言われるのは、自分の存在を消されるのと同義なんだ。思わず、言葉を返そうとジェイドへ視線を移した。しかし、それは杞憂だった。
「そうです。身体を張って戦うのは あなたの役目ではない」
ジェイドの表情には、包み込むような、珍しい、あたたかな優しさがあった。
「あなたはその御心で民を戦争から守ってください。イオン様」
彼の言葉にイオンは目を見開いた。重苦しい空気がふわりと軽くなる。張り詰めていた緊張が、一気に緩んだ。
「ふっ……あはっ! ははは!」
「!?」
「イオン様?」
「す、すみません、失礼しました。ありがとうございます。もう勝手はしません! 約束します、ふふっ」
くすくすと笑い続けるイオンを、ユニたちはぽかんとして見ていた。「何がおかしいんですかぁ?」とアニスが問いかけると、イオンは口元が緩むのを抑えきれないようで、困ったように笑う。
「だって、なんだか急に安心してしまったんです。ついさっきまではすごくすごく怖かったのに」
イオンは、沸き上がる興奮を隠そうともせずに、頬を上気させ、音叉型の法杖を両手で握り締めた。
「僕、こんなにドキドキしたのは生まれて初めてです!」
ああ、わかるなぁ、と思ってユニの心が揺れた。初めてグランコクマを出て、ダアトへ行き、アニスやシンクたちと出会った日は、夢なんじゃないかと思うくらいにドキドキしたものだった。
イオンも、ダアト以外の街へ行くのは初めてなんだろうか? いや、そんなはずはない。導師は各国の行事に出席するから、マルクトやキムラスカには当然行ったことがあるだろう、ただし公務として、だが。
だからきっと、はじめて「導師」ではなく「イオン」として行動したことが、嬉しくて仕方ないのだろう。
イオンたちを船室に残して、ユニとジェイドは部屋を出た。
「ご立派な方ですねぇ、イオン様は」
「本当ですね。さすが、導師です」
「……いえ、導師だから、導師ならば、皆ああなれるというわけではありませんよ」
音素灯に照らされた廊下を、時折兵士たちと擦れ違いながら、ジェイドがユニに言う。
「イオン様がいらっしゃれば、キムラスカも親書を快く受け取って下さるでしょう」
「そうですね。……陛下は大丈夫でしょうか?」
「これはあの方が言い出した作戦ですよ。意地でも完遂させる筈です」
「ま、陛下は大丈夫ですよね! だから次は……」
「次はエンゲーブへ向かいます。そこで陛下からの親書を受け取りましょう」
「はい」
簡単に進路の確認をしたところで、ジェイドは「では私は艦橋へ行きますので」と言って、分かれ道で立ち止まった。ユニは別にそちらへは行かなくてもいいのだろう。船の操作のことはわからないし。部屋で休もうか、次の戦闘のために――
(休んだって、わたしが次も役に立てるとは限らないけど……)
「ユニ」
「はい?」
ぼんやりと俯いていると、ジェイドの声が頭の上から落ちてきた。反射的に顔を上げると、彼の穏やかな視線と交錯した。今日は、彼の優しい表情ばかり拝める。珍しい日だ。
「舟の上でも言いましたが、今日は初めての実戦、ご苦労様でした。イオン様とアニスを守っていただき、ありがとうございます」
「はい……」
「私が教え込んだとおりきちんと出来ていましたしね。次も期待していますよ」
「は、はいっ!」
「私が教え込んだ」という言葉に、ユニの胸が熱くなった。ジェイドに褒めてもらえた、認めてもらえた、恥ずかしい弟子じゃないんだと思えて泣きそうになる。
次も、必ず彼を満足させられるように。そうやって積み上げていこうと密かに思うのだった。
◇
「……おっと、次は殺さなければいけません、ということを言い忘れてしまいました」
「げっ。怖いことおっしゃるんですね~大佐ってば」
「これはこれは、アニス殿」
ユニが去った後で呟いた独り言に、返事があった。ジェイドは「盗み聞きとはいけませんねぇ」と述べてから、後ろを振り向く。
そこにはしたり顔の導師守護役がいた。傍目に見れば、騒がしく明るい元気な少女。しかし真の姿は、こちらも顔負けするほどのやり手のようだ。
「やっぱり、ユニってホントの軍人じゃないんですね」
「おや、ばれてしまいましたか」
「はい。なんか加減がわかってなさそうだったし、敵なのになるべく怪我させないように、って戦っていましたし。大佐がそういうふうに指導したんですかぁ?」
「そんなことを教えた覚えはありませんがねぇ」
ジェイドがわざとらしく首を傾げたその時だった。窓の外に突然閃光が走り、衝撃で艇がぐらりと揺れた。
「きゃっ!?」
アニスが悲鳴をあげた。ジェイドは駆け出して窓の外を見る。はるか彼方に、天まで届くかのような光の柱が立ち昇っていた。
「カーティス大佐!」
「今のはなんです!?」
「きょ、強力な第七音素反応です! キムラスカ方面からマルクト領土へ収束を確認――正体は不明です!」
「キムラスカからの第七音素……!?」
荒々しく駆け込んで来た兵士が口早に報告する。ジェイドは顎に手をあててやや考え込んだ。本来ならば、他の何よりも優先してまっすぐにエンゲーブへ向かわねばならないのだが、この件はどうにも見過ごせそうになかった。これがキムラスカ軍による仕業ならば、その動向を調査しなければならない。新しい兵器だとすれば、キムラスカが戦争に向けて本格的な準備をしているということになる。使節団の今後の予定を変更せざるをえないかもしれない。
それ以外の何かだとしても、強力な第七音素反応――これは単純に放置しておけない脅威だった。
「総員、配置につけ!」