第2章(外殻大地編)
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30 革命の狼煙
「はい、どちらさまですか?」
「……アニスです」
「!」
控えめにノックされた扉を開けると、そこにはいつものツインテールではなく髪をおろしたアニスが立っていた。ユニはすぐに彼女を宿の部屋に招き入れた。
外は嵐だった。アニスが犬みたいにふるふると首を振ると、びしょ濡れになった彼女の髪から水滴が飛び散った。暖炉の前で椅子に座っていたジェイドは立ち上がり、不敵な笑みを浮かべてアニスに向かって手を差し伸べるのだった。
「待っていましたよ、導師守護役のお嬢さん」
「カーティス大佐。イオン様から伝言を預かっています」
アニスの報告によると、やはりイオンはモースによって軟禁されているようだ。そのことを知っているのは、導師守護役や限られた人のみ。公式には「急病」という扱いにされている。グランコクマからの親書を突っ返したのも、イオンではなくモースの判断だった。
「けれどイオン様は……本当は和平を望んでいらっしゃいます。カーティス大佐、ユニ、力を貸して下さい。イオン様を、教会から連れ出してあげてください」
こうなっては、イオンを誘拐するしかない。しかし、彼自身が賛同してくれたのは、素直に心強かった。
アニスが帰った後で、ジェイドとユニはテーブルに資料を広げ、作戦の最終確認をしていた。
「事前の調べ通り、六神将は現在全員が任務のためダアトを離れています。やるなら今しかありませんね」
「そ、そ、そ、そうですか……」
「おや、どうしましたユニ」
「いや! だ、だってわたし、こんな……!」
いよいよ作戦が実行されると思ったら、うまく言葉が発せないくらいに緊張してきた。ユニは涙目になりながら立ち上がって「こ、こんなの……!」と呻いた。ジェイドは笑ってそれを見ている。
「なぁに、簡単な任務ですよ? 教会から、私の待機する川辺までイオン様たちを案内してくださればいいだけです」
「だ、だから、それならジェイドも一緒に……!」
「港は使いたくないので、川を下って海に出なければなりません。そのための船は誰が守るんですか? 万一破壊されたら、たとえイオン様と合流できても、肝心のダアト脱出ができません」
「じゃあ逆にわたしがそっちに……」
「川辺には警備の兵がいる場合があります。教会裏の方がみつかる危険性は低いですよ、灯台もと暗しです」
「…………」
これは、ユニの初仕事だった。もしかすると戦闘になるかもしれない。もちろん初めての対人戦闘だ。しかも、川辺までの移動中に敵に襲われたら、ユニはジェイドなしで戦わなければならない。
ユニは俯いて膝の上で手を握り締めた。自分の弱さが嫌になる。もっと強ければ、ジェイドみたいに強くて賢ければ、こんな惨めな思いなんてしなくてすんだのに。
「ユニ」
「なんですか」
「たくさんいる兵士の中で、なぜ、わざわざあなたを選んで作戦に参加させるか、わかりますか?」
「……わかりません」
「あなたに、戦いに関することを一から十まで叩き込んだのは誰ですか?」
「……ジェイドです」
「あなたの強さを誰よりもわかっているのは?」
「……ジェイド、です」
穏やかな声色に涙腺が緩んだ。思わず顔をあげると、いつもよりずっと優しい表情をしたジェイドが、ユニをみつめていた。
「あなたを信頼しているのです。ユニ」
ユニはもう一度うつむいて小さく「はい」と答えた。
彼にこんな顔を見られるのは、恥ずかしくて悔しかったから。
「教会の横暴を許すな! 導師を解放せよ! 我らの導師に自由を!!」
「教会を許すなー! ……って、ジェイド! なんかすんごいことになっちゃってますけど大丈夫ですか!?」
「予定通りですよ、ユニ。見なさい、兵士がこんなに集まってきています」
「はい、大騒ぎですね……」
「今なら教会の警備は手薄になっています。イオン様たちもそろそろ脱出を始めるでしょう」
作戦決行の日が訪れた。変装し、市民に扮したユニとジェイドが「導師が軟禁されている」と街で触れ回ったところ、あっという間に噂が広まり、激怒した市民たちが教会に押し寄せた。「導師に自由を!」と書かれた旗を振りかざし、大勢の市民が拳を突き上げていた。ユニたちも声をあげて、市民を扇動する。ダアト市民を利用するようで悪いが、教会側がイオンを軟禁しているのもまた事実なのだ。
暴動を鎮圧しようと、いまやほとんどの神託の盾兵が教会正面入り口に集められていた。それを満足そうに眺めるジェイドは、今日はいつもと違って眼鏡をはずし、軍服ではなく市民風の服に身を包み、長い髪をポニーテールにしている。なんとも新鮮でさわやかな出で立ちである。
「作戦の第一段階は成功です。さて」
「ぎくっ……」
「ユニ、次の作戦はきちんと把握していますね?」
「は、はい、なんとか」
「ここからは単独行動です。準備は出来ていますか?」
それはつまり「覚悟できたか」という話だろうが、ジェイドも人が悪い。昨日、あんな殺し文句を聞かせておいて。この一晩、ユニがどんな気持ちで何を考えていたのか、わかっているくせに。
ユニは深く息を吸いこみ、ロッドを握り締めた。
「……大丈夫です、もう覚悟を決めました。死霊使いの弟子の名に恥じない働きをしてみせます」
「これは頼もしい。では……幸運を祈ります」
教会に向かって声を荒げる市民たちの間を縫うように、二人のマルクト人が、ダアトの街を逆方向に駆けていった。
教会の裏側へ回ると、多少見覚えのある景色が目に入った。ティアと初めて出会ったのは確かこの辺りだった。彼女とももう二年以上会っていない。長い髪が顔にかかっていて、大人っぽい静かな声がとても印象的な少女だった。
初めて会ったあの時、彼女が不思議な歌を歌っていたのを思い出す。
「確かこんな感じだったかな。トゥエ レイ ズェ……――え!?」
覚えているはずがないのに、旋律が口をついて出てきた。ユニは驚いて足を止めた。二年も前に一瞬だけ聞いた歌を、どうして覚えているのだろう。しかもユニはこの歌を聴いてすぐ眠ってしまった。覚えているはずのない歌をなぜ覚えている? 視線が定まらない。混乱で心が掻き乱される――
「わわっ」
「きゃわっ」
少し離れた場所から、ドサッという鈍い音とともに若い男女のくぐもった悲鳴が聞こえ、ユニは我に返った。そうだ、今は大事な任務中だった。余計な考えを払うように頭を振って、音がした方へ走った。
「あ! イオン様、アニス!」
「わー! ……あ、なんだユニかぁ。えへ、なんとか無事に下りてこられたよ~」
「……ユニ……ですか……」
そこには地面にへばりつくようなアニスと、その上に空気の抜けたようにふにゃりと倒れているイオンの姿があった。ユニはハッとして上を見上げる。教会の壁に、くくりつけられたロープがあった。それは見えなくなるほど高い塔の先の方からずっと伸びてきていた。導師の私室は教会の中でも最も高い位置にあると聞いていたが、実際に真下に来てみると、その高さが恐ろしいほど身に迫る。
「もしかして、あそこから落ちたの……?」
「平気平気~すぐそこから落ちただけだから」
「そ、そっか、よかった」
アニスは神託の盾騎士団に所属している兵士だからまだいいが、導師のイオンがこんなマネをするのはほとんど初めてだろう。あんな高いところから下りてくるなんて、とユニは思い、とりあえず無事に地上にいる二人の姿を見て心から安心した。
「あのぉ、イオン様~そろそろ大丈夫ですかぁ?」
「は、はい、すみませんアニス。あと少し休んだら……」
イオンの下敷きにされているアニスが間延びした声で問う。無理もない、少し休んでから出発しよう、とユニも思った瞬間だった。
「……!」
茂みが不審な音を立てて揺れた。
ユニはロッドを握りなおし、アニスに視線を送る。彼女も気付いたようだ。ごくりと唾を飲み込んだ。緊張で身体が硬くなる。茂みに潜んでいるのは、きっと神託の盾兵だ。表側に報告にまわられる前に、ここで倒さねばならない。アニスは体の上にイオンが乗っていて、すぐには動けなそうだ。
――自分がやるしかない。
(これくらいのピンチも切り抜けられないんじゃ、この先きっとジェイドの足手まといになる)
ユニは意識を集中させた。ジェイドとの訓練の日々を思い出す。きっと強くなっているはずだ。いつもどおり、やればいい。倒せなくても、イオンたちを逃がすことくらいは出来るだろう。汗が額を伝った。
「……イオン様、アニス、少し休んでいて下さいね」
「えっ?」
「こっちはわたしが相手をしますから……っ!」
「ユニ!」
そう呟くのとアニスの叫び声が重なって、足下に紫色の譜陣が浮かび上がった。敵の攻撃の方が先だった。
ユニが飛び退くと、その一瞬後に、さっきまで立っていた場所で電撃が火花を散らした。安心したのも束の間だった。すぐに二つ目の譜陣がユニの足下に浮かび上がり、またユニは間一髪電撃をかわした。それと同時に、体勢を崩したユニに向かって茂みから兵士が二人飛び出してきた。
「二人……!」
「ユニ! たぶんそいつらはイオン様には攻撃出来ないはずだから!」
「……うん!」
戦いに集中できるなら、まだなんとかなりそうだった。剣を振り上げて襲いかかる二人の間に、ユニは飛び込むようにして後ろに回った。そして低い姿勢のまま、鋭い蹴りを繰り出し、二人の足を跳ね上げる。
「くっ……」
「荒れ狂う流れよ! スプラッシュ!」
「わあああ!」
二人がバランスを崩しているうちに、地面にそっと手を添えて素早く譜陣を展開し、一番得意な譜術を発動した。足下から一気に押し上げる水流に飲まれ、直撃を受けた一人は水を吹きながら気絶した。
「おーいいぞユニー! そのままやっちゃえー!」
「ち! 舐めやがって!」
水を浴びてびしょ濡れになったもう一人の兵士は、怒ったように剣を振り回してユニに迫った。
(……? はやい……けど、見える……)
普通の人なら避けきれないスピードで繰り出される剣技が、今のユニにははっきり見えていた。
その太刀筋を変えるように、ロッドで剣を払う。避けられる。神託の盾兵のスピードについていけている。自信がみなぎってきた。
思い切り振り下ろされた一太刀をロッドで受け止めると、手がびりびりと痺れた。さすがに力では敵わないようだ。ちらりと視線を逸らすと、イオンが心配そうな顔でこちらを見ていた。
(こんな序盤で、イオン様を不安にさせるなんて!)
ユニはぐっとロッドを握りかえし、目の前の敵を睨み付けた。これで、決める。
「えい……っ!」
「な!?」
全力で剣を押し返していたのを、ここで一気に力を抜いた。腕をさっと引き、身体を捻る。力の行き場をなくした神託の盾兵は、ユニの方へ倒れるようにバランスを崩す。ユニはそのまま落ちてくる彼の腹部を膝で蹴り上げた。
「ぐふっ……!」
手応えばっちりだった。ユニが膝を引くと、彼はずるりと地面に落ち、動かなくなった。
「……はぁ~」
それを見届けた後、緊張の糸がぷつりと切れた。ユニは大きく息を吐き出し、その場にへたりこんでしまった。すると、イオンとアニスがばたばたと駆け寄ってきた。
「ユニ! 大丈夫ですか!?」
「は、は、はい。イオン様もご無事で……」
「ユニー! すごいじゃん、余裕でのしちゃった! しかも意外に肉体派だしぃ!」
「え、えへへ」
笑い声で誤魔化したけれど、本当は声も足もがくがく震えていた。戦っている最中は気を張っていたから感じなかったけれど、終わった後で一気に恐怖が襲ってきたのだ。今は息をするのも精一杯だった。
(つ、つかれた、これがホントの戦い……怖かった……)
それにしても、初陣で、神託の盾兵を二人も相手にするとは思ってもいなかった。よく勝てたものだ。まぐれだろうかとも思った。しかし落ち着いて先の戦いを思い出すと、自分でもはっきりと実力の差が見えた。
(でも、うん、わたしの方が、強かった……!)
不思議な気分だった。今まで、殴り合いはおろか本気の口喧嘩すらしたことがなかったけれど、ジェイドとの特訓で自分が思う以上に成長していたらしい。少なくとも、神託の盾兵二人程度ならば簡単に倒せた。それも、ジェイドと比べれば、彼らの動きなんてほとんどスローモーションに見えた。
(……もしかすると、ジェイドって相当強い……?)
ユニに戦闘技術を教えたのはジェイド一人である。譜術も体術もすべて彼から習ったが、ユニなんて彼の足下にも及ばず、まったく歯が立たなかった。だから、自分は弱いと思っていたのだ。演習といっても、相手は決まってジェイドであったから。
(そうだ、今はじめてジェイド以外の人と戦ったんだ)
そうして、わかったことがたくさんあった。ユニは自分が思っていたよりもずっと強くなっていた。今までなら「絶対に無理」と言って疑わなかっただろう不利な戦闘に、予想以上の成績で勝利した。自分は強くなったと確信できた。はじめて自信が持てた。
そして、もう一つ学習した。外の世界の広さを。閉じこもってばかりじゃ周りが見えない。現に見えていなかった。自分の強さにも、もっとはやく気付けば、この旅にだって自信を持って参加出来たかもしれない。
(とりあえず、なんとかなりそう……かな?)
ユニは大きく深呼吸をしてから立ち上がった。大丈夫だ。もうしっかり立てる。心配するように覗き込んでくるイオンに向かって、ユニは笑いかけた。
「では行きましょうイオン様、アニス。川まで少し、走りますよ!」
「おっけー!」
「……はい!」
「はい、どちらさまですか?」
「……アニスです」
「!」
控えめにノックされた扉を開けると、そこにはいつものツインテールではなく髪をおろしたアニスが立っていた。ユニはすぐに彼女を宿の部屋に招き入れた。
外は嵐だった。アニスが犬みたいにふるふると首を振ると、びしょ濡れになった彼女の髪から水滴が飛び散った。暖炉の前で椅子に座っていたジェイドは立ち上がり、不敵な笑みを浮かべてアニスに向かって手を差し伸べるのだった。
「待っていましたよ、導師守護役のお嬢さん」
「カーティス大佐。イオン様から伝言を預かっています」
アニスの報告によると、やはりイオンはモースによって軟禁されているようだ。そのことを知っているのは、導師守護役や限られた人のみ。公式には「急病」という扱いにされている。グランコクマからの親書を突っ返したのも、イオンではなくモースの判断だった。
「けれどイオン様は……本当は和平を望んでいらっしゃいます。カーティス大佐、ユニ、力を貸して下さい。イオン様を、教会から連れ出してあげてください」
こうなっては、イオンを誘拐するしかない。しかし、彼自身が賛同してくれたのは、素直に心強かった。
アニスが帰った後で、ジェイドとユニはテーブルに資料を広げ、作戦の最終確認をしていた。
「事前の調べ通り、六神将は現在全員が任務のためダアトを離れています。やるなら今しかありませんね」
「そ、そ、そ、そうですか……」
「おや、どうしましたユニ」
「いや! だ、だってわたし、こんな……!」
いよいよ作戦が実行されると思ったら、うまく言葉が発せないくらいに緊張してきた。ユニは涙目になりながら立ち上がって「こ、こんなの……!」と呻いた。ジェイドは笑ってそれを見ている。
「なぁに、簡単な任務ですよ? 教会から、私の待機する川辺までイオン様たちを案内してくださればいいだけです」
「だ、だから、それならジェイドも一緒に……!」
「港は使いたくないので、川を下って海に出なければなりません。そのための船は誰が守るんですか? 万一破壊されたら、たとえイオン様と合流できても、肝心のダアト脱出ができません」
「じゃあ逆にわたしがそっちに……」
「川辺には警備の兵がいる場合があります。教会裏の方がみつかる危険性は低いですよ、灯台もと暗しです」
「…………」
これは、ユニの初仕事だった。もしかすると戦闘になるかもしれない。もちろん初めての対人戦闘だ。しかも、川辺までの移動中に敵に襲われたら、ユニはジェイドなしで戦わなければならない。
ユニは俯いて膝の上で手を握り締めた。自分の弱さが嫌になる。もっと強ければ、ジェイドみたいに強くて賢ければ、こんな惨めな思いなんてしなくてすんだのに。
「ユニ」
「なんですか」
「たくさんいる兵士の中で、なぜ、わざわざあなたを選んで作戦に参加させるか、わかりますか?」
「……わかりません」
「あなたに、戦いに関することを一から十まで叩き込んだのは誰ですか?」
「……ジェイドです」
「あなたの強さを誰よりもわかっているのは?」
「……ジェイド、です」
穏やかな声色に涙腺が緩んだ。思わず顔をあげると、いつもよりずっと優しい表情をしたジェイドが、ユニをみつめていた。
「あなたを信頼しているのです。ユニ」
ユニはもう一度うつむいて小さく「はい」と答えた。
彼にこんな顔を見られるのは、恥ずかしくて悔しかったから。
「教会の横暴を許すな! 導師を解放せよ! 我らの導師に自由を!!」
「教会を許すなー! ……って、ジェイド! なんかすんごいことになっちゃってますけど大丈夫ですか!?」
「予定通りですよ、ユニ。見なさい、兵士がこんなに集まってきています」
「はい、大騒ぎですね……」
「今なら教会の警備は手薄になっています。イオン様たちもそろそろ脱出を始めるでしょう」
作戦決行の日が訪れた。変装し、市民に扮したユニとジェイドが「導師が軟禁されている」と街で触れ回ったところ、あっという間に噂が広まり、激怒した市民たちが教会に押し寄せた。「導師に自由を!」と書かれた旗を振りかざし、大勢の市民が拳を突き上げていた。ユニたちも声をあげて、市民を扇動する。ダアト市民を利用するようで悪いが、教会側がイオンを軟禁しているのもまた事実なのだ。
暴動を鎮圧しようと、いまやほとんどの神託の盾兵が教会正面入り口に集められていた。それを満足そうに眺めるジェイドは、今日はいつもと違って眼鏡をはずし、軍服ではなく市民風の服に身を包み、長い髪をポニーテールにしている。なんとも新鮮でさわやかな出で立ちである。
「作戦の第一段階は成功です。さて」
「ぎくっ……」
「ユニ、次の作戦はきちんと把握していますね?」
「は、はい、なんとか」
「ここからは単独行動です。準備は出来ていますか?」
それはつまり「覚悟できたか」という話だろうが、ジェイドも人が悪い。昨日、あんな殺し文句を聞かせておいて。この一晩、ユニがどんな気持ちで何を考えていたのか、わかっているくせに。
ユニは深く息を吸いこみ、ロッドを握り締めた。
「……大丈夫です、もう覚悟を決めました。死霊使いの弟子の名に恥じない働きをしてみせます」
「これは頼もしい。では……幸運を祈ります」
教会に向かって声を荒げる市民たちの間を縫うように、二人のマルクト人が、ダアトの街を逆方向に駆けていった。
教会の裏側へ回ると、多少見覚えのある景色が目に入った。ティアと初めて出会ったのは確かこの辺りだった。彼女とももう二年以上会っていない。長い髪が顔にかかっていて、大人っぽい静かな声がとても印象的な少女だった。
初めて会ったあの時、彼女が不思議な歌を歌っていたのを思い出す。
「確かこんな感じだったかな。トゥエ レイ ズェ……――え!?」
覚えているはずがないのに、旋律が口をついて出てきた。ユニは驚いて足を止めた。二年も前に一瞬だけ聞いた歌を、どうして覚えているのだろう。しかもユニはこの歌を聴いてすぐ眠ってしまった。覚えているはずのない歌をなぜ覚えている? 視線が定まらない。混乱で心が掻き乱される――
「わわっ」
「きゃわっ」
少し離れた場所から、ドサッという鈍い音とともに若い男女のくぐもった悲鳴が聞こえ、ユニは我に返った。そうだ、今は大事な任務中だった。余計な考えを払うように頭を振って、音がした方へ走った。
「あ! イオン様、アニス!」
「わー! ……あ、なんだユニかぁ。えへ、なんとか無事に下りてこられたよ~」
「……ユニ……ですか……」
そこには地面にへばりつくようなアニスと、その上に空気の抜けたようにふにゃりと倒れているイオンの姿があった。ユニはハッとして上を見上げる。教会の壁に、くくりつけられたロープがあった。それは見えなくなるほど高い塔の先の方からずっと伸びてきていた。導師の私室は教会の中でも最も高い位置にあると聞いていたが、実際に真下に来てみると、その高さが恐ろしいほど身に迫る。
「もしかして、あそこから落ちたの……?」
「平気平気~すぐそこから落ちただけだから」
「そ、そっか、よかった」
アニスは神託の盾騎士団に所属している兵士だからまだいいが、導師のイオンがこんなマネをするのはほとんど初めてだろう。あんな高いところから下りてくるなんて、とユニは思い、とりあえず無事に地上にいる二人の姿を見て心から安心した。
「あのぉ、イオン様~そろそろ大丈夫ですかぁ?」
「は、はい、すみませんアニス。あと少し休んだら……」
イオンの下敷きにされているアニスが間延びした声で問う。無理もない、少し休んでから出発しよう、とユニも思った瞬間だった。
「……!」
茂みが不審な音を立てて揺れた。
ユニはロッドを握りなおし、アニスに視線を送る。彼女も気付いたようだ。ごくりと唾を飲み込んだ。緊張で身体が硬くなる。茂みに潜んでいるのは、きっと神託の盾兵だ。表側に報告にまわられる前に、ここで倒さねばならない。アニスは体の上にイオンが乗っていて、すぐには動けなそうだ。
――自分がやるしかない。
(これくらいのピンチも切り抜けられないんじゃ、この先きっとジェイドの足手まといになる)
ユニは意識を集中させた。ジェイドとの訓練の日々を思い出す。きっと強くなっているはずだ。いつもどおり、やればいい。倒せなくても、イオンたちを逃がすことくらいは出来るだろう。汗が額を伝った。
「……イオン様、アニス、少し休んでいて下さいね」
「えっ?」
「こっちはわたしが相手をしますから……っ!」
「ユニ!」
そう呟くのとアニスの叫び声が重なって、足下に紫色の譜陣が浮かび上がった。敵の攻撃の方が先だった。
ユニが飛び退くと、その一瞬後に、さっきまで立っていた場所で電撃が火花を散らした。安心したのも束の間だった。すぐに二つ目の譜陣がユニの足下に浮かび上がり、またユニは間一髪電撃をかわした。それと同時に、体勢を崩したユニに向かって茂みから兵士が二人飛び出してきた。
「二人……!」
「ユニ! たぶんそいつらはイオン様には攻撃出来ないはずだから!」
「……うん!」
戦いに集中できるなら、まだなんとかなりそうだった。剣を振り上げて襲いかかる二人の間に、ユニは飛び込むようにして後ろに回った。そして低い姿勢のまま、鋭い蹴りを繰り出し、二人の足を跳ね上げる。
「くっ……」
「荒れ狂う流れよ! スプラッシュ!」
「わあああ!」
二人がバランスを崩しているうちに、地面にそっと手を添えて素早く譜陣を展開し、一番得意な譜術を発動した。足下から一気に押し上げる水流に飲まれ、直撃を受けた一人は水を吹きながら気絶した。
「おーいいぞユニー! そのままやっちゃえー!」
「ち! 舐めやがって!」
水を浴びてびしょ濡れになったもう一人の兵士は、怒ったように剣を振り回してユニに迫った。
(……? はやい……けど、見える……)
普通の人なら避けきれないスピードで繰り出される剣技が、今のユニにははっきり見えていた。
その太刀筋を変えるように、ロッドで剣を払う。避けられる。神託の盾兵のスピードについていけている。自信がみなぎってきた。
思い切り振り下ろされた一太刀をロッドで受け止めると、手がびりびりと痺れた。さすがに力では敵わないようだ。ちらりと視線を逸らすと、イオンが心配そうな顔でこちらを見ていた。
(こんな序盤で、イオン様を不安にさせるなんて!)
ユニはぐっとロッドを握りかえし、目の前の敵を睨み付けた。これで、決める。
「えい……っ!」
「な!?」
全力で剣を押し返していたのを、ここで一気に力を抜いた。腕をさっと引き、身体を捻る。力の行き場をなくした神託の盾兵は、ユニの方へ倒れるようにバランスを崩す。ユニはそのまま落ちてくる彼の腹部を膝で蹴り上げた。
「ぐふっ……!」
手応えばっちりだった。ユニが膝を引くと、彼はずるりと地面に落ち、動かなくなった。
「……はぁ~」
それを見届けた後、緊張の糸がぷつりと切れた。ユニは大きく息を吐き出し、その場にへたりこんでしまった。すると、イオンとアニスがばたばたと駆け寄ってきた。
「ユニ! 大丈夫ですか!?」
「は、は、はい。イオン様もご無事で……」
「ユニー! すごいじゃん、余裕でのしちゃった! しかも意外に肉体派だしぃ!」
「え、えへへ」
笑い声で誤魔化したけれど、本当は声も足もがくがく震えていた。戦っている最中は気を張っていたから感じなかったけれど、終わった後で一気に恐怖が襲ってきたのだ。今は息をするのも精一杯だった。
(つ、つかれた、これがホントの戦い……怖かった……)
それにしても、初陣で、神託の盾兵を二人も相手にするとは思ってもいなかった。よく勝てたものだ。まぐれだろうかとも思った。しかし落ち着いて先の戦いを思い出すと、自分でもはっきりと実力の差が見えた。
(でも、うん、わたしの方が、強かった……!)
不思議な気分だった。今まで、殴り合いはおろか本気の口喧嘩すらしたことがなかったけれど、ジェイドとの特訓で自分が思う以上に成長していたらしい。少なくとも、神託の盾兵二人程度ならば簡単に倒せた。それも、ジェイドと比べれば、彼らの動きなんてほとんどスローモーションに見えた。
(……もしかすると、ジェイドって相当強い……?)
ユニに戦闘技術を教えたのはジェイド一人である。譜術も体術もすべて彼から習ったが、ユニなんて彼の足下にも及ばず、まったく歯が立たなかった。だから、自分は弱いと思っていたのだ。演習といっても、相手は決まってジェイドであったから。
(そうだ、今はじめてジェイド以外の人と戦ったんだ)
そうして、わかったことがたくさんあった。ユニは自分が思っていたよりもずっと強くなっていた。今までなら「絶対に無理」と言って疑わなかっただろう不利な戦闘に、予想以上の成績で勝利した。自分は強くなったと確信できた。はじめて自信が持てた。
そして、もう一つ学習した。外の世界の広さを。閉じこもってばかりじゃ周りが見えない。現に見えていなかった。自分の強さにも、もっとはやく気付けば、この旅にだって自信を持って参加出来たかもしれない。
(とりあえず、なんとかなりそう……かな?)
ユニは大きく深呼吸をしてから立ち上がった。大丈夫だ。もうしっかり立てる。心配するように覗き込んでくるイオンに向かって、ユニは笑いかけた。
「では行きましょうイオン様、アニス。川まで少し、走りますよ!」
「おっけー!」
「……はい!」