第2章(外殻大地編)
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29 星を避けて君と行く
マルクトの高速艇は無事にダアトへ辿り着いた。
中立地帯のダアトまでの道のりは順調だったが、キムラスカへ向かうときも同じというわけにはいかないだろう。まだまだ始まったばかり。しかし、ジェイドの用意していた任務は、最初から重すぎるものだった。
「ここからは二人だけで行きます」
「二人って……わ、わたしとジェイドだけですか!?」
「ええ」
「な、なんで……兵は他にもいっぱいいますよ、みんなおいていくんですか!?」
「マルクト軍が導師を誘拐したということで国際問題になっては困りますので、足が付かないよう、ダアトではほぼ単独行動で行きたいんです。その点、あなたは兵士には見えませんし、この街にも詳しく、都合がいい」
「え!? ちょっと待ってください、ゆ、誘拐!?」
「正直、ダアト側が――とくに大詠師モースですが、そう簡単に導師を貸してくださるとは思えません」
「だ、だからって誘拐するんですか!? いきなりそんな不穏なことを!?」
「さすがに私も最初からその手は使いませんよ。ま、イオン様に面会する際に様子を見てきましょう」
「あ、そっか……会わなきゃなんですよね……」
ユニとジェイドはダアト港に宿をとったが、それ以外の兵は船に残り、海上で待機することになった。少人数の方が都合がいい、という彼の言い分もわかるが、ユニ自身は教会に赴く気にはなれなかった。
「すいません。ちょっと船酔いが遅れてやってきて……」
そういうわけで、ユニは適当な理由をつけてイオンと会う任務からは外れることにした。近付かなくていいのなら、教会へは行きたくない。アッシュや他の誰かに顔を合わせるのも、少し気まずかった。
「確かユニは、導師イオンにお会いしたことがありましたよね?」
その日の午後、教団本部を訪ね、キムラスカへ和平を望む親書を送りたいこと、その際に導師に協力してほしいことを申し入れ、イオンとの面会を終えて戻ってきたジェイドは、なぜか神妙な顔でユニに問いかけた。
「え? あ、まぁちょっとだけ……特別仲良くしてたわけじゃないんですけど……」
「話したことがあれば十分です。どんな方でしたか?」
「え……どんな方って……髪は緑色で……」
「それはわかっています。性格や、中身の話です」
「性格……」
ダアトへよく旅行していた頃は、運がよければイオンにも会うことができた。彼の傍にはいつもピンク色の長い髪の儚げな少女がぴったりとくっついていた。はじめて彼の声を聞いた時の不思議な感じは、今も鮮明に思い出せる。彼の纏う空気は明らかに、周りとは違っていた。
「うーん、穏やかで優しくて、神秘的で、深い森みたいな方だと思っていました」
「……そうですか」
「なんですかその残念そうな顔は……あ、そういえば」
ふと。ユニの記憶の多くを占める彼の印象とは正反対の、不可解な表情があったことを思い出す。顔をあげると、ジェイドの眼光が少し鋭くなったような気がした。
「なんか、たまにすごく疲れているような感じと、怖いくらいにこっちを見透かしているようなときがあって……」
「……それが……二年前ですか」
「へ?」
「いえ、ありがとうございました。では、今日の任務はもうありませんから、あとは自由に過ごしてください」
ジェイドはそれだけ言うと、自分の部屋へと戻っていった。なぜイオンのことについて尋ねてきたのかは、考えてもよくわからない。
(まぁいいや、明日ちゃんと聞こう。でもそれより……)
それより、なぜたくさんいる兵士たちの中で、わざわざユニを選んだのか。いまだに納得できていなかった。ジェイドが贔屓するとは思えないし、かといって自分に実力があるとも思えないし。ユニの生誕の預言は、ただ単に任務への同行を指しており、四六時中ジェイドと行動を共にしなければいけないわけではない筈だが。
悶々としたまま、作戦一日目は過ぎていった。
◇
「グランコクマ、か……」
「何が?」
「はぅあ!」
窓枠に肘をついて暮れゆく日をぼんやり眺めていたアニスは、独り言に返事があったので驚いたように振り返った。
「な、なんだー、シンクかぁ。驚かさないでよ」
「グランコクマがどうかしたって?」
「い、いや、なんでもないって!」
この、一見すると悩みのなさそうな騒がしい少女だが、彼女も彼女なりの理由で苦しんでいるのは僕も知っていた。間の悪いことに、なぜか彼女が溜息をつく姿を頻繁に目撃してしまっていたのだ。
今もそう。たまたま通りがかった先で、教会の高い窓から物憂げに外を見つめて重たい息を吐いていた。
彼女を励ます気にはならないので、正直、こんな場面に遭遇するたびにうんざりした。普段はほとんど暗い顔を表に出さないくせに、なぜ僕が見ているときに限って憂鬱そうにしているのやら。
「なんなの? 独り言なんてさ、頭でも打った?」
「いや~なんか今日グランコクマからイオン様のところに……って、あ、いや、なんでもない、忘れて!」
「……」
しかしその理由が、なんとなく、今わかった。
僕が彼女の近くにいるとき、こいつの隣にはあいつがいないからだ。僕はあいつを避けているから、必然的にこいつが一人になった時にしか近付くことがない。
なるほど。あいつが傍にいるとき、アニスは溜息なんてつかないんだ。そうか、そんなことか。
「……ふうん、導師のところに……何?」
「それはどーでもいいの! えっと、あ、そうだ!」
話を逸らそうとして、別の話題が思い浮かんだのか、彼女の表情が少しだけ明るくなった。
「そういえば昔……二年くらい前かな。よく教会に来てた子がいたじゃん?」
だが、その言葉にはっとした。まばたきをしている間に、記憶が漏れ出してくるのを感じた。
封じ込めていたのに。思い出さないように、心の奥底にしまっていたのに。あんなやつなんて――
「名前なんだっけ、えーと」
「……ユニ」
「そうそうユニ! 確かグランコクマの子だったよね! 元気にしてるかなー」
「……」
「あ、あれ? ……あ! そ、そういえばシンク、あんた任務があるんじゃないの?」
「うるさいな、今から行くんだ」
物凄い速さで身を翻したら、法衣の先がアニスの鼻をかすめた。床を叩くように歩いて、彼女の前から消える。任務なんて別にどうでもよかった。一秒でも早く、彼女の前から――あいつの話題から逃げたかった。
「こわ、なにあれ…………はっ! シンクにはこの話題タブーだったんだ! やばっ、わすれてたあ!」
彼女はいつも「また来るね」と言っていた。だからあの時だって、これが最後の別れになるなんて、考えもしなかった。
「治安が悪いらしく、ユニはもうダアトには出てこられないそうだ」
だから、これっぽっちの言葉をアッシュから聞かされただけじゃ、納得できなかった。ずっと待っていた。でも何隻船を見送っても、彼女はついに姿を現さなかった。
季節は知らないうちに二廻りもしていたというのに。
「……あんなやつ、嫌いだ」
なんとなく感じていた淡い気持ちは、捨てられる苦しさを思い出させ、傷口を広げただけだった。
◇
「イオン様が、急病……?」
翌朝、宿のロビーに置かれていた新聞を手にして顔を顰めていると、ひゅっと上から腕が伸びてきて、それをひったくられた。「ふむ」という落ち着いたジェイドの声が聞こえ、ユニはくるりと振り返り、彼の横からもう一度新聞を覗き込んだ。
「公式行事にも出ず臥せっておられる、と」
「え……大丈夫ですかね……」
「ふむふむ。私が訪ねた直後に、突然、倒れられたんですねぇ。心配ですねぇ」
「ジェイド……」
確かに不審だとは思うものの、まったく心配する色の見えないジェイドの声に、朝から呆れてしまった。
「あ、そうだ。ところで昨日、イオン様についてわたしに聞いてきたのは、もしかしてイオン様の具合が悪そうだったからですか?」
「いいえ。お元気そうでしたよ」
「じゃあ……?」
「話に聞いていたイオン様と、実際にお会いしたイオン様との差に少し違和感を覚えましてね」
「え?」
「いえ、なんでもありません。具合が悪かったんでしょうね」
「はぁ……」
首を傾げたユニの頭にぽんと手を置き、ジェイドは笑みを浮かべた。それがユニをあしらう意味を持つものだとユニ自身もわかり、話はそこで終わった。
ジェイドがイオンに面会してから二日後、教会から代理人が宿へやってきて「協力できかねる」と返答した。
中立を守るローレライ教団の象徴である導師が一国の使者になるのは、認められないという。ジェイドは肩をすくめ「大変残念です」と言葉を返し、代理人が去るのを見送った。
「……こ、断られちゃいましたけど、どうするんですか、ジェイド……」
「どうしましょうかねぇ。グランコクマに戻るわけにもいかないので、ひとまず街に行きますか」
呑気に言うジェイドに連れられて、情報収集がてら、二人は港の商店街へ向かった。
「でも、ピオニー陛下へのお返事を人づてにするなんて、ちょっと失礼ですよね」
「ええ。作為を感じざるをえませんねぇ」
「でも誰が? イオン様は、教団のトップですよ?」
「肩書きだけのトップと、それ以上の力を持つ者が組織内にいるというのは、よくある話です。……それよりユニ、面白いものをみつけましたよ」
港を歩くジェイドの足が一旦止まり、スッと第三十三石碑を指さした。ユニはそれを追って視線を移動させる。するとそこには、小さな旗を手に持ち、「巡礼者のみなさーん! 石碑巡りのおともに、美少女ガイドはいかがですかぁー?」と声を張り上げる、髪をツインテールにした元気な女の子がいた。
ユニは全身に電撃が走るのを感じ、目を見開いた。
「あのお嬢さん、先日の面会の場にいました。導師守護役(フォンマスターガーディアン)でしょう」
「あ、あ、あ……」
「どうしました? ユニ」
「えええぇえぇー! アニスぅうぅ!?」
ユニは港中に響き渡るくらいの大声で、その名を呼んでいた。ジェイドは周囲の視線が集まったので困惑した表情をしていたが、ユニはそれどころではなかった。もちろん本人にも聞こえていたので、彼女も何事かと驚いたようにこちらを見た。そしてユニと目が合うと、もとから丸い大きな目をさらに丸くするのだった。
「え、うそ、ちょっと……ユニ!?」
「いやぁ、まさかこんなところでユニのご友人に会えるとは思ってもみませんでした。しかも導師守護役の」
「え、ええ、まぁ……」
「ところで導師守護役のお嬢さん。導師は公式行事にも出ずに臥せっておられるそうですね。突然のご病気で」
「……はーいお客さまぁ! こちら第三十三石碑になりまーす!」
「……」
ユニとアニスは二年ぶりの再会を喜び合ったが、それも束の間だった。ジェイドが二人の間に割って入り、ちくちくとアニスに導師のことを訊き始めたのだった。
一方のアニスは、それを無視するかのように元気いっぱいに石碑の紹介を始める。ユニはもうジェイドに任せるしかない、と溜息をついて少し後ろを歩いた。
「えー、この第三十三石碑は天地創造を表し~……」
「私が訪ねた直後に突然倒れられ……しかもピオニー陛下宛てのご返答を人づてになさるほどのご病状! 心配ですねぇ」
「……だぁー! もうユニ! なんなのこの人!」
「あ、あはは……」
アニスはジェイドの横をすり抜けると、顔を顰めてユニにぴったりと体を寄せた。頬を膨らませて苦情を言われるが、笑って誤魔化すしかなかった。イオンの本心が気になるのは、ユニも同じだった。
「ね、ねえアニス。イオン様、ほんとにご病気で……?」
「う……」
「今回のこと、聞いてるよね? わたしたちキムラスカと和解したいだけなの。世界を平和にしたいの。イオン様もそれをお望みじゃないの?」
「うう……」
「導師守護役のお嬢さん。ご病気の導師に、真意をお伺いしたいとご伝言願えませんか?」
「……た、ただいまバイト中につき、そーゆーご依頼は受け付けておりませんッ!」
アニスが迷うように呻いていると、ジェイドが横からひょいと顔を出して追い打ちをかけた。だが彼女はユニのときとは違い、それを跳ね除けるようにして手に持っていた旗を振りまわすのだった。
「まあまあそう仰らず、伝えるだけでも」
「せ、石碑巡りは以上でございます! 今回は特別にガイド料金はいりません! でっ、では失礼いたします! あ、ユニ、その人がいないなら遊びに誘って! またね!」
核心に迫られると、アニスは言いたいことだけを言って、逃げるように人混みの中へ駆けていった。せっかくの再会だったのに、思い出を語り合う暇もなく逃げられてしまった。ユニはちょっぴりジェイドを睨む。
「おやユニ。お忘れですか? これは二年前のような旅行ではなく……」
「任務です。わかってますよう……」
「しかし、やはりユニを連れてきて正解でしたね」
「?」
ジェイドはさわやかな笑みを浮かべ、ダアトの海をみつめるのだった。この海の向こうでは、ピオニーが、議会を相手にして戦っている。もう決着のついた頃だろうか。もし成功したならば、こちらもそれに応えるような収穫をここで得なければ。すなわち、導師イオンの協力を――
「おかげで導師守護役のお嬢さんを攻略できそうですよ」
ジェイドは微笑み「昔の友人というのはそれだけで案外絆が強いものですから」と言った。
「しばらく待機していましょう。きっと大物がかかりますよ」
「ジェイド。アニスとイオン様を獲物か何かみたいに言わないでくださいよ」
「ああ、すみません。しかしもう餌は十分にまきましたから。あとは釣り針を垂らして、魚が自分からかかってくれるのを、我々は寝て待つだけです」
「だ、だから餌とか魚とか」
しばらくユニはジェイドの一言一言を訂正させていたが、すぐに静かになった。意味のないことだと気付いたからだ。彼はそれを受け流しながら、どこか満足げに眼鏡を押し上げる。
「必ず来ますよ。イオン様も、噂に違う方でしたしね」
「……ん、うわさに、たがう?」
マルクトの高速艇は無事にダアトへ辿り着いた。
中立地帯のダアトまでの道のりは順調だったが、キムラスカへ向かうときも同じというわけにはいかないだろう。まだまだ始まったばかり。しかし、ジェイドの用意していた任務は、最初から重すぎるものだった。
「ここからは二人だけで行きます」
「二人って……わ、わたしとジェイドだけですか!?」
「ええ」
「な、なんで……兵は他にもいっぱいいますよ、みんなおいていくんですか!?」
「マルクト軍が導師を誘拐したということで国際問題になっては困りますので、足が付かないよう、ダアトではほぼ単独行動で行きたいんです。その点、あなたは兵士には見えませんし、この街にも詳しく、都合がいい」
「え!? ちょっと待ってください、ゆ、誘拐!?」
「正直、ダアト側が――とくに大詠師モースですが、そう簡単に導師を貸してくださるとは思えません」
「だ、だからって誘拐するんですか!? いきなりそんな不穏なことを!?」
「さすがに私も最初からその手は使いませんよ。ま、イオン様に面会する際に様子を見てきましょう」
「あ、そっか……会わなきゃなんですよね……」
ユニとジェイドはダアト港に宿をとったが、それ以外の兵は船に残り、海上で待機することになった。少人数の方が都合がいい、という彼の言い分もわかるが、ユニ自身は教会に赴く気にはなれなかった。
「すいません。ちょっと船酔いが遅れてやってきて……」
そういうわけで、ユニは適当な理由をつけてイオンと会う任務からは外れることにした。近付かなくていいのなら、教会へは行きたくない。アッシュや他の誰かに顔を合わせるのも、少し気まずかった。
「確かユニは、導師イオンにお会いしたことがありましたよね?」
その日の午後、教団本部を訪ね、キムラスカへ和平を望む親書を送りたいこと、その際に導師に協力してほしいことを申し入れ、イオンとの面会を終えて戻ってきたジェイドは、なぜか神妙な顔でユニに問いかけた。
「え? あ、まぁちょっとだけ……特別仲良くしてたわけじゃないんですけど……」
「話したことがあれば十分です。どんな方でしたか?」
「え……どんな方って……髪は緑色で……」
「それはわかっています。性格や、中身の話です」
「性格……」
ダアトへよく旅行していた頃は、運がよければイオンにも会うことができた。彼の傍にはいつもピンク色の長い髪の儚げな少女がぴったりとくっついていた。はじめて彼の声を聞いた時の不思議な感じは、今も鮮明に思い出せる。彼の纏う空気は明らかに、周りとは違っていた。
「うーん、穏やかで優しくて、神秘的で、深い森みたいな方だと思っていました」
「……そうですか」
「なんですかその残念そうな顔は……あ、そういえば」
ふと。ユニの記憶の多くを占める彼の印象とは正反対の、不可解な表情があったことを思い出す。顔をあげると、ジェイドの眼光が少し鋭くなったような気がした。
「なんか、たまにすごく疲れているような感じと、怖いくらいにこっちを見透かしているようなときがあって……」
「……それが……二年前ですか」
「へ?」
「いえ、ありがとうございました。では、今日の任務はもうありませんから、あとは自由に過ごしてください」
ジェイドはそれだけ言うと、自分の部屋へと戻っていった。なぜイオンのことについて尋ねてきたのかは、考えてもよくわからない。
(まぁいいや、明日ちゃんと聞こう。でもそれより……)
それより、なぜたくさんいる兵士たちの中で、わざわざユニを選んだのか。いまだに納得できていなかった。ジェイドが贔屓するとは思えないし、かといって自分に実力があるとも思えないし。ユニの生誕の預言は、ただ単に任務への同行を指しており、四六時中ジェイドと行動を共にしなければいけないわけではない筈だが。
悶々としたまま、作戦一日目は過ぎていった。
◇
「グランコクマ、か……」
「何が?」
「はぅあ!」
窓枠に肘をついて暮れゆく日をぼんやり眺めていたアニスは、独り言に返事があったので驚いたように振り返った。
「な、なんだー、シンクかぁ。驚かさないでよ」
「グランコクマがどうかしたって?」
「い、いや、なんでもないって!」
この、一見すると悩みのなさそうな騒がしい少女だが、彼女も彼女なりの理由で苦しんでいるのは僕も知っていた。間の悪いことに、なぜか彼女が溜息をつく姿を頻繁に目撃してしまっていたのだ。
今もそう。たまたま通りがかった先で、教会の高い窓から物憂げに外を見つめて重たい息を吐いていた。
彼女を励ます気にはならないので、正直、こんな場面に遭遇するたびにうんざりした。普段はほとんど暗い顔を表に出さないくせに、なぜ僕が見ているときに限って憂鬱そうにしているのやら。
「なんなの? 独り言なんてさ、頭でも打った?」
「いや~なんか今日グランコクマからイオン様のところに……って、あ、いや、なんでもない、忘れて!」
「……」
しかしその理由が、なんとなく、今わかった。
僕が彼女の近くにいるとき、こいつの隣にはあいつがいないからだ。僕はあいつを避けているから、必然的にこいつが一人になった時にしか近付くことがない。
なるほど。あいつが傍にいるとき、アニスは溜息なんてつかないんだ。そうか、そんなことか。
「……ふうん、導師のところに……何?」
「それはどーでもいいの! えっと、あ、そうだ!」
話を逸らそうとして、別の話題が思い浮かんだのか、彼女の表情が少しだけ明るくなった。
「そういえば昔……二年くらい前かな。よく教会に来てた子がいたじゃん?」
だが、その言葉にはっとした。まばたきをしている間に、記憶が漏れ出してくるのを感じた。
封じ込めていたのに。思い出さないように、心の奥底にしまっていたのに。あんなやつなんて――
「名前なんだっけ、えーと」
「……ユニ」
「そうそうユニ! 確かグランコクマの子だったよね! 元気にしてるかなー」
「……」
「あ、あれ? ……あ! そ、そういえばシンク、あんた任務があるんじゃないの?」
「うるさいな、今から行くんだ」
物凄い速さで身を翻したら、法衣の先がアニスの鼻をかすめた。床を叩くように歩いて、彼女の前から消える。任務なんて別にどうでもよかった。一秒でも早く、彼女の前から――あいつの話題から逃げたかった。
「こわ、なにあれ…………はっ! シンクにはこの話題タブーだったんだ! やばっ、わすれてたあ!」
彼女はいつも「また来るね」と言っていた。だからあの時だって、これが最後の別れになるなんて、考えもしなかった。
「治安が悪いらしく、ユニはもうダアトには出てこられないそうだ」
だから、これっぽっちの言葉をアッシュから聞かされただけじゃ、納得できなかった。ずっと待っていた。でも何隻船を見送っても、彼女はついに姿を現さなかった。
季節は知らないうちに二廻りもしていたというのに。
「……あんなやつ、嫌いだ」
なんとなく感じていた淡い気持ちは、捨てられる苦しさを思い出させ、傷口を広げただけだった。
◇
「イオン様が、急病……?」
翌朝、宿のロビーに置かれていた新聞を手にして顔を顰めていると、ひゅっと上から腕が伸びてきて、それをひったくられた。「ふむ」という落ち着いたジェイドの声が聞こえ、ユニはくるりと振り返り、彼の横からもう一度新聞を覗き込んだ。
「公式行事にも出ず臥せっておられる、と」
「え……大丈夫ですかね……」
「ふむふむ。私が訪ねた直後に、突然、倒れられたんですねぇ。心配ですねぇ」
「ジェイド……」
確かに不審だとは思うものの、まったく心配する色の見えないジェイドの声に、朝から呆れてしまった。
「あ、そうだ。ところで昨日、イオン様についてわたしに聞いてきたのは、もしかしてイオン様の具合が悪そうだったからですか?」
「いいえ。お元気そうでしたよ」
「じゃあ……?」
「話に聞いていたイオン様と、実際にお会いしたイオン様との差に少し違和感を覚えましてね」
「え?」
「いえ、なんでもありません。具合が悪かったんでしょうね」
「はぁ……」
首を傾げたユニの頭にぽんと手を置き、ジェイドは笑みを浮かべた。それがユニをあしらう意味を持つものだとユニ自身もわかり、話はそこで終わった。
ジェイドがイオンに面会してから二日後、教会から代理人が宿へやってきて「協力できかねる」と返答した。
中立を守るローレライ教団の象徴である導師が一国の使者になるのは、認められないという。ジェイドは肩をすくめ「大変残念です」と言葉を返し、代理人が去るのを見送った。
「……こ、断られちゃいましたけど、どうするんですか、ジェイド……」
「どうしましょうかねぇ。グランコクマに戻るわけにもいかないので、ひとまず街に行きますか」
呑気に言うジェイドに連れられて、情報収集がてら、二人は港の商店街へ向かった。
「でも、ピオニー陛下へのお返事を人づてにするなんて、ちょっと失礼ですよね」
「ええ。作為を感じざるをえませんねぇ」
「でも誰が? イオン様は、教団のトップですよ?」
「肩書きだけのトップと、それ以上の力を持つ者が組織内にいるというのは、よくある話です。……それよりユニ、面白いものをみつけましたよ」
港を歩くジェイドの足が一旦止まり、スッと第三十三石碑を指さした。ユニはそれを追って視線を移動させる。するとそこには、小さな旗を手に持ち、「巡礼者のみなさーん! 石碑巡りのおともに、美少女ガイドはいかがですかぁー?」と声を張り上げる、髪をツインテールにした元気な女の子がいた。
ユニは全身に電撃が走るのを感じ、目を見開いた。
「あのお嬢さん、先日の面会の場にいました。導師守護役(フォンマスターガーディアン)でしょう」
「あ、あ、あ……」
「どうしました? ユニ」
「えええぇえぇー! アニスぅうぅ!?」
ユニは港中に響き渡るくらいの大声で、その名を呼んでいた。ジェイドは周囲の視線が集まったので困惑した表情をしていたが、ユニはそれどころではなかった。もちろん本人にも聞こえていたので、彼女も何事かと驚いたようにこちらを見た。そしてユニと目が合うと、もとから丸い大きな目をさらに丸くするのだった。
「え、うそ、ちょっと……ユニ!?」
「いやぁ、まさかこんなところでユニのご友人に会えるとは思ってもみませんでした。しかも導師守護役の」
「え、ええ、まぁ……」
「ところで導師守護役のお嬢さん。導師は公式行事にも出ずに臥せっておられるそうですね。突然のご病気で」
「……はーいお客さまぁ! こちら第三十三石碑になりまーす!」
「……」
ユニとアニスは二年ぶりの再会を喜び合ったが、それも束の間だった。ジェイドが二人の間に割って入り、ちくちくとアニスに導師のことを訊き始めたのだった。
一方のアニスは、それを無視するかのように元気いっぱいに石碑の紹介を始める。ユニはもうジェイドに任せるしかない、と溜息をついて少し後ろを歩いた。
「えー、この第三十三石碑は天地創造を表し~……」
「私が訪ねた直後に突然倒れられ……しかもピオニー陛下宛てのご返答を人づてになさるほどのご病状! 心配ですねぇ」
「……だぁー! もうユニ! なんなのこの人!」
「あ、あはは……」
アニスはジェイドの横をすり抜けると、顔を顰めてユニにぴったりと体を寄せた。頬を膨らませて苦情を言われるが、笑って誤魔化すしかなかった。イオンの本心が気になるのは、ユニも同じだった。
「ね、ねえアニス。イオン様、ほんとにご病気で……?」
「う……」
「今回のこと、聞いてるよね? わたしたちキムラスカと和解したいだけなの。世界を平和にしたいの。イオン様もそれをお望みじゃないの?」
「うう……」
「導師守護役のお嬢さん。ご病気の導師に、真意をお伺いしたいとご伝言願えませんか?」
「……た、ただいまバイト中につき、そーゆーご依頼は受け付けておりませんッ!」
アニスが迷うように呻いていると、ジェイドが横からひょいと顔を出して追い打ちをかけた。だが彼女はユニのときとは違い、それを跳ね除けるようにして手に持っていた旗を振りまわすのだった。
「まあまあそう仰らず、伝えるだけでも」
「せ、石碑巡りは以上でございます! 今回は特別にガイド料金はいりません! でっ、では失礼いたします! あ、ユニ、その人がいないなら遊びに誘って! またね!」
核心に迫られると、アニスは言いたいことだけを言って、逃げるように人混みの中へ駆けていった。せっかくの再会だったのに、思い出を語り合う暇もなく逃げられてしまった。ユニはちょっぴりジェイドを睨む。
「おやユニ。お忘れですか? これは二年前のような旅行ではなく……」
「任務です。わかってますよう……」
「しかし、やはりユニを連れてきて正解でしたね」
「?」
ジェイドはさわやかな笑みを浮かべ、ダアトの海をみつめるのだった。この海の向こうでは、ピオニーが、議会を相手にして戦っている。もう決着のついた頃だろうか。もし成功したならば、こちらもそれに応えるような収穫をここで得なければ。すなわち、導師イオンの協力を――
「おかげで導師守護役のお嬢さんを攻略できそうですよ」
ジェイドは微笑み「昔の友人というのはそれだけで案外絆が強いものですから」と言った。
「しばらく待機していましょう。きっと大物がかかりますよ」
「ジェイド。アニスとイオン様を獲物か何かみたいに言わないでくださいよ」
「ああ、すみません。しかしもう餌は十分にまきましたから。あとは釣り針を垂らして、魚が自分からかかってくれるのを、我々は寝て待つだけです」
「だ、だから餌とか魚とか」
しばらくユニはジェイドの一言一言を訂正させていたが、すぐに静かになった。意味のないことだと気付いたからだ。彼はそれを受け流しながら、どこか満足げに眼鏡を押し上げる。
「必ず来ますよ。イオン様も、噂に違う方でしたしね」
「……ん、うわさに、たがう?」