第2章(外殻大地編)
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28 ふたたび、世界へ
ほとんど気持ちは決まっていたけれど、やっぱりまだ迷いはある。大事な人は行くなと言った。本当は怖くて仕方ないし、行ったところで自分に何が出来るのかもわからない。
でもそれが預言だった。預言だから守らなくてはならないと思った。だけど自分の気持ちを決めたのは、従わなくてはいけないからという理由ではなかった。
フィルが言ってくれた。その先に素敵なことが待っているのがわかるなら、頑張れる。どんなに大変でも、預言が幸せを約束してくれるから。
未来の可能性が示されているのに、始める前から諦めるなんて出来ない。たとえピオニーが反対しても、わたしはわたしの気持ちに、芽生えた勇気に、嘘をつかない。
港のカフェから戻って、そのまま真っ直ぐピオニーの私室へ向かった。扉を開けると、少し疲れた表情の彼がいた。
「陛下、わたしも任務に同行させてください」
「……何度も言ってるけどな、オレはお前を……」
「はい。陛下のお気持ちはわかっています」
いつもと違う彼の様子に、ユニは心が折れそうになったが、それでもその前に跪いて、気持ちを伝える。
「でも、わたしは、預言に詠まれたからだけでなく、自分に何が出来るのかを知りたいのです。せっかく与えられたから。陛下からこの命を。そして預言から、新しい未来を」
「……」
彼は何も言わなかったが、ユニはもう折れなかった。
「どうかお願いします。陛下」
「ユニ……」
「私からもお願いします。ユニにはキムラスカの者の指一本触れさせませんよ。彼女は私がお守りします」
「ジェイド!」
よく通る声が部屋に響き、ユニもピオニーもその方を振り返った。ジェイドが眼鏡を押し上げながら、こちらへ歩いてきた。
「陛下、ユニが自分の意思をここまではっきりと伝えたのはほとんど初めてではないでしょうか?」
「……」
「預言は前向きですし、作戦にも隙はありません。それとも、私のことが信じられませんか?」
ジェイドの発言にこそ隙がない、とユニは思う。そうだ、この旅にはジェイドがいる。彼がいれば、負けるはずなんてない。
「……わかった。ユニを連れて行け」
ピオニーは溜息まじりに言って、どかっと椅子に座った。
「ありがとうございます。そうと決まれば、明日の朝には出発します」
「あ、あした!?」
「はい。一刻の猶予もない事態ですから」
「そ、そんな、ちょっと待ってください心の準備が」
「おや、やめますか?」
「や、やめません!」
部屋を出ようと促すジェイドに少しだけ時間をもらって、ユニは頬杖をついて二人を見ていたピオニーのもとへ駆けて行った。
「あの、陛下。ご迷惑をおかけします」
「ああ。気にするな」
力なく微笑んだ彼を見たら、なんだか泣きそうになって、ユニは両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「本当は……こんな任務、嫌なんです」
「……ユニ」
「危険だし、怖いし……陛下をほったらかしにするのも、すごく心配です。でもわたし、ずっと外の世界に憧れていたし……。それに、預言には『人々の力になる』とか、今まで考えもしなかったことが詠まれていて」
「……」
「わたし、預言を信じてみたい。キムラスカの人も信じてみたい。みんなきっと平和を望んでいます。だけどみんな怖くて動けないだけだから……。ま、まぁわたしが果たしてどれだけ役に立つのかなぁって感じですけど」
無力な自分が、こんなことを思うのはおかしいかもしれない。だけど、どんなに小さくても、誰かの役に立てるなら、この旅に同行する意味があると思ったのだ。
ピオニーはなんて言ってくれるだろう? そう思って彼を見ると、彼の大きな手がユニに向かって伸びてきて、優しく髪を撫でた。
「ああ、オレもお前を信じてる。存分にみんなの力になってこいよ。それと、どうせ行くなら楽しんで行ってこい」
くすぐったさに目を細めると、一粒だけ涙がこぼれた。それでおさまってよかったと思う。最後は、笑って出て行きたいと思っていたから。
「失敗したっていい。無茶だけはするなよ。生きて帰ってくれればそれでいい。オレはここでお前たちの帰りを待っているからな」
根負けしたような表情で手を振るピオニーを痛いほど目に焼き付けて、ユニは準備のために部屋を出た。
「……やっぱり、どうあがいても預言には逆らえない、か」
水音が響くなかで、ぽつりと、低い声が誰の耳にも届かずに地に落ちた。
「いや、預言に逆らえないんじゃなくって、ユニに逆らえなかったんだな。……とんだ親バカだよ」
ぴょんと膝に飛び乗ったブウサギを撫でると、それは嬉しそうに鼻を鳴らした。何も考えていないようなのに、寂しい気持ちを感じ取っているのだろうか。丸い身体はいつも以上に柔らかくて温かく感じた。
「第三師団旗下高速艇、すべて準備完了です」
「ご苦労様です、ではユニ」
「は、はい」
あっという間に、出発の時刻になった。
まだ朝日は水平線の下に沈んでおり、滲み出す光がわずかに空を染めていた。高速艇の周囲であわただしく動いていた兵士たちは動きを止め、続々とその中へ乗り込んでいく。ジェイドはそれを見送ってから、ユニに目配せをした。ユニの心臓がどくりと音を立てた。
使い慣れたロッドを胸の前で握り締める。できるだろうか? わたしに。戦えるか? 守れるか? これで、本当によかったのだろうか――?
「ユニ」
「へ、へいか……!」
強張っていた肩を、ぽんと叩かれる。あたたかい手。そこから凍った体が融解していくようだった。振り返って見上げると、ピオニーが優しい表情で微笑んでいた。
「やめるなら、今のうちだぞ」
「……やめませんよ」
ジェイドに聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ピオニーはユニにいたずらっぽく囁いた。答えなんて聞かなくてもわかっているくせに。ユニは力が抜けて、自然と笑顔になった。
「陛下。二年前にユニの命を陛下に捧げたこと、覚えていますね? わたしは死んだりしません。きっと帰ってきて、これからも恩返ししますから、心配しないでください。ジェイドも一緒ですからね!」
「ええ。命に代えてもユニはお返しいたしますよ」
ジェイドの、重いのか軽いのかわからない飄々とした物言いに、ピオニーは肩を竦めた。
「ああ。本当に、お前たちはどんな預言よりも頼もしいよ」
どこか寂しそうな、苦しそうな表情。でもそれを隠すのではなく溜息で吐き出して、そして次の瞬間にはいつものひまわりのような笑顔をこちらに向けてくれた。
「ユニ、誕生日のプレゼントは、戻ってきたら渡してやるからな。楽しみにしててくれ」
「はいっ。今度こそ忘れずに渡してくださいね」
グランコクマから出るのは久しぶりだったが、以前のようにわくわくした気持ちにはとてもなれなかった。海の上を滑るように進む高速艇の一室で、ひとしきり泣いたあとでユニは疲れて眠ってしまった。後悔はない、といえば嘘になる。だけど、これ以上の答えなんて他にはなかった。これがユニが誰かの力になるたった一つの道だった。
しばらくして目を覚ましたユニは、部屋にある洗面所で顔を洗った。ひんやりとした水の感触が、これが現実だと嫌でも教えてくれた。両頬を手で叩き、ユニはロッドを握り締め、ジェイドのいる艦橋(ブリッジ)へと向かった。
「おやユニ。調子はいかがですか?」
「……大丈夫です」
「ここからダアトまではあなたにお任せすることはありません。部屋で休んでいても構いませんよ?」
「え?」
「なにか?」
「ダアト……?」
「ええ、そうです。あなたにとっては久しぶりですね」
「ちょ、え、ダ、ダアトへ向かっているんですか!?」
機械音だけが無機質に響く艦橋に、突然ユニの叫び声が轟き、仕事中の兵士たちも動きを止めて一斉にこちらを見た。ジェイドも首を捻ったまま動きを止めている。ユニはわたわたと視線を泳がせてから、ジェイドをひっぱってとりあえずその場を離れるのだった。
「ユニ、なんだかわかりませんが、ああいう場では静かにしていただけないと困りますね」
「すすすすいません、でも、あ、あのダアトって……」
「説明していませんでしたか?」
「わ、わたし詳しいこと何にも聞いてませんから! キムラスカへ行くってことしか、頭になくて……」
「そうでしたか……それは失礼いたしました」
よく考えれば、ジェイドもピオニーもあまりにも忙しそうだったので、ユニはこの任務の内容について「和平条約締結を提案した親書をキムラスカに届ける」ということくらいしか聞けていなかった。誰も彼もいっぱいいっぱいだったとはいえ、よくもそれで同行を許されたなと思う。
(そういえば、イオン様の協力を請うとかなんとか言ってたけど……そっか、ダアトに迎えに行かなくちゃいけないんだ……!)
「ダアトへ行く」ということは完全に思考から除外されていた。だって、まさかその日がこんなにはやく来るとは思わないのだから。
ユニの胸に急速に不安が広がった。「グランコクマを出るな。ダアトに来るな」と言ったアッシュの声がいまだに頭の中で響くのに。たったの二年も約束を守れなかった。
「では今回の任務について、遅ればせながら、説明させていただきます」
音素灯の光に照らされた通路に出ると、ジェイドは律儀に会釈をし、眼鏡を押し上げた。
◇
「軍事予算も、オレはこれ以上割くつもりはない」
「し、しかし、ピオニー陛下!」
「平和を望んで何が悪い? 国民は、戦争をしたがっているのか?」
「……」
「和平条約締結を提案する親書を、キムラスカへ送る。オレの名代として、ジェイド・カーティス大佐を任命する。その際にローレライ教団の導師イオンの協力も請う」
「ロ、ローレライ教団ですと……!?」
ざわざわと不満を訴える人々の声が耳につき、ピオニーは顔をしかめた。緊迫した空気が張り詰める議会の場。反論しているのはみな軍の上層部で、ピオニーの宥和政策をよく思ってはいない。しかしその彼らを説き伏せなければ、親書の完成は見えてこない。
この状況下では、一刻の猶予もなかった。既にジェイドたちは導師の協力を得るためダアトへ発った。作戦は動き出している。ピオニーは椅子に深く座り直し、文句を垂れる者たちを見渡した。
(骨が折れるな、こりゃ)
◇
「この任務は、正直なところ行き当たりばったりです」
「……え?」
真面目に言いはなったジェイドだが、ユニは困惑した声で相槌を打つしかなかった。
「まず、いくつものポイントが、そもそも達成できるかどうか微妙なものです。我々が導師の協力を得られるかどうか。同時進行で、陛下が議会を説得し、親書を完成させられるかどうか。そしてその親書を我々が受け取れるかどうか。死なずに国境を越え、バチカルへ辿り着けるかどうか。しかしその全てをクリアすることが出来なければ、この作戦は失敗に終わります」
「……」
「ま、そう堅くならずに」
強張った表情で聞いていたユニの肩にふわりと手をおき、ジェイドが微笑んだ。なぜかこのときの笑顔には、珍しくいつもの嫌味っぽい感じが見当たらなかった。
「この死霊使いが、どれも必ず成功させてご覧にいれます」
「ジェイドぉ……! もう、脅かすようなこと言わないでくださいよー」
ユニはジェイドの言葉に、ほっとして息を吐いた。
たとえ戦の真っ只中でも、近付くなと言われたダアトの街でも、ジェイドと一緒いれば絶対に大丈夫だと思えた。それに、よく考えれば、神託の盾騎士団がいまだにユニを追っているとは思えない。あれから何も起きていないし、そもそも、何度か本部へ侵入しただけなのだから。
(……アッシュが大袈裟すぎだったんだよ。もう一年以上経ってるし大丈夫だよね)
あれだけ怖がりながらのアッシュとのダアト脱出劇も、今となってはおもしろおかしくさえあった。アニスやシンクもまだ元気でダアトの街にいるかもしれないし。そんなことを考えたらふっと肩の荷が降りたようだった。
(大丈夫、ジェイドもいるし、ダアトの街のことはちゃんと覚えてる。大丈夫、うまくいく、なんとかなる……)
「この作戦にはとにかく迅速さが求められています。あなたに説明する暇がなかったのも、そのせいでした。すみません」
「わたしの誕生日忘れたのもそのせいですか」
「ええそうですとも。ですから気を落とさないでくださいね、ユニ」
「も~……」
ほとんど気持ちは決まっていたけれど、やっぱりまだ迷いはある。大事な人は行くなと言った。本当は怖くて仕方ないし、行ったところで自分に何が出来るのかもわからない。
でもそれが預言だった。預言だから守らなくてはならないと思った。だけど自分の気持ちを決めたのは、従わなくてはいけないからという理由ではなかった。
フィルが言ってくれた。その先に素敵なことが待っているのがわかるなら、頑張れる。どんなに大変でも、預言が幸せを約束してくれるから。
未来の可能性が示されているのに、始める前から諦めるなんて出来ない。たとえピオニーが反対しても、わたしはわたしの気持ちに、芽生えた勇気に、嘘をつかない。
港のカフェから戻って、そのまま真っ直ぐピオニーの私室へ向かった。扉を開けると、少し疲れた表情の彼がいた。
「陛下、わたしも任務に同行させてください」
「……何度も言ってるけどな、オレはお前を……」
「はい。陛下のお気持ちはわかっています」
いつもと違う彼の様子に、ユニは心が折れそうになったが、それでもその前に跪いて、気持ちを伝える。
「でも、わたしは、預言に詠まれたからだけでなく、自分に何が出来るのかを知りたいのです。せっかく与えられたから。陛下からこの命を。そして預言から、新しい未来を」
「……」
彼は何も言わなかったが、ユニはもう折れなかった。
「どうかお願いします。陛下」
「ユニ……」
「私からもお願いします。ユニにはキムラスカの者の指一本触れさせませんよ。彼女は私がお守りします」
「ジェイド!」
よく通る声が部屋に響き、ユニもピオニーもその方を振り返った。ジェイドが眼鏡を押し上げながら、こちらへ歩いてきた。
「陛下、ユニが自分の意思をここまではっきりと伝えたのはほとんど初めてではないでしょうか?」
「……」
「預言は前向きですし、作戦にも隙はありません。それとも、私のことが信じられませんか?」
ジェイドの発言にこそ隙がない、とユニは思う。そうだ、この旅にはジェイドがいる。彼がいれば、負けるはずなんてない。
「……わかった。ユニを連れて行け」
ピオニーは溜息まじりに言って、どかっと椅子に座った。
「ありがとうございます。そうと決まれば、明日の朝には出発します」
「あ、あした!?」
「はい。一刻の猶予もない事態ですから」
「そ、そんな、ちょっと待ってください心の準備が」
「おや、やめますか?」
「や、やめません!」
部屋を出ようと促すジェイドに少しだけ時間をもらって、ユニは頬杖をついて二人を見ていたピオニーのもとへ駆けて行った。
「あの、陛下。ご迷惑をおかけします」
「ああ。気にするな」
力なく微笑んだ彼を見たら、なんだか泣きそうになって、ユニは両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「本当は……こんな任務、嫌なんです」
「……ユニ」
「危険だし、怖いし……陛下をほったらかしにするのも、すごく心配です。でもわたし、ずっと外の世界に憧れていたし……。それに、預言には『人々の力になる』とか、今まで考えもしなかったことが詠まれていて」
「……」
「わたし、預言を信じてみたい。キムラスカの人も信じてみたい。みんなきっと平和を望んでいます。だけどみんな怖くて動けないだけだから……。ま、まぁわたしが果たしてどれだけ役に立つのかなぁって感じですけど」
無力な自分が、こんなことを思うのはおかしいかもしれない。だけど、どんなに小さくても、誰かの役に立てるなら、この旅に同行する意味があると思ったのだ。
ピオニーはなんて言ってくれるだろう? そう思って彼を見ると、彼の大きな手がユニに向かって伸びてきて、優しく髪を撫でた。
「ああ、オレもお前を信じてる。存分にみんなの力になってこいよ。それと、どうせ行くなら楽しんで行ってこい」
くすぐったさに目を細めると、一粒だけ涙がこぼれた。それでおさまってよかったと思う。最後は、笑って出て行きたいと思っていたから。
「失敗したっていい。無茶だけはするなよ。生きて帰ってくれればそれでいい。オレはここでお前たちの帰りを待っているからな」
根負けしたような表情で手を振るピオニーを痛いほど目に焼き付けて、ユニは準備のために部屋を出た。
「……やっぱり、どうあがいても預言には逆らえない、か」
水音が響くなかで、ぽつりと、低い声が誰の耳にも届かずに地に落ちた。
「いや、預言に逆らえないんじゃなくって、ユニに逆らえなかったんだな。……とんだ親バカだよ」
ぴょんと膝に飛び乗ったブウサギを撫でると、それは嬉しそうに鼻を鳴らした。何も考えていないようなのに、寂しい気持ちを感じ取っているのだろうか。丸い身体はいつも以上に柔らかくて温かく感じた。
「第三師団旗下高速艇、すべて準備完了です」
「ご苦労様です、ではユニ」
「は、はい」
あっという間に、出発の時刻になった。
まだ朝日は水平線の下に沈んでおり、滲み出す光がわずかに空を染めていた。高速艇の周囲であわただしく動いていた兵士たちは動きを止め、続々とその中へ乗り込んでいく。ジェイドはそれを見送ってから、ユニに目配せをした。ユニの心臓がどくりと音を立てた。
使い慣れたロッドを胸の前で握り締める。できるだろうか? わたしに。戦えるか? 守れるか? これで、本当によかったのだろうか――?
「ユニ」
「へ、へいか……!」
強張っていた肩を、ぽんと叩かれる。あたたかい手。そこから凍った体が融解していくようだった。振り返って見上げると、ピオニーが優しい表情で微笑んでいた。
「やめるなら、今のうちだぞ」
「……やめませんよ」
ジェイドに聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ピオニーはユニにいたずらっぽく囁いた。答えなんて聞かなくてもわかっているくせに。ユニは力が抜けて、自然と笑顔になった。
「陛下。二年前にユニの命を陛下に捧げたこと、覚えていますね? わたしは死んだりしません。きっと帰ってきて、これからも恩返ししますから、心配しないでください。ジェイドも一緒ですからね!」
「ええ。命に代えてもユニはお返しいたしますよ」
ジェイドの、重いのか軽いのかわからない飄々とした物言いに、ピオニーは肩を竦めた。
「ああ。本当に、お前たちはどんな預言よりも頼もしいよ」
どこか寂しそうな、苦しそうな表情。でもそれを隠すのではなく溜息で吐き出して、そして次の瞬間にはいつものひまわりのような笑顔をこちらに向けてくれた。
「ユニ、誕生日のプレゼントは、戻ってきたら渡してやるからな。楽しみにしててくれ」
「はいっ。今度こそ忘れずに渡してくださいね」
グランコクマから出るのは久しぶりだったが、以前のようにわくわくした気持ちにはとてもなれなかった。海の上を滑るように進む高速艇の一室で、ひとしきり泣いたあとでユニは疲れて眠ってしまった。後悔はない、といえば嘘になる。だけど、これ以上の答えなんて他にはなかった。これがユニが誰かの力になるたった一つの道だった。
しばらくして目を覚ましたユニは、部屋にある洗面所で顔を洗った。ひんやりとした水の感触が、これが現実だと嫌でも教えてくれた。両頬を手で叩き、ユニはロッドを握り締め、ジェイドのいる艦橋(ブリッジ)へと向かった。
「おやユニ。調子はいかがですか?」
「……大丈夫です」
「ここからダアトまではあなたにお任せすることはありません。部屋で休んでいても構いませんよ?」
「え?」
「なにか?」
「ダアト……?」
「ええ、そうです。あなたにとっては久しぶりですね」
「ちょ、え、ダ、ダアトへ向かっているんですか!?」
機械音だけが無機質に響く艦橋に、突然ユニの叫び声が轟き、仕事中の兵士たちも動きを止めて一斉にこちらを見た。ジェイドも首を捻ったまま動きを止めている。ユニはわたわたと視線を泳がせてから、ジェイドをひっぱってとりあえずその場を離れるのだった。
「ユニ、なんだかわかりませんが、ああいう場では静かにしていただけないと困りますね」
「すすすすいません、でも、あ、あのダアトって……」
「説明していませんでしたか?」
「わ、わたし詳しいこと何にも聞いてませんから! キムラスカへ行くってことしか、頭になくて……」
「そうでしたか……それは失礼いたしました」
よく考えれば、ジェイドもピオニーもあまりにも忙しそうだったので、ユニはこの任務の内容について「和平条約締結を提案した親書をキムラスカに届ける」ということくらいしか聞けていなかった。誰も彼もいっぱいいっぱいだったとはいえ、よくもそれで同行を許されたなと思う。
(そういえば、イオン様の協力を請うとかなんとか言ってたけど……そっか、ダアトに迎えに行かなくちゃいけないんだ……!)
「ダアトへ行く」ということは完全に思考から除外されていた。だって、まさかその日がこんなにはやく来るとは思わないのだから。
ユニの胸に急速に不安が広がった。「グランコクマを出るな。ダアトに来るな」と言ったアッシュの声がいまだに頭の中で響くのに。たったの二年も約束を守れなかった。
「では今回の任務について、遅ればせながら、説明させていただきます」
音素灯の光に照らされた通路に出ると、ジェイドは律儀に会釈をし、眼鏡を押し上げた。
◇
「軍事予算も、オレはこれ以上割くつもりはない」
「し、しかし、ピオニー陛下!」
「平和を望んで何が悪い? 国民は、戦争をしたがっているのか?」
「……」
「和平条約締結を提案する親書を、キムラスカへ送る。オレの名代として、ジェイド・カーティス大佐を任命する。その際にローレライ教団の導師イオンの協力も請う」
「ロ、ローレライ教団ですと……!?」
ざわざわと不満を訴える人々の声が耳につき、ピオニーは顔をしかめた。緊迫した空気が張り詰める議会の場。反論しているのはみな軍の上層部で、ピオニーの宥和政策をよく思ってはいない。しかしその彼らを説き伏せなければ、親書の完成は見えてこない。
この状況下では、一刻の猶予もなかった。既にジェイドたちは導師の協力を得るためダアトへ発った。作戦は動き出している。ピオニーは椅子に深く座り直し、文句を垂れる者たちを見渡した。
(骨が折れるな、こりゃ)
◇
「この任務は、正直なところ行き当たりばったりです」
「……え?」
真面目に言いはなったジェイドだが、ユニは困惑した声で相槌を打つしかなかった。
「まず、いくつものポイントが、そもそも達成できるかどうか微妙なものです。我々が導師の協力を得られるかどうか。同時進行で、陛下が議会を説得し、親書を完成させられるかどうか。そしてその親書を我々が受け取れるかどうか。死なずに国境を越え、バチカルへ辿り着けるかどうか。しかしその全てをクリアすることが出来なければ、この作戦は失敗に終わります」
「……」
「ま、そう堅くならずに」
強張った表情で聞いていたユニの肩にふわりと手をおき、ジェイドが微笑んだ。なぜかこのときの笑顔には、珍しくいつもの嫌味っぽい感じが見当たらなかった。
「この死霊使いが、どれも必ず成功させてご覧にいれます」
「ジェイドぉ……! もう、脅かすようなこと言わないでくださいよー」
ユニはジェイドの言葉に、ほっとして息を吐いた。
たとえ戦の真っ只中でも、近付くなと言われたダアトの街でも、ジェイドと一緒いれば絶対に大丈夫だと思えた。それに、よく考えれば、神託の盾騎士団がいまだにユニを追っているとは思えない。あれから何も起きていないし、そもそも、何度か本部へ侵入しただけなのだから。
(……アッシュが大袈裟すぎだったんだよ。もう一年以上経ってるし大丈夫だよね)
あれだけ怖がりながらのアッシュとのダアト脱出劇も、今となってはおもしろおかしくさえあった。アニスやシンクもまだ元気でダアトの街にいるかもしれないし。そんなことを考えたらふっと肩の荷が降りたようだった。
(大丈夫、ジェイドもいるし、ダアトの街のことはちゃんと覚えてる。大丈夫、うまくいく、なんとかなる……)
「この作戦にはとにかく迅速さが求められています。あなたに説明する暇がなかったのも、そのせいでした。すみません」
「わたしの誕生日忘れたのもそのせいですか」
「ええそうですとも。ですから気を落とさないでくださいね、ユニ」
「も~……」