第1章(過去編)
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
23 まどろみはいよいよ深く
「おいジェイド、ユニは一体どこに行ってるんだ」
「奇遇ですねぇ、私も探しているんですよ」
とある水の都で、恋と喪失の波が押し寄せた。
受け止めきれると思っていた。けれど、少女は自分の力を過信していた。波にのまれて、溺れて、もがけばもがくほど息ができなくなって。助けを待っても、来るはずがないのは知っていて。
ならば、何を思って息をすればいいのだろう?
「ユニさんですか? そういえば最近見ないですね」
このところ姿を現さなくなったユニを探して、ジェイドは宮殿を歩きまわっていた。ピオニー、治癒術の先生、そしてこのアスラン、などなど彼女に関係のありそうな者をあたってみたが、誰も彼女の行き先を知らなかった。
「そうですか、もし見かけたら教えて下さい。仕事が山のように溜まっていますので」
「はは、それじゃあユニさんも逃げたくなるかもしれませんねぇ」
ジェイドが最後に彼女を見たのは先週だった。あの日、彼女は普通に仕事をして、普通に譜術の訓練をして、夕食を食べて、部屋に戻って行った。とくに何も変わったことはなかったように思えた。しかしそれが妙だったのかもしれない。あまりにも、いつもと同じ、普通すぎて。彼女が「いつも通り」を演じているような、今思えばそんな空気だった。
(何を拗ねているんでしょうねぇ、あの子は)
姿を消す少し前、宮殿内で会った彼女の目が異様に赤かったのを覚えている。譜眼を施していたとかそういった赤さではない。あれは、泣き腫らした目だった。
あのときは、確か、ダアトから予定よりはやく帰って来た日の翌日だった。
(ダアトで何か嫌なことでもあったのでしょうか)
ジェイドは落ちてきた眼鏡を押し上げ、ふうと溜息をついた。子どもの考えることは、ときに不可解で、ときにあまりにも単純で。
「……陛下、何をなさっているんですか?」
「いや、部屋に引きこもってるんじゃないかと思ってな」
ふとユニの部屋の方へ足を向けると、その扉の前で怪しい行動をしている人影があった。――ピオニーだった。座りこみ、扉の鍵穴を覗きこんだり、妙な道具をそこへ差し込んだりしている。
「……で、それは?」
「ピッキングだ!」
キラリと星を飛ばして、ピオニーは言い放った。ジェイドは呆れて乾いた笑いを浮かべる。ここまで純粋に呆れさせてくれる人物は、正直なところ貴重だった。それにしても、一国の王が声を大にして「ピッキングだ!」とのたまい、鍵穴に様々な形の針金を突っ込んでいる姿は、決して国民には見せられないと思った。一体どこでそんなものを拝借してきたのだか。
「いやぁ、あなたにそんな面倒なことをさせるまでもありませんよ。陛下、お下がりください」
「おお、代わりにやってくれるか、助かるなジェイド」
ピオニーは呑気にそんなことを言いながら、立ち上がって一歩退く。そしてジェイドの隣に立ち、「お前、ほんとになんでも出来るんだな~」と呟いた。しかしジェイドはそれには答えずに、おもむろに手を伸ばし、元素と音素を融合させる。するとその何も持たない手に、突如槍が現れた。ピオニーには見慣れたコンタミネーション現象であるが、なぜ今? といった顔でそれを見る。ジェイドはふうと息を吐き、体を少し捻った。
「ジェ」
「瞬迅槍!!」
「わわわわ! お、おい!?」
凄まじい轟音が廊下に響き渡った。ジェイドの繰り出した技のせいで、扉は木っ端微塵になった。ピオニーは後ずさり、その惨状を見て慌てていたが、ジェイド本人は涼しい顔で舞い上がった破片や埃を見つめていた。
「お、お前なぁ……」
「これくらいは躾の範囲内です」
粉塵が落ち着くのを待たずに、ジェイドはユニの部屋へ足を踏み入れた。一応皇帝付きの世話係であるので、彼女の部屋はそれなりに広い。ピオニーの部屋とは違ってよく整理整頓されており、テーブルや棚の上には彼女の好きそうな花が活けてあった。
「……まぁ、ユニがここにいないのではそれも意味がなくなってしまいましたが」
しかし部屋のどこにも、彼女の姿はなかった。
「ど、どうしたのですか!? 今の音は一体……!」
慌てて駆け込んで来た声に振り返ると、ユニの友人のフィルがいた。先ほどの扉を破壊する音を聞きつけてやってきたのだろう。ジェイドは槍を掻き消すと、彼女に向き直った。
「失礼。このところユニが見当たらないので、部屋に引きこもっているのではないかと思いまして」
「そ、それで扉を壊したのですか……」
理由にならないような理由を話すと、フィルは驚いた顔で、粉々になった扉の破片をみつめた。
「お前、ユニの友達だったな?」
「そ、その通りでございます。ピオニー陛下」
「ユニがどこに行ったか知らないか?」
ピオニーが話しかけると、彼女はうっすらと頬を紅潮させて上ずった声で答えた。そういえば彼女はピオニーのファンだとか、以前ユニが言っていた気がする。
ジェイドは彼らの会話を聞きながら、ユニの机の上に目を走らせた。
どこから採ってきたのだろうか、珍しいセレニアの花が活けてあった。しかし月明かりでしか咲かないというその花は、主を失った部屋に残され、萎れていた。放り出されたままのノートをぱらぱらとめくると、譜術についてまとめてあった。自分の言ったことをほとんど漏らさず書いてあり、少し感心する。ブウサギの形をした貯金箱を手に取ると、かなりの重さがあった。山積みにされた本。「音素とは?」、「ローレライ教団の歩み」、よほど枯らしたくなかったのだろうか「セレニアの季節」という本もあった。開けっ放しの窓から潮の匂いの混じった風が吹きこんで、カーテンが揺れた。視界を遮る髪を耳にかけると、ふと、壁に掛けてあるカレンダーが目に入った。ダアトへでかけた日付のところには、赤いペンで花の絵が描いてあった。
「そうか、見ていないか」
「すみません、お力になれず……」
「まいったな。グランコクマから出てなきゃいいが」
ユニの宮殿でのほぼ唯一の友人であるフィルでさえも、彼女の居場所は知らないようだ。こうなるともう、手がかりはなくなってしまった。
(ユニがいなくてもとくに困るわけではありませんが)
彼女の存在理由なんて、思えば、ここには最初からなかった。彼女は彼女の能力をもってしてここまで上りつめたのではない。偶然ピオニーが彼女を拾ってきたからここにいる。ジェイドも、偶然彼女がシェフィールドの姓を持つから譜術を教えている。全部偶然で、意味などない。しかしそうは思っても、自分もピオニーもこうしてユニを探している。
それは、完全な世界の崩壊を防ぐため? では、ユニのいる世界が自分たちにとって完全だった?
(……あるいは、そうなのかもしれませんね)
もはや切り離せないところまで、心の奥まで、彼女は入りこんでいたのかもしれない。
「さて、どうするかぁ、ジェイド」
「そうですねぇ」
頭を掻いて、お手上げといった調子で聞いてきたピオニーの声を背中で受けながら、ジェイドはカレンダーをめくった。来月はノームデーカン。毎月ダアトへでかけていた彼女だから、同じようにこの月の二週目にもダアト行きを表す花の絵が描かれている。
(……)
しかし、これまでと違い、その絵を塗りつぶすように、黒いバツ印が描かれていた。これは何を意味しているのだろうか? 来月はダアトへ行かない? しかし、あれほどダアト行きを毎月楽しみにしていたのに。
(正確には、なんらかの理由で行けなくなったか?)
ユニは今回、珍しく予定よりはやくダアトから戻ってきた。その日は宮殿ではなく街に泊まって、翌日に泣き腫らした目で戻ってきた。そして彼女は姿を消した。かなり貴重なセレニアの花を部屋に放置したままで。
しかし、あまり時間が経っていないせいか、花の状態はそこまで悪くなっていない。彼女の貯金も残されたままであり、ユニがグランコクマを出た可能性は低い。おそらく考えなしの家出の延長みたいなものだろう。多少面倒だが部下を何人か使って街を探せばきっとすぐみつかるはずだ。自分の力で見つけられないのは、彼女を理解できなかったのと同義であるように思われ、少し残念だが。そう思いながら、ジェイドはセレニアの花を活けた花瓶を手に取った。
「陛下。ユニはきっとその辺にいますから、午後にでも部下に探させましょう」
「そうか? まあ見つかればいいが……ってそれは?」
「セレニアの花です。こんな珍しいものを枯れさせるのは惜しい。私が保護します」
「ほー、なんでそんなもんが部屋にあるんだか。さすが花好きのユニだな」
「あー! も、もしかして!」
急に声をあげたフィルを、ジェイドとピオニーは同時に見た。その視線にフィルは一瞬たじろいで声を詰まらせたが、すぐにまた喋り始めた。興奮しているせいか頬は先ほどよりも赤かった。
「前に……ユニがよく仕事をさぼって行っていたお花畑があって、確か場所は……!」
「探しましたよ、ユニ」
「……ジェイド」
長いこと言葉を発していなかったのか、彼女の声は少し嗄れていた。太い木の根元に仰向けで寝ていた彼女の顔を覗き込むと、元気そうだとは言えない表情がこちらを見返していた。
「もうみつかっちゃったのかぁ……」
「いつからここへ?」
「……しばらく部屋に引きこもってて……ここへ来たのはおとといくらいです」
「おや、随分と規模の小さな家出でしたね」
皮肉を言うと、彼女は力なく笑った。泣き疲れたような、何かを諦めたような、そんな顔だった。だから自分たちの前から姿を消した数日間について、あえて尋ねようとは思わなかった。
「こんな簡単に終わると思ってなかった。ジェイドには敵わないなぁ……」
「では、大人しく宮殿へお戻りいただけますね?」
隣にひざまずいて手を差し出すと、萎れた花のような、でも今出来る精一杯の笑みを見せて彼女はその手を取った。握った手は、見た目よりも小さく感じて、壊れそうなくらいに弱々しかった。
「なんでここにいるってわかったんですか?」
「私と陛下とフィルの勘ですよ」
「ああ、フィルかぁ……」
フィルから聞いた情報は「シュローズベリー通りのどこかにある花畑にいるかもしれない」ということだった。そこまで絞れれば、部下を使う必要もないと判断して、ジェイドが一人で探しにきたのだ。
「もっとも、通りに入ってからが難しかったですがね」
「ここ、わかりにくいですよね」
「ええ。とても苦労しました」
「……部下の人に探させたりしなかったんですか?」
「そうですね。その方が楽でしょうけど」
ジェイドは眼鏡を押し上げてから、ユニを見つめ、いつもより自然な笑みを浮かべた。
「せっかくですから。私自らお迎えにあがりました」
「……ありがとう」
「ご迷惑でしたか?」
「……ううん。見つけてくれたのがジェイドでよかった」
ところで、探しに行くと言えば必ず面倒事好きなピオニーがついてくるだろうと思っていたのだが、なぜか彼は「お前一人だけで行け」と言った。なるほど、今となってはその真意がわかる気がした。
あまりに自信に満ちた彼の性格は、今の彼女には少し眩しすぎて、大きすぎて、自分の小ささが際立って見えてしまった、かもしれない。
「……今回のことと、少し前にあなたに聞きそびれていたこと、特別に聞かないでおいてあげましょう」
「え? なんのことですか?」
「さぁ? ですから、そのかわり仕事を増やしますね」
「えー! だから、なんのことですかっ」
毎月のダアト旅行を楽しみにしていたはずの彼女のカレンダーに付けられたバツ印。彼女の泣き腫らした赤い目は、とくに注意して見たわけでもないのに、今も脳裏に焼き付いている。今回彼女が姿を消した理由には、ダアトで起きたなんらかの事象が絡んでいるのだろう。
そしてそのことは、ジェイドがアッシュに会った日に、ユニに聞きそびれたことでもあった。
なぜ予定よりはやく帰ってきたのか? なぜか同じ時期にグランコクマを訪れていたアッシュとは何か関係があるのか? 一体ダアトで何があった?
しかしそれは、自分でも甘いと思うのだが、今の彼女には訊くことが出来なかった。
「おいジェイド、ユニは一体どこに行ってるんだ」
「奇遇ですねぇ、私も探しているんですよ」
とある水の都で、恋と喪失の波が押し寄せた。
受け止めきれると思っていた。けれど、少女は自分の力を過信していた。波にのまれて、溺れて、もがけばもがくほど息ができなくなって。助けを待っても、来るはずがないのは知っていて。
ならば、何を思って息をすればいいのだろう?
「ユニさんですか? そういえば最近見ないですね」
このところ姿を現さなくなったユニを探して、ジェイドは宮殿を歩きまわっていた。ピオニー、治癒術の先生、そしてこのアスラン、などなど彼女に関係のありそうな者をあたってみたが、誰も彼女の行き先を知らなかった。
「そうですか、もし見かけたら教えて下さい。仕事が山のように溜まっていますので」
「はは、それじゃあユニさんも逃げたくなるかもしれませんねぇ」
ジェイドが最後に彼女を見たのは先週だった。あの日、彼女は普通に仕事をして、普通に譜術の訓練をして、夕食を食べて、部屋に戻って行った。とくに何も変わったことはなかったように思えた。しかしそれが妙だったのかもしれない。あまりにも、いつもと同じ、普通すぎて。彼女が「いつも通り」を演じているような、今思えばそんな空気だった。
(何を拗ねているんでしょうねぇ、あの子は)
姿を消す少し前、宮殿内で会った彼女の目が異様に赤かったのを覚えている。譜眼を施していたとかそういった赤さではない。あれは、泣き腫らした目だった。
あのときは、確か、ダアトから予定よりはやく帰って来た日の翌日だった。
(ダアトで何か嫌なことでもあったのでしょうか)
ジェイドは落ちてきた眼鏡を押し上げ、ふうと溜息をついた。子どもの考えることは、ときに不可解で、ときにあまりにも単純で。
「……陛下、何をなさっているんですか?」
「いや、部屋に引きこもってるんじゃないかと思ってな」
ふとユニの部屋の方へ足を向けると、その扉の前で怪しい行動をしている人影があった。――ピオニーだった。座りこみ、扉の鍵穴を覗きこんだり、妙な道具をそこへ差し込んだりしている。
「……で、それは?」
「ピッキングだ!」
キラリと星を飛ばして、ピオニーは言い放った。ジェイドは呆れて乾いた笑いを浮かべる。ここまで純粋に呆れさせてくれる人物は、正直なところ貴重だった。それにしても、一国の王が声を大にして「ピッキングだ!」とのたまい、鍵穴に様々な形の針金を突っ込んでいる姿は、決して国民には見せられないと思った。一体どこでそんなものを拝借してきたのだか。
「いやぁ、あなたにそんな面倒なことをさせるまでもありませんよ。陛下、お下がりください」
「おお、代わりにやってくれるか、助かるなジェイド」
ピオニーは呑気にそんなことを言いながら、立ち上がって一歩退く。そしてジェイドの隣に立ち、「お前、ほんとになんでも出来るんだな~」と呟いた。しかしジェイドはそれには答えずに、おもむろに手を伸ばし、元素と音素を融合させる。するとその何も持たない手に、突如槍が現れた。ピオニーには見慣れたコンタミネーション現象であるが、なぜ今? といった顔でそれを見る。ジェイドはふうと息を吐き、体を少し捻った。
「ジェ」
「瞬迅槍!!」
「わわわわ! お、おい!?」
凄まじい轟音が廊下に響き渡った。ジェイドの繰り出した技のせいで、扉は木っ端微塵になった。ピオニーは後ずさり、その惨状を見て慌てていたが、ジェイド本人は涼しい顔で舞い上がった破片や埃を見つめていた。
「お、お前なぁ……」
「これくらいは躾の範囲内です」
粉塵が落ち着くのを待たずに、ジェイドはユニの部屋へ足を踏み入れた。一応皇帝付きの世話係であるので、彼女の部屋はそれなりに広い。ピオニーの部屋とは違ってよく整理整頓されており、テーブルや棚の上には彼女の好きそうな花が活けてあった。
「……まぁ、ユニがここにいないのではそれも意味がなくなってしまいましたが」
しかし部屋のどこにも、彼女の姿はなかった。
「ど、どうしたのですか!? 今の音は一体……!」
慌てて駆け込んで来た声に振り返ると、ユニの友人のフィルがいた。先ほどの扉を破壊する音を聞きつけてやってきたのだろう。ジェイドは槍を掻き消すと、彼女に向き直った。
「失礼。このところユニが見当たらないので、部屋に引きこもっているのではないかと思いまして」
「そ、それで扉を壊したのですか……」
理由にならないような理由を話すと、フィルは驚いた顔で、粉々になった扉の破片をみつめた。
「お前、ユニの友達だったな?」
「そ、その通りでございます。ピオニー陛下」
「ユニがどこに行ったか知らないか?」
ピオニーが話しかけると、彼女はうっすらと頬を紅潮させて上ずった声で答えた。そういえば彼女はピオニーのファンだとか、以前ユニが言っていた気がする。
ジェイドは彼らの会話を聞きながら、ユニの机の上に目を走らせた。
どこから採ってきたのだろうか、珍しいセレニアの花が活けてあった。しかし月明かりでしか咲かないというその花は、主を失った部屋に残され、萎れていた。放り出されたままのノートをぱらぱらとめくると、譜術についてまとめてあった。自分の言ったことをほとんど漏らさず書いてあり、少し感心する。ブウサギの形をした貯金箱を手に取ると、かなりの重さがあった。山積みにされた本。「音素とは?」、「ローレライ教団の歩み」、よほど枯らしたくなかったのだろうか「セレニアの季節」という本もあった。開けっ放しの窓から潮の匂いの混じった風が吹きこんで、カーテンが揺れた。視界を遮る髪を耳にかけると、ふと、壁に掛けてあるカレンダーが目に入った。ダアトへでかけた日付のところには、赤いペンで花の絵が描いてあった。
「そうか、見ていないか」
「すみません、お力になれず……」
「まいったな。グランコクマから出てなきゃいいが」
ユニの宮殿でのほぼ唯一の友人であるフィルでさえも、彼女の居場所は知らないようだ。こうなるともう、手がかりはなくなってしまった。
(ユニがいなくてもとくに困るわけではありませんが)
彼女の存在理由なんて、思えば、ここには最初からなかった。彼女は彼女の能力をもってしてここまで上りつめたのではない。偶然ピオニーが彼女を拾ってきたからここにいる。ジェイドも、偶然彼女がシェフィールドの姓を持つから譜術を教えている。全部偶然で、意味などない。しかしそうは思っても、自分もピオニーもこうしてユニを探している。
それは、完全な世界の崩壊を防ぐため? では、ユニのいる世界が自分たちにとって完全だった?
(……あるいは、そうなのかもしれませんね)
もはや切り離せないところまで、心の奥まで、彼女は入りこんでいたのかもしれない。
「さて、どうするかぁ、ジェイド」
「そうですねぇ」
頭を掻いて、お手上げといった調子で聞いてきたピオニーの声を背中で受けながら、ジェイドはカレンダーをめくった。来月はノームデーカン。毎月ダアトへでかけていた彼女だから、同じようにこの月の二週目にもダアト行きを表す花の絵が描かれている。
(……)
しかし、これまでと違い、その絵を塗りつぶすように、黒いバツ印が描かれていた。これは何を意味しているのだろうか? 来月はダアトへ行かない? しかし、あれほどダアト行きを毎月楽しみにしていたのに。
(正確には、なんらかの理由で行けなくなったか?)
ユニは今回、珍しく予定よりはやくダアトから戻ってきた。その日は宮殿ではなく街に泊まって、翌日に泣き腫らした目で戻ってきた。そして彼女は姿を消した。かなり貴重なセレニアの花を部屋に放置したままで。
しかし、あまり時間が経っていないせいか、花の状態はそこまで悪くなっていない。彼女の貯金も残されたままであり、ユニがグランコクマを出た可能性は低い。おそらく考えなしの家出の延長みたいなものだろう。多少面倒だが部下を何人か使って街を探せばきっとすぐみつかるはずだ。自分の力で見つけられないのは、彼女を理解できなかったのと同義であるように思われ、少し残念だが。そう思いながら、ジェイドはセレニアの花を活けた花瓶を手に取った。
「陛下。ユニはきっとその辺にいますから、午後にでも部下に探させましょう」
「そうか? まあ見つかればいいが……ってそれは?」
「セレニアの花です。こんな珍しいものを枯れさせるのは惜しい。私が保護します」
「ほー、なんでそんなもんが部屋にあるんだか。さすが花好きのユニだな」
「あー! も、もしかして!」
急に声をあげたフィルを、ジェイドとピオニーは同時に見た。その視線にフィルは一瞬たじろいで声を詰まらせたが、すぐにまた喋り始めた。興奮しているせいか頬は先ほどよりも赤かった。
「前に……ユニがよく仕事をさぼって行っていたお花畑があって、確か場所は……!」
「探しましたよ、ユニ」
「……ジェイド」
長いこと言葉を発していなかったのか、彼女の声は少し嗄れていた。太い木の根元に仰向けで寝ていた彼女の顔を覗き込むと、元気そうだとは言えない表情がこちらを見返していた。
「もうみつかっちゃったのかぁ……」
「いつからここへ?」
「……しばらく部屋に引きこもってて……ここへ来たのはおとといくらいです」
「おや、随分と規模の小さな家出でしたね」
皮肉を言うと、彼女は力なく笑った。泣き疲れたような、何かを諦めたような、そんな顔だった。だから自分たちの前から姿を消した数日間について、あえて尋ねようとは思わなかった。
「こんな簡単に終わると思ってなかった。ジェイドには敵わないなぁ……」
「では、大人しく宮殿へお戻りいただけますね?」
隣にひざまずいて手を差し出すと、萎れた花のような、でも今出来る精一杯の笑みを見せて彼女はその手を取った。握った手は、見た目よりも小さく感じて、壊れそうなくらいに弱々しかった。
「なんでここにいるってわかったんですか?」
「私と陛下とフィルの勘ですよ」
「ああ、フィルかぁ……」
フィルから聞いた情報は「シュローズベリー通りのどこかにある花畑にいるかもしれない」ということだった。そこまで絞れれば、部下を使う必要もないと判断して、ジェイドが一人で探しにきたのだ。
「もっとも、通りに入ってからが難しかったですがね」
「ここ、わかりにくいですよね」
「ええ。とても苦労しました」
「……部下の人に探させたりしなかったんですか?」
「そうですね。その方が楽でしょうけど」
ジェイドは眼鏡を押し上げてから、ユニを見つめ、いつもより自然な笑みを浮かべた。
「せっかくですから。私自らお迎えにあがりました」
「……ありがとう」
「ご迷惑でしたか?」
「……ううん。見つけてくれたのがジェイドでよかった」
ところで、探しに行くと言えば必ず面倒事好きなピオニーがついてくるだろうと思っていたのだが、なぜか彼は「お前一人だけで行け」と言った。なるほど、今となってはその真意がわかる気がした。
あまりに自信に満ちた彼の性格は、今の彼女には少し眩しすぎて、大きすぎて、自分の小ささが際立って見えてしまった、かもしれない。
「……今回のことと、少し前にあなたに聞きそびれていたこと、特別に聞かないでおいてあげましょう」
「え? なんのことですか?」
「さぁ? ですから、そのかわり仕事を増やしますね」
「えー! だから、なんのことですかっ」
毎月のダアト旅行を楽しみにしていたはずの彼女のカレンダーに付けられたバツ印。彼女の泣き腫らした赤い目は、とくに注意して見たわけでもないのに、今も脳裏に焼き付いている。今回彼女が姿を消した理由には、ダアトで起きたなんらかの事象が絡んでいるのだろう。
そしてそのことは、ジェイドがアッシュに会った日に、ユニに聞きそびれたことでもあった。
なぜ予定よりはやく帰ってきたのか? なぜか同じ時期にグランコクマを訪れていたアッシュとは何か関係があるのか? 一体ダアトで何があった?
しかしそれは、自分でも甘いと思うのだが、今の彼女には訊くことが出来なかった。