第1章(過去編)
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20 朝の雨に感謝するために
「神託の盾騎士団の方が、グランコクマへどのようなご用でしょうか」
「グランコクマの修道院の様子を見に来ている」
「何か異変でも?」
「いや、とくに変わったことはなかった」
お互いにあまり間を開けずに喋った。少しでも答えに詰まれば、そこを集中して攻められる予感があった。
男がいつから背後に立っていたのかはわからないが、気が付くのに時間がかかったのは確かである。油断は出来ない。念のため手探りで腰に刺した剣の位置を確認したが、しかし何度もユニに言ったように、神託の盾騎士団員としては他国であるグランコクマの街中で問題は起こしたくなかった。
「そうですか。遠いところからはるばるとお疲れ様です」
「……」
マルクト人であるこの男にとって、ここはいわば本拠地であるわけだが、それにしてもこの余裕さ、冷静さ、異常な程だった。厄介な人物にみつかってしまった。
今、ここでユニに戻って来られるとさらに面倒なことになる。彼女に気の利いた発言が出来るとは到底思えないのだから。
アッシュはユニが駆けて行った橋に目を走らせる。まだ彼女の人影は見当たらなかった。
「お一人ですか?」
「……ああ」
「ではさぞかし退屈な船旅でしたでしょう。旅の疲れを癒しに、宮殿へおいでなさってはいかがですか?」
「結構だ。もう船が来る」
「それは、失礼いたしました」
腹が立つほどに飄々と、嫌な質問をぶつけてくる。一秒でも早く、どんな理由でもいいから、ここから抜け出したかった。しかしユニにここで待っていろと言われた以上また戻ってこなくてはならないし、それを彼に見咎められれば言い逃れできない。よって、この男が自ら消える以外にこの尋問を終わらせる方法はなかった。
そういえばダアトにも似たような男がいたのを思い出す。この男と同じく眼鏡をかけて、色白で、嫌味っぽくて。ただ、こちらの男の方が遥かに賢そうだが。
「さて、失礼ついでに役職とお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか? この頃、キムラスカの密偵が多いものですから、こちらとしても警戒しなくてはならないのです」
「……」
来た。一番嫌な質問。
偽名を使ってでもこの場は凌ぐか? いや、彼なら必ず疑う。ダアトへ確認さえ取りかねない。余計なことを言って後で困るよりも、本当のことを言った方がいいだろう。自分では、この男を騙すことは出来そうにない。
「ローレライ教団、神託の盾騎士団特務師団長アッシュ響士だ」
「……アッシュ……ですか」
場の空気が一層凍りついたようだった。この地位の者が、マルクトに対し連絡の一つも入れずにこんなところにいるのは確かにおかしな話ではあった。自分だったらさらに詳しく尋問しようと連行するだろう。果たして、この男は自分をどう処するか――
「……わかりました。それでは、帰国の際もどうぞお気をつけて」
「……」
男は視線を外した。なんと、あっさりと見逃した。アッシュは驚き、身構えていた分あっけないように感じたが、内心はほっとしていた。男は顔をあげると、眼鏡を押し上げてからとってつけたような嘘くさい笑みを向けた。
「申し遅れましたが、私はマルクト帝国軍第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐です。お時間を頂きありがとうございました」
「……ああ」
◇
「――グランコクマ、グランコクマに到着いたしました」
この放送を聞くのも、何度目になるだろうか。初めてダアトへ行った頃と同じ季節が、また巡ってこようとしていた。淡々とした声で繰り返される放送を、ユニは静かに胸に刻み込んだ。意識こそしていないものの、心のどこかではもう覚悟していたのかもしれない。恐らくこれが、ダアトへの旅の、最後になるだろうと。
「陛下! ユニ・シェフィールド、ただいまダアトより帰還しました!」
「ん? ユニ? 帰ってくるのって今日だったか?」
宮殿の幅の広い階段を駆け上がって、ユニはピオニーの私室へノックとほとんど同時に入った。いつもどおり散らかっている部屋の真ん中で、この国の皇帝は趣味で集めているお気に入りの武器を磨いているところだった。「危ないから」と誰が何度注意しても、彼は自ら武器を手にとった。彼自身が武器を使用するわけではないので、磨くことくらいは使用人がやってもいいと思うのだが。これも彼らしい振る舞いであり、ユニもそれに関して文句は言わず、いつも遠くから見ていたのだった。
「あ、違いますけど、予定変更で早く戻ってきました」
「そうか。ま、無事ならなによりだ。おかえり」
「はいっ! ……ではいってきます!」
「ん? お、おい、どーいうことだ!?」
ただいま、おかえり、いってきます、のやり取りが十秒以内に行われるとはピオニーも思っていなかったのだろう。はやくも扉から出て行こうとするユニを慌てて呼びとめた。
「頂いた休暇はまだ一日残っていますので、街の友達と遊んできます」
「あ、ああ……気をつけてな」
呆然と、ピオニーの伸ばした手は空を切った。なんだか少し寂しそうな彼の顔に、後ろ髪をひかれる。
いままで、彼と出逢ってからはなんでも話してきた。嘘はついたことがなかった。しかしユニがダアトに行き始めてからは、彼に話せないことが増えた。それでも、話せることは全部話した。秘密はあったけど、嘘はついたことがなかった。けれど今、はじめて嘘をついた。
たいした嘘じゃないのに、ずきりと胸が痛んで、ずっと守ってきていたものにヒビが入ったような気がした。そのヒビから、自然な速度でじわじわと痛みが広がった。これ以上ここにいると、もっと痛くなってしまう。
「……あ、陛下、もしかしたら泊まってくるかもしれません」
「な、なんだと!? 外泊の許可は出していないぞ!」
ピオニーは武器を置いて、書類を踏みながらユニに詰め寄った。それがかなり大声だったので、少したじろぐ。
「ユニ! 彼氏が出来たなら素直に言え! 謁見を許すからオレに会わせろ!」
「はい……?」
ユニはきょとんとしてピオニーを見上げた。彼は鼻息を荒くして「オレはお前の父親代わりだからな、そこんとこ覚えておくように!」と喚いたのだった。
ユニの胸に、温かい何かがぽっと灯る。じんわりと広がる温かさが、痛みから解放してくれた。自分よりもずっと大きな何かに抱きしめられている感覚。ほとんど初めてに近い感情が、今までずっと凍っていた部分まで溶かしていくようで、そしてそこから溶け出した思いが溢れて、心臓が脈打った。
「ふふ、違いますってば! 陛下、何を心配しているんですか? ほんとうに、友達ですよ!」
やっぱり、彼だけには嘘をつけない。
勢いよく宮殿から走り出ると、ちょうどジェイドがこちらへやってくるところだった。ユニの方が先に気付いたので、大きく手を振って彼の名前を呼んだ。すると、彼は珍しく驚いたようにユニを見つめ返してきたのだった。
「ユニ……いつ帰ってきたのですか?」
「ついさっきの船で戻りました。予定より早かったから……びっくりしましたか?」
「ええ、少し。とにかく、おかえりなさいませ」
彼は仕事用の笑顔を標準装備していたが、今日のそれはいつもより遥かにぎこちなかったかもしれない。
「ダアトで何かあったのですか?」
「い、いえ、なにも?」
ただ、もっとぎこちないのはユニの笑顔の方だったが。
「なるほど。で、何があったのですか?」
「だ、だから、何もありませんって!」
ユニはそう言うと、ジェイドにさっと会釈をして走り出した。これ以上彼に質問の機会を与えるのは得策ではなかったし、なによりアッシュを待たせていた。
◇
「ふむ、今日はどうやら尋問日和ではないようですねぇ」
残されたジェイドは眼鏡を押し上げて、ユニが橋を渡りきるまでを見つめていた。日常に少し影を落とすような不可解な出来事というものは、決まって一度にやってくるものだ。今回も例外ではない。
やはり、彼女をこの要塞の外に出したのは間違いだったか。しかし外の世界に触れて、彼女が大きく成長したのもまた事実。ジェイドは溜息をついて空を見上げた。
「そういえば雨になると預言者が言っていましたかね」
こんなにも青く晴れ渡っているのに、何時間か後には雲がやってきて、雨が降るという。どうしてそんなことまで予知できるのだろうか。今更ながら、預言の持つ力には恐怖にも似た感情が沸く。今の自分の感情にも、答えを出せるのは『預言』だけなのかもしれない。誰も彼も、等しく逃れようなく、その魔力に縛られて生きているのだから。
「……まあ、とりあえずユニには明日いろいろ教えていただかないといけませんから、覚悟しておいてもらいましょうか」
「神託の盾騎士団の方が、グランコクマへどのようなご用でしょうか」
「グランコクマの修道院の様子を見に来ている」
「何か異変でも?」
「いや、とくに変わったことはなかった」
お互いにあまり間を開けずに喋った。少しでも答えに詰まれば、そこを集中して攻められる予感があった。
男がいつから背後に立っていたのかはわからないが、気が付くのに時間がかかったのは確かである。油断は出来ない。念のため手探りで腰に刺した剣の位置を確認したが、しかし何度もユニに言ったように、神託の盾騎士団員としては他国であるグランコクマの街中で問題は起こしたくなかった。
「そうですか。遠いところからはるばるとお疲れ様です」
「……」
マルクト人であるこの男にとって、ここはいわば本拠地であるわけだが、それにしてもこの余裕さ、冷静さ、異常な程だった。厄介な人物にみつかってしまった。
今、ここでユニに戻って来られるとさらに面倒なことになる。彼女に気の利いた発言が出来るとは到底思えないのだから。
アッシュはユニが駆けて行った橋に目を走らせる。まだ彼女の人影は見当たらなかった。
「お一人ですか?」
「……ああ」
「ではさぞかし退屈な船旅でしたでしょう。旅の疲れを癒しに、宮殿へおいでなさってはいかがですか?」
「結構だ。もう船が来る」
「それは、失礼いたしました」
腹が立つほどに飄々と、嫌な質問をぶつけてくる。一秒でも早く、どんな理由でもいいから、ここから抜け出したかった。しかしユニにここで待っていろと言われた以上また戻ってこなくてはならないし、それを彼に見咎められれば言い逃れできない。よって、この男が自ら消える以外にこの尋問を終わらせる方法はなかった。
そういえばダアトにも似たような男がいたのを思い出す。この男と同じく眼鏡をかけて、色白で、嫌味っぽくて。ただ、こちらの男の方が遥かに賢そうだが。
「さて、失礼ついでに役職とお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか? この頃、キムラスカの密偵が多いものですから、こちらとしても警戒しなくてはならないのです」
「……」
来た。一番嫌な質問。
偽名を使ってでもこの場は凌ぐか? いや、彼なら必ず疑う。ダアトへ確認さえ取りかねない。余計なことを言って後で困るよりも、本当のことを言った方がいいだろう。自分では、この男を騙すことは出来そうにない。
「ローレライ教団、神託の盾騎士団特務師団長アッシュ響士だ」
「……アッシュ……ですか」
場の空気が一層凍りついたようだった。この地位の者が、マルクトに対し連絡の一つも入れずにこんなところにいるのは確かにおかしな話ではあった。自分だったらさらに詳しく尋問しようと連行するだろう。果たして、この男は自分をどう処するか――
「……わかりました。それでは、帰国の際もどうぞお気をつけて」
「……」
男は視線を外した。なんと、あっさりと見逃した。アッシュは驚き、身構えていた分あっけないように感じたが、内心はほっとしていた。男は顔をあげると、眼鏡を押し上げてからとってつけたような嘘くさい笑みを向けた。
「申し遅れましたが、私はマルクト帝国軍第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐です。お時間を頂きありがとうございました」
「……ああ」
◇
「――グランコクマ、グランコクマに到着いたしました」
この放送を聞くのも、何度目になるだろうか。初めてダアトへ行った頃と同じ季節が、また巡ってこようとしていた。淡々とした声で繰り返される放送を、ユニは静かに胸に刻み込んだ。意識こそしていないものの、心のどこかではもう覚悟していたのかもしれない。恐らくこれが、ダアトへの旅の、最後になるだろうと。
「陛下! ユニ・シェフィールド、ただいまダアトより帰還しました!」
「ん? ユニ? 帰ってくるのって今日だったか?」
宮殿の幅の広い階段を駆け上がって、ユニはピオニーの私室へノックとほとんど同時に入った。いつもどおり散らかっている部屋の真ん中で、この国の皇帝は趣味で集めているお気に入りの武器を磨いているところだった。「危ないから」と誰が何度注意しても、彼は自ら武器を手にとった。彼自身が武器を使用するわけではないので、磨くことくらいは使用人がやってもいいと思うのだが。これも彼らしい振る舞いであり、ユニもそれに関して文句は言わず、いつも遠くから見ていたのだった。
「あ、違いますけど、予定変更で早く戻ってきました」
「そうか。ま、無事ならなによりだ。おかえり」
「はいっ! ……ではいってきます!」
「ん? お、おい、どーいうことだ!?」
ただいま、おかえり、いってきます、のやり取りが十秒以内に行われるとはピオニーも思っていなかったのだろう。はやくも扉から出て行こうとするユニを慌てて呼びとめた。
「頂いた休暇はまだ一日残っていますので、街の友達と遊んできます」
「あ、ああ……気をつけてな」
呆然と、ピオニーの伸ばした手は空を切った。なんだか少し寂しそうな彼の顔に、後ろ髪をひかれる。
いままで、彼と出逢ってからはなんでも話してきた。嘘はついたことがなかった。しかしユニがダアトに行き始めてからは、彼に話せないことが増えた。それでも、話せることは全部話した。秘密はあったけど、嘘はついたことがなかった。けれど今、はじめて嘘をついた。
たいした嘘じゃないのに、ずきりと胸が痛んで、ずっと守ってきていたものにヒビが入ったような気がした。そのヒビから、自然な速度でじわじわと痛みが広がった。これ以上ここにいると、もっと痛くなってしまう。
「……あ、陛下、もしかしたら泊まってくるかもしれません」
「な、なんだと!? 外泊の許可は出していないぞ!」
ピオニーは武器を置いて、書類を踏みながらユニに詰め寄った。それがかなり大声だったので、少したじろぐ。
「ユニ! 彼氏が出来たなら素直に言え! 謁見を許すからオレに会わせろ!」
「はい……?」
ユニはきょとんとしてピオニーを見上げた。彼は鼻息を荒くして「オレはお前の父親代わりだからな、そこんとこ覚えておくように!」と喚いたのだった。
ユニの胸に、温かい何かがぽっと灯る。じんわりと広がる温かさが、痛みから解放してくれた。自分よりもずっと大きな何かに抱きしめられている感覚。ほとんど初めてに近い感情が、今までずっと凍っていた部分まで溶かしていくようで、そしてそこから溶け出した思いが溢れて、心臓が脈打った。
「ふふ、違いますってば! 陛下、何を心配しているんですか? ほんとうに、友達ですよ!」
やっぱり、彼だけには嘘をつけない。
勢いよく宮殿から走り出ると、ちょうどジェイドがこちらへやってくるところだった。ユニの方が先に気付いたので、大きく手を振って彼の名前を呼んだ。すると、彼は珍しく驚いたようにユニを見つめ返してきたのだった。
「ユニ……いつ帰ってきたのですか?」
「ついさっきの船で戻りました。予定より早かったから……びっくりしましたか?」
「ええ、少し。とにかく、おかえりなさいませ」
彼は仕事用の笑顔を標準装備していたが、今日のそれはいつもより遥かにぎこちなかったかもしれない。
「ダアトで何かあったのですか?」
「い、いえ、なにも?」
ただ、もっとぎこちないのはユニの笑顔の方だったが。
「なるほど。で、何があったのですか?」
「だ、だから、何もありませんって!」
ユニはそう言うと、ジェイドにさっと会釈をして走り出した。これ以上彼に質問の機会を与えるのは得策ではなかったし、なによりアッシュを待たせていた。
◇
「ふむ、今日はどうやら尋問日和ではないようですねぇ」
残されたジェイドは眼鏡を押し上げて、ユニが橋を渡りきるまでを見つめていた。日常に少し影を落とすような不可解な出来事というものは、決まって一度にやってくるものだ。今回も例外ではない。
やはり、彼女をこの要塞の外に出したのは間違いだったか。しかし外の世界に触れて、彼女が大きく成長したのもまた事実。ジェイドは溜息をついて空を見上げた。
「そういえば雨になると預言者が言っていましたかね」
こんなにも青く晴れ渡っているのに、何時間か後には雲がやってきて、雨が降るという。どうしてそんなことまで予知できるのだろうか。今更ながら、預言の持つ力には恐怖にも似た感情が沸く。今の自分の感情にも、答えを出せるのは『預言』だけなのかもしれない。誰も彼も、等しく逃れようなく、その魔力に縛られて生きているのだから。
「……まあ、とりあえずユニには明日いろいろ教えていただかないといけませんから、覚悟しておいてもらいましょうか」