第1章(過去編)
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16 ふたつのモテット
「わぁ……久しぶり」
広がる緑の大地。ゆっくりと踏みしめるように歩みを進める人々。それぞれの視線の先には、巨大な塔。
あれから一か月。ユニは再びダアトへやってきた。
グランコクマに戻ってから、ユニは精力的に働いていた。そのおかげでピオニーはとても褒めてくれて、今回のダアトへの旅行券も彼がプレゼントしてくれた。
罪悪感がないわけではない。
休みを返上してまで一生懸命仕事をしたのは、ダアトへ行きたいから。ピオニーの仕事をジェイドたちには内緒で少し手伝ったのも、ダアトへ行きたいから。
自分を育て、そして生まれ変わらせてくれた、最近まで世界で一番好きだったグランコクマ以外の場所へ行きたいとこんなにも願ってしまう。ピオニーたちに嘘をついているわけではないのに、なぜか胸が痛む。
「ユニ! 久しぶり!」
「アニス! 元気にしてた?」
それでも、ここでの友達の顔を見るとそんな後ろめたさはすぐに忘れてしまった。
「まーた侵入してるの、アンタは」
「悪いことしてるわけじゃないんだから目を瞑ってよ」
一か月ぶりに会ったアニスは少しだけ背が伸びたように思えた。シンクは相変わらず仮面で顔を隠し、前と同じように無愛想な態度だった。
「久しいですね、ユニ」
「あ、イオン様! ……今日もお疲れさまです」
「いえ、僕は……ユニも長旅で疲れたでしょう、ゆっくりしていって下さい」
「え、はい……」
イオンは、疲れているのだろうか顔色があまりよくなかった。人の心配をしてる場合ではない、と諌めようと思ったが、アリエッタが彼の背を押して、二人はふらふらと実体なく彷徨うように、どこかへ行ってしまった。
やはりグランコクマとは違う空気。ユニにとっては新鮮な空気がそこにはあった。
脳は、一度その刺激に慣れるとまた別の刺激が欲しくなってしまう。いつかダアトの街さえも、ユニにとっては退屈で、不完全になる時が来るのだろうか――
みんな仕事へ出掛けてしまい、一人で時間を持て余していたユニは、教会の周りをうろうろしていた。
「トゥエ レイ ズェ……」
「……?」
ちょうど正面広場の裏側へまわった時、不思議な旋律が聞こえてきた。ユニは耳を傾ける。沁みるように響く、綺麗な歌声だった。聞き慣れない進行、次の音が予想出来ない。そのわりに不快感はなく。
ユニは旋律に体を預けるように、目を閉じた。
「……あ、あの……大丈夫?」
「へ? ふわ……?」
次に目を開けたとき、ぼやけた視界に映ったのは、空と、雲と、茶色い長い髪の女の子だった。
「あれ? なんで? わたし……」
「その……ごめんなさい。こんな所で譜歌なんて歌ってしまって」
「譜歌ぁ?」
ユニは体を起こし、きょとんとして女の子をみつめた。歳はユニと同じくらいだろうが、静かな落ち着いた声で、ストレートで長い髪が大人っぽくて、少し羨ましかった。
「歌……聞こえたでしょう?」
「あ、あぁ! あの綺麗な歌ね」
そう言ってユニが欠伸を噛み殺しながら笑うと、女の子は少し頬を染めて「ありがとう」と小さく呟いた。
「じゃあ、ティアは神託の盾の音律士(クルーナー)なんだ」
「ええ。でもまだ士官学校に通っているだけよ」
教会裏の木陰で、ユニと「ティア」と名乗った少女は座って話をしていた。先ほども「譜歌を歌った」と言っていたが、彼女は神託の盾の士官候補として訓練を受けているそうだ。
「でもすごいよ。歌が上手で……綺麗で……羨ましい」
「そっ、そんなことないわ……それより、ユニはここで何をしていたの? ダアトに住んでいるのかしら?」
「あ、わたしは、実はグランコクマから来たの」
「え!」
ユニが言うと、ティアは驚いた顔をして、そして、さっきとは違う声色――妙に興奮した調子で喋り出した。
「グランコクマってあの、マルクトの首都よね!?」
「う、うん。そうだよ」
「街中に水が流れているのよね。聞いたことがある……行ってみたいわ」
「うん。譜術で水路を動かしてて、凄く綺麗な街だよ」
自分の大好きな街を褒められて、ユニは口元が緩んだ。いくらでも案内できる、知らないところはない街。思い出す風景は、真っ青な空と、遮るものなく降り注ぐ光、それを宝石のようにゆらゆらと反射する水路と、涼しげな噴水、永遠の水音――
しかしユニが空想を膨らませる一方で、ティアは羨ましそうに溜息をついたのだった。
「いいわね、ユニは」
「ん? なにが?」
「いろんな所へ旅行に行けるのね」
「……ティアは、ダアトからあんまり出られないの?」
少しだけ陰が差した訳ありそうなティアの表情に、ユニは首を傾げた。
「ええ……あまり、自由には出来ないの」
「ふーん、どこも似たような話があるんだね」
「え?」
「わたしも、ダアト以外には行ったことないし、今日もやっと二回目の旅行だよ。ずっとどこにも行けなくて」
彼女はつい最近までのユニとほとんど同じ状況だった。ティアは少し申し訳なさそうな顔をして俯いた。
「そうだったの……ごめんなさい、羨ましいだなんて」
「いいよ。今はわたしもこうやって普通に旅行してるし。でもティアはそうじゃないんでしょう」
「そうね……わたしもいつか行きたいわ。グランコクマ」
「うん! そしたらわたしが案内してあげる!」
ガイと同じように――そう思ってにこりと笑いかけると、またティアは頬を染めて視線をはずした。彼女はなかなか目を合わせてはくれなかった。かなり恥ずかしがり屋というか、なんというか。おくゆかしい。
「ありがとう……嬉しい、わたし、あんまり友達もいなくて……初めてだわ。こういうの」
「え?」
俯いてぽつりと放たれた言葉は、彼女の澄んだよく通る声とはいえ、ユニの耳にまでは届かなかった。
「あっ、なんでもないわ……と、ところで、旅行に行けるようになったきっかけって、なんだったのかしら?」
そう訊かれて、ユニは少し沈黙した。きっかけ。ジェイドが「叔母さんに挨拶してきては?」と言ったのが事の発端だったが、元を辿れば、やはりピオニーとの出会いが一番のきっかけだったのかもしれない。
(そういえば、グランコクマの水路に身を投げたのを陛下に救われたあの日、『生まれてから一度もグランコクマを出たことがない』って……わたし、陛下に思いっきり愚痴ってたっけ)
それが今ではこんなことになっているけれど。あの日のことも、預言には詠まれていたりするのだろうか。詠まれていて欲しい。それならば運命だと、意味があると思えるのに。
「……ある人と出会って、それで、その人に人生を変えられてしまいまして」
「そう……いいわね、ふふ、やっぱり羨ましいわ」
「ティアもいつかそういう出会いがあるよ」
「ええ。そうだといいわ」
今度は、彼女も視線を逸らさずに笑みを返してくれた。
ティアの望むことが、いつかの預言に詠まれているといいなと願う。誰もが祝福される世界だったら、どんなにいいだろうかと漠然と考えた。
あれからまた少し話をして、日が傾いて二人の影が伸びたので、このあたりで今日は終わりにしようということになった。ユニは立ち上がって腰についた草を軽く払う。若い草の香りがふわりと鼻をくすぐった。
「ユニ、グランコクマへはいつ帰るのかしら?」
「三日後だよ。でもまたしばらくしたらダアトに遊びに来るから。また会おうね」
「ええ」
自分と世界が変わらなければ、きっとまた会える。そう思って歩き出そうとしたときだった。
「……ユニ」
「ん?」
「魔界(クリフォト)……って知ってるかしら」
「へ? ク、リ……フォ……?」
「いいえ、ごめんなさい。なんでもないわ。またね」
ティアはそう言うと、ひらりと手を振った。儚げな彼女の姿に後ろ髪をひかれる思いがしたが、ユニは同じように手を振り返して、帰路についた。
教会の正面へ出てオレンジ色の夕日を目にしたときに、ふと気づいたことがあった。
(ティアが歌ってた譜歌……初めて聞くはずなのに、なんか聞き覚えがあった……)
旋律を思い出してみると、あの歌の続きさえ頭にぼんやりと浮かんでいた。確かではないがどこか懐かしい、不思議で綺麗な歌だ。また聞かせて欲しいと思う。
(あ、でも聞いたらまた寝ちゃうか……)
ユニは教会前の階段を駆け降りた。眼下に広がるダアトの街は、祈りを捧げる人々で溢れていた。みんな一体何を願っているのだろう? 平和? お金? 幸せ? 恋のこと――
そんなことを考えていたら突然何かにぶつかった。勢いよく走っていてさらに重力も加わっていたので、ユニは自分の背丈よりも大きいそれを押し倒してしまった。がしゃり、と鎧と石畳がぶつかる音がした。
「わ! す、すみません!」
「……気をつけろ」
慌てて飛び退いて下を見ると、そこにはこちらを思いっきり睨んでいる真っ赤な長髪の少年がいた。ユニはしゅんと縮こまって、彼を上目に見て「すいません…」と謝った。すると少年の連れだろうか、髭を生やし、髪を高い位置で結んだ男性が「いや、よい。行くぞ、アッシュ」と窘めるように言った。少年はフンと鼻を鳴らして立ち上がると、何も言わずに法衣を翻してユニの横をさっさと通り抜けて行った。
(はぁ……怒られなくてよかった)
安堵の溜息を漏らして顔を上げると、一層濃くなった夕焼けが目に入った。先ほどの彼の髪と同じ、燃えるような赤だった。そういえば、押し倒した手の下にあった、彼の法衣の特徴的な模様は。
(アッシュ……あの人も神託の盾騎士団なんだ)
正直言って彼とは仲良く出来る気はしなかった。というか、こちらが頑張って仲良くしようとしても絶対拒まれるだろう。そういう意味では、なぜシンクと親しくできているのかも謎だけど。
(まぁいいや、明日はまたアニスたちに会えるかな)
巡礼者の流れに逆らってユニは歩いた。彼らがそれぞれの願いをぼそぼそと口にしているのが、すれ違いざまに耳に入る。預言に定められた世界で、預言に従ってさほど不自由なく生きているはずなのに、まだそれ以上の何かを欲している。自分も含め、呆れるほど他人任せな世界だった。
「わぁ……久しぶり」
広がる緑の大地。ゆっくりと踏みしめるように歩みを進める人々。それぞれの視線の先には、巨大な塔。
あれから一か月。ユニは再びダアトへやってきた。
グランコクマに戻ってから、ユニは精力的に働いていた。そのおかげでピオニーはとても褒めてくれて、今回のダアトへの旅行券も彼がプレゼントしてくれた。
罪悪感がないわけではない。
休みを返上してまで一生懸命仕事をしたのは、ダアトへ行きたいから。ピオニーの仕事をジェイドたちには内緒で少し手伝ったのも、ダアトへ行きたいから。
自分を育て、そして生まれ変わらせてくれた、最近まで世界で一番好きだったグランコクマ以外の場所へ行きたいとこんなにも願ってしまう。ピオニーたちに嘘をついているわけではないのに、なぜか胸が痛む。
「ユニ! 久しぶり!」
「アニス! 元気にしてた?」
それでも、ここでの友達の顔を見るとそんな後ろめたさはすぐに忘れてしまった。
「まーた侵入してるの、アンタは」
「悪いことしてるわけじゃないんだから目を瞑ってよ」
一か月ぶりに会ったアニスは少しだけ背が伸びたように思えた。シンクは相変わらず仮面で顔を隠し、前と同じように無愛想な態度だった。
「久しいですね、ユニ」
「あ、イオン様! ……今日もお疲れさまです」
「いえ、僕は……ユニも長旅で疲れたでしょう、ゆっくりしていって下さい」
「え、はい……」
イオンは、疲れているのだろうか顔色があまりよくなかった。人の心配をしてる場合ではない、と諌めようと思ったが、アリエッタが彼の背を押して、二人はふらふらと実体なく彷徨うように、どこかへ行ってしまった。
やはりグランコクマとは違う空気。ユニにとっては新鮮な空気がそこにはあった。
脳は、一度その刺激に慣れるとまた別の刺激が欲しくなってしまう。いつかダアトの街さえも、ユニにとっては退屈で、不完全になる時が来るのだろうか――
みんな仕事へ出掛けてしまい、一人で時間を持て余していたユニは、教会の周りをうろうろしていた。
「トゥエ レイ ズェ……」
「……?」
ちょうど正面広場の裏側へまわった時、不思議な旋律が聞こえてきた。ユニは耳を傾ける。沁みるように響く、綺麗な歌声だった。聞き慣れない進行、次の音が予想出来ない。そのわりに不快感はなく。
ユニは旋律に体を預けるように、目を閉じた。
「……あ、あの……大丈夫?」
「へ? ふわ……?」
次に目を開けたとき、ぼやけた視界に映ったのは、空と、雲と、茶色い長い髪の女の子だった。
「あれ? なんで? わたし……」
「その……ごめんなさい。こんな所で譜歌なんて歌ってしまって」
「譜歌ぁ?」
ユニは体を起こし、きょとんとして女の子をみつめた。歳はユニと同じくらいだろうが、静かな落ち着いた声で、ストレートで長い髪が大人っぽくて、少し羨ましかった。
「歌……聞こえたでしょう?」
「あ、あぁ! あの綺麗な歌ね」
そう言ってユニが欠伸を噛み殺しながら笑うと、女の子は少し頬を染めて「ありがとう」と小さく呟いた。
「じゃあ、ティアは神託の盾の音律士(クルーナー)なんだ」
「ええ。でもまだ士官学校に通っているだけよ」
教会裏の木陰で、ユニと「ティア」と名乗った少女は座って話をしていた。先ほども「譜歌を歌った」と言っていたが、彼女は神託の盾の士官候補として訓練を受けているそうだ。
「でもすごいよ。歌が上手で……綺麗で……羨ましい」
「そっ、そんなことないわ……それより、ユニはここで何をしていたの? ダアトに住んでいるのかしら?」
「あ、わたしは、実はグランコクマから来たの」
「え!」
ユニが言うと、ティアは驚いた顔をして、そして、さっきとは違う声色――妙に興奮した調子で喋り出した。
「グランコクマってあの、マルクトの首都よね!?」
「う、うん。そうだよ」
「街中に水が流れているのよね。聞いたことがある……行ってみたいわ」
「うん。譜術で水路を動かしてて、凄く綺麗な街だよ」
自分の大好きな街を褒められて、ユニは口元が緩んだ。いくらでも案内できる、知らないところはない街。思い出す風景は、真っ青な空と、遮るものなく降り注ぐ光、それを宝石のようにゆらゆらと反射する水路と、涼しげな噴水、永遠の水音――
しかしユニが空想を膨らませる一方で、ティアは羨ましそうに溜息をついたのだった。
「いいわね、ユニは」
「ん? なにが?」
「いろんな所へ旅行に行けるのね」
「……ティアは、ダアトからあんまり出られないの?」
少しだけ陰が差した訳ありそうなティアの表情に、ユニは首を傾げた。
「ええ……あまり、自由には出来ないの」
「ふーん、どこも似たような話があるんだね」
「え?」
「わたしも、ダアト以外には行ったことないし、今日もやっと二回目の旅行だよ。ずっとどこにも行けなくて」
彼女はつい最近までのユニとほとんど同じ状況だった。ティアは少し申し訳なさそうな顔をして俯いた。
「そうだったの……ごめんなさい、羨ましいだなんて」
「いいよ。今はわたしもこうやって普通に旅行してるし。でもティアはそうじゃないんでしょう」
「そうね……わたしもいつか行きたいわ。グランコクマ」
「うん! そしたらわたしが案内してあげる!」
ガイと同じように――そう思ってにこりと笑いかけると、またティアは頬を染めて視線をはずした。彼女はなかなか目を合わせてはくれなかった。かなり恥ずかしがり屋というか、なんというか。おくゆかしい。
「ありがとう……嬉しい、わたし、あんまり友達もいなくて……初めてだわ。こういうの」
「え?」
俯いてぽつりと放たれた言葉は、彼女の澄んだよく通る声とはいえ、ユニの耳にまでは届かなかった。
「あっ、なんでもないわ……と、ところで、旅行に行けるようになったきっかけって、なんだったのかしら?」
そう訊かれて、ユニは少し沈黙した。きっかけ。ジェイドが「叔母さんに挨拶してきては?」と言ったのが事の発端だったが、元を辿れば、やはりピオニーとの出会いが一番のきっかけだったのかもしれない。
(そういえば、グランコクマの水路に身を投げたのを陛下に救われたあの日、『生まれてから一度もグランコクマを出たことがない』って……わたし、陛下に思いっきり愚痴ってたっけ)
それが今ではこんなことになっているけれど。あの日のことも、預言には詠まれていたりするのだろうか。詠まれていて欲しい。それならば運命だと、意味があると思えるのに。
「……ある人と出会って、それで、その人に人生を変えられてしまいまして」
「そう……いいわね、ふふ、やっぱり羨ましいわ」
「ティアもいつかそういう出会いがあるよ」
「ええ。そうだといいわ」
今度は、彼女も視線を逸らさずに笑みを返してくれた。
ティアの望むことが、いつかの預言に詠まれているといいなと願う。誰もが祝福される世界だったら、どんなにいいだろうかと漠然と考えた。
あれからまた少し話をして、日が傾いて二人の影が伸びたので、このあたりで今日は終わりにしようということになった。ユニは立ち上がって腰についた草を軽く払う。若い草の香りがふわりと鼻をくすぐった。
「ユニ、グランコクマへはいつ帰るのかしら?」
「三日後だよ。でもまたしばらくしたらダアトに遊びに来るから。また会おうね」
「ええ」
自分と世界が変わらなければ、きっとまた会える。そう思って歩き出そうとしたときだった。
「……ユニ」
「ん?」
「魔界(クリフォト)……って知ってるかしら」
「へ? ク、リ……フォ……?」
「いいえ、ごめんなさい。なんでもないわ。またね」
ティアはそう言うと、ひらりと手を振った。儚げな彼女の姿に後ろ髪をひかれる思いがしたが、ユニは同じように手を振り返して、帰路についた。
教会の正面へ出てオレンジ色の夕日を目にしたときに、ふと気づいたことがあった。
(ティアが歌ってた譜歌……初めて聞くはずなのに、なんか聞き覚えがあった……)
旋律を思い出してみると、あの歌の続きさえ頭にぼんやりと浮かんでいた。確かではないがどこか懐かしい、不思議で綺麗な歌だ。また聞かせて欲しいと思う。
(あ、でも聞いたらまた寝ちゃうか……)
ユニは教会前の階段を駆け降りた。眼下に広がるダアトの街は、祈りを捧げる人々で溢れていた。みんな一体何を願っているのだろう? 平和? お金? 幸せ? 恋のこと――
そんなことを考えていたら突然何かにぶつかった。勢いよく走っていてさらに重力も加わっていたので、ユニは自分の背丈よりも大きいそれを押し倒してしまった。がしゃり、と鎧と石畳がぶつかる音がした。
「わ! す、すみません!」
「……気をつけろ」
慌てて飛び退いて下を見ると、そこにはこちらを思いっきり睨んでいる真っ赤な長髪の少年がいた。ユニはしゅんと縮こまって、彼を上目に見て「すいません…」と謝った。すると少年の連れだろうか、髭を生やし、髪を高い位置で結んだ男性が「いや、よい。行くぞ、アッシュ」と窘めるように言った。少年はフンと鼻を鳴らして立ち上がると、何も言わずに法衣を翻してユニの横をさっさと通り抜けて行った。
(はぁ……怒られなくてよかった)
安堵の溜息を漏らして顔を上げると、一層濃くなった夕焼けが目に入った。先ほどの彼の髪と同じ、燃えるような赤だった。そういえば、押し倒した手の下にあった、彼の法衣の特徴的な模様は。
(アッシュ……あの人も神託の盾騎士団なんだ)
正直言って彼とは仲良く出来る気はしなかった。というか、こちらが頑張って仲良くしようとしても絶対拒まれるだろう。そういう意味では、なぜシンクと親しくできているのかも謎だけど。
(まぁいいや、明日はまたアニスたちに会えるかな)
巡礼者の流れに逆らってユニは歩いた。彼らがそれぞれの願いをぼそぼそと口にしているのが、すれ違いざまに耳に入る。預言に定められた世界で、預言に従ってさほど不自由なく生きているはずなのに、まだそれ以上の何かを欲している。自分も含め、呆れるほど他人任せな世界だった。