第1章(過去編)
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15 憂鬱に、そしてやさしく
「――グランコクマ、グランコクマに到着いたしました」
船体を打つ波音。揺れる足元。繰り返される放送を聞きながら、首を捻って、腕をぐいと伸ばす。変な体勢で寝ていたせいか、体の節々が痛かった。のろのろと荷物をまとめて、ユニは客室を出る。
「はー、やっと帰ってきたー」
外に出ると真っ青な空と海が、遥か向こうで交わっているのが見えた。もう海のどこにもダアトの影はなく、水平線だけがそこに漂っていた。キラキラと光を反射する海面にユニは目を細める。うっすらと汗をかいていた。同じ海ではあるけれど、やはりここはダアトの海じゃなくて、グランコクマの海だった。
「おや、お土産は無しですか?」
「ははは……」
船から降りてすぐに、ユニはジェイドをみつけた。観光客や出迎えの人々に混じって、虫も殺さないような笑顔で、彼はこちらにひらひらと手を振っていた。「まさかジェイドが待っていてくれたなんて!」と感動したユニは抱きつかんばかりの勢いでジェイドに駆け寄ったが、開口一番、そんなことを言われたのだった。
「あの、もっとこう、感動的な挨拶はないんですか? 会えなくて寂しかった、とか」
「あぁ、失礼しました。陛下と、ユニがどんなお土産を買ってくるのかを予想してばかりいたものですから」
「あーそうですか」
相変わらずのジェイドの調子にユニは顔をひきつらせたが、それでも懐かしさとあたたかさで胸がいっぱいだった。このくらいの嫌味が心地よくて、ああ、自分の知っているグランコクマだ、と実感できて、不思議と安心したのだ。
「ダアトはいかがでしたか?」
宮殿へ戻る道の途中で、ジェイドが話しかけた。ユニは荷物を引き摺るようにしてやっと歩いていたのに、彼は手ぶらで、ポケットに手をつっこんでいた。「手伝って下さい」と頼んでものらりくらりとかわされそうなので、ユニは何も言わなかった。
「すごくいいところで、建物は綺麗だし、人も優しくて、気に入ってしまいました」
「教会は中まで見てきましたか?」
「もちろんです! 中の中まで行きましたよ!」
「中の中?」
「あ、まぁ、ちゃんと見てきたってことです」
神託の盾騎士団本部に侵入したなんてことは、ましてや導師イオンの手を馴れ馴れしく握ってきてしまったなんてことは、口が裂けても言えない。いつもならこれくらいの嘘はすぐに見抜かれてしまうのだけれど、いくらなんでも旅先のことまでジェイドに当てられることはないだろうと考える。
「そうですか。ローレライ教団のこと、しっかり学べましたか?」
「うーん……」
「ま、勉強していないのはわかっていますが、とにかく、家出せずに無事に戻ってきて私も陛下もほっとしていますよ」
「……本当ですか?」
「これは本当です」
ずれてもいない眼鏡をあげる彼の癖が、妙に懐かしいと思えた。
「ただいま戻りました、陛下」
「ユニ! よく帰ってきたなー、風邪ひいてないか? 怪我はないか? それから……」
「陛下。心配する必要もないくらい元気みたいですよ」
久々に帰ったグランコクマ宮殿では、ピオニーやアスランなど、何人かがわざわざ謁見の間で迎えてくれた。そこまで長い旅行ではなかったのに、そうして待っていてくれたことが嬉しくて、ユニは終始くすぐったかった。
またあの永遠の水音が、生活のなかに戻って来た。空気に混じる第四音素に触れる。やっぱり落ち着く。なぜならここは、どこよりも一番長い時間を共有してきた街。ユニが育った街だから。
「ユニさん、ダアトはどうでしたか?」
「素敵な街でした! 教会は大きくて綺麗で、平和だし、人も優しい人ばっかりでした」
アスランに聞かれ、ユニは海の向こうで出会った人の顔を一人ひとり思い出しながら、明るく答えた。本当に、いい人ばかりだった。それに、自分と同じかそれよりも年下の子とあんなに話をするのはほとんど初めてで、新鮮で、おもしろくて――
「なんだか幸せそうな顔をしていますねぇ、ユニ」
「へ!?」
「ユニ、そんなに楽しいことがあったのか? オレなんてお前がいない間朝から晩まで仕事しっぱなしだったぞ」
「嘘おっしゃらないで下さい、陛下。ちっとも手をつけていないじゃないですか」
「ジェイド、頼むから代わりにやってくれよー」
「……ふふっ」
相変わらずの彼らのやりとりに、ユニは吹き出した。彼らは何も変わらないで、ユニを待っていてくれた。
ジェイドとアスランが仕事へ行ったので、ユニとピオニーは私室へ戻った。いつも通りまったく片付いていないピオニーの部屋だって、きっとユニのために残しておいてくれた仕事に違いないと思うことにした。
「陛下、お願いがあります」
「なんだ?」
彼と二人になってから、ユニは改まって話しかけた。
「また、ダアトへ行かせてください」
「ほう……そんなに気に入ったのか」
「……はい!」
我慢できずに返事をすると、ピオニーはひまわりのように明るく笑ってくれた。
「いつでも行っていい。ただし、オレの仕事を少し手伝ってくれたらな?」
本当にどうしようもない皇帝だけれど、どういうわけか国民にとっては自慢の皇帝で、そしてもちろんユニにとっても自慢で、命の恩人で、世界中が彼の敵にまわったとしても味方でいたい、そんな人だった。
それなのに、嘘なんてついてないのに、この後ろめたさはなんだろう?
彼らは変わらずに、自分を待っていてくれた。この街以上に素敵な街なんてないと思っていたのに、どうしてこんなにもダアトのことばかり考えてしまうんだろう。
(変わったのは……わたしだ)
ユニは胸に手をあてた。そうだ、前にも似たようなことがあったはずだ。
(だめ……これじゃガイの時と同じになっちゃう)
いままでいた場所は、決して不完全なんかじゃなかったのに。いつも新しい刺激に簡単に目移りしてしまう。帰る場所は、確かにここにあるのに――
(せっかく陛下に助けてもらったのに、わたし、なんで、最低だ、いつになったら……)
『ここにいたい』って、心から思えるのだろう。
「――グランコクマ、グランコクマに到着いたしました」
船体を打つ波音。揺れる足元。繰り返される放送を聞きながら、首を捻って、腕をぐいと伸ばす。変な体勢で寝ていたせいか、体の節々が痛かった。のろのろと荷物をまとめて、ユニは客室を出る。
「はー、やっと帰ってきたー」
外に出ると真っ青な空と海が、遥か向こうで交わっているのが見えた。もう海のどこにもダアトの影はなく、水平線だけがそこに漂っていた。キラキラと光を反射する海面にユニは目を細める。うっすらと汗をかいていた。同じ海ではあるけれど、やはりここはダアトの海じゃなくて、グランコクマの海だった。
「おや、お土産は無しですか?」
「ははは……」
船から降りてすぐに、ユニはジェイドをみつけた。観光客や出迎えの人々に混じって、虫も殺さないような笑顔で、彼はこちらにひらひらと手を振っていた。「まさかジェイドが待っていてくれたなんて!」と感動したユニは抱きつかんばかりの勢いでジェイドに駆け寄ったが、開口一番、そんなことを言われたのだった。
「あの、もっとこう、感動的な挨拶はないんですか? 会えなくて寂しかった、とか」
「あぁ、失礼しました。陛下と、ユニがどんなお土産を買ってくるのかを予想してばかりいたものですから」
「あーそうですか」
相変わらずのジェイドの調子にユニは顔をひきつらせたが、それでも懐かしさとあたたかさで胸がいっぱいだった。このくらいの嫌味が心地よくて、ああ、自分の知っているグランコクマだ、と実感できて、不思議と安心したのだ。
「ダアトはいかがでしたか?」
宮殿へ戻る道の途中で、ジェイドが話しかけた。ユニは荷物を引き摺るようにしてやっと歩いていたのに、彼は手ぶらで、ポケットに手をつっこんでいた。「手伝って下さい」と頼んでものらりくらりとかわされそうなので、ユニは何も言わなかった。
「すごくいいところで、建物は綺麗だし、人も優しくて、気に入ってしまいました」
「教会は中まで見てきましたか?」
「もちろんです! 中の中まで行きましたよ!」
「中の中?」
「あ、まぁ、ちゃんと見てきたってことです」
神託の盾騎士団本部に侵入したなんてことは、ましてや導師イオンの手を馴れ馴れしく握ってきてしまったなんてことは、口が裂けても言えない。いつもならこれくらいの嘘はすぐに見抜かれてしまうのだけれど、いくらなんでも旅先のことまでジェイドに当てられることはないだろうと考える。
「そうですか。ローレライ教団のこと、しっかり学べましたか?」
「うーん……」
「ま、勉強していないのはわかっていますが、とにかく、家出せずに無事に戻ってきて私も陛下もほっとしていますよ」
「……本当ですか?」
「これは本当です」
ずれてもいない眼鏡をあげる彼の癖が、妙に懐かしいと思えた。
「ただいま戻りました、陛下」
「ユニ! よく帰ってきたなー、風邪ひいてないか? 怪我はないか? それから……」
「陛下。心配する必要もないくらい元気みたいですよ」
久々に帰ったグランコクマ宮殿では、ピオニーやアスランなど、何人かがわざわざ謁見の間で迎えてくれた。そこまで長い旅行ではなかったのに、そうして待っていてくれたことが嬉しくて、ユニは終始くすぐったかった。
またあの永遠の水音が、生活のなかに戻って来た。空気に混じる第四音素に触れる。やっぱり落ち着く。なぜならここは、どこよりも一番長い時間を共有してきた街。ユニが育った街だから。
「ユニさん、ダアトはどうでしたか?」
「素敵な街でした! 教会は大きくて綺麗で、平和だし、人も優しい人ばっかりでした」
アスランに聞かれ、ユニは海の向こうで出会った人の顔を一人ひとり思い出しながら、明るく答えた。本当に、いい人ばかりだった。それに、自分と同じかそれよりも年下の子とあんなに話をするのはほとんど初めてで、新鮮で、おもしろくて――
「なんだか幸せそうな顔をしていますねぇ、ユニ」
「へ!?」
「ユニ、そんなに楽しいことがあったのか? オレなんてお前がいない間朝から晩まで仕事しっぱなしだったぞ」
「嘘おっしゃらないで下さい、陛下。ちっとも手をつけていないじゃないですか」
「ジェイド、頼むから代わりにやってくれよー」
「……ふふっ」
相変わらずの彼らのやりとりに、ユニは吹き出した。彼らは何も変わらないで、ユニを待っていてくれた。
ジェイドとアスランが仕事へ行ったので、ユニとピオニーは私室へ戻った。いつも通りまったく片付いていないピオニーの部屋だって、きっとユニのために残しておいてくれた仕事に違いないと思うことにした。
「陛下、お願いがあります」
「なんだ?」
彼と二人になってから、ユニは改まって話しかけた。
「また、ダアトへ行かせてください」
「ほう……そんなに気に入ったのか」
「……はい!」
我慢できずに返事をすると、ピオニーはひまわりのように明るく笑ってくれた。
「いつでも行っていい。ただし、オレの仕事を少し手伝ってくれたらな?」
本当にどうしようもない皇帝だけれど、どういうわけか国民にとっては自慢の皇帝で、そしてもちろんユニにとっても自慢で、命の恩人で、世界中が彼の敵にまわったとしても味方でいたい、そんな人だった。
それなのに、嘘なんてついてないのに、この後ろめたさはなんだろう?
彼らは変わらずに、自分を待っていてくれた。この街以上に素敵な街なんてないと思っていたのに、どうしてこんなにもダアトのことばかり考えてしまうんだろう。
(変わったのは……わたしだ)
ユニは胸に手をあてた。そうだ、前にも似たようなことがあったはずだ。
(だめ……これじゃガイの時と同じになっちゃう)
いままでいた場所は、決して不完全なんかじゃなかったのに。いつも新しい刺激に簡単に目移りしてしまう。帰る場所は、確かにここにあるのに――
(せっかく陛下に助けてもらったのに、わたし、なんで、最低だ、いつになったら……)
『ここにいたい』って、心から思えるのだろう。