第1章(過去編)
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09 時代の壁際
「陛下。妹を諦めて下さったのは結構なことですが、こんな子どもでは……私も納得しかねます」
「わ、悪かったですね! こんな子どもで……!」
「まぁ待て待て、ユニ、ジェイド」
帰還の報告に訪れたジェイドは、彼が出て行った時にはいなかったはずの少女を見るなり言い放った。
ピオニーの隣に控えていたユニは、いきなりの失礼な言葉にわなわなと肩を震わせる。彼とは仲良くなれるかもと勝手に思っていたので、余計に腹が立ったのだ。睨んだ先にある眼鏡の奥の瞳は、彼の部屋で見たあの写真とはあまりに違いすぎる気がした。
「ジェイド、まずは人の話を聞け」
「はい」
なんとも不愉快なトーンが耳に響く。返事一つにも皮肉を込められる人はそういないだろう。ピオニーに取り押さえられながら、ユニはジェイドを軽く睨んだ。
「こいつは婚約者とか恋人とかじゃない。オレの新しい世話係だ。ちょうどお前が出て行った頃に拾ったんだよ」
この言い方では逆に誤解を招きそうだが、ユニはこれ以上話をややこしくしたくなくて、黙っていた。ピオニーの「別にオレは小さい子どもが好きなわけじゃないぞ」という一言にも、なんとか耐える。
「そうでしたか、これはご無礼を。お許しください、ユニさん、でしたか?」
「……はい」
「そうそう、ユニはオレの直属の部下だからな。下手したらお前より立場が上かもしれないぞ」
ここで話を終わりにしておけばいいものを。ピオニーはまるで二人の言い争いに期待しているようで、ジェイドを煽ってみせた。ジェイドは顎に手をあててから、口を尖らせているユニを見下ろす。
「ふむ、ではユニ様」
「な、なんですか……ユニでいいですって」
「はい、ユニ。私のこともジェイド、とお呼びして頂いて構いませんよ」
「はいはいジェイド……」
「先日私の執務室を掃除してくださったのは、あなたでしょうかねぇ」
「……! あ、はい、そうです!」
ユニの髪についている花の髪飾りと、彼の部屋に置かれていた写真立ての雰囲気が一致したのか、ジェイドはぴたりと言い当てた。ユニはそれが嬉しくて、はじめて彼の前でまともに笑う。
「とりあえずは、お礼を言っておきます。どうせ陛下が散らかしていて、大変だったでしょう」
「その通りです。本当に大変でした」
「おい、お前らなぁ」
これまた彼は預言(スコア)のように言い当てる。洞察力と観察力が極めて高いのだろう。純粋に、すごい人だ、と思えて、少しだけ彼のことを見直すのだった。
「では、私はこれで」
遠征の間のことを一通り報告して、ジェイドは頭を下げた。その内容は、お世辞にも楽しいものとは言えなかった。国境付近にはかなり張りつめた空気が流れているらしい。近いうちに、キムラスカと大きな戦争が起こってしまうかもしれない。
ユニは、ふとガイのことを思う。
(戦争が始まったら、ガイも戦いに出るのかな)
一般の市民はめったに武器を持たない。それなのに彼は、一度も抜刀することはなかったものの、いつも剣を持っていた。ユニはガイの腰に携えられた細い剣を思い浮かべる。あれは見たことのないきれいな型の剣だった。
(まだ全然ガイのこと思い出せるなぁ……)
ほとんど会える希望はないのだから、忘れた方がつらくないだろうに。今はピオニーやたくさんの人が傍にいてくれるから、心の欠落は埋められている。しかし、それすらも、仮の姿にすぎないのだという思いは止められなくて。
(陛下も、みんなも、どこにも行かないで、ずっとこのままならいいのに……)
「ユニ」
不意に自分を呼ぶ声が、脳を揺らした。見ると、ジェイドが扉の前で微笑みながら手招きしていた。ユニはそれに気付くと、曖昧に笑い返す。
現実に頭を戻して、警戒しながら彼に近付いた。なぜか信用できない。この人が笑っているときはどうも裏があるような気がしてならない。
「なんでしょう、ジェイド」
「あなたに言い忘れたことがありまして」
彼は、部屋の奥にいるピオニーを一瞥して、声を落とした。
「掃除をしてくださるのはありがたいのですが、ただ、人の部屋を物色するのはいけませんねぇ」
一瞬にしておぞましいオーラがユニをとりまいて、身体が硬直した。ジェイドは笑顔のままだが、これは果たして笑顔と呼べるのだろうか。
「え、ちが、違います。物色したわけじゃ」
「言い訳は結構ですよ」
ユニの言葉を退けて、彼はそっと囁いた。
「陛下に告げ口されたくなければ、後で私の執務室まで来てくださいね。長い間遠征に出ていたので、仕事が山のように溜まっています」
「……は、い……」
(ひどい! むごい! 鬼! 悪魔! 変態眼鏡ー!)
思いつくままに心の中で彼を罵るが、それも虚しいだけだった。写真一枚で「部屋を物色された」と思われるのはユニにとって不本意だったが、人の物を勝手に見てしまったのは事実。結局自分のせいなのだけど。
(だからって、陛下に告げ口なんてしなくていいのに)
今のユニが心の底から頼っているのは、あのピオニーだから。彼だけは全部言うことを聞いてあげたいし、彼だけには幻滅されたくなかった。
(陛下は、きっとジェイドの言葉を信じるよね。だって幼馴染みなんだもん……)
なんだか、ジェイドに嫉妬しているようだ。
ユニには幼馴染みなんていないから。
次に来るときはもう少しましに見えると思っていたのに、相変わらず重たく見える、ジェイドの執務室の扉。
ユニは大きく溜息をついてから、扉を叩いた。
「ユニです。はいりますよ」
「はい、どうぞ。お待ちしていました。さっそくですがユニ、そちらの書類を私の言う通りに処理していただけますか」
「はあ……了解でーす」
飄々とした彼の態度にうんざりしたが、結局のところ、彼は仕事を片付けるのに奴隷が一人必要なだけだったようで、ユニのことを咎めるわけでもなく、にこにこと紙の山を押し付けてきた。
やるからには意地を張らずさっさと終わらせて帰ろうとユニは思い、ご丁寧に用意されていた椅子におとなしく座った。
「ところでユニ」
「なんですか、ちょっと今こんがらがってるんで話しかけないで下さい」
軍事予算の計算を延々とやっていたユニは鬱陶しそうにジェイドを一瞬見て、すぐにまた書類に目を戻した。しかし案の定、先ほどまでの作業はユニの頭からすっかりとんでしまっていた。
「あー! ほら! どこまでやったかわかんなくなっちゃったじゃないですか!」
「それはちょうど良かったですねぇ」
ユニはその言葉に目を見開き、「ありえない」と呟いて溜息をついた。しかしそんなユニとは対照的に、ジェイドは少し真面目な顔付きになっていた。
「確かあなたの姓はシェフィールドといいましたね」
「……ええ、まぁ」
軍にいる人は大抵、ユニのファミリーネームを聞くとこのように尋ねてくる。だからいつものことだと適当に返事をした。どうせいつもと同じことを――
「譜術はどなたかに師事していますか?」
「……え? ど、どうしてですか?」
しかし、ユニはぱっと顔をあげて聞き返した。このパターンは初めてだった。なぜこの話題で突然譜術の話が出てくるのだろう。
(もしかしたら、普通の人と少し違うこの人なら――)
眼鏡の奥の血のように赤い瞳を、じっと覗き込む。
「いえ別に。習ってなさそうに見えたので」
「あ、そうじゃなくて……わたしのファミリーネームが何か……」
いつもと違う答えは欲しいけれど、両親のことを訊ねるせいで悲しい顔をされたらやっぱり嫌だ。
ユニは言葉をみつけられず黙り込んだが、彼はしばらくしてから、コーヒーを片手に続けた。
「……あなたのご両親は、優秀な治癒士(ヒーラー)でしたから。きちんと訓練をしてみてはどうかと思っただけです」
「わ、わたしの両親って、治癒士だったんですか!?」
勢いよく立ちあがったせいで、椅子がガタガタと音を立てて倒れた。
しかしジェイドは、その音よりもユニの言葉に驚いているようだった。二人とも目を丸くしていた。
「……知らないのですか?」
「……わたし……知りませんでした……」
ジェイドは疑うような眼差しを向けたが、凍りついて愕然とするユニを見て、その気も失せたようだ。
(そうか。それだけじゃない……わたし、なんにも知らなかった……)
両親は戦争で死んだ。ユニが知っていたのはたったこれだけだったが、それが全てだと思っていた。両親がどのように生きたのか、どのように出会って、愛しあい、自分が生まれたのか、その死に方さえ、何一つ聞いたことはなく、考えたこともなかった。
「誰もあなたに話さなかったのですか?」
「そ、そうです……」
(いや、違う……わたしが聞かなかったんだ)
誰かを悲しませるのは怖いから。なんとか人の迷惑にならないようにしようと狡く生きてきたユニは、両親の話を他人に訊くことが、どうしても出来なかった。
(何一つ聞かずに、今まで生きてきたなんて)
ただ単に「知らなかった」では到底済まされない。身に不相応な遠慮などしなければ、知っていて当然なことなのに。どうして完全だと錯覚していたのだろう、こんな空気みたいに大事なことさえ、欠落させていたのに。
「あの、お願いします。話を、聞かせてください」
「陛下。妹を諦めて下さったのは結構なことですが、こんな子どもでは……私も納得しかねます」
「わ、悪かったですね! こんな子どもで……!」
「まぁ待て待て、ユニ、ジェイド」
帰還の報告に訪れたジェイドは、彼が出て行った時にはいなかったはずの少女を見るなり言い放った。
ピオニーの隣に控えていたユニは、いきなりの失礼な言葉にわなわなと肩を震わせる。彼とは仲良くなれるかもと勝手に思っていたので、余計に腹が立ったのだ。睨んだ先にある眼鏡の奥の瞳は、彼の部屋で見たあの写真とはあまりに違いすぎる気がした。
「ジェイド、まずは人の話を聞け」
「はい」
なんとも不愉快なトーンが耳に響く。返事一つにも皮肉を込められる人はそういないだろう。ピオニーに取り押さえられながら、ユニはジェイドを軽く睨んだ。
「こいつは婚約者とか恋人とかじゃない。オレの新しい世話係だ。ちょうどお前が出て行った頃に拾ったんだよ」
この言い方では逆に誤解を招きそうだが、ユニはこれ以上話をややこしくしたくなくて、黙っていた。ピオニーの「別にオレは小さい子どもが好きなわけじゃないぞ」という一言にも、なんとか耐える。
「そうでしたか、これはご無礼を。お許しください、ユニさん、でしたか?」
「……はい」
「そうそう、ユニはオレの直属の部下だからな。下手したらお前より立場が上かもしれないぞ」
ここで話を終わりにしておけばいいものを。ピオニーはまるで二人の言い争いに期待しているようで、ジェイドを煽ってみせた。ジェイドは顎に手をあててから、口を尖らせているユニを見下ろす。
「ふむ、ではユニ様」
「な、なんですか……ユニでいいですって」
「はい、ユニ。私のこともジェイド、とお呼びして頂いて構いませんよ」
「はいはいジェイド……」
「先日私の執務室を掃除してくださったのは、あなたでしょうかねぇ」
「……! あ、はい、そうです!」
ユニの髪についている花の髪飾りと、彼の部屋に置かれていた写真立ての雰囲気が一致したのか、ジェイドはぴたりと言い当てた。ユニはそれが嬉しくて、はじめて彼の前でまともに笑う。
「とりあえずは、お礼を言っておきます。どうせ陛下が散らかしていて、大変だったでしょう」
「その通りです。本当に大変でした」
「おい、お前らなぁ」
これまた彼は預言(スコア)のように言い当てる。洞察力と観察力が極めて高いのだろう。純粋に、すごい人だ、と思えて、少しだけ彼のことを見直すのだった。
「では、私はこれで」
遠征の間のことを一通り報告して、ジェイドは頭を下げた。その内容は、お世辞にも楽しいものとは言えなかった。国境付近にはかなり張りつめた空気が流れているらしい。近いうちに、キムラスカと大きな戦争が起こってしまうかもしれない。
ユニは、ふとガイのことを思う。
(戦争が始まったら、ガイも戦いに出るのかな)
一般の市民はめったに武器を持たない。それなのに彼は、一度も抜刀することはなかったものの、いつも剣を持っていた。ユニはガイの腰に携えられた細い剣を思い浮かべる。あれは見たことのないきれいな型の剣だった。
(まだ全然ガイのこと思い出せるなぁ……)
ほとんど会える希望はないのだから、忘れた方がつらくないだろうに。今はピオニーやたくさんの人が傍にいてくれるから、心の欠落は埋められている。しかし、それすらも、仮の姿にすぎないのだという思いは止められなくて。
(陛下も、みんなも、どこにも行かないで、ずっとこのままならいいのに……)
「ユニ」
不意に自分を呼ぶ声が、脳を揺らした。見ると、ジェイドが扉の前で微笑みながら手招きしていた。ユニはそれに気付くと、曖昧に笑い返す。
現実に頭を戻して、警戒しながら彼に近付いた。なぜか信用できない。この人が笑っているときはどうも裏があるような気がしてならない。
「なんでしょう、ジェイド」
「あなたに言い忘れたことがありまして」
彼は、部屋の奥にいるピオニーを一瞥して、声を落とした。
「掃除をしてくださるのはありがたいのですが、ただ、人の部屋を物色するのはいけませんねぇ」
一瞬にしておぞましいオーラがユニをとりまいて、身体が硬直した。ジェイドは笑顔のままだが、これは果たして笑顔と呼べるのだろうか。
「え、ちが、違います。物色したわけじゃ」
「言い訳は結構ですよ」
ユニの言葉を退けて、彼はそっと囁いた。
「陛下に告げ口されたくなければ、後で私の執務室まで来てくださいね。長い間遠征に出ていたので、仕事が山のように溜まっています」
「……は、い……」
(ひどい! むごい! 鬼! 悪魔! 変態眼鏡ー!)
思いつくままに心の中で彼を罵るが、それも虚しいだけだった。写真一枚で「部屋を物色された」と思われるのはユニにとって不本意だったが、人の物を勝手に見てしまったのは事実。結局自分のせいなのだけど。
(だからって、陛下に告げ口なんてしなくていいのに)
今のユニが心の底から頼っているのは、あのピオニーだから。彼だけは全部言うことを聞いてあげたいし、彼だけには幻滅されたくなかった。
(陛下は、きっとジェイドの言葉を信じるよね。だって幼馴染みなんだもん……)
なんだか、ジェイドに嫉妬しているようだ。
ユニには幼馴染みなんていないから。
次に来るときはもう少しましに見えると思っていたのに、相変わらず重たく見える、ジェイドの執務室の扉。
ユニは大きく溜息をついてから、扉を叩いた。
「ユニです。はいりますよ」
「はい、どうぞ。お待ちしていました。さっそくですがユニ、そちらの書類を私の言う通りに処理していただけますか」
「はあ……了解でーす」
飄々とした彼の態度にうんざりしたが、結局のところ、彼は仕事を片付けるのに奴隷が一人必要なだけだったようで、ユニのことを咎めるわけでもなく、にこにこと紙の山を押し付けてきた。
やるからには意地を張らずさっさと終わらせて帰ろうとユニは思い、ご丁寧に用意されていた椅子におとなしく座った。
「ところでユニ」
「なんですか、ちょっと今こんがらがってるんで話しかけないで下さい」
軍事予算の計算を延々とやっていたユニは鬱陶しそうにジェイドを一瞬見て、すぐにまた書類に目を戻した。しかし案の定、先ほどまでの作業はユニの頭からすっかりとんでしまっていた。
「あー! ほら! どこまでやったかわかんなくなっちゃったじゃないですか!」
「それはちょうど良かったですねぇ」
ユニはその言葉に目を見開き、「ありえない」と呟いて溜息をついた。しかしそんなユニとは対照的に、ジェイドは少し真面目な顔付きになっていた。
「確かあなたの姓はシェフィールドといいましたね」
「……ええ、まぁ」
軍にいる人は大抵、ユニのファミリーネームを聞くとこのように尋ねてくる。だからいつものことだと適当に返事をした。どうせいつもと同じことを――
「譜術はどなたかに師事していますか?」
「……え? ど、どうしてですか?」
しかし、ユニはぱっと顔をあげて聞き返した。このパターンは初めてだった。なぜこの話題で突然譜術の話が出てくるのだろう。
(もしかしたら、普通の人と少し違うこの人なら――)
眼鏡の奥の血のように赤い瞳を、じっと覗き込む。
「いえ別に。習ってなさそうに見えたので」
「あ、そうじゃなくて……わたしのファミリーネームが何か……」
いつもと違う答えは欲しいけれど、両親のことを訊ねるせいで悲しい顔をされたらやっぱり嫌だ。
ユニは言葉をみつけられず黙り込んだが、彼はしばらくしてから、コーヒーを片手に続けた。
「……あなたのご両親は、優秀な治癒士(ヒーラー)でしたから。きちんと訓練をしてみてはどうかと思っただけです」
「わ、わたしの両親って、治癒士だったんですか!?」
勢いよく立ちあがったせいで、椅子がガタガタと音を立てて倒れた。
しかしジェイドは、その音よりもユニの言葉に驚いているようだった。二人とも目を丸くしていた。
「……知らないのですか?」
「……わたし……知りませんでした……」
ジェイドは疑うような眼差しを向けたが、凍りついて愕然とするユニを見て、その気も失せたようだ。
(そうか。それだけじゃない……わたし、なんにも知らなかった……)
両親は戦争で死んだ。ユニが知っていたのはたったこれだけだったが、それが全てだと思っていた。両親がどのように生きたのか、どのように出会って、愛しあい、自分が生まれたのか、その死に方さえ、何一つ聞いたことはなく、考えたこともなかった。
「誰もあなたに話さなかったのですか?」
「そ、そうです……」
(いや、違う……わたしが聞かなかったんだ)
誰かを悲しませるのは怖いから。なんとか人の迷惑にならないようにしようと狡く生きてきたユニは、両親の話を他人に訊くことが、どうしても出来なかった。
(何一つ聞かずに、今まで生きてきたなんて)
ただ単に「知らなかった」では到底済まされない。身に不相応な遠慮などしなければ、知っていて当然なことなのに。どうして完全だと錯覚していたのだろう、こんな空気みたいに大事なことさえ、欠落させていたのに。
「あの、お願いします。話を、聞かせてください」