第1章(過去編)
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07 たぶらかしのシュプール
「あーわかったわかった! お前の気持ちはだいたいわかったよ。気付いてやれなくて悪かったな」
ユニの言う不満とは、改めて言葉に出してしまうと本当にくだらないものばかりだった。給料が少ない、休みが少ない、といったことから始まって、自分の好きなように庭がいじれない、仕事柄年の近い友達が出来ないといったこと……世界情勢の不安定さと貯金の少なさのために旅行にも行けないので、「グランコクマに軟禁されている」とまで言った。
正直、ガイと離れてからの虚無感こそが人生を諦めたくなった理由なのだが、さすがに言えなかった。これはピオニーには関係のない話だったし、いくらなんでも、情けなくて恥ずかしくてかっこ悪すぎるから。
ほとんど息をつく間もなく積年の不満を喋りつくしたが、ピオニーは嫌な顔ひとつせずに、最後には謝罪の言葉まで述べたのだった。
「……まぁ、わかってもらえればいいんですよ。って言っても、もうわたし死んじゃってますけど……」
「……は?」
だが落ち着いて言った言葉に、彼は不思議そうに目を丸くした。ユニも首を傾げて聞き返す。
「えと、なにか?」
「いや、お前……大丈夫か?」
「なにが……えっ、いたっ!?」
突然頬をつねられて、ユニは小さく悲鳴をあげた。途端、「え、痛い……?」と呟いて、さぁーっと顔が青くなった。ユニは、自分の頬をつねっている彼の手を力なく握った。大きくて、骨ばっていて、あたたかい。触れたことのない感触に、はっとして目を見開く。ピオニーはそれを見て満足そうに笑う。
「お、生き返ったか?」
「……」
「ま、こうなったからにはオレが責任持ってなんとかしてやる。お前、名前は?」
「……」
「ん? どうした?」
「……あ、あああ! わ、わたし、陛下になんてことを!」
ユニは勢いよく飛び起きて、床にひれ伏した。頬をつねられて現実だと気付く、というベタな展開のおかげか、理解も早かった。そう、もちろんユニの身投げは未遂に終わっていたのだ。他でもない皇帝陛下に助け出されて。
「……なんで助けたんだ、って怒るかと思ったが」
「怒るなんて、怒るなんて……」
なんだろう、この身体の軽さは。生きている。一度死んだと思ったからこそ命の輝きが痛いほどわかるし、ただ生きているという無条件の喜びが一気に押し寄せてきて、胸が潰れそうだった。
「怒るなんてとんでもございません! いくら感謝しても足りないというものを……意識が混濁していたとはいえ、命の恩人でもある我が皇帝陛下への数え切れないご無礼……どんな罪でもお受けする覚悟です!」
「なんだ。子どもかと思ったらさすがに宮殿勤めだな」
朗らかに笑う彼に「子どもではありません」と訂正する気にはなれず、ユニはとりあえず聞き流す。
「実はもう罰は決めてある」
「は、はい! なんなりと……」
「お前には、今日からこの部屋の掃除を担当してもらう」
「え?」
ユニは耳を疑って、ピオニーの顔をまじまじと見つめた。彼はただ明るく笑っているだけだった。そんな罰ですまされるものだろうか、と眉間にしわを寄せながら、ユニはここではじめて部屋を見渡した――
「ぎゃっ! なんですかこの部屋は!」
「整理整頓は苦手なんだ」
「そ、そんなレベルじゃありませんよ!」
おそらくこの部屋はピオニーの私室なのだろうが、床には本や武器が、頭がおかしくなりそうなほど乱雑に散らばっている。椅子なども決まった位置にあるというわけではなく、広い部屋のあちこちにぽつんぽつんと謎の法則で置かれている。ユニは目を瞬かせる。
「掃除は得意か?」
「ま、まぁ、陛下よりは確実に……」
「ならちょうどよかった。今日から頼むぞ」
「は、はい……ってアレ? えっと、じゃあ……」
死んでいたつもりが生きているとわかり、さらに突然ピオニーの私室の掃除を命じられた。ここまではなんとかついてきていたユニだったが、なにしろ、状況が物凄い速さで変わり過ぎていた。
「じゃあ、わたしは今日から陛下の……」
「そうだ。オレの世話係ってとこか? ちょうどいなかったからな。よかったな、大出世じゃないか」
ピオニーの言葉に、ユニはまた目眩を覚える。
「うそ……や、やっぱりついていけない……もしかしてまだ夢見てるのかな……いたた!」
「痛いだろ? これは夢じゃないぞ」
「……はい、痛いです」
またも思いきり頬をつねられて現実と思い知る。と同時に、扉の向こうから「ピオニー陛下! いらっしゃいますか!」と彼を呼ぶ声が聞こえた。
「ああ、今行く」
「陛下……あの……」
「じゃ、オレも忙しいんだ。ここにいていいから、一人になってよく頭を整理しておくんだな」
不安そうなユニの表情を見て、ピオニーはその頭をぐしゃぐしゃと撫でた。「帰ってきたら返事を聞こう」とだけ言い残して、部屋を出て行ってしまった。
広い部屋に置き去りにされたユニは、彼がいなくなると急に力が抜け、そのままストンと床に座り込んだ。
(返事って……これは罰のはずなのに)
自分には、この命令に従うか否かの選択権なんてないはずである。それ以前にこれは罰とは呼べないようなものだし、環境もむしろ以前より良くなってしまう。
宮殿勤めをしているから、ユニはピオニーについての噂を耳にすることが度々あった。そのほとんどが、彼に好感を持てる類のものだった。彼を見かけることはあっても実際に会話をする機会もなく、政治に詳しくもないユニは、そんな噂話から彼のイメージを形作っていたが。
(陛下は、本当に思ったとおりの人だった――)
ほんの数分間の会話だったのに、ユニはピオニーのことを好きになりつつあった。ユニがこれまで出会った人々とは、器が違う。こんなに明るい笑顔で、彼とは身分の違いすぎる少女に声をかけて。こんな王様、おとぎ話にもめったにいない。
(ピオニー陛下……わたしを助けてくれた陛下のもとで、わたしは……)
広い部屋に、小さな影がひとつ、立ち上がった。
◇
用事をすませたピオニーは、私室の扉の前で佇んでいた。その向こう側の景色を、ひとつひとつ予想しながら。
(さて、どんな顔して待っているかね)
今、彼女が感じているのは、生き延びてしまった絶望か――いや、先ほどの様子からしてそれはないようだ。なんとなく水路に飛び込んだとも言っていた。ということは、溜まった不満に火をつける理由があったのだろう。
(オレには話してない理由……か)
おそらくは、失恋だとか大したことのない個人的な理由だろう。これを聞きだす必要はない。自分に出来るのは、彼女がその「理由」を通り過ぎる手伝いをすることだけ。そして今の人生が気に入らない彼女の生きる環境を変えてやることだけだ。まずは、扉の向こうの彼女が少しでも立ち直ってくれていればいいのだが。
(目の前のひとりを救えずに、国なんか治められるわけもないよな)
ピオニーはそっと扉に手をかけた。部屋の中から音はしない。
(……ここまで詠まれていたら、少し怖いな)
様々な思いを胸に、ノックはせずに、扉を開けた。
「陛下! おかえりなさいませ!」
「……」
ピオニーはとりあえず自分の目を疑ってみた。
扉の向こうでは、綺麗に片付けられた白い部屋と、笑顔の少女が待っていた。それはまったく予想しなかった光景。
「……」
ピオニーは扉を一旦閉めて、もう一度開けた。だがそこには同じ景色が広がっている。ただし、ピオニーがいつも見慣れているものとは別世界だった。
「陛下……?」
「すごいな、短時間でよく片付けてくれたもんだ」
内心、かなり驚いていた。部屋が綺麗になっていることはもちろん、今の彼女の表情は、同一人物とは思えないほど明るく輝いていた。
その少女が、まっすぐに自分をみつめている。
「陛下、先ほどのご無礼、何とぞお許しください」
「ああ……あれはもういい」
「……一人になって、少し考えていました」
ピオニーは黙って彼女を見た。少しの時間で彼女の心にどんな変化があったのか、興味があったのだ。
「わたしはもう今までの生活に、思い残すことや執着することは何一つありません。でも、陛下のお傍で、生き直してみたいと思ってしまいました。だからわたしは、全てに絶望していた昨日までの自分を、捨てます」
そう言い切ると、彼女は深々と頭を下げた。
「一度死んだ命です。これからはその命を拾ってくださった陛下のために尽くします。陛下の輝きをずっとお支えします。この身が朽ちるまで、陛下の手となり足となりましょう……と、いうことに、先ほど決めました」
ユニは、様子を伺うように、少しだけ顔をあげてみせた。ふう、と息を吐いて両手を腰にあて、もう一度彼女を見た。まだまだ若い。つらいことなんて、まだ何も知らない子どもだった。それでも、瞳の奥のかすかな強さが、身震いするほどに綺麗だった。
「うんうん、よし、気に入ったぞ。確か住み込みだったな? 部屋もここの近くに移動させるといい」
「は、はい! ありがとうございます! では、早速で恥ずかしいのですが、陛下の気が変わらないうちに、同僚のみんなに挨拶してきちゃいますから」
彼女は嬉しそうに言った。少し前までは考えられないほど屈託のない笑顔だった。今までの環境に絶望していたとはいえ、人を恨むような性質ではないのだろう。相変わらず、見る目があるなぁと自画自賛する。
「そうだ、まだ名前を聞いてなかったな」
部屋を出て行こうとした少女に、ピオニーはふと思い出して声をかけた。名前も聞かないうちにここまで決めてしまうなんて自分でも不思議だが、こういう感覚に素直に生きているのだから、仕方がない。
彼女はふわりと振り向いてはにかんだ。
「はい。ユニ・シェフィールドでございます」
「……シェフィールド?」
「はい」
「そうか」
呟くと、ピオニーは目を閉じて古く遠い場所へ思いをめぐらせた。
(……こんなところにいたのか)
記憶の底で埃をかぶった情景が、静かに湧き上がる。
(最初からそう言ってくれれば、こんなことになる前にどうにでもしてやったのに)
目を開けるともはや見慣れたユニの顔があった。不思議そうにこちらを見返す瞳には、これからどんな世界が映るのだろう。せめて、どうか昨日よりも明るくあるようにと願う。
ピオニーはユニの肩に手をおいて、かがんで彼女と目線を合わせた。
「よし、ユニ。共にこのマルクトの繁栄のため、毎日しっかり生きよう。いいな?」
そう言うと、ユニは弾けるような笑顔で笑った。
「もちろんです、ピオニー陛下!」
「あーわかったわかった! お前の気持ちはだいたいわかったよ。気付いてやれなくて悪かったな」
ユニの言う不満とは、改めて言葉に出してしまうと本当にくだらないものばかりだった。給料が少ない、休みが少ない、といったことから始まって、自分の好きなように庭がいじれない、仕事柄年の近い友達が出来ないといったこと……世界情勢の不安定さと貯金の少なさのために旅行にも行けないので、「グランコクマに軟禁されている」とまで言った。
正直、ガイと離れてからの虚無感こそが人生を諦めたくなった理由なのだが、さすがに言えなかった。これはピオニーには関係のない話だったし、いくらなんでも、情けなくて恥ずかしくてかっこ悪すぎるから。
ほとんど息をつく間もなく積年の不満を喋りつくしたが、ピオニーは嫌な顔ひとつせずに、最後には謝罪の言葉まで述べたのだった。
「……まぁ、わかってもらえればいいんですよ。って言っても、もうわたし死んじゃってますけど……」
「……は?」
だが落ち着いて言った言葉に、彼は不思議そうに目を丸くした。ユニも首を傾げて聞き返す。
「えと、なにか?」
「いや、お前……大丈夫か?」
「なにが……えっ、いたっ!?」
突然頬をつねられて、ユニは小さく悲鳴をあげた。途端、「え、痛い……?」と呟いて、さぁーっと顔が青くなった。ユニは、自分の頬をつねっている彼の手を力なく握った。大きくて、骨ばっていて、あたたかい。触れたことのない感触に、はっとして目を見開く。ピオニーはそれを見て満足そうに笑う。
「お、生き返ったか?」
「……」
「ま、こうなったからにはオレが責任持ってなんとかしてやる。お前、名前は?」
「……」
「ん? どうした?」
「……あ、あああ! わ、わたし、陛下になんてことを!」
ユニは勢いよく飛び起きて、床にひれ伏した。頬をつねられて現実だと気付く、というベタな展開のおかげか、理解も早かった。そう、もちろんユニの身投げは未遂に終わっていたのだ。他でもない皇帝陛下に助け出されて。
「……なんで助けたんだ、って怒るかと思ったが」
「怒るなんて、怒るなんて……」
なんだろう、この身体の軽さは。生きている。一度死んだと思ったからこそ命の輝きが痛いほどわかるし、ただ生きているという無条件の喜びが一気に押し寄せてきて、胸が潰れそうだった。
「怒るなんてとんでもございません! いくら感謝しても足りないというものを……意識が混濁していたとはいえ、命の恩人でもある我が皇帝陛下への数え切れないご無礼……どんな罪でもお受けする覚悟です!」
「なんだ。子どもかと思ったらさすがに宮殿勤めだな」
朗らかに笑う彼に「子どもではありません」と訂正する気にはなれず、ユニはとりあえず聞き流す。
「実はもう罰は決めてある」
「は、はい! なんなりと……」
「お前には、今日からこの部屋の掃除を担当してもらう」
「え?」
ユニは耳を疑って、ピオニーの顔をまじまじと見つめた。彼はただ明るく笑っているだけだった。そんな罰ですまされるものだろうか、と眉間にしわを寄せながら、ユニはここではじめて部屋を見渡した――
「ぎゃっ! なんですかこの部屋は!」
「整理整頓は苦手なんだ」
「そ、そんなレベルじゃありませんよ!」
おそらくこの部屋はピオニーの私室なのだろうが、床には本や武器が、頭がおかしくなりそうなほど乱雑に散らばっている。椅子なども決まった位置にあるというわけではなく、広い部屋のあちこちにぽつんぽつんと謎の法則で置かれている。ユニは目を瞬かせる。
「掃除は得意か?」
「ま、まぁ、陛下よりは確実に……」
「ならちょうどよかった。今日から頼むぞ」
「は、はい……ってアレ? えっと、じゃあ……」
死んでいたつもりが生きているとわかり、さらに突然ピオニーの私室の掃除を命じられた。ここまではなんとかついてきていたユニだったが、なにしろ、状況が物凄い速さで変わり過ぎていた。
「じゃあ、わたしは今日から陛下の……」
「そうだ。オレの世話係ってとこか? ちょうどいなかったからな。よかったな、大出世じゃないか」
ピオニーの言葉に、ユニはまた目眩を覚える。
「うそ……や、やっぱりついていけない……もしかしてまだ夢見てるのかな……いたた!」
「痛いだろ? これは夢じゃないぞ」
「……はい、痛いです」
またも思いきり頬をつねられて現実と思い知る。と同時に、扉の向こうから「ピオニー陛下! いらっしゃいますか!」と彼を呼ぶ声が聞こえた。
「ああ、今行く」
「陛下……あの……」
「じゃ、オレも忙しいんだ。ここにいていいから、一人になってよく頭を整理しておくんだな」
不安そうなユニの表情を見て、ピオニーはその頭をぐしゃぐしゃと撫でた。「帰ってきたら返事を聞こう」とだけ言い残して、部屋を出て行ってしまった。
広い部屋に置き去りにされたユニは、彼がいなくなると急に力が抜け、そのままストンと床に座り込んだ。
(返事って……これは罰のはずなのに)
自分には、この命令に従うか否かの選択権なんてないはずである。それ以前にこれは罰とは呼べないようなものだし、環境もむしろ以前より良くなってしまう。
宮殿勤めをしているから、ユニはピオニーについての噂を耳にすることが度々あった。そのほとんどが、彼に好感を持てる類のものだった。彼を見かけることはあっても実際に会話をする機会もなく、政治に詳しくもないユニは、そんな噂話から彼のイメージを形作っていたが。
(陛下は、本当に思ったとおりの人だった――)
ほんの数分間の会話だったのに、ユニはピオニーのことを好きになりつつあった。ユニがこれまで出会った人々とは、器が違う。こんなに明るい笑顔で、彼とは身分の違いすぎる少女に声をかけて。こんな王様、おとぎ話にもめったにいない。
(ピオニー陛下……わたしを助けてくれた陛下のもとで、わたしは……)
広い部屋に、小さな影がひとつ、立ち上がった。
◇
用事をすませたピオニーは、私室の扉の前で佇んでいた。その向こう側の景色を、ひとつひとつ予想しながら。
(さて、どんな顔して待っているかね)
今、彼女が感じているのは、生き延びてしまった絶望か――いや、先ほどの様子からしてそれはないようだ。なんとなく水路に飛び込んだとも言っていた。ということは、溜まった不満に火をつける理由があったのだろう。
(オレには話してない理由……か)
おそらくは、失恋だとか大したことのない個人的な理由だろう。これを聞きだす必要はない。自分に出来るのは、彼女がその「理由」を通り過ぎる手伝いをすることだけ。そして今の人生が気に入らない彼女の生きる環境を変えてやることだけだ。まずは、扉の向こうの彼女が少しでも立ち直ってくれていればいいのだが。
(目の前のひとりを救えずに、国なんか治められるわけもないよな)
ピオニーはそっと扉に手をかけた。部屋の中から音はしない。
(……ここまで詠まれていたら、少し怖いな)
様々な思いを胸に、ノックはせずに、扉を開けた。
「陛下! おかえりなさいませ!」
「……」
ピオニーはとりあえず自分の目を疑ってみた。
扉の向こうでは、綺麗に片付けられた白い部屋と、笑顔の少女が待っていた。それはまったく予想しなかった光景。
「……」
ピオニーは扉を一旦閉めて、もう一度開けた。だがそこには同じ景色が広がっている。ただし、ピオニーがいつも見慣れているものとは別世界だった。
「陛下……?」
「すごいな、短時間でよく片付けてくれたもんだ」
内心、かなり驚いていた。部屋が綺麗になっていることはもちろん、今の彼女の表情は、同一人物とは思えないほど明るく輝いていた。
その少女が、まっすぐに自分をみつめている。
「陛下、先ほどのご無礼、何とぞお許しください」
「ああ……あれはもういい」
「……一人になって、少し考えていました」
ピオニーは黙って彼女を見た。少しの時間で彼女の心にどんな変化があったのか、興味があったのだ。
「わたしはもう今までの生活に、思い残すことや執着することは何一つありません。でも、陛下のお傍で、生き直してみたいと思ってしまいました。だからわたしは、全てに絶望していた昨日までの自分を、捨てます」
そう言い切ると、彼女は深々と頭を下げた。
「一度死んだ命です。これからはその命を拾ってくださった陛下のために尽くします。陛下の輝きをずっとお支えします。この身が朽ちるまで、陛下の手となり足となりましょう……と、いうことに、先ほど決めました」
ユニは、様子を伺うように、少しだけ顔をあげてみせた。ふう、と息を吐いて両手を腰にあて、もう一度彼女を見た。まだまだ若い。つらいことなんて、まだ何も知らない子どもだった。それでも、瞳の奥のかすかな強さが、身震いするほどに綺麗だった。
「うんうん、よし、気に入ったぞ。確か住み込みだったな? 部屋もここの近くに移動させるといい」
「は、はい! ありがとうございます! では、早速で恥ずかしいのですが、陛下の気が変わらないうちに、同僚のみんなに挨拶してきちゃいますから」
彼女は嬉しそうに言った。少し前までは考えられないほど屈託のない笑顔だった。今までの環境に絶望していたとはいえ、人を恨むような性質ではないのだろう。相変わらず、見る目があるなぁと自画自賛する。
「そうだ、まだ名前を聞いてなかったな」
部屋を出て行こうとした少女に、ピオニーはふと思い出して声をかけた。名前も聞かないうちにここまで決めてしまうなんて自分でも不思議だが、こういう感覚に素直に生きているのだから、仕方がない。
彼女はふわりと振り向いてはにかんだ。
「はい。ユニ・シェフィールドでございます」
「……シェフィールド?」
「はい」
「そうか」
呟くと、ピオニーは目を閉じて古く遠い場所へ思いをめぐらせた。
(……こんなところにいたのか)
記憶の底で埃をかぶった情景が、静かに湧き上がる。
(最初からそう言ってくれれば、こんなことになる前にどうにでもしてやったのに)
目を開けるともはや見慣れたユニの顔があった。不思議そうにこちらを見返す瞳には、これからどんな世界が映るのだろう。せめて、どうか昨日よりも明るくあるようにと願う。
ピオニーはユニの肩に手をおいて、かがんで彼女と目線を合わせた。
「よし、ユニ。共にこのマルクトの繁栄のため、毎日しっかり生きよう。いいな?」
そう言うと、ユニは弾けるような笑顔で笑った。
「もちろんです、ピオニー陛下!」