梵天ニ咲ク
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裏社会の人間が経営している店も表向きは至極まっとうな人間が経営している風を装っている。政府が決めた法律に従順な振りをし、一般客を相手にし、自分たちは欲を売買しているだけの無害な店です。という顔をしている。
「なぁ、兄貴」
「どしたー?」
「莉乃って女知ってる?」
「どこの店の?」
「この店」
夜の都心を走る車内で、灰谷兄弟は肩を寄せあってひとつの液晶画面をのぞき込む。
別に珍しくはない、それなりにネオンが煌めく流行りの店。
表向き『梵天』の介入を匂わせないため、一般企業に勤める会社員を装って店の調査に行っていた竜胆の部下がママから聞いた情報によると、最近「莉乃」という名前の従業員が金の前払いを利用し始めているという。
前払いの頻度があがってくると、金脈につながる。
ホストに入れ込んでいるか、ブランドを買いあさっているのか、はたまた薬物か。突然前払いを頻繁に利用し始めた女を「もっと稼げる」と次の店に移動させるのも必要な作業。
大事な商売道具。たった一人の移動で何百万、何千万。いや、下手をすれば何億という金が動くのだから、些細な情報は大いに活用するに限る。
「知らね。顔写真ねぇの?」
「んー、あ。あった……え、莉乃って」
「なになに竜胆、そんな凝視して。俺にも見せろよ」
検索を終えた携帯の画面を見て固まった弟の手から奪い取ったその写真に沈黙が落ちる。
車は赤色の信号で一時停車したが、二人は外の景色には一切興味がないのか、同じ瞳の色を煌めかせて画面に映る「莉乃」という女を見つめていた。
「ついに夜の世界に来たかー」
「てかオレらの店で働いてるとか、知ってた?」
「知ってたらとっくに動いてる」
「だよな」
竜胆は兄の手から携帯を奪い返して、うんうんと頷いた。
「てか、こいつ本名で働いてんのかよ」
うけると、喉を鳴らして笑う蘭につられて竜胆も苦笑する。
その間に部下から寄せられた情報によれば、働き始めたのは三年前。寮を利用しており、半年前から派遣社員として働き始めたため、シフトを減らしていた。
リストには退職へのカウントダウンを示すマークがついていたが、先月から状況が一変。毎週のように「十万」の前払いを利用し始めている。
「悪い男にでも捕まったか?」
「あー、有り得そう。真面目だったしな」
二人の記憶は七年前まで遡る。
一時期、「ドッペルゲンガー女子」という変な存在が噂されたことがあった。それはどこの店に行っても同じような顔をした少女が働いているというもので、朝も昼も夜も見かけることができるという。
見た目は高校生くらいの少女で、飾り気はないものの誰にでも愛想よく笑顔で接するうえに真面目な仕事ぶり。本人の知らないところで「同じ日に三回、別の場所で会えたら良いことが起こる」というジンクスまで誕生していた。
バカみたいな噂に興味を持たないわけもなく、二人もそれで何度か勝負をしたことがある。
その頃の年齢は今の莉乃と同じ二十三歳。
梵天の幹部になる前も後も「汗水を垂らして働く」などという状況とは無縁の兄弟。始めこそ、「今日は俺の勝ちー、早朝の新聞配達でも見た」「俺はカラオケバーで客を見送ってるのを見たから四回だし」などと馬鹿なことを言い合っていたが、そのうち気付いた。
いや、一日目でわかっていた。
自分たち兄弟とは真逆の人種である、と。
「七年って長ぇよなぁ」
流れていく窓の外を見ながら呟いた兄の声に、竜胆も同じ気持ちを巡らせる。
「まさかこの年になって再会できるとは思ってなかったわ」
「うん。今の店でも前払いを利用してはいるけど、基本的な仕事態度は変わらないってさ」
「へぇー。そんな綺麗な金、どこのどいつがドブに捨ててんだろうな」
そういうお金は大抵、巡り巡り、回りまわって、結局自分たちの手元に落ちてくることを知っている。
あの笑顔の裏、あの健気な背後。
生きる世界が違うからと線引きをした境界線が崩れていく音を聞いた気がした。
* * * * * *
いわくつきの人間を見つけるのは難しいことではない。
どこにでもあるパチンコチェーン店、の向かい側。「よく出る」と噂の地元人気の店。そこに開店前から列に並び、金がある限りつぎ込んでくれる有り難いお客様は一部で顔写真と共に出回っている。
プロは別枠。ネギを背負った鴨、もとい常連客。表情や身なりで無職だとわかっていても、毎日のように金を落としてくれるなら文句はない。
そのうち消費者金融では足りず、闇の金庫にまで手を出したのだろう。すっかり姿を見せなくなった顔が、久しぶりに帰ってきたのを知って、店はうきうきと鴨ネギリストに目印をつけた。
「腐ってんね」
ここ三年ほど顔を見せなかった男が四ヶ月ほど前からほぼ毎日出入りし始めたことを示す画面に蘭の口角がせせら笑う。
来店の情報を受けて「目当ての男が出てきたら知らせろ」と部下を配置して、三件ほど適当に仕事を片付けた午後三時四十五分頃。蘭が訪れたのは小さな二階建て木造アパートの一階、端から二番目の部屋だった。
アパート前の道に停車させた黒塗りの車の後部座席で、嫌味に長い足を組んで待っていると、部下がお辞儀をして作業終了の合図を告げてきたので、歪めた口角のまま車外に出て、蘭はそこに足を踏み入れた。
「っ…んー…ふ」
猿轡をかまされ、拘束された二人の男が床に転がされて何かを必死に叫んでいる。
それを完全に無視している蘭は、男たちを視界に映らない床の染みとでも思っているのか、平然とその上を踏みながら部屋の隅々を見渡して言った。
「あいつのもん、何もねぇな」
普通、大事な一人娘が二十年暮らした実家には、何か思い出として残るようなものがあってもおかしくはない。
勉強机、好きなアイドルのポスター、読み古した本、お気に入りの服、靴、カバン、ぬいぐるみ、写真、食器、椅子、成長を示す柱の傷。数え上げたらきりがないそれらの何ひとつが見当たらない。
痕跡があっていいものだが、それもない。さすがの蘭も「え、部屋間違えた?」と首をかしげていた。
「うわ、狭っ。ここ天井低すぎ」
「りんどー。俺、部屋間違えたかも」
「え……いや。ここであってるよ」
「マジ?」
「マジマジ。大屋さんに裏とったから」
「まじかー。想像以上の現実に久々楽しめそー」
「兄貴の足の下にいる人が何か知ってそうだしな」
「あ、お前ら、そんなとこにいたんだ?」
蘭は今頃気がついたとでもいうように、土足で踏みつけた真下の人間を見下ろしてしゃがむ。
ふーふーと、猿轡を噛みながら身をよじっていた男は、そんな蘭の首元を見た瞬間から面白いほど震え始めた。
「地震かぁー?」
自分をみて震える人間に笑いながら言う台詞ではない。
ぺちぺちと、蘭は面白そうに冷や汗をかく男の頬を手の甲で叩いたが、足下の男は恐怖に涙を浮かべて叫び始める。
「竜胆、通訳してー」
「いや、無理」
「だって。残念」
自分を越えて奥の部屋に足を踏み入れた竜胆の背中に蘭は顔を向ける。
小さな二階建ての木造アパート。
1DKというより、畳の部屋がふたつ続いただけの簡素なつくり。
「てか、何もないな。え、部屋間違えた?」
「りんどー、それさっき俺が言った」
「ああ……そうか。うん、理解した」
「な、久々にたのしめそーだろ?」
「うん。俄然やる気が出た」
手前も奥も大差ないが、最後の期待がつまる襖の中からは何が出てくるのか。
「今さら何も出ないだろ」
竜胆があけてゴホゴホと咳き込む横から、蘭が顔を覗かせる。
「なんか見つかった?」
「兄ちゃんのそういうとこ……」
ごほごほと一人咳き込んだ竜胆は、蘭の横顔に言いかけてやめた。
白い埃と共に出てきたのは、二十年愛用されてきたのだろう、子ども用とも思えるサイズしかないボロボロの薄い布団。今の住人たちが万年敷布団をしているのに、それだけが丁寧に折り畳まれてそこにある。
「「……」」
この家で初めて、彼女の存在を見つけた気がした。
「なぁ、この家の女と連絡とってるのどっち?」
ガチャっと竜胆が黒い銃口を向ければ、左の男が右の男を見て、右の男は息をのんだあと必死で身体を暴れさせる。
「はいはい、携帯借りるなぁ。ま、返さねぇけど」
静かな空気の音が走って、左の男が屍に変わる一瞬の出来事。恐怖に顔が土気色になっていく右の男の身体をまさぐりながら、間延びした声で蘭が見つけたのは一台の携帯。
「暗証番号、押せ」
蘭にまたがれたまま、指先に触れる携帯を男は必死で解除した。
「……竜胆、行くぞ」
「ん」
もう用はすんだとばかりに玄関を出ていった蘭に竜胆も続く。取り残した男を部下に任せて放置してきたが問題はない。
現在、午後の四時。
莉乃の父親には今回勝たせる台を与えてあるので、帰ってくる時間までに少し余裕がある。けれど、二人は時間との勝負といわんばかりのスピードを出して、とある場所に向かっていた。
「こんな状況知って、ぐちゃぐちゃに可愛がりたくなるの、なんていう感情?」
「恋?」
「恋かぁ、歪んでんなぁ」
最低限の私物しかない殺風景な部屋。といえればまだいいが、正直言って、足の踏み場もないほど莉乃の部屋は散らかっていた。
散らかりすぎているから、空き巣や泥棒に入られても何が持ち去られたか把握できないだろう。栄養ドリンクの空き瓶。菓子パンの袋ゴミ。脱ぎ散らかした服、適当にまとめられたメイク道具。
それなのに、誰かからの贈り物に違いない。
たぶんキャバクラの客か。
「いつ、誰に」もらったものか、日付と名前を付箋で張り付けて、その一角だけが大事にされているのが一目でわかった。箱も袋も丁寧に置いて、部屋の角で宝物みたいに収められている。
「なぁ、兄貴」
「んー」
「オレも欲しくなっちゃった」
「……だろーな」
「喧嘩する?」
「納得する?」
「しない」
「俺も」
絶望の中で可憐に咲く花。
それを摘んで押し花にして、自分だけのモノにしたいという歪んだ欲望に蝕まれていく感覚。器用に社会に溶け込んでいるようで、自分のことに関しては不器用なまま。世間知らずの無垢な乙女を暴き、手に入れたいと思うのは雄の本能なのかもしれない。
「ま、本人に会ってみないと最終的にはわかんないけど?」
「この部屋見る限り、予想つくのがイヤだ」
「いいじゃん。俺ららしくて」
ベッドに腰かけて足を組んだ蘭が、先ほど男から奪った携帯に指を滑らせる。
「はは、見ろよ竜胆。莉乃の指名率めっちゃいい」
「そこでも真面目なのかよ」
「そういうとこだよなー」
雑誌でも見るノリで蘭と竜胆が二人仲良くベッドに腰かけて携帯を覗き込んでいると、途端、玄関の方が騒がしくなって、部下たちの焦った声と頭を下げる姿が波のように近付いてくる。
「こっの、イカれ兄弟が。待ち合わせ場所から勝手に動くんじゃねぇ、よ……っと、なんだきたねぇな」
「三途……と、首領」
竜胆が立ち上がり、蘭がベッドに足を組んだまま座る部屋。
そこにピンク頭と白髪の小柄な男が加わると、さすがに窮屈さが増した。
「……」
目の下に隈を刻み、虚ろな瞳で部屋を一周した首領に全員が頭を下げる。
今は昼の仕事で不在の莉乃の部屋に入るのは簡単だった。仮にも自分たちが管理する店の寮。特定の部屋を開けさせるのに時間も何もかからない。
寮には寝に帰ってくるだけなのか、いや。布団ではなく床によれがあるところをみると、床で寝ている頻度が高いのかもしれない。
「これを」
「ん」
蘭が見せた画面を見て、首領は一言だけで応える。
「莉乃だけでいい」
そう告げた首領に、三途を含めた全員が部屋を後にした。
「ありゃー、相当キレてんな」
「いや、誰だってキレるわ」
「穢れない花の蜜は甘くてうまいからなぁ」
「あいつの親父を確保してたのは別の組織のやつだが、ココがうまく話しをまとめんだろ。にしても、こんな詐欺によく引っ掛かれんな。バカなのか、こいつ」
「金のない親が携帯で連絡がとれるのを疑問にも思わない。そういうとこが抜けてて可愛いんだろー、莉乃ちゃんは」
「律儀すぎて泣ける」
「こんなクズでも大事な親なんだろうなぁ」
「利用してるのマジで許せねぇんだけど」
「バカな子ほど可愛いとかいうらしいが。死ぬまで働かされて、金巻き上げられて、真実知ったところで訴えることもなけりゃ、死ぬこともねぇ。か……漬け込んだのが親ってのが、なかなかイカれてるじゃねぇか」
携帯で莉乃が親と信じる男とのやり取りを遡って見ていた蘭を中心に、竜胆が隠すことのない怒りを口にし、三途が相槌を打つ。
最後に三途が赤と白の薬を口に含んだところで、それぞれの携帯が同時に鳴った。
「んじゃ、いってくるわ」
そういって一人、別行動をとった三途を見向きもせず蘭は誰かと連絡をとる竜胆に促されるまま車に乗り込む。
『莉乃、頼む。助けてくれ』
合言葉のような三文字を打つ自分の指に歪んだ笑みが込み上げてくるのも無理はない。
「さっさと俺らのところに堕ちてこい」
鼻歌を奏でる蘭と竜胆を乗せて、黒塗りの車は夕闇を走る。
来た道を戻り、部下が確保した莉乃の父親を見つけて停車させ、そのまま後ろのトランクに詰め込んで運ぶ。拉致する場所は最悪であればあるほどいい。
「あー、竜胆。まだ殺すなよ」
「くっそ。今すぐ殺してぇ」
「三途の連絡待てって」
タコ殴りにして気を失った男の写真を三途に送る。
時刻は十八時。
まもなくすべてが丸く収まるだろう。