短編集
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食い扶持を稼ぐ為、学業の合間を縫って冒険者協会所属の冒険者として仕事をしているサージュ。
請け負った依頼を遂行すべく集合場所に着き、依頼主となる相手を探す中、馴染みのある背を見つけ、少女は首を傾げる。
「あれ?」
遠巻きにその姿を見つめ、やはりそれが見知った"先輩"のものであると気付いた彼女は、表情を綻ばせて駆け寄る。
「今日の依頼、カーヴェ先輩の案件だったんだ。よろしくね」
「え、サージュ…? どうして君が…」
いつの間にか己の横に立っていた少女に、此度の依頼主ことカーヴェが驚嘆と共に目を見開く。
教令院の"後輩"である彼女が何故この場に。そう言いたげな眼差しに、今は学生ではなく冒険者としてここに立つ少女が自らの責務を告げる。
「荷運びって、どうしても人手が沢山必要になるでしょ。それで冒険者協会にも話が来て、手伝わせてもらうよう志願したの」
「ああ、成程…そういうことか。でも、年下の女の子に重い荷物を運ばせるなんて、僕の主義に反する。給料は他の人と同様に出すから、なるべく軽いものを持つように…」
少女から詳説された事情に青年は理解を見せつつも、納得は出来ないと腕を組んで義憤を露わにし、負担を軽減するべく指示を出そうとする。
しかし彼女は過干渉でしかないその申し出を完全に無視し、身近にあった木箱を二つ重ねては、それを軽々と持ち上げてみせるのだった。
「…ってちょっと! 危ないだろう!?」
「大丈夫大丈夫。このくらい、なんてことないよ。とりあえず、この辺り一帯全部荷台に積んじゃうね」
想像もしていなかった光景に驚愕する青年にしたり顔を向け、荷を積む台車を目指す少女。
作業慣れした屈強な成人男性と同等、ともすればそれ以上のスピードで積み上げる手際の良さに、彼は助力を申し出る間もなく呆然と立ち尽くすしかなくなっていた。
「ん? あ、もしかして先輩、どうして私がこんな力持ちなのかわからなくて驚いてるの?」
視線に気付いた少女の訝しげな声に、我に返った青年が説明を求める意も込めて力強く頷く。
積んだ荷が転げ落ちぬようきつく縛りながら、彼女その疑念が当然のものだと微笑み、それから。
「これは、神の目の恩恵だよ。クラクサナリデビ様から授かった…私が生きる為の力」
「神の目…」
そう告げてすぐに少女は表情を切迫したものへと一変させ、腰に提げている宝玉に視線を落とす。
選ばれし存在のみが与えられると言われているその輝きを前に、持たざる側の身である青年は何も言えず押し黙る。
サージュが神の目を得た経緯。それは想像を絶する凄惨さと悲愴に満ちた、決して羨むなど出来ない壮絶な状況を経たことによる、文字通りの"奇跡"だった。
その事実を知る青年は、先刻の迂闊な発言に悔恨を募らせる。草神を誰よりも敬愛し、その恩寵に報いることを身命とする少女にとって、その行為を否定することは、彼女自身の存在を否定するにも等しいのだと。
「そう。だから、ここは私に頑張らせて」
「…わかった。でも、無理だけはしないでくれ」
「それ、先輩が言っていいセリフかなあ…私知ってるよ、学生時代の先輩はいくら止めても無茶ばっかりだったって」
少女の決意を認め頷くと、彼女は過去の青年の言動から、他者を心配する資格などないのではと揶揄する。
予期せぬタイミングで古傷を抉られ、感情を抑えきれず激昂しそうになるカーヴェだが、大人としてぐっと堪え、逆に緊張感のない彼女を諫める。
「なっ…! いいんだ、責任者は僕なんだから。今回の作業で荷物を無事に現地まで運べなかったら、その後の工程も全部滞る」
「はーい。まあでも、私だったら護衛の役割もこなせるから、安心して任せて欲しいな」
気の抜けた了承を口にして、しかし抑えるべきはしっかりと、少女は元素力を増幅する法具を顕現させて、自らが一般人や荷物を守れる程度には高い戦闘能力を有していることを示す。
青年は法具から薄らと感じる冷気に、それもまた神の目を扱う人間にのみ許された特別な力なのだと頭では理解していたものの、やはりまだ子供としか思えぬ彼女に任せてよいものかと眉を顰める。
それでも、彼女の実力を知っているであろう同業者達は何も言わず、青年が首を縦に振るのを待つのみで。
「あ、本当は護衛とかってエルマイト旅団の人達の領分だから、私が兼任してるのは内緒にしてね。勿論人件費も一人分しか受け取らないから」
「ううむ…なんだか釈然としないけれど、運搬に充てる費用は少しでも削減したいし仕方ないか…」
追い討ちをかけるように捲し立て、サージュは彼が秘めていた憂苦を的確に見抜いているとしか思えぬ言葉を齎す。
細かな作業ひとつ取っても費用に関する懸念はいくらでも湧いて出てくる建築現場に於いて、少女が一人で二役以上を全う出来るという魅力は捨て難く、今回ばかりは数奇な運命の巡り合わせに感謝せざるを得なかった。
「ふふ、ありがとう先輩。じゃあ、行こっか」
無事交わされた秘密の協定に、少女が満足げな笑みを浮かべて出発を促す。当たり前のように片手でそれぞれ別の台車を引こうとする彼女を見て、青年は慌てて制止する。
「待った。いくら君が体力に自信があると言っても、それは認められない。片方は僕が引くから、手を放すんだ」
「この台車、結構重いけど…先輩に出来るの?」
「サージュ…あまり僕を甘く見ないでくれ」
年下の少女に無様な姿は見せられまいと意気揚々と歩き出そうとして、ぴくりとも動かすことが出来ず困惑するカーヴェ。
彼女は予想通りと言わんばかりに肩を竦め、均等に分散させていた荷物のバランスを変える必要があると悟り、荷を結ぶ紐を解き始めた。
「…!?」
「ほらね。そしたら、そっちの荷物をこっちに少し積み直すから。ちょっと待ってて」
少し悩んだ後、サージュは彼が動かそうとした台車の荷の中で、特に重量のある鉄材の類を中心に載せ替える。
代わりに、自分の方に含まれていた比較的軽いものをいくつか積み、ひ弱な青年でも問題なく運べるよう処理を済ませ、そして。
「これでどうかな」
「大丈夫だ。すまないサージュ、本当ならこういう調整も僕の役目なのに」
先刻までびくともしなかった車輪が簡単に回り出したのを見て、青年は安堵と共に非を詫びる。
必要のない責任まで被ろうとする彼の自己犠牲は相変わらずのようで、少女の口からは嘆息が漏れ出るばかり。
「はあ…別に気にしてないよ。それよりも、積み替えで時間取っちゃった分急がないと」
先行していた他の作業者を視線で指し、歩幅を広げる。いくら馴染み深い先輩と後輩と言えど、あくまで今は共に仕事を完了させることが最優先だと気を引き締め直し、彼女は荒れた道を進む。
「先輩は整備されてるところゆっくり通って。私は慣れてるから、ちょっとショートカットするね!」
「あ、ちょっと…!」
慌ただしく呼び止めるも虚しく、サージュは宣言した通りすいすいと草木を掻き分けて走っていく。
道中の魔物や障害など、その全てを物ともせず道を切り開く様を遠巻きに見つめ、青年はこれが神の目が齎した恩恵なのかと嘆息が漏れる。
「…」
少女が望んで行っているのだと言い聞かせるには、その姿はあまりに儚く、今にも脆く崩れてしまいそうで。
まだ年端もいかない子供に課せられた使命に苦悩を抱き、青年は彼女の助けになることも出来ない自分の無力さを呪うしかなかった。
「きゃあ!」
とぼとぼと歩道を歩く彼の耳に、突如少女の悲鳴が響く。有事に荷物の重みも忘れ、一目散に彼女の元へ駆け寄り、身の安全を確かめる。
「サージュ! 大丈夫か、何があったんだ?」
「蛇…かな、それかミミズ…? さっき、背中にぞわっとした感触があって…」
「うーん。見た限りでは何もなさそうだから、心配はないと思うけど」
青年は恐怖心から狼狽える少女の周囲を見渡し、危険が残っていまいか入念に調べる。
蛇にしろ蚯蚓にしろ、森林地帯ではそう珍しくない普遍的な生物でしかないが、やはりそれらを苦手とする女子にとっては畏怖の対象に値するものらしいと、どこか庇護欲が芽生え始める。
「カーヴェ先輩ごめん、大したことじゃないのに大騒ぎして…びっくりしたよね」
「ああ。君の悲鳴を聞いて、肝が冷えたぞ…荷物を運ぶのも確かに大事ではあるが、もし君に何かあったら、僕は…」
そこまででふと我に返り、その先に一体何を言おうとしたのかと、無意識下の発言に目を見開くカーヴェ。
ほんの少し交流があるだけの、ただの先輩でしかない自分に、彼女を想うことなど許される筈がない――自罰的な感情を以て力なく首を振り、近場に放り出していた台車の元に戻る。
「…?」
「いや、なんでもない。先を急ごう」
互いに沈黙を保ったまま荷を引く最中、青年は自らの呼び起こした煩悶に奥歯を軋ませる。
卒業を機に教令院を離れ長らく忘れていた、サージュと過ごす瞬間に心中を刺激する不思議な熱の正体。その温かさに触れたことで、彼は殊更に少女の痛みを少しでも分かち合いたいと願ってしまっていた。
「サージュ。その…君の研究の進捗はどう?」
意を決して口を開き、少女へ近況を問い掛ける。しかし今の凝り固まった思想の教令院では、偉大な先代への懐疑すらも異端として爪弾きにされるのだと、彼女は肩を竦めて無力な掌を見つめる。
「論文は何度も出してるよ。でも全然ダメ。やっぱり賢者の人達も先生も同級生も…みんな、マハールッカデヴァータ様のいい面しか見てない。クラクサナリデビ様だって、何もしていない訳じゃないのに」
「…そうか。先代が没してからもう五百年…今のスメールは、クラクサナリデビ様の国である筈なのに、どうしてこんなに…」
青年は彼女に同調するように悔恨を零して、同じ時期に代替わりした水神が歌劇場のスターとして名を馳せる隣国のフォンテーヌを思い起こす。
確かに、かの国には水神の存在だけではなく、その下に就く最高審判官の威厳があったが故に、という見方も出来る。
そして当時の草神には、魔神戦争による混乱を統治するだけの力が残っていなかったとされる記述は、歴史書のかなり初めの段階に記される程度には学者にとっての常識だった。
が、それでも彼女を後継と定めることなくスラサタンナ聖処に幽閉し、現代に至るまで否定し続けている有りようは、賢者の驕りにも等しいと彼は感じていた。
「でも、だからこそ…私は諦めたくない。この研究テーマで卒業出来ないなら、一生落第生でいい」
鬼気迫る表情で、サージュは義憤を宿した胸元を押さえてそう告げる。神の目を授かり命を救われた身として、その悲願を成就させる為になら、きっと彼女はどんなことでもするのだろう。
それだけの熱意があったからこそ、神もまたこの少女に眼差しを向け、力の源を与えるに至ったのではないか。
だとすれば、神に認められるような志を持たぬ自分には、絶対に手の届かない領域なのかもしれない。
そんな愁思を抱いては、彼は傍らの輝きが放つ眩しさに目を細める。元素としては氷でこそあるものの、燃えるような苛烈さを持つ少女の瞳は、黎明の太陽を想起させる色をしていた。
「…強いな、君は。君が神の目を授けられたのも納得だよ」
「え、そう? 本職の人と比べたらそこまででも…」
感慨深げに呟きを零したカーヴェに、自分がそのような称賛を受けるとは予想だにしていなかった少女が驚嘆と謙遜を口にする。
けれど青年は実際に見てもいない戦闘力はまだ判断出来ないと苦笑し、彼女の含羞を訂正する。
「力ではなく…心が強いと思ったんだ。そういう特別な人にこそ、神の目というものは与えられるのだろうな」
語っていく内に神が与えた恩恵への憧憬は増していくも、持つ側の人間であるサージュは知ってか知らずかその幻想を粉々に砕いていく。
「どうかなあ。たまたま私が神の目を授かった状況が特殊だっただけで…人によってはどうして今? って時に発現することもあるって聞くし…」
「誰もが皆、窮地を乗り越えた先に手にする…という訳ではないのか?」
「うん…そうみたい。ア…じゃなかった、とある先輩は"本を読み終えたらその後ろにいつの間にかあった"なんて言ってたくらい」
アルハイゼン、と彼にとっての禁句を口にしてしまいそうになったのを慌てて止め、勢い良く首を振る。
そしてそれが誰であるかを懸命に濁して、かの男が神の目を得た経緯はあまりにも呆気ないものだったと眉を下げて笑む。
「…サージュ、俄かには信じられないんだが…本当なのか、その話」
隠匿の甲斐あってか、青年は話題に上がった男の正体に気付くことはなく、少女とは天と地程も差がある神の目の顕現に焦点を当てて真偽を確かめようとする。
サージュは小さく溜息を吐きつつ疑念を肯定し、彼のパターンが一般的なものではないだろうと念を押す。
「その人は下手な噓を言う性格じゃないし、多分事実なんだろうね。けどそれは流石に、かなり極端な例なんじゃないかとは思うよ」
話しながら、他に神の目をもつ知人友人の顔を思い浮かべ、彼らの出逢いがどうであったか興味を抱く少女。
機会を得たら訊ねるのも一興と口角を上げ、奇跡を得る為には必ずしも悲劇が必要不可欠ではないと説く。
「まあでも、世の中にはそういう人もいるくらいだから…カーヴェ先輩も案外、ぽろっとその辺で見つけられるかもね」
「うぅん…いくら何でも、そんなロマンの欠片もないタイミングで授かるのはちょっと。何もしていないのに気が付いたら手元にあった、なんて…クラクサナリデビ様に申し訳が立たないぞ」
少女の慰めを否定し握り拳を掲げ、青年は誰とも知れぬ"彼"へ道理の通らない義憤を露わにする。
久しく触れていなかった当代への信心深さに喜悦を秘め、サージュはその想いに同意すべく深々と頷いた。
「あははっ、それはそうだね。せめて、神の目を得るに値する出来事があったと自覚するきっかけくらいは欲しいよね」
そんな談笑を交わしながら、二人は長い道程を進んでいく。待ち受ける絶望に抗い、神が青年を見初めるのは、"今"よりも少し先の話。
「でももし、先輩が本当に神の目を得られたとしたら…どの元素になるんだろう? 岩とか?」
「そうだな…このささやかな望みが叶うのなら、僕は…」