「遅い!」
すっかり日が暮れ、月が顔を出した頃。ようやくスメールシティに戻った
サージュ達は、待ちくたびれた青年から開口一番に怒声を受けることとなる。
「ごめん先輩! 全部私が悪いの、だからアルハイゼン達を責めないで」
「へえ、今回は
サージュが原因だったんだ…珍しいね。僕達みんな、また君の仕業だとばかり思ってたよ」
「俺がいつも待ち合わせに遅れているかのような言い回しは心外だな」
眼前で両手を合わせ精一杯の謝罪を叫ぶ少女にティナリが感嘆を零し、遅刻の要因だと皆が思い込んでいた男へと視線を向ける。
疑いを向けられていた張本人はと言うと、完全な濡れ衣に心底不服そうな表情で腕を組み、反抗心を露わにする。
しかし貴重な宝物を手にしたことで興奮を抑えきれないセノから、前回の会合でも彼は遅れてやってきていたと辛辣な指摘を突きつけられてしまうのだった。
「だが、強ち間違ってもいないだろう。前に集まった時も、お前が最後だった」
「まあまあ、来てくれただけ良かったよ。今日は前から約束してた訳でもないし…そうだよな、師匠?」
漂う不穏な空気をいち早く察知し仲裁に入るのは、彼らの妹分的な存在であるコレイ。
直接の師匠である立ち耳の少年に縋るような眼差しで同意を求めて、この大所帯を纏めてくれと願う。
「…コレイの言う通りだ。これ以上店の前で話してても仕方ないし、早く入ろう」
総勢八名の会食、酒場の二階をほぼ丸々貸し切るような形でそれぞれがテーブルに着き、思い思いのメニューを選ぶ。
今回の主催であるカーヴェが金銭的な不安を抱えることをよく知るパイモンや少女は、初めこそ遠慮がちに注文していたが、本人から今日だけは何も気にせず好きな物を食べるようにと念押しされてしまった。
「へへっ、ごちそうがいっぱいだぜ!」
「はぁ…美味しいなあ。やっぱりここのフィッシュロールは最高だよ、先輩ありがとう。そう言えば、閉会式はどうだったの?」
和気あいあいと食事を楽しみながら、
サージュは今大会の優勝者に改めて感想を訊ねる。
問われた彼自身は苦笑を零して、特段これといって語るに値する話などはなかったと振り返る。
「どうって言われてもな…まあ確かに少し緊張したし疲れたけど、人前で話すのはそんなに苦手じゃないし…普通に滞りなく終わったよ」
「授賞シーンについてはそうだろうが、俺は何故賞金を放棄した君がこんな大人数での会食費を負担出来るのか、その経緯が気になるな」
住居を貸し与えている家主としての含みを持たせながら、文無しの同居人を揶揄して微笑む。
優勝賞金には及ばずともまとまった金を手にして気が大きくなっているのか、青年はしたり顔でこの会食を開くに至った経緯を話す。
それからその決断の決め手となった大マハマトラが、自身の譲り受けた非常に価値の高いカードをこれ見よがしに自慢し始めた。
「優勝賞品の副賞に、七聖召喚のカードが含まれていただろう。セノが言うには、そいつの価値は少なくとも百万モラはするって話だ」
「これがそのカードだ。凄くカッコいいだろう」
一同の間に、何を言うにも憚られる異質な空気が漂う。こと駄洒落とカードゲームの話題になると、職務に従事している際の厳格な断罪者とはまるで別人と化してしまう彼を前に、誰もが口を噤む。
気まずい沈黙を破ったのは、旅人に肘で突かれてその役目を買って出ざるを得なくなった不思議な浮遊生命体。
呆れ返る皆の表情を窺い言葉を慎重に選び、純粋無垢な心で趣味を堪能するセノが大会に身を投じた甲斐があったことに喜悦を露わにする。
「えっと…うぅ、オイラにはよくわかんないけど、試合に参加した目的を達成出来て良かったな!」
重苦しい雰囲気を少しでも和らげようと、続け様にレンジャー見習いの少女が、自らの師が得た収穫についてを口にする。
その流れで、最後に残った参加者の一人である
サージュへと、彼女は期待の混じった目を向けた。
「うんうん。師匠も、第一試合が終わった後にはもう生論派の講義への参加申請が沢山来てたし、結果は上々だったと思う…
サージュはどうだ? 出てよかったって、ちゃんと思えたか?」
一切の曇りない眼に、因論派の少女は自分が何の為に今回の学院トーナメントに参加したかを思い出す。
初めの切っ掛けとなったのは、自身の不調を引き起こした才識の冠の謎に迫るという私欲。
それが紆余曲折を経て、"恋人"の頭を悩ませている同居人の自立への一助、愛らしい踊り子の友人が抱いた孤独の払拭、更には草神直々の勅命と、知らず知らずの内にいくつもの理由が積み重ねられていた。
その全てを果たせたとは言えずとも、果たせなかった内の何れにおいても、決して自らの存在が無意味ではなかったのだと気付き、彼女は。
「勿論。試合中も、終わった後も…色々なことがあったけど、私にとってもこの学院祭はいいものだったって、胸を張って言える」
晴れ晴れとした笑みを浮かべ、そう思えるだけの幸甚を与えてくれた皆に感謝の気持ちを込めて瞳を閉じる。
その破顔を受け、コレイは自身の知る語彙の中から的確に今の皆が思い描いていたものを選び抜く。
「そっか…あたし知ってるぞ、これこそがまさに"ハッピーエンド"ってやつだよな!」
「…そうだな。俺自身も、審査員として君達の活躍を見ていたが…今この場に居ない女性陣も含めた全員が、学院祭に参加した意義があったと見ていいだろう」
同じく試合には参加せず、選手を見守る者としての立場から、アルハイゼンがレンジャー見習いの表現に同意を示す。
「確かに。ルタワヒストのレイラだっけ…あの子、最初はおっかなびっくりで僕達に遠慮してるような感じだったけど、振り返ってみれば、全体的に好成績を残していたし…これから先、僕達にも負けない優れた学者としてどんどん成長していくぞっていう強い意志を感じられて、コレイの教育にも良かったなと思うよ」
明論派代表、夢遊する少女と一部で有名な、今大会の最年少者であるレイラについて感想を零すのはティナリ。
彼女は自薦ではなく他薦によって半ば無理矢理に参加を義務付けられた上、尊敬に値する人々に囲まれ、多大なプレッシャーを感じていた。
が、蓋を開ければ名だたる先輩達に負けじとしっかりとポイントを獲得し、特に最終ラウンドでは、いの一番に才識の冠を見つけ出してもいる。
そんな期待の新星の存在は、近い未来に教令院への入学を迎えるかもしれない弟子を抱える彼にとっては最も身近な手本にも見えて。
「ファルザン先輩もそうだ。この食事会にも誘おうかと思っていたんだが、試合を見ていた
妙論派の後輩達が詰め寄せてて、とても声を掛けられそうになかったからな…」
「妙論派? ファルザンは知論派として大会に出たのに、なんでそいつらが押し掛けてくるんだ?」
レンジャー長の少年に続き、カーヴェが知論派の重鎮ファルザンもまた、計画していた通りに自身の学派の後輩が増える吉兆が見えていたことを語る。
しかし本人は知論派代表としての参加であったにも拘らず、何故妙論派の学者が群がるのか。
不思議に思ったパイモンが首を傾げていると、横から学問には境界などないのだと補足が入る。
「ファルザン先輩の凄さが、学派の垣根を越えて認められたということだろう。彼女は本当に優れた学者だから、講義を受ける生徒が増えるのはいいことだ」
「そうだねぇ、先輩の講義は面白いよ。私も何度か受講したことがあるからわかるな」
セノからの補足に、彼女の開く授業を実際に受けたことのある因論派の少女が深々と頷く。
尤も、彼女自身は偉大な先輩の古風な語り口調が子守唄に聞こえてしまい、講義の真っ只中でも頻繁に舟を漕いでいる不届き者なのだが。
「あぁ…そういえば
サージュ、ニィロウが後で君にお礼がしたいって言ってた。今回の大会で君がいてくれたお陰で、司会進行の緊張を忘れられて随分と気が楽だったって」
笑顔の少女を見て不意に彼女への言伝を思い出したティナリが、再び忘れる前にと口を開く。
それは、今大会を彩る賓客として招かれ、書記官と共に進行役を務めたスメールいちの踊り子からの感謝の念。
友人の助けになるどころか逆に迷惑をかけてしまったと思っていた
サージュは、慌ただしく両手を振り謙遜しつつ、自分へのメッセージを伝えてくれたことに謝意を述べた。
「そんな、大したことじゃないのに。寧ろ色々と心配かけちゃったこと謝らないと…ありがとうティナリ君、時間を作ってニィロウにも会いに行くよ」
そこまで言って一段落したと少女が息を吐いてふと隣を見ると、長い間待たされたことに憤懣を抑えきれない青年がアルハイゼン達の不在を巡る口論に興じていた。
「会場をそそくさと抜け出して、アアル村まで行って…一体何をしていたんだ? まさか、サーチェンの研究記録を探しに行っていた訳じゃないだろう」
「いや、それ自体も理由のひとつにはある。が、他にも向こうでやるべきことが色々とあったから、俺達は閉会式に参加している余裕もなかったということだ。説明はこれで満足か」
折角の会食に水を差すなと言わんばかりに眉を顰め、男は強引に話を切り上げようとする。
けれど青年は不足している説明を求め尚も食い下がり、今度は同行者の少女へと矛先を向けるのだった。
「色々って…
サージュ、君の用か?」
まさか自分にまで訊ねる程、気に掛かっているのか。油断していた少女は思わず口篭ってしまう。
サーチェンの研究資料を探し、その動向について調べることは、引いては彼の父の行方にも繋がる。
完全に自分達の為だけではなく、青年にも関わることだとはこの大人数が揃っている場ではとても言えず、
サージュは後ろめたさから視線を逸らして頷く。
「まあ、間違ってはいない…かな」
「…そうか。わかったよ、ならこれ以上は聞かない」
同じように言葉を濁す少女の態度から追究は不可能だと悟り、渋々諦念に満ちた声で了承を呟くカーヴェ。
互いにそれぞれの父と母に関し脛に傷を抱えている同士の奇妙な共振が彼の中にもあるのか、深くは踏み込もうとしない配慮が見え隠れしていた。
「アアル村に行っていたのなら、キャンディスには会ったか? 今回の大会の裏で事件を起こそうとしていた者が居たらしいが、尋問の為に彼女にそちらまで連れていかれたと聞いた」
「サーチェンの息子のことか。確かにそのどちらにも話を聞きはしたが…ふむ。君の方にまで情報が入っていたとは」
趣味のことで浮かれ、職務に対しての重責を一切忘れていたとしか思えない様子のセノから、意外な問い掛けが飛んでくる。
男はその件に関して特に隠すことはないとすんなりと首肯しつつ、大会参加者に不穏な話題が漏れていたことに疑念を抱く。
すると休暇中のマハマトラは、共に死線を潜り抜けた仲間であるもう一人の獅子からの情報だと告げ、更に彼女にもうひと働きしてもらうよう約束を取り付けたと笑んでみせた。
「全てが終わった後、ディシアが教えてくれたんだ。ついでに、今度の七聖召喚の大型大会の時期…あいつに、院内の警備を頼むことにした」
真面目な印象を完全に払拭するとんでもない発言に、再びその場の全員が彼から視線を逸らす。
だが次なる戦いに向けて既にエンジン全開となってしまった大マッハマシンは、勢いに乗りもう一つの趣味を開花させ始める。
「ん? いいネタが浮かんできたぞ。砂漠で裁…」
「マズい、このままだとセノの独壇場だ…! お腹もいっぱいになったし、そろそろお開きにしよう! ね、旅人!」
「そっ、そうだな! 改めて今日は本当にありがとな、カーヴェ!」
暴走の気配を察知した親友が慌てて立ち上がり、この場を無理矢理に解散まで持って行く。
突然同意を求められて困惑する旅人の代わりにパイモンが少年の意を汲み、主催者である青年に向けて感謝の言葉を叫ぶ。
「ああ。じゃあ、会計してくるよ。皆は先に出ていてくれ」
年長者として、この会食の主催として。参加したメンバーへのスムーズな退出を促し、青年は支払いを済ませるべく階下のカウンターへと向かう。
ツケで済ませないのは珍しいなどと
酒場のマスターに揶揄される姿を見守り、彼が戻ってくるのを待っていた
サージュは、言えず終いには出来ない称賛を口にする。
「どうした、
サージュ。先に出ていてと言った筈だけど…」
「先輩、優勝おめでとう。ずっと言う機会がなかったから、解散する前に言わなきゃと思って」
「…ありがとう。確かに、君からはまだ祝ってもらえてなかったな」
驚いた様子で目を見開くも、カーヴェは改めて勝利を噛み締め謝意を告げ、少女と共に外へと歩みを進める。
彼らが酒場から出る頃には既に一同は解散しており、待っていたのは青年の同居人ただ一人だった。
「あれ。アルハイゼン、他の皆は?」
「コレイが眠気の限界を迎えそうだったから、先に帰らせた。旅人達も疲れていた様子で、そのまま彼らと共に去っていったよ」
何故周りに誰も居ないのかと訊ね、首を傾げる。男の端的な説明を受けた彼女はすぐに納得するも、居候は家主が普段と異なる行動パターンを選んだ理由が理解出来ないと吐き捨てる。
「ふんっ…ならどうして君は皆と一緒に帰らなかったんだ。普段だったら平気で一人先に家に帰る癖に」
「俺の行動原理を今更君に解説する必要があるのか?」
「ああもう、こんなタイミングで喧嘩しないで。アルハイゼンが残っててくれたのは、まだ先輩と私達の話が終わってないから…でしょう?」
一触即発の前触れを仲裁し、敢えて漏らさず正確に彼の意図を説いて"恋人"へと目配せする少女。
アルハイゼンは小さく頷き同意を示して、他の"後輩"達の前では憚られる話題に触れる。
「俺達が調べた限り、あのサーチェンは…二十年前、君の父親と会っていた」
「何、だって…?」
瞳孔が揺れ、言葉を失うカーヴェ。項垂れたまま暫く黙り込んでいたが、やがて顔を上げ、そして。
「…ハハッ。それであいつは、サーチェンは…僕を見て懐かしいと、昔の縁を思い出すなどと言っていたのか」
「うん…間違いないと思う。だから先輩はもう、自分がお父さんを死なせてしまったと悔やむ必要なんてないんだよ」
「いや、いい…慰めなんていらない。父さんのことは…結局のところ、根底にある原因は僕があの冠を欲しがったからだ。けど、冠は僕がこの手で壊した…悲劇は二度と繰り返されない。繰り返されちゃいけないんだ…」
サージュが青年には最初から罪などなかったのだと伝えるも、彼は額を押さえゆっくりと首を振って自罰を続ける。
二十年間、絶えず己を縛り付けていた罪悪感は今更払拭することなど出来ず、掠れた声で微笑を零すしかなかった。
そんな青年の悲愴を完膚なきまでに叩き潰すべく、男は故意にその願いを否定してみせる。
「それはどうだろうな。サーチェンの研究自体は、因論派の人間にとっては価値のあるものだ。これを引き継ぐという者が現れても、全く不思議ではない」
「っ…まさか
サージュ、君…」
考えたくはない可能性の示唆に、青年は酷く慌てた様子で少女へと焦燥の表情を向ける。
突き刺さる視線を一笑に付して、因論派の劣等生は彼の不安が真実になる日はないと誓う。
「あはは! どうしても卒業したくなったら、それもいいかもね。でも安心して先輩、私は自分の理念を曲げるつもりはないよ。もしあの研究を引き継ぐとしても、氏のような哀しい結論では終わらせない」
青年の瞳を真っ直ぐに見据え、そう断言する
サージュ。その言葉に偽りはないと確かめ、彼はようやく安堵の息を吐く。
「なら心配ないな。一部の個体と全体の行動は、必ずしも一致するものじゃない…サーチェンは、極めて特殊なケースだった」
「彼の野望を食い止めた君も、ある意味ではそうだろう。この手の対立はいつの時代にだって起こり得るものだし…君自身、誰もが君のような正しさだけを掴みとれるとは限らないことを、ちゃんと理解しているじゃないか」
「…急にどうした? 言っておくが、僕は自分の主張を諦めるつもりはないぞ」
軽はずみな冗談を言う質ではないアルハイゼンからの歯の浮くような賛辞に、青年は本心が掴めずつい反抗心を剥き出しにする。
それでも彼の表情はどことなく柔らかなものを保ち続け、少女も嬉々した様子で便乗してくる始末であった。
「別にいい。今更何が正しくて間違っているかなんてものは、話の核心じゃない」
「学者である私達にとっては、こうして議論を交わすこと自体が有意義なことだからね。まあでも、流石に今日は一日が長くて疲れたな…」
欠伸を咬み殺し、少女は大きく伸びをして緊張を解し、それとなくカーヴェ達の顔色を窺う。
学院祭の最終ラウンドだけでなく、その後の砂漠での騒動も含め多くのことが起こった今日という日は、彼女にとって波瀾の一日だったと言えた。
「同感だ、そろそろ僕達も帰ろう。けど
サージュ、女の子一人で夜道は色々と危ない。アルハイゼンに家まで送ってもらうといい」
青年の提案に首肯し、男は少女の肩に手を載せる。何故危険を言い出した彼自身が同伴するのではなくアルハイゼンに、と少女は混乱しながら恐る恐る意図を問うも、まともな答えは返ってこなかった。
「行くぞ」
「え、ど…どういうこと…?」
「まあ…そういうことだ。おやすみ、
サージュ」
有無を言わせぬ眼差しとそれに同意するぎこちない笑みに羞恥を爆発させた
サージュが、驚愕に目を何度も瞬かせる。
そしてようやく全てを悟った頃、人々が寝静まりつつある夜分であることも忘れ声を上擦らせ、己の肩を掴んで離さない"恋人"を責め立てるのだった。
「アルハイゼンッッ!」
Célébration