短編集
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とある秘境へと探索に赴いていたサージュとカーヴェ。落盤により未知の階層に落ちてしまった少女が、殴打した臀部を摩りながら嘆息を吐く。
「痛た…まさかあんな簡単に床が抜けるなんて」
「怪我はないか、サージュ? すまない、もっと早く気付いていれば君を助けられたかもしれないのに」
「ううん、大丈夫…傷口とかは見当たらないし、気にしな…」
少女とは異なり飛行免許を持っており、咄嗟に風の翼を広げて事なきを得た青年が、羽根を閉じて同行者の身を案じる。
問われた娘は共に落下したことで付着した土埃を払いつつ、自らの身体に影響がないことを伝えようとして、視界に飛び込んだ予想だにしない人影に喉を詰まらせる。
そこに立っていたのは、傍らに立つ彼によく似た、けれど確かに幼さを感じさせる面立ちの少年。
突然現れた二人に警戒心を露わにして、睨むように少女と青年を交互に見つめ、そして。
「…あなた達は誰だ?」
「え、えっ…と…」
どちらを向いても瓜二つの顔に困惑し視線を泳がせ、少女は問に対しどう答えるべきか逡巡する。
一方、凡そ十五年程前の己と相対したカーヴェ自身は、その姿から当時の苦悩を思い起こしてしまう。
過去の記憶からなる憤懣を込めてか、あるいは時間稼ぎなのか。質問に対する回答を巧妙に避け、彼はまず先に少年に自己紹介を求めるのだった。
「人に名を訪ねる際は、まず自分から名乗ったらどうだ」
「僕はカーヴェ。妙論派の学生で、ここにはキングデシェレト文明の研究の為に来た。さあ、次はあなた達の番だ」
「…」
ぐうの音も出ない程流暢に、かつ簡潔に名前と身分を答え、続け様に何故自分がここに居るのかを説明する。
そこまで素早く口にして彼は小さく息を吸い、有無を言わせぬ眼光で改めて二人の名を問う。
後に妙論派の看板を背負うことになる運命を既に受け入れているとさえ思わせる苛烈な輝きを前に、サージュは思わず息を呑む。
それから無言のまま固まってしまった青年を庇い立てるように一歩前に出て、自らの名と所属を告げた。
「じゃあ私から。因論派のサージュ。専攻はクラクサナリデビ様についてだけど、赤王様のこともある程度の知識は頭に入ってるよ。聞きたいことがあるなら答えるからさ」
ゆっくりと少年の元に歩み寄る最中、視線を一瞬だけ青年へと向け、過去の自分へ名乗る為の最適解を見つけ出す猶予を与える。
カーヴェは彼女からの恩義に報いるべく腕を組み脳をフル回転させ、愛用の鞄ことメラックと共に思慮に耽る。
「まずいぞ…認めたくはないが、アレは正真正銘昔の僕だ! どうしよう、なんて名乗ればいいやら…下手に知り合いの名前を使ったら、どんな影響が出るかわからないし…」
『ピポ?』
「そうか、メラック…! すまない、今日だけは…君の名前を借りさせてもらうとするよ」
主人の困窮した様子を前に、そのボディを傾けて助けになれることがないかと鳴動してみせる。
それを見た彼は、未来の己の相棒となるその機械生命の名前こそが最も偽名として相応しいと気付き、安泰の表情を浮かべて"少年カーヴェ"に向き直った。
「…ごほん。僕はカー…じゃなかった、"メラック"。君と同じ妙論派で…ええと」
かつての研究内容を口にしようとして、全く同じ題材を告げるリスクを危惧し思い悩む。
けれどでっち上げに適した研究など咄嗟に思いつくものではないと、助けを求め少女へと視線を向ける。
懇願の眼差しを受けたサージュはすぐにその意図を察知し、青年がどのような人物かを明透に語る。
伝えた言葉に嘘偽りはなく、後の少年が同じ道を往くことになる未来を確信した上での笑みに、青年は思わず頬が熱くなるのを感じていた。
「建築学に精通してる凄い先輩だよ。デザイナーとしても評価が高くて、依頼は常に何ヶ月も待たなきゃいけないくらい」
「そう、ですか。変だな…僕の知る限り、そんな優秀な人…クシャレワー学院で耳にしたことが全くないんですが」
同じ学院の先輩であることを知り、不信感はそのままに少しだけ口調を和らげ、先輩を敬う姿勢を見せる少年。
だが優れた頭脳と観察眼から彼が虚飾の存在である可能性に辿り着き、訝しむ声を上げる。
堪りかねた少女がすかさず青年の傍に飛び退いて、自分の知らない幼い頃の彼が想像以上に聡明であることを詰る。
「ちょっと先輩、まさかあんな返しをされるとは思わなかったんだけど!?」
「すまない。君のフォローが仇となってしまったのは僕に非がある…だが、他にいい誤魔化し方もなかった。なのにあの"僕"ときたら…ッ!」
真っ先に少女へと非を詫び、当時の己が今のような些末なことを執拗に気に掛けてしまう性分であったことに憤る。
とは言えどもいつまでも密談にかまけて少年を放置する訳にも行かず、"青年メラック"は気持ちを切り替えるべく大きな咳払いをして"彼"の名を呼ぶ。
「カーヴェ君…だったか。君が僕の噂を聞いたことがないのは、僕が常に多忙であちこちを飛び回っているからだろう。気にする事はないよ」
「はあ」
既に興味を失ってしまったのか、あるいは。未来の己へは生返事で、少年は隣に立つサージュをまじまじと見つめる。
「…えっと、私の顔に何かついてるかな」
「いえ、そういう訳ではないんです。ただ、あなたを見ていると…何故か不思議な気持ちになるというか」
「不思議な気持ち、ねぇ…?」
鸚鵡返しのように呟いてみるものの、幼きカーヴェの抱いた感情の正体がどのようなものか皆目見当がつかず、首を傾げる少女。
微かに赤らんだ頬に、青年が薄らと想像した可能性のひとつを口にすると、図星を突かれた少年はあたふたと狼狽して声を荒げた。
「どういうことだ、一目惚れでもしたって言うのか」
「ち、違っ…! あなたには関係ないだろ、少し静かにしてくれ…くださ、い」
青年の推測とも冗談ともつかぬ言葉を認められず真っ向から否定し、敬語さえ忘れる程に激昂してしまう。
はたと我に返った途端、それまでの威勢はなりを潜め、弱々しい語気で懇願するように零す。
「…ごめん、ちょっと可愛いって思っちゃった」
誰にともなくサージュは謝罪を零して、頬を染める。少年は高鳴る鼓動に遮られ、彼女の声が耳に届いていなかったようだった。
幼気な少年の心を揺さぶる言動に、我が身ながら憐憫の情が芽生えた青年は静かに彼女を諌める。
「あまり揶揄わないでやってくれ、相手は思春期もまだ迎えていない子供だぞ」
「そうなんだ? 言動が大人びてるから、私とそんなに歳の差ないとばかり」
体格や声質、そして視野の狭さから、青年は眼前の己が十代を迎えたばかりの頃だと確信していた。
しかし過去の彼を知らぬ少女は、それよりも更に年長だと思っていたと感嘆を漏らす。
そうした何気ない反応を受けて、青年は自分と彼女の歳の差についての熟考に耽ける。
「それについては、残念だが"彼"は君の想定よりもずっと…」
結論から言えば、今ここにいる二人の"カーヴェ"、そのどちらもサージュとの年齢差はほぼ同じであった。
その件に関する自己懐疑の結果を少女に共有しようとして、少年に怪しまれる危険を鑑み首を振る。
そもそも彼らが何よりも先に解決すべきは、過去と現在、同じ人間が同時に存在している超常現象についてである。
雑念を振り払うべく姿勢を変えようと、青年は徐に指先を口元に運び、それから肘を立てもう一方の手を腰に当てる。
「…いや。 今はそんなことより、この子の方が優先だ。一体どうしたものか」
「一人でも帰れます。あなた達に迷惑をかける訳にはいかない」
視線を落とし、青年は嘆息する。だが当の本人は、母との離別を経て間もない時期柄故か必要以上に強がって、目の前の"大人"から背を向けてしまう。
「まあまあ、変に強がっても仕方ないよ。ここで出逢ったのも何かの縁だし…素直にお姉さん達に頼ってほしいかな」
本来であればあり得ない、歳上である筈のカーヴェ相手に年長者として振舞うことの出来る貴重な機会を逃すまいと、少女が微笑む。
気休めにもならない励ましだけでは信頼の証左足り得ないと、腰に提げた元素力の根源たる宝玉を指しながら。
「神の、目…」
まるでその印を初めて見たかのような少年の反応に、それが意外だと感じたサージュは驚いた様子で一瞬だけ目を見開く。
尤も、神の目を持つ人間の希少さを鑑みる限り、少年時代の彼が現物を目にする瞬間がなかったとしても、何ら不自然ではなかったが。
少女はその優位性を活かさない手はないと言わんばかりに胸を張って、隣にいる青年の同じそれを指す。
「そう。私だけじゃなくて、先輩も持ってるんだよ。しかも草元素」
「サージュ、それは君以外の多くの人間にとって美点にならないと思うぞ…」
前のめりになって、少年は"メラック先輩"が腰に提げている草元素の神の目を食い入るように見つめる。
草元素そのものに強い想いを抱いているのか、或いは草神が統治する知恵の国に生きる者としての興味か。
秘める心境までをも察知することは出来なかったサージュは、事実だけを指して淡々と青年へと反論する。
「案外そうでもないみたいだけど」
少年は無言で満足のいくまで一頻り色や形を確かめ、身を屈めたまま所有者である青年の顔を見上げる。
「…メラック先輩は、草神様が好きですか」
「ああ。僕は直接お会いしたことはないが…彼女はとても素晴らしいお方だと聞く。知恵に富み、慈愛に満ちていて…この国の全ての民に、等しく優しさを与えて」
不意に問われた言葉に、迷うことなく首肯して自らが持つ草神への敬愛の念を語る"メラック先輩"。
彼女について話す時のサージュ程ではないものの、いつになく饒舌な彼を遮って、少年は瞳孔を大きく見開き詰め寄る。
「会えるん…ですか、あの方に」
「ちょっ、カーヴェ君? 急にどうしたの、落ち着いて」
青年が不覚を悟るより早く、少女が困惑を装って二人の間に割って入り、さり気なく少年を引き剥がす。
彼には気付かれぬよう青年へと耳打ちして、自分達とは生きている時間が違うことを改めて認識させる。
「あの子の知ってる草神様は、スラサタンナ聖処に幽閉されてる身なんだよ」
「! そうだったな…すまないサージュ」
「私に謝るより、今は小さい先輩への上手な返しを考えて欲しいな」
これ以上彼を誤魔化すのは骨が折れると、サージュがクスリと笑んで青年の肩を叩く。
二人が話し終えたのを見計らい、視線を泳がせていた少年が恐る恐る青年に向き直り非を詫びる。
「…取り乱してすみませんでした」
「いや、大丈夫だ。僕の方こそ、気を悪くさせてしまったようで悪かった」
宥め賺すような声音で言う青年へ静かに首を振り、少年カーヴェは自身の内に秘める焦燥を吐き出す。
その瞳の奥には、かつて一番の親友と信じていた相手に粉々にされるまでの彼の生きる礎にも等しかった、両親への罪悪感が滲んでいた。
「もし草神様に会えるのなら…どんな代償を払っても構わない。父さんを、母さんの元に返して欲しい」
制服の胸元をくしゃくしゃに握り締め、唇を食む。少年の悲痛な叫びを目の当たりにした少女は、居た堪れなさに思わず青年へと視線を向けてしまう。
「先輩…」
少女の憐憫とも困惑ともつかぬ眼差しには敢えて気付かぬふりをして、膝を地に下ろし少年と目を合わせる。
そして、過去の己に言い聞かせるように静々と、彼の願いが叶うことは決してないと残酷な真実を告げる。
「残念だが、たとえ草神様であっても…亡くなった人間を蘇らせるのは不可能だ。大切な家族を想い続けること自体は悪いことじゃないが、人は…現在を生きなければならない」
「それでも…僕、は」
喉を痞えさせる少年に、サージュがこれ以上現実を突き付けるのは酷だと再度青年へと顔を向ける。
少女の張り詰めた表情を前に、青年は今隣に立っているのが他の誰でもない彼女で良かったと心の底から安堵していた。
それから"自分"は何の心配もないと笑みを浮かべ、共に少年へと向き直り、破鏡を経て自身の未熟さを思い知る前のこの頑固者をどう懐柔するべきか頭を悩ませるのだった。
「…ッ!」
そんな彼らの憂いも束の間、思い余った少年は二人の間をすり抜け、秘境の奥へと走り出してしまう。
「あ、ちょっと!?」
「まずいよ…早く追いかけないと!」
狼狽するカーヴェの肩を叩き咄嗟に鼓舞しつつ、少女は彼を待ち切れず一人先んじて駆け出す。
まだ小柄な少年ながらも、"妙論派のやんちゃ坊主"故の教員らの叱責により追われることに慣れているらしい脚力は既に磨きがかかっており、あっという間に見失ってしまった。
「どっちに行ったんだろ…」
分岐路に立ち、少女は左右のどちらに彼が進んだか逡巡する。二人で手分けして探すことも考慮しつつ、後から追って来た青年の方へ振り返ると、彼はまさかの第三の選択肢を提示してきた。
「サージュ、深追いは危険だ。引き返そう」
「でも、小さい先輩が」
「大丈夫…あれは僕であって僕じゃない。恐らく、この秘境が見せた幻だ」
孤独の少年への憂慮を拭いきれないサージュに、青年はあの少年が自分とは似て非なる存在だと示す。
「そもそも、当時こんな場所まで来たことはないし、それに…僕が過去に君と出逢っていたとして、その記憶が全くない…なんてことがあり得ると思うか?」
態とらしく大きな溜息を吐いて問い掛けて、青年は少女に心配する必要がないことを表す。
あどけない少年とは異なる今の"カーヴェ"が見せる、単純な言葉では説明できない複雑な感情が入り交じった表情に、少女も苦笑を零し同意せざるを得なくなる。
「…ふふっ。確かに、それは考えにくいね」
「だろ。はぁ…それにしても、当時の僕ってあんなに聞き分けの無いやつだったかな…?」
踵を返して来た道を戻る最中、此度の摩訶不思議な体験から得た客観的な視点を基に自己懐疑に耽ける。
訝しげに首を傾げる青年の一歩後をついて歩く少女は、全く己を客観視出来ていない様に思わず笑いを堪えながら、どうにか波風立たぬよう誤魔化す。
「ええと…どうなんだろう、私は小さい頃の先輩をよく知らないからなぁ」
視線を巧妙に逸らしつつそう零して、サージュは自分が知る限りの幼い、否、"若い"先輩の姿を懸命に思い起こす。
少女が出逢った頃の彼は、既に妙論派の期待の星として名を馳せており、入学して間もない彼女から見れば紛れもない大人だったと言える。
尤も、優秀過ぎる頭脳故に並の人間の苦悩を本当の意味で知らないその星は、凡庸な地の花でしかない少女にとって、どれだけ手を伸ばせども届かない孤高の存在でもあった。
その苛烈な輝きを齎す光の源をかの少年から確かに感じていた少女は、彼の意志の強さや諦めの悪さが今と変わらず昔から持ち続けていたものだと悟っており、それ以上の擁護が出来なかった。
「妙論派のやんちゃ坊主、だっけ。昔から有名だったのは聞いたことあるよ」
「どうして君がそれを知ってるんだ? さてはあいつか…!? ぐう…帰ったら問い詰めてやる!」
「あっ、これ言っちゃいけない奴だった。なんでもない、忘れて」
いつかの日に、少女がとある男から聞かされた青年の不名誉な称号を口にしてその破天荒ぶりを揶揄する。
彼女の前では先輩としての威厳を保ち続けていたいと思っていたカーヴェは、よりにもよって最も隠し通したかった悪評を知られてしまっていたことに驚嘆を示して、それを吹聴したであろうルームメイトに憤慨する素振りを見せた。
「忘れるなんて出来るものか。そもそもその呼び名だって、元はと言えばあいつを庇う為に…」
仰々しく拳を握り締めて、青年はかつて後輩と仲睦まじく勉学に励んでいた幼少時代の記憶を呼び覚ます。
口を開けば悪態ばかりでこそあるものの、心の奥底では今も過去の思い出に憧憬を抱いている様に、サージュは彼らの絆の強さを垣間見て感傷に浸る。
一度は絶縁に程近い痛烈な仲違いを経て、それでも尚、再びの邂逅の後同じ屋根の下で暮らすことを選んだ二人に、少女は自分が間に入る余地などないのだと俯く。
「…本当に、先輩にとってアルハイゼンは…かけがえのない存在なんだね」
改めてそう口にして、彼と出逢ったことで青年が良くも悪くも大きく変貌したことを痛烈に実感する。
運命的な出逢いを経るより前の少年を見たことで、彼女の中でかの完全無欠の書記官に対するどうしようもない劣等感が芽生え始めていた。
「サージュ? どうかしたのか」
「ごめん先輩、今行くよ」
足取り重く立ち止まってしまっていた少女の名前を呼び、不思議そうな顔で彼女を見つめるカーヴェ。
少女はすぐにその声に応え、せめて少しでも彼の傍に近付きたいと、踵に力を込めて一歩を踏み出した。