短編集
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「そういえばさ、二人は一緒の家で暮らしてるじゃない。で、同じ草元素の使い手でしょ」
とある夜、酒場での一幕。因論派に籍を置く少女は、最も長い付き合いとなった知論派出身の書記官へと、ふとした疑念を問い掛ける。
「…ああ、それがどうかしたのか?」
「お互いの神の目を間違えて持ち歩いたこととか、実は一回くらいあったりしないの?」
それは、神の目について。ひょんなことから自身のかつての先輩である妙論派の青年と共に暮らす男に、奇しくも彼が同じ草元素の神の目を得ていたことによる不便が生じてはいまいかを尋ねる。
けれど男は至って平然とした様相で杯を呷って、少女の期待に満ちた目を否定するかの如く首を横に振ってみせた。
「結論から言えば、俺は一度たりともそんな失態を犯したことはない。俺とあいつの神の目では、そもそも大きさが一回りくらい違う。間違えて触れたとしても、感覚でわかる」
理路整然と語る様に、サージュは一度は納得し感嘆を零す。しかし彼の微かな表情の変化から、その逆のパターンが実際にあったことを機敏に感じ取り、好奇にニヤリと笑んでそれを確かめる。
「ふーん。"俺は"ってことは、じゃあカーヴェ先輩は取り違えたことがある、と」
「あいつの酒癖の悪さは君も知っての通りだろう。彼が泥酔して帰宅したとある日、その翌朝…俺のものではない神の目が机の上に残っていた」
「それ、どうやって解決したの? お互い大変だったでしょ」
予期せぬ事態を目の当たりにした際の記憶を語る男に、少女は驚愕と共に当時の心労を推察する。
ところが彼はまたも努めて平静を保ったまま、自分にとっては些事でしかなかったと笑った。
「どうもこうもない。神の目がなくとも、俺が困ることは特にないからな。そのまま一日を過ごしたよ」
「それもそっか、確かにアルハイゼンには自慢の筋肉があるもんね」
彼が持つ、一介の事務員という肩書に対しては不相応でさえある、鍛え上げられた屈強な肉体を指して何度も首肯する少女。
その上で、青年はやはり彼とは異なる反応を見せたのだろうと尋ねると、当時の記憶を思い起こしたアルハイゼンは深い嘆息を吐き、ストレスを低減させるかのように追加の酒を注文する。
「ちなみにその時、先輩はなんて言ってた?」
「間違えたこと自体を棚に上げて俺を詰ってきた。やれ君には優しさが足りないだとか、先輩が困っているのだから届けに来るべきだ、とかな」
「流石カーヴェ先輩、その光景目に浮かぶよ」
彼女もまた酒が入って高揚しているのか、完全に二人の間柄を無視して楽しんでいるとしか思えぬ笑みに、男が眉を顰める。
「ところでサージュ、そんなことを聞いてどうする。君は一人暮らしなのだから、間違えて持って行く同居人はいない筈だろう」
「まあ、それはその通りなんだけど。なんとなく気になってさ。一応この学院内には同じ氷元素の友達も居るから、万が一ってことは起こり得るかもしれないし」
基本常に腰に提げて肌身離さず持ち歩いている神の目に視線を落とし、感慨を込めてそう答えるサージュ。
狂信的過ぎると言っても過言ではない程の草神信徒である少女は、その苛烈な性格からか学院内での立場はあまりいいものではなく、必然的に親しい相手もそう多くはなかった。
そんな彼女が、自分の知らない場所で交友関係を築いていたことに思わず驚愕し、男は声を上擦らせてしまう。
「…君に友達が居たのか」
「そりゃ居るには居るよ、少ないだけで。というかその前に、アルハイゼンのことだって…私はかけがえのない友達だと思ってるよ」
驚いた様子の男へと憤慨し、彼女は己が学院内で完全に孤立しているわけではないと口を尖らせる。
そもそも彼に対してでさえ、少女の認識に於いては友人の範疇に含まれるのだと告げると、当の本人は全くそう思ってはいないと肩を竦めた。
「俺は君を友人の一人として数えたことはないが」
「え、そうなんだ。ちょっとショック…」
「…」
落胆して机に伏し、揺れるグラスの中身を見つめるサージュ。酒精によって桃色に染まった頬と悲愴を秘めた瞳から、男はどこか居た堪れない気分になってしまう。
そんな彼の救世主足り得る立ち耳の少年が、物珍しさを露わにして二人の元へと近付き、ごく自然に男の隣に座り相席し始めた。
「あれ、アルハイゼンにサージュ? 珍しいね、カーヴェが居ないのに二人で飲んでるんだ」
彼はティナリ。生論派出身で、今はこの酒場があるスメールシティではなくアビディアの森でレンジャー長を務めている優れた人材の一人だった。
「ティナリ君こそ、セノ君と一緒じゃないんだね」
「いや、元々今日はご飯の約束してたんだけど…居ないってことは、まだ仕事中ってことかな。僕の方が先に着いたみたい」
互いに旧知の仲であり、かの少年が一人で酒場に来ることの方が稀有であると感じた少女が、彼の隣に居るべき存在について問うと、当然のことのように夕食を共にする約束を交わしていたことを語る。
街と森、そう頻繫に顔を合わせるにも距離と言う無視出来ない壁、その煩わしさを度外視してでも会食を行う殊勝さに、アルハイゼンもまた彼らの友情を手放しに称賛する。
「相変わらず仲が良いんだな」
「そりゃまあ、一番の親友だからね。でも君達二人も、院ではよく一緒に居る姿を見るってセノから聞くけど…ぶっちゃけどうなの?」
唐突に自身らへと話題を投げ戻され、少女は羞恥に顔を真っ赤にして狼狽する。長年にわたり秘めてきた男への感情と、先刻の反応の薄さの落差から、どう答えるべきか逡巡してしまう。
まともに言葉を発することさえ儘ならない状態の彼女に代わり、男は自分達もこの奇妙な関係性についての答えを求めていると告げる。
「へっ…!? え、えっと…」
「君がこちらに来る直前、丁度そのことについて議論しようとしていたところだ」
「ふーん…じゃあ、別に付き合ってるってわけじゃない、と」
両手に顎を乗せ肘で頭を支え、意味深長に微笑むティナリ。どこか挑発的にも思えるその笑みに、男は敢えてそれを意にも介さぬ様子で、彼女と自分が特別な関係ではないことを念押しする。
「ああ。改めて確かめるまでもないことだと思うが」
「そうでもないよ。サージュ、村のレンジャー隊の皆から結構人気だからさ。意外と狙ってる奴、多いんだよね…」
鋭い目で睨むようにそう答えるも、色恋に浮かれる仲間達に日々頭を悩ませている少年にとって、彼女に恋人が居るのかどうかについては、確認せねばならない重要な事項のひとつであった。
明確な答えが得られたことで安堵するのも束の間、横から渦中の張本人が勢いよく立ち上がって声を張る。
「ちょっと待って何それ、初耳なんだけど」
「当たり前だろ? 今初めて言ったんだから」
憤りを見せるサージュに、少年は自慢の耳を揺らして口角を上げる。歯に衣着せぬ物言いに反抗する気力を失った少女は、呆れたように息を吐く。
それからゆっくりと椅子に座り直して、自分が彼らへの助力を申し出る理由は、決してそのような浮ついた邪心によるものではないのだと、彼らを束ねる長であるティナリへと詰め寄るのだった。
「はぁ。ティナリ君、そこはちゃんと指導しておいてよ。私、そういうつもりで皆の手伝いしに行ってる訳じゃないのに」
「ごめんごめん、後でお灸を据えておくから許して欲しいな。ま、でも…そうやって君を密かに想う人は少なくないんだから、気をつけなよ?」
「ん、わかった…忠告ありがとうティナリ君」
迫真の表情で凄む少女に慌ただしく非を詫びて、けれども自分にも言い分があるのだと彼女を宥め賺す。
冷や汗交じりにサージュへと伝えたかったことを告げ、そして横で無言のまま杯を呷る男を一瞥する。
一瞬だけ向けられた視線を逃さず察知した男は、すぐにその視線の主に目を向け牽制の意図を込めて声を上げる。
「…何故こちらを見る?」
「いや、別に。サージュが悪いのか君が悪いのか、どっちなんだろうなって」
人と積極的に関わること自体を好いていない性分にも拘らずサージュにだけは強い執着を見せる男と、一見誰にでも快く笑い掛けながらも、長年の付き合いがあるアルハイゼン以外には決して本心を見せない少女。
此度の少年のように一歩俯瞰した視点から見れば、互いに友人として以上の大きな感情を抱えていることは明白なのだが、二人のどちらもがそれを頑なに認めようとはしなかった。
彼らが自分達の関係性について明確な答えを見つけるには、まだまだ長い時間が必要なのだろうと、ティナリは呆れ顔で苦笑するしかなくなっていた。
「すまないティナリ、遅くなった。ん? お前達も居たのか」
喧騒を掻き分け、黒衣を纏った大マハマトラことセノが親友の元に歩み寄って、唯一の空席である彼の正面かつサージュの隣に座す。
続けてその背後から、欠けたパズルのピースを埋める星とも呼べる立ち位置の青年が、少しだけ家主に対しバツが悪そうに顔を出してみせた。
「セノ君! と、あれ…カーヴェ先輩も連れて来たんだ?」
「偶然道で項垂れていたから拾ってきた。それにしても、随分と盛り上がってるようだな」
「やあサージュ。会えて嬉しいよ」
五人となったことで追加の椅子を用意してもらう傍ら、カーヴェは後輩の少女へと煌びやかな笑みを向ける。
それから席の奥で自分など見えていないかのように悠々と酒を嗜む男に、一人除け者にされていたことを責め立てる。
「全く水臭いぞ。皆で飲んでたのなら、僕も誘ってくれたっていいだろ」
「自分で自分の飲食費も払えないのにか? 生憎俺はそこまで聖人君子ではない。セノ、この野良犬…元いた場所に戻して来てくれないか」
快く酒を堪能していたところを阻害される形となり、静かに激昂し語気を強めるアルハイゼン。
居候としての立場を弁えない青年を睨み、容赦のない罵倒を以て彼を連れて来た張本人へと不服を申し立てる。
「おい! 人を野良犬呼ばわりするな!」
「そうだよアルハイゼン。彼を野良犬と評するのは、犬に失礼だよ」
「って、ティナリ!? ちょっと待ってくれ、まさか君までそんなことを言うなんて…」
既に大分と酔いが回っているのか、少年は平時よりも更にストレートな言い回しで笑ってみせる。
いくら互いに遠慮するような間柄ではないとは言え、友人にそこまでの侮辱を受けるなどとは思っていなかった青年は困惑して慌てふためく。
収拾の着かない事態に発展しかねないと危惧したサージュが、すかさず彼らの間に割って入り助け舟を出すと、男は渋々ながらも存外素直に了承の意を示すのだった。
「まあまあ、皆で割ればそんなに高くつかないだろうし、ここは私に免じて…ね?」
「チッ…仕方ないな」
「相変わらずサージュには甘いんだな、お前は」
渾身のジョークを考えていたのか、あるいは。傍観に徹することとなっていた最後の一人が、微笑を浮かべて少女への従順さを揶揄する。
しかし指摘された当の本人は全く身に覚えがない様子で首を傾げ、態とらしく惚けてみせる。
「さて、何のことだか」
「まさか…自覚がないのか?」
意図してそうしているつもりはないと言わんばかりの飄々とした表情に、セノは男の本心を悟れず訝しむ。
すると向かいに座っていた親友が身を乗り出して耳打ちし、彼の心情を理解するのは困難を窮めると笑う。
「アルハイゼンはそういう奴だよ、セノ。カーヴェのことだって、自分から保護しておいてあの言い様なんだし」
「…フッ、それもそうだったな」
詳細な事情は彼らが知る由もないが、事実としてアルハイゼンはかつて袂を分かった"先輩"を自らの家に引き込み、住処を提供している身である。
だがそれでも彼は、温情を与えた相手に向けているとは到底想像もつかないような、皮肉めいた言葉を常日頃から同居人へと浴びせている。
そのように自分の本心を決して人に悟らせようとはしないその性分に、仕事柄多くの人間が本性を曝け出す姿を見てきた大マハマトラもまた、一番の友人の言葉を信じ頷く。
「それじゃ…乾杯!」
一方、年長者としての責務からか単に趣味なのか、徐にグラスを掲げ音頭を取り始めるカーヴェ。
しかし反応したのは奥に座る少女一人で、他の男性陣は皆彼の声に耳を傾けてさえいないようだった。
「先輩、音頭取るのはいいけど…何に乾杯するのさ」
「何でもいいだろ? こういうのは雰囲気が大事なんだか、ら…」
唯一聞いていたサージュに乾杯の大切さを説いていた青年が、ふと少女の手前に位置する素論派出身の優等生に視線を落とし、思わず言葉を失ってしまう。
彼は青年の動向を気にも留めず、既に料理を口いっぱいに頬張っており、乾杯などと悠長に構えている余裕はないと示唆する。
「どうした、早く食べないと無くなるぞ」
「ぐっ…わかったよ。そっちのフィッシュロール、僕にも一切れ」
「人にものを頼む態度か、それが」
諦念に静々と座り直して、青年は彼らが食べている料理を分けてもらうように手を差し出す。
不遜な口振りにか、あるいは。すっかり臍を曲げてしまった男が、わざと同居人から皿を遠ざけて無様な懇願を求める。
彼らの相変わらずの険悪さに顔を顰めた少女は、咄嗟にアルハイゼンの手からそれを奪い取る。
そして間に居るセノの背越しに手渡して、改めて正面の男が見せた過度な加虐心を咎めた。
「アルハイゼン、あんまり虐めないの。カーヴェ先輩可哀想だよ」
「虐めてなどいない、これは躾だ。どちらの立場が上か、こいつは未だに理解していないようだからな」
「確かに今はアルハイゼンが自分の家に住ませてあげてる立場かもしれないけど、先輩が居なかったら…そもそもあんな一等地住めなかったでしょ」
スメール現書記官の彼が暮らす住まいは、かつて"先輩"との共同研究を評価されたことで得たものであった。
研究の過程、そして成果をよく知る少女がその事実を指摘すると、男はそれ以上は何も言わず押し黙る。
「はぁ、僕に優しくしてくれるのは君だけだよサージュ…本当にいつも感謝しているよ」
受け取ったフィッシュロールを大事そうに咀嚼し、疲れ切った様子で謝意を伝えるカーヴェ。
まだ一杯目にも拘らず、その声音は既に酩酊の気配を感じさせるゆったりとしたものとなっていた。
「ちょっとカーヴェ、席替わってくれるかな…うん、ありがとう。でさ、セノ…僕思うんだけど」
「なんだ」
眩しいとさえ感じさせる晴れやかな笑みを浮かべる少女を横目に見ながら、ティナリは青年と座席を交換し、隣同士になった親友へと耳打ちする。
「彼女、あれで無自覚なんだよ。隊の皆が勘違いするのもわかるだろ?」
「そうだな。だが、それがサージュの魅力のひとつなんだろう…でなければ、あの堅物がああして心を動かされることもない筈だ」
三人に聞かれぬよう声を潜め、少年達はサージュを中心とする奇妙な三角関係の形成を語る。
天真爛漫に人々を魅了して止まない少女に翻弄される彼らとその余波に苦笑して、外野としての気苦労を嘆く。
尤も少年の表情には決してネガティブな感情はなく、この状況をどこか楽しんでいる節が垣間見えていた。
「ま、それはその通りなんだけどさ。けど、そのせいでアルハイゼンは相変わらずカーヴェや僕に対する目付きが鋭いし…はあ、このままじゃ身が持たないよ」