短編集
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「おいアルハイゼン、今日はサージュの誕生日だぞ」
秋の訪れを感じさせる少し肌寒い朝のこと。朝食の皿を並べていた青年が、家主の顔を見るなり声を張り上げる。
コーヒー片手にいつもの場所に座った男は、与えられた朝食に手を付けながら、喧しさしかない彼のしたり顔に対し辛辣な視線を向ける。
「それを俺に話してどうする」
「どうって…祝う以外に何をするって言うんだ。まさか君、あれだけ長い間一緒に居て…一度も彼女の誕生日を祝ったことがないのか?」
驚きに満ちた表情でそう答え、短くない歳月を共に過ごしている相手である筈の少女への想いがその程度でしかないのかと疑念を募らせる。
この無愛想な男の他人への興味関心の薄さを見誤っていたと考えを改めようとして、彼から齎された意外な答えに青年は目を見開いた。
「サージュの誕生日を俺が祝おうが無視しようが、君には関係ないことだ。余計な詮索は止めて、彼女を祝う為の金で俺へのツケを払ってくれ」
食事の手を止めないまま、男は借金の返済を要求する。論点に対する答えを明確にせずはぐらかし、巧妙に話題をすり替えるのは、劣勢を悟った彼の常套手段だった。
正論ではあれど現状では一切関係のない問題を持ち出して本心を覆い隠す様に、かつて先輩だった者としてカーヴェは世話焼きの血が騒ぎ始める。
そしてこれを機に二人の関係が更により良いものになることを願い、意味深に口角を上げた。
「ふん…いいさ、ツケは払う。今月は多少余裕もあるしな。それで、その金でサージュに何を買うんだ?」
「君には関係ないと言った筈だが」
数日前に酒場で代替させた額と同じだけのモラを机に載せ、得た金銭でどんなプレゼントを用意するのか問い掛ける。
しかしアルハイゼンは煩わしい追究に再度釘を刺して、憤懣を隠すことなく彼から受け取ったモラを乱雑に掴んで財布に捻じ込む。
それから一切同居人の顔を見ることなく席を立ち、家事の全てを押し付けて逃げるように家を出てしまった。
「あっ、おい! うーん…ちょっと揶揄い過ぎたか…? まあいいか、あいつももう少し自分の感情を自覚すべきだ」
自省らしき言葉を口にしつつも、普段の生活では男から散々な言われようの青年には罪悪感など全くなく。
―
「はぁ…全く、朝から騒がしいやつだ」
苛立たしさを少しでも低減させようと独り言ちて、けれどその試みが意味をなさない程の強いストレスを感じていることに嘆息を零す。
カーヴェから逃れる為に定刻より早く家を出たこともあり、平常通りに書記官としての職務に従事する気も失せた彼は、通勤経路に背を向けて坂を下り、トレジャーストリートへと歩みを進める。
「…」
ふと、雑踏の中に見慣れた影を見つける。それは言うまでもなく、今朝の話題の中心たる少女サージュであった。
その姿を一目見た瞬間、外出前に青年が自分に向けて口にした疑問が嫌でも脳裏に過ぎってしまう。
結論だけ言うならば、これまでにサージュの誕生日を男が祝ったことはなく、年を越した後に来る己の誕生日に彼女からの祝福を一方的に受けるだけであった。
揺らがぬ平穏を何よりも愛する男にとって、誕生日は決して特別な日などではないという信念と、彼女自身もまた、自分がこの世界に生を受けた日を喜ぶ性分ではないというのも、今日と言う日を日常の一節と溶かしてしまうには充分過ぎる理由のひとつだった。
だからこそ、青年に植え付けられた邪念に心を揺り動かされることなど許されず、男は彼女に気付かれぬ内にこの場を離れるべきだと踵を返そうとする。
が、抱いた意思を実行に移すよりも一瞬早く、どこか嬉しそうな声がヘッドホンの遮蔽を潜り抜けて男の耳に響く。
「あっ、おはようアルハイゼン。この時間にこんなところに居るなんて珍しいね、また仕事サボってるの?」
「だったら何だ、君こそ早く院へ向かわないと遅刻するが」
売り言葉に買い言葉で、少女が教令院での授業を受けずに市場で悠々とショッピングに勤しんでいる不自然さを指摘する。
すると少女は、今日は学院で机に向かって勉学に励む日ではないのだと、あっけらかんと答えるのだった。
「今日はいいの。私もサボり」
はにかみながらそう微笑んで、サージュは男から視線を逸らすように露店の商品へと向き直る。
まだ買い物を始めてから間もないのか、あるいは購入意欲は最初から皆無なのか。手には何も持っておらず、彼女がショッピングを主目的にトレジャーストリートへ赴いたのではないと見抜いてしまう。
「ほう? 珍しいな。三度の飯より草神を愛する君が、彼女について学ぶ機会を投げ打ってまで休暇を取るなど…スメールシティに雪でも降らせるつもりか」
「なんでそうなるの、いいでしょ私が勉強サボっても。たまにはそういう気持ちになる日だって私にもあるよ」
「…それは、今日が君の誕生日だからか?」
びくりと、少女の肩が一際大きく跳ねる。図星を突かれて言い訳の余地を失った彼女は、乾いた笑みを浮かべてアルハイゼンの推測を肯定してみせた。
「やっぱり、キミにはわかっちゃうんだね」
視線を落とし、腰に提げてる神の目を指先で弄ぶ。氷元素の力を有する宝玉が白く煌めいて、朝陽を受け柔らかな光を灯す。
身を包む劫火によって一度は失うことを覚悟した命、それを繋ぎ止めた奇跡の結晶。彼女にとっての神の目とは、自らの命を象徴するに等しい代物だった。
「誕生日ってさ…やっぱり人生の中では節目にあたる日じゃない。だから、どうしても…色々考えちゃうんだ」
雲一つなく青く澄み渡る秋の空と反比例するかのように、サージュの表情はみるみる曇っていく。
生まれた国が違う両親を持つという出生の特異性や、凄惨な事件による被害、そして学院での立場。
年齢に対し人よりも多くの苦難を経てきた少女は、今日この日ばかりは己の生き様を考えずにはいられないのだと告げる。
「って…ごめんね、暗い話しちゃって。私のことはいいから、キミは自分のことした方がいいよ」
「心配には及ばない。今日は目的があってここに来たわけじゃないからな」
「え、そうなの? なら、仕事に戻るべきなんじゃ…」
重苦しい話題が続くのを嫌い、少女は慌ただしく両手を振り、こんなところで談笑している場合ではないのではないかと男を案じる。
その憂慮を払う意を込めて、アルハイゼンが特に急ぐ用もないことを伝えると、今度は書記官としての職務怠慢を咎められ、彼は己を棚に上げて語る少女を詰る。
「君に言われたくないな。今を生きる人々にとって…自分が生まれた日など、そう特別な日でもない。そんな些細なことを理由に、勉学に励むべき貴重な時間を無駄にするなど…学者としての自覚が足りないと言わざるを得ない」
感情の起伏を人に悟らせることの稀な男が、珍しく憤りを隠さず自分を説き伏せ始め、思わず少女は呆気に取られる。
だが、やがてその言葉の裏に秘められた熱意を察知し、破顔して己に出来うる限りの皮肉を交えた感謝を伝える。
「ふふっ…ぐうの音も出ない正論、どうもありがとう。皆が皆、キミのように考えられれば…自分の人生について悩む人はもっと減るだろうね」
自分には到底理解不能な思想だと、そう告げる瞳には今も尚、隠しきれない哀嘆が込められていて。
けれど決して涙は零さず、抱いてしまった悲愴を不屈の闘志へと変容させるべく初心に立ち返る。
その中で、愛する自国の歴史を学び紡ぐ為に役立つ蔵書が彼の家にあったことを思い出し、それらを借り受けたいと希求に首を傾げた。
「…あ。ねぇアルハイゼン、確かキミの家に…何冊か歴史の本があったよね。折角だから、今日借りてもいいかな」
「構わないが…あれらは既に一度読んだものではなかったか?」
不慮の事故により若くして亡くなったアルハイゼンの両親、その内母の方は、奇しくも少女と同じ因論派に籍を置く有名な学者の一人であった。
彼女が生前に遺した学術論文や研究データ、あるいは持論を書き記した蔵書の数々は、"後輩"にあたる少女にとって、この上なく貴重なものとなる。
故に、以前にもその知識の礎を読み解く機会を与えた記憶が朧気ながらも残っていた男が怪訝そうに訊ね返すと、サージュは彼の認識が正しいことを認める。
その上で、だからこそ今もう一度目を通す必要があるのだと、真摯な眼差しを以て納得させる。
「そうなんだけど…最近の講義で学んだことと、あの本達とで…どれくらいの相違があるか、改めて確かめたくなってさ」
「わかった。それなら君は、先に知恵の殿堂に向かうと良い。見つけ次第持っていくから、いつもの場所で待っていてくれ」
「ん、ありがと。じゃあ、また後でね」
少女の頼みを快く承諾して、再会の約束を交わす。軽やかな足取りで院への道を歩む背を見送って、男は帰路を歩む。
家に着き扉を開錠しようとして、鍵穴に鍵を差した感覚の違和から、そもそも施錠がなされていないことに気付く。
また居候が鍵を閉め忘れて出て行ったのかと溜息を吐いて扉を開くと、予想に反してカーヴェは家を出てすらおらず、驚いた様子で家主を出迎えるのだった。
「アルハイゼン? 仕事に行ったんじゃなかったのか」
訝しむ声を無視して、男は生家から持ち出して来た家族の遺した本を保管している書庫を目指す。
反応がないことに腹を立てた青年は態とらしく足音を立て彼を追従し、今度はヘッドホンの遮音を貫通させる程の声量で改めて問い掛ける。
「おい! 何を探しに戻ってきたんだ、正直に教えてくれればこの先輩が手伝ってやらないこともないが」
「騒々しい、俺が自分の家に自分の蔵書を取りに来て何が悪い」
恩着せがましい"先輩"による重圧に辟易しつつ、はぐらかすと後が面倒だと悟り、渋々真実を伝える。
普段の生活では情けなくも借りを作ってばかりの青年は、貸しを作る機会を逃すまいと助力の意思を見せるも、当のアルハイゼンは意固地になってその企てを拒む。
「本を、って…どれのことだ? 多すぎて見当がつかないぞ」
「君の助けを借りるまでもない。目的の書物の場所くらい把握しているに決まっているだろう」
数え切れない程の本が所狭しと敷き詰められた本棚から、的確にサージュへの手土産となるものを抜き出す。
あれもこれもと抱えていく内、それらはいつしか視界を遮る高さにまで積み重なり、ある種壮観な光景に青年が呆れて苦笑交じりに手を差し伸べる。
「あのなあ…一度にそんな大量に抱えたら、まともに前も見えないじゃないか。半分持ってやるから、どこに持って行くか教えてくれ」
「…知恵の殿堂だ」
目的地を告げるだけならばと安易に口にしたが最後、男が隠したかった筈の少女の存在を目敏く見抜くカーヴェ。
二人の仲を進展させるいい機会だと、嬉々として玄関の戸を開き、彼女の元に一刻も早く向かうべきだと意気揚々と歩き始めた。
「そうかそうか、じゃあ善は急げだ! ほら行くぞ、早く彼女にこれを届けてやらないとな!」
―
知恵の殿堂の最奥、人々からの好奇の目を避ける娘が築いた堅牢なシェルターと化したとある一角。
自身の書き記したノートを読み漁りながら男を待っていた少女は、聞こえてきた足音がひとつではないことに驚嘆を露わにしつつ、彼らを歓迎する。
「アルハイゼン! …と、カーヴェ先輩? 珍しいね、二人が揃ってここに来るなんて」
「こいつは無理矢理ついてきただけだ。無視して構わないよ」
運んできた本を二人で共に机に載せる傍ら、男は青年の存在そのものを邪険に扱い微笑を浮かべる。
ぞんざいな扱いを受けることに既に慣れてしまっているのか、カーヴェは諦念に息を吐いて少女へ耳打ちしてみせた。
「全く…サージュ、君はこういう心の狭い大人になるんじゃないぞ」
青年と少女の間に割って入って堂々と隣に座り、外敵を威嚇する隼の如き鋭い目で睨むアルハイゼン。
負けじと青年が声を張り上げて応戦する心構えを見せると、奥で彼らの持ってきた本を大事そうに抱く少女が激化し始めた口論を制止する。
「悪口なら聞こえないように話せ。余程俺の家から出て行きたいのなら話は別だが」
「君ってやつは…! 一緒に運んでやったのに、感謝の言葉もないのか?!」
「ちょっと、うるさいよ二人とも。持って来てくれた本読ませて、邪魔しないで」
喧嘩両成敗と言わんばかりに、口を尖らせて男達をじっと見つめる。至極真っ当な諫言に反論の余地はなく、二人は素直に彼女へと非を詫びる。
「すまない、少し熱くなり過ぎた」
「…悪かった」
それぞれから告げられた誠実な謝罪を以て彼らの愚行を清算し、サージュは改めて謝意を伝える。
笑みには喜びが灯り、彼女がこれらの本を貸し与えられたことを心から嬉しく思っている様子が見て取れた。
「ん。本…こんなに沢山持って来てくれて嬉しいよ、アルハイゼン。カーヴェ先輩も、手伝ってくれて感謝してる」
その後、少女は宣言した通りに男の蔵書を読み耽る。青年達は彼女が学者としての使命に真剣に向き合う姿を静かに見守り、そして。
「ねえ、ここの記述なんだけど…昨日の講義では真逆のこと言ってたんだよね。どういうこと?」
「どうと言われても…歴史を学ぶ上で、それまでの定説が新たな骨董品や文献の発掘により覆ることなど、そう珍しくもないだろう」
「そっか。確かに…そう、だよね。アルハイゼンのお母さんみたいな、偉大な人達の遺した記録が無用の長物になっちゃうのは少し寂しいけど、仕方ないか…」
何冊目に手を付けたか知れぬ程に時間が経った頃。徐に少女が顔を上げ、本の持ち主へと疑問を呈する。
問われた門外漢は、論点そのものに対する局所的な話題には触れず一般論で返すと、彼女は眉を下げて愁いを零した。
「サージュ。彼女達が紡いだ軌跡は、決して無駄にはならないさ。その功績があったからこそ、今の君達が正しく懐疑を経て、真実に向き合えるのだから」
「…うん。ありがとう、先輩」
横で二人の会話を聞いていたカーヴェが、結論を悲愴で終わらせぬ為にと持論を告げ少女を宥める。
少し気障にも感じられる、けれども確かに心を打つ慰めに少女は尤もだと頷いて、何度目かの感謝を口にする。
それから再び読書に戻ろうとしたその刹那、彼女の懐から不思議な音色のアラームが小さく鳴り響く。
「あ、もうこんな時間だったんだ。ごめん二人とも…私、行かなくちゃ」
音の出処である懐中時計を取り出して鳴動を止め、他の用事があることを思い出したサージュが慌ただしく席を立つ。
隣国のフォンテーヌにて暮らす父親からの援助を受けず自立した生活を送る彼女は、学業の合間に冒険者協会所属の冒険者としても日々懸命な活動に励んでいた。
「また冒険者協会の依頼か? 日銭を稼ぐ為とは言え、無理はしない方がいい」
「大丈夫。今日は確か楽な仕事だった筈だから、心配ないよ」
学生としての身分に不相応な労働に少女の身を案じる男に、此度の依頼は疲労が蓄積するような過酷なものではないと笑って。
「じゃ…またねアルハイゼン、カーヴェ先輩。本は読み終えたら返すから、置いたままにしておいて欲しいな」
「待ってくれ、最後にひとつだけ…誕生日おめでとう、サージュ」
退出の準備を整えて、迫る別離に手を振る少女。彼女が去ってしまう前にと身を乗り出して、カーヴェが忘れてはならない祝福の言葉を贈る。
「…! ありがとう先輩、二人のお陰で今日は楽しかった。誕生日がいい日だと思えたの、何年振りだろ…」
驚きを露わにサージュは一瞬だけ目を見開いて、それから柔らかな笑みを浮かべ力強く頷く。
久しく感じていなかった、特別な日の幸福に漏れ出た感嘆に、青年は今朝の男が見せた不穏な態度による違和感の正体を知る。
「そうか、だから今朝のアルハイゼンは怪訝な顔をしていたのか…」
「ああ。誕生日は嬉しいもの、などという自分の常識が誰にでも通用するとは限らない。いい教訓になったんじゃないか」
「待って先輩、人からお祝いしてもらうことまで嫌な訳じゃないの。だからちゃんと嬉しかったよ」
認識の差異が齎した浅慮による迂闊な発言を揶揄して、男は憤懣を隠すことなく腕を組む。
しかし祝福の言葉を受けた当の本人は、それが世辞では決してなく、しっかりと喜びを抱いていることを包み隠さず伝える。
するとカーヴェはしたり顔で男の肩に重みを預け、彼女への祝いの言葉を贈るチャンスを作り出す。
「そうなのか? なら、君も言ってやるべきだアルハイゼン。話を聞く限りだと、今まで言ったことないんだろう」
「わ、嬉しいな。えへへ…じゃあ、アルハイゼンからのお祝い聞いてから行こっと…」
そう捲くし立てる青年の言葉を聞き、姿勢よく椅子に座り直して、はにかみながら祝福を待つサージュ。
完全に外堀を埋められ観念した男は深く息を吸って、出会ってから何年もの間言えずにいた万感の想いを告げた。
「…誕生日、おめでとう」