概要+短編
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「アルハイゼン、見てみて!」
普段は本の虫である少女が、今も本を読み耽り呼び掛けにすら曖昧な反応しか見せぬ男へと、嬉しそうに手に持った機械を見せびらかす。
「写真機を貸してもらったんだ」
「…ああ。それで?」
読書を邪魔された苛立ちからか、単に全く興味が無いからなのか。仮にも友人である筈の彼女への反応としては最悪にも近いものを見せるアルハイゼン。
しかし、そんな辛辣な対応などとうに慣れきっている少女サージュは、構わず写真機のレンズ越しに彼を視界に納める。
「折角だから誰か撮らなきゃって。アルハイゼンは本を読んでるだけでも良い画になるね」
彼は性格こそ自由奔放で人からの好意など気にも留めない質だが、外見については他者の視線を集める秀麗さを持った身だ。
無造作に跳ねた髪は瞳を隠す程の長さにまで伸びており、それが逆に整った長い睫毛を際立たせている。
肌には傷一つなく、健康そのものと言うには少し青白さを感じさせる。インドア派な彼を象徴していると言っても良いだろう。
「…撮影のモデルになることを許可した覚えはないが」
「減るもんじゃないし良いでしょ?」
レンズの視線を煩わしく思ったか、アルハイゼンの低い声音が静寂に響き渡る。
だが少女は不機嫌を露わにする彼にも構わず今にもシャッターを切ろうと指を掛けつつ、一応の許諾を得る為に問うが、男の返事は芳しくないものだった。
「断る。こうして無駄な問答を繰り返している間にも、俺の読書の時間が減っている」
完膚なきまでに論破されてしまい、開いた口が塞がらなくなるサージュ。
両手でしっかりと持っていた写真機が次第に下へ下へと降りて行き、呆然と俯くしか出来なくなってしまった。
「…ごめん。邪魔するつもりはなかったんだ」
意気消沈にどうにか非を詫びるべく、それだけ告げる。わかっていた結末だと思っていた筈だが、胸に空いた穴は予想よりも大きなもので。
勿論アルハイゼンの言い分も何ら間違ったものではない。彼にとっては被写体になる利点など何も無く、寧ろ集中を削がれるだけでデメリットしかないのだ。
そもそもの見立てが甘かったと落胆に肩を落としつつ、諦めるつもりは毛頭なかった。
どうすれば彼を撮る大義名分が得られるか。彼女の思考は、既に次の作戦へとシフトしていた。
「…」
遂行出来そうもない案が思いついては消え、時間だけが刻々と過ぎて行く。やがてアルハイゼンは読んでいた本を閉じ、今度はサージュが彼の蔵書の上に置いていた冊子に手を伸ばす。
耳を覆うヘッドホンの遮音機能を作動させているのか彼女の存在さえなかったかのように振る舞う彼に、いっそ許可なく無言で撮ってしまおうかという邪念が脳裏を過ぎる。
しかしその強行は彼女の中では最終手段だった。それを実行したが最後、下手をすれば二度と口を聞いてもらえなくなる危険を孕んでいる。そんな哀しい未来は絶対に回避しなければならない。
サージュは先ずは損ねてしまった彼の機嫌をどうにかしなければと思うものの、現状では困難を窮めるだろうと嘆息を零すしかなかった。
「ふむ」
冊子に目を通していた彼が、感嘆の声を漏らす。少女は気付いていなかったが、その冊子は写真機の取り扱い説明書。構造や撮影方法を事細かに記載したそれを読み、意外にも興味を持ったようだ。
常に新しい知識を求める彼にとって、未知の技術というものは新たな発見の宝庫。遮音を目的にとはいえ、己が身につけているヘッドホンを自作してしまう程度には、彼は技術面においても貪欲であった。
「サージュ。その写真機は独自の光源が着いた最新式のものらしいな」
「え、そうなんだ? どこだろ…」
男が説明書から読み取った、彼女が気付いていないであろう隠された性能について触れる。
機体をクルクルと回してその光源の在処を探す彼女から写真機を掠め取り、彼はフラッシュ機能をオンにする。
「あっそこかぁ。それもそうか、被写体をより撮りやすくする為に使うんだもんね」
光の放たれた写真機を目の当たりにし、サージュは納得した様子で深く頷く。
その程度すら理解せずに使おうとしていた彼女に、男は然るべき疑念を包み隠さず伝える。
「君はこの説明書を読まずに写真機に手を出したのか?」
「う…ごめんなさい、少しでも早く使ってみたくて」
「今俺に謝る必要はない。だが、使い方も知らず手を出すのは些か危険に思えたから忠告したまでだ」
叱られた子供のような、哀しみに満ちた様相を見せるサージュ。ただ彼は怒っているわけではなく、どちらかと言えば彼女を心配していた。
その証拠に、怒りは感じさせないよう努めて落ち着いた声色で、諭すように語った。
「自身の所有物ならともかく、これは借り物なのだろう。不用意に扱って故障したら、責任を取るのは君だぞ」
「…はい」
ぐうの音も出ない正論に、少女はいかに自分が早計だったかを思い知らされる。
自己嫌悪に陥りストレスが噴出した不服そうな表情に、彼は眩しい光を消すついでに写真機のシャッターを切った。
「あっ! 私には撮らせてくれなかったのに!」
「撮ってくれと言わんばかりの表情だったから、つい」
「そんなわけないでしょ! もう、貴重な一枚が無駄になっちゃうじゃない」
シャッター音に気付き、不意打ちに叫ぶサージュ。悪びれもなく彼は再び写真機を構え、今度は怒りに満ちた彼女を写真に収める。
「無駄にはならないだろう。いい教訓だと思うが」
「ってまた撮ってる! そろそろ怒るよ」
「それだけ激昂してまだ怒っていないのか? それは是非とも写真に残すべきだな」
軽口を叩き、アルハイゼンは更なる刺激を与える。怒りの感情を引き出す手段において、彼は他者の追随を許さない。
だが、少女は自分が撮られることはそもそも想定外。必死に写真機を奪おうと手を伸ばすが、僅かに足りぬ身長差によってその試みは阻止されてしまう。
それでもあと少しで届きそうな指先を懸命に動かし、もう一方の手で男の肩に自重を掛ける。
やがて縺れあった二人はバランスを崩し、近場にあったソファに雪崩込む。半ば押し倒したような形で男を見下ろし、サージュが頬を赤らめる。
「っ、ぁわ、ご…ごめん、すぐ退くから」
顔を背ける寸前を狙い、三度撮影に成功するアルハイゼン。羞恥に困惑する彼女は写真どころではなく、咎めることなく受け入れていた。
「壊れなくて良かった。ありがとアルハイゼン」
「ああ」
どちらにも非があることを認め、二人は共に謝罪の言葉は口にしなかった。
ただ写真機の無事を保った男の功績だけは讃えるべきだと、彼女は小さな声で感謝の意を示す。
「…満足した?」
いつしか被写体と撮影者が入れ替わっていることに、含むところがあるサージュが横目で彼を見つめて問う。
自分は撮られることをあんなにも拒絶していたのに、何故逆の立場になった途端にここまで積極的になったのか、彼女にはその理由が掴めずにいた。
「いや、まだ肝心の光源を使った撮影が出来ていない。もう少し暗くならないと眩しいだろう」
「あ…そ。まあいいけど…」
特殊な機能を試すまでは返すつもりはないと言わんばかりに、写真機を離さず握り続けるアルハイゼン。
呆れ果てた少女は強引にでも奪還するのを諦め、彼の気が済むまで待つことに決める。
そもそも彼女にとっては、完全に無視され蔑みの目で見られる中で叶いもしない撮影を試みるよりは余程いい反応なのだ。主導権が奪われたことなど些細なことだと、苦笑を零すしかなかった。
「いい表情だな」
困ったような笑みを浮かべる少女に、世辞にしか聞こえない称賛を添えてカメラを向ける。
流石のサージュも慣れてきたのか特に大きな反応を見せることはせず、自分の手に写真機が戻るまでに何枚フィルムが残るだろうかなどと明後日の方向の思慮に耽ける。
「楽しそうで何より」
「そうだな。自分が扱ったことのない技術に触れるのは、本を読んで全てを知った気になるよりも余程いい経験になる」
饒舌に語る男の口角は微かに上向いており、いつになく優しい表情をしていた。
そういう姿こそ写真機で残したいと思って持ち込んだ筈なのにとは思えども、楽しげに写真機を弄る彼から無理に取り返す訳にも行かず、彼女は指で写真機を象り男の笑みを枠に納める。
「どうした、サージュ」
「アルハイゼンばっかり撮っててずるいなって。元は私が借りてきたものなのに」
写真を撮る真似事をするしか出来ないサージュに、男がはたと我に返る。確かに彼女が言う通り、半ば奪い取って撮影に勤しんでいたと思い出し、彼は。
「そういえばそうだったな」
半ば他人事のような、上の空な返事。どうやらつい先刻までの記憶さえ朧気な程に写真機に夢中だったらしい。
しかも遠回しな返却の要求を知ってか知らずか、尚も彼は写真機を握ったまま尚も離さない。
そんなに興味があったのなら何故最初から反応を示さなかったのか不思議に思い、少女は迷わずその疑問を投げ掛ける。
「そこまで熱心に人のことは撮ろうとする割に、なんで最初はあんなに不機嫌だったの?」
「当然だろう、誰が好き好んで自分を撮って欲しいと思うんだ」
ある意味で予想通りの回答を返すアルハイゼン。だがここで彼の持論を崩せれば写真を撮る許諾を得られるかもしれない、そう信じ少女は一般的な反応を語る。
「意外と撮られたがりな人も結構居るよ。少なくとも写真機を不意に向けて、露骨に嫌そうにする人はあまり見たことないなぁ」
「そうか。その一般論で他人と同じように俺にも撮影を求めようと言うのなら、残念だが無駄骨だ」
「ちぇ、そう簡単には行かないか…うーんどうしよう」
当てが外れ振り出しに戻ったサージュが、次なる策を練るべく指を立て口許と頬の境界に宛てる。
他者との隔たりを明確にしている彼が、生半可な交渉で譲歩してくれるはずもないのは予測はしていたものの、こうも取り付く島もないとは思わず苦悩に眉が歪む。
「サージュ…そもそも君は、何故そうも執拗に俺を撮ろうとするんだ。もっと他に相応しい表情豊かな相手が居る筈だろう」
表情の変化に乏しい自覚はあるらしく、彼は被写体を変えるべきだと彼女を誘導しようとする。
だがその誘導こそ、少女にとっては何の意味もない。男を大切な存在と感じているからこそ、どんな形ででも写真という形に残そうと思うのだと、抱く想いを真っ直ぐにぶつける。
「私はアルハイゼンを撮りたいの! 他の人を撮っても意味ないんだよ」
耳まで真っ赤に染め上げ、サージュは自らの口にした言葉が確かに彼に届いたことを確かめる。
全く予想していなかったと言わんばかりの困惑を見せる男の隙を突いて、彼女は写真機を取り返し素早くシャッターを切る。
「…ビックリしてる顔は貴重だから。勝手に撮ったことは謝るよ」
「いや…構わない。過ぎたことに文句を言うつもりはない」
ゆっくりと平静を取り戻し、彼は謝罪に応える。少女の想定よりもずっと好意的な反応に、最初から強行突破しておけば良かったと気付いた彼女は味を占めて男の元へ近寄る。
それから次は二人で共に写ろうと、手を伸ばして自らへ写真機を向ける。片手では安定しない機体を、反対側からアルハイゼンが抑えた。
「あ、ありがと…このくらいかな」
機体の小ささ故に男の指が背面で触れ合い、羞恥が増していくサージュ。微調整をしていく最中にも緊張に顔が強ばり、笑みにはぎこちなさが残ってしまう。
「落ち着くまで少し待とう」
「へっ? いや、だ、大丈夫」
写真機を持ち上げる腕を降ろそうとするアルハイゼンに、慌ててそれを阻止すべく首を振る。
空元気に口許が弧を描き、不自然な笑みを象徴する。だがそんな少女の強がりさえ、彼には愛おしい変化のひとつでしかなかった。
「そうか。なら撮るぞ」
容赦なくシャッターボタンを押下して、何事も無かったかのように彼は写真機をサージュへと返す。
撮り終えたその瞬間に少女が男の方へ向き直り、怒りと照れ臭さの混じった複雑な感情を露わにする。
「アルハイゼン〜っ!」
「撮ってもいいと言ったのは君だろう」
「ぐっ…そう、だけど…でもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいの!」
完全に顔を覆い、喚きたい気持ちを懸命に堪える。漏出した焦燥を正面から受け止めざるを得なかった男はその騒がしさに寄った眉間の皺を解しながら、ぽつりと憧憬を零す。
「…本当に、君はよく表情が変わるな」
微かな雫だった筈のその声を聞き逃さず、しかし賛美と受け取るには今の彼女は自虐的な感性に傾いており、おずおずと訪ね返す。
「ほ、褒めてる…?」
「そうだ。侮辱に聞こえたのなら詫びよう」
「ううん、嬉しい…ありがとう」
ようやく男の言葉を信じられた彼女が、ゆっくりと笑みを浮かべる。今度は澱みのない、澄んだ笑顔だった。
喜怒哀楽の内、最後に残った感情。喜びに満ちた少女の笑みを、アルハイゼンは逃すことなくしっかりと写真に納めた。
「へへ…上手に撮れてるといいな」
「心配はいらない。この写真機が不良品でもない限り…そもそもの被写体が優れている以上、失敗することはそうそう無い筈だ」
どこで覚えたのかも知れぬ賛辞を滑らかに囁いて、彼はサージュに再び写真機を向ける。
既に十分な枚数を撮影した彼はそれ以上シャッターを切ることはなかったが、一瞬一瞬で目まぐるしく変化する彼女の表情をいつまでも見ていたいと思う気持ちには変わりはなく。
そんな高評価の何気ない言葉の一節に、彼女は己の反撃のチャンスを見つけ、そして。
「アルハイゼン。なら私がキミを撮っても…結果は同じってことだよね?」
有無を言わさぬ気迫で写真機を奪い、彼女はそれを胸元に構える。敢えてファインダーを覗かずにいたことで、それが更なる重圧を生んでいた。
流石のアルハイゼンも散々好きに撮影した後で尚も拒み続けるのは気が引けたらしく、渋りながらも遂に単独で撮らせることを認めた。
「…仕方ないな。一枚だけなら許可しよう」
「だーめ。同じ枚数しっかり撮らせてもらうから」
次第に沈み行く太陽を背に、彼女は写真機を覗く。何を考えているか全く読めない仏頂面だったが、それでも構わないと、シャッターボタンへ添えた指にゆっくりと力を込めた。
普段は本の虫である少女が、今も本を読み耽り呼び掛けにすら曖昧な反応しか見せぬ男へと、嬉しそうに手に持った機械を見せびらかす。
「写真機を貸してもらったんだ」
「…ああ。それで?」
読書を邪魔された苛立ちからか、単に全く興味が無いからなのか。仮にも友人である筈の彼女への反応としては最悪にも近いものを見せるアルハイゼン。
しかし、そんな辛辣な対応などとうに慣れきっている少女サージュは、構わず写真機のレンズ越しに彼を視界に納める。
「折角だから誰か撮らなきゃって。アルハイゼンは本を読んでるだけでも良い画になるね」
彼は性格こそ自由奔放で人からの好意など気にも留めない質だが、外見については他者の視線を集める秀麗さを持った身だ。
無造作に跳ねた髪は瞳を隠す程の長さにまで伸びており、それが逆に整った長い睫毛を際立たせている。
肌には傷一つなく、健康そのものと言うには少し青白さを感じさせる。インドア派な彼を象徴していると言っても良いだろう。
「…撮影のモデルになることを許可した覚えはないが」
「減るもんじゃないし良いでしょ?」
レンズの視線を煩わしく思ったか、アルハイゼンの低い声音が静寂に響き渡る。
だが少女は不機嫌を露わにする彼にも構わず今にもシャッターを切ろうと指を掛けつつ、一応の許諾を得る為に問うが、男の返事は芳しくないものだった。
「断る。こうして無駄な問答を繰り返している間にも、俺の読書の時間が減っている」
完膚なきまでに論破されてしまい、開いた口が塞がらなくなるサージュ。
両手でしっかりと持っていた写真機が次第に下へ下へと降りて行き、呆然と俯くしか出来なくなってしまった。
「…ごめん。邪魔するつもりはなかったんだ」
意気消沈にどうにか非を詫びるべく、それだけ告げる。わかっていた結末だと思っていた筈だが、胸に空いた穴は予想よりも大きなもので。
勿論アルハイゼンの言い分も何ら間違ったものではない。彼にとっては被写体になる利点など何も無く、寧ろ集中を削がれるだけでデメリットしかないのだ。
そもそもの見立てが甘かったと落胆に肩を落としつつ、諦めるつもりは毛頭なかった。
どうすれば彼を撮る大義名分が得られるか。彼女の思考は、既に次の作戦へとシフトしていた。
「…」
遂行出来そうもない案が思いついては消え、時間だけが刻々と過ぎて行く。やがてアルハイゼンは読んでいた本を閉じ、今度はサージュが彼の蔵書の上に置いていた冊子に手を伸ばす。
耳を覆うヘッドホンの遮音機能を作動させているのか彼女の存在さえなかったかのように振る舞う彼に、いっそ許可なく無言で撮ってしまおうかという邪念が脳裏を過ぎる。
しかしその強行は彼女の中では最終手段だった。それを実行したが最後、下手をすれば二度と口を聞いてもらえなくなる危険を孕んでいる。そんな哀しい未来は絶対に回避しなければならない。
サージュは先ずは損ねてしまった彼の機嫌をどうにかしなければと思うものの、現状では困難を窮めるだろうと嘆息を零すしかなかった。
「ふむ」
冊子に目を通していた彼が、感嘆の声を漏らす。少女は気付いていなかったが、その冊子は写真機の取り扱い説明書。構造や撮影方法を事細かに記載したそれを読み、意外にも興味を持ったようだ。
常に新しい知識を求める彼にとって、未知の技術というものは新たな発見の宝庫。遮音を目的にとはいえ、己が身につけているヘッドホンを自作してしまう程度には、彼は技術面においても貪欲であった。
「サージュ。その写真機は独自の光源が着いた最新式のものらしいな」
「え、そうなんだ? どこだろ…」
男が説明書から読み取った、彼女が気付いていないであろう隠された性能について触れる。
機体をクルクルと回してその光源の在処を探す彼女から写真機を掠め取り、彼はフラッシュ機能をオンにする。
「あっそこかぁ。それもそうか、被写体をより撮りやすくする為に使うんだもんね」
光の放たれた写真機を目の当たりにし、サージュは納得した様子で深く頷く。
その程度すら理解せずに使おうとしていた彼女に、男は然るべき疑念を包み隠さず伝える。
「君はこの説明書を読まずに写真機に手を出したのか?」
「う…ごめんなさい、少しでも早く使ってみたくて」
「今俺に謝る必要はない。だが、使い方も知らず手を出すのは些か危険に思えたから忠告したまでだ」
叱られた子供のような、哀しみに満ちた様相を見せるサージュ。ただ彼は怒っているわけではなく、どちらかと言えば彼女を心配していた。
その証拠に、怒りは感じさせないよう努めて落ち着いた声色で、諭すように語った。
「自身の所有物ならともかく、これは借り物なのだろう。不用意に扱って故障したら、責任を取るのは君だぞ」
「…はい」
ぐうの音も出ない正論に、少女はいかに自分が早計だったかを思い知らされる。
自己嫌悪に陥りストレスが噴出した不服そうな表情に、彼は眩しい光を消すついでに写真機のシャッターを切った。
「あっ! 私には撮らせてくれなかったのに!」
「撮ってくれと言わんばかりの表情だったから、つい」
「そんなわけないでしょ! もう、貴重な一枚が無駄になっちゃうじゃない」
シャッター音に気付き、不意打ちに叫ぶサージュ。悪びれもなく彼は再び写真機を構え、今度は怒りに満ちた彼女を写真に収める。
「無駄にはならないだろう。いい教訓だと思うが」
「ってまた撮ってる! そろそろ怒るよ」
「それだけ激昂してまだ怒っていないのか? それは是非とも写真に残すべきだな」
軽口を叩き、アルハイゼンは更なる刺激を与える。怒りの感情を引き出す手段において、彼は他者の追随を許さない。
だが、少女は自分が撮られることはそもそも想定外。必死に写真機を奪おうと手を伸ばすが、僅かに足りぬ身長差によってその試みは阻止されてしまう。
それでもあと少しで届きそうな指先を懸命に動かし、もう一方の手で男の肩に自重を掛ける。
やがて縺れあった二人はバランスを崩し、近場にあったソファに雪崩込む。半ば押し倒したような形で男を見下ろし、サージュが頬を赤らめる。
「っ、ぁわ、ご…ごめん、すぐ退くから」
顔を背ける寸前を狙い、三度撮影に成功するアルハイゼン。羞恥に困惑する彼女は写真どころではなく、咎めることなく受け入れていた。
「壊れなくて良かった。ありがとアルハイゼン」
「ああ」
どちらにも非があることを認め、二人は共に謝罪の言葉は口にしなかった。
ただ写真機の無事を保った男の功績だけは讃えるべきだと、彼女は小さな声で感謝の意を示す。
「…満足した?」
いつしか被写体と撮影者が入れ替わっていることに、含むところがあるサージュが横目で彼を見つめて問う。
自分は撮られることをあんなにも拒絶していたのに、何故逆の立場になった途端にここまで積極的になったのか、彼女にはその理由が掴めずにいた。
「いや、まだ肝心の光源を使った撮影が出来ていない。もう少し暗くならないと眩しいだろう」
「あ…そ。まあいいけど…」
特殊な機能を試すまでは返すつもりはないと言わんばかりに、写真機を離さず握り続けるアルハイゼン。
呆れ果てた少女は強引にでも奪還するのを諦め、彼の気が済むまで待つことに決める。
そもそも彼女にとっては、完全に無視され蔑みの目で見られる中で叶いもしない撮影を試みるよりは余程いい反応なのだ。主導権が奪われたことなど些細なことだと、苦笑を零すしかなかった。
「いい表情だな」
困ったような笑みを浮かべる少女に、世辞にしか聞こえない称賛を添えてカメラを向ける。
流石のサージュも慣れてきたのか特に大きな反応を見せることはせず、自分の手に写真機が戻るまでに何枚フィルムが残るだろうかなどと明後日の方向の思慮に耽ける。
「楽しそうで何より」
「そうだな。自分が扱ったことのない技術に触れるのは、本を読んで全てを知った気になるよりも余程いい経験になる」
饒舌に語る男の口角は微かに上向いており、いつになく優しい表情をしていた。
そういう姿こそ写真機で残したいと思って持ち込んだ筈なのにとは思えども、楽しげに写真機を弄る彼から無理に取り返す訳にも行かず、彼女は指で写真機を象り男の笑みを枠に納める。
「どうした、サージュ」
「アルハイゼンばっかり撮っててずるいなって。元は私が借りてきたものなのに」
写真を撮る真似事をするしか出来ないサージュに、男がはたと我に返る。確かに彼女が言う通り、半ば奪い取って撮影に勤しんでいたと思い出し、彼は。
「そういえばそうだったな」
半ば他人事のような、上の空な返事。どうやらつい先刻までの記憶さえ朧気な程に写真機に夢中だったらしい。
しかも遠回しな返却の要求を知ってか知らずか、尚も彼は写真機を握ったまま尚も離さない。
そんなに興味があったのなら何故最初から反応を示さなかったのか不思議に思い、少女は迷わずその疑問を投げ掛ける。
「そこまで熱心に人のことは撮ろうとする割に、なんで最初はあんなに不機嫌だったの?」
「当然だろう、誰が好き好んで自分を撮って欲しいと思うんだ」
ある意味で予想通りの回答を返すアルハイゼン。だがここで彼の持論を崩せれば写真を撮る許諾を得られるかもしれない、そう信じ少女は一般的な反応を語る。
「意外と撮られたがりな人も結構居るよ。少なくとも写真機を不意に向けて、露骨に嫌そうにする人はあまり見たことないなぁ」
「そうか。その一般論で他人と同じように俺にも撮影を求めようと言うのなら、残念だが無駄骨だ」
「ちぇ、そう簡単には行かないか…うーんどうしよう」
当てが外れ振り出しに戻ったサージュが、次なる策を練るべく指を立て口許と頬の境界に宛てる。
他者との隔たりを明確にしている彼が、生半可な交渉で譲歩してくれるはずもないのは予測はしていたものの、こうも取り付く島もないとは思わず苦悩に眉が歪む。
「サージュ…そもそも君は、何故そうも執拗に俺を撮ろうとするんだ。もっと他に相応しい表情豊かな相手が居る筈だろう」
表情の変化に乏しい自覚はあるらしく、彼は被写体を変えるべきだと彼女を誘導しようとする。
だがその誘導こそ、少女にとっては何の意味もない。男を大切な存在と感じているからこそ、どんな形ででも写真という形に残そうと思うのだと、抱く想いを真っ直ぐにぶつける。
「私はアルハイゼンを撮りたいの! 他の人を撮っても意味ないんだよ」
耳まで真っ赤に染め上げ、サージュは自らの口にした言葉が確かに彼に届いたことを確かめる。
全く予想していなかったと言わんばかりの困惑を見せる男の隙を突いて、彼女は写真機を取り返し素早くシャッターを切る。
「…ビックリしてる顔は貴重だから。勝手に撮ったことは謝るよ」
「いや…構わない。過ぎたことに文句を言うつもりはない」
ゆっくりと平静を取り戻し、彼は謝罪に応える。少女の想定よりもずっと好意的な反応に、最初から強行突破しておけば良かったと気付いた彼女は味を占めて男の元へ近寄る。
それから次は二人で共に写ろうと、手を伸ばして自らへ写真機を向ける。片手では安定しない機体を、反対側からアルハイゼンが抑えた。
「あ、ありがと…このくらいかな」
機体の小ささ故に男の指が背面で触れ合い、羞恥が増していくサージュ。微調整をしていく最中にも緊張に顔が強ばり、笑みにはぎこちなさが残ってしまう。
「落ち着くまで少し待とう」
「へっ? いや、だ、大丈夫」
写真機を持ち上げる腕を降ろそうとするアルハイゼンに、慌ててそれを阻止すべく首を振る。
空元気に口許が弧を描き、不自然な笑みを象徴する。だがそんな少女の強がりさえ、彼には愛おしい変化のひとつでしかなかった。
「そうか。なら撮るぞ」
容赦なくシャッターボタンを押下して、何事も無かったかのように彼は写真機をサージュへと返す。
撮り終えたその瞬間に少女が男の方へ向き直り、怒りと照れ臭さの混じった複雑な感情を露わにする。
「アルハイゼン〜っ!」
「撮ってもいいと言ったのは君だろう」
「ぐっ…そう、だけど…でもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいの!」
完全に顔を覆い、喚きたい気持ちを懸命に堪える。漏出した焦燥を正面から受け止めざるを得なかった男はその騒がしさに寄った眉間の皺を解しながら、ぽつりと憧憬を零す。
「…本当に、君はよく表情が変わるな」
微かな雫だった筈のその声を聞き逃さず、しかし賛美と受け取るには今の彼女は自虐的な感性に傾いており、おずおずと訪ね返す。
「ほ、褒めてる…?」
「そうだ。侮辱に聞こえたのなら詫びよう」
「ううん、嬉しい…ありがとう」
ようやく男の言葉を信じられた彼女が、ゆっくりと笑みを浮かべる。今度は澱みのない、澄んだ笑顔だった。
喜怒哀楽の内、最後に残った感情。喜びに満ちた少女の笑みを、アルハイゼンは逃すことなくしっかりと写真に納めた。
「へへ…上手に撮れてるといいな」
「心配はいらない。この写真機が不良品でもない限り…そもそもの被写体が優れている以上、失敗することはそうそう無い筈だ」
どこで覚えたのかも知れぬ賛辞を滑らかに囁いて、彼はサージュに再び写真機を向ける。
既に十分な枚数を撮影した彼はそれ以上シャッターを切ることはなかったが、一瞬一瞬で目まぐるしく変化する彼女の表情をいつまでも見ていたいと思う気持ちには変わりはなく。
そんな高評価の何気ない言葉の一節に、彼女は己の反撃のチャンスを見つけ、そして。
「アルハイゼン。なら私がキミを撮っても…結果は同じってことだよね?」
有無を言わさぬ気迫で写真機を奪い、彼女はそれを胸元に構える。敢えてファインダーを覗かずにいたことで、それが更なる重圧を生んでいた。
流石のアルハイゼンも散々好きに撮影した後で尚も拒み続けるのは気が引けたらしく、渋りながらも遂に単独で撮らせることを認めた。
「…仕方ないな。一枚だけなら許可しよう」
「だーめ。同じ枚数しっかり撮らせてもらうから」
次第に沈み行く太陽を背に、彼女は写真機を覗く。何を考えているか全く読めない仏頂面だったが、それでも構わないと、シャッターボタンへ添えた指にゆっくりと力を込めた。
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