「うわぁ、ここまで見知った顔ばかりだとは…正直予想してなかったな」
遂に迎えた学院トーナメントの第一回戦、舞台の裏側に集められた参加者を見て、少女はそれが自分にとって馴染み深い面子であることに苦笑を零す。
「やあ
サージュ。君がこういうの出るなんて、ちょっと意外かも。もしかして誰かに頼まれたとか?」
「ううん、出るって決めたのは自分の意志。二人はどっちも他薦?」
自分達に近付いてきた因論派の選手にいち早く気が付いた立ち耳が揺れ、彼女へ笑みを向ける。
生論派からの参加はこの獣人族"ワルカシュナ"の少年、アビディアの森のレンジャー長、ティナリのようだ。
そしてその流れで、彼と談笑していた大マハマトラことセノが、素論派からの出場であることも察知する。
卒業して既に何年も経つ彼らが学院祭に興味を示すとは思えなかった
サージュは、二人が偉大な先輩として在学生からの人望故に選ばれたのだろうと問い掛けるも、意外なことに答えは肯定と否定の両方だった。
「ティナリはそのようだが、俺は副賞のカードが欲しくてな。自ら立候補した」
セノが参加を決めた理由として挙げたカード、それは彼が駄洒落と同じかそれ以上に心血を注ぐ趣味の一つであるカードゲーム、七聖召喚で用いられるものだった。
七聖召喚は元々、スメールのとある学者達が考案し、教令院の中でも一部の層が密かに楽しんでいただけのささやかなものだった。
しかし稲妻の娯楽小説で取り上げられ知名度が増したことで、ここ数か月の間に爆発的な普及を果たした、今となっては世界的にもポピュラーな対戦ゲームとなっていた。
その遊戯に使うカードは、人々を魅了する景品のひとつとして確かに相応しいと言えるのかもしれない。
「カード? ああ、七聖召喚の。へえ…セノ君が欲しがるようなものが景品に含まれてるんだ。すごいね」
そんな感慨を抱きながら他の参加者に目を向けると、先日大会に向けての意気込みをぶつけ合った大先輩、ファルザンと視線が重なる。
彼女はこちらに気付きこそしつつも既に出来ている輪を乱すことはせず、その場に留まったまま少女へウインクして合図してきた。
ならば最大限の礼節をと会釈だけを返し、
サージュは緊張に身体を縮こまらせて、周囲を怯えた目で見ている長耳の少女の元に歩み寄っていく。
「まさかレイラちゃんが居るなんて驚いたよ。今日は頑張ろうね」
「えっ、と…こんにちは、
サージュさん…よろしくお願いします」
驚いた、と口にした
サージュ以上に狼狽する素振りを見せ、妙に他人行儀な態度で応えるのは、明論派の在学生レイラ。
奇しくも同じ氷元素の使い手であり、また夜分に会った際の彼女はとても気さくで話も合う為、少女にとって一番親近感のある相手と言える。
だが眼前で会話している相手に一切その面影はなく、まるで普段とは別人のようだと思ってしまった。
「…?」
「あ、いや。ごめん…ええと。今日も寝不足で、他の人達と話す感覚で間違えちゃった。改めてよろしく、
サージュ」
一瞬だけ、レイラは握り締めていたメモに視線を落とす。それから先のぎこちない挨拶を詫びて、
サージュに向けて微笑んでみせる。
その返答によって違和感は消えたものの、今度は寝不足という不穏な単語が耳に残る。
昼夜問わず学院で姿を見かけるのは、彼女がショートスリーパーで睡眠をそれほど必要としない体質だからと信じていた少女は、そうではないらしいと知り不安が過ぎる。
「寝不足…って、大丈夫なの? 無理はしないでね」
不調を案ずる
サージュだったが、その答えを聞くことも儘ならないまま、その場の全員の視線が、最後に現れた妙論派の青年の元に集まる。
「おや、僕が最後か。遅刻じゃない…よな?」
「大丈夫だよカーヴェ先輩。私もついさっき来たばかりだし」
時計を取り出して見せ、まだ開会式までには少し余裕があることを示す。しかし刻一刻と時間は迫り、友として過ごしていられるのは残り僅かなのだと密かに息を呑む。
その貴重な暇を無駄にはせず、彼がこの学院トーナメントに参加するに至った理由を知る義務があると、少女は意を決して口を開く。
「それより、先輩が試合に出るなんて…一体どういう風の吹き回し?」
しかし
サージュの内に秘める不安とは裏腹に、青年の反応は父親に纏わる過去についての後ろ暗さはなく、自身の現状に関しての憂いのみに終始していた。
「…絶対に言わなくちゃダメか?」
「うん。絶対に言わなくちゃだめ」
「その…あれだ…僕は…」
自らの弱みを見せたくないあまり目を泳がせる青年に、対照的と言っていい程に晴れやかな笑みを浮かべて頷く少女。
彼はその眩しさに観念し、今回の参加を決めたのは己を苦しめている諸々の呪縛から解放されたいが為だと渋々白状するのだった。
「はあ、君ならわかるだろ。今度の大会で優勝賞金を手にして、それを元手に不動産を買うんだ。そうすればアルハイゼ…」
「ようやく全員集まったようだな。開会式の前に、君達に今大会の特別評論員を紹介しておこう」
青年の言葉を図らずも遮って、此度の大会の司会進行を務める男が参加者達を呼び掛ける。
彼に導かれてやって来たのは、この場に居る全員にとって驚きでこそありつつも納得の人選であった。
ファデュイの執行官や大賢者アザールと対峙し、スメールの危機を救った異邦の旅人と、その最高の仲間である不思議な飛行生物パイモン。
草の国にとっては国賓にも等しい二人が大会に携わってくれるのならばこれほど嬉しいことはないと、皆が満面の笑みで彼女達を歓迎していた。
「オイラ達がお前らの勇姿をたっぷり写真に収めてやるぜ!」
「ほう? ならばワシが優勝する瞬間を、下からのアングルでじっくりと撮るがよい。その角度が一番先輩らしさが出せるのじゃ!」
腕を腰に当て威厳を露わに、今大会一番の年長者であるファルザンが意気揚々とパイモン達に迫る。
己の優勝を信じてやまない意志の強さに、自分も負けてはいられないと少女と青年が同時に身を乗り出した。
「なっ…優勝するのはこの僕ですよ、ファルザン先輩!」
「違うよ、私だよ!」
「おいおいお前ら、そんな急に来られても困るぞ! なあアルハイゼン、お前からもこいつらに何か言ってやってくれよ…」
血気盛んに自己アピールする三人から一斉に詰め寄られ、飛行生物が慌てふためく。
自分達を紹介した進行係の男に助けを求めようと声を掛けるものの、彼は喧騒を嫌ってか既に司会席に戻っていた。
「って、もう居ないし! …はあ、相変わらず冷たいヤツだなあいつは」
呆れ眼で肩を竦め、パイモンと旅人は目配せし合う。代理賢者を辞した後も自由奔放さは変わらないと、どこか安堵にも近い感覚を抱いて苦笑する。
「そう気を落とすな、パイモン。あの男の愛想が悪いのは今に始まったことじゃない」
「セノはそう思うの? 僕から見たら、あれでも以前に比べて相当人当たりが良くなったと思うけどな。ねえ
サージュ」
ふよふよと漂う生命体を宥める大マハマトラへと反論を口にして、立ち耳の少年は少女の方を見遣る。
その意味深長な笑みには、二人の仲を暗に揶揄する悪戯心が見え隠れしていて、
サージュは耐えきれず声を荒げる。
「なんで私に振るのさティナリ君、そこはカーヴェ先輩の方が…」
「あの…
サージュ、それに皆さんも。開会式、始まるみたい」
憤る少女の肩をそっとつつき、運営委員達の動向を指し示して彼女を宥めるのはレイラ。
慌ただしく準備を進める彼らを見て、もう間もなく学院トーナメントの開会式が始まることを示唆する。
「教えてくれてありがと、レイラちゃん。そろそろ登壇の準備しないとだね」
拳を握り、改めて意気込みを露わにする。その場の誰もが自分の優勝を信じ、真剣な眼差しで舞台を見据えていた。
「おう、頑張れよ皆!」
特別評論員の二人がそう激励し、開会式が幕を開ける。式の司会進行を務める女性が才識の冠についての解説を講じる最中、少女は何度目かの老父の声を聴く。
『全てが悪くなっていく…』
少女が眩暈に頭を押さえていると、傍にいた旅人も同じように苦しそうに顔を歪めていた。
自分以外の人間が、あの冠からの声を耳にしたことに驚きを露わにして、この奇妙な現象について思慮に耽ける。
「っておい、どうしたんだ
サージュ!? それにお前も…二人して頭を抱えて…」
「私なら大丈夫、心配させてごめん。でも私だけじゃなくて、あなたにも聞こえたんだ…どういうことだろう」
しかし、深まる謎に考えを巡らせている時間は彼女にはなく。ニィロウの声と共に各学派の六人が順番に一人ずつ呼び出されていき、声に応じてそれぞれが登壇していく。
「それじゃあ、各学派の代表者を紹介するね。えっと、まずは生論派代表のティナリ選手!」
最初に呼ばれたのは、最も栄えている学派である生論派。続けて素論派、明論派と紹介され、刻一刻と少女の出番が迫ってくる。
軋む頭の痛みを振り払い、彼女は今は試合に集中しなければと、後ろ髪を引かれつつ努めて笑みを浮かべる。
「あ…そろそろ行かなきゃ。今の声について、話したいことがあるから…また後でね!」
「お、おう。無理はするなよ…!」
舞台に上がる直前、試合の後に旅人へと"あの声"に関する話をしたいと約束を交わす。
異邦の旅人はその願いにしかと頷いて、少女に手を振る。傍らのパイモンはまだ不安が拭いきれないらしく、二人の様子を固唾を呑んで見守っていた。
壇上に立った
サージュは至って平静を装い、先刻の苦しみなど一切なかったかのように笑顔を湛える。
「最後は因論派代表、
サージュ選手! 以上の六名が、今大会の出場者となります。この後すぐに試合が始まるので、皆さんお見逃しなく!」
ニィロウのウィンクと共に、会場を無数の蝶が彩る。華やかな舞台の上で、各学派の代表たる六人は我こそがと火花を散らす。
彼らの逸る気持ちを宥め賺すように、審判席に座っていた男が席を立ち、観客たちにも向けて試合内容について語り始める。
「これより、第一ラウンドの試合内容を発表する。先程の開会宣言の際、スタッフ達が籠一杯の蝶を野に放ったと思うが…今回の試合はそれに関するものだ」
「蝶…さっきのやつか。それがどうしたんだ?」
「スメールシティ内を縦横無尽に飛び回るそれら蝶達の中に、今大会の為に特殊に飼育された"迅速飛蝶"という蝶がいる。通常の種よりも飛行速度が速く、外見的特徴も異なるその蝶を捕まえて、俺のところまで持ってくること。それが本ラウンドの君達に課せられた目標となる」
青年の声を聞き流しながら腕を組んで、不遜な態度を隠さずに堂々と説明を続ける。
奇しくも彼にとっても身内ばかりの大会となったことも相俟ってか、その口調には厳粛さは殆どなく、どことなく砕けた柔和なものであった。
「到着が速かった順にポイントを付与する。一位には三ポイント、二位は二ポイント…といった具合にな。さて、俺からの説明は以上だ。不明点については他のスタッフに聞いてくれ」
事前説明を終えたと同時に着席し、暗に試合が既に始まっていると示すアルハイゼン。真っ先にセノがそれに気づき、迅速飛蝶を逸早く捕らえるべく会場を後にする。
「俺は先に行く。この広い街中を探し回るのは結構な時間が必要だからな」
「もう行くのか…僕も負けていられないな」
「クシャレワーの後輩よ、ワシからひとつ提案がある。どうじゃ、乗ってみんか?」
「うん、迅速飛蝶が普通の蝶と同じ習性を持っているならアレを使えば…」
それぞれ思い思いの作戦を立て行動に移す中、氷元素の少女達は自分の不得手な種目に尻込みしてしまっていた。
「どうしよう…街の中を飛び回る蝶なんて、どうやって見つければいいのかな…」
「…あのさアルハイゼン、これって誰かが持ってる蝶を奪うのはありなの?」
自力での捕獲が困難だと早々に諦めた少女は、他者からの奪取という強硬手段が許されるのかを問う。
質問は別の実行委員へと事前に言っていた男は、厄介な問いかけに一瞬だけ眉を顰めつつ、"恋人"である彼女を無視する訳にも行かず渋々口を開いた。
「なしだ。今試合の開催場所がスメールシティ内である以上、聞くまでもないことだと思うが」
「やっぱそうだよね…ありがとう、じゃあ地道に探すしかないか。行こうレイラちゃん、急がないと先輩達に蝶を狩り尽くされちゃう」
予想通りの回答に深い溜息を吐いて、
サージュは肩を落とす。しかし諦めるという選択だけはしたくないと、出遅れながらも蝶の探索に繰り出すべく長耳の少女に笑んだ。
「そうだね…私はあっちを探してみるよ。
サージュも、頑張って」
レイラもまた決意を新たに、友人を激励し反対方向へと歩き出す。互いをライバルとして認めるからこそ、安易な協力関係は結ばないと強い志を秘めていた。
しかし、彼女達の運命は大きく分かれることとなる。レイラは偶然シティを訪れていたディシアとキャンディスの元に舞い込んだ蝶を捕まえることに成功し、見事三位となった。
一位はある意味当然とも言える結果で、蝶の生態を知り尽くし、お香を用いて誘引したティナリが三ポイントを獲得した。
そして少女が惜しくも収穫を得られず開会式の会場に戻った際問題となっていたのは、二位の選手について。
協力して蝶を捕まえた知論派と妙論派のタッグが、どちらが得点を受け取るべきか議論を交わしていた。
「おいアルハイゼン、こうするのはどうだ? 二位の得点は二ポイント、つまり僕とファルザン先輩でそれぞれ一ポイントずつを分ければいい」
「ほう? 随分と豊かな想像力だな。感心するよ。だが残念ながらトーナメントのマニュアルには、そのようなルールは記載されていない」
「なら今付け加えろ。それくらい君なら出来るだろ」
「断る。私情で規則を捻じ曲げるのは俺の主義に反する」
喧々囂々と声を荒げる妙論派の希望の星と書記官の男を横目に、
サージュは困り顔で笑うことしか出来ぬズバイルシアターの踊り子に問い掛ける。
声を掛けられたニィロウは大の大人が言い争う様を見兼ねて、助けを求めるような瞳で少女へと状況を説明するのだった。
「どうかした?」
「あっ、
サージュ。今ちょうど、ファルザンさんとカーヴェさんのどっちがポイントをもらうかで話し合ってるところなの」
「なるほどね…全く同時に蝶を見つけたってなると、確かに難しい問題かも。良い解決方法があればいいけど…」
遠巻きに見つめ、少女は彼らの行く末を静かに見守る。青年達の会話から埒が明かないと悟ったファルザンは、自身の得点の権利を放棄すると口にした。
「はぁ、仕方ないのう。ワシを先輩と敬い、謙虚に指導を受けに来たかつてのお前に免じて、今回のポイントは譲ってやろうではないか」
「いやそんなのダメだ。先輩の功績を無に帰すような提案、僕は受け入れられません」
堪り兼ねた少女が、温情を見せる偉大な先輩とそれに納得出来ないと吠える頑なな建築家の間に割って入る。
勿論ただ彼らの議論を遮るだけではなく、この場を丸く収めるのに最も適した方法を提唱し、彼女はそれぞれの表情を窺う。
「じゃあさ、ここは公平にクジ引きで決めたらどう? それならカーヴェ先輩も文句ないでしょ」
「うっ、クジか…わかった。それで行こう」
「ワシも構わんぞ。もし負けたとて、まだ試合は残っておる。次の試合で勝てばよいのじゃ」
焦燥を見せつつ渋々頷くカーヴェと、既に大局を見据えておりクジ引きの結果を重視していない故に快諾するファルザン。
対照的ながらも肯定を示す二人に安堵の息を吐いて、ニィロウが彼らの運命を決めるクジを用意すると微笑んだ。
「うん、じゃあ少し待ってね。今クジ引きの紙を用意するから」
即席の慎ましやかなクジを両者が引き、二位の座に着く選手がようやく決する。当たりのクジを引いたのは、知論派の大先輩の方だった。
「すまんの、後輩よ。今回はワシに運が味方してくれたようじゃな」
「…いいんですよ。これは元々ファルザン先輩のポイントのようなものです。先輩が受け取って然るべきものだ」
表面上は平静を装いこそしつつも、青年は自らの不運に意気消沈する様子を隠し切れずにいた。
そんな同居人の愁いなど意にも介さず、司会者の男は粛々と己の職務を全うする。
「これにて第一ラウンドは終了だ。一位はティナリ、二位がファルザン、そして三位にレイラ。以上の三名にポイントを付与する」
会場に立てられた得点板に今回の試合の結果を反映し、続けてアルハイゼンは残っていた選手達に次の試合について語る。
そして説明を終えると、周囲の視線など一切気に留めることなく、そのまま言葉の通り会場を去ってしまった。
「第二ラウンドは後日、オルモス港にて行う。試合の内容についてもその時に発表する。引き続き頑張ってくれ。俺からは以上だ、解散」
「あわわ、アルハイゼンさん、すごく急な締め方だね…」
「はあ…ニィロウ、残念だがあいつは昔からそういう奴だよ」
司会者の退場に伴い観客達も散り散りになっていく中、取り残されたもう一人の進行役の少女は困惑をぽつりと零す。
同居人として男の性分を熟知するカーヴェが彼女を宥めているのを傍らで眺め、
サージュは一人今回の敗北への悔恨から唇を噛み締める。
草神との約束を果たす為にも、第二ラウンドの試合は絶対に負けたくはないと、握り拳を胸に当てて勝利を誓うのだった。
「次こそは、勝たなくちゃ…」
Début