「学院祭について聞きたい? 別にいいけど…」
グランドバザールの最奥に位置する舞台、ズバイルシアターにて。シアター一番の踊り子であるニィロウは、同じクラクサナリデビ信徒の友人である
サージュと談笑に花を咲かせていた。
「ありがとう、
サージュ。普段、お祭りをやってるなぁとは何となく思っても、実際にどんなことをしてるのか…あんまり詳しく知らなかったから、ちょっと気になって」
「そっか。じゃあ"学院フェス"と"学院トーナメント"の二つがあることから話そうか」
奇しくも此度の話題となったのは、ここ数日間
サージュを悩ませ続けている学院祭について。
教令院の外部の人間、それもあまり学者達を快く思ってはいないズバイルシアター側の人間である彼女が祭に興味を示すなど極めて珍しいと、少女は内心驚いていた。
しかし知識欲を満たす助力を惜しむつもりはなく、憂鬱さをひた隠しにしつつも努めて明解な説明を試みるのだった。
「毎年開かれてる方の学院フェスは、それぞれの学院毎の分野に沿った出し物をしてるよ。感覚としては、体験入学に近いかな」
こくこくと頷き、無垢な踊り子は教義に耳を傾ける。純粋な眼差しが輝かしく見えて、
サージュは次第に饒舌になっていく。
「私が所属してる因論派のヴァフマナ学院は、今年は割と本格的な実地調査の疑似体験企画をやるって言ってた。まあ、実態はただの宝探しゲームなんだけど」
「へぇ、面白そうだね。他の学院はどんなことをするの?」
「んーと、まだ全部は知らないんだよね…あ、確か明論派…ルタワヒスト学院は、星座のパズルで遊ぶコーナーになるとか言ってたっけな」
国が誇る学術機関が提供するとは到底思えぬ幼稚な催しに、思わずクスリと微笑んでしまう。
けれども教令院内部のことを全くと言っていい程知らなかったニィロウにとって、その意外性は共感に通じ、学がないことを恐れる必要はないのだと安堵の声を上げる。
「凄いね、学院のお祭りって言うから、もっと難しいことをしてるのかと思ってたけど…私でも楽しめそうな出し物もあるんだ」
「そうだね。どんな分野も、まずは興味を持ってもらうところから始まるから。気になる催しがあったら、ニィロウも遠慮せず試してみるといいよ」
露店で串焼きを購入しながら、
サージュは次第に息が詰まる思いを感じてしまい、学院トーナメントについての説明を放棄し別の話題を探したい衝動に駆られる。
だが一縷の望みも虚しく、傍らで買い食いを控える繊細な乙女は尚も学院祭への興味が尽きない様子で、トーナメントの詳細を尋ねてくるのだった。
「ありがとう
サージュ。それで、学院トーナメントの方は何をするんだろう。トーナメント、っていうからには…何かを競い合うんだよね?」
「正解。"才識の冠"っていうお宝と、トーナメントの主催者のサーチェンっていうお金持ちの人の資産を賭けて、各学派の代表が試合をするんだ」
話しながら、連日"恋人"と調べていたその冠の恐ろしさについてを頭の片隅で思い返す。
調査結果が本当であれば、トーナメントどころではないのではないかと思ってしまうが、それを彼女に伝えたところで詮無きことでしかない。
あくまで後暗い噂は何も知らぬ体を装い、求められた説明のみに留めて話を続けることにする。
「何日かかけて競い合って、最後の試合で一番ポイントを多く持ってた人が優勝。シンプルでわかりやすいでしょ」
「うん、わかったよ。じゃあ…私は、その試合についてのお話をすればいいんだね」
「ん? どういうこと…」
唐突に告げられた言葉に、
サージュの頭に疑問符が浮かぶ。するとニィロウはつい先日に受けた依頼について語り始めた。
「実は…私に審査員をやって欲しいって誘われてるの。だから、普段はどんなことをしているのか教えて欲しかったんだ」
「ふーん。確かに…ニィロウが試合を解説してくれたら、見てる人達も皆楽しめるね。いいんじゃないかな」
串焼きを頬張りながらの、どこか投げ遣りにも感じられる肯定に、感情の機微を目敏く察知したダンサーが困ったように眉を下げて問う。
「あれ…
サージュって、もしかして…あんまり学院祭は好きじゃないの?」
「好きか嫌いかで言ったら、確かに嫌いかも。花神誕祭と違って準備が楽しい訳でもないし、同じ学院の人達は皆頭が堅くて仲良くなれそうもないし」
食べ終えたばかりの串を不躾に弄んで、
倩と不満を並べ立て、態とらしく苦悩を語る。
しかし彼女自身は、ニィロウの存在が己にも学院祭そのものにとっても吉兆を齎すものだと信じ、願いを込めるように破顔してみせる。
「でも、ニィロウが来てくれるなら…今年の学院トーナメントはきっと楽しいものになると思うな」
期待に満ちた晴れやかな笑みに、人の喜びが何よりも幸福である少女は俄然やる気が湧いてきたらしく、自信を胸に力強く頷く。
それから盟友へと同意を求めるように、脇を締めて握り拳を掲げ、意気込みを語る。だが、その決意表明を受けた少女
サージュの反応は芳しくなく。
「本当? じゃあ、私…解説頑張るね。
サージュのことも、解説席から応援するよ!」
「えっと、ごめん…私はトーナメントに出る予定はないんだ」
「え…そうなの? 私てっきり、あなたも参加するものだとばかり」
さも当然の如く学院トーナメントに出るものと思われていたことに罪悪感を抱きつつ、申し訳なさそうに首を振る
サージュ。
尤も、彼女にそう言われたことで、自分とは無縁と思っていた世界が想像よりもずっと身近であったことに気付く。
もし自分が優勝することで才識の冠を戴く機会が与えられれば、己を苛む呪詛の正体にも近付けるのではないか。そんな打算が脳裏に過ぎる。
「他薦は受けてないから、もしまだチャンスがあるなら…自分で立候補してみる。話してたら、ちょっと興味出てきたしさ」
「うん、いいと思う。私も、知らない人ばかりのところに行くのは少し不安だから…
サージュが居てくれたら気が楽になるよ」
可憐な笑みに見え隠れする不安げな心を目の当たりにし、自らが因論派代表として参加すれば彼女を安心させられるのだと知り、沸々とやる気が漲る。
別の人間が選手として登録を済ませてしまうより先にと、
サージュは決意を新たに学院へ戻ろうとして。
「じゃあ、善は急げだ。早速行ってく…」
振り返ったその刹那、全く以て予想だにしていなかった姿が眼前に飛び込んで来る。
思わず言葉を失い硬直してしまった彼女を訝しんで、ニィロウが視線の先を目で追うと、そこには以前の草神救出作戦で実質的な指揮を務めていた"戦友"の男がこちらへ向かって来ているのが見えた。
「…」
露店には目もくれず、彼は一直線に二人が居るシアターの近辺まで早足で歩いてくる。どうやら目的は自分達のどちらかだろうと、ニィロウは踊り子としての勘から悟る。
やがて少女達の存在を視界に捉え、少しだけ驚いたように目を見開きつつも、すぐに普段の仏頂面を取り戻しては、そのまま自然に傍に立ち止まった。
「こんにちは、アルハイゼンさん。あなたがここに来るなんて珍しいね。もしかして、
サージュを探しに?」
「いや…今日はニィロウ、君に用があって来たんだ。彼女がこちらに来ているとは知らなかったよ」
問い掛けに首を振り、目的が自分ではなくこの可愛らしい少女であると告げる"恋人"を前に、
サージュは胸に棘が刺さったように痛むのを感じる。
「えっと…学院祭の審査員についての話?」
「そうだ。俺も賢者達から推薦を受けて、今回の学院トーナメントの司会を務めることになった」
恐る恐る、けれど自己を主張するように二人の間へと割って入って、用件が何であるかを訊ねる。
否定を望んで問うた答えは彼女の願いも虚しく是であり、親しい友人である筈のニィロウへの嫉妬が燻り始めてしまう。
そんな少女の葛藤は露知らず、アルハイゼンは教令院の職員としての仕事を果たすべく、ズバイルシアターの大スターへと向き直り手を差し伸べた。
「今日は君自身の意思確認と、もし正式に審査員となるのなら、実際の司会進行その他諸々の打ち合わせをする為に来た。どうするニィロウ、この件…受けてくれるか」
「うん…私で良ければ、頑張ります! アルハイゼンさん、よろしくお願いします」
慎ましく頭を垂れて、それから差し伸べられた手を取るニィロウ。他意などない、ごく普通のやり取りを直視出来ず、
サージュはすかさず視線を逸らす。
疚しさからなる自己嫌悪に密かに唇を食み、逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。
だが何も知らない隣の少女はそれを許さず、笑顔でガールズトークの内容を彼へと伝えるのだった。
「そうだ、アルハイゼンさん。
サージュも学院祭に選手として参加したいって言ってたんですけど…手続きとか、お願い出来ませんか?」
純然たる想いから放たれる無茶振りに、男は彼女に答えるよりも先に
サージュへ発言の真意を確かめる。
その口調には、少女の不調に対する憂慮と独断専行による微かな苛立ちが込められていた。
「本気なのか、
サージュ」
「一応。話を合わせる為に適当言ったつもりはないよ」
横で聞いているニィロウを不安にさせないよう努めて端的に告げ、真摯な眼差しを向ける。
一度言い出したらその意志を曲げることのない彼女の決意に、アルハイゼンの口から小さく嘆息が零れ、そして。
「…わかった。トーナメントの参加者については直接俺が担当している訳じゃないが、口添えくらいなら出来る。教令院に戻った際に、係の者へ伝えておこう」
不承不承といった態度を隠さないながらも、しかと頷いて認める。隣で二人を見守っていたニィロウが、まるで自分のことのように喜びを露わにして
サージュの手を握る。
「よかったね、
サージュ!」
「う、うん…ありがとう。アルハイゼン、仕事増やして申し訳ないけど、それだけよろしく」
照れ臭さと罪悪感からぎこちなく謝意を述べて、握った手をゆっくりと離し男に向き直る。
それから踵を後ろへ大きく踏み出し、彼らから距離を置く。どういうことかと疑念を持つ隙も与えず、彼女は二人の元を去るべく駆け出した。
「それじゃあ…参加者としてだと聞いちゃいけない話もあるだろうし、私はそろそろ行くよ。またねニィロウ、司会楽しみにしてる」
振り向くことなくグランドバザールの道を走り、扉を叩き壊しかねない勢いで開き外に出る
サージュ。
バザー入口に位置する雑貨屋の老主人が騒音に驚愕し肩を跳ねさせるのも束の間、彼女はカウンターにモラの入った袋を叩きつける。
「お爺さん、牛乳瓶半ダースと小麦二袋ください。あと新鮮な魚肉があればそれも欲しいんですけど。 …ああ、そういえば塩も切らしちゃってたっけな」
己への憤懣を隠すことも出来ず、半ば八つ当たりに近い口調であれもこれもと注文する。
店主は普段は笑みを絶やさぬ少女がこうも激昂する様に気圧されながらも、言われた通りの品物を用意し、重量のある牛乳瓶以外を紙袋に詰めていく。
「…はぁ」
悔恨に満ちた深い溜息。自分の中に嫉妬心などという醜い感情が宿っていたことに、少女は苛立ちを募らせる。
今まで彼が誰と話をしていようとも、一度たりともこんな気持ちを抱いたことなどないのに、そう回顧してから、やはりこれは"恋人"であるが故の独占欲なのだろうと更に自己嫌悪が増していく。
ニィロウは誰もが憧れる踊り子で、以前この国を襲った危機を救う際においても、その舞が重要な役割を果たしたと聞く。
そんな"英雄"の一人に数えられる彼女を"戦友"である男が認めるのは至極当然のことと頭ではわかっていても、胸の内に渦巻く煩悶を取り払うことは困難で。
「
サージュ」
瓶を詰めたケースに紙袋を入れ、それを抱えて帰ろうとした少女の前に、一人の男が立つ。
言うまでもなくそれはアルハイゼンで、彼は眉間に皺を寄せて己の"恋人"を見つめる。
「なっ…何? ニィロウと打ち合わせするんじゃなかったの」
「彼女なら公演に呼ばれた」
「そう、見なくて良かったの?」
追い掛けて来てくれたことも喜べず素直になれないまま、言葉の端々に棘を持たせてしまう。
涙が出そうになるのを必死に堪え、
サージュは購入した食材を持ち帰るべく自宅へ向けて歩みを進める。
当然のように追従してくる彼に、どうして着いてくるのか遠回しに訊ねると、男はひどく呆れた様子で答えるのだった。
「何故金を出してまで苦痛を味わう必要がある? 俺が芸術に疎いことは君も知っているだろう」
足音が止まり、それに気付いた少女がすぐさま振り返る。腕を組んでこちらを見つめる瞳の影には、微かな悲愴が秘められていた。
「…」
その眼差しを前に何も言えず、視線が下へ落ちていく。俯いたのを好機とばかりに、彼は少女の両腕の重荷を自らの手に引き寄せる。
有無を言わさずケースを奪われる形になり、それに気付いた
サージュが慌てて顔を上げる。
「
サージュ。君は何か勘違いをしているようだが…俺は彼女の踊りに興味はない。勿論、彼女自身にも」
ようやく視線が重なったその瞬間を逃さず、アルハイゼンは言葉を紡ぐ。名を呼ぶ声音はこれ以上ない程に柔らかく、少女は殊更に罪悪感で押し潰されそうな想いを抱いてしまう。
「わかってるよ…わかった上で、それでも妬いちゃったんだよ」
「そうか。ならいい」
「…は? え?」
それだけ告げて、男は牛乳瓶のケースを軽々と小脇に抱えたまま、トレジャーストリートの坂を下って行く。
少女は理解が追いつかず暫くその場に立ち尽くしていたが、逸れないようその背を追うべく、震える足を踏み出す。
「あ、待って! 置いてかないで!」
シティの雑踏を抜け、雨林のスタイルに沿って造られた家群の立ち並ぶ居住区に辿り着いた頃。
人混みから充分に離れたのを確かめ、
サージュは"恋人"へと先の発言の真意を問う。
「ねえアルハイゼン、さっきの、どういうこと…」
ゆっくりと振り返って、坂の途中に立ち視線が逆転した少女を見上げるアルハイゼン。
困惑と焦燥感に眉を顰める彼女を見て、安易な誤魔化しや嘘は吐きたくないと、小さく息を吐いて破顔する。
「誤解が解けたことに対する安堵と、親しい友人の一人であるニィロウに嫉妬する程、君が俺に強く執着してくれていることへの愉悦。その両方だ」
男の言葉を咀嚼していく内に、みるみる頬が赤く染まっていく。嫉妬心さえも愛しいと臆面もなく口にするその懐の広さに、まともな言葉を紡ぐことが出来なくなっていた。
「今後も同じ轍を踏まないよう先に言っておくが、俺は君以外の女性には興味がない。だから他の誰に嫉視を向ける必要もない。それは安心していい」
「うん。 …うん?」
安易に頷いてから、実際にはとんでもない告白を聞かされていると気付き、緊張から声が上擦る。
溢れ出す喜びが抑え切れず昂る熱に思考が極限状態まで混乱し、彼女は支離滅裂な指摘を突きつける。
「他の女の子には…ってことは、男の人だったら興味あるの!? あ、だからカーヴェ先輩のこと…」
「どうしてそうなる。
サージュ、落ち着け」
ようやく辿り着いた
サージュの家に彼女を押し込み、男も身体を滑り込ませ戸を閉める。
玄関口に荷物を置いて、慌てふためく少女の瞳を真っ直ぐに見つめ、何故彼女が居候の青年に嫉妬心を抱くのかと憤りを持って詰め寄る。
「俺があいつを家に置いているのは、そういう意図があってのことじゃない。そもそも俺にそんな趣味があったとしたら、今の俺と君の関係も成立しないことになるが」
「…ぅ、ごめん。そうだよね…ヤキモチ妬きすぎて、知能レベルがスライム並になってた」
「スライムの方がまだマシだ。彼らは今の君のような余計なことは考えない」
忌憚のない辛辣な評価に何も言い返せず、力無く壁に凭れる。自宅に戻ったことも相俟って緊張の糸が切れた少女は、堪え切れず瞳から一雫の涙を零す。
「はは…っ、確かに。本当に、馬鹿だなぁ私…」
頬を伝う涙の冷たさに、脳裏に焼き付けられたあの呪詛が蘇る。"全ては悪くなるばかり"、そう唇を震わせようとして、不意にその身を抱き締められる。
その抱擁は割れ物に触れるかの如く柔らかく、そして熱く。伝わってくる温もりが胸を締め付け、堰を切ったように泣き出してしまった。
腕の中に収めた少女の涙が止むまで、アルハイゼンはただ待ち続ける。泣き腫らした瞳を拭いながら、与えられた幸福に感謝の笑みを浮かべた。
「それでも俺は、嬉しかったよ」
Jalousie