概要+短編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「…財布?」
いつものように知恵の殿堂を目指すサージュ。家から歩いて行く最中に、普段なら絶対に見かけることのない不自然な落し物に気付き、徐に足を止める。
身を屈め改めて確かめるが、やはりそれは一見した通りの代物で。恐らくはこの道を通った他者が落とした物に違いないが、神の目を通じた元素視覚による手掛かりの捜索はあまり意味を成さなかった。
「草元素の痕跡…はぁ。これじゃ持ち主が絞れないなあ…見た目でわかれば一番良かったんだけども、誰が持っててもおかしくないデザインだからな…」
そう独り言ちながら、少女は渋々その財布を拾い自身も立ち上がる。彼女が嘆く理由は至極単純、彼女が知る限りでは草元素の神の目を持つ知り合いが最も多く、それだけで持ち主を探し当てるには至らないのだ。
とは言えども、教令院の学生ほぼ全てという可能性がたった数人に限定出来たのは彼女の元素視覚によるものであることには違いはない。
与えられた力に感謝の意を抱きながら、サージュは来た道を引き返して財布の主を探すべく市井へと赴くことにする。
「んー…つい持ってきちゃったけど、元の場所で待ってた方が良かったかなぁ…泥棒と勘違いされても困るし」
バザールまで降りる為の長い坂を下っていくサージュ。歩いてきた道程を振り返り、自らの選択が間違ってはいないかと不安が過ぎる。
「どうした、サージュ。困り事か?」
「セノく…! いや、大マハマトラ様!」
天の救いにも等しいタイミングで通りすがった少年に飛び付くサージュ。彼はセノ、スメールにおいては法を司る権威そのものと言っても過言ではない存在だった。
迷える子羊となっていた彼女にとって、導きの司教足り得る彼との遭遇はこの上なく幸福なことと同義で、サージュは思わず彼の両手を財布ごと挟んで掴んでいた。
「…セノで良い」
「あ、そう? じゃあセノ君早速聞いてよ、さっき道でこの財布を拾ってさ。持ち主を探そうとしてたんだけど」
改まった行儀の良い呼び方を嫌った彼が首を振ると共に、サージュは猫を被っていたことすら忘れたように直ぐ様素に戻り、単刀直入に状況を説明する。
「そうか。誰のものか見当はついているのか?」
「アルハイゼン…は財布を落とさなさそうだから、カーヴェ先輩か…もしくはティナリ君かな。そのどっちかじゃなかったら知らない人」
説明を聴く傍らで彼自身も元素視覚を通して草元素を感知したようで、彼女が挙げた候補者に納得を示すセノ。
その上で更に自らの持つ情報を共有すべく、彼はサージュから財布を借り受けて特徴が無いか探る。
「この財布のデザインがティナリの趣味と合うようには俺には見えないな」
そのままマハマトラとしての責務を請負う意も込めて落し物を預かり、彼女と共に捜索に付き合う意志を見せる。
サージュも自身が思っていた以上に他人の持ち物を預かっていたプレッシャーが大きかったらしく、肩の荷が降りた安堵感に大きく伸びをして喜びを露わにする。
「それに…確かにサージュの言う通り、アルハイゼンが無くし物をする想像はつかない。お前が挙げた中では、カーヴェが一番可能性が高いだろう」
「セノ君もそう思う? だよねえ…」
「あぁ。つまり持ち主がカーヴェだと仮定した場合、奴はそいつが落ちてた場所に戻ってくる可能性が一番高い。サージュ、戻るぞ」
意見の合致した二人は、その渦中の人物が何処に居るかを想像する。財布がない以上買い物をするのも不可能、酒場など以ての外。
となると残る選択肢はそう多くない。やはり教令院の中に戻るべきだと結論付けたセノはサージュが先刻歩いて来た道を彼女に案内させる。
「えっ、戻るの!? はぁ…やっぱり最初からあそこに残ってるべきだったのかな…」
手招きするセノに遅れを取り、慌てて追いかけるサージュ。嫌な予感が確信に変わって行くのを感じ、無駄な徒労に項垂れる。
「それは間違いだ、サージュ。お前がバザーまで降りて来なければ俺はお前と会えなかった。この長い距離を歩いて来たこと自体は無駄にはならない」
「そう? なら良いんだけど…」
セノに宥められるように言い含められ、少女は渋々納得する素振りを見せる。
若干の違和感を覚えつつ復路を歩む最中、彼女は己の記憶が漠然とし過ぎていることに不安を零す。
「…あれ、こっちから来たんだっけか」
「まさかとは思うが、途中で飛び降りてはいないよな」
「そこまで身軽じゃないよ、飛行免許も持ってないし」
風の翼の所持・使用が認められた免許保持者であれば、華麗に空を舞うことで素早く市井に降り立ち、長く辛い螺旋の坂道を昇降する必要などないだろう。
だが彼女は自らが羽根を広げることは出来ないと告げ、地道に歩いて来たことを強調する。
「合ってた合ってた、ここでそれ拾ったんだよ」
ようやく元の場所に辿り着き、サージュはゆっくりと屈み財布が落ちていた位置を指差す。
人の往来が激しいとは言えない道の端、それも陰になる暗がり。これは、確かに意識して見ていなければ何が落ちても気付かないだろうとセノは深々と頷いて。
「なるほど…よく気が付いたな」
「毎日のように通ってる道だからね。違和感あったらすぐに気が付くと思う」
現場に戻り再び元素視覚で周囲に変化がないか確かめる二人。草元素の反応が増えているのを見つけ、財布の持ち主が戻ってきたかと期待するも、どうやら別人のようだ。
「ティナリ」
「珍しい組み合わせだね、何かあったの?」
「ちょうどここで落し物を拾ってね。一応聞くけど、これティナリ君のじゃないよね」
人とは異なる身を示す大きな耳と毛並みの整った大きな尾を携えた少年が、サージュ達に気付き振り返る。
少年の名はティナリ。二人とも旧知の間柄で、歯に衣着せぬ物言いから互いに気の置けない仲となっている相手だった。
草元素の使い手という条件には合致する彼にも念の為財布の所有者かどうか訊ねるサージュだが、ティナリは二人の予想通り首を横に振る。
「僕の財布ならここにちゃんとあるよ。その感じは…多分カーヴェのものじゃないかな」
「俺達も同意見だ。しかしここに戻っていないとなると…どこに行ったんだ?」
行方知れずのうっかり者の所在が見当もつかず、腕を組み深い溜息を零すセノ。
そんな彼の気を知ってか知らずか、長耳の少年は彼にとって非常に有用な情報をもたらすのだった。
「カーヴェなら今日はオルモス港に行くって言ってたよ」
「オルモス港!? 財布も無しに何しに行くのさ…はぁ、セノ君、その財布もうここに戻そう、あとは放っておこう」
スメールシティからかなりの遠方にあるオルモス港へ向かうという報を聞き、事の発端でありながら解決を放棄しようとするサージュを、二人が慌てて引き止める。
「待てサージュ、その前に見つければ済む話だ」
「そうだよ、流石に今ここでキミが諦めたらカーヴェが可哀想だ」
男二人に両肩の自由を奪われ、渋々歩みを止め考えを改めざるを得なくなるサージュ。
しかし劇的な打開策があるわけでもなく、彼女は嘆きと共に深い息を吐きつつ肩を竦める。
「うっ…わ、わかってるよ。でもカーヴェ先輩がどこ居るかは結局わからないし、一体どうしたらいいのさ」
程なくしてひとつの案を思い付いたセノが、小さく挙手してサージュに道を示す。
「新しい痕跡が現れてたりはしないか? カーヴェが一度ここに戻り、俺達とすれ違いになった可能性もあるだろう」
「ん、どれどれ…本当だ! こっちに草元素の反応が伸びてる」
セノの言う通りに元素視覚を通した視界に見つけた草元素の足跡を指して、彼女は盲進していく。
新たな発見に快くマハマトラがそれに追従しようとした矢先、ティナリが困惑の眼差しでサージュを呼び止める。
「あの、それ多分僕の…」
真っ赤に頬を染め激昂した様子で、サージュが小走りで元の位置に戻って来る。
怒りの矛先を彼の尻尾に向け、威圧の籠った声音で彼の名を呼ぶ。流石のティナリも自分に非があることを認め、成すがままに尻尾に触れられるのを許すしかなくなる。
「ティナリ君」
「ごめん」
一頻り尾の感触を堪能させて彼女の溜飲を下げていた所に、通りがかった男が不審なものを見る目をしつつも興味津々で彼らの輪に加わる。
「…こんな人の少ない往来で三人揃って何をしているんだ?」
「アルハイゼン、丁度いい所に」
アルハイゼンと呼ばれた男が、二人を遠巻きに見ていたセノの隣に立ち会話に参加する。
彼もまたサージュ達の古くからの友人で、ティナリや彼らが探しているカーヴェと同じ草元素の神の目を持つ者でもあった。
「さっきここでカーヴェ先輩の財布を拾ってね。本人見つからないし、キミに渡した方が早そう」
回りくどい説明の一切を省いた簡潔な言葉でサージュが的確に現時点の状況を伝え、それを受けたセノが自身の保管していた財布をアルハイゼンへと手渡す。
「ああ、これか。 …これは俺の物だ」
財布を受け取りながら、アルハイゼンは彼以外のその場の全員が驚愕する事実を伝える。
アルハイゼンが物を紛失するなど有り得ないという思い込みによって生み出された固定観念が崩れ去った衝撃に、彼らは三者三様の驚きを見せる。
一番冷静さを取り戻すのが早かったセノが恐る恐る真実か問い掛けると、男はゆっくりと頷き是を答える。
ティナリも困惑を隠せない中で理解を示すべく思考を口に出して、ようやく自分を納得させることが出来たようだった。
「…本当か?」
「アルハイゼン程の人間でも落し物をするんだ…ちょっと意外」
「そう驚くようなことじゃない。これは俺が自分の意思でここに置いた」
小さいながらも確かにモラの詰まった財布を持ち上げる動作の機微が、明らかに他人の物を扱うそれではなく。
「あ、なんだ。そういう」
「でもなんで、こんな所に中身の入った財布を?」
深く考えずすんなりと頷くサージュに対し、アルハイゼンの意図を理解出来ないティナリが、男を責め立てるような強い口調で問い掛ける。
その憤りは彼なりの心配でもあったが、男は気にも留めない様子で淡々と今回の目的について語った。
「ここに少なくない金銭を入れた財布を置いたのは、あの酒乱に教訓を与える為だ」
酒乱、と指すのが誰かは名言こそしなかったものの、十中八九カーヴェのことだろうと三人は暗黙の了解として追求を控える。
とは言えそこが明確になっていたとしてもあまり関係はなく、彼の真意が掴めないことには変わりない。セノは更なる説明を求め、アルハイゼンへと尋ねる。
「状況が飲み込めないんだが」
「ええと…もしかして、外側の財布そのものはカーヴェ先輩のだけど、中身はアルハイゼンのってこと?」
男が答えるより先に、サージュが一つの推測を導き出す。恐る恐る彼らを見上げる目は不安に満ちており、彼女自身も自信がない様子が見て取れる。
確かに先刻のアルハイゼンが所有権を主張した対象は明確にはなっていない以上全く有り得ないことではないが、あまりに突拍子もない可能性に、傍らで聞くセノは眉を顰める。
だがそんな二人とティナリの否定的な反応とは裏腹に、アルハイゼンの口角が僅かに上向く。どうやら彼女の推論は大穴を的中させたらしく、男は上機嫌で頷いてみせた。
「そうだ」
それだけ聞くと悪逆非道の行いにしか感じられないが、そこまで残酷な罰を与えようとしている訳ではなく。
「いくらあの酒癖を是正する為とは言え、流石に俺も唯でさえ少ないあいつの財産までをも奪う気はない」
「なるほど。多少肝を冷やすには丁度いいかもね」
「…僕はあまり褒められたやり方には思えないな」
カーヴェの酒癖が非常に悪いものであることを知るサージュとセノがアルハイゼンを肯定する面立ちの一方で、ティナリは渋い顔をして否を唱える。
少年も彼の悪癖を知らない筈は無いのだが、それでも罪に対する考え方の差からカーヴェを庇わずには居られないのだろう。
「そうだな…ティナリの言い分も一理ある。見つけたのがサージュだから仲間内で済んだが、邪な心を持つ学生が見つけていたら、被害が拡大していた危険もあったかもしれない」
罪を裁く役目を背負った第一人者でもあるセノが、ティナリの言葉を聞き考えを改める。
多くの人々が集うこの教令院においては、目的の為に手段を厭わぬ野心を抱く者も少なくない。
そうした悪意のターゲットになっていたらと思うと、大マハマトラとしての彼はアルハイゼンに同意することは出来なかった。
「…」
「ま、まあ…とりあえず何事もなかったから良かったよ、ね?」
盲点を突かれたからか、反論を口にする気力も無くなったのか。押し黙るアルハイゼンに不穏な空気を感じたサージュが、この場を収めようとセノとの間に割って入る。
この場における紅一点の困ったような笑みに絆され、少年はそれ以上何も言わずに溜息を吐いて一歩下がった。
「だね。一件落着したらお腹が空いたよ。アルハイゼン、お昼ご飯でも食べようか」
巨大な耳を微かに震わせ、ティナリが男を、正しくは男の持つ財布を横目で見る。
遠回しに自分にこの騒動への謝罪を要求する強かさに彼は笑みを浮かべて頷き、一足先にレストランの方角を目指し歩みを進める。
「…ああ」
「勿論二人も来るでしょ?」
先に草元素使い同士の意思疎通を察知したセノが頷き、これから口にしたい料理の傾向を語りながら後に続く。
「俺は肉がいい」
遠のく三人の背を慌てて追い掛けるべく足を踏み出して、サージュがようやく彼らの意図に気付き嘆息を零す。
知恵に通ずる識者達による高度な心理戦に、その輪に加わるにはあまりに正直で愚直な性格を自認する彼女は、彼らには敵わないと負い目を感じながらも、それでも追いつこうと足掻くのだった。
「あっ待ってよ皆、私もお肉食べたい!」
いつものように知恵の殿堂を目指すサージュ。家から歩いて行く最中に、普段なら絶対に見かけることのない不自然な落し物に気付き、徐に足を止める。
身を屈め改めて確かめるが、やはりそれは一見した通りの代物で。恐らくはこの道を通った他者が落とした物に違いないが、神の目を通じた元素視覚による手掛かりの捜索はあまり意味を成さなかった。
「草元素の痕跡…はぁ。これじゃ持ち主が絞れないなあ…見た目でわかれば一番良かったんだけども、誰が持っててもおかしくないデザインだからな…」
そう独り言ちながら、少女は渋々その財布を拾い自身も立ち上がる。彼女が嘆く理由は至極単純、彼女が知る限りでは草元素の神の目を持つ知り合いが最も多く、それだけで持ち主を探し当てるには至らないのだ。
とは言えども、教令院の学生ほぼ全てという可能性がたった数人に限定出来たのは彼女の元素視覚によるものであることには違いはない。
与えられた力に感謝の意を抱きながら、サージュは来た道を引き返して財布の主を探すべく市井へと赴くことにする。
「んー…つい持ってきちゃったけど、元の場所で待ってた方が良かったかなぁ…泥棒と勘違いされても困るし」
バザールまで降りる為の長い坂を下っていくサージュ。歩いてきた道程を振り返り、自らの選択が間違ってはいないかと不安が過ぎる。
「どうした、サージュ。困り事か?」
「セノく…! いや、大マハマトラ様!」
天の救いにも等しいタイミングで通りすがった少年に飛び付くサージュ。彼はセノ、スメールにおいては法を司る権威そのものと言っても過言ではない存在だった。
迷える子羊となっていた彼女にとって、導きの司教足り得る彼との遭遇はこの上なく幸福なことと同義で、サージュは思わず彼の両手を財布ごと挟んで掴んでいた。
「…セノで良い」
「あ、そう? じゃあセノ君早速聞いてよ、さっき道でこの財布を拾ってさ。持ち主を探そうとしてたんだけど」
改まった行儀の良い呼び方を嫌った彼が首を振ると共に、サージュは猫を被っていたことすら忘れたように直ぐ様素に戻り、単刀直入に状況を説明する。
「そうか。誰のものか見当はついているのか?」
「アルハイゼン…は財布を落とさなさそうだから、カーヴェ先輩か…もしくはティナリ君かな。そのどっちかじゃなかったら知らない人」
説明を聴く傍らで彼自身も元素視覚を通して草元素を感知したようで、彼女が挙げた候補者に納得を示すセノ。
その上で更に自らの持つ情報を共有すべく、彼はサージュから財布を借り受けて特徴が無いか探る。
「この財布のデザインがティナリの趣味と合うようには俺には見えないな」
そのままマハマトラとしての責務を請負う意も込めて落し物を預かり、彼女と共に捜索に付き合う意志を見せる。
サージュも自身が思っていた以上に他人の持ち物を預かっていたプレッシャーが大きかったらしく、肩の荷が降りた安堵感に大きく伸びをして喜びを露わにする。
「それに…確かにサージュの言う通り、アルハイゼンが無くし物をする想像はつかない。お前が挙げた中では、カーヴェが一番可能性が高いだろう」
「セノ君もそう思う? だよねえ…」
「あぁ。つまり持ち主がカーヴェだと仮定した場合、奴はそいつが落ちてた場所に戻ってくる可能性が一番高い。サージュ、戻るぞ」
意見の合致した二人は、その渦中の人物が何処に居るかを想像する。財布がない以上買い物をするのも不可能、酒場など以ての外。
となると残る選択肢はそう多くない。やはり教令院の中に戻るべきだと結論付けたセノはサージュが先刻歩いて来た道を彼女に案内させる。
「えっ、戻るの!? はぁ…やっぱり最初からあそこに残ってるべきだったのかな…」
手招きするセノに遅れを取り、慌てて追いかけるサージュ。嫌な予感が確信に変わって行くのを感じ、無駄な徒労に項垂れる。
「それは間違いだ、サージュ。お前がバザーまで降りて来なければ俺はお前と会えなかった。この長い距離を歩いて来たこと自体は無駄にはならない」
「そう? なら良いんだけど…」
セノに宥められるように言い含められ、少女は渋々納得する素振りを見せる。
若干の違和感を覚えつつ復路を歩む最中、彼女は己の記憶が漠然とし過ぎていることに不安を零す。
「…あれ、こっちから来たんだっけか」
「まさかとは思うが、途中で飛び降りてはいないよな」
「そこまで身軽じゃないよ、飛行免許も持ってないし」
風の翼の所持・使用が認められた免許保持者であれば、華麗に空を舞うことで素早く市井に降り立ち、長く辛い螺旋の坂道を昇降する必要などないだろう。
だが彼女は自らが羽根を広げることは出来ないと告げ、地道に歩いて来たことを強調する。
「合ってた合ってた、ここでそれ拾ったんだよ」
ようやく元の場所に辿り着き、サージュはゆっくりと屈み財布が落ちていた位置を指差す。
人の往来が激しいとは言えない道の端、それも陰になる暗がり。これは、確かに意識して見ていなければ何が落ちても気付かないだろうとセノは深々と頷いて。
「なるほど…よく気が付いたな」
「毎日のように通ってる道だからね。違和感あったらすぐに気が付くと思う」
現場に戻り再び元素視覚で周囲に変化がないか確かめる二人。草元素の反応が増えているのを見つけ、財布の持ち主が戻ってきたかと期待するも、どうやら別人のようだ。
「ティナリ」
「珍しい組み合わせだね、何かあったの?」
「ちょうどここで落し物を拾ってね。一応聞くけど、これティナリ君のじゃないよね」
人とは異なる身を示す大きな耳と毛並みの整った大きな尾を携えた少年が、サージュ達に気付き振り返る。
少年の名はティナリ。二人とも旧知の間柄で、歯に衣着せぬ物言いから互いに気の置けない仲となっている相手だった。
草元素の使い手という条件には合致する彼にも念の為財布の所有者かどうか訊ねるサージュだが、ティナリは二人の予想通り首を横に振る。
「僕の財布ならここにちゃんとあるよ。その感じは…多分カーヴェのものじゃないかな」
「俺達も同意見だ。しかしここに戻っていないとなると…どこに行ったんだ?」
行方知れずのうっかり者の所在が見当もつかず、腕を組み深い溜息を零すセノ。
そんな彼の気を知ってか知らずか、長耳の少年は彼にとって非常に有用な情報をもたらすのだった。
「カーヴェなら今日はオルモス港に行くって言ってたよ」
「オルモス港!? 財布も無しに何しに行くのさ…はぁ、セノ君、その財布もうここに戻そう、あとは放っておこう」
スメールシティからかなりの遠方にあるオルモス港へ向かうという報を聞き、事の発端でありながら解決を放棄しようとするサージュを、二人が慌てて引き止める。
「待てサージュ、その前に見つければ済む話だ」
「そうだよ、流石に今ここでキミが諦めたらカーヴェが可哀想だ」
男二人に両肩の自由を奪われ、渋々歩みを止め考えを改めざるを得なくなるサージュ。
しかし劇的な打開策があるわけでもなく、彼女は嘆きと共に深い息を吐きつつ肩を竦める。
「うっ…わ、わかってるよ。でもカーヴェ先輩がどこ居るかは結局わからないし、一体どうしたらいいのさ」
程なくしてひとつの案を思い付いたセノが、小さく挙手してサージュに道を示す。
「新しい痕跡が現れてたりはしないか? カーヴェが一度ここに戻り、俺達とすれ違いになった可能性もあるだろう」
「ん、どれどれ…本当だ! こっちに草元素の反応が伸びてる」
セノの言う通りに元素視覚を通した視界に見つけた草元素の足跡を指して、彼女は盲進していく。
新たな発見に快くマハマトラがそれに追従しようとした矢先、ティナリが困惑の眼差しでサージュを呼び止める。
「あの、それ多分僕の…」
真っ赤に頬を染め激昂した様子で、サージュが小走りで元の位置に戻って来る。
怒りの矛先を彼の尻尾に向け、威圧の籠った声音で彼の名を呼ぶ。流石のティナリも自分に非があることを認め、成すがままに尻尾に触れられるのを許すしかなくなる。
「ティナリ君」
「ごめん」
一頻り尾の感触を堪能させて彼女の溜飲を下げていた所に、通りがかった男が不審なものを見る目をしつつも興味津々で彼らの輪に加わる。
「…こんな人の少ない往来で三人揃って何をしているんだ?」
「アルハイゼン、丁度いい所に」
アルハイゼンと呼ばれた男が、二人を遠巻きに見ていたセノの隣に立ち会話に参加する。
彼もまたサージュ達の古くからの友人で、ティナリや彼らが探しているカーヴェと同じ草元素の神の目を持つ者でもあった。
「さっきここでカーヴェ先輩の財布を拾ってね。本人見つからないし、キミに渡した方が早そう」
回りくどい説明の一切を省いた簡潔な言葉でサージュが的確に現時点の状況を伝え、それを受けたセノが自身の保管していた財布をアルハイゼンへと手渡す。
「ああ、これか。 …これは俺の物だ」
財布を受け取りながら、アルハイゼンは彼以外のその場の全員が驚愕する事実を伝える。
アルハイゼンが物を紛失するなど有り得ないという思い込みによって生み出された固定観念が崩れ去った衝撃に、彼らは三者三様の驚きを見せる。
一番冷静さを取り戻すのが早かったセノが恐る恐る真実か問い掛けると、男はゆっくりと頷き是を答える。
ティナリも困惑を隠せない中で理解を示すべく思考を口に出して、ようやく自分を納得させることが出来たようだった。
「…本当か?」
「アルハイゼン程の人間でも落し物をするんだ…ちょっと意外」
「そう驚くようなことじゃない。これは俺が自分の意思でここに置いた」
小さいながらも確かにモラの詰まった財布を持ち上げる動作の機微が、明らかに他人の物を扱うそれではなく。
「あ、なんだ。そういう」
「でもなんで、こんな所に中身の入った財布を?」
深く考えずすんなりと頷くサージュに対し、アルハイゼンの意図を理解出来ないティナリが、男を責め立てるような強い口調で問い掛ける。
その憤りは彼なりの心配でもあったが、男は気にも留めない様子で淡々と今回の目的について語った。
「ここに少なくない金銭を入れた財布を置いたのは、あの酒乱に教訓を与える為だ」
酒乱、と指すのが誰かは名言こそしなかったものの、十中八九カーヴェのことだろうと三人は暗黙の了解として追求を控える。
とは言えそこが明確になっていたとしてもあまり関係はなく、彼の真意が掴めないことには変わりない。セノは更なる説明を求め、アルハイゼンへと尋ねる。
「状況が飲み込めないんだが」
「ええと…もしかして、外側の財布そのものはカーヴェ先輩のだけど、中身はアルハイゼンのってこと?」
男が答えるより先に、サージュが一つの推測を導き出す。恐る恐る彼らを見上げる目は不安に満ちており、彼女自身も自信がない様子が見て取れる。
確かに先刻のアルハイゼンが所有権を主張した対象は明確にはなっていない以上全く有り得ないことではないが、あまりに突拍子もない可能性に、傍らで聞くセノは眉を顰める。
だがそんな二人とティナリの否定的な反応とは裏腹に、アルハイゼンの口角が僅かに上向く。どうやら彼女の推論は大穴を的中させたらしく、男は上機嫌で頷いてみせた。
「そうだ」
それだけ聞くと悪逆非道の行いにしか感じられないが、そこまで残酷な罰を与えようとしている訳ではなく。
「いくらあの酒癖を是正する為とは言え、流石に俺も唯でさえ少ないあいつの財産までをも奪う気はない」
「なるほど。多少肝を冷やすには丁度いいかもね」
「…僕はあまり褒められたやり方には思えないな」
カーヴェの酒癖が非常に悪いものであることを知るサージュとセノがアルハイゼンを肯定する面立ちの一方で、ティナリは渋い顔をして否を唱える。
少年も彼の悪癖を知らない筈は無いのだが、それでも罪に対する考え方の差からカーヴェを庇わずには居られないのだろう。
「そうだな…ティナリの言い分も一理ある。見つけたのがサージュだから仲間内で済んだが、邪な心を持つ学生が見つけていたら、被害が拡大していた危険もあったかもしれない」
罪を裁く役目を背負った第一人者でもあるセノが、ティナリの言葉を聞き考えを改める。
多くの人々が集うこの教令院においては、目的の為に手段を厭わぬ野心を抱く者も少なくない。
そうした悪意のターゲットになっていたらと思うと、大マハマトラとしての彼はアルハイゼンに同意することは出来なかった。
「…」
「ま、まあ…とりあえず何事もなかったから良かったよ、ね?」
盲点を突かれたからか、反論を口にする気力も無くなったのか。押し黙るアルハイゼンに不穏な空気を感じたサージュが、この場を収めようとセノとの間に割って入る。
この場における紅一点の困ったような笑みに絆され、少年はそれ以上何も言わずに溜息を吐いて一歩下がった。
「だね。一件落着したらお腹が空いたよ。アルハイゼン、お昼ご飯でも食べようか」
巨大な耳を微かに震わせ、ティナリが男を、正しくは男の持つ財布を横目で見る。
遠回しに自分にこの騒動への謝罪を要求する強かさに彼は笑みを浮かべて頷き、一足先にレストランの方角を目指し歩みを進める。
「…ああ」
「勿論二人も来るでしょ?」
先に草元素使い同士の意思疎通を察知したセノが頷き、これから口にしたい料理の傾向を語りながら後に続く。
「俺は肉がいい」
遠のく三人の背を慌てて追い掛けるべく足を踏み出して、サージュがようやく彼らの意図に気付き嘆息を零す。
知恵に通ずる識者達による高度な心理戦に、その輪に加わるにはあまりに正直で愚直な性格を自認する彼女は、彼らには敵わないと負い目を感じながらも、それでも追いつこうと足掻くのだった。
「あっ待ってよ皆、私もお肉食べたい!」
4/47ページ