「ごめん、遅くなった!」
想い人との刹那の邂逅と冒険者としての仕事を経て、ようやく死域の除去作業を行っているレンジャー隊の元に合流した
サージュ。
その声を聞いた見習いレンジャーの少女、コレイが振り返って彼女に駆け寄るや否や、的確に状況を説明する。
「あっ、
サージュ。大丈夫、今ちょうどこの辺りの除染が終わったとこなんだ」
「そっか。報告ありがとう…お疲れ様。神の目持ってるのコレイちゃん一人なのに、よく頑張ったね」
「い、いや…あたしなんか、大したことは出来てないよ。殆ど一緒に来てくれた二人のお陰だし…」
謙遜と言うには自らを卑下し過ぎている彼女は、同行していた仲間達に目を向け今回の成果は彼らの助力によるものが大きいのだと語る。
疲れ切った様子で座り込んでいる隊員達と愁いを帯びた目で俯くコレイを交互に見て、
サージュは一念発起して協会の仕事の報酬として得ていた食材を彼らの為に使うことを伝える。
「そんなこと言ったら私こそ何も出来なかったよ。ちょっと待ってて、せめてご飯くらいはご馳走させて。さっき報酬に良いお肉もらったからさ、皆で食べようよ」
有無を言わせぬ手際の良さで火を焼べて、その傍らで袋から材料を取り出す
サージュ。
新鮮な獣肉に胡椒を塗し、拳で叩いて馴染ませていく。慣れた手付きで調理を始めた彼女へ、コレイは興味津々と言わんばかりに尋ねる。
「何を作ってくれるんだ?」
「普通のステーキか…ハニーソテーにするのもいいかもね。コレイちゃんはどっちがいい?」
選択を委ねられ、幼い少女が肩を跳ねさせる。まず自身の好みを口にしてから、それではいけないとレンジャー隊の面々を一瞥し、彼らを気遣ってのリクエストを
サージュへ伝えた。
「えっ! あ、あたしはステーキの方が好きだけど…どっちでも大丈夫だ。あっいや、ハニーソテーの方が疲れた身体にはちょうどいいか。そっちにしよう」
「偉いね、ちゃんと皆のことを見て選べるなんて。ティナリ"先生"に後で報告しておくよ」
「あ、す…すまない
サージュ。自分だって大変なのに…あたしの面倒を見させてしまって」
今この場に居ない彼女の師匠に代わり、コレイの指導者としての笑みを浮かべる
サージュ。
そんな"先輩"へ、彼女自身も学院内で苦悩を抱えている筈だと申し訳なさが先立ち、思わず謝罪の言葉が零れる。
しかし
サージュはゆっくりと首を横に振って見習い少女が詫びる必要などないと諭し、利己的な視点を以てのことだと敢えて自嘲してみせた。
「コレイちゃんが謝ることじゃないよ、私が好きでやってることだから。未来の後輩に、今の内から優しくしとかなくちゃ。それに今日は…」
「?」
「なっ、なんでも…ないよ。うん。だから大丈夫、気にしないで」
うっかり漏らしそうになった本音を慌てて隠す
サージュ。彼女がレンジャー隊員達に食事を作り始めた本当の目的、それは"予行練習"の為だった。
アルハイゼンに手料理を振る舞うと大見得を切った手前、万が一にも彼を落胆させる訳にはいかない。
自分が生きていく為の料理はいくらでも作ってきた彼女だが、他者に食べさせるものとなると話は別で。
故に"本番"の前に彼らへ料理を作り食べさせることで、実践前のテスト代わりにしようと画策していたのだった。
「それよりコレイちゃんも疲れてるでしょう? 他の皆と休んでていいんだよ?」
利己的な思惑をひた隠しにして、少女に休息を促す。その笑みがどこまで本心かは定かではなかったが、コレイにはそれが何故だか虚勢のように思えた。
気を遣わせてしまったことに罪悪感を抱き、居た堪れなくなった彼女は調理の手伝いを申し出る。
「けど待ってるだけも悪いし…あたしも手伝うよ。付け合わせのニンジンとか、ジャガイモを切ったり…何かしらあるだろ?」
「んー? いいのいいの、切って焼くだけなんて簡単だしさ。だから休んでて欲しいかな」
遠回しな拒絶、それはかつて全てのものを拒んでいた頃の自分を見ているようで。
このまま会話を終えてはいけないと本能的に悟り、コレイは勇気を振り絞って声を上げた。
「あのさ、
サージュ。あたし…昔は草神様のこと、大嫌いだったんだ」
野菜を切る手を止め、ゆっくりと少女に虚ろな目を向ける
サージュ。生気のない瞳に背筋が震える感覚を味わい、反射的に彼女の表情を窺う。
「…ごめん。怒ってる…よな?」
「ううん、続けて。聞きたいな、コレイちゃんの話」
それまでの覇気のなさが嘘のように、
サージュは花が綻ぶかの如く笑みを浮かべる。
狂信的に草神を敬う彼女へこんな悪態を聞かせるのは憚られると思い逡巡しつつも、コレイが口を噤むことはなかった。
「少し前まではずっと自分の運命を呪ってて、あたしをこんなめちゃくちゃな人生にした草神なんて最悪だ、って思ってた。魔鱗病も…皆のお陰でようやく治ったけど、まだちょっと慣れない」
病に蝕まれて上手く扱えていなかった手を握り、ゆっくりと開く。ぎこちなさの残る動きを、
サージュはじっと見ていた。
「だけど…
サージュが教えてくれた草神様は、あたしが思ってたよりずっと素敵で、彼女には彼女なりの優しさがあるんだってわかった。それなら、もう少しあの神をあたしも信じてもいいのかもしれない…って。
サージュのお陰で、そう思えたんだ」
「…ありがとう、コレイちゃん。そう言ってくれる人が居るだけで、私も今日まで学んできた甲斐があったと思えるよ」
募る想いを吐き出して、自分が確かに
サージュに救われた事実があったのだと語るコレイ。
その半生に多くの波乱を抱え、神を忌み嫌うには充分過ぎる苦難を背負い今日までを生きた己が、草神への認識を改められたのは、紛れもなく彼女の功績なのだと信じていた。
サージュは感謝に儚さを滲ませた笑みを浮かべて、雲間に隠れた月を仰ぎ深く息を吸う。
そして、どれだけの賛辞を浴びようとも、自分は決して少女の希望にはなれないのだと知る。
ゆっくりと下ろした首を静かに振って、
サージュは獣肉と付け合せの野菜を一纏めに火に焼べる。
「でも…私、草神様のこと…よくわからなくなっちゃったんだ。コレイちゃんに教えた歴史の話も、本当に草神様のことで合ってるのか…今は断言出来ない」
肉の表面に焼き色が着くのを見守り、焦げ付かぬように的確なタイミングで引っ繰り返す。
その拍子に油脂が跳ね、顔面目掛けて炎が舞う。
サージュはそれを避けることなく受け、爆ぜた痛みなどなかったかのように平静を保ったまま汚れだけを拭い取る。
やがて馨しい香りが立ち込めるにつれ、少女達から離れた場所で休息を取っていたレンジャー隊の仲間がこちらへ近寄ってくる。
もう間もなく食事が出来上がると彼らに告げて、
サージュはそれらを盛り付ける為の食器を鞄から探し始めた。
「
サージュ…」
火元から目を離した
サージュに代わり番をするコレイが、それ以上は何も言えず押し黙る。
以前の彼女であれば、鬱陶しささえ感じる程に熱意に満ちていて、隙あらば草神の偉大さを説いていた。
そんな姿からは想像もつかぬ程消沈している様は、まだ幼い見習いレンジャーの少女にさえ異様に映っていた。
「ごめん、気まずい話になっちゃったね。歴史の勉強って難しくて…それまでずっと信じられていた仮説が、ある日突然覆ることも結構多いんだ。前はそれが楽しいとさえ思ってたんだけども」
「…今は楽しくないのか?」
「少なくとも、簡単には受け入れられるものじゃないのは確かだね」
言葉少なに返し、器と共にハチミツソースを持ち上げる。レンジャー隊の面々にも食事にしようと合図して、彼らを呼び寄せるべく
サージュは強引に対話を絶ってしまった。
「いただきます」
かつてティナリに教えられた通りに律儀に食前の感謝を口にして、コレイは
サージュの作った料理を口に含む。
肉そのものの焼き加減は、絶妙なバランスによって程よく柔らかく食べ応えのある食感を生み出しており、一口で彼女は笑みと共に感嘆を述べる。
獣臭さを取り去るハチミツソースも、疲れた身体にはこの上なく嬉しい甘さで肉と調和し、隊員達も顔を綻ばせていた。
が、続け様に食した付け合せのニンジンは芯が残り硬く、前述の称賛に対し疑念が生まれてしまった。
「美味い! …い?」
「正直に言ってくれて大丈夫だよ。というか寧ろ、後学の為にも、ちゃんとした感想を聞かせて欲しいんだよね…」
彼女の微妙な反応に視線を泳がせて、夕刻頃に己がアルハイゼンへと安易に口にした約束を悔やみ始める
サージュ。
予想よりも芳しくない結果に、己の料理の腕に不安と焦燥が芽生え、藁にも縋る想いで苦笑を零した。
「そうか、なら…ハッキリ言う。
サージュ、あんた野菜の扱いが雑すぎだ。さっき気付かなかったあたしも悪いけど…もっとちゃんと焼かないと、生焼けになって身体に良くないと思う」
「あぁなるほど…ごめんね。普段どう調理しても美味しくないから、つい適当にやっちゃった。 えー…野菜は先に焼き始める、と…」
恐る恐る、しかし一切忖度することなく諫言を伝える彼女に、
サージュは自分本位を極めた焼き方を詫びる。
それから懐に携えている小さなノートを取り出し、少女からの"指導"をメモしていく。
「野菜好きじゃないのか、何だか子供みたいだな…」
「ぷっ…あははっ! まさかコレイちゃんにそう言われるなんて想像もしてなかったよ」
「ごめん、気に障ったなら謝…」
決して歳が近いとは言えぬ妹分のような存在が呆れ顔で口にした"子供"という表現を一笑に付して、しかしそれが今の自分に最も適した評価なのだと自嘲する。
「ううん。多分…本当にその通りなんだよ。結局私は、自分の思い通りに事が運ばなくて拗ねてる子供なんだと思う」
最低な悲嘆を吐き捨てて、生焼けのせいで硬いニンジンを無心で噛み続ける
サージュ。
草神への敬愛の念に対する懐疑も、恋人との時間を得られぬ懊悩による鬱積も、そのどれもが幼子の駄々なのだと、彼女は無理矢理に溜飲を下げる。
「コレイちゃんは…こうはならないように、ティナリ君やセノ君の言うことをよく聞いて、でもそれだけじゃなくて…ちゃんと自分の頭でよく考えるんだよ」
「あぁ。けど
サージュ、あたしは…
サージュがそんなに間違ってるとは思わない」
屈折した先導をしかと受け止めて頷いて、その上でコレイは彼女の憂悶が悪だとは言い切れない筈だと叫ぶ。
「自分の運命が良いようにならなくてイライラするのは、誰だって同じだ。それこそあたしだって、草神にそのことを八つ当たりしてたんだから」
「…はは、"後輩"に慰められてちゃ世話ないな…ごめんね、不甲斐ない"先輩"で」
乾いた笑みを浮かべ、彼女の方が自分よりも余程達観しているではないかと自責に胸が軋む。
本来であれば自らが教え導くべき立場である筈の彼女から逆に学ばされたことがあまりに多いと、
サージュは頭を抱えたくなりつつあった。
「そうでもない。
サージュの教えてくれたことは、ちゃんと役に立ってる。本だって沢山借りてるし…あたしからしたら、充分立派な"先輩"だ」
けれどもコレイにとってはそうではなく、
サージュもまた師のように自分の先達として相応しいと正しく認めているのだと顔を綻ばせる。
「ん、ありがとう。はぁ…このまま本当にコレイちゃんが私の後輩になってくれたら、きっと色んな研究が捗るだろうになぁ」
「うぇっ!? そっ…それは…」
唐突な、しかしある種必然でもある願いを零され、レンジャー見習いとしての技量さえまだ未熟だと自覚する少女は狼狽する。
流浪の日々と残酷な運命によって、まともに勉学に触れることさえ出来ないまま幼少を過ごした彼女にとって、
サージュの悲願を叶えるなど夢のまた夢であった。
「レンジャー隊と両立するのは大変かもだけど、私だって冒険者稼業もしながら何とかなってるし…ね?」
しかしそんなことは露知らず、
サージュは期待に満ちた眼差しでコレイが未来の後輩となると信じ手を握る。
「む、無理だ…! あたしはまだ字も全然ちゃんと読めないし、師匠やアンバー達にも恩返ししなきゃならない。もっと自分が凄くなってからじゃないと…ダメだ」
はち切れんばかりの全力で首を振り、教令院で学ぶよりも先に成すべきことが山積みだと決意を胸に宿すコレイ。
その悲壮な表情にどこか
シンクロニシティを感じた
サージュは、自分本位に急くばかりであったことを詫び、彼女なりのペースで歩むのが一番だと理解を示す。
「っと、ごめんごめん。そうだね…焦ってもいいことないよ。大丈夫、ゆっくり待つから」
「あたしが教令院に入れるのが何年先になるかわからないけどな…でも頑張るよ、ありがとう
サージュ。ごちそうさま」
激励に何度目かの感謝を表し、空腹を満たした安堵に深い息を吐くコレイ。食後のお茶を用意しようと立ち上がって、それは自分達がとレンジャー隊の仲間に引き止められてしまった。
手持ち無沙汰に逡巡することになったのは
サージュも同じだったらしく、彼女は新たな話題をと、少女の
第二の故郷への郷愁について語り始めた。
「…そういえば、コレイちゃんの言う"アンバー"って、確かモンドの西風騎士団の子なんだっけ」
「ああ、そうだ。あたしの一番の憧れ…それがどうかしたか?」
「いやね、私も少し前に西風騎士団の人にお世話になったから。だから、もし機会があれば一緒にモンドへ行きたいなって」
レンジャー隊員から受けとったお茶の温かさを堪能しながら、
サージュは自分も会いたい相手が居ると告げる。
少女はその意外な縁に驚嘆から目を丸くしつつ、どういう経緯によって彼女がモンドの人間と結びついたのか、何故動向を願うのかを問う。
「
サージュがモンドに?」
「うん。西風教会を見に行く途中で魔物に追われてたのを、遊撃騎士の人に助けてもらったんだ。けど、結局名前も聞けず終いで…コレイちゃんと一緒に行って、その人にお礼を言えたらいいなって」
ピンポイントで個人を指し示すワードに瞬時に反応し、コレイは自分が力になれることを確信する。
サージュが探している"彼女"が自分もよく知る人物であった小さな奇跡に欣喜の想いを抱きつつ、少女は拳を握り突き出す。
「わかった。今度一緒に…二人でエウルアとアンバーに会いにモンドへ行こう。皆いい人達ばかりで、
サージュの悩みもきっと快く受け容れてくれると思う」
ぎこちなく突き出された握り拳に共鳴し、
サージュはいつか必ずその約束を果たすことを誓う。
「エウルアさん…かあ。よし、覚えた。楽しみにしておくね」
「じゃあそのモンドへ行く約束を叶えるためにも…ひとまず、無事に村まで帰ろう」
異国に想いを馳せ、スメールとは何もかもが異なるかの地で新たな気付きを得ることを夢見る
サージュ。
焦燥に下を向くばかりでは辛くとも、少し顔を上げればその景色は悠然と広がっていて、彼女は自分が決して独りではないのだと喜びを噛み締める。
そして、いつかの日にそれを教えてくれたのが己の最も大切な"恋人"であることを不意に思い出し、胸の内が熱を帯びる。
彼を落胆させてしまう前に自らの弱点に気付けて良かったと、
サージュは自分が"練習台"にしたことなど全く知らぬレンジャー隊の面々へ謝罪の念を抱きながら、コレイの手を取り笑んでみせた。
「…うん、今日はありがとうコレイちゃん。助けに来た筈が、何だか逆になっちゃった」
「いいんだ。あたしは
サージュと話すの好きだから。また今度、あんたの話を聞かせてくれ」
Procès