短編集
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「まさかアルハイゼンが本当に一緒に来てくれるとは思わなかったよ」
近付いてきた潮の匂いを感じながら大きく伸びをして、少女が感嘆を零す。
今日のサージュは、オルモス港に来ていた。それも個人ではなく、いつからか教令院でよく話すようになった書記官の男を伴って。
「俺も丁度こちらには用があったからな。利害の一致により行動を共にすることがそんなに不思議か?」
「ああ…いやさ、キミは一人で動く方が好きなんだと思ってたから…ちょっと意外だったんだ」
整った顔立ちからなる彼の憮然とした表情に、思わず心臓が跳ねるサージュ。
普段の精悍さとは全く印象の異なる可愛げのあるそれは、彼を異性として再認識させるには充分過ぎる程魅力に見えた。
逸る動悸を抑えつつ、彼女は男に抱いていた印象を語る。常に人に行方を悟らせぬ自由奔放さが孤独を愛するが故でなかったことは、少女にとって驚嘆に値するものだった。
「それは基本的に俺は個人で動くのが一番効率がいいからだ。やりたいことをやるのに、いちいち他人と歩調を合わせていては時間が勿体ない」
ならどうして今回だけは、そう問おうとした彼女を遮り、アルハイゼンがその先に続く言葉を紡ぐ。
「だが、今日はそうではない。君の目的を果たすついでに、俺も自分の用事を済ませようと思った。だから君に同行すると決めたんだ」
「…そっか。ありがとう、アルハイゼン。ちなみにキミのその用事って何?」
興味からの雑談に繋げるべく、サージュが男に問い掛ける。プライベートを語らぬ彼がその疑問に応じるかは賭けだったが、聞かずに悶々とするのは彼女の中で収まりが悪かった。
幸いにも男は全く答える気がないわけではないらしく、どこから話すべきかを逡巡し嘆息を零す。
「とある目的を果たす為に、賢者達のご機嫌取りをする必要がある。利用できそうな何かを探しにこちらへ赴いたのが主な理由だ」
またもや見えた意外な一面。苦笑しつつも満更でもないその表情は、再び彼女を驚かせた。
「アルハイゼン、人を敬うとか出来るんだ」
「そうすることで目的を果たせる相手になら、俺もそれくらいはする。スメールはテイワット最大の学術都市と謳っておきながら、この国には優れた思考を持つ者は殆ど居ない。だから珍しいというだけだ」
「う、耳が痛い…」
己が劣等生であると自覚する少女は、彼の語る上澄みには決して含まれないのだと知り自虐を口にする。
しかし彼にとって少女の抱く草神への信心は、自らを含めこの知恵の国に住む多くの者が忘れてしまったものであり、正しく認められるべき崇高な理念だと常日頃から思っていた。
だが、たとえどれだけアルハイゼンが個人として彼女を認めていようとも、学院内での地位は相反するように彼女を低い場所に留め縛り付けており。
「そう思えるのなら、君はまだ向上心を失っていないということだ。アーカーシャに頼りきりで、学ぶことの真髄さえ忘れてしまった愚者とは明確に異なる」
気休めにもならない慰めでしかなかったが、それでもサージュにとっては救われる言葉に違いはなく、贈られた言葉を嬉しそうに噛み締める。
「…うん。草神様に報いる為にも、頑張らなきゃ。良い筆記具…見つかるといいな」
決意を新たに拳を握り締めて、当初の目的を果たすべく周囲の露店を見渡す少女。
しかしまず初めに目に入ったのは、瑞々しい果物が所狭しと敷き詰められた青果店。
港に着くまでの間、水ひとつ飲んでいなかったと思い出した少女は、ふらりふらりとその青果店に誘き寄せられていく。
「あ、でもその前に栄養補給したい…あのフルーツ美味しそう」
「待てサージュ。あの店はやめておいた方がいい」
背後からその誘惑を断ち切る声に、サージュは肩を跳ねさせて振り返る。
「そうなの? 美味しくないとか?」
「味はそこまで悪くはない。が…大量に買わされるんだ」
「うわ、それは困るな…じゃあやめとこ。教えてくれてありがとう」
眉根を下げて笑んで、感謝を述べる。日銭を自らの足で稼いでいる少女にとって、不必要な出費は何としても避けたいところだった。
当初の目的に立ち返るべく他の店舗を一瞥してみるが、見えるのは鉱石売りなど、無関係な店ばかりで。
「んー…」
頬に指を当て、思慮に耽る少女。 海沿いの表通りでは目当ての品が見つからないのかもしれないと考え始めた頃、アルハイゼンの方から彼女へとひとつの提案が挙がる。
「こっちだ。着いて来てくれ」
背中越しに目線を向けて誘導し、男は木の洞により形作られた通路へと潜り込んで行く。
海に面した通りとは印象がまったく異なる鬱蒼とした雰囲気の洞穴に、少女が心細さから男が翻したマントの端を掴む。
「…どうした?」
「や、なんかちょっと怖いな…って少し思っちゃって。ごめん」
訝しむ彼の表情を見てサージュは慌ただしく手を離し、無意識からの非礼を詫びる。
それから羞恥に染まる顔を背けて誤魔化そうとするものの、男の興味は完全に彼女へと向いていた。
「何を思って恐怖を感じたのか、参考までに聞かせてくれるか」
「うーん…なんだろう、太陽が見えないから…なのかな」
日差しがほぼ遮断され、また点在する水溜まりによる温度差も相まってか、どこか陰鬱さが感じられたと語る少女。
しかし実際にはその印象は誤りであり、恐れることなど何もないのだと、アルハイゼンは彼女を安堵させるべく言葉を紡ぐ。
「成程。それなら心配はいらない、すぐに日光の下に出られる」
続く道の先を指して、光が差し込んでいるのを示す。その輝きに少女は胸を撫で下ろし、青年へと感嘆を述べる。
「ほんとだ、そんなに長い道じゃなかったんだね」
暗澹とした暗闇はすぐに終焉を迎え、木漏れ日からの柔らかな陽の光がサージュ達を包み込む。
込み上げてくる暖かさがもたらす胸の高鳴りが、まるで自らの抱く想いのようで、少女の頬は再び朱に染まっていく。
「…っと」
間近に立つ彼に悟られぬよう、洞を抜けた先に見える店に目を向ける。大通りとは趣向の異なる品が立ち並ぶ様に、ここになら自分が探し求める逸品があるのではないかと期待が膨らむ。
「あのお店ならあるかな」
「運試しする価値はある、とは思う」
周囲を見てサージュが指したのは、とある骨董品店。スメールのあらゆる神達の遺物を収集している稀有な人物の営む店で、もし筆記具が見つけられずとも、彼女にとって有益な品があるだろうと、アルハイゼンは頷く。
彼女が店主と話す間、男が一歩離れた位置から、陳列された骨董品に目を向けつつその様子を窺う。
本当に価値の高いものを正しい値で買うのなら止める権利はないが、不当な値段を突き付けられて彼女が自らの財産を無駄にしてしまうのは道理が通らない。
出逢ってからの観察の結果、サージュは人の持つ悪意に対して、あまりにも無垢であった。
そうした脅威から彼女を護りたいなどという崇高な理念によるものでこそなかったが、此度の同行を最初に申し出た際の約束を果たすべく、彼は少女の傍を離れなかった。
「キングデシェレト様の遺産…そんなものも置いてるなんて」
アルハイゼンが一瞥すると、店主である老人は赤王の遺産だという小さな腕輪を少女に見せていた。
だがそれは赤王のものではなく、花神が遺した品だろうと彼は気付いてしまった。
自分の進めていた研究課題の内容から、遺跡調査に幾度となく赴いたことでキングデシェレト文明について深い造詣のある彼は、その間違いを質さずにはいられなかった。
「失礼を承知で指摘させてもらおう。御老人、その説明は誤りではないだろうか」
「え? そうなの…?」
サージュとの間に割って入り、店主へ努めて柔らかい声音でそう告げる。どういうことかと困惑した様子で此方を見る少女にも構わず、男は自身の見解を述べる。
「これが本当にキングデシェレトの物品だというのなら、もう少し彼に相応しい大きさであるべきだ。恐らくこれは、かの者が花神へ贈ったものだと思われる」
老主人は目を丸め驚愕し、恐る恐る眼鏡の位置を直して自身が手に持つ腕輪の細部を確かめる。
それから暫くして、彼は己の見立てが甘かったことを認め、アルハイゼンに深々と頭を下げた。
「礼はいい。俺は間違いを正しただけのこと」
「…流石アルハイゼン、詳しいね」
店主へ頭を上げるよう促して、少女に向き直る。因論派としてヴァフマナ学院に所属している彼女だが、入学から日が浅いことも相俟って、どうやらまだ審美眼は磨かれてはいないようだ。
それ自体は仕方のないこととは理解しつつ、どこか燻る気持ちが重なり、思わず辛辣な口振りで答えてしまう。
「君が無知なだけだ。あれくらいは早く見抜けるようになった方がいい」
そう口にしてから、卒業前に研究に従事していた最中にとある青年から何度言われたかわからぬ諫言が脳裏に過ぎる。
男は常に自分を基準に置いて語ることで周囲からの反感を買い、その度に共同研究者に詰られていたことを思い出す。
また繰り返すのかと諦めにも似た落胆を抱くアルハイゼンだが、その懊悩は少女の真摯な眼差しによってすぐに払拭される。
「うん、キミの言う通りだと思う。クラクサナリデビ様だけじゃなくて、キングデシェレト様のことについても…もっと勉強しなきゃだね」
瞳に宿るのは、義憤に満ちた炎。アーカーシャという知識の礎に堕落した者の多いこの国では稀有となってしまった、自らの手で智慧を掴む強い意志が、彼女から確かに感じられた。
「…あぁ」
言葉少なに応え表面上は平静を装いつつ、己にとって望ましい反応を見せた少女への想いが浮かび上がってくる。
久しく感じていなかった喜びに、彼女ならば忘れかけていた熱意を呼び覚ましてくれるのではないかと、彼は淡い期待を寄せてしまう。
「っと…お爺さん、ありがとうございました。さっきの腕輪、買えなくてごめんなさい」
律儀に頭を下げ、冷やかしとなってしまったことを骨董屋へ詫びるサージュ。
赤王の遺物など、歴史的資産価値を考えれば一介の学生が自分の貯蓄で易々と手を出せる額ではないのは当然のことだが、それでも彼女の中には罪悪感が生まれていたらしく、表情は晴れぬ様子だった。
後ろ髪を引かれる少女を呼び寄せて、アルハイゼンは次の店を見るよう促す。今回の目的はあくまで筆記用具であり、研究材料ではないのだ。
「サージュ、君が気にすることではないだろう」
「でも時間を使わせちゃったのに買わなかったら悪いかなって」
「はぁ…同行していて正解だった。その罪悪感はいつか破滅を招く。早めに改めた方がいい」
深い息を吐いて、蘇ってしまった嫌な記憶を掻き消そうと首を振る。彼女の困ったような笑みが、袂を別ったかつての友だった彼を想起させるものにあまりにも似ていて、男は密かに唇を噛み締めた。
「…うん。気を付ける。心配してくれてありがとう、アルハイゼン」
静かに頷き、少女は彼の言葉に理解を示す。忠言を正しく胸に刻み、次は同じ過ちを繰り返さぬようにと意気込んでみせる。
想像していたものとは異なる反応に、どこか安堵のような気持ちを抱くアルハイゼン。
たとえ先刻の表情がどれだけ似ていてたとしても、彼女は彼とは違うのだと思い直し、平静を取り戻す。
「心配? …そうか、君は俺が善意で忠告したと思っているのだな」
「えっ、違うの?」
予想もしていなかった言葉に、驚いて肩を跳ねさせるサージュ。困惑している少女を余所に、彼は自らの行動原理がそのような利他的な感情からなるものではないと断言するのだった。
「客観的な視点からはそう見えるかもしれないが…俺は単に、自分の中で納得が行かない行動が気に食わないだけだ。さっきの発言に君への優しさや厚意を感じたのなら、その認識は大きな間違いだと言える」
「もし本当に自分の為だったとしても…それでも、私は嬉しかったよ。間違いを正してくれる人は貴重だって知ってるから」
胸元に手を宛て、喜びと感謝を露わにする。孤独の苦しみを知る彼女にとっては、どんな形であれ自分に提言してくれる存在は稀有なもので。
「…ならいい、好きに解釈してくれ」
少女から完全に背を向け、アルハイゼンは自らの目的を果たす為に歩みを進める。
これ以上彼女の眼を見ていると、また前と同じことを繰り返してしまうのではないか。心が騒めく感覚に苛まれるのを掻き消すべく、足を早めた。
「あ、待って!」
慌てて追いかけようとして、足が縺れる。派手に転んでしまいそうになったところを寸でで持ち直して、逸れぬように男の背を探す。
「…」
次に男が立ち止まっていたのは、金細工職人の店。プレゼントに適した煌びやかな装飾品が立ち並び、眩しささえ感じさせる程だった。
彼がこうしたアクセサリーの類を贈る相手が居るのかと少女の脳裏に一瞬だけ不安が過ぎるが、恐らく先述の賢者への贈呈用だと自分を納得させ、隣に立って共に眺めることにする。
「綺麗だね、アルハイゼンにも似合いそう」
「君は俺がこういったものを着けると思うのか?」
何気なく放った言葉にも厳しい眼差しを向ける男に、少女は苦笑して首を振る。
「いや、場所がないなとは思うよ。耳にはヘッドホンがあるし、腕や指は物を書く時に邪魔になるだろうし…」
至る所をまじまじと見つめ、アルハイゼンの装いが絶妙なバランスで成り立っているスタイルであることを実感するサージュ。
その造形美を直視し続けるのが恥ずかしくなり、次第に頬が熱を帯びていく。一度意識してしまえば最後、邪念を払うのは至難だった。
「あ…えっ、と」
視線を泳がせて誤魔化そうとして、しかし先に続く言葉が見つからず喉が痞える。
傍から見れば恋心を自覚したようにしか思えぬその初々しい表情に、職業柄そうした機微に敏い金細工職人が商機を見つけたと言わんばかりに擦り寄る。
「サージュ」
「ん? わ、待っ…!」
ピンチを悟った彼が少女の手を引いて、その場を離れる。触れ合った熱さに、サージュの動悸がますます激しくなっていく。
無言のまま男は洞まで戻り、そこでようやく手を離す。長い前髪に隠された瞳から表情を悟ることは出来なかったが、彼が苛立っているだろうことは明白であり、少女の口から悲愴が零れる。
「ごめん…また迷惑かけちゃった」
「それ自体は別にいい。君の浪費を阻止するのがこうも忙しいとは思わなかったが」
淡々と告げるアルハイゼン。怒りや哀しみと言った負の感情は見えず、それどころか彼は微かな笑みを浮かべて瞳を閉じる。
「…でも、案外悪くはない。少なくとも、一緒に来た意味はあったと言える」
満足げなその表情に、少女の心臓が跳ねる。他者との接触を好ましく思わない筈の彼が、自分との交流を好意的に思ってくれるという優越は、サージュにとってどうしようもなく喜ばしい出来事だった。
緩む頬を引き締め、改めて男に向き直る。紡いだ絆が絶えぬことを願いながら、少女は悪戯っぽく笑んでみせた。
「ありがと、これからもよろしくね」