教令院からの帰り道、少女はスメールシティ随一の鍛冶屋シャムシールにて、見慣れた書記官の背を見つける。
「ん? 珍しいね。こんな所でどうしたの、アルハイゼン」
「…あぁ、
サージュか。使っている剣の切れ味が悪くなってきたから、メンテナンスに来ていたところだ」
「なるほど」
鍛冶屋の主が点検している片手剣を指して、状態の劣悪さが深刻なものであることを示す。
遺跡探索における機械生命体やオルモス港などへの往来の際に街道で出会すヒルチャールなど、彼が剣を振るわねばならぬ相手はそれなりに多い。
サージュと呼ばれた少女は感嘆を零しながらも、自身は魔導書や法器を用いて元素力を操る戦い方をしているせいか、あまり実感が湧いて来ないらしくその声には覇気がなかった。
「やっぱりヒルチャールの盾や遺跡守衛を斬るのは大変なんだ」
「…恐らく。なるべく直接刃で斬り付けることはせず、元素力を纏った斬撃を当てるように努めているが…どうしても限界があるようだな」
アルハイゼンが嘆息を零すのを横目に、少女は彼の戦いを思い起こす。そして、その力を持ってしても武器の劣化が避けられないのだと知り、眉が下がっていく。
鏡片を象った草元素の力を用いて刃を雨のように降らせたり、自身に迫る脅威を排除する一閃を放ったり。
握った剣をただ振るだけではない、神の目の力を最大限に活用した戦闘技術は、少女からは相当に卓越した動きに見えていた。
「アルハイゼンほどの実力があっても…中々上手くはいかないものなんだね」
「だからこそ、こうして定期的な武器の調整が不可欠になる。とはいえ、流石にそろそろ新調しなければならない時期なのかもしれないが」
腕を組み、思慮に耽けるアルハイゼン。何気なく口にした、新調するという言葉の是非を熟考しようと彼は深く息を吐く。
何も無い日常も然ることながら、スメールの危機にまつわる怒涛の日々の中で随分と酷使させてしまったその剣は、初めて手にした日の輝きが見る影もない程にくたびれてしまっていた。
とは言え逆説的に考えれば、未曾有の事態にも十分すぎる勤めを果たしたとも言える。
今のこの剣は役目を終えたのだと、新しいものを買うには良い機会なのかもしれない、と男は考え始めていた。
「でも…その顔は諦めきれない、って顔だよね」
苦悩の表情を横から見守っていた少女が、彼の胸の内に籠る本音を的確に見抜き指摘する。
「…ふむ。君からはそう見えるのか」
「え…あれ、違った?」
「いや、概ね合っている。ひとつ、無視出来ない大きな問題があると思っていたところだ」
少し揶揄うつもりでそう口にすると、
サージュは推測が外れたのかと慌ただしく焦燥を露わにし始める。
その愛らしい困惑ぶりを堪能した後はすぐに彼女の推定が正しいと示して、それから剣を手放すに至らぬ理由を説く。
「今使っている剣を手放したとしても、買い替える当てがない。流石に、これよりも元の質が低いものを使う気にはなれないからな」
長い間愛用してきただけあり、男のこの両刃の剣に対する彼の評価は高く、今よりも品質の落ちる獲物を手に戦うのは不服であることを示す。
劣化が目立ちこそすれ、元々は相応に上質な材質を用いて鍛造されたであろう精巧なデザインを見た少女は、どうにかならないか模索する。
「同じものはもう手に入らないの?」
「不可能ではないにしろ、面倒の方が上回るだろうな。何せこれは、在学中に教令院へと武器の携行許可を申請した際に支給されたものだ」
自嘲するように微かに笑んで、代替品はそう簡単に手に入らないだろうと伝える。
それを聞きすぐさま少女は力強く頷いてすっぱりと諦め、別のものを探すべきと早口で捲し立てる。
「うん。やめよ、新しいのにしよう」
教令院に何かを申請する際の煩雑な手続きによる苦痛をよく知る彼女にとって、それを再度繰り返せと呈するのは論外にも等しく。
男へ提案した後、
サージュは自分が力になれることがないか考え込む。暫しの熟考の後、まずは彼の考えを深く知るべく問い掛ける。
「アルハイゼンは自分が持つ武器の中で、何が一番大事?」
「使い勝手が良いかどうかだ。どんなに見た目が良くても、
鈍刀では何の意味もない」
当然と言わんばかりに即答するアルハイゼン。少女はそれがまるで食事の好みに酷似していると思い噴き出しそうになってしまったのを必死で隠し、更なる問いを重ねる。
「まあそうだよね…んと、刃が両刃か片刃かは特にこだわりない、でいいのかな」
「ああ、どちらでも問題ない…が、強いて言えば片刃の方が好ましいかもしれないな。いざと言うときに峰打ちという選択が取れるのは重要だ。この剣だと、それが叶わず何度か不便に思ったことがある」
唯一とも言っていい不満を零して、寡黙な主人が
刃毀れを直している最中の剣を指す。
両刃故の対象的な筈の刀身は、恐らくアルハイゼンが握る際の手癖によるものらしき偏りが生まれており、片側だけが異様に磨り減っていた。
「…ふむふむ。確かに、刃の状態を見た感じだと完全に両刃のメリットを活かせてないよね。それに…元素で作り出してる短刀も片刃だったでしょ」
同意を示すよう大きく首肯しながら、時折彼が左手に形成させ用いる内反りの短刀について語る。
彼の具現化させる短刀は、純粋な元素力で創り出したものでありながら、実際に狩りや農作業などで使う為に流通している既製品と変わらぬ形状に象られていることもあり、やはり現物と同じく片刃であった。
自ら教えたこともないのにそのことを知っている
サージュの観察眼を称えるべく、彼は驚嘆の声を上げる。
「ほう、俺の戦闘スタイルを熟知しているようだな」
「横で何度も見てきたもん。それに…キミを護れるようになる、って言ったからには…どこが弱点かちゃんと見極めておかなきゃかなって」
少女は慣れぬ賞賛からか若干興奮気味に口を開き、男を見透かすような目で不敵に笑んでみせる。
実際には半分は虚勢であったが、それでもアルハイゼンは彼女がいつかの日に交わした約束に対し、ネガティブな感情を持たずに向き合えていることに幸甚の思いを抱く。
「コホン、まあそれはともかく…」
破顔した彼を前に恥ずかしさが募り、慌てて咳払いして誤魔化しつつ、少女は気持ちを切り替え真剣な眼差しで男の目を見る。
「アルハイゼン、このあとちょっとだけ時間くれる?
家に行って渡したい物があるんだけど」
「ああ、大丈夫だ。少し待ってくれ」
サージュのいつになく真摯な瞳にただならぬ覚悟を感じた彼は、その決意に応えるべくゆっくりと頷く。
それからこの場を離れることを
鍛冶屋の主人へと伝え、預けている剣のメンテナンスを任せる。
代品として、弟子の学生が打ったという試作品の剣を持つことを勧められるが、男はその提案を丁重に断る。
街中で武器が必要になるような危機に瀕することはそう多くはないというのは勿論、扱い慣れないだけでなくシンプルに質の悪いだろう剣を握る気にはなれなかった。
尤も、彼が断る理由はそれだけではなかった。たとえ万が一自分が何者かに襲撃を受けたとしても、
サージュが護ってくれると、そう信じていた。
「…ん。行こっか」
諸々の対応を終え、少女の元に歩み寄るアルハイゼン。鍛冶屋の敷地からは少し離れた位置で待っていた
サージュが、柔らかな笑みで彼を迎えて歩き出す。
街の中心からは大きく迂回して向かう必要のある彼女の家へと歩む最中、少女は先日知恵の殿堂を不在にしていた日の成果を語る。
「そういえばこの前、また明日って言ったのに私がいつもの場所に居なかった日あったでしょ。あの日…実はキャラバン宿駅まで、ディシアさんに会いに行ってたの」
「ふむ…成程、そのお陰で今日は随分と晴れやかな表情をしているのか。それはいいことだ」
「ぅえっ…!? ど、どういう意味…」
あまりにも自然に放たれた甘言に、思わず狼狽する
サージュ。しかし彼は少女の焦燥を意に介することなく首を傾げるのみ。
「言葉の通りだ。何か問題でも?」
「はぁ…あのねアルハイゼン。そうやって人を揶揄うの、ホントよくないよ」
火照る顔を手で扇いで冷やしながら、自身を翻弄する言動を止めないアルハイゼンを窘める。
自分の内に宿る元素は氷ではなく炎元素だったのかと疑いそうになるほど、少女は全身に熱を帯びていた。
だがそれでも彼は憮然とした表情を保ったまま続け、
サージュを更に困惑させるのだった。
「冗談を言ったつもりはない、君は自分の考えがすぐ顔に出るだろう。その表情を見れば、より良い方向への心境の変化があったことくらい、手に取るようにわかる」
「…うう、そこまで見透かされてるの? 流石にちょっと恥ずかしいな…」
臆することなく告げられるのは、男が己をそれだけ頻繁に観察しているという事実。
何度言われても信じ難い"ただの他人ではない"と認められている幸福と、本当に自分がその好意を受ける資格を持っているのかという不安が、少女の内に迫る。
哀歓の綯い交ぜになった複雑な心の音を聴きながら、少女は随分と長く感じた家路の終着に気付き、本題へと気持ちを切り替える。
「その辺で待ってて。すぐ取ってくるから」
アルハイゼンが本の返却を催促するのを口実として唐突に押し掛けた際とは違い、しっかりと施錠していた家の鍵を開錠し扉を開けて、その場で待つよう促す。
が、彼は何食わぬ顔で自分も部屋に入ろうと少女に追従しており、
サージュは慌てた様子で侵入を阻止しようと両手を広げる。
「あっダメ、今ごちゃごちゃして片付いてな…」
「多少片付いていないくらい、俺は気にしないが」
「私が気にするの! もう、待ってって言ったんだから素直に外で待っててよ」
複雑な乙女心の機微を敢えて無視する男に憤慨して、彼を玄関口から追い出す少女。
ようやく自室に辿り着いた彼女が探すは、森林地帯の調査で見つけたとある剣。
いつか自分の研究の礎になると信じ大切に保管していたものだったが、それを歴史考証の糧として認める教員は居らず、懊悩の果てに持て余していた品だった。
「うん、大丈夫そう」
伝承によって語られる存在である白き枝を象ったそれを掲げ、男へ渡すのに不備がないか改めて確かめる。
長い年月を経て色がくすんでしまっている箇所が点在するものの、刃の切れ味は今も衰えることなく鋭く刀身を光らせていた。
これだけの逸品であれば、アルハイゼンが使うに相応しいのではないか。少女はそう信じてそれを布で包み、家の外で待つ彼の元へと駆ける。
「お待たせ」
陽を避ける為か、あるいは人をなのか。正面ではなく家の裏で待っていた男を見つけ、そちらへ歩み寄りながら声を掛ける。
しかし彼は喧騒を嫌いヘッドホンの遮音機能を作動させていたのか呼んだだけですぐには気付かず、
サージュは困ったように眉根を下げ彼の目の前に立つ。
「アルハイゼン。この剣、良かったら使って」
「これは…」
少女が包まれていた布からそれを取り出した瞬間、アルハイゼンは思わず言葉を失う。
"世界樹"とも称される銀白色の大樹から零れ落ちた枝を想起させるその外観は、一目見ただけでも息を呑む程であった。
そして勿論それだけではなく、持ち主の元素力を飛躍的に高める強いエネルギーを秘めているのが感じられた。
そのエネルギーに強く惹かれた彼の中で、この剣を用いれば今よりも更に効率的に戦えるだろうという期待が沸き起こって来る。
世界樹は草神の、ひいてはテイワット大陸の根幹にも深く関わるとされており、伝承によって語られる歴史が真実であることを裏付けるように、その剣は輝きを放っていた。
しかしそれだけ強く心を揺さぶられるものであればある程、
サージュがこれを自分に譲ろうとする意図が不明確になってくる。
白枝の伝承は因論派だけでなく、他の学派にとっても重要な研究材料である筈だが、何故今までこれを活かさなかったのか。
男がその件についてどう尋ねるべきか考えあぐねていると、少女はゆっくりと瞳を閉じて嘆息し、それから静かに剣を彼の胸元に押し付ける。
「昔、森で見つけたんだけど…どうせレプリカだろうって信じて貰えなくて。だから…キミが使ってくれたら、私も嬉しい」
表情を窺うべく、
サージュを見る。彼女は笑みを浮かべてこそいたが、剣を握る手には悔恨から力が込められ、微かに震えているようにも見えた。
偏狭な教令院の者達からの蔑視による、絶対的な否定。それは、防砂壁の向こう側の民の血を引く少女にとっては、やはり逃れることの出来ない業なのだろうか。
否、男はそれだけは認めることが出来なかった。たとえ他の誰が
サージュに対し偏向的な目を向けようとも、自分だけは彼女の内に眠るその輝きを手放したくはないと、胸の奥が熱を帯びるのを感じる。
少女の冷えた指ごと剣の柄を手にして、アルハイゼンは彼女の厚意に応える。触れ合った肌から、抱いた感情が零れ出してしまわぬよう願いながら。
「…ありがとう、
サージュ」
「へ…? あ…う、うんっ」
ストレートな感謝の言葉に面食らって、思わず声が上擦る
サージュ。触れ合う手の温もりを意識しないようにと努めていたのさえ忘れ、動悸が加速度的に激しくなっていく。
慌てて手を引いて顔を背け、呼吸を整える。逸る鼓動をどうにか抑えて、ゆっくりと向き直る。
それから少女は、今手渡した剣がそのまま彼が使えるわけではないだろうと、それまで居た鍛冶屋まで戻ることを提案する。
「磨いたり握った感じの使い方とか…微調整が必要だろうから、とりあえず鍛冶屋さんに戻ろうか。その辺の費用は出すから心配しないで」
アルハイゼンは首肯により同意を示しつつ、少女の失態により被った損失を冷静に指摘し、それを補填するよう求める。
「ああ。 …それなら、今の剣の修繕費を支払ってもらおうか。君が最初にこれを渡すと伝えてくれていれば、今の施工は必要なかったのだからな」
「うぐっ…驚かせたくてつい。ごめん、アルハイゼン」
痛いところを突かれた
サージュは肩を落とし、非を詫びるべく深々と頭を下げた。
そして、自分には持て余すこの剣を役立てて欲しい想いから急くあまり、それ以外のことが見えていなかった浅慮を恥じる。
「驚くという意味では、君はある種の才能を開花させたのではないかと思った程に俺は驚いたが」
「ん? そうなの?」
「当然だ。白き枝の価値を、まさか因論派の君が知らない筈はないだろう」
憤慨にも程近い声音でそう口にする男に、少女はその怒りを鎮めるべく真っ直ぐに彼を見つめる。
「うん、もちろん"私は"知ってるよ。でも、私よりこの剣に相応しい人が他に居るんだから…宝の持ち腐れになるより絶対にいい」
強がりを隠して笑みを浮かべ、この剣はアルハイゼンが持つべきものなのだと念を押す少女。
宝の持ち腐れ、その何気なく放たれたであろう少女の言葉に、男の中にやり場のない怒りが込み上げてくる。
彼女が持つ光は、森に降り頻る雨にも砂漠で吹き荒ぶ風砂にも、掻き消されていいものなどではないのに、と。
「…そうだな」
言葉少なに答えて、無理矢理に溜飲を下げる。
サージュが一人で輝けないのなら、自分が光を照らす為に隣に立てばいい。
恋慕とも妄執ともつかぬ、複雑に絡みついた彼女への解明出来ない感情の正体の答えを求め、彼は。
「託されたからには、俺ならこれを完璧に使いこなしてみせると…証明しよう」
Près