概要+短編
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「誕生日?」
ファデュイと大賢者達による国家反逆の大事件"創神計画"を阻止した立役者として、賢者の不始末を処理するという多忙を窮めるアルハイゼンの、僅かな合間を縫っての食事の最中。
共に食卓を囲んでいたサージュから唐突にそんな話を振られ、彼は時の流れの早さを改めて実感する。
「そうか…もうそんな時期か。すっかり忘れていた」
「アルハイゼン、今年は忙しすぎるし仕方ないかもしれないけど…それ去年も言ってたよ」
実のところその忘却は去年だけでなく毎年のことだったのだが、敢えてそれは口にせず彼女は日々問題解決に勤しむ青年を労う機会がないかを問う。
「それで、何か欲しいものないの?」
「休みが欲しい」
が、あまりにも即答でそう返されてしまい、その高すぎる要求に少女は項垂れるしかなくなる。
「休みかあ…流石にそれは私から贈るのは難しいなぁ。キミが多忙なのを手伝うことは出来ても、代わりになる訳にはいかないし」
「そうでもないと思うが。俺が今やっていることなど、誰がやろうと同じようなものだろう」
「いやいやいや、それは嘘でしょ! 全部アルハイゼンにしか出来ない大事なことだよ」
休み欲しさに半ば自棄になりながら吐き捨てた言葉を全力で否定され、男は不貞腐れたように視線を逸らす。
だがそれも当然のこと、アルハイゼンは異邦の旅人を中心として集った草神奪還作戦の計画発案者という最重要人物であり、スメールという国そのものを救った英雄でもある。
雑音でしかない無意味な賛美を嫌う彼自身の性格を熟知しているが故に何も言えずにいるが、サージュにとっては毎日でも感謝の言葉を伝えたい程の偉業なのだ。
「…流石の君でもそう易々と騙されてはくれないか」
自らを嘲るように微かに笑んで、詰まった喉を洗い流すべく水の入ったグラスを呷るアルハイゼン。
巧妙に煽てることで自らの抱える責務をサージュへと受け渡せないかと画策していたようだが、その企ては失敗に終わるのだった。
「いくらなんでも下手すぎて無理があるよ…騙すとか、それ以前の問題だよ」
「しかし…冗談はともかく、君はクラクサナリデビ様を崇拝しているのだから、彼女にもっと近付く為に俺の仕事を支援しているとばかり思っていたのだが」
「いや、全然。私はキミの助けになれるのが嬉しいからやってるだけ」
不思議そうに笑みながら、彼女はサラリとそう答える。彼女にとって草神は命よりも大切な存在と思っていた男は、その答えに一種の動揺を禁じえなかった。
「…そうなのか?」
解に不安を抱き改めて訊ね返すものの、サージュの答えは変わらない。
自分に対する他者の感情など興味の対象にはならないと軽んじていた筈の彼の中で、その前提が覆されていくのを感じる。
「うん。草神様のことは大切に想ってるけど、あの方の手の届くところに行きたいとは…正直思ったことない」
そう吐露すると共に、食堂の長へと徐に声を掛け、デザートと食後のお茶を追加で注文する。彼女はそれを以て、この話を続ける合図とする。
既に腹が満たされていたアルハイゼンは空になっていた水差しの補充だけを付け足して、少女の語る想いに静かに耳を傾ける。
「フォンテーヌの血も流れている私にはそんな資格はないってのもあるし、草神様に些細なことで失望されたくないっていうのも少しある」
生粋のスメール人ではないという負い目と、クラクサナリデビに対する過度な崇拝による畏怖。
その二つの要因は、彼女が信じた道への歩みを止めるには十分過ぎるものだった。
けれどそれは決して後暗い哀しいだけの結末ではなく、自分にとっては新たな道に繋がっているのだと、サージュはそう微笑んで。
「だから賢者になって草神様に仕えるよりも、草神様のことを学び紡ぎながらキミやカーヴェ先輩といる方が充足した人生が送れるなって。ダメかな」
連なって挙げられたもう一人の男の名に、アルハイゼンの眉間が僅かに皺を寄せる。
その名を聞くこと自体に嫌悪した訳では無いにも拘らず自らの胸の内に苛立ちを感じたことに奇妙な揺らぎを覚えながらも、少女の想いは尊重されるべきものだと彼女へと示す。
「駄目かどうかは俺が決めることではないだろう。俺は自分が持つ義務を放棄してまで他人に役目を強要する程傲慢ではないつもりだ」
「ん、ありがとアルハイゼン。大変な内は今後も出来る限りのことは手伝うから、それで許して」
そこまで話し終えたところで、タイミングを見計らっていたとしか思えぬほど都合良くサージュが注文したデザートが運ばれてくる。
見ただけで胃が重くなる甘味を前に彼女は満面の笑みで、男にその甘さを共有しようとスプーンを差し出すが、アルハイゼンは目を逸らしてその申し出を拒絶する。
「折角だから一口食べる?」
「いや、いい。糖分は多少なら疲労回復に適しているが、過剰な摂取は身体に毒となる場合も多い」
「そっか…折角だから一緒に食べようかと思ってたんだけど」
雨に打たれる子犬のような、寂しげな視線でそう零すサージュ。だがどんなに請われても今日のアルハイゼンは糖分を摂取するつもりはなく。
「俺はこの多忙の中では健全な食生活を保てないであろうと考えた上で、日々の摂取カロリーを調整している。下手にそれを乱すと、体調を崩してしまう危険が急増する」
「そこまで考えてるんじゃ何も言えないや…ごめん。でも凄いね、さすがアルハイゼン」
多少過剰に突き放すくらいの勢いで理路整然と話し、食い下がろうとしている素振りを見せた彼女を強引に納得させる。
そうでもしなければ、絆されてしまう。そう危惧した彼の脳裏には、少女の苦し紛れでしかない愛想笑いが刻印のように焼き付いて。
「逆説的に言えば、明日以降であれば君と同じ甘味を共有出来るということでもある」
意図せず次の約束を渇望する旨を口にし、自らの発言に驚きを見せるアルハイゼン。
しかし困惑と焦燥に駆られ平静ではいられなくなっているそんな彼を余所に、サージュは一人甘味を堪能し彼の零した密かな願いを聞き逃していた。
「ん? 何かあった?」
「…何も。その様子だと完食するまでに時間がかかるだろう、モラは置いていくから、先に出ようと思う」
懐から食事代を取り出し、徐に席を立つ。このままサージュと行動を共にし続けては精神的に持たないと感じ距離を取ろうとした彼なりの悪あがきだったが、無垢な彼女はそんなことなど露知らず。
「待ってアルハイゼン、もう戻るなんて働きすぎだよ。せめて食べ終わるまでは一緒に休憩しててほしいな」
その為に大きい器のものにしたのにと念を押され、アルハイゼンは椅子を引いて再び席に着くしかなくなる。
食事量すら緻密に計算し極限まで無駄を省いた計画を立てている所為で絶対的に休息が不足していることは、彼女に指摘されるまでもなく彼が自覚している事だった。
サージュの言い分など無視して一刻も早く仕事に戻るべきだと駆り立てる排他的な思考を切り捨てて、今日だけはつかの間の休息を求めて彼は少女に向き直る。
「…戻ったら三割増しの速度で働いてもらうから、覚悟しておいてくれ」
「オッケー、そのくらいなら大丈夫。頑張るよ」
スプーンを持たぬ側の手でピースサインを作り、彼女はアルハイゼンの無茶振りを快諾する。
その程度で彼に休息を与えられるのなら、サージュにとっては安すぎる取引だった。
「それでさ、話戻るんだけど。結局アルハイゼン、欲しいもの本当にないの?」
アルハイゼンに勘づかれぬように甘味を食すペースを少しずつ落としながら、彼女は元来の問に立ち返る。
今得られた刹那の休息をプレゼントと称するにはあまりにも短く、彼自身もそう捉えてはいないのは明白で、彼女は他に何か出来ることがないかをどうにか引き出そうと苦し紛れな直球を投げる。
「あぁ。他人から何かを貰うのを待つくらいなら、自分で手に入れる方が早い…基本的には」
書記官として手に職を持ち、金銭難に陥るほど浪費もしない彼が買えないものなど、殆どないに等しい。
それ自体は彼女も理解はしていた筈だったが、やはり改めて彼自身の口から告げられることで得るショックは予想よりも大きなもので。
しかし彼女が空元気の笑みを浮かべようと俯いていた顔を上げると、アルハイゼンは顎に当てて口元を隠していた手を外しながら、彼女の目を真っ直ぐに見つめて告げる。
「だが、どんなに望んでも自分の意志だけでは手に入れられないものは、その限りではないと言える。例えば、人の心とか」
あまりに突拍子もない発言に、頭が混乱したサージュは慌てて彼の恐ろしい思想を咎める。
「えっ、だ…駄目だよ? 買収とか脅迫とかしてないよね?」
「サージュ。そんな道理に反する行いが容易に出来るような性分だったら、俺は今のような勤勉かつ質素な生活はしていない」
見るからに困惑している彼女を前にして、思わず真っ当な答えを返すアルハイゼン。
正論を口にしてからそれに気付いたが、幸いにもサージュは未だ混乱しており彼の返答に対し正しい判断は出来ていないようだった。
「…じゃ、じゃあ洗脳…?」
的外れにも程がある発想に、流石に男は呆れが勝り揶揄う気にもなれなかった。
苛立ち混じりの声色で訂正してようやく気付き、彼女は叱られた子供のようにしおらしく非を詫びる。
「それも違う。君は一体俺を何だと思っているんだ」
「え、あ…だよね…ごめん。アルハイゼンがそんな酷いことするわけないよね」
安堵に息を吐くサージュに、目を閉じて腕を組む。その仕草を肯定とし、彼は口を閉ざす。
「でも、それならどうして急にあんな例えを出してきたの?」
"人の心"などという他者が軽々しく掌握して良いとは思えぬ喩えが本当に唯の例でしかないとは思えず、彼女は改めてアルハイゼンへと問い掛ける。
転んでも唯では起きない気概に、彼の口角が僅かに上向く。だがその高揚を悟られぬよう感情をひた隠しにして、飽くまで彼女自身に気付かせるべく誘導していく。
「…君はあれに深い意味があると感じているのか。なら、その根拠はどこから来ているのか聞かせてくれ」
「例え話にしては妙に物騒というか怖かったというか…普段のキミだったらきっと言わないでしょ」
「そう思っているのなら何故先程あのような突飛な発想に至ったのか謎だが…まあいい」
テーブルに肘を着き、僅かに身体を屈める。ようやく半分程にまで減った器に目線を向けて、アルハイゼンは辛辣な口調でサージュを詰る。
「ところでサージュ、いつまで食べている気だ? 君の口はそんなに小さくなかっただろう」
密かに進行していた作戦が未遂に終わったのを悟り深々と溜息を零して、食べるペースを落としていた意図を白状するサージュ。
「こうでもしないと長々と引き止められないと思って。結局ずっと何を贈ればいいか聞けてないし」
「そのことなら、本当に何も要らない…何度もそう言っているつもりだったのだが。もう少し直接的な表現で伝えるべきだったか?」
「それじゃ嫌だったの。大切な人の誕生日くらい、喜ぶものをプレゼントしたい…そのくらいしないと、キミは…」
口を尖らせ、サージュが拗ねたように吐き捨てる。哀しみに満ちた言葉は最後まで声にすることさえ儘ならず、少女の本心を覆い隠してしまう。
「今の俺にとって、形のある物は須く祝いの品足り得ない。寧ろ、不必要なものを与えられても処分に困る」
「…そっか」
食後で思考の巡りに勢いが増したのか、いつも以上に口達者なアルハイゼンに、小さく頷くしか出来なくなるサージュ。
しかしそれは決して彼女を貶め消沈させる為のものではなく、これから紡ぐ言葉の布石で。
「だが、貴重な経験や新たな知見を得る機会はその限りではない…何も金品にこだわる必要などないんだ。ここまで明言すれば伝わるだろうか」
今にも泣き出しかねないサージュを安堵させるために、アルハイゼンは微かに不安を晒した笑みで彼女を見つめる。
仏頂面ばかりの青年のいつにない儚げな表情を見て彼女はようやく彼の言い分を理解し、ぎこちなく笑みを返すのだった。
「うん。伝わった…ごめんねアルハイゼン。いや、ありがとうかな」
一度は非を詫びるも、そうではないと思い直し感謝を口にする。まだ完全には心は晴れ切ってはいないものの、サージュの目には既に平時の輝きが取り戻されていた。
「それで、サージュ。俺の意図を理解した上で改めて考えてくれ。君は俺に何を与えてくれるのかを」
間髪入れずにアルハイゼンが告げる。彼女はそうして結論を急ぐ様が彼らしいと穏やかな気持ちになりながら、深く息を吸って再考する。
とはいえ彼の満足するようなことなどすぐには思いつかず、詰まった息を溜息に変えて吐き出すしか出来なかった。
「難しいなぁ…今の私に出来ることでアルハイゼンが喜べそうなことなんて、そもそもあるかな」
「ないことはないだろう。君と俺では何もかもが異なる、俺では想像もつかない奇想天外な体験をもたらすと期待しているよ」
更なる過信の圧でしかない柔らかな声音に、サージュは自身の表情筋が引き攣るのを感じる。
こうして心にもないであろうことを嘯く時の彼の期待が相応に高いものであると知る彼女に残された手札は、あまり多くはなかった。
「…はぁ。下手なこと言うんじゃなかった」
嘆きながらも何か案がないか頭を捻るサージュだが、これだと自信を持って言えるものは全く思いつきそうになく。
「体験…ねぇ。私の話をアルハイゼンに伝える、でも喜ぶ?」
「悪くない。君の話はそこらの学生より余程聴き応えのあるものばかりだ」
恐る恐る尋ねると、彼女の想像よりも遥かに好意的な反応を見せるアルハイゼン。
「おっ! それはいいね。じゃあこれ食べ終えたら戻りながら話すよ」
糸口を見つけ嬉々として残っていた甘味を口に放り込むサージュを、彼はどこか穏やかな眼差しで見つめる。
何気ない日々を単調で息苦しいものではなく、ささやかな幸福に変える力を持つ彼女が、砂漠の中心で得る雫のように、何より得がたい贈り物だと男は感じていた。
食べ終えた彼女が立ち上がり語り始めるのに合わせ、アルハイゼンは自らも歩幅を揃えて彼女と共に歩みを進める。
今はこれでいい。先は長くとも、ゆっくりと着実に。そう願いを込めて、彼は少女の言葉に相槌を打つ。
「この前私がフォンテーヌに里帰りした時のことなんだけどね…」
「ああ、俺達が大変だった頃か?」
「そうそう…ってそれはもう言いっこなしだって前に言ったでしょ」
ファデュイと大賢者達による国家反逆の大事件"創神計画"を阻止した立役者として、賢者の不始末を処理するという多忙を窮めるアルハイゼンの、僅かな合間を縫っての食事の最中。
共に食卓を囲んでいたサージュから唐突にそんな話を振られ、彼は時の流れの早さを改めて実感する。
「そうか…もうそんな時期か。すっかり忘れていた」
「アルハイゼン、今年は忙しすぎるし仕方ないかもしれないけど…それ去年も言ってたよ」
実のところその忘却は去年だけでなく毎年のことだったのだが、敢えてそれは口にせず彼女は日々問題解決に勤しむ青年を労う機会がないかを問う。
「それで、何か欲しいものないの?」
「休みが欲しい」
が、あまりにも即答でそう返されてしまい、その高すぎる要求に少女は項垂れるしかなくなる。
「休みかあ…流石にそれは私から贈るのは難しいなぁ。キミが多忙なのを手伝うことは出来ても、代わりになる訳にはいかないし」
「そうでもないと思うが。俺が今やっていることなど、誰がやろうと同じようなものだろう」
「いやいやいや、それは嘘でしょ! 全部アルハイゼンにしか出来ない大事なことだよ」
休み欲しさに半ば自棄になりながら吐き捨てた言葉を全力で否定され、男は不貞腐れたように視線を逸らす。
だがそれも当然のこと、アルハイゼンは異邦の旅人を中心として集った草神奪還作戦の計画発案者という最重要人物であり、スメールという国そのものを救った英雄でもある。
雑音でしかない無意味な賛美を嫌う彼自身の性格を熟知しているが故に何も言えずにいるが、サージュにとっては毎日でも感謝の言葉を伝えたい程の偉業なのだ。
「…流石の君でもそう易々と騙されてはくれないか」
自らを嘲るように微かに笑んで、詰まった喉を洗い流すべく水の入ったグラスを呷るアルハイゼン。
巧妙に煽てることで自らの抱える責務をサージュへと受け渡せないかと画策していたようだが、その企ては失敗に終わるのだった。
「いくらなんでも下手すぎて無理があるよ…騙すとか、それ以前の問題だよ」
「しかし…冗談はともかく、君はクラクサナリデビ様を崇拝しているのだから、彼女にもっと近付く為に俺の仕事を支援しているとばかり思っていたのだが」
「いや、全然。私はキミの助けになれるのが嬉しいからやってるだけ」
不思議そうに笑みながら、彼女はサラリとそう答える。彼女にとって草神は命よりも大切な存在と思っていた男は、その答えに一種の動揺を禁じえなかった。
「…そうなのか?」
解に不安を抱き改めて訊ね返すものの、サージュの答えは変わらない。
自分に対する他者の感情など興味の対象にはならないと軽んじていた筈の彼の中で、その前提が覆されていくのを感じる。
「うん。草神様のことは大切に想ってるけど、あの方の手の届くところに行きたいとは…正直思ったことない」
そう吐露すると共に、食堂の長へと徐に声を掛け、デザートと食後のお茶を追加で注文する。彼女はそれを以て、この話を続ける合図とする。
既に腹が満たされていたアルハイゼンは空になっていた水差しの補充だけを付け足して、少女の語る想いに静かに耳を傾ける。
「フォンテーヌの血も流れている私にはそんな資格はないってのもあるし、草神様に些細なことで失望されたくないっていうのも少しある」
生粋のスメール人ではないという負い目と、クラクサナリデビに対する過度な崇拝による畏怖。
その二つの要因は、彼女が信じた道への歩みを止めるには十分過ぎるものだった。
けれどそれは決して後暗い哀しいだけの結末ではなく、自分にとっては新たな道に繋がっているのだと、サージュはそう微笑んで。
「だから賢者になって草神様に仕えるよりも、草神様のことを学び紡ぎながらキミやカーヴェ先輩といる方が充足した人生が送れるなって。ダメかな」
連なって挙げられたもう一人の男の名に、アルハイゼンの眉間が僅かに皺を寄せる。
その名を聞くこと自体に嫌悪した訳では無いにも拘らず自らの胸の内に苛立ちを感じたことに奇妙な揺らぎを覚えながらも、少女の想いは尊重されるべきものだと彼女へと示す。
「駄目かどうかは俺が決めることではないだろう。俺は自分が持つ義務を放棄してまで他人に役目を強要する程傲慢ではないつもりだ」
「ん、ありがとアルハイゼン。大変な内は今後も出来る限りのことは手伝うから、それで許して」
そこまで話し終えたところで、タイミングを見計らっていたとしか思えぬほど都合良くサージュが注文したデザートが運ばれてくる。
見ただけで胃が重くなる甘味を前に彼女は満面の笑みで、男にその甘さを共有しようとスプーンを差し出すが、アルハイゼンは目を逸らしてその申し出を拒絶する。
「折角だから一口食べる?」
「いや、いい。糖分は多少なら疲労回復に適しているが、過剰な摂取は身体に毒となる場合も多い」
「そっか…折角だから一緒に食べようかと思ってたんだけど」
雨に打たれる子犬のような、寂しげな視線でそう零すサージュ。だがどんなに請われても今日のアルハイゼンは糖分を摂取するつもりはなく。
「俺はこの多忙の中では健全な食生活を保てないであろうと考えた上で、日々の摂取カロリーを調整している。下手にそれを乱すと、体調を崩してしまう危険が急増する」
「そこまで考えてるんじゃ何も言えないや…ごめん。でも凄いね、さすがアルハイゼン」
多少過剰に突き放すくらいの勢いで理路整然と話し、食い下がろうとしている素振りを見せた彼女を強引に納得させる。
そうでもしなければ、絆されてしまう。そう危惧した彼の脳裏には、少女の苦し紛れでしかない愛想笑いが刻印のように焼き付いて。
「逆説的に言えば、明日以降であれば君と同じ甘味を共有出来るということでもある」
意図せず次の約束を渇望する旨を口にし、自らの発言に驚きを見せるアルハイゼン。
しかし困惑と焦燥に駆られ平静ではいられなくなっているそんな彼を余所に、サージュは一人甘味を堪能し彼の零した密かな願いを聞き逃していた。
「ん? 何かあった?」
「…何も。その様子だと完食するまでに時間がかかるだろう、モラは置いていくから、先に出ようと思う」
懐から食事代を取り出し、徐に席を立つ。このままサージュと行動を共にし続けては精神的に持たないと感じ距離を取ろうとした彼なりの悪あがきだったが、無垢な彼女はそんなことなど露知らず。
「待ってアルハイゼン、もう戻るなんて働きすぎだよ。せめて食べ終わるまでは一緒に休憩しててほしいな」
その為に大きい器のものにしたのにと念を押され、アルハイゼンは椅子を引いて再び席に着くしかなくなる。
食事量すら緻密に計算し極限まで無駄を省いた計画を立てている所為で絶対的に休息が不足していることは、彼女に指摘されるまでもなく彼が自覚している事だった。
サージュの言い分など無視して一刻も早く仕事に戻るべきだと駆り立てる排他的な思考を切り捨てて、今日だけはつかの間の休息を求めて彼は少女に向き直る。
「…戻ったら三割増しの速度で働いてもらうから、覚悟しておいてくれ」
「オッケー、そのくらいなら大丈夫。頑張るよ」
スプーンを持たぬ側の手でピースサインを作り、彼女はアルハイゼンの無茶振りを快諾する。
その程度で彼に休息を与えられるのなら、サージュにとっては安すぎる取引だった。
「それでさ、話戻るんだけど。結局アルハイゼン、欲しいもの本当にないの?」
アルハイゼンに勘づかれぬように甘味を食すペースを少しずつ落としながら、彼女は元来の問に立ち返る。
今得られた刹那の休息をプレゼントと称するにはあまりにも短く、彼自身もそう捉えてはいないのは明白で、彼女は他に何か出来ることがないかをどうにか引き出そうと苦し紛れな直球を投げる。
「あぁ。他人から何かを貰うのを待つくらいなら、自分で手に入れる方が早い…基本的には」
書記官として手に職を持ち、金銭難に陥るほど浪費もしない彼が買えないものなど、殆どないに等しい。
それ自体は彼女も理解はしていた筈だったが、やはり改めて彼自身の口から告げられることで得るショックは予想よりも大きなもので。
しかし彼女が空元気の笑みを浮かべようと俯いていた顔を上げると、アルハイゼンは顎に当てて口元を隠していた手を外しながら、彼女の目を真っ直ぐに見つめて告げる。
「だが、どんなに望んでも自分の意志だけでは手に入れられないものは、その限りではないと言える。例えば、人の心とか」
あまりに突拍子もない発言に、頭が混乱したサージュは慌てて彼の恐ろしい思想を咎める。
「えっ、だ…駄目だよ? 買収とか脅迫とかしてないよね?」
「サージュ。そんな道理に反する行いが容易に出来るような性分だったら、俺は今のような勤勉かつ質素な生活はしていない」
見るからに困惑している彼女を前にして、思わず真っ当な答えを返すアルハイゼン。
正論を口にしてからそれに気付いたが、幸いにもサージュは未だ混乱しており彼の返答に対し正しい判断は出来ていないようだった。
「…じゃ、じゃあ洗脳…?」
的外れにも程がある発想に、流石に男は呆れが勝り揶揄う気にもなれなかった。
苛立ち混じりの声色で訂正してようやく気付き、彼女は叱られた子供のようにしおらしく非を詫びる。
「それも違う。君は一体俺を何だと思っているんだ」
「え、あ…だよね…ごめん。アルハイゼンがそんな酷いことするわけないよね」
安堵に息を吐くサージュに、目を閉じて腕を組む。その仕草を肯定とし、彼は口を閉ざす。
「でも、それならどうして急にあんな例えを出してきたの?」
"人の心"などという他者が軽々しく掌握して良いとは思えぬ喩えが本当に唯の例でしかないとは思えず、彼女は改めてアルハイゼンへと問い掛ける。
転んでも唯では起きない気概に、彼の口角が僅かに上向く。だがその高揚を悟られぬよう感情をひた隠しにして、飽くまで彼女自身に気付かせるべく誘導していく。
「…君はあれに深い意味があると感じているのか。なら、その根拠はどこから来ているのか聞かせてくれ」
「例え話にしては妙に物騒というか怖かったというか…普段のキミだったらきっと言わないでしょ」
「そう思っているのなら何故先程あのような突飛な発想に至ったのか謎だが…まあいい」
テーブルに肘を着き、僅かに身体を屈める。ようやく半分程にまで減った器に目線を向けて、アルハイゼンは辛辣な口調でサージュを詰る。
「ところでサージュ、いつまで食べている気だ? 君の口はそんなに小さくなかっただろう」
密かに進行していた作戦が未遂に終わったのを悟り深々と溜息を零して、食べるペースを落としていた意図を白状するサージュ。
「こうでもしないと長々と引き止められないと思って。結局ずっと何を贈ればいいか聞けてないし」
「そのことなら、本当に何も要らない…何度もそう言っているつもりだったのだが。もう少し直接的な表現で伝えるべきだったか?」
「それじゃ嫌だったの。大切な人の誕生日くらい、喜ぶものをプレゼントしたい…そのくらいしないと、キミは…」
口を尖らせ、サージュが拗ねたように吐き捨てる。哀しみに満ちた言葉は最後まで声にすることさえ儘ならず、少女の本心を覆い隠してしまう。
「今の俺にとって、形のある物は須く祝いの品足り得ない。寧ろ、不必要なものを与えられても処分に困る」
「…そっか」
食後で思考の巡りに勢いが増したのか、いつも以上に口達者なアルハイゼンに、小さく頷くしか出来なくなるサージュ。
しかしそれは決して彼女を貶め消沈させる為のものではなく、これから紡ぐ言葉の布石で。
「だが、貴重な経験や新たな知見を得る機会はその限りではない…何も金品にこだわる必要などないんだ。ここまで明言すれば伝わるだろうか」
今にも泣き出しかねないサージュを安堵させるために、アルハイゼンは微かに不安を晒した笑みで彼女を見つめる。
仏頂面ばかりの青年のいつにない儚げな表情を見て彼女はようやく彼の言い分を理解し、ぎこちなく笑みを返すのだった。
「うん。伝わった…ごめんねアルハイゼン。いや、ありがとうかな」
一度は非を詫びるも、そうではないと思い直し感謝を口にする。まだ完全には心は晴れ切ってはいないものの、サージュの目には既に平時の輝きが取り戻されていた。
「それで、サージュ。俺の意図を理解した上で改めて考えてくれ。君は俺に何を与えてくれるのかを」
間髪入れずにアルハイゼンが告げる。彼女はそうして結論を急ぐ様が彼らしいと穏やかな気持ちになりながら、深く息を吸って再考する。
とはいえ彼の満足するようなことなどすぐには思いつかず、詰まった息を溜息に変えて吐き出すしか出来なかった。
「難しいなぁ…今の私に出来ることでアルハイゼンが喜べそうなことなんて、そもそもあるかな」
「ないことはないだろう。君と俺では何もかもが異なる、俺では想像もつかない奇想天外な体験をもたらすと期待しているよ」
更なる過信の圧でしかない柔らかな声音に、サージュは自身の表情筋が引き攣るのを感じる。
こうして心にもないであろうことを嘯く時の彼の期待が相応に高いものであると知る彼女に残された手札は、あまり多くはなかった。
「…はぁ。下手なこと言うんじゃなかった」
嘆きながらも何か案がないか頭を捻るサージュだが、これだと自信を持って言えるものは全く思いつきそうになく。
「体験…ねぇ。私の話をアルハイゼンに伝える、でも喜ぶ?」
「悪くない。君の話はそこらの学生より余程聴き応えのあるものばかりだ」
恐る恐る尋ねると、彼女の想像よりも遥かに好意的な反応を見せるアルハイゼン。
「おっ! それはいいね。じゃあこれ食べ終えたら戻りながら話すよ」
糸口を見つけ嬉々として残っていた甘味を口に放り込むサージュを、彼はどこか穏やかな眼差しで見つめる。
何気ない日々を単調で息苦しいものではなく、ささやかな幸福に変える力を持つ彼女が、砂漠の中心で得る雫のように、何より得がたい贈り物だと男は感じていた。
食べ終えた彼女が立ち上がり語り始めるのに合わせ、アルハイゼンは自らも歩幅を揃えて彼女と共に歩みを進める。
今はこれでいい。先は長くとも、ゆっくりと着実に。そう願いを込めて、彼は少女の言葉に相槌を打つ。
「この前私がフォンテーヌに里帰りした時のことなんだけどね…」
「ああ、俺達が大変だった頃か?」
「そうそう…ってそれはもう言いっこなしだって前に言ったでしょ」
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