概要+短編

夢小説設定

この小説の夢小説設定
ヒロイン

「アルハイゼンはさぁ、ただの書記官っていうには不相応なくらい鍛えてるよね」

 砂漠の遺跡を目指す道中、少女サージュが同行人の鍛え上げられた上腕を見て、ふと感じたことを包み隠さず口にする。

「それがどうかしたか」
「いや、何でなのかなって。初めて会った頃からもう既にだいぶ仕上がってたでしょ」

 何故そんなことを問うのかと訝しむ男に、彼女は単なる興味からの疑問であることを伝える。
 それと同時に、二人が出会った時分には彼が既に今とそう変わらぬ肉体美を誇っていたことを思い出す。

「知恵も力も、あればあるだけそれが財産になる。幸運にも俺は鍛錬を厭わない性分で、特に苦を感じることなく時間と共にこうなっていった。それだけだ」

 意識して努力した覚えさえないと、彼は臆することなく語る。天才が天才たる所以を感じ、少女は思わず言葉を失っていた。

「はあ…」

 比べるべくもない差に、自らの未熟さを呪うサージュ。手を伸ばせど届かないその高みの輝きは眩しく、這い上がる苦難に胸が痛む。

「俺からすれば、多くの学者達が何故自分の目的を果たす為に他人の力に頼ろうとするのか、不思議で仕方がない」
「誰かに頼らなきゃいけないのは、自分だけでは足りないからだよ。それは時間であったり、単純に腕っ節だったり…色々あるけど」

 突風に目を細めながらも、必死でアルハイゼンとはぐれぬよう歩みを進める。
 男は後方を気に掛けつつも振り返ることなく前進し続け、目的地である遺跡へと一直線に向かう姿勢を見せる。

「今の私もそう。キミに着いていくことで初めて、憂いなく目的を果たすことが出来ると…そう思ったから、同行の許可を得たわけで。凡人だと、一人ではどうしようもないことって…けっこう沢山あるんだ」
「…君が凡庸な人間だとは俺は思わないが」
「ありがとう、褒めてくれて嬉しいよ。でもね、キミが認めるほどに私の頭が良かったら、何年も論文が通らずに退学の危機に瀕するようなことにはならない」

 聞き飽きたといっても過言では無い自虐。彼女の望む研究が院に認められないことは、確かに一切否定の出来ない事実ではある。
 しかし、その事実が彼女自身の持つ知恵や探究心そのものを否定する材料だとは、アルハイゼンは全く思っていなかった。
 今のスメールには、スラサタンナ聖処に籠る草神について深く知ろうとする人間が少なすぎる。
 それがいつか取り返しのつかない大きな事件を呼び起こしかねないと危惧する少女の志は正しく守られ肯定すべき信念である、そう彼は常々思っていた。

「まあでも、今回の遠征調査が上手く行けばそれも変わるかな。砂漠はキングデシェレト様の領域だけど、だからこそ新しい発見がきっとあるはず」

 意気揚々と、少女は未知への期待に思いを馳せる。その最中に感じた違和感に、男が首を傾げて訊ねる。

「赤王にも敬称を着けるのか?」
「うん。私には、砂漠の血も流れているから」

 少女は徐に腕を晒し、己が彼とは明確に異なる褐色の肌を持つ身であることを示す。
 出生地こそスメールシティであり、また父は異国の民である彼女だが、母から受け継いだと言う砂漠の民たる証は、彼女にとって一度たりとも忘れることの出来ない烙印にも等しい代物だった。

「そうだったな」

 生返事に相槌を打って、改めて少女の姿を捉える。肌の色など気にも留めていなかった彼は、その差異がもたらすものの意味を初めて知ることとなる。
 表向きは各国からの留学生を集めてこそいるものの、全能感に支配された教令院の賢者達の手に掛かれば、異国の出身であることはそれだけであらゆる理論の否定材料になり得る。
 そして、それは本来国境が存在していないはずの砂漠の民も例外ではない。防砂壁により隔てられた砂漠の民への蔑視は、スメールの森林地帯には深く根付いてしまった価値観と言える。
 正義の国と砂漠、二つの血が混じり合った特殊な境遇に立つ少女はそれらの歪んだ思想に、真正面から愚直にも立ち向かい続けていた。
 真に優秀な者は愚者の暴論さえ凌駕する力を持つが、彼女が同じ所業を成すには、あと一歩が足りなかった。

「…」

 ふと、アルハイゼンは自身の信条にもなっているひとつの言葉を思い出す。それは祖母からの贈り物で、彼にとって常に自分を正しく認識させる為に必要な言葉となっていた。
 祖母は特別であることは富であると彼に語っていた。ならば、彼女の特殊性による富とは一体何を指すのだろうか。男の中で難問が立ちはだかる。
 凄惨な事件を経て尚、命を紡ぐことを叶えた神の目か。或いは、多くの悪意を退け、清く正しく神を信仰する心そのものか。

「ん、どうしたの」
「君は自分が特別だと思ったことはあるか」

 熱烈な視線に首を傾げたサージュに、彼は躊躇なく問う。

「ないよ。特別、っていうのは…アルハイゼンみたいな優れた人のことを指す言葉でしょ?」

 ある意味で予想通りの解答。困ったように眉を下げて、彼女は自分が特別な存在などではないと異を唱える。
 謙遜であれば美徳だが、今アルハイゼンが求めているのは彼女の芽を摘むだけの絶対的な自己否定ではない。
 端的過ぎる言い回しが悪かったと溜息を零して、彼は再度問い掛けるべく言葉を探る。

「…言い方を変える。君は自分の内に他人とは一線を画す要素があると正しく認められるか?」
「あぁ、それなら言えるよ。っても、キミはもう知ってると思うけど…諦めの悪さなら少しは自信あるかな」

 腰に提げている神の目を弄び、伏し目がちに笑ってみせるサージュ。その神の目は、彼女が諦めなかった最初の証でもあった。

「その自覚を大切にするといい。自分が特別だと思うことは、いつか必ず大きな利益に繋がる」

 ゆっくりと頷いて、少女に芽生えた自己肯定感を認める。特別であることは本来誰かと比べるものではないのだが、その真理を納得させるだけの説得力をサージュへと与えることは困難で。
 今は彼女が自分を不必要に卑下することがなくなるだけでも大きな前進だった。後退さえしなければそれでいい、そう思いながら彼は歩を進める。

「特別…かぁ。難しいけど頑張ってみる、ありがとう」

 胸に手を当て、少女は感謝の意を口にする。どんなに困難な道程でも、彼が居れば苦ではない。
 その背を追って一歩踏み出した刹那、大地が揺れる。砂漠の中でも特に黄砂の激しい地域であるこの地域の地下を支配する巨大な元素生物が、二人の往く道を荒らしているようだった。

「!?」
「アルハイゼンッ!」

 砂が崩れ落ち、それと同時に男の足が浮く。宙に放り出された彼の手を掴んで、サージュが寸でのところで転落を防ぐ。

「大丈夫…絶対、助ける、から」

 震える両手で、やっとのことで男を支える少女。神の目による恩恵を受けても尚、成人男性を一人で持ち上げるなど到底不可能で。
 それでも彼女は、先述の通り諦めるつもりは一切なかった。ここで手を離せば、二度と望むものを掴めないことを知っていた。

「まって、今頑張…っ」
「俺は落ちても砂のクッションがある。だが…このままでは君がどうなるかは保証出来ない、引き上げられなければ無理せず落としてくれていい」

 広大な地下を見据え、自分なら着地出来そうな場所を見つけたと告げるアルハイゼン。
 しかしサージュまでもが安全ではないと忠言を零して手を離すよう促すものの、その弱音が彼女の義憤を呼び起こしてしまう。

「やだ」

 意固地になって、少女は震える手に力を込める。諦めろと非情を口にするのは容易かったが、それは先刻の彼女が抱いた決意を無為にするにも等しい。
 浅慮を密かに嘆きながら、男は思考を巡らせる。彼女の心を傷つけずに助かる方法がないか、糸口がどこかにある筈と信じて。

「…サージュ。一瞬でいい、力を抜いてくれるか」

 突如としてもたらされた提案に、少女が眉を顰める。それもその筈、彼が告げたのは彼女の懸命な献身を拒むような提案だった。

「その隙に落ちないって約束してくれるなら」
「大丈夫だ、俺を信じろ」

 不敵な笑みを浮かべたアルハイゼンに従って、サージュは不安ながらも掴んでいた手の力を僅かに緩める。
 それから男は壁を力強く蹴り飛ばして、空に舞う。壁を蹴った反動による浮力で高度を稼ぎ、その後は元素の力を伴い目にも留まらぬ速さで宙を駆け、地に舞い戻った。
 シアターで見るショーのような芸術的な一幕に呆気に取られる少女を余所に、彼は着地の際に舞い付着した砂埃と格闘し始める。

「す…すごい」

 やっとのことで感嘆を零した少女に、砂を払い終えた彼がようやく反応を見せる。
 困惑にも程近い驚愕の表情にも辛辣に、男は自分がしたことが大したことではないと吐き捨てる。
 しかしそれだけではなく、己が考えを改められた要因がサージュにあることは明確に示す。
 彼女が居なければ、そもそも思考に割く時間さえ与えられぬままに地に落ちるだけだったことは忘れてはならなかった。

「そうでもない。こんなことは神の目があれば誰にだって出来る。だが、最適な解決策を考える時間を与えてくれたのは君だ。それは誇っていい」
「うん、ありがと…でも私より、キミが無事で本当によかった」

 安堵と共に思わず泣きそうになりながら、少女はアルハイゼンの無事を喜び彼にしがみつく。
 覆い被さる身体は微かに震えていて、彼女がそれだけ心配していたのだと感じ、男は。

「そこまで不安に思うようなことか」
「当たり前でしょ! キミは自分のことだから平気かもしれないけど…凄く怖かったんだよ」
「…そうか。悪かった」

 あらゆる言い訳を排し、素直に非を認めて詫びる。アクシデントに対し多少なりとも心身が疲弊していることもあったが、何よりこれ以上彼女を哀しませる訳には行かなかった。

「ん」

 口角を上げて、満足げに笑む。不慮の事故による危機である以上、サージュに男を責める道理はない。
 それを彼女自身も理解しているようで、すぐに元の目的地の方角を見据える。流砂に方向感覚を狂わされることもなく、少女は迷うことなく踏み出した。

「ところで、さっきのような動きって…どうやったら出来るようになるかな。単純な鍛錬だけでどうにかなる気がしないんだけど」
「神の目による身体能力の向上を駆使すれば、造作もないことだと思うが」
「うーん、どうなんだろ。私の場合、神の目を授かってから二ヶ月くらいは手足なんてどうにか動かすのがやっとだったからなぁ」

 今は五体満足の身体を捻り、掌を握っては開いて、かつて生死を彷徨った時のことを思い起こす。
 サージュが神の目を得た後の数ヶ月は怪我の治療で普通の生活どころではなく、自己鍛錬など以ての外だった。

「…もしや、神の目は驚異的な治癒力も備えているのか? あれ程の火災で一命を取り留めた後に、たかが数ヶ月で完治するとは想像し難い」
「教令院に入る前日だったからね。早く入学したくて、必死に治そうとしてた。せっかく生きられたのに、何もしないままじゃいられないもん」

 神によって繋ぎ止められた命。与えられたチャンスを、少女は一切の迷いなく草神に捧げると願った。
 微笑みを湛える少女に、ふと感じた違和感について尋ねる。すると彼女は、意外にも最初から因論派を志していた訳ではないと語った。

「ん…? あの事件がなくとも教令院に入ることが決まっていたのか、君は」
「そうだよ。元々はお父さんの研究を継いで生論派に入る予定だった。けど、草神様に恩返しする為に因論派に行くって言ったら大喧嘩になって。それで仲違いしたから一人で暮らしてるの」

 日銭にも悩む苦学生と称するには不自然なことが多かったサージュが抱えていた秘密を知り、男は納得の首肯を見せる。
 そして、心のどこかで安心しているのを感じる。彼女に関わることが適わなかった未来を想起し、そうでない今に喜びを抱いていた。
 しかしその本心を口にするのは羞恥により阻まれ、彼は自嘲気味に笑って少女への想いをひた隠す。

「…成程。君が予定通り生論派の学生となっていたら、卒論に悩むこともなく、こんな風に俺と砂漠になど来ることはなかっただろう」
「そうかもね。でもいいんだ、今は、草神様に報いる為に出来ることがしたい」

 有り得た可能性を語る口調は、少女のそれも決して楽しげなものではなく。今は草神の威光を追うことが一番だと認め、突風に目を顰める。
 砂塵に阻まれ寸前まで見えなかった遺跡の入口が間近であることを察知し、侵入者を拒むように聳える像を仰ぎ見る。
 かつてこの地を支配していたキングデシェレト、或いはその眷属をかたどる畏怖すべき姿にも、彼女は砂漠の血を引く者として親しみさえ感じていた。

「あれ? 簡単には開かないのかな」

 少女が恐る恐る壁に触れてみるものの、入口は堅く閉ざされたまま開く様子はなかった。
 この場合、入口が開かない要因には二つの可能性が考えられる。ひとつは内側からのみ開く仕組みであり、彼らが今ここから入ることが出来ないという可能性。
 もうひとつは、何かしらの遺跡のギミックによって閉ざされていることにより、仕掛けを解除する必要があるパターン。
 どちらにせよ更なる調査が必要だと、彼らは周囲を見渡す。そう時間を掛けずに、アルハイゼンが石碑を間近に見つける。

「…俺は拒まれているようだが、君はどうだろうな」

 石碑に記された文字を解読し、この入口が森の民を拒むものであることを説く。砂漠の血と正義の国の血が混じる森の民の少女は、果たして受け入れられるのだろうか。

「もう一度触れてみる」

 今度は意を決し、流れに身を任せ手を伸ばす。しかし何かが動く気配はなく、風沙の音が耳をくすぐるのみ。

「ごめん、ダメみたい」
「謝罪は不要だ。寧ろ、君にとってはいいことなんじゃないか」

 哀しげに笑んで自己否定の念を振り払おうとするサージュに、男がそっと肩に触れ慰めの言葉を掛ける。
 たとえ少女が遺跡に拒まれようとも、拒絶そのものが彼女の生を否定する材料にはならない。ルーツがひとつでなければいけない決まりなど、どこにもないのだ。

「生まれ持った気質よりも、育った環境が認められている。そう考えれば、たかが遺跡の入口ひとつに拒まれたところで、どうと言うことはない」
「…ありがとう、慰めてくれて。でも大丈夫…気にしてないよ」
「そうか。どちらにせよ今日の探索はここで中断せざるを得ない。火を起こして仮眠の準備をしよう」

 暴風は勢いを増し、いつしか日没さえ覆い隠していた。これ以上の深追いは危険だと、アルハイゼンは早々に休息の仕度を整える。
 焚き火を挟み、サージュが串に刺した鶏肉を炙る。料理と称するには質素な食事だが、少女にはそれで十分だった。
 一方男はそれだけでは物足りないらしく、追加で獣肉に火を通す。出来上がるのはシンプルなステーキ、日中の疲れによる空腹を満たすにはこの上なく適した代物と言える。

「アルハイゼン、今日は大変だったろうし…遠慮なく寝てていいよ。何かあったら起こすから」
「あぁ。おやすみ」

 食事を終え、それぞれの布団に入る二人。冷え込む砂漠の夜に上着を重ねて羽織った少女は、男に仮眠ではなく完全な就寝を促す。
 疲労を隠すことなく彼は頷いて、サージュに背を向けて眠り始める。その姿を捉えた上で、彼女は自分達にとってはただの壁でしかなくなった入口に凭れ掛かる。

「?!」

 音もなく、背にしていた壁が消え去り振り返る。遺跡の入口が突如として開かれたことに、少女は驚嘆に目を見開く。
 彼女は決して虐げられていたわけではなく、遺跡の方が複数のルーツを持つ少女を正しく認識出来ていなかっただけだったようだ。

「…なんだ、開くんじゃん」

 遺跡の不完全なセキュリティに対しての文句でしかない雑言を吐き捨てて、サージュはそっと奥の様子を窺う。
 魔物も機械生命体もいない、静寂を包む宵闇だけが、遺跡の入口から先へ先へと続いていた。

「明日起きたら、アルハイゼンびっくりするだろうな」

 たとえ今回の遺跡探査が徒労に終わろうとも、道が続く限りは進み続けられる。
 今はただ、果てなく広がる世界を見渡すのが楽しいだけでも構わない。彼女は笑んで、同行人が目覚めるのを待つ。
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