概要+短編
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「アルハイゼン」
陽の落ちかけた頃、自室で作業に取り組んでいた男の元に一人の少女がやって来た。
彼女の名はサージュ、アルハイゼンと呼ばれた彼とは異なる学派でこそあれど、勉強熱心で優秀な学士の一人であった。
「…なんだ」
無心で机に向かっていたのを思い出したアルハイゼンは凝り固まった身体の血行を解す為に大きく腕を伸ばしながら、彼女が何用で自らの元を訪れたか問い掛ける。
「ちょっと相談事があって来たんだけど…もしかして、忙しかった?」
「本気で俺が暇を持て余した男だと思っているのなら、君の認識を改めさせる必要があるな」
「ごめんごめん、そんな冷たい言い方しないで」
冗談交じりに不敵に笑んで、しかし彼はどこか嬉しそうな様子でサージュを自室へ招き入れる。
そんなことなど露知らず絡め取られた"獲物"は、物怖じすることなく男の元へ歩み寄っていく。
「それで、相談があると言っていたが…君は自分の鬱憤を晴らすことと、実際に悩みを解決するのとどちらが望みだ?」
女性同士の交友関係において頻発する、ただ話すことで抱いたストレスの発散が目的なのか、あるいは本当に困っていて自分へと助けを求めに来たのかを確かめるべく問うアルハイゼン。
サージュは本棚の隙間に背を預けては身を小さく縮めて屈み、男を上目遣いで見つめ掠れた声で呟く。
「どっちも微妙」
まさかの第三の選択肢を提示してくるサージュに、アルハイゼンは予想が外れ僅かに憤る。
複雑な乙女心の機微を察する機転の良さなど持ち合わせていない朴念仁は、自らの苛立ちをストレートにぶつけるのだった。
「答えになってないな。俺が理解出来るように説明出来ないのならば、他を当たってくれ」
「ちょ…お願い待って、ちゃんと説明させて。そうすれば私が言った意味もわかるはずだから」
つまみ出されそうになったところを暴れ、どうにか拒絶反応を見せる男を宥めるサージュ。
解放された安堵を隠すことなくアピールした後、アルハイゼンへと助けを求めた経緯を刻々と語り始めた。
事の発端は、彼女がいつものように知恵の殿堂で草神についての書物を読み漁っていた時のこと。
勉学に励む彼女を物珍しく見ていた学士の一人が、意を決して声を掛けた。同志だと思った彼女は熱心に草神について語ったが、どうやら男の興味は学問ではなく、サージュ自身に対して向いていたという。
学生同士の恋愛沙汰について噂を耳にしたことがないわけではないにしろ、自分では無縁と思い込んでいた事象に、どう対処するのが正しいか教えを乞いたい、というのがサージュの"相談事"だった。
「…ふむ」
言葉少なに頷いて、アルハイゼンは黙り込む。整った顔立ちから似たような経験に慣れている彼は、そんな些末なことで思い悩むサージュの姿が不思議に思えた。
ましてその解決策を他者に頼るなど、考えたこともなかった彼に、彼女が喜ぶ答えをすんなりと教えられるはずもなく。
「君がどうしたいか次第だろう。その男に興味があるのなら受け入れればいいし、箸にも棒にもかからない存在なら記憶の片隅に残しておく必要もない」
ある意味で型に嵌った模範解答を提示し、サージュの反応を窺うアルハイゼン。
彼女は唇を噛み締めて男の顔を見上げるが、面と向かって反論する勇気が出ずに再び視線を地面に落とす。
「うぅ…でも折角の誘いを無下にするのも、なんかさあ」
「直接断るのが後ろめたいのなら、俺が根回しするが」
「え、そ…それはダメでしょ、キミが出てきちゃったら話がややこしくなる」
相談を持ち掛けて来た時点で既に複雑化しているだろうと喉まで出かけて、しかし男は理性から寸でで抑える。
彼が何より不愉快なのは、彼女自身が満更でもない様子だったからだった。けれどそれに気付くことなく、アルハイゼンは更なる苛立ちをサージュへとぶつける。
「ならば何故、俺を頼ろうとした?」
「頭のいいキミなら…簡単に答えを出せると思って」
「…そうか」
腕で両足を抱き、コンパクトに纏まるサージュ。そのまま箱の中に仕舞い込めそうな彼女の眼前に立ち、彼は目線を合わせるべく膝を着く。
「そこまで俺を買っているのなら、期待通り君の願いに応えてもいい。最も確実かつ簡単な方法で、君の悩みを解決する」
「うん…わかった、お願いします」
手を差し伸べ、少女を誘う。その手を取ることが何を意味するのか、サージュはその真意に気付くことなく流されるがままに受け入れる。
想定通りでは全くなかったが、目的を果たしたアルハイゼンは約束された勝利に密かな笑みを浮かべ、掴んだ手を引いて彼女を抱き寄せた。
そして徐に唇へと触れようと顔を近付けるが、寸でのところでサージュに阻止されてしまった。
「あ、アルハイゼン…?」
「何故拒む? 君がその男に言い寄られて困っているのなら、既に他のパートナーが居ると証明するのが最善策だが」
「…う、一理ある…のかな」
一度は言い包められそうになるものの、慌てて首を振って彼の言い分を否定する。
「いや、そんな哀しい嘘をついて誤魔化すのはちょっと違うような気が」
「君が彼に対して情を抱けないのなら、遅かれ早かれ同じことだ。その彼との関係性を維持する為に、嘘で嘘を重ね続けることになるだろう」
優しい嘘か、残酷な現実か。そんな差でしかない、そう伝えようとするが、サージュは尚も首を捻り続けて。
「でも、ちゃんと話せばいい人かも…」
「なら最初から逃げる必要などない筈だ。君が俺に助けを求めたのは、少なからずその好意に対して否定的な感情を持っているからではないのか?」
「…まあ、確かにそれはあるね。だって私が草神様のことを話してる最中に、私の好物について訊ねてくるんだよ? そんなこと聞いてどうしたいの、って思っちゃったもん」
互いに研究に対する熱意が高すぎるが故に会話が噛み合わないことは学士にありがちではあれど、件の彼はそれ以前の話だったと熱弁するサージュ。
会話が弾んだ上で向けられる好意とは異なる、色欲に塗れた知性の欠片も無い眼差しに辟易している様子に、アルハイゼンは彼女がそうした下賎な連中とは違うことを密かに安堵する。
「教令院には多くの人間が集まっているが…その分程度の低い者も一定数存在する。今回の相手はそういう残念な輩だったということだ」
そう断言することで、彼女の溜飲を下げる。彼女が男からの告白を無下にしたことに対する罪悪感を少しでも払拭しようと、アルハイゼンはあの手この手で弁舌を並べ立てる。
「尤も、彼らの気持ちはわからないでもない。同じ学生であるという共通点を持つことは、全くの他人同士から始まる関係性よりも余程身近に感じられるものらしいからな」
「ふーん…アルハイゼンもそうだったの?」
かつての二人の邂逅を思い出したサージュが、おずおずと問いかける。彼女が持つ神の目を珍しく思ったアルハイゼンが声を掛けたのが全ての始まりだった。
「否定はしない。君と俺の場合、学生であるだけでなく、互いに神の目を持つ身という稀有な共通点があったのは紛れもない事実だ」
肩に提げた自らの神の目に触れながら、彼女の持つ神の目を見つめるアルハイゼン。
二人は宿る元素こそ異なるものの、余程の幸運か抗えぬ運命に導かれた者でなければ得ることのない強大な力を前に、興味を示すなという方が無茶な話ではあった。
「…神の目、かぁ。草元素の神の目なら、もっと喜べたのにな」
自らの持つ神の目を残念そうに見つめるのは、草神への強い憧れ故に。決して若葉の光を放つことの無いそれは、彼女にとっては少なくとも幸福の証ではなかった。
「いいなあ。草神様の加護、羨ましいな」
羨望の目を向けられるアルハイゼンだが、敢えて彼は何も言わずに黙り続ける。
彼女が草神に敬意よりも更に大きな感情を持っているのは事ある毎に聞かされてきたことで、今となっては何を言う気力も起きない程に聞き飽きていた。
このまま神の目の話で元々の問題について忘れてくれれば話が早いなどと思慮に耽ける彼の淡い期待も虚しく、サージュは思い出したかのように嘆きを零す。
「でも、たとえ草元素の神の目を持ってたとしても…あの人みたいな勝手な人は嫌だなあ」
「ほう。流石の君でも、人としての常識が優先されるのか」
「…うん、それはそうだよね。まともな会話にならない人はちょっと…って、ん?」
少しでも隙を見せると見境なく草神に対する熱意を語り始める酔狂を揶揄したつもりのアルハイゼンだが、そんなことは露知らず彼に同意してしまうサージュ。
話し終わる間際にようやく違和感を覚えたのか、訝しむ素振りを見せはしたものの、深く考えずに受け流すのだった。
「まあいいや…とりあえず私の問題はこれで解決したってことで。ありがとアルハイゼン」
勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げる。そして、あろうことかそのまま去ろうとする彼女を、アルハイゼンが肩を掴んで引き留める。
「待て」
「…あ、やっぱダメ?」
そう易々と逃がしてはもらえぬと悟り、サージュは自らの誤ちにようやく気付き苦笑を浮かべつつ振り返る。
軽はずみな頼みで彼を焚き付けてしまった結果がこんなことになるなどとは、この部屋に足を踏み入れるまでは一切考えもしていなかったのに、と後悔の念を抱きながら。
「…」
渋々元の位置に戻り、しかし彼とは目を合わせることが出来ず俯くサージュ。頬は赤く染まり、体温は沸騰しそうなほど熱を帯びていく。
自分が何故ここに留まらされたか、それがわからぬ程無垢な子供ではなかった。
「本気…だったんだね」
「さぁ。俺はどちらとも言った覚えもないが」
「えっ」
冗談か本気かどちらともつかない無表情で答えるアルハイゼンに、サージュが思わず驚嘆の声を漏らす。
暫し無言で見つめ続け彼女が慌てふためく様子を楽しんだ後、彼はようやく口を開いて僅かに笑みを浮かべた。
「…冗談だよ。だが、互いに同じような面倒事が再発した際にはハッキリ断ることが出来るというのは、間違いなく大きなメリットのひとつに値する」
二人の間に特別な関係を結ぶことの利点を再度提示し、サージュの不安を取り払おうと画策する。
そしてそれは彼自身にとってもそうなのだと明示することで、そのメリットは彼女だけが受けるものではないと安堵させる意図も含んでいた。
「尤も、俺と君の利害が一致しているのを前提としても、その関係を本当に許容出来るかは別問題だが」
ただこればかりは飽くまでも二人の同意の元による契約で、無理を強いることは出来ないと強調するアルハイゼン。
断ることへの罪悪感を薄れさせ完全な彼女の意思に委ねるようにも根回しした上で、それでも彼はサージュが首を縦に振ると心のどこかで確信していた。
「ちなみに俺はどちらでも構わない。君はどうだ? 先程はこの契約についての是非は濁されてしまったから、改めて聞こう」
「わ、私は…もしキミの…恋人、になれるのなら…それはすごく…嬉しい、と思う」
少女は緊張に呑まれ何度も吃りながら、それでも懸命に己の胸中を明かす。紅に火照る頬が炎を宿らせそうな程に熱くなる様を、男は何も言わずじっと見つめていた。
「アルハイゼンは…私のこと、どうなのかな。好きってことでいい…の?」
「…俺の君に対するこの感情が一般的な"好意"に相当しているかは正直判断が難しい所だが…少なくとも、嫌だと思っていたら最初からあんな提案はしていない」
「そっ、か。それもそう…だね」
肯定的な反応を見せつつも、敢えて自身の心情を名言することなく遠回しな物言いを徹底するアルハイゼン。
手の上で転がされることを薄々感じ始めたらしく焦れったい気持ちを抱くサージュの悶々とした表情さえも、彼にとっては好奇心を満たす為の材料と化していた。
だが、この時点においては彼には彼なりの言い分があった。彼女もまた、自分を"好きだ"とはまだ一度たりとも言っていないのだ。
互いに好き同士だと判断する材料がどれだけ揃っていようとも、男は自らの小さなプライドが邪魔をしてそれを確かめる最も簡単な方法を実行出来ずにいた。
「アルハイゼン」
少女にどう告白の言葉を告げさせるかを画策する為の思慮に耽ける最中、アルハイゼンは唐突に名を呼ばれ、僅かに反応が鈍る。
その一瞬の隙を突いて、彼女は男が想像もつかないような大胆な行動に出るのだった。
「…ッ!?」
全くの無防備だった膝裏へと微かに力を込め、男の重心を崩す。バランスが保てずアルハイゼンが床に手を着いた瞬間を見計らい、彼女はゆっくりと彼に目線を合わせるべく身を屈め、そして。
「あ、流石に驚いてる! 丁度いいや、この勢いで言うね。好きだよアルハイゼン」
それはあまりに突然で、あまりにも呆気なく放たれた告白。初めて耳にした少女の好意の証は、これまで飽くほど告げられてきたどの声よりも男の心に深く刻み込まれた。
サージュが一瞬だけでもアルハイゼンより優位に立てたという自信によってもたらされたものでこそあったが、結果的に小細工なんて必要なかったほどの、シンプルな感情の吐露だった。
「神の目がどうとか関係ない、一人の人としてキミが好き。月並みなことしか言えないけど…えっと。これからも私の側にいてね」
放った言葉を自分で後悔する暇を与えぬよう、いつにない早口で捲し立てるサージュ。
唖然とするアルハイゼンが何かを言おうとするより先に、彼女は勢いに任せて男を壁際に追い詰め、逃げ場を奪う。
「全く…つくづく君は、俺の期待をいい方向に裏切ってくれる。今回ばかりは俺の完敗と言っていい、君の熱意には勝てそうもない」
「…ちぇ。ここまでしたのに、まだそうやってカッコつける余裕があるんだもんなぁ」
敗北を宣言しつつも表情は既に普段の冷徹ささえ感じる落ち着いたものへと戻っており、完全に屈服させるには至らなかったことを察知したサージュは嘆きを零す。
「ま、いいけど…ねっ」
しかし転んでもタダでは起きない彼女は、己の身体の温もりに触れさせようと、アルハイゼンの背にゆっくりと腕を絡め、彼の胸に身を預ける。
「…なんだ、 思ったより心拍数高いね。あんまりにも仏頂面のままだから、緊張してないのかと思ってた」
「このような窮地に陥ったのは初めてのことだからな。経験したことのない事象には緊張くらいする」
「窮地、って…嫌だったなら拒んでもよかったのに」
否定的な印象を与える痛烈な二文字に、サージュが哀しみに満ちた目で身を引こうと脚に力を込める。
だが彼にとってその表現は決して悪いものではなく、どころか肯定の意を含んでいたのだと説き、その上で彼女を抱き寄せて引き留める。
「誤解を招いたのなら詫びよう。不快感や嫌悪を抱いたわけではない、寧ろ楽しんでいたくらいだ。君がここまで積極的になるのは草神のこと以外では非常に稀だからな」
「へ…ぁ、うん…」
ストレートに謝罪と共に歯の浮くような甘言を口にするアルハイゼンに、思わず覇気を失い掠れた声で頷くしかなくなるサージュ。
「だから、これからもその目紛しく変化する様子を間近で見させてもらえるのなら、俺にとってはそれは幸福なことだ」
サージュを胸に抱き寄せたまま、明後日の方向へと首を向けてそっと吐き出す。
彼女に火照りを悟らせぬよう努めて、未来への展望を語る。単調な愛の告白がどうしても紡げないアルハイゼンにとって、これが精一杯の表現だった。
「…サージュ。これで満足か?」
「及第点…は満たしてる、かな。この期に及んで"好き"の二文字も言わずに誤魔化して来る辺り、優秀賞とは絶対に言えないけど」
辛口な採点で評して、口を尖らせるサージュ。けれどそれが新たな目標となり、彼女は改めて未知の知識への探究心を胸に抱く。
二人の恋は、今はまだ始まったばかりだった。
「いつか必ず、キミの口から好きって言わせるからね」
陽の落ちかけた頃、自室で作業に取り組んでいた男の元に一人の少女がやって来た。
彼女の名はサージュ、アルハイゼンと呼ばれた彼とは異なる学派でこそあれど、勉強熱心で優秀な学士の一人であった。
「…なんだ」
無心で机に向かっていたのを思い出したアルハイゼンは凝り固まった身体の血行を解す為に大きく腕を伸ばしながら、彼女が何用で自らの元を訪れたか問い掛ける。
「ちょっと相談事があって来たんだけど…もしかして、忙しかった?」
「本気で俺が暇を持て余した男だと思っているのなら、君の認識を改めさせる必要があるな」
「ごめんごめん、そんな冷たい言い方しないで」
冗談交じりに不敵に笑んで、しかし彼はどこか嬉しそうな様子でサージュを自室へ招き入れる。
そんなことなど露知らず絡め取られた"獲物"は、物怖じすることなく男の元へ歩み寄っていく。
「それで、相談があると言っていたが…君は自分の鬱憤を晴らすことと、実際に悩みを解決するのとどちらが望みだ?」
女性同士の交友関係において頻発する、ただ話すことで抱いたストレスの発散が目的なのか、あるいは本当に困っていて自分へと助けを求めに来たのかを確かめるべく問うアルハイゼン。
サージュは本棚の隙間に背を預けては身を小さく縮めて屈み、男を上目遣いで見つめ掠れた声で呟く。
「どっちも微妙」
まさかの第三の選択肢を提示してくるサージュに、アルハイゼンは予想が外れ僅かに憤る。
複雑な乙女心の機微を察する機転の良さなど持ち合わせていない朴念仁は、自らの苛立ちをストレートにぶつけるのだった。
「答えになってないな。俺が理解出来るように説明出来ないのならば、他を当たってくれ」
「ちょ…お願い待って、ちゃんと説明させて。そうすれば私が言った意味もわかるはずだから」
つまみ出されそうになったところを暴れ、どうにか拒絶反応を見せる男を宥めるサージュ。
解放された安堵を隠すことなくアピールした後、アルハイゼンへと助けを求めた経緯を刻々と語り始めた。
事の発端は、彼女がいつものように知恵の殿堂で草神についての書物を読み漁っていた時のこと。
勉学に励む彼女を物珍しく見ていた学士の一人が、意を決して声を掛けた。同志だと思った彼女は熱心に草神について語ったが、どうやら男の興味は学問ではなく、サージュ自身に対して向いていたという。
学生同士の恋愛沙汰について噂を耳にしたことがないわけではないにしろ、自分では無縁と思い込んでいた事象に、どう対処するのが正しいか教えを乞いたい、というのがサージュの"相談事"だった。
「…ふむ」
言葉少なに頷いて、アルハイゼンは黙り込む。整った顔立ちから似たような経験に慣れている彼は、そんな些末なことで思い悩むサージュの姿が不思議に思えた。
ましてその解決策を他者に頼るなど、考えたこともなかった彼に、彼女が喜ぶ答えをすんなりと教えられるはずもなく。
「君がどうしたいか次第だろう。その男に興味があるのなら受け入れればいいし、箸にも棒にもかからない存在なら記憶の片隅に残しておく必要もない」
ある意味で型に嵌った模範解答を提示し、サージュの反応を窺うアルハイゼン。
彼女は唇を噛み締めて男の顔を見上げるが、面と向かって反論する勇気が出ずに再び視線を地面に落とす。
「うぅ…でも折角の誘いを無下にするのも、なんかさあ」
「直接断るのが後ろめたいのなら、俺が根回しするが」
「え、そ…それはダメでしょ、キミが出てきちゃったら話がややこしくなる」
相談を持ち掛けて来た時点で既に複雑化しているだろうと喉まで出かけて、しかし男は理性から寸でで抑える。
彼が何より不愉快なのは、彼女自身が満更でもない様子だったからだった。けれどそれに気付くことなく、アルハイゼンは更なる苛立ちをサージュへとぶつける。
「ならば何故、俺を頼ろうとした?」
「頭のいいキミなら…簡単に答えを出せると思って」
「…そうか」
腕で両足を抱き、コンパクトに纏まるサージュ。そのまま箱の中に仕舞い込めそうな彼女の眼前に立ち、彼は目線を合わせるべく膝を着く。
「そこまで俺を買っているのなら、期待通り君の願いに応えてもいい。最も確実かつ簡単な方法で、君の悩みを解決する」
「うん…わかった、お願いします」
手を差し伸べ、少女を誘う。その手を取ることが何を意味するのか、サージュはその真意に気付くことなく流されるがままに受け入れる。
想定通りでは全くなかったが、目的を果たしたアルハイゼンは約束された勝利に密かな笑みを浮かべ、掴んだ手を引いて彼女を抱き寄せた。
そして徐に唇へと触れようと顔を近付けるが、寸でのところでサージュに阻止されてしまった。
「あ、アルハイゼン…?」
「何故拒む? 君がその男に言い寄られて困っているのなら、既に他のパートナーが居ると証明するのが最善策だが」
「…う、一理ある…のかな」
一度は言い包められそうになるものの、慌てて首を振って彼の言い分を否定する。
「いや、そんな哀しい嘘をついて誤魔化すのはちょっと違うような気が」
「君が彼に対して情を抱けないのなら、遅かれ早かれ同じことだ。その彼との関係性を維持する為に、嘘で嘘を重ね続けることになるだろう」
優しい嘘か、残酷な現実か。そんな差でしかない、そう伝えようとするが、サージュは尚も首を捻り続けて。
「でも、ちゃんと話せばいい人かも…」
「なら最初から逃げる必要などない筈だ。君が俺に助けを求めたのは、少なからずその好意に対して否定的な感情を持っているからではないのか?」
「…まあ、確かにそれはあるね。だって私が草神様のことを話してる最中に、私の好物について訊ねてくるんだよ? そんなこと聞いてどうしたいの、って思っちゃったもん」
互いに研究に対する熱意が高すぎるが故に会話が噛み合わないことは学士にありがちではあれど、件の彼はそれ以前の話だったと熱弁するサージュ。
会話が弾んだ上で向けられる好意とは異なる、色欲に塗れた知性の欠片も無い眼差しに辟易している様子に、アルハイゼンは彼女がそうした下賎な連中とは違うことを密かに安堵する。
「教令院には多くの人間が集まっているが…その分程度の低い者も一定数存在する。今回の相手はそういう残念な輩だったということだ」
そう断言することで、彼女の溜飲を下げる。彼女が男からの告白を無下にしたことに対する罪悪感を少しでも払拭しようと、アルハイゼンはあの手この手で弁舌を並べ立てる。
「尤も、彼らの気持ちはわからないでもない。同じ学生であるという共通点を持つことは、全くの他人同士から始まる関係性よりも余程身近に感じられるものらしいからな」
「ふーん…アルハイゼンもそうだったの?」
かつての二人の邂逅を思い出したサージュが、おずおずと問いかける。彼女が持つ神の目を珍しく思ったアルハイゼンが声を掛けたのが全ての始まりだった。
「否定はしない。君と俺の場合、学生であるだけでなく、互いに神の目を持つ身という稀有な共通点があったのは紛れもない事実だ」
肩に提げた自らの神の目に触れながら、彼女の持つ神の目を見つめるアルハイゼン。
二人は宿る元素こそ異なるものの、余程の幸運か抗えぬ運命に導かれた者でなければ得ることのない強大な力を前に、興味を示すなという方が無茶な話ではあった。
「…神の目、かぁ。草元素の神の目なら、もっと喜べたのにな」
自らの持つ神の目を残念そうに見つめるのは、草神への強い憧れ故に。決して若葉の光を放つことの無いそれは、彼女にとっては少なくとも幸福の証ではなかった。
「いいなあ。草神様の加護、羨ましいな」
羨望の目を向けられるアルハイゼンだが、敢えて彼は何も言わずに黙り続ける。
彼女が草神に敬意よりも更に大きな感情を持っているのは事ある毎に聞かされてきたことで、今となっては何を言う気力も起きない程に聞き飽きていた。
このまま神の目の話で元々の問題について忘れてくれれば話が早いなどと思慮に耽ける彼の淡い期待も虚しく、サージュは思い出したかのように嘆きを零す。
「でも、たとえ草元素の神の目を持ってたとしても…あの人みたいな勝手な人は嫌だなあ」
「ほう。流石の君でも、人としての常識が優先されるのか」
「…うん、それはそうだよね。まともな会話にならない人はちょっと…って、ん?」
少しでも隙を見せると見境なく草神に対する熱意を語り始める酔狂を揶揄したつもりのアルハイゼンだが、そんなことは露知らず彼に同意してしまうサージュ。
話し終わる間際にようやく違和感を覚えたのか、訝しむ素振りを見せはしたものの、深く考えずに受け流すのだった。
「まあいいや…とりあえず私の問題はこれで解決したってことで。ありがとアルハイゼン」
勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げる。そして、あろうことかそのまま去ろうとする彼女を、アルハイゼンが肩を掴んで引き留める。
「待て」
「…あ、やっぱダメ?」
そう易々と逃がしてはもらえぬと悟り、サージュは自らの誤ちにようやく気付き苦笑を浮かべつつ振り返る。
軽はずみな頼みで彼を焚き付けてしまった結果がこんなことになるなどとは、この部屋に足を踏み入れるまでは一切考えもしていなかったのに、と後悔の念を抱きながら。
「…」
渋々元の位置に戻り、しかし彼とは目を合わせることが出来ず俯くサージュ。頬は赤く染まり、体温は沸騰しそうなほど熱を帯びていく。
自分が何故ここに留まらされたか、それがわからぬ程無垢な子供ではなかった。
「本気…だったんだね」
「さぁ。俺はどちらとも言った覚えもないが」
「えっ」
冗談か本気かどちらともつかない無表情で答えるアルハイゼンに、サージュが思わず驚嘆の声を漏らす。
暫し無言で見つめ続け彼女が慌てふためく様子を楽しんだ後、彼はようやく口を開いて僅かに笑みを浮かべた。
「…冗談だよ。だが、互いに同じような面倒事が再発した際にはハッキリ断ることが出来るというのは、間違いなく大きなメリットのひとつに値する」
二人の間に特別な関係を結ぶことの利点を再度提示し、サージュの不安を取り払おうと画策する。
そしてそれは彼自身にとってもそうなのだと明示することで、そのメリットは彼女だけが受けるものではないと安堵させる意図も含んでいた。
「尤も、俺と君の利害が一致しているのを前提としても、その関係を本当に許容出来るかは別問題だが」
ただこればかりは飽くまでも二人の同意の元による契約で、無理を強いることは出来ないと強調するアルハイゼン。
断ることへの罪悪感を薄れさせ完全な彼女の意思に委ねるようにも根回しした上で、それでも彼はサージュが首を縦に振ると心のどこかで確信していた。
「ちなみに俺はどちらでも構わない。君はどうだ? 先程はこの契約についての是非は濁されてしまったから、改めて聞こう」
「わ、私は…もしキミの…恋人、になれるのなら…それはすごく…嬉しい、と思う」
少女は緊張に呑まれ何度も吃りながら、それでも懸命に己の胸中を明かす。紅に火照る頬が炎を宿らせそうな程に熱くなる様を、男は何も言わずじっと見つめていた。
「アルハイゼンは…私のこと、どうなのかな。好きってことでいい…の?」
「…俺の君に対するこの感情が一般的な"好意"に相当しているかは正直判断が難しい所だが…少なくとも、嫌だと思っていたら最初からあんな提案はしていない」
「そっ、か。それもそう…だね」
肯定的な反応を見せつつも、敢えて自身の心情を名言することなく遠回しな物言いを徹底するアルハイゼン。
手の上で転がされることを薄々感じ始めたらしく焦れったい気持ちを抱くサージュの悶々とした表情さえも、彼にとっては好奇心を満たす為の材料と化していた。
だが、この時点においては彼には彼なりの言い分があった。彼女もまた、自分を"好きだ"とはまだ一度たりとも言っていないのだ。
互いに好き同士だと判断する材料がどれだけ揃っていようとも、男は自らの小さなプライドが邪魔をしてそれを確かめる最も簡単な方法を実行出来ずにいた。
「アルハイゼン」
少女にどう告白の言葉を告げさせるかを画策する為の思慮に耽ける最中、アルハイゼンは唐突に名を呼ばれ、僅かに反応が鈍る。
その一瞬の隙を突いて、彼女は男が想像もつかないような大胆な行動に出るのだった。
「…ッ!?」
全くの無防備だった膝裏へと微かに力を込め、男の重心を崩す。バランスが保てずアルハイゼンが床に手を着いた瞬間を見計らい、彼女はゆっくりと彼に目線を合わせるべく身を屈め、そして。
「あ、流石に驚いてる! 丁度いいや、この勢いで言うね。好きだよアルハイゼン」
それはあまりに突然で、あまりにも呆気なく放たれた告白。初めて耳にした少女の好意の証は、これまで飽くほど告げられてきたどの声よりも男の心に深く刻み込まれた。
サージュが一瞬だけでもアルハイゼンより優位に立てたという自信によってもたらされたものでこそあったが、結果的に小細工なんて必要なかったほどの、シンプルな感情の吐露だった。
「神の目がどうとか関係ない、一人の人としてキミが好き。月並みなことしか言えないけど…えっと。これからも私の側にいてね」
放った言葉を自分で後悔する暇を与えぬよう、いつにない早口で捲し立てるサージュ。
唖然とするアルハイゼンが何かを言おうとするより先に、彼女は勢いに任せて男を壁際に追い詰め、逃げ場を奪う。
「全く…つくづく君は、俺の期待をいい方向に裏切ってくれる。今回ばかりは俺の完敗と言っていい、君の熱意には勝てそうもない」
「…ちぇ。ここまでしたのに、まだそうやってカッコつける余裕があるんだもんなぁ」
敗北を宣言しつつも表情は既に普段の冷徹ささえ感じる落ち着いたものへと戻っており、完全に屈服させるには至らなかったことを察知したサージュは嘆きを零す。
「ま、いいけど…ねっ」
しかし転んでもタダでは起きない彼女は、己の身体の温もりに触れさせようと、アルハイゼンの背にゆっくりと腕を絡め、彼の胸に身を預ける。
「…なんだ、 思ったより心拍数高いね。あんまりにも仏頂面のままだから、緊張してないのかと思ってた」
「このような窮地に陥ったのは初めてのことだからな。経験したことのない事象には緊張くらいする」
「窮地、って…嫌だったなら拒んでもよかったのに」
否定的な印象を与える痛烈な二文字に、サージュが哀しみに満ちた目で身を引こうと脚に力を込める。
だが彼にとってその表現は決して悪いものではなく、どころか肯定の意を含んでいたのだと説き、その上で彼女を抱き寄せて引き留める。
「誤解を招いたのなら詫びよう。不快感や嫌悪を抱いたわけではない、寧ろ楽しんでいたくらいだ。君がここまで積極的になるのは草神のこと以外では非常に稀だからな」
「へ…ぁ、うん…」
ストレートに謝罪と共に歯の浮くような甘言を口にするアルハイゼンに、思わず覇気を失い掠れた声で頷くしかなくなるサージュ。
「だから、これからもその目紛しく変化する様子を間近で見させてもらえるのなら、俺にとってはそれは幸福なことだ」
サージュを胸に抱き寄せたまま、明後日の方向へと首を向けてそっと吐き出す。
彼女に火照りを悟らせぬよう努めて、未来への展望を語る。単調な愛の告白がどうしても紡げないアルハイゼンにとって、これが精一杯の表現だった。
「…サージュ。これで満足か?」
「及第点…は満たしてる、かな。この期に及んで"好き"の二文字も言わずに誤魔化して来る辺り、優秀賞とは絶対に言えないけど」
辛口な採点で評して、口を尖らせるサージュ。けれどそれが新たな目標となり、彼女は改めて未知の知識への探究心を胸に抱く。
二人の恋は、今はまだ始まったばかりだった。
「いつか必ず、キミの口から好きって言わせるからね」
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