概要+短編

夢小説設定

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ヒロイン

 恋人同士の憩い、サージュの住まう家屋にて。二人で過ごす時間と言いながらも、来客たる男はパートナー本人よりも蔵書の方へと興味津々らしく。
 一体どこから引っ張り出してきたのか、普通の本とは異なる分厚いアルバムを食い入るように見つめる彼に、家主たる娘が呆れた声でそれを指摘する。

「あの…それ、子供の頃のアルバムなんだけど」
「そうだな。何か不都合があるのか?」

 見られて困るものなら隠せ――そう言わんばかりの眼差しに、少女は肩を縮こまらせ含羞を呟く。

「…不都合はないよ、でも恥ずかしいでしょ。見たいならせめて、一言ほしかったなって」

 尤も彼女自身、アルハイゼンと交際するようになってから現在に至るまで、痴態も含め様々な一面を見せて来た自覚はあった。
 だから今更な諌言だと頭では理解こそすれ、それでも頬が熱を帯びていくのは、何も知らぬ無垢な幼子だった己を肯定出来ないが故に。

「ふむ、確かに浅慮だったのは認める。だが君は、俺が希求を申し出たところですんなりとは頷かないだろう」
「まあね。でも絶対ダメとまでは言わないつもりだったし…」

 微かな拒絶反応を否定しきれずとも、やはり事前の承諾があるとないとでは気分も段違いで。
 まずはこちらで開示出来る部分を精査してからが望ましい、そう目線を落としたところに、予想だにしない醜態が視界に飛び込んできた。

「! ちょっと待って、何その写真…私、全然記憶にない」

 アルバムのとあるページ、そこに挟まれていた写真には、派手に転んだのか全身泥だらけになって号泣しているサージュの姿が映っていた。
 小さな手には一輪の花が大事そうに握られていて、それに気を取られるあまり足元への注意が散漫になった結果、見るも無惨な状態になったのではないかと推測される。
 けれども手元の花こと向日葵の大輪は彼女の犠牲の甲斐あってか無事を保っており、その花を一時的に預かる為なのか汚れた娘を宥める為なのか、写真の画角の外からは母らしき人物の腕が伸びていた。
 一見して微笑ましい母娘の光景、成長した後の本人は感慨と悲憤の綯い交ぜになった複雑な表情を浮かべ、当時の記憶を呼び覚まそうと反芻し始める。

「この花は確か、フォンテーヌのものだった筈だな」
「そう、向日葵。だから多分、フォンテーヌ廷じゃなくてどこか郊外とかなんだろうけど…その付近でなら大して珍しいものでもなし、馬鹿だなぁ」

 遡っておよそ十五年は昔のこと、そもそも写真を撮られていた記憶さえ皆無だと言うのに、この瞬間の己がどんな想いで身を呈したのか全くわからず眉を顰める。
 一方、傍らでその表情を眺めていた恋人は何も言わず破顔するのみで、彼女は訝しげに呼名しその真意を問う。

「…アルハイゼン?」

 自虐を吐いたとは言え、本当に同調されるのは不服なサージュの半目に、彼はそっと頭を撫でて慈しみの眼差しを返す。

「いや。可愛らしいなと思って見ていた」
「かっ…!? もう、やめてよ…絶対そんなこと考えてなかったくせに」

 慮外のタイミングで肯定を伝えられ、顔を真っ赤にしてそれを嘘だと全否定する少女。
 が、その批難を受けた瞳は寂寥に満ち、誰よりも大切な存在に信じてもらえないことに憂色を示していた。

「俺がここでくだらない嘘を吐く意味があるか?」
「ない、けれども」
「理解出来ているならいい。俺にとっては、このたった一輪の為に体を張って慟哭する君も、これ以外にも幸福を体現した表情を見せる姿や父親に激昂しているらしき様相も、ピントがずれて像を結んでいない写真でさえも…全てが等しく尊いものだ」

 ぱらぱらとページをめくり、件の光景とは別のワンシーンを撮った写真を見つめ力説する。
 そうして語気を強めて話す内に次第に恋情が溢れ出したのか、彼は"もしもの可能性"をぽつりと零す。

「だから…この頃の君に出逢えていれば、俺の人生はもっと豊かなものになっていたかもしれないな」

 過去に囚われない男による稀有な悔恨に、サージュは驚愕のあまり大きく目を見開く。
 だが彼女にとって更に驚くべきは、そのような慕情を向けられる幼い頃の自分自身に嫉妬心を抱いているという事実。
 どちらも同じ己であることには変わりないのに――醜いことこの上ない憤懣をどうにか穏便に払拭すべく、努めて冷静さを保ったまま腕を絡め、そして。

「…その頃の私とじゃ、キミが満足いく議論なんて絶対無理だよ」
「うん? ああ、それは当然だろう。君だけではなく俺も相応に幼くなるんだ、まともな対話が出来るとは思っていないさ」

 甘えた表情でじっと見つめるも、アルハイゼンの返答はあっけらかんとしたものであった。

「じゃあどうして…」

 そうも幼少期の自分に固執するのか。ネガティブな言の葉は音吐にならず、少女は唇を食む。
 彼はそこでようやく嫉視に気付いたらしく、困ったように笑みを浮かべ恋人を宥め賺す。

「こうして過去の君が写っている写真を眺めているだけでも、俺は最上の清福を得たと感じている。なら、直に対面したら…と、そう考えてしまっただけだ。今の君に不満がある訳ではない」
「ん」

 この上なく簡潔な首肯を返しつつも、尖らせた口を元に戻すことなく、誠意が足りないと上目で訴えるサージュ
 これではまるで写真に写る幼い頃の自分の方が余程精神が熟達しているのではないかと思えども、一度曲がった臍の位置を自力で元に戻すのは困難を極めていた。

「…悪かった。まさか君がそこまで機嫌を損ねるとはな」

 含み笑いと共にもう一度頭を撫でて、アルハイゼンは改めて謝罪の言葉をかける。
 真摯な陳謝によって少しずつ彼女の中にも宥免の念が生まれ、それから悲愴の所以を省みるようにぽつりぽつりと自身の心情を呟く。

「だって…今の私自身や、キミと出逢った経緯が…全部蔑ろにされてるようにしか聞こえなかったんだもん」
「そう捉えられたのだとすれば、俺にはこれ以上弁明のしようもない。どうすれば許しが得られる?」
「え? うぅん…」

 思いもよらない問い掛けに、少女はすぐには答えを返せず驚嘆と唸り声を漏らす。
 その仕草から熟考を待つ意志を見せた恋人を密かに一瞥し、此度の悲痛なすれ違いについて反芻する。
 しかし考えれば考える程堂々巡りになっていき、今となっては許すも何もないのではと結論付けるしかなく。
 それでも、こうして得られた千載一遇の好機を逃すのは惜しいと邪念が過り、サージュはここぞとばかりに普段の彼には拒まれそうな無茶振りを口にするのだった。

「じゃあ…ちょっと横になって」

 まずはカウチに寝そべるよう指示し、貴重な角度から恋人を見下ろす。勿論ただ眺めるだけではなく、彼の鍛えられた筋肉をじっと観察し、その肉体美に頬を緩める。
 そうして憧憬の念を抱いたまま視界に入れる内に欲求は更に加速度的に増し、腹筋の窪みに指を滑らせていく。
 いつもならこの時点で制止を求められるか、少なくとも訝しげに意図を問うてくるだろう。
 だが今回に限っては先の会話に於ける罪悪感が勝っているのか、何も言わずされるがままになっていた。
 少女はその諦念に乗じて、これまでの睦み合いでは触れられずにいた脇腹や二の腕など、魅力的だと感じ得る箇所を余すところなく愛で尽くす。

「満足したか?」
「ううん」

 半ば無心で触り続け、やがてふと目が合った瞬間にそう尋ねられ、彼女は意味深に笑んでは首を横に振る。
 そして一瞬だけ覆い被さるようにして艶美な瞳を向け、唇を触れ合わせる紙一重まで密着させる。
 そのまま交合いへと見せかけて鼻先へとキスを逸らし、身を翻して脇の下へ潜り込む。

「腕枕も」
「それだけでいいのか?」
「というより、それだけ"が"いい…かな」

 完全に鼻を明かされた表情、今にも手が下半身に伸びかねない妖しい雰囲気を纏わせていた中での翻意は、流石のアルハイゼンももどかしさを覚えるようで。

「…」
「頭、撫でて」

 男は恋人の甘える声に無言で応え、娘をあやすように緩やかなテンポで手を動かす。
 そうして彼女を撫でる最中に小さな嘆息が漏れ出したのは、抱いた劣情を霧散させたいが為か、あるいは。
 その面持ちがどことなく不承不承のようにも見え、少女はもっとと願う心とは裏腹に早々に制止を求めた。

「ん…ありがと。もう大丈夫」

 すると今度はその手が頬へと伸ばされ、サージュは警戒心からびくりと肩を跳ねさせる。
 名目上は贖罪の為とはいえ、散々弄んだ以上はどんな手痛い反撃を喰らっても文句は言えまい――そう兢々と身構えるのも束の間、気付けばすっぽりと腕の中に収められていた。

「え? あ、アルハイゼン…?」
「どうした」
「いや、その」

 つむじに吐息が掛かり、まさか嗅がれているのかと顔を上げようとするも、上半身から後頭部に至るまでがっしりと抱き締められている状態では確かめようもなく。
 情交に興じる際とはまた異なる緊張に鼓動が早鐘を打って、こんな筈ではと焦慮が汗を滲ませる。
 ほぼ全く身動きの取れないシチュエーション、既に彼の術中に嵌っていたのだと悟り、せめて襲うのなら一思いにそうしてくれときつく目を閉じる。

「ふむ。こうして不埒なことを考えずに身体を密着させるというのも、たまには悪くないな」

 が、齎されたのは煩悩を一切抜きにした感慨に満ちた音吐で。その柔らかな声色には、恋人同士としての情を超えた深い愛が垣間見え、少女は一枚も二枚も上手なパートナーにすっかり翻弄されてしまっていた。

「…うん」

 動揺を気取られまいと言葉少なに頷いて、アルハイゼンらしい泰然自若ぶりに羨望を抱きながらしがみつく。
 続けて耳元から聞こえてくる心臓の音の心地好さに揺蕩い、昂っていた気持ちを少しずつ鎮める。
 そうして落ち着いて思考出来るようになったことで、今度は安心感からか急速に睡魔がやってくる。
 大好きな恋人に包まれて眠るというのは確かに得難い幸甚ではあれど、話さねばならないことはまだ数多くあると思い直した彼女は、朦朧とする意識を覚醒させるべく下唇を食む。

「ねえアルハイゼン」

 嫉視や煽情といった傍若無人な振る舞いを謝ろうと恐る恐る呼び掛けてみるも、どういう訳か返事はなく。
 拘束にも程近い抱擁を慎重に緩めさせ彼の相貌を窺うと、瞼はぴったりと閉じられ、上下の睫毛が綺麗に折り重なっているのが見えた。

「寝てる…?」

 驚嘆と称するにはか細い呟き、普段の耳聡い彼ならそれさえも機敏に反応する筈が、今この瞬間に於いては案の定微動だにせず。
 その静止からすぐに確信を得たサージュは、あまり見慣れぬ安らかな寝顔に朗笑を浮かべる。
 そして慈しむようにその様を眺め、それが仮眠ではなく自分だけに許された気の緩みであることを噛み締め喜悦を抱く。

「ふふっ」

 精悍な顔付きがどこか幼く見えるのは、本当の意味での安寧を得ているからか、あるいは。
 隠された左目を覗くのなら今がチャンスだと直感で悟り、少女は指でそっと長い前髪を払う。

「…やっぱり格好良いなぁ」

 そう惚気を呟いて、ふとこの男の面容の良さは誰に由来するものなのか思惟を巡らせ始める。
 両親から受け継いだ要素、あるいは祖父母による隔世遺伝。連綿と紡がれてきた血の歴史を脳内で辿るも、恐らくその解は本人も知らないのだろうと結論付けざるを得ず。
 いくら驚異的なまでに記憶力に優れた聡明な彼でも、物心着く前に夭折ようせつした両親の顔を覚えてはいまい――
 可能性があるとすれば、名のある父と母がそれぞれ執筆した著書に近影が描かれているかどうか。
 尤も、アルハイゼンの資産となった本を借り受けた際にそれを目にした覚えは全くなく、考えても仕方がないと嘆息を吐く。

サージュ…?」
「あ、起きた」
「うん…おはよう」

 どれだけの時間見つめていただろうか、やがて眠りから醒めた男が虚ろな眼差しで恋人へと呼名する。
 まだ意識がはっきりとしてはいないらしく、彼は目覚めに対する微笑にも緩慢な口調で答え、再び少女を抱き締めた。

「その調子だと、また寝ちゃいそうだね」
「…あぁ。何か抱いて寝ることによる安眠効果を…俺は見縊みくびっていたようだ」

 慮外の熟睡に至った理合いを語り、それを与えてくれた彼女の額へそっと口付けを落とす。

「昔…祖母と暮らしていた頃も、よく本を抱えたまま眠っていたのを思い出したよ。あの頃はまだ、無意識のうちに親に甘えたい気持ちがあったからだと思い込み、就寝時の手元に物を置くのを控えるようにしていたが…この心地好さを再び知ってしまった以上は、もう戻れそうにはないな」

 続け様に語られるは、幼子だった時分の旧懐。彼はたった一人の家族である祖母へさえどこか遠慮があったのか、あるいは未熟さを認めたくない少年の強がりからか、半ば強引に寂寥を押し殺していたと自嘲する。
 しかし誰より大切な存在と邂逅し、久しく忘れていた愛情に触れた今、その温かさを手離したくないと思うのは至極当然の摂理。
 サージュは一言一句同意だと力強く頷いて、自身も恋人に対する全幅の信頼を告げ、それから。

「ん、そうだね。 …私も、キミに包まれてるとすごく落ち着く。どうして今まで気付かなかったんだろう、って不思議に思っちゃうくらい」
「…」

 徐に背中へと腕を回して思慕を伝えるも、返って来たのは小さな呻きを含んだ沈黙のみ。
 どういうリアクションだと怪訝な目を向けると、彼は珍しく気まずそうに微笑して視線を遮るのだった。

「その点に関しては、恐らく俺に非がある。これまでは、貴重な機会を逃すまいと躍起になるあまり、憩う暇も与えず君を求めてばかりだったからな」
「へ? あ、あぁ…そうかも。でも別に、そういう流れになること自体は…嫌じゃないよ」

 胸元に押し付けられるようにして抱かれ、全身が急速に火照りを感じ始めるサージュ
 トクトクと互いの鼓動だけが耳に響き、自らが何を口走っているのかも曖昧になっていた。

「キミのことが大好きだから…その。求められるのは嬉しいし、尽くしたくなる。さ…最中も、幸せだなっていつも胸が熱くなっ…て、て」
サージュ
「?!」

 皆まで言わせることなく唇を塞がれ、あっという間にアルハイゼンに組み敷かれる形になる。
 餓えた獣のような鋭い眼光によって見下ろされたその瞬間、少女は期待と昂揚感を胸にぞくぞくと身を震わせた。

「俺に非があると言った手前、今日は我慢するつもりだったが…ここまで煽られて尚"待て"が出来るほど、俺は利口じゃないからな。覚悟は出来ているか?」
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