概要+短編
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「あ、あの子可愛いなぁ」
道端で木の葉と戯れる犬を指して、少女が頬を緩ませる。同行していた男は彼女が足を止めたことに少し遅れて気付き、踵を返して歩み寄りながら問い掛ける。
「動物が好きなのか」
「うん。アルハイゼンはやっぱり苦手?」
「と言うより、単純に興味がない。これまでの暮らしの中で、動物に触れたり関わったりする機会がなかった」
少女は力強く頷いて、同じ問いを彼にも投げかける。アルハイゼンと呼ばれた男は自らの半生を思い返すも、少女が喜ぶような答えを出すことは出来なかった。
しかし彼女はそれを嘆くことはなく、寧ろ予想通りだと納得し静かに頷くに留める。
「そっか」
そこで一旦は会話を終えたものの、尚も少女は先述の犬に後ろ髪を引かれ続けていた。
痺れを切らしアルハイゼンが少女の名を呼んでようやく、彼女は犬へと向けていた視線を戻し彼の元へ駆け寄る。
「…サージュ」
「あ。ごめんごめん」
非を詫びつつも、やはり気にかかるらしく度々振り返っては目で追いかけずにはいられないサージュ。
男は諦念から完全に彼女の動向を無視して先を行き、目的地となっていた彼女の家の前で待つことを決める。
アルハイゼンが少女の様子を窺う最中にも、通りに点在する獣達へ笑みを向け、時には手を振り反応を待つ。
己に見せるものとは全く以って異なる輝く表情に、彼は有象無象の動物相手に不覚にも嫉妬心が芽生え始めてしまう。
「っと…怒って、る?」
真っ直ぐに歩けば一分もかからぬ道を、少女はふらりふらりとたっぷり時間を掛けてやって来た。
無言で彼女に呆れ切った眼差しを向けると、不安を抱いたらしく恐る恐る上目遣いでそう問いかける。
その仕草はまるで飼い主に叱られ萎縮した仔犬のようだと、彼はいつかの日に路傍で見た光景を思い起こしていた。
「いや」
言葉少なに返したことで、サージュの目が怯えたように一瞬だけ大きく見開かれる。
しかし本当に怒りを抱くに至る要素は皆無だった彼は、誤解を解くべく努めて表情を和らげて、少女に訊ねる。
「動物に対してそれほど興味があるのなら、自宅で何か飼うという選択肢もあるだろう。考えたことはないのか?」
「…それは難しいかな。私は自分の事で精一杯だから…生命 の世話なんて出来ないよ」
返ってきたのは、決して短絡的ではない芯の通った思考による否定。生命に対する責任を無視することなく向き合った上で、彼女は己の手に余ると諦めたのだと哀しげに笑む。
「理解しているのならそれでいい」
少女の答えを聞いて満足したらしく、彼は小さく頷く。それから鍵を解錠するよう催促して、我先にと身体を滑り込ませる。
そんなアルハイゼンの様子を見ていた少女は、狭所へと難なく潜り込む猫のようだと密かに喩え、心が和むのを感じる。
「あっでも、ガンダルヴァー村にはレンジャー隊でお世話してるワンちゃん達がいっぱい居るから、触れ合いたくなったら遊びに行くんだ」
「ガンダルヴァー村?」
部屋に着き寛ぐ仕度を進める中で唐突に出た意外な単語に、少女と共にソファへ身を預けた男は思わず首を傾げる。
アビディアの森のレンジャー長であるティナリは確かに二人の共通の知人だが、少女が単身であの獣耳を携えた少年の元を訪ねる理由が気に懸かり、訝しげな声を上げた。
「最近ほら、死域が増えてるでしょ。神の目を持ってる人なら浄化出来るらしいから、たまに浄化作業を手伝ってて」
邪な嫉妬心から問うた男に対し、そんな彼の心境など露知らず、至って真面目な理由で訪問していると告げるサージュ。
死域。過去に近隣エリアに足を踏み入れたことはあったが、その際は迂回して目的地へと向かった彼にとって、あれを元の美しい緑に戻す手段が存在していたことなど一切知る由もなかった。
人知れず彼女がそうした救命活動に勤しんでいたことに、男は少女の成長を喜ぶ傍ら、どこか哀歓の入り交じった複雑な感情を抱いていた。
「死域…あの草木が腐敗した汚染区域のことか」
「そうそれ。心無い人達は、あれはクラクサナリデビ様の所為だなんて言うけど…そんなはずない」
義憤に満ちた強い怒りを隠すことなく曝け出し、少女は敬愛する草神への糾弾を否定する。
己のことで精一杯だと嘆く彼女がただの慈善事業に手を貸す余裕などないと信じていたアルハイゼンは、少女の本心を知り心の底から安堵していた。
それと同時に、自己嫌悪が彼を襲う。彼女の孤独を埋めることが出来るのは自分だけではないのだと、喪失にも似た不安が芽生えていることに。
「ん…アルハイゼン?」
無意識の内に奥歯を噛み締めていた彼を案じて、サージュが憂いを帯びた瞳で見つめる。
彼が思慮に耽けるあまり会話を途切れさせることは珍しい事ではなかったが、そうしたいつもの様子とは明確に異なる違和感が拭いきれない彼女は、心配そうに男の顔色を窺っていた。
「…大丈夫だ」
「ごめん、暗い話しちゃったね」
眉根を下げて微笑んで、男の苦悩した表情を己の失態によるものだと謝罪の言葉を口にする。
アルハイゼンが何も返せぬまま彼女は話題の転換を試みようと、秘蔵らしいアルバムを持ち出して来た。
「アルハイゼンが喜ぶかはわかんないけど、これ見て少しでも可愛いのが伝わればいいな」
見せられたのは、動物達の写真。犬猫と言った街中で見掛けるものだけでなく、スメールの固有種にあたる駄獣やリシュボラン虎など、その種は多岐に渡っていた。
それらを憮然と眺める中で、彼は一枚の写真からひとつの疑問が沸き起こる。それは、翼を広げて撮影者を襲う躍動感に満ちた赤鷲の写真。
もしこれを彼女が撮影したのだとすれば、襲撃による被害は免れないであろう。少女が過去にそんな怪我をした記憶などないこともすっかり忘れ、焦燥に駆られた男は願いを込めて問う。
「サージュ。これは君が撮ったのか」
「ん? あぁ、違うから安心して。それは写真機を三脚に立てて置いて、離れたところから操作して撮ったものらしいから」
あっけらかんと笑う少女によって、彼の不安は杞憂に終わる。安全面を考慮した方法を用いたことも勿論、そもそも彼女自身が撮影したものではないと知り、サージュには一切の危険がなかったことに男は胸を撫で下ろす。
「そうか」
憂慮を悟らせぬよう短く呟いて、彼は気を紛らせるべく他の写真に目を落とす。中には全く見た事もない姿をした獣も居り、次第に興味を惹かれていくアルハイゼン。
このアルバムを作った者がどれだけの苦労をかけたのか、スメールという国からは殆ど出たことのない彼には想像も着かなかった。
「環境の違いによって生物は姿を変えるとは知識としては知っていたが、これほどのバリエーションがあるとは。正直驚いた」
「ね、すごいよね。白い狐なんて、写真を見なかったら想像出来なかったと思う」
モンドと璃月の海を隔てるように聳え立つ巨大な雪山、ドラゴンスパインにて撮影された純白の毛並みを持つ雪狐を指して、男は少女と共に感嘆を零す。
しかし彼女は雪山に適応したその白い狐だけではなく、遙か遠国の島々には更に特別な種が居るのだと期待に胸を膨らませる。
「稲妻には、私達のよく知るこの子達とは全然違う…雷神の眷属にあたる狐がいるらしいんだ。きっと物凄く可愛いんだろうなあ」
「…その期待の仕方は本当に正しいのか?」
仮にも神の眷属とあらば、草神を信仰するサージュにとっては畏怖の対象となる存在ではないのだろうか。
そう彼は訝しむも、狐というイメージからか愛くるしい姿へとばかり思いを馳せる彼女の耳にはその疑念の言葉は一切聞こえていなかった。
「そうだ、アルハイゼンはラクラク駄獣見たことある?写真だとわからないんだけど、仕草が凄く可愛いんだよ」
海の向こうの国の話では彼がつまらないだろうと思ったのか、少女は砂漠に暮らす駄獣についての話題へと切り替える。
ラクラク駄獣とは、森林で見かけるモジャモジャ駄獣の持つ長い被毛は見る影もなく、代わりに砂漠の灼熱にも耐えうる甲羅のような表皮に覆われている種のことだった。
その差異によってより良く見えるようになったつぶらな瞳は、確かにわかりやすく愛嬌のある様相をしていると言えるだろう。
「遠目でなら見たことがあるかもしれないが、その程度だな。砂漠へ行く際にも、あれらに頼る必要があるような状況にはならないようにしていた」
「そっかあ、まぁそうだよね。私も一人で砂漠に行く機会は滅多にないから、あの子達が動く姿を見たのも何年も前の小さい頃の話だしなぁ。また会いたいな…」
徹底して接触を避けていたと言及するアルハイゼンに、少女は落胆に肩を落としつつも彼らしいと納得し、懐かしき姿に憧憬を零す。
「…まるで親しい友のように呼ぶんだな」
動物達を指す言葉ひとつとっても、彼女は対等な扱いをしていることに、男が感慨深げに呟く。
「ん? 何かおかしなこと言ったかな」
「いや。君は動物相手にも人格を仮定した呼称を用いるのか、と」
「それはそうだよ、だって皆それぞれ個性があって…言葉もわかる。見た目が違うだけで、ほぼ人と同じだもん」
写真を広げ、彼女は自らを誇示するように個性に満ち溢れた野生動物達の姿を見せる。
餌を与えられた栗鼠達を収めた一枚に於いても、警戒することなく餌を食べる者、驚いて餌の載る手に噛み付き恩を仇で返す者など、多種多様な反応が映されていた。
「ね。面白いでしょ」
「否定はしない。だが、君の考えを全て肯定することも俺には出来ない」
一度は理解を示しつつ、しかし少女が意識の外に置いているであろう忘れてはいけない事象について語る。
「彼らは飽くまで獣であり、人間にはない牙や爪を持つ危険な存在だ。さっきの赤鷲の写真も、一歩間違えれば撮影者が死んでいてもおかしくなかった」
「…うん。大丈夫、わかってる。父さん、いつも生傷が耐えない人だったから」
諫言にもすぐさま頷いて、彼女はアルバムの最後のページを捲る。動物ではない唯一の被写体を映した写真、それは赤子だった頃の少女が傷だらけの父の腕に抱かれる姿だった。
その写真を一目見て、男はそれが何を意味するか悟る。たった一冊のアルバムに込められた、"娘"への強い想いを。
「父親、か」
両親を知らぬ彼にとって、サージュが時折見せる両親への愛に満ちた笑みは、自分には本当の意味では決して知ることの出来ない感情だった。
書庫に眠らせている彼らの蔵書から垣間見える己への愛情表現をどれだけ咀嚼しようとも、生の感謝を伝えることも死に憎悪を吐き出すことも、もう叶わないのだ。
凄惨な事件によって母を亡くしたとは言え、父親とは縁の切れていない彼女を直接的に羨むことこそなくとも、家族という偶像に対しての憧憬は、確かに彼の胸にも芽生えていた。
「あっごめん、私…」
「何故謝る? 君の親が正しく子供に対して愛情を与えていた事実があったと言うだけだろう」
感嘆を込めた呟きを悲愴と捉えた少女が、両親を亡くしているアルハイゼンの前で自らの親の話題を持ち出してしまった失態を悔やむ。
しかし彼はそんなことは露ほども気に留めておらず、憮然とした様子で彼女へとそれを伝える。
「俺は確かに両親の事など記憶にないが、それとは無関係に日々を暮らしている。これは、親の存在が必ずしも人間の成長に必要不可欠ではない証左だと思わないか」
そう告げて、男は真っ直ぐに少女の瞳を見つめる。サージュはこれ以上何も言えないと悟り、静かに同意の言葉だけを零す。
「うん…そう、だね」
孤高の隼が提唱する理論は、地より太陽を仰ぐ蕾には遠すぎて手の届かないものだと痛感する。
そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、アルハイゼンは少女が見ていたアルバムを掠め取り、彼女にとって思いもよらぬ結び付きを与える。
「サージュ。さっき駄獣の話をしていただろう。あれの生態系の変化から、森林地帯と砂漠の歴史を追う糸口が掴めるかもしれない」
「…あー。なるほど? そっか、確かに同じ駄獣があんなに姿を変えたのがいつからなのかとか、考えてもみなかったなぁ」
ソファに身体を沈め、天井を見ながら駄獣の進化の歴史を辿ることに思いを馳せる。
しかし草神の研究には無縁にも思えるそれが、彼女には楼閣を崩す蟻の一穴のように感じられ、少女は失いかけていた自信を取り戻す。
「一見全く関係のない事象も、視点を変えれば繋がっていることも往々にしてある。凝り固まった考えだけでは、目の前に聳 える壁を破ることは難しい」
「ありがとう、アルハイゼン。元気付けてくれて」
「礼はいい。君が意気消沈している様は…見るに堪えないからな」
ぎこちない笑みを見せるサージュに、視線を逸らして応えるアルハイゼン。その頬には微かに熱を帯びていて、少女はそこでようやく彼が自分を本心から気にかけていると知る。
安堵を伝えるべく、彼女は徐に男の肩に凭れかかる。それからゆっくりと瞳を閉じ、甘えたがりのリシュボラン虎のように頬にじゃれてみせた。
「えへへ」
上目遣いで見つめて、視線が繋がる瞬間に微笑む。嬉々とした声音は、上機嫌な猫が下顎を撫でられた時に発するそれとそう変わりなく。
「…サージュ。動物と違って、君には言葉があるだろう」
呆れた声で少女の動物然とした仕草を諌めつつも、男はどことなく嬉しそうな様子で、彼に触れられるのを待つ頭を撫でる。
決して不純な意の含まれない、彼女を愛らしく想うこの暖かさこそが、サージュが動物達へと向ける感情の正体なのだろう。
そう心の片隅で納得して、彼は敢えてその温もりに抗うことを選び、彼女の耳元へと吐息を零す。
「それともこれは、理性ある会話を放棄し獣となるという意思表示か?」
「へっ? ぁ…アルハイゼン…?」
そっと頬に指で触れると、少女は一瞬にして惚けた表情へと変貌していく。彼女自身全く予期していなかった顛末に、思考が追い付いていないようだった。
「まって、そんなつもりじゃ…」
サージュは弱々しく否定の意志を表そうとするも、それが彼への嫌悪には至らず心から拒絶することは適わなかった。
その油断の隙に二の句を紡ぐ猶予を奪って、彼は少女を組み伏せ服従させる。これではどちらが獣だかわからないと心の奥で自嘲気味に嘆息して、雑念を捨てる。
人として抱いてしまった彼女への愛憎をただの獣の情欲に変えて、渇望による嫉妬の苦い罪の味を掻き消すように。
「番を求めるのは、人も獣も同じだ。最初に彼らと俺達に差異などないと口にしたのは君の方だろう?」
その挑発を耳にした少女は、見えない尾を振って期待に満ちた眼差しを向けて応える。
「…ぅにゃん」
道端で木の葉と戯れる犬を指して、少女が頬を緩ませる。同行していた男は彼女が足を止めたことに少し遅れて気付き、踵を返して歩み寄りながら問い掛ける。
「動物が好きなのか」
「うん。アルハイゼンはやっぱり苦手?」
「と言うより、単純に興味がない。これまでの暮らしの中で、動物に触れたり関わったりする機会がなかった」
少女は力強く頷いて、同じ問いを彼にも投げかける。アルハイゼンと呼ばれた男は自らの半生を思い返すも、少女が喜ぶような答えを出すことは出来なかった。
しかし彼女はそれを嘆くことはなく、寧ろ予想通りだと納得し静かに頷くに留める。
「そっか」
そこで一旦は会話を終えたものの、尚も少女は先述の犬に後ろ髪を引かれ続けていた。
痺れを切らしアルハイゼンが少女の名を呼んでようやく、彼女は犬へと向けていた視線を戻し彼の元へ駆け寄る。
「…サージュ」
「あ。ごめんごめん」
非を詫びつつも、やはり気にかかるらしく度々振り返っては目で追いかけずにはいられないサージュ。
男は諦念から完全に彼女の動向を無視して先を行き、目的地となっていた彼女の家の前で待つことを決める。
アルハイゼンが少女の様子を窺う最中にも、通りに点在する獣達へ笑みを向け、時には手を振り反応を待つ。
己に見せるものとは全く以って異なる輝く表情に、彼は有象無象の動物相手に不覚にも嫉妬心が芽生え始めてしまう。
「っと…怒って、る?」
真っ直ぐに歩けば一分もかからぬ道を、少女はふらりふらりとたっぷり時間を掛けてやって来た。
無言で彼女に呆れ切った眼差しを向けると、不安を抱いたらしく恐る恐る上目遣いでそう問いかける。
その仕草はまるで飼い主に叱られ萎縮した仔犬のようだと、彼はいつかの日に路傍で見た光景を思い起こしていた。
「いや」
言葉少なに返したことで、サージュの目が怯えたように一瞬だけ大きく見開かれる。
しかし本当に怒りを抱くに至る要素は皆無だった彼は、誤解を解くべく努めて表情を和らげて、少女に訊ねる。
「動物に対してそれほど興味があるのなら、自宅で何か飼うという選択肢もあるだろう。考えたことはないのか?」
「…それは難しいかな。私は自分の事で精一杯だから…
返ってきたのは、決して短絡的ではない芯の通った思考による否定。生命に対する責任を無視することなく向き合った上で、彼女は己の手に余ると諦めたのだと哀しげに笑む。
「理解しているのならそれでいい」
少女の答えを聞いて満足したらしく、彼は小さく頷く。それから鍵を解錠するよう催促して、我先にと身体を滑り込ませる。
そんなアルハイゼンの様子を見ていた少女は、狭所へと難なく潜り込む猫のようだと密かに喩え、心が和むのを感じる。
「あっでも、ガンダルヴァー村にはレンジャー隊でお世話してるワンちゃん達がいっぱい居るから、触れ合いたくなったら遊びに行くんだ」
「ガンダルヴァー村?」
部屋に着き寛ぐ仕度を進める中で唐突に出た意外な単語に、少女と共にソファへ身を預けた男は思わず首を傾げる。
アビディアの森のレンジャー長であるティナリは確かに二人の共通の知人だが、少女が単身であの獣耳を携えた少年の元を訪ねる理由が気に懸かり、訝しげな声を上げた。
「最近ほら、死域が増えてるでしょ。神の目を持ってる人なら浄化出来るらしいから、たまに浄化作業を手伝ってて」
邪な嫉妬心から問うた男に対し、そんな彼の心境など露知らず、至って真面目な理由で訪問していると告げるサージュ。
死域。過去に近隣エリアに足を踏み入れたことはあったが、その際は迂回して目的地へと向かった彼にとって、あれを元の美しい緑に戻す手段が存在していたことなど一切知る由もなかった。
人知れず彼女がそうした救命活動に勤しんでいたことに、男は少女の成長を喜ぶ傍ら、どこか哀歓の入り交じった複雑な感情を抱いていた。
「死域…あの草木が腐敗した汚染区域のことか」
「そうそれ。心無い人達は、あれはクラクサナリデビ様の所為だなんて言うけど…そんなはずない」
義憤に満ちた強い怒りを隠すことなく曝け出し、少女は敬愛する草神への糾弾を否定する。
己のことで精一杯だと嘆く彼女がただの慈善事業に手を貸す余裕などないと信じていたアルハイゼンは、少女の本心を知り心の底から安堵していた。
それと同時に、自己嫌悪が彼を襲う。彼女の孤独を埋めることが出来るのは自分だけではないのだと、喪失にも似た不安が芽生えていることに。
「ん…アルハイゼン?」
無意識の内に奥歯を噛み締めていた彼を案じて、サージュが憂いを帯びた瞳で見つめる。
彼が思慮に耽けるあまり会話を途切れさせることは珍しい事ではなかったが、そうしたいつもの様子とは明確に異なる違和感が拭いきれない彼女は、心配そうに男の顔色を窺っていた。
「…大丈夫だ」
「ごめん、暗い話しちゃったね」
眉根を下げて微笑んで、男の苦悩した表情を己の失態によるものだと謝罪の言葉を口にする。
アルハイゼンが何も返せぬまま彼女は話題の転換を試みようと、秘蔵らしいアルバムを持ち出して来た。
「アルハイゼンが喜ぶかはわかんないけど、これ見て少しでも可愛いのが伝わればいいな」
見せられたのは、動物達の写真。犬猫と言った街中で見掛けるものだけでなく、スメールの固有種にあたる駄獣やリシュボラン虎など、その種は多岐に渡っていた。
それらを憮然と眺める中で、彼は一枚の写真からひとつの疑問が沸き起こる。それは、翼を広げて撮影者を襲う躍動感に満ちた赤鷲の写真。
もしこれを彼女が撮影したのだとすれば、襲撃による被害は免れないであろう。少女が過去にそんな怪我をした記憶などないこともすっかり忘れ、焦燥に駆られた男は願いを込めて問う。
「サージュ。これは君が撮ったのか」
「ん? あぁ、違うから安心して。それは写真機を三脚に立てて置いて、離れたところから操作して撮ったものらしいから」
あっけらかんと笑う少女によって、彼の不安は杞憂に終わる。安全面を考慮した方法を用いたことも勿論、そもそも彼女自身が撮影したものではないと知り、サージュには一切の危険がなかったことに男は胸を撫で下ろす。
「そうか」
憂慮を悟らせぬよう短く呟いて、彼は気を紛らせるべく他の写真に目を落とす。中には全く見た事もない姿をした獣も居り、次第に興味を惹かれていくアルハイゼン。
このアルバムを作った者がどれだけの苦労をかけたのか、スメールという国からは殆ど出たことのない彼には想像も着かなかった。
「環境の違いによって生物は姿を変えるとは知識としては知っていたが、これほどのバリエーションがあるとは。正直驚いた」
「ね、すごいよね。白い狐なんて、写真を見なかったら想像出来なかったと思う」
モンドと璃月の海を隔てるように聳え立つ巨大な雪山、ドラゴンスパインにて撮影された純白の毛並みを持つ雪狐を指して、男は少女と共に感嘆を零す。
しかし彼女は雪山に適応したその白い狐だけではなく、遙か遠国の島々には更に特別な種が居るのだと期待に胸を膨らませる。
「稲妻には、私達のよく知るこの子達とは全然違う…雷神の眷属にあたる狐がいるらしいんだ。きっと物凄く可愛いんだろうなあ」
「…その期待の仕方は本当に正しいのか?」
仮にも神の眷属とあらば、草神を信仰するサージュにとっては畏怖の対象となる存在ではないのだろうか。
そう彼は訝しむも、狐というイメージからか愛くるしい姿へとばかり思いを馳せる彼女の耳にはその疑念の言葉は一切聞こえていなかった。
「そうだ、アルハイゼンはラクラク駄獣見たことある?写真だとわからないんだけど、仕草が凄く可愛いんだよ」
海の向こうの国の話では彼がつまらないだろうと思ったのか、少女は砂漠に暮らす駄獣についての話題へと切り替える。
ラクラク駄獣とは、森林で見かけるモジャモジャ駄獣の持つ長い被毛は見る影もなく、代わりに砂漠の灼熱にも耐えうる甲羅のような表皮に覆われている種のことだった。
その差異によってより良く見えるようになったつぶらな瞳は、確かにわかりやすく愛嬌のある様相をしていると言えるだろう。
「遠目でなら見たことがあるかもしれないが、その程度だな。砂漠へ行く際にも、あれらに頼る必要があるような状況にはならないようにしていた」
「そっかあ、まぁそうだよね。私も一人で砂漠に行く機会は滅多にないから、あの子達が動く姿を見たのも何年も前の小さい頃の話だしなぁ。また会いたいな…」
徹底して接触を避けていたと言及するアルハイゼンに、少女は落胆に肩を落としつつも彼らしいと納得し、懐かしき姿に憧憬を零す。
「…まるで親しい友のように呼ぶんだな」
動物達を指す言葉ひとつとっても、彼女は対等な扱いをしていることに、男が感慨深げに呟く。
「ん? 何かおかしなこと言ったかな」
「いや。君は動物相手にも人格を仮定した呼称を用いるのか、と」
「それはそうだよ、だって皆それぞれ個性があって…言葉もわかる。見た目が違うだけで、ほぼ人と同じだもん」
写真を広げ、彼女は自らを誇示するように個性に満ち溢れた野生動物達の姿を見せる。
餌を与えられた栗鼠達を収めた一枚に於いても、警戒することなく餌を食べる者、驚いて餌の載る手に噛み付き恩を仇で返す者など、多種多様な反応が映されていた。
「ね。面白いでしょ」
「否定はしない。だが、君の考えを全て肯定することも俺には出来ない」
一度は理解を示しつつ、しかし少女が意識の外に置いているであろう忘れてはいけない事象について語る。
「彼らは飽くまで獣であり、人間にはない牙や爪を持つ危険な存在だ。さっきの赤鷲の写真も、一歩間違えれば撮影者が死んでいてもおかしくなかった」
「…うん。大丈夫、わかってる。父さん、いつも生傷が耐えない人だったから」
諫言にもすぐさま頷いて、彼女はアルバムの最後のページを捲る。動物ではない唯一の被写体を映した写真、それは赤子だった頃の少女が傷だらけの父の腕に抱かれる姿だった。
その写真を一目見て、男はそれが何を意味するか悟る。たった一冊のアルバムに込められた、"娘"への強い想いを。
「父親、か」
両親を知らぬ彼にとって、サージュが時折見せる両親への愛に満ちた笑みは、自分には本当の意味では決して知ることの出来ない感情だった。
書庫に眠らせている彼らの蔵書から垣間見える己への愛情表現をどれだけ咀嚼しようとも、生の感謝を伝えることも死に憎悪を吐き出すことも、もう叶わないのだ。
凄惨な事件によって母を亡くしたとは言え、父親とは縁の切れていない彼女を直接的に羨むことこそなくとも、家族という偶像に対しての憧憬は、確かに彼の胸にも芽生えていた。
「あっごめん、私…」
「何故謝る? 君の親が正しく子供に対して愛情を与えていた事実があったと言うだけだろう」
感嘆を込めた呟きを悲愴と捉えた少女が、両親を亡くしているアルハイゼンの前で自らの親の話題を持ち出してしまった失態を悔やむ。
しかし彼はそんなことは露ほども気に留めておらず、憮然とした様子で彼女へとそれを伝える。
「俺は確かに両親の事など記憶にないが、それとは無関係に日々を暮らしている。これは、親の存在が必ずしも人間の成長に必要不可欠ではない証左だと思わないか」
そう告げて、男は真っ直ぐに少女の瞳を見つめる。サージュはこれ以上何も言えないと悟り、静かに同意の言葉だけを零す。
「うん…そう、だね」
孤高の隼が提唱する理論は、地より太陽を仰ぐ蕾には遠すぎて手の届かないものだと痛感する。
そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、アルハイゼンは少女が見ていたアルバムを掠め取り、彼女にとって思いもよらぬ結び付きを与える。
「サージュ。さっき駄獣の話をしていただろう。あれの生態系の変化から、森林地帯と砂漠の歴史を追う糸口が掴めるかもしれない」
「…あー。なるほど? そっか、確かに同じ駄獣があんなに姿を変えたのがいつからなのかとか、考えてもみなかったなぁ」
ソファに身体を沈め、天井を見ながら駄獣の進化の歴史を辿ることに思いを馳せる。
しかし草神の研究には無縁にも思えるそれが、彼女には楼閣を崩す蟻の一穴のように感じられ、少女は失いかけていた自信を取り戻す。
「一見全く関係のない事象も、視点を変えれば繋がっていることも往々にしてある。凝り固まった考えだけでは、目の前に
「ありがとう、アルハイゼン。元気付けてくれて」
「礼はいい。君が意気消沈している様は…見るに堪えないからな」
ぎこちない笑みを見せるサージュに、視線を逸らして応えるアルハイゼン。その頬には微かに熱を帯びていて、少女はそこでようやく彼が自分を本心から気にかけていると知る。
安堵を伝えるべく、彼女は徐に男の肩に凭れかかる。それからゆっくりと瞳を閉じ、甘えたがりのリシュボラン虎のように頬にじゃれてみせた。
「えへへ」
上目遣いで見つめて、視線が繋がる瞬間に微笑む。嬉々とした声音は、上機嫌な猫が下顎を撫でられた時に発するそれとそう変わりなく。
「…サージュ。動物と違って、君には言葉があるだろう」
呆れた声で少女の動物然とした仕草を諌めつつも、男はどことなく嬉しそうな様子で、彼に触れられるのを待つ頭を撫でる。
決して不純な意の含まれない、彼女を愛らしく想うこの暖かさこそが、サージュが動物達へと向ける感情の正体なのだろう。
そう心の片隅で納得して、彼は敢えてその温もりに抗うことを選び、彼女の耳元へと吐息を零す。
「それともこれは、理性ある会話を放棄し獣となるという意思表示か?」
「へっ? ぁ…アルハイゼン…?」
そっと頬に指で触れると、少女は一瞬にして惚けた表情へと変貌していく。彼女自身全く予期していなかった顛末に、思考が追い付いていないようだった。
「まって、そんなつもりじゃ…」
サージュは弱々しく否定の意志を表そうとするも、それが彼への嫌悪には至らず心から拒絶することは適わなかった。
その油断の隙に二の句を紡ぐ猶予を奪って、彼は少女を組み伏せ服従させる。これではどちらが獣だかわからないと心の奥で自嘲気味に嘆息して、雑念を捨てる。
人として抱いてしまった彼女への愛憎をただの獣の情欲に変えて、渇望による嫉妬の苦い罪の味を掻き消すように。
「番を求めるのは、人も獣も同じだ。最初に彼らと俺達に差異などないと口にしたのは君の方だろう?」
その挑発を耳にした少女は、見えない尾を振って期待に満ちた眼差しを向けて応える。
「…ぅにゃん」
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