概要+短編
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「うわ、しまった…野菜を抜いてって頼むべきだったなぁ」
初めて訪れる酒場、メニュー表に書かれている名前からは判断が困難であった忌避すべき緑色を前に、一人の少年――セトスが悲嘆の声を漏らす。
「誰か近場で、代わりに食べてくれる人とか…」
周囲を探してすぐ、席を探していたらしい一人の少女と視線が重なる。彼女は赤の他人にも全く遠慮することなく歩み寄って、何かあったかと訊ねる。
少年は投げ掛けられた疑問に否を返しつつ、自分と同じ肌の色を持つこの娘になら願いを叶えてもらえるのではないかと、一縷の望みを掛けて微笑を浮かべてみせた。
「どうかしたの? 虫でも入ってた?」
「ああいや、そういう訳じゃないけど…個人的に苦手なものが入ってて、どうしようかなと」
「なるほどね…うーん、頑張れば行けなくもないかな…? いやでも、私も野菜得意じゃないしなあ」
困惑を受けた少女はテーブルの上に佇む悩みの種をまじまじと見つめ、自分も同じように緑の食物を口に含むのを苦手としていることをぽそりと零す。
眉を顰める姿に親近感を抱き、少年は吃驚と共にそれを伝えると、彼女はその悲報を一笑に付して他にも手立てはあることを示す。
「なんだ、君もなのか? 僕達似た者同士だね」
「あはは! ごめんね、実はそうなんだ。けど、マスターに頼んで新しく作り直してもらうことは出来なくもないよ。どうする?」
「…いいや、頼んだのは僕だからそれは出来ない。頑張って食べるよ」
男としての意地を見せたくなって、徐にフォークを持ち上げるセトス。少女はその決意を尊重すべく立ち去ろうとして、妙に熱の籠った制止によって遮られることとなる。
「ん、そっか。じゃあ私はこれで…」
「待って。折角の縁だし、せめて一緒に話しながらどう?」
彼女はただの無邪気な子供とは思えない眼差しに逡巡するも、その純粋さを疑うには偲びなく了承を告げる。
それからごく自然に名前を呼ぼうとして、自己紹介すらまだ行っていない間柄だったことを思い出す。
「人を待ってるから、来るまでの間なら。よろしくね、えっと…」
「セトス。君は?」
「私はサージュ。因論派所属だけど今は休学中で、冒険者と傭兵の掛け持ちをやってる」
セトスは今この場で必要となった情報だけしか開示しない一方で、少女は隠すものでもない己の素性をすんなりと明かす。
その中で、仔細は不明なれど彼女が教令院に出入り可能な人間であることを知り、ほんの少しだけ警戒を強めた声で感嘆を吐く。
「…ふうん、すごい経歴だね」
見え透いた称賛にサージュはゆっくりと首を振り、自分の生き様が決して他人に誇れるようなものではないと己を腐す。
「凄くはないよ。周りには色々言い訳して見栄張ってるけど…結局のところは勉強が捗らないから逃げただけでしかないもん」
次第に翳りを見せる表情、その秘密を解き明かしたくなって、セトスは臆することなく問い掛ける。
けれど彼女は深掘りされるのを嫌ってか多くを語ろうとはせず、愁いを帯びた瞳でぎこちなく笑むのみで。
「教令院で行うのって、そんなに大変な勉強なの?」
「人による、かな。題材が適切であれば、あるいは頭が良ければ…私みたいに悩むことなく、すんなりと卒業出来るしさ」
馴染み深い相手には言い難いが故にと普段は出せないような愚痴を吐いてから、自戒と共に力なく項垂れるサージュ。
全てを明け透けに語るにはまだ人を信じ切れず、もう少しだけ傾聴に徹したい少年は謝罪に対する宥免を告げ、彼女の嘆きが決して不快なものではないと念押しする。
「あー…初対面なのに暗い話になっちゃってごめんね。もっと別の話題にしよう」
「気にしなくていいよ、僕は自分の話をするよりも聞く方が好きだから。それがどんな内容であってもね」
年代的にはそう離れていないだろうセトスの言葉は、酸いも辛いも身に染みている筈の少女にとっても底知れぬ恐ろしさを感じさせ、思わず身震いしてしまう。
彼もまた実は己と同じく多くの苦難を強いられてきた身なのだろうかと脳裏に過って、不躾に詮索するのは良くないと好奇心を必死に押し留める。
「慰めてくれてありがとう、セトス君。でも陰気な話してると、ご飯が美味しくなくなるから」
どんどん重苦しくなっていく空気を少しでも和ませるべくそう茶化して、空腹に耐えかねたサージュが酒場のマスターを呼びつける。
「ドレッシングとか追加で必要なら頼もうか。ちなみに私はいつもそれで乗り切ってる」
「あー、じゃあ今日は僕もそうしてみよう…一応お水もピッチャーで一緒に」
調味料で無理矢理に誤魔化すという発想に半信半疑で同意し、舌がおかしくはならないかと懸念を抱きつつ頷く。
店主は常連であるらしい彼女の奇行には既に慣れているのか、二つ返事で承諾しては調理場へと踵を返して行った。
「そのメニューも、昔は野菜なんて入ってなかったんだけどねぇ。他の常連さんが変なこと吹き込んだのか、いつの間にかそんな感じになっちゃったんだ」
マスターが去って行ったのを確かめてから、サージュは声を潜めて少年が注文して失敗した料理について耳打ちする。
しかし彼は一向に食指の伸びないそれよりも、嘆息の中に含まれていたとある部分に疑問を抱き、そこから話を広げようと身を乗り出す。
「昔から酒場に通ってたの?」
「ご飯作るの面倒な時は、結構お世話になってるね。うちには私しかいないから」
「えっ…そうなんだ。ごめんよ、変なこと聞いて」
共に暮らす家族がいないと知らされた瞬間、つい最近最愛の祖父を亡くしたばかりのセトスは俯きがちに謝罪を零す。
食べ物の好みだけでなく、そんなところまで似た者同士なのかと淡い気持ちを抱いた傍ら、彼女は少年とは決定的に異なる"父"への嫌悪を滲ませるのだった。
「ううん、大丈夫。大嫌いなお父さんと一緒に過ごすくらいなら、一人の方がずっと気楽だもん」
表情に噓偽りはなく、にこやかに笑んでこそいるものの、そこには本心からの憎悪が宿っていて。
背筋が凍るような感覚に身を震わせて、テーブル越しに見えた彼女の腰に提げられた装飾がその薄ら寒さを実現出来る代物であることに気付く。
氷元素の神の目。過去の遺物に残った呪いによる借り物の力ではなく、自ら元素力を行使し得る資質を持つ証とも言える真白色の宝玉を前にした以上、一度抱いた仲間意識をそう易々と掻き消すことは出来なかった。
「…君も素で元素を扱える人だったんだ」
「君"も"…? えっ、どこどこ?」
同類であると示唆する発言を耳にしたサージュは、期待に目を輝かせて彼の持つ神の目を探す。
少年は座したままでは隠れてしまう背中側に装着していた紫色の輝きを外して見せると、彼女は嬉々とした様子で同じ色を持つ友人の名を口にする。
「雷元素! セノ君と同じだ。一説によると、確か花神様も雷元素の使い手だったって話だよね…」
予期せぬ場面で出て来たその名に、まさか知り合いだったとは思わず大きく目を見開くセトス。
教令院の人間にとって"大マハマトラ"は畏怖すべき対象である筈と思い込んでいた少年にとって、彼女がかの金狼を気安く名を呼べる仲であったことに驚きを隠せなかった。
「あれ? どうかした、セトス君」
「いやいや、なんでもないよ。随分と顔が広いんだなと思って」
「んー…言われてみれば、確かにそうかも。あ、でも、セノ君と知り合ったのはティナリ君の紹介だし、それで私の顔が広いって言えるのかなぁ」
ティナリ、と続けてもう一人因縁の深い相手の名を告げられ、世間は案外狭いものなのだと認識を改める。
もしや最初に彼女が告げた"待ち人"というのが、その二人のどちらかなのだろうか。
一方的な確執による蟠りは晴れこそしたとは言えども、まだ彼らから真に信用を得るに値していないと考えている少年は、不意の再会は避けるべきかと椅子を引こうとして、机の上に置かれた巨大な肉塊に目を奪われることとなる。
「なっ、サージュ…君がこれを一人で食べるのかい?」
「まさか。この後お肉好きの健啖家が来るから、先に頼んでおこうと思って。もちろん、セトス君も食べていいよ」
ローストビーフだろうか、備え付けられたナイフを使って器用に薄切りの肉を作りながら、サージュは小分けの皿を少年の前に突き出す。
それから続けて野菜を処理する為に用意してもらった調味料を手渡され、いつしか彼はすっかり逃げ道を失っていた。
「…あ、ありがとう」
ごくり。目の前に現れた美食に喉が鳴り、調味料はひとまず後回しと脇に置き小皿を持ち上げ、口の中へと薄切り肉を放り込む。
一時的に焦慮も忘れ肉の味を堪能していると、次第にマスターではない足音が自分達の席へと近付くのが聞こえてくる。
裸足ではなく、更に言えば複数でもない。ならばそう慌てる必要はない筈だと気楽な思いで視線を向けると、傍にはエルマイト旅団の傭兵かと疑うような筋骨隆々な男がそこに立っていた。
「遅かったねアルハイゼン。とりあえず座りなよ」
訝しげな眼差しを意にも介さず隣の席の座面を叩き、サージュはさも当然の如く相席を促す。
少年はこれはこれで居心地が悪いと慌てて席を立つも、来訪者は平常心を保ったまま彼女の横に腰を下ろした。
「待って、元々彼女とは待ってる人が来るまでって約束だったし…僕はそろそろお暇しようかと」
「いや、構わない」
不遜な態度で肉塊を切り分け始めた彼が、少女からアルハイゼン、と親しげに名を呼ばれていたのを思い出す。
スメールシティに来て間もない少年がこの書記官について知ることは多くはなかったが、一部の傭兵達がこう称していたことだけは鮮烈に覚えていた――"教令院の気狂い"と。
その蔑称がどのような意味を孕んでいるかはともかく、見知らぬ相手との同席にも一切気負いすることのない堂々とした佇まいは、確かにそう呼ばれるに相応しい片鱗を感じさせなくもないと思わざるを得なかった。
「…えっと」
何か話題をと二人を一瞥して、 それよりも先にサージュの方が隣の男をにこやかに見つめて遅刻を揶揄する。
「そういえば今日は珍しく残業? 随分遅かったから、ちょっと心配してたんだよ」
「仕事とプライベートの半々、といったところか。この前の一連の騒動について、セノと話をしていた」
しまった。少年がそう思った頃には、時既に遅く。
彼もまた教令院の人間で、セノとは個人的な親交がある。つまりは己の身分を知っている可能性がそれだけ高いということを、今の今まで完全に失念していたのだ。
隼に向けられた好奇の眼差しとそれに相対する窮鼠の瞳、理解の追いつかない少女は困惑の様子で二人を交互に見つめ、必死に状況を整理しようと思惟に耽る。
「彼が言っていた"沈黙の殿の若き首領"が、まさかこんなところで油を売っていたとは思わなかったがな」
「え、どういうこと…」
自国の歴史を紐解くことを身命としていた彼女にとって、"沈黙の殿"とは、当然の如く教令院の名ばかり団体を指すものではなく。
かつて失われた古の組織の末裔、もとい新たな首領たる人物が今ここに顕在しているという事実に驚愕し、半ば憔悴にも程近い表情を見せていた。
その様子を目の当たりにしたセトスは、他者から詳 らかにされるより、自ら白状して早く楽になった方が良いと判断し、非礼を詫びると共に男の言葉を肯定した。
「黙っていてごめんよサージュ。僕が沈黙の殿の首領だっていうのは、紛れもなく事実だ」
「…そう、なんだ」
告白を聞いた少女は眉を下げて力無く俯き、悲愴に満ちた了承を最後に沈黙し食事の手を止める。
しかしそれは正体を隠されていたことによる失意ではなく、因論派としての血が騒いでいるだけだとすぐに彼は思い知ることとなる。
「じゃあセトス君に頼めば、あそこの資料とか読み放題ってこと!? ねえ、いつ行けばいいかな、明日? それとも明後日? あとそうだ、ノート何冊持っていけば足りるんだろ、いや待って、そもそも写本しても平気? 門外不出の知識とかあったら流石に…」
身を乗り出して、テーブル越しにも拘らず肩を掴まんとする勢いで質問攻めを繰り広げるサージュ。
少年が慌てて宥め、どうにか落ち着かせると、彼女はようやく我に返ったらしく苦笑して深呼吸をし始める。
「待って待って、ちょっと落ち着いて。今、その辺りの話を教令院側と進めてるところだから」
「…っと、ごめん。はあ…休学しててもやっぱり、知識欲は抑えられないや」
彼女の反応は、ある意味で非常に学者らしいと言えるかもしれないものの、友を貶めた相手に相応しいものとは思えず、セトスは堰を切ったように自らの感情を吐露する。
「サージュ…君は僕が憎くないの? ジュライセンやセノを危険な目に遭わせたのに、どうして」
切迫した表情で"自分を責めろ"と言わんばかりに眉を顰めるも、サージュは彼の望み通りの返答を口にすることはなく。
想像の何倍もあっさりと宥免を告げ、過去を悔いるよりも未来を見るべきだと態度で示すのだった。
「関係者の皆が罪を水に流して、これからのことを考えている以上…あの件に関して私の口から言えることは何もないよ。アルハイゼンもそう思うでしょ?」
「ああ」
彼女よりも更にことの重要性を知る筈の男からの極めて端的な同意に、完敗を悟った少年が反論を返す余地はなかった。
二人の想いを知ったことで憑き物が落ちたような気持ちになって、草神と謁見した際に告げられた"すべてが良くなっていく"その言葉の意味を本心から理解出来たと、セトスは。
「…君達にそう言ってもらえて、やっと気分が晴れてきた気がするよ。ありがとう」
大量のドレッシングをかけた野菜料理と小皿に残った最後の肉をいっぺんに口へ含み、少女が薦めてくれた豪快な味を堪能する。
慣れない喉の感覚に一瞬だけ顔を歪めると、その異変を機敏に察知したアルハイゼンが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫か」
「うん…なんとか。サージュが教えてくれた野菜の食べ方を試してみたけど、これは面白いね。簡単には真似出来ないものだ」
伝授した生活の知恵を"面白い"と称され、素直に褒め言葉として受け取れないサージュの眉間に皺が寄っていく。
だが彼女の奇抜な発想を好む男は喜悦に笑みを浮かべつつ、口では真逆と言っていい否定を告げる。
「野菜を摂取する為に調味料で無理矢理に味を誤魔化しても、栄養素の偏りが増すだけで本末転倒になるからな。いくら君も野菜が苦手だとしても、あまり推奨は出来ない食べ方ではある」
「あはは、まあそれは否定出来ないか。でも、自分じゃ絶対に思いつかない方法だったから、その手があったか! って感じでさ」
「…そうだな。昔から彼女には、俺も驚かされてばかりだ」
驚きを嬉々として語る少年に同調し、アルハイゼンは感慨深げに傍らの少女を一瞥する。
その眼差しは慈しみに満ちて、昔からという言葉の通りに何年もかけて築いてきた絆の強さが如実に表れて見えた。
「ふうん、二人は付き合い長いんだ。だから息がぴったりなんだね」
仲睦まじい姿を目の当たりにし、揶揄いたくなった少年が態とらしく挑発的な言葉をかけるも、男は至って堂々と頷いて発言を認め、それだけでなく逆にこちらを射貫くような瞳を向ける。
「ああ。それがどうかしたか?」
その視線からは番を奪わせまいと威嚇する猛禽の如し威圧を感じ、セトスは隣の少女がそれに気付いているかを確かめる。
幸か不幸か、彼女は水面下で行われていた頭脳戦を全く認識していない様子でニコニコと笑んでいて。
全てを察した少年は、己が前言撤回せざるを得ない男の前途多難ぶりに肩を竦めるしかなかったが、彼もまた言葉の裏に隠された意図を正しく読み取り意味深長な笑みを浮かべていた。
「いいや、何も。気を悪くさせたのならごめんよ」
「問題ない。俺は元より、現状維持をモットーに日々の生活を送っている」
一方で何も知らぬサージュは、出逢って早々に彼らが絆を深めている様を前に、それが互いを好敵手として認めてのことであるとも気付かず微笑ましく見守るのだった。
「ふふ。アルハイゼンとセトス君、案外気が合うみたい?」
初めて訪れる酒場、メニュー表に書かれている名前からは判断が困難であった忌避すべき緑色を前に、一人の少年――セトスが悲嘆の声を漏らす。
「誰か近場で、代わりに食べてくれる人とか…」
周囲を探してすぐ、席を探していたらしい一人の少女と視線が重なる。彼女は赤の他人にも全く遠慮することなく歩み寄って、何かあったかと訊ねる。
少年は投げ掛けられた疑問に否を返しつつ、自分と同じ肌の色を持つこの娘になら願いを叶えてもらえるのではないかと、一縷の望みを掛けて微笑を浮かべてみせた。
「どうかしたの? 虫でも入ってた?」
「ああいや、そういう訳じゃないけど…個人的に苦手なものが入ってて、どうしようかなと」
「なるほどね…うーん、頑張れば行けなくもないかな…? いやでも、私も野菜得意じゃないしなあ」
困惑を受けた少女はテーブルの上に佇む悩みの種をまじまじと見つめ、自分も同じように緑の食物を口に含むのを苦手としていることをぽそりと零す。
眉を顰める姿に親近感を抱き、少年は吃驚と共にそれを伝えると、彼女はその悲報を一笑に付して他にも手立てはあることを示す。
「なんだ、君もなのか? 僕達似た者同士だね」
「あはは! ごめんね、実はそうなんだ。けど、マスターに頼んで新しく作り直してもらうことは出来なくもないよ。どうする?」
「…いいや、頼んだのは僕だからそれは出来ない。頑張って食べるよ」
男としての意地を見せたくなって、徐にフォークを持ち上げるセトス。少女はその決意を尊重すべく立ち去ろうとして、妙に熱の籠った制止によって遮られることとなる。
「ん、そっか。じゃあ私はこれで…」
「待って。折角の縁だし、せめて一緒に話しながらどう?」
彼女はただの無邪気な子供とは思えない眼差しに逡巡するも、その純粋さを疑うには偲びなく了承を告げる。
それからごく自然に名前を呼ぼうとして、自己紹介すらまだ行っていない間柄だったことを思い出す。
「人を待ってるから、来るまでの間なら。よろしくね、えっと…」
「セトス。君は?」
「私はサージュ。因論派所属だけど今は休学中で、冒険者と傭兵の掛け持ちをやってる」
セトスは今この場で必要となった情報だけしか開示しない一方で、少女は隠すものでもない己の素性をすんなりと明かす。
その中で、仔細は不明なれど彼女が教令院に出入り可能な人間であることを知り、ほんの少しだけ警戒を強めた声で感嘆を吐く。
「…ふうん、すごい経歴だね」
見え透いた称賛にサージュはゆっくりと首を振り、自分の生き様が決して他人に誇れるようなものではないと己を腐す。
「凄くはないよ。周りには色々言い訳して見栄張ってるけど…結局のところは勉強が捗らないから逃げただけでしかないもん」
次第に翳りを見せる表情、その秘密を解き明かしたくなって、セトスは臆することなく問い掛ける。
けれど彼女は深掘りされるのを嫌ってか多くを語ろうとはせず、愁いを帯びた瞳でぎこちなく笑むのみで。
「教令院で行うのって、そんなに大変な勉強なの?」
「人による、かな。題材が適切であれば、あるいは頭が良ければ…私みたいに悩むことなく、すんなりと卒業出来るしさ」
馴染み深い相手には言い難いが故にと普段は出せないような愚痴を吐いてから、自戒と共に力なく項垂れるサージュ。
全てを明け透けに語るにはまだ人を信じ切れず、もう少しだけ傾聴に徹したい少年は謝罪に対する宥免を告げ、彼女の嘆きが決して不快なものではないと念押しする。
「あー…初対面なのに暗い話になっちゃってごめんね。もっと別の話題にしよう」
「気にしなくていいよ、僕は自分の話をするよりも聞く方が好きだから。それがどんな内容であってもね」
年代的にはそう離れていないだろうセトスの言葉は、酸いも辛いも身に染みている筈の少女にとっても底知れぬ恐ろしさを感じさせ、思わず身震いしてしまう。
彼もまた実は己と同じく多くの苦難を強いられてきた身なのだろうかと脳裏に過って、不躾に詮索するのは良くないと好奇心を必死に押し留める。
「慰めてくれてありがとう、セトス君。でも陰気な話してると、ご飯が美味しくなくなるから」
どんどん重苦しくなっていく空気を少しでも和ませるべくそう茶化して、空腹に耐えかねたサージュが酒場のマスターを呼びつける。
「ドレッシングとか追加で必要なら頼もうか。ちなみに私はいつもそれで乗り切ってる」
「あー、じゃあ今日は僕もそうしてみよう…一応お水もピッチャーで一緒に」
調味料で無理矢理に誤魔化すという発想に半信半疑で同意し、舌がおかしくはならないかと懸念を抱きつつ頷く。
店主は常連であるらしい彼女の奇行には既に慣れているのか、二つ返事で承諾しては調理場へと踵を返して行った。
「そのメニューも、昔は野菜なんて入ってなかったんだけどねぇ。他の常連さんが変なこと吹き込んだのか、いつの間にかそんな感じになっちゃったんだ」
マスターが去って行ったのを確かめてから、サージュは声を潜めて少年が注文して失敗した料理について耳打ちする。
しかし彼は一向に食指の伸びないそれよりも、嘆息の中に含まれていたとある部分に疑問を抱き、そこから話を広げようと身を乗り出す。
「昔から酒場に通ってたの?」
「ご飯作るの面倒な時は、結構お世話になってるね。うちには私しかいないから」
「えっ…そうなんだ。ごめんよ、変なこと聞いて」
共に暮らす家族がいないと知らされた瞬間、つい最近最愛の祖父を亡くしたばかりのセトスは俯きがちに謝罪を零す。
食べ物の好みだけでなく、そんなところまで似た者同士なのかと淡い気持ちを抱いた傍ら、彼女は少年とは決定的に異なる"父"への嫌悪を滲ませるのだった。
「ううん、大丈夫。大嫌いなお父さんと一緒に過ごすくらいなら、一人の方がずっと気楽だもん」
表情に噓偽りはなく、にこやかに笑んでこそいるものの、そこには本心からの憎悪が宿っていて。
背筋が凍るような感覚に身を震わせて、テーブル越しに見えた彼女の腰に提げられた装飾がその薄ら寒さを実現出来る代物であることに気付く。
氷元素の神の目。過去の遺物に残った呪いによる借り物の力ではなく、自ら元素力を行使し得る資質を持つ証とも言える真白色の宝玉を前にした以上、一度抱いた仲間意識をそう易々と掻き消すことは出来なかった。
「…君も素で元素を扱える人だったんだ」
「君"も"…? えっ、どこどこ?」
同類であると示唆する発言を耳にしたサージュは、期待に目を輝かせて彼の持つ神の目を探す。
少年は座したままでは隠れてしまう背中側に装着していた紫色の輝きを外して見せると、彼女は嬉々とした様子で同じ色を持つ友人の名を口にする。
「雷元素! セノ君と同じだ。一説によると、確か花神様も雷元素の使い手だったって話だよね…」
予期せぬ場面で出て来たその名に、まさか知り合いだったとは思わず大きく目を見開くセトス。
教令院の人間にとって"大マハマトラ"は畏怖すべき対象である筈と思い込んでいた少年にとって、彼女がかの金狼を気安く名を呼べる仲であったことに驚きを隠せなかった。
「あれ? どうかした、セトス君」
「いやいや、なんでもないよ。随分と顔が広いんだなと思って」
「んー…言われてみれば、確かにそうかも。あ、でも、セノ君と知り合ったのはティナリ君の紹介だし、それで私の顔が広いって言えるのかなぁ」
ティナリ、と続けてもう一人因縁の深い相手の名を告げられ、世間は案外狭いものなのだと認識を改める。
もしや最初に彼女が告げた"待ち人"というのが、その二人のどちらかなのだろうか。
一方的な確執による蟠りは晴れこそしたとは言えども、まだ彼らから真に信用を得るに値していないと考えている少年は、不意の再会は避けるべきかと椅子を引こうとして、机の上に置かれた巨大な肉塊に目を奪われることとなる。
「なっ、サージュ…君がこれを一人で食べるのかい?」
「まさか。この後お肉好きの健啖家が来るから、先に頼んでおこうと思って。もちろん、セトス君も食べていいよ」
ローストビーフだろうか、備え付けられたナイフを使って器用に薄切りの肉を作りながら、サージュは小分けの皿を少年の前に突き出す。
それから続けて野菜を処理する為に用意してもらった調味料を手渡され、いつしか彼はすっかり逃げ道を失っていた。
「…あ、ありがとう」
ごくり。目の前に現れた美食に喉が鳴り、調味料はひとまず後回しと脇に置き小皿を持ち上げ、口の中へと薄切り肉を放り込む。
一時的に焦慮も忘れ肉の味を堪能していると、次第にマスターではない足音が自分達の席へと近付くのが聞こえてくる。
裸足ではなく、更に言えば複数でもない。ならばそう慌てる必要はない筈だと気楽な思いで視線を向けると、傍にはエルマイト旅団の傭兵かと疑うような筋骨隆々な男がそこに立っていた。
「遅かったねアルハイゼン。とりあえず座りなよ」
訝しげな眼差しを意にも介さず隣の席の座面を叩き、サージュはさも当然の如く相席を促す。
少年はこれはこれで居心地が悪いと慌てて席を立つも、来訪者は平常心を保ったまま彼女の横に腰を下ろした。
「待って、元々彼女とは待ってる人が来るまでって約束だったし…僕はそろそろお暇しようかと」
「いや、構わない」
不遜な態度で肉塊を切り分け始めた彼が、少女からアルハイゼン、と親しげに名を呼ばれていたのを思い出す。
スメールシティに来て間もない少年がこの書記官について知ることは多くはなかったが、一部の傭兵達がこう称していたことだけは鮮烈に覚えていた――"教令院の気狂い"と。
その蔑称がどのような意味を孕んでいるかはともかく、見知らぬ相手との同席にも一切気負いすることのない堂々とした佇まいは、確かにそう呼ばれるに相応しい片鱗を感じさせなくもないと思わざるを得なかった。
「…えっと」
何か話題をと二人を一瞥して、 それよりも先にサージュの方が隣の男をにこやかに見つめて遅刻を揶揄する。
「そういえば今日は珍しく残業? 随分遅かったから、ちょっと心配してたんだよ」
「仕事とプライベートの半々、といったところか。この前の一連の騒動について、セノと話をしていた」
しまった。少年がそう思った頃には、時既に遅く。
彼もまた教令院の人間で、セノとは個人的な親交がある。つまりは己の身分を知っている可能性がそれだけ高いということを、今の今まで完全に失念していたのだ。
隼に向けられた好奇の眼差しとそれに相対する窮鼠の瞳、理解の追いつかない少女は困惑の様子で二人を交互に見つめ、必死に状況を整理しようと思惟に耽る。
「彼が言っていた"沈黙の殿の若き首領"が、まさかこんなところで油を売っていたとは思わなかったがな」
「え、どういうこと…」
自国の歴史を紐解くことを身命としていた彼女にとって、"沈黙の殿"とは、当然の如く教令院の名ばかり団体を指すものではなく。
かつて失われた古の組織の末裔、もとい新たな首領たる人物が今ここに顕在しているという事実に驚愕し、半ば憔悴にも程近い表情を見せていた。
その様子を目の当たりにしたセトスは、他者から
「黙っていてごめんよサージュ。僕が沈黙の殿の首領だっていうのは、紛れもなく事実だ」
「…そう、なんだ」
告白を聞いた少女は眉を下げて力無く俯き、悲愴に満ちた了承を最後に沈黙し食事の手を止める。
しかしそれは正体を隠されていたことによる失意ではなく、因論派としての血が騒いでいるだけだとすぐに彼は思い知ることとなる。
「じゃあセトス君に頼めば、あそこの資料とか読み放題ってこと!? ねえ、いつ行けばいいかな、明日? それとも明後日? あとそうだ、ノート何冊持っていけば足りるんだろ、いや待って、そもそも写本しても平気? 門外不出の知識とかあったら流石に…」
身を乗り出して、テーブル越しにも拘らず肩を掴まんとする勢いで質問攻めを繰り広げるサージュ。
少年が慌てて宥め、どうにか落ち着かせると、彼女はようやく我に返ったらしく苦笑して深呼吸をし始める。
「待って待って、ちょっと落ち着いて。今、その辺りの話を教令院側と進めてるところだから」
「…っと、ごめん。はあ…休学しててもやっぱり、知識欲は抑えられないや」
彼女の反応は、ある意味で非常に学者らしいと言えるかもしれないものの、友を貶めた相手に相応しいものとは思えず、セトスは堰を切ったように自らの感情を吐露する。
「サージュ…君は僕が憎くないの? ジュライセンやセノを危険な目に遭わせたのに、どうして」
切迫した表情で"自分を責めろ"と言わんばかりに眉を顰めるも、サージュは彼の望み通りの返答を口にすることはなく。
想像の何倍もあっさりと宥免を告げ、過去を悔いるよりも未来を見るべきだと態度で示すのだった。
「関係者の皆が罪を水に流して、これからのことを考えている以上…あの件に関して私の口から言えることは何もないよ。アルハイゼンもそう思うでしょ?」
「ああ」
彼女よりも更にことの重要性を知る筈の男からの極めて端的な同意に、完敗を悟った少年が反論を返す余地はなかった。
二人の想いを知ったことで憑き物が落ちたような気持ちになって、草神と謁見した際に告げられた"すべてが良くなっていく"その言葉の意味を本心から理解出来たと、セトスは。
「…君達にそう言ってもらえて、やっと気分が晴れてきた気がするよ。ありがとう」
大量のドレッシングをかけた野菜料理と小皿に残った最後の肉をいっぺんに口へ含み、少女が薦めてくれた豪快な味を堪能する。
慣れない喉の感覚に一瞬だけ顔を歪めると、その異変を機敏に察知したアルハイゼンが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫か」
「うん…なんとか。サージュが教えてくれた野菜の食べ方を試してみたけど、これは面白いね。簡単には真似出来ないものだ」
伝授した生活の知恵を"面白い"と称され、素直に褒め言葉として受け取れないサージュの眉間に皺が寄っていく。
だが彼女の奇抜な発想を好む男は喜悦に笑みを浮かべつつ、口では真逆と言っていい否定を告げる。
「野菜を摂取する為に調味料で無理矢理に味を誤魔化しても、栄養素の偏りが増すだけで本末転倒になるからな。いくら君も野菜が苦手だとしても、あまり推奨は出来ない食べ方ではある」
「あはは、まあそれは否定出来ないか。でも、自分じゃ絶対に思いつかない方法だったから、その手があったか! って感じでさ」
「…そうだな。昔から彼女には、俺も驚かされてばかりだ」
驚きを嬉々として語る少年に同調し、アルハイゼンは感慨深げに傍らの少女を一瞥する。
その眼差しは慈しみに満ちて、昔からという言葉の通りに何年もかけて築いてきた絆の強さが如実に表れて見えた。
「ふうん、二人は付き合い長いんだ。だから息がぴったりなんだね」
仲睦まじい姿を目の当たりにし、揶揄いたくなった少年が態とらしく挑発的な言葉をかけるも、男は至って堂々と頷いて発言を認め、それだけでなく逆にこちらを射貫くような瞳を向ける。
「ああ。それがどうかしたか?」
その視線からは番を奪わせまいと威嚇する猛禽の如し威圧を感じ、セトスは隣の少女がそれに気付いているかを確かめる。
幸か不幸か、彼女は水面下で行われていた頭脳戦を全く認識していない様子でニコニコと笑んでいて。
全てを察した少年は、己が前言撤回せざるを得ない男の前途多難ぶりに肩を竦めるしかなかったが、彼もまた言葉の裏に隠された意図を正しく読み取り意味深長な笑みを浮かべていた。
「いいや、何も。気を悪くさせたのならごめんよ」
「問題ない。俺は元より、現状維持をモットーに日々の生活を送っている」
一方で何も知らぬサージュは、出逢って早々に彼らが絆を深めている様を前に、それが互いを好敵手として認めてのことであるとも気付かず微笑ましく見守るのだった。
「ふふ。アルハイゼンとセトス君、案外気が合うみたい?」
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