概要+短編
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スメールシティの市街地から少し外れた家屋の並ぶ道なり、砂漠から遠路はるばるやって来たセトスを出迎えていたセノは、通り掛かりに見慣れた二人の姿を見つける。
声を掛けようと近付いていく内に少女の怒声が聞こえ、そのまま彼らが来た方向とは真逆のガンダルヴァー村方面へと走り去ってしまった。
「アルハイゼンのバカ! もう知らないっ」
頬をひっ叩かれたような衝撃に、男は大切な恋人――サージュを追うことも出来ず立ち尽くすしかなく。
驚愕のシーンを目撃し駆け寄ってきた二人の少年の気配すら察知するまでに相当の時間がかかっていて、やはり余程のダメージを受けている様子が見て取れた。
「…」
「珍しいな。お前達でも、喧嘩をすることがあるんだな」
「彼女、凄い剣幕だったけど…大丈夫かな? 一体何があったの?」
口々に友人を案じる言葉をかける彼らの声を聞き、アルハイゼンは一瞬だけはっとした表情を浮かべ、すぐにその吃驚を悟られぬよう小さく息を吐いて振り返る。
「ほう? 天下の大マハマトラ様と沈黙の殿の首領ともあろう者が盗み聞きとは感心しないな。部下に知られたら、どんな反応を見せることやら」
「それについては悪かった。だが、あれだけの怒声を聞き流すのも無理がある。だろう?」
八つ当たりでしかない諫言にも構わず、セノは臆することなく男の隣に位置取り、友の不和の原因を探ろうと試みる。
しかし知能と同等以上の高いプライドを持つこの書記官は、素直に全てを詳らかにすることはなく、友人兼仕事仲間からの同意を求める言葉に俯くのみで。
「…否定はしない。彼女の声はよく響くからな」
ぽつりと零れた悲嘆に満ちた声、それはやはりかつて経験した痛烈な離別を連想させる要素が詰まっているが故か。
一種のトラウマとも化していたその記憶は心に鉛を落とし、すぐにでもサージュを追わなければならない筈の足をひどく重たくさせる。
シティでは新参者であり、当事者間の事情も知らずに口を挟む余地はないだろうと傍観に徹していたセトスだったが、大の大人がぴくりとも動かない姿を前に痺れを切らし、渦中の少女が駆け出した先を指で差す。
「それよりも、今は彼女を追うのが先決だよ! アルハイゼン、君が動かないのなら僕が行くからね!」
煽動を受けても尚アルハイゼンの動きは鈍いもので、本当にほんの僅かにだけ首を微動させて恋人の行方を沈黙の殿の若き首領に託す。
「…頼む」
大の大人がすっかり意気消沈する様を呆れたものだと心の中で吐き捨てて、セトスはサージュを追い駆ける。
セノは同胞の計らいへの密かな感謝を胸に秘め、今の自分は何はともあれこの不器用な友から仔細を聞くべきだと手を差し伸べた。
「アルハイゼン。サージュがどうしてあのような憤怒を見せたかは俺にはわからないが…ひとまず状況を整理し心を落ち着かせる為にも、カフェにでも向かうとしよう」
「…そうだな」
優しき尋問の始まりを告げる合図に苦笑交じりに同意して、アルハイゼンは硬直していた脳をようやく働かせ始める。
そして思考とすぐにリンクしない緩慢な動作で爪先に力を入れ土を摺り、トレジャーストリートへ向けて一歩を踏み出す。
―
「ティナリ君ッ!」
一方で、シティを抜け出した少女が駆け込んだのは、人類にとって、彼女自身にとって最高の友である犬と、頼れる仲間の居るガンダルヴァー村だった。
レンジャー隊で訓練に励む犬達を見守っていた立ち耳の少年の名を呼び、怒り心頭といった表情で叫ぶ。
「ねえ聞いてよ、アルハイゼンがさあ…!」
「そんな大声出さなくても聞こえてる、静かにして。けど、アルハイゼンのこと大好きな君がそこまで憤慨するなんて…いったいどうしたのさ?」
「そうだぞサージュ、普段は二人ともあんなに仲がいいのに…あたし達でいいなら話を聞くから、落ち着いてくれ」
諫言と煽り、それから心配を同時に口にして、声を聞きつけてやって来た弟子と共に少女を宥め近場の木陰に座らせるティナリ。
この上なくわかりやすい揶揄にも気付かずに心情を語り始めたサージュに、師弟は相当に深刻な事態だと顔を見合わせる。
「私に戦うな、って…あぁいやちょっと違うか。魔物や遺跡兵器達と相対したときに前に出過ぎだとか、どうして防護の能力を使うと傷が増えるんだとか、とにかく文句ばっかりで…」
喧嘩のきっかけは戦闘に於ける些細な言い争いから始まり、やがてそれが逆鱗に触れ彼女をこの村まで奔らせるに至ったのだと言う。
けれどもサージュの恋人――アルハイゼンの言い分は至極真っ当なもので、どれもが大切な存在の身を案じての訓戒であることが二人の目には瞭然であった。
実のところ彼女の戦い方はコレイ達も不安を抱く苛烈さを有しており、いつか取り返しのつかないことになるのではないかと危惧していた程なのだ。
故に今回の件は最悪の事態を引き起こす前に自分を見つめ直してもらういい機会だと考えたティナリは、敢えて満面の笑みを浮かべ少女の肩を掴む。
「そう、大体わかった。君が全面的に悪いってことがね」
「え…えっと」
予想、否、願望に反して全く肯定してもらえず、サージュの口角が焦燥にひくひくと引き攣る。
心のどこかでは自覚していたものの、改めて己の弱さを突き付けられたような気がして、素直に非を認めることが出来なかった。
「…コレイちゃん。コレイちゃんはどうして弓を使ってるんだっけ?」
一瞬だけ目を伏せて謝罪を告げようとして、それでもやはり自らの生き様を誰にも否定されたくない想いが勝り、彼女は傍らで狼狽えながら見ていたコレイに顔を向ける。
「あ、あたしに振るのか!? そ…それは、師匠が弓を教えてくれたからだ。あたしは、それしか知らないし出来ないから…」
「うん、ありがとう。私も同じだよ。そうすることでしか、アルハイゼンを守れない。だから、今の戦い方を否定されるのは…自分のことを否定されたような気持ちになる」
柔らかな微笑を浮かべ、根っこの部分では変わらないのだとボロボロの両手を見つめる。
誰かを守ることは、傷つくこと――名うての傭兵だった母の死による苦痛を忘れられないサージュにとって、その信条は魂に刻まれた印にも等しく。
だが勿論ティナリはそれを認めることはなく、昔馴染みとして彼女の頑固さを理解した上で、意図して真っ向からその志を否む気構えでいた。
「それでも、僕は異を唱え続けるけどね。誰かを大切にする前に、まずは自分を大事にしないと」
友として、弁の立つ学者として。当然言われたまま引き下がる訳にも行かず、サージュは売り言葉に買い言葉で反論し、前述の戒めは彼自身にも跳ね返るだろうと吼える。
「なっ…ティナリ君だって、レンジャー長の仕事が大変だっていつも嘆いてるじゃない」
「それとこれとは話が別だよ! 確かに大変だって零すことがあるのは認めるけど、僕はどこかの誰かさん達みたいに徹夜で人助けしたり、気に入らないデータを精査したりしてないからね」
不安定な情緒は言葉に棘を孕ませ不和を呼び、釣られて少しずつティナリの語調も強まっていく。
ここで話題に挙がった誰かさん"達"と言うのは、サージュともう一人は恐らく彼女と同等かそれ以上の利他主義問題児であるあの青年を指しているのだろうと察し、師匠の辛辣な評価にコレイの眉が下がる。
尤も、彼がそれだけ苦言を呈すことを厭わない相手という事実こそが、深い信頼を得た証拠にも等しいのだと、弟子である見習い娘は身をもってよく知っていた。
だからこそ二人を遮ってまで仲裁に入ろうとは思えず、いっそ気の済むまでお互い好きに言わせる方が丸く収まるのではと考え始める。
そんな娘のささやかな傍観を阻むのは、シティから大慌てでサージュを追って来たセトス。
肩で息をしながら膝に手を付き、彼女の傷心を少しでも和らげるべく顔を上げて微笑みかける。
「はぁ…はぁ、やっと追いついた…サージュ、大丈夫?」
激昂していた当の本人は目撃にも追跡にも全く気付いていなかったらしく、どうして彼がと言わんばかりの吃驚を見せる。
そしてそれと同時に、やはりアルハイゼンは追い掛けて来てはくれなかったのだと胸の内に寂寥が募る。
どちらも譲れない心理からなる確執と言えど、ここで一言非を詫びてくれるだけで溜飲も下がると言うのに――そう思えば思う程、願う通りにならない悔しさに奥歯が軋む。
「セトス君? あっ…もしかして、見られちゃってた…?」
「ごめん、わざとじゃないんだけど…はぁ。最後の…君がアルハイゼンに叫んで走り去る瞬間に、セノと一緒に丁度出くわしてさ。彼は待ってられないから、代わりに僕が来た」
眼前で繰り広げられていた光景を思い出し、そこから一向に動こうとしない男を連想し嘆息する。
きっと彼女は自分ではなく恋人に追って欲しかっただろうと頭では理解しつつも、セトスは居ても立ってもいられなかったのだと拳を握って示す。
「成程ね。じゃあ、セノはアルハイゼンの方に着いてると」
「多分。アルハイゼンの方も、あのまま放置出来る感じでもなかったし、向こうは向こうで事情を聞いてると思うよ」
沈黙の殿の若き首領に頷き、ティナリは彼と同じ場に居合わせた親友の選択を確かめる。
肩を竦めてシティに残った二人の状況を伝えるセトスによって、アルハイゼンが独りで思い悩まずに済んだことを知ると、憑き物が落ちたように安心した様子で少女に向き直る。
「だってさ、サージュ」
「…」
ティナリとは対照的に苦みばしった表情で、拗ねたようにぷいと目を背けるサージュ。
確かにセノが共に居る以上、最悪の結末にはならないと断言可能な状態ではあるとは言え、素直にそれを喜ぶことは出来なかった。
「でも僕は正直、あの場ですぐに君を追えなかったアルハイゼンにはガッカリしたけどね。大事な人を傷つけたってわかったら、普通はその瞬間に動くもんだろ?」
蟠りが残ったままのサージュを見て、セトスは自分だけでも味方に着こうと故意にアルハイゼンを腐す。
それからレンジャー師弟による予想通りの反論を耳にして、知らなかった深い事情に驚嘆の目を向ける。
「そうかな…あたしは尻込みしがちな方だから、アルハイゼンさんの気持ちもわかる。そりゃあ、サッと動けた方がいいとは思うけどさ」
「言葉の重みを誰よりも知る身として、迂闊に二の句を告げて更にサージュを傷つけたくなかったんだろうね。特に彼は、一度そういった経験がある訳だから余計にさ」
アルハイゼンの古傷――もう一人の当事者、カーヴェから触りだけ聞いたことのある決別は、彼らの仲に今も決して消えない大きな悔恨を残していると語るティナリ。
ルームメイトとして一見和解したように見えて、あの二人が互いを絶対に"友人"とは認めない理由、それを後輩の立場からよく知るサージュは、次第に己の反応が致命的なものだったのだと自戒の念が胸に宿り始める。
「ん…それは、わかってる。先輩と同じことをしちゃった以上、アルハイゼンが私を納得させるのを諦めるのも当然だと思う」
「サージュ…」
「でも、少なくとも今日は…このまま戻って謝る気分にはなれない。それにアルハイゼンのことだから、シティに着く頃にはもう寝てるだろうし」
緩慢な動作で首を振って、気持ちを落ち着かせる為にも一晩だけ時間が欲しい旨を零す少女。
尤もらしい言い訳を出され断る理由もなくなってしまったティナリは、仕方ないなと苦笑して手を差し伸べた。
「わかった、じゃあ今日は皆でキャンプしよう。セトスはどう? 一緒にやる?」
「うーん…いや、僕は街に戻ろうかな。セノ達にこっちの様子を伝えに行ってあげる」
疎外感を与えぬようすぐにセトスにも声を掛け、選択を委ねる。すると彼は少しだけ悩んだ後、シティに残った二人にも状況を共有すべきだとキャンプの誘いを固辞する意思を告げる。
「いいね、そうしてくれると助かるよ。何かの間違いでセノがアルハイゼンを引っ張ってここまで来ちゃったら大変だからね」
「あははっ! いくらセノでも、そんな無理強いはしないだろう。もしかしたら、また別の誰かに見つかって、全然想像もしてない展開になる可能性もあるよ」
馴染みの面子とは異なる新鮮な発想による慮外の申し出に、願ってもないことだと喜悦を露わにして、ティナリは冗談交じりに笑む。
釣られてセトスも笑んで、向こうは向こうで新たな波乱が起こっているかもしれないと仄めかす。
そうして一頻り笑った後、スッと表情を真剣なものへと戻し退散と就寝の挨拶を口にする。
「…まあ、そういう訳だから、僕はこれで。おやすみ、みんな」
長居は無用と背を向けるセトスへ、サージュが会釈して謝意を示す。彼はこれまでの生活で染みついた方便を以て宥免を伝え、暮れゆく太陽の方へと駆けて行った。
「ありがとね、セトス君。面倒な役回りを押し付けちゃってごめん」
「大丈夫、僕はプータローでいつも暇を持て余してるただの一般人だからさ!」
「プータローって…嘘を吐くにしても、もっとマシな言い方があったんじゃ…」
無職を証明する半ば死語と化した表現に、コレイは自虐にも良し悪しがあるだろうと口角を歪める。
セトスのこれからの人生を決する瞬間を見届けた内の一人であるティナリは、彼の"祖父"が亡くなる以前は実際にそうだったのだろうと推測し、女子達に深くは考えさせぬようキャンプの用意を促した。
「きっと、沈黙の殿の首領になる前の口癖だったんじゃない? さ、僕達は冷えない内にテントを張ろう」
―
時は遡り、プスパカフェにて。コーヒーとそれによく合う焼き菓子を間に挟み、セノによる穏やかな尋問が始まっていた。
「それで、喧嘩の内容はどういったものなんだ?」
一切遠慮することなく焼き菓子を頬張り、肘をつくセノ。先んじて柔和な態度を示すことで、これが決して詰問ではなく、言いたくなければ黙秘しても構わないことを表す。
対してアルハイゼンはコーヒーに手を伸ばし、わかりやすく眉を顰めて彼に聞いて欲しい立腹の原因を語る。
「サージュの戦い方についてだ」
「成程。確かに、あいつの誰よりも向こう見ずな性分は、いつか止めるべきだとは常々思っていたが…言って聞くような奴ではなかったか」
たった一言で憤懣の全容を即座に把握しアルハイゼンに同調しながら、原因がサージュの方にあるのでは解決しようもないと腕を組むしかなくなる。
何か糸口が見つけられないかと思惟に耽る最中、それを遮る悲鳴にも似た驚愕の叫びが横から聞こえてきた。
「うわぁ!?」
絶叫の主はカーヴェ。大方コーヒー好きの一人として、家に常備している豆を買い足しに来たところなのだろう。
ルームメイトとの慮外の邂逅だけならまだしも、何故かセノがそこに付随しているという異質さに、彼は目を白黒させていた。
「騒々しい、人を化け物扱いするな」
「急に叫んだのは悪かったよ。けど…君達が酒場じゃなくカフェで二人きりなんて、一体何があったんだ?」
突如として耳を劈く叫喚に、家主が八つ当たりにも等しい罵詈を容赦なくぶつける。
するとカーヴェは存外素直に非を詫び、仕事の話でもないだろうに何故二人が相席しているのかと疑問を投げ掛ける。
新たな光明を見出せる星の輝きにセノはニヤリと笑んで、彼もこの騒動に巻き込むべく手近な椅子を引く。
「丁度いいところに来たな、カーヴェ。今ならアルハイゼンに恩を売れるかもしれないぞ」
「うん? よくわからないが…仕方ない、困っているのならこの先輩が助けになってやろうじゃないか」
かつての"後輩"が珍しくも人に助けを求めているのだと知るや否や、嬉々としてセノの引いた椅子に座すカーヴェ。
アルハイゼンは他でもない彼にこの苦境を悟られるのは度し難いと身を乗り出すも、直球の正論には何も言い返せなかった。
「おいセノ、余計なことを…」
「サージュと和解したいんだろう。だったら、意見を出せる奴は一人でも多い方がいい」
「…チッ」
不機嫌さをまるで隠そうとせず、乱暴に音を立てて椅子に座り直し、首を突っ込んで来た青年を睨むアルハイゼン。
日々の生活態度の悪さから何度も諫言を受け、既に睨まれ慣れている彼はその眼光を意にも介さず、セノの零したヒントに耳を傾けては、意外だと言わんばかりに感嘆を告げる。
「和解…? へえ、普段あんなにお互いべた惚れ同士な君達でも、喧嘩することがあるんだな」
つい先刻もセノから全く同義のセリフを聞いた、と心の中でアルハイゼンが同居人へと毒づく。
確かに彼はサージュを誰よりも愛している自負こそあるが、それでも両者共に譲れない部分はある。
尤も普段であれば、言葉を武器とする者同士きちんと話し合った上で、互いが納得のいく落としどころを見つけられる筈だった。
だからこそ、今回の件で彼女をあそこまで深く傷つけていたとは予想だにせず、らしくもなく燻り続けてしまっているというのが現状で。
「…でもまあ、君が彼女の触れちゃいけないところに刃を立てて、それを自分の非だと認めたのなら、誠意を以て謝るしかない。プレゼントのひとつでも見繕ってみたらどうだ?」
「物で誤魔化すのは主義に反する。却下だ」
カーヴェによる案だからか、あるいは。出された意見をバッサリと切り捨て、ふてぶてしい態度で膝に足を乗せ腕を組む。
ところが否定的なのは彼だけで、セノもただ謝る以外にも尽くせる手は尽くすべきだと青年の主張に便乗する。
「待てアルハイゼン。あの状態のサージュが、お前の言葉だけで許してくれるかは…正味五分五分と言ったところだろう。なら、少しでも確率を上げる為にも、あいつの好きなものを用意するに越したことはない」
味方を得た優越からか、とうとう実行する本人の了承を訊く気すらなく、プレゼントを前提に思慮に耽るカーヴェ。
まずは事前のリサーチが肝要だとアルハイゼンへ恋人の好むものが何か問うと、彼はいくつもの候補を思い浮かべ、その中でも特に喜悦へ繋げやすいだろう存在を告げた。
「サージュが好きなもの、か…アルハイゼン、恋人である君の目から見て、彼女は何が好きなんだ?」
「まず第一に挙げられるのは犬だな。元々彼女が生論派を目指していた理由もそこにあるらしい」
「だが、生きた動物をプレゼントにするのは…流石に賛成出来ないな。犬をモデルにしたカードなら手元にあるが、どうだ」
いくら好きだと言えども、犬を贈呈品に定めるのは生命への冒涜だと否み、セノは代わりとして自身の魂を賭けているにも等しい趣味のひとつ、七聖召喚のカードを差し出す。
「却下だ。彼女を君の趣味に巻き込むな」
「ふむ、いい案だと思ったんだが」
しかしアルハイゼンは当然の如く即答し、カードを持っていたセノの手をそれとなく振り払う。
更なる代案としてカーヴェが発想を連鎖させ、名のある画家が描いた絵をポストカードにしたものならばと問うと、一考の余地ありと判断した男は小さく頷いてみせた。
「七聖召喚のカードは駄目でも、イラストカードなら有りなんじゃないか? 栞代わりにもなるし、写真立てに入れて飾るのも一興だ」
「…候補に加えておく」
「よし、一歩前進だな。次に思いつくのは?」
家主の首肯に笑んで別案を訊ねるカーヴェ、それに答えるのは本人ではなく隣で聞いていたセノ。
サージュが志望を生論派から因論派へ変えたきっかけたる"命の恩人"こと自国の神クラクサナリデビについてを記した本なら、非礼への詫びとして相応に満足度が高い筈だと口角を緩める。
「草神様に関する書物で、あいつが読んだことのないものがあれば…きっと目を輝かせて喜ぶんじゃないか」
「それは真っ先に僕も考えたけど…こいつと同じかそれ以上に本の虫な彼女に、そんな本があるか?」
「あるかないかで言えば、ない可能性の方が高いだろうな。少なくとも知恵の殿堂の蔵書なら、捩 りや誤字、読んだ者の落書きを含め…草神様の名が記述されているものは全て目を通した後だと思ってくれていい」
セノの案に、サージュの読書家な一面をよく知る青年が、その恋人へと訝しげな視線を向ける。
すると彼は自分のことのように誇らしげに胸を張り、彼女も相応に聡明であることを改めて二人に強調する。
カーヴェはあまりにも堂々とした惚気に引き笑いし、セノから分けてもらっていた焼き菓子を見つめて呟く。
「…そうなると、そっち方面で攻めるのは難しそうだな。うーん、甘いものとか…?」
「悪くないと思う。俺もティナリと言い合いになった後、菓子や好物を持ち込んで和解の席を設けたことがある」
何気ない意見を実体験を以て肯定するセノだったが、アルハイゼンの顔は渋く、あまり肯定的ではないようで。
「否定はしないが、個人的には出来れば別のものにしたい」
「お前がそう思うのなら、やめておいた方がいい理由があるんだろう。とはいえ、ここまでいい案が出ないとなると、他に何があるか…」
表情の裏に潜む愁いを機敏に察知し、深くは追究しないまま現状の総括を脳内で繰り広げるセノ。
挙げられた内のどれもが決め手に欠けていて、妥協でしかないように思えてしまい、誠意が本当に伝わるか不安視せざるを得なかった。
目的を果たせぬまま議論が膠着しかけていた中、不意にアルハイゼンの目の色が変わったような感覚を抱く。
「…花は」
「花?」
どうやらその直感は正しかったらしく、彼は"これが駄目なら詫びの品を伴うのは諦める"とでも言いたげな眼差しを向ける。
花。草元素を司る神が統治するスメールでは普遍的過ぎる存在故か、人に生花をそのまま贈る文化はあまりなく、セノはオウム返しすることしか出来なかった。
が、母がフォンテーヌに在住しあちらの文化を多少なりとも知識として得ていたカーヴェは、不器用者の同居人からそのようなロマンティックな発想が出たことに感動しつつ肯定を示す。
「ああ。サージュは花も好きだ。ただ、贈り物として適しているものか判断しかねる」
「いいじゃないか! 花束でも一輪挿しでも、好きなら喜ぶと思うぞ」
「そうか」
極めて端的な返答の後すぐさま立ち上がって、アルハイゼンは二人に背を向けこの場を立ち去ろうとする。
「どこへ行く?」
「この流れで花屋以外にあると思うか?」
無言で立ち上がった理由も向かおうとしている先も明白ではあれど、逸る想いを落ち着かせる為にもとセノが男を呼び止める。
予定調和の返事を聞いた金狼の少年はクスリと笑んで彼の一途さを認め、問題が無事に解決の兆しを見せ始めたことに安堵を抱く。
「…相変わらず行動が突飛だな。まあ、お前らしいといえばお前らしいが」
そのまま静かに男を見送ろうとしたセノの姿を見つけ、サージュの元から戻って来たセトスが大きく手を挙げる。
追いついた先、ガンダルヴァー村での情報を共有しようと近寄ったところに、馴染みの面子の最後の一人がごく自然に同席していたことに感嘆を零す。
「あ、ここに居た! 探したよ、二人とも…あれ? カーヴェも合流してたんだ」
「やあセトス、君もこの件について協力していたとは」
意外だと驚いた様子で微笑みかけ、アルハイゼンごと彼を座らせようと手招きするカーヴェ。
セトスは仲間達と距離を縮めこそすれ、客ではない身として店への遠慮からか立ったままで自分が一枚噛んでいた理由を語り、簡潔にガンダルヴァー村側の状況を伝える。
「まあ、サージュには色々と世話になってるからね。それで報告だけど、彼女は今頃ティナリ達とキャンプしてるから安心して。あの様子なら、明日の朝…いや、昼くらいまでは向こうで過ごすと考えて大丈夫」
「…情報、感謝する」
「いいよいいよ、道中も楽しかったから。ちなみにこっちはどう? 仲直りの手は見つかった?」
アルハイゼンからの目礼に軽く手を振って恐縮を告げ、彼らの状況が好転しているかを問う。
晴れ晴れとした表情から判断する限りでは、少なくとも何かしらの打開策は見つけられたのだろうと予想して、その希望的観測を上回る返答に、セトスは彼への評価を改めなければと息を呑む。
「あぁ。これから、彼女に贈る為の花を買いに行くところだ」
他に用がなければ話はこれで終わりだと視線で訴えて、暗にそこを退けと告げるアルハイゼン。
少年は敢えてマイペースを装って納得を口にして、断られるのを前提に最後の助力を申し出る。
「ふうん、それが君の答えなんだね。花かあ…一軒いいお店を知ってるけど、案内してあげようか?」
「大丈夫だ、既に目星はついている」
不敵な笑みを以て返答とし、男はその場の全員を置いて去って行く。思慮深い彼にしては珍しく向こう見ずな猪突猛進ぶりに、砂漠の民の血を引く二人はすぐに反応出来なかった。
「あっ、おいアルハイゼン!」
脇目も振らず家主を追い掛けるカーヴェの背が見えなくなった頃、我に返ったセノが残った同胞へと意思を確かめる。
既に満足したセトスはこれ以上の介入は野暮だと肩を竦めてみせ、街に来た本来の目的を果たすべきことを思い出させる。
「どうする、俺達も追うか?」
「いいんじゃない? 好きにさせてあげなよ。僕だって、アルハイゼン達の痴話喧嘩を仲裁する為にシティに来た訳じゃないんだからさ」
「…それもそうだな。後はカーヴェに任せよう」
―
騒動の始まりから一夜明け、まだ陽が昇りきらぬ頃。コレイ達と同じテントで寝泊まりしていたサージュは、聞き覚えのあるふたつの足音で目を覚ます。
「…アルハイゼン、来たみたい。歩き方からして、一緒に居るのはカーヴェ先輩だけかな。ん…包み紙? 何かガサガサしてる音もする」
「ふぁぁ、そうだな…ってあれ、師匠は?」
起床から間もないことも相俟ってまだ音の判別には至らなかったコレイは、適当な相槌を返すしか出来ず。
大きな伸びをして眠い目を擦り、来訪者を迎える為に身なりを整えねばと周囲を見渡して、師匠たるティナリの姿が見当たらないことに違和感を覚える。
その彼はと言うと、先んじてテントの外で男達を待ち構えており、遠巻きに見えた緑と赤に手を挙げ牽制の意図を孕んだ棘を吐く。
「思ったより早かったね」
色とりどりの風信子 、それを花束として持参したアルハイゼンに、ティナリの目が大きく見開かれる。
普段はそういった風情を理解する気もない彼がわざわざ非礼の詫びを用意するという異常事態に、余程今回の件が堪えたのだろうと察して苦笑し、緊張を解すように揶揄する。
「これ以上すれ違うのはごめんだからな」
「ふふっ、それでその花束って訳か。君らしくもない」
「好きに解釈してくれ」
予想に反してアルハイゼンは泰然とした態度で答え、落ち着いた様子で抱えていた花束を握り直す。
包みの擦れる音でサージュを呼び立てる算段だと見抜いたティナリは、今はまだ彼女は心の準備が出来ていないからと時間稼ぎを試みる。
「ちなみにその花は、君が自分で選んだの? それともカーヴェ?」
「僕は何も…いや、今その話をするのは無粋だ。後で詳しく話すから」
早いところアルハイゼンとサージュを二人きりにしてやって欲しい――皆まで言わずに目だけでそう懇願するカーヴェに根負けし、少年は小さく息を吐いて背後のテントを一瞥する。
「…どう、サージュ。そろそろ出て来れそう?」
「ん…今出るから、ちょっと待って…」
「えいっ」
すぐに了承を伝えこそしたものの、顔を合わせるには勇気が足りずテントの布を握ったまま俯くサージュ。
出入口を塞がれ、 出るに出られなくなったコレイが痺れを切らし、隙を突いて少女の背中を突き飛ばす。
「わっ?!」
有無を言わさず外に放り出され、バランスを崩し転びそうになる。寸でのところで身体を支え事なきを得たところに、アルハイゼンは柔らかな笑みと共に手を差し伸べた。
「おはよう、サージュ。相変わらず忙しないな」
「違っ、今のはコレイちゃんが…」
お転婆ぶりを揶揄されたと捉えたサージュはそっぽを向いて不貞腐れ、差し出された手を阻む。
しかしすぐにそれはただの他責で八つ当たりでしかないと考えを改め、恐る恐る視線を戻す。
「…なんでもない」
口を尖らせつつアルハイゼンの手を取り、けれど気恥ずかしさから再び目を逸らしてしまう。
気まずい沈黙を破ったのは、テントの中からサージュを突き飛ばした後、出るタイミングを失っていたコレイ。
気配り上手なレンジャー長から学んだ対応力を存分に生かし、彼女達を二人きりにさせるべく青年を呼び寄せた。
「サージュ。あたし達は朝の訓練に行ってくる。せっかくだから、カーヴェさんも着いて来てくれ」
「わかった、すぐに行く」
発言の意図を察し、カーヴェはそそくさとティナリ達に続く。ただ少なくとも彼は、ルームメイトが恋人ときちんと和解出来るか気が気でなく、後ろ髪を引かれる思いだったが。
「アルハイゼン、それ…ヒヤシンス?」
先導するティナリは立ち去ったと見せかけて物陰に隠れ、三人は当たり前のようにサージュ達の動向を見守る。
彼女は監視に気付かぬふりをして口を開き、恋人が持ってきた似合わないにも程がある花束について問う。
風信子。色によって様々な花言葉を持つその可愛らしい品種について語った記憶を、まさか覚えていてくれたとは思えず、語尾には疑問符が残る。
「そうだ」
淡々と頷いて、事実だけを肯定する。余計な言い訳や感情の吐露は不要だとそれ以上は何も言わず、アルハイゼンはそっと彼女の手に花束を握らせる。
「…白、黄色、青、あ…紫も混ざってるんだ」
渡された花束を彩る花弁の色を指折り数えて、真意を知ったサージュの声色が変わる。
"心静かな愛"、"貴方となら幸せ"、"変わらぬ愛"――そして、"悲しみを越えた愛"もしくは"謝罪 "。
直接口に出すには気障な愛の囁きに混じって、今回の件に関して少なからず罪悪感があったのだと察せられるその色のチョイスに、彼女の瞳が熱を帯びる。
「サージュ」
「ん…大丈夫。泣いてない、目にゴミ入っただけ」
胸を貸そうと腕を広げかけたアルハイゼンの優しさを突っ撥ねて、サージュは花束で巧妙に涙を覆い隠す。
「えっと、お花…ありがとう。選んだの、カーヴェ先輩?」
滲む涙を密かに拭う傍らで、彼が自ら風信子を選んだとはどうしても認められず、態とらしく同行者の名を挙げる。
しかしそれでもアルハイゼンが首を縦に振ることはなく、世話焼きの介入はその手前までだと腕を組む。
「花を買うに至るまでの紆余曲折にはあいつやセノも関わっているが、最終的に品種を決めたのは俺の意思だ」
「そ、そう…なん、だ」
真摯な眼差しに頬が熱くなり、まともに言葉を紡ぐことさえ儘ならなくなるサージュ。
感情の制御を手放して、今にも彼の胸元に飛び込んでしまいたいと思う傍ら、友人達が見ている手前それは絶対に出来ないと拳を握り締めて堪える。
「俺は紫色の風信子だけあればいいと言ったんだが、花屋の店主が他の色もと聞く耳を持たなかった。それ以外にも、詫びの気持ちを伝える花なら色々あると不要なものまで押し付けられそうになって…」
沈黙を嫌った男は恣意のままに言い訳を並べ立て、この花束を購入した際の苦悩を零す。
当時の彼が余程焦って見えたのか、あるいは。サージュは想像もつかない光景に思いを馳せ、くすりと笑んで恋人を揶揄う。
「ふふっ。アルハイゼンが気圧されるなんて相当だね。でも、他の花は混ざってないってことは…ちゃんと断れたんだ?」
「…うん」
「そっか、ならよかった。いくら花言葉が近くても、あれもこれも一緒くたにしちゃったら…見た目の調和が取れなくなるからね。キミはそういうの無頓着だから、あればあるだけ良いってならなかったの、偉いよ」
爪先立ちになって幼子をあやすように男の頭を撫で、少女は最善の選択を称賛する。
彼もまた誇らしげに首を傾けて掌の温もりを享受し、サージュがいつも通りの笑顔を取り戻した喜びを噛み締めた。
「あぁ」
「ちょっとアルハイゼン、ちゃんと聞いてる?」
生返事にしか聞こえぬ曖昧な相槌に、冗談めかして問うサージュ。アルハイゼンの答えは、彼女の想定を大きく覆すものだった。
「勿論。俺は君の言葉を聞き漏らしたことも、忘れたこともないよ」
声を掛けようと近付いていく内に少女の怒声が聞こえ、そのまま彼らが来た方向とは真逆のガンダルヴァー村方面へと走り去ってしまった。
「アルハイゼンのバカ! もう知らないっ」
頬をひっ叩かれたような衝撃に、男は大切な恋人――サージュを追うことも出来ず立ち尽くすしかなく。
驚愕のシーンを目撃し駆け寄ってきた二人の少年の気配すら察知するまでに相当の時間がかかっていて、やはり余程のダメージを受けている様子が見て取れた。
「…」
「珍しいな。お前達でも、喧嘩をすることがあるんだな」
「彼女、凄い剣幕だったけど…大丈夫かな? 一体何があったの?」
口々に友人を案じる言葉をかける彼らの声を聞き、アルハイゼンは一瞬だけはっとした表情を浮かべ、すぐにその吃驚を悟られぬよう小さく息を吐いて振り返る。
「ほう? 天下の大マハマトラ様と沈黙の殿の首領ともあろう者が盗み聞きとは感心しないな。部下に知られたら、どんな反応を見せることやら」
「それについては悪かった。だが、あれだけの怒声を聞き流すのも無理がある。だろう?」
八つ当たりでしかない諫言にも構わず、セノは臆することなく男の隣に位置取り、友の不和の原因を探ろうと試みる。
しかし知能と同等以上の高いプライドを持つこの書記官は、素直に全てを詳らかにすることはなく、友人兼仕事仲間からの同意を求める言葉に俯くのみで。
「…否定はしない。彼女の声はよく響くからな」
ぽつりと零れた悲嘆に満ちた声、それはやはりかつて経験した痛烈な離別を連想させる要素が詰まっているが故か。
一種のトラウマとも化していたその記憶は心に鉛を落とし、すぐにでもサージュを追わなければならない筈の足をひどく重たくさせる。
シティでは新参者であり、当事者間の事情も知らずに口を挟む余地はないだろうと傍観に徹していたセトスだったが、大の大人がぴくりとも動かない姿を前に痺れを切らし、渦中の少女が駆け出した先を指で差す。
「それよりも、今は彼女を追うのが先決だよ! アルハイゼン、君が動かないのなら僕が行くからね!」
煽動を受けても尚アルハイゼンの動きは鈍いもので、本当にほんの僅かにだけ首を微動させて恋人の行方を沈黙の殿の若き首領に託す。
「…頼む」
大の大人がすっかり意気消沈する様を呆れたものだと心の中で吐き捨てて、セトスはサージュを追い駆ける。
セノは同胞の計らいへの密かな感謝を胸に秘め、今の自分は何はともあれこの不器用な友から仔細を聞くべきだと手を差し伸べた。
「アルハイゼン。サージュがどうしてあのような憤怒を見せたかは俺にはわからないが…ひとまず状況を整理し心を落ち着かせる為にも、カフェにでも向かうとしよう」
「…そうだな」
優しき尋問の始まりを告げる合図に苦笑交じりに同意して、アルハイゼンは硬直していた脳をようやく働かせ始める。
そして思考とすぐにリンクしない緩慢な動作で爪先に力を入れ土を摺り、トレジャーストリートへ向けて一歩を踏み出す。
―
「ティナリ君ッ!」
一方で、シティを抜け出した少女が駆け込んだのは、人類にとって、彼女自身にとって最高の友である犬と、頼れる仲間の居るガンダルヴァー村だった。
レンジャー隊で訓練に励む犬達を見守っていた立ち耳の少年の名を呼び、怒り心頭といった表情で叫ぶ。
「ねえ聞いてよ、アルハイゼンがさあ…!」
「そんな大声出さなくても聞こえてる、静かにして。けど、アルハイゼンのこと大好きな君がそこまで憤慨するなんて…いったいどうしたのさ?」
「そうだぞサージュ、普段は二人ともあんなに仲がいいのに…あたし達でいいなら話を聞くから、落ち着いてくれ」
諫言と煽り、それから心配を同時に口にして、声を聞きつけてやって来た弟子と共に少女を宥め近場の木陰に座らせるティナリ。
この上なくわかりやすい揶揄にも気付かずに心情を語り始めたサージュに、師弟は相当に深刻な事態だと顔を見合わせる。
「私に戦うな、って…あぁいやちょっと違うか。魔物や遺跡兵器達と相対したときに前に出過ぎだとか、どうして防護の能力を使うと傷が増えるんだとか、とにかく文句ばっかりで…」
喧嘩のきっかけは戦闘に於ける些細な言い争いから始まり、やがてそれが逆鱗に触れ彼女をこの村まで奔らせるに至ったのだと言う。
けれどもサージュの恋人――アルハイゼンの言い分は至極真っ当なもので、どれもが大切な存在の身を案じての訓戒であることが二人の目には瞭然であった。
実のところ彼女の戦い方はコレイ達も不安を抱く苛烈さを有しており、いつか取り返しのつかないことになるのではないかと危惧していた程なのだ。
故に今回の件は最悪の事態を引き起こす前に自分を見つめ直してもらういい機会だと考えたティナリは、敢えて満面の笑みを浮かべ少女の肩を掴む。
「そう、大体わかった。君が全面的に悪いってことがね」
「え…えっと」
予想、否、願望に反して全く肯定してもらえず、サージュの口角が焦燥にひくひくと引き攣る。
心のどこかでは自覚していたものの、改めて己の弱さを突き付けられたような気がして、素直に非を認めることが出来なかった。
「…コレイちゃん。コレイちゃんはどうして弓を使ってるんだっけ?」
一瞬だけ目を伏せて謝罪を告げようとして、それでもやはり自らの生き様を誰にも否定されたくない想いが勝り、彼女は傍らで狼狽えながら見ていたコレイに顔を向ける。
「あ、あたしに振るのか!? そ…それは、師匠が弓を教えてくれたからだ。あたしは、それしか知らないし出来ないから…」
「うん、ありがとう。私も同じだよ。そうすることでしか、アルハイゼンを守れない。だから、今の戦い方を否定されるのは…自分のことを否定されたような気持ちになる」
柔らかな微笑を浮かべ、根っこの部分では変わらないのだとボロボロの両手を見つめる。
誰かを守ることは、傷つくこと――名うての傭兵だった母の死による苦痛を忘れられないサージュにとって、その信条は魂に刻まれた印にも等しく。
だが勿論ティナリはそれを認めることはなく、昔馴染みとして彼女の頑固さを理解した上で、意図して真っ向からその志を否む気構えでいた。
「それでも、僕は異を唱え続けるけどね。誰かを大切にする前に、まずは自分を大事にしないと」
友として、弁の立つ学者として。当然言われたまま引き下がる訳にも行かず、サージュは売り言葉に買い言葉で反論し、前述の戒めは彼自身にも跳ね返るだろうと吼える。
「なっ…ティナリ君だって、レンジャー長の仕事が大変だっていつも嘆いてるじゃない」
「それとこれとは話が別だよ! 確かに大変だって零すことがあるのは認めるけど、僕はどこかの誰かさん達みたいに徹夜で人助けしたり、気に入らないデータを精査したりしてないからね」
不安定な情緒は言葉に棘を孕ませ不和を呼び、釣られて少しずつティナリの語調も強まっていく。
ここで話題に挙がった誰かさん"達"と言うのは、サージュともう一人は恐らく彼女と同等かそれ以上の利他主義問題児であるあの青年を指しているのだろうと察し、師匠の辛辣な評価にコレイの眉が下がる。
尤も、彼がそれだけ苦言を呈すことを厭わない相手という事実こそが、深い信頼を得た証拠にも等しいのだと、弟子である見習い娘は身をもってよく知っていた。
だからこそ二人を遮ってまで仲裁に入ろうとは思えず、いっそ気の済むまでお互い好きに言わせる方が丸く収まるのではと考え始める。
そんな娘のささやかな傍観を阻むのは、シティから大慌てでサージュを追って来たセトス。
肩で息をしながら膝に手を付き、彼女の傷心を少しでも和らげるべく顔を上げて微笑みかける。
「はぁ…はぁ、やっと追いついた…サージュ、大丈夫?」
激昂していた当の本人は目撃にも追跡にも全く気付いていなかったらしく、どうして彼がと言わんばかりの吃驚を見せる。
そしてそれと同時に、やはりアルハイゼンは追い掛けて来てはくれなかったのだと胸の内に寂寥が募る。
どちらも譲れない心理からなる確執と言えど、ここで一言非を詫びてくれるだけで溜飲も下がると言うのに――そう思えば思う程、願う通りにならない悔しさに奥歯が軋む。
「セトス君? あっ…もしかして、見られちゃってた…?」
「ごめん、わざとじゃないんだけど…はぁ。最後の…君がアルハイゼンに叫んで走り去る瞬間に、セノと一緒に丁度出くわしてさ。彼は待ってられないから、代わりに僕が来た」
眼前で繰り広げられていた光景を思い出し、そこから一向に動こうとしない男を連想し嘆息する。
きっと彼女は自分ではなく恋人に追って欲しかっただろうと頭では理解しつつも、セトスは居ても立ってもいられなかったのだと拳を握って示す。
「成程ね。じゃあ、セノはアルハイゼンの方に着いてると」
「多分。アルハイゼンの方も、あのまま放置出来る感じでもなかったし、向こうは向こうで事情を聞いてると思うよ」
沈黙の殿の若き首領に頷き、ティナリは彼と同じ場に居合わせた親友の選択を確かめる。
肩を竦めてシティに残った二人の状況を伝えるセトスによって、アルハイゼンが独りで思い悩まずに済んだことを知ると、憑き物が落ちたように安心した様子で少女に向き直る。
「だってさ、サージュ」
「…」
ティナリとは対照的に苦みばしった表情で、拗ねたようにぷいと目を背けるサージュ。
確かにセノが共に居る以上、最悪の結末にはならないと断言可能な状態ではあるとは言え、素直にそれを喜ぶことは出来なかった。
「でも僕は正直、あの場ですぐに君を追えなかったアルハイゼンにはガッカリしたけどね。大事な人を傷つけたってわかったら、普通はその瞬間に動くもんだろ?」
蟠りが残ったままのサージュを見て、セトスは自分だけでも味方に着こうと故意にアルハイゼンを腐す。
それからレンジャー師弟による予想通りの反論を耳にして、知らなかった深い事情に驚嘆の目を向ける。
「そうかな…あたしは尻込みしがちな方だから、アルハイゼンさんの気持ちもわかる。そりゃあ、サッと動けた方がいいとは思うけどさ」
「言葉の重みを誰よりも知る身として、迂闊に二の句を告げて更にサージュを傷つけたくなかったんだろうね。特に彼は、一度そういった経験がある訳だから余計にさ」
アルハイゼンの古傷――もう一人の当事者、カーヴェから触りだけ聞いたことのある決別は、彼らの仲に今も決して消えない大きな悔恨を残していると語るティナリ。
ルームメイトとして一見和解したように見えて、あの二人が互いを絶対に"友人"とは認めない理由、それを後輩の立場からよく知るサージュは、次第に己の反応が致命的なものだったのだと自戒の念が胸に宿り始める。
「ん…それは、わかってる。先輩と同じことをしちゃった以上、アルハイゼンが私を納得させるのを諦めるのも当然だと思う」
「サージュ…」
「でも、少なくとも今日は…このまま戻って謝る気分にはなれない。それにアルハイゼンのことだから、シティに着く頃にはもう寝てるだろうし」
緩慢な動作で首を振って、気持ちを落ち着かせる為にも一晩だけ時間が欲しい旨を零す少女。
尤もらしい言い訳を出され断る理由もなくなってしまったティナリは、仕方ないなと苦笑して手を差し伸べた。
「わかった、じゃあ今日は皆でキャンプしよう。セトスはどう? 一緒にやる?」
「うーん…いや、僕は街に戻ろうかな。セノ達にこっちの様子を伝えに行ってあげる」
疎外感を与えぬようすぐにセトスにも声を掛け、選択を委ねる。すると彼は少しだけ悩んだ後、シティに残った二人にも状況を共有すべきだとキャンプの誘いを固辞する意思を告げる。
「いいね、そうしてくれると助かるよ。何かの間違いでセノがアルハイゼンを引っ張ってここまで来ちゃったら大変だからね」
「あははっ! いくらセノでも、そんな無理強いはしないだろう。もしかしたら、また別の誰かに見つかって、全然想像もしてない展開になる可能性もあるよ」
馴染みの面子とは異なる新鮮な発想による慮外の申し出に、願ってもないことだと喜悦を露わにして、ティナリは冗談交じりに笑む。
釣られてセトスも笑んで、向こうは向こうで新たな波乱が起こっているかもしれないと仄めかす。
そうして一頻り笑った後、スッと表情を真剣なものへと戻し退散と就寝の挨拶を口にする。
「…まあ、そういう訳だから、僕はこれで。おやすみ、みんな」
長居は無用と背を向けるセトスへ、サージュが会釈して謝意を示す。彼はこれまでの生活で染みついた方便を以て宥免を伝え、暮れゆく太陽の方へと駆けて行った。
「ありがとね、セトス君。面倒な役回りを押し付けちゃってごめん」
「大丈夫、僕はプータローでいつも暇を持て余してるただの一般人だからさ!」
「プータローって…嘘を吐くにしても、もっとマシな言い方があったんじゃ…」
無職を証明する半ば死語と化した表現に、コレイは自虐にも良し悪しがあるだろうと口角を歪める。
セトスのこれからの人生を決する瞬間を見届けた内の一人であるティナリは、彼の"祖父"が亡くなる以前は実際にそうだったのだろうと推測し、女子達に深くは考えさせぬようキャンプの用意を促した。
「きっと、沈黙の殿の首領になる前の口癖だったんじゃない? さ、僕達は冷えない内にテントを張ろう」
―
時は遡り、プスパカフェにて。コーヒーとそれによく合う焼き菓子を間に挟み、セノによる穏やかな尋問が始まっていた。
「それで、喧嘩の内容はどういったものなんだ?」
一切遠慮することなく焼き菓子を頬張り、肘をつくセノ。先んじて柔和な態度を示すことで、これが決して詰問ではなく、言いたくなければ黙秘しても構わないことを表す。
対してアルハイゼンはコーヒーに手を伸ばし、わかりやすく眉を顰めて彼に聞いて欲しい立腹の原因を語る。
「サージュの戦い方についてだ」
「成程。確かに、あいつの誰よりも向こう見ずな性分は、いつか止めるべきだとは常々思っていたが…言って聞くような奴ではなかったか」
たった一言で憤懣の全容を即座に把握しアルハイゼンに同調しながら、原因がサージュの方にあるのでは解決しようもないと腕を組むしかなくなる。
何か糸口が見つけられないかと思惟に耽る最中、それを遮る悲鳴にも似た驚愕の叫びが横から聞こえてきた。
「うわぁ!?」
絶叫の主はカーヴェ。大方コーヒー好きの一人として、家に常備している豆を買い足しに来たところなのだろう。
ルームメイトとの慮外の邂逅だけならまだしも、何故かセノがそこに付随しているという異質さに、彼は目を白黒させていた。
「騒々しい、人を化け物扱いするな」
「急に叫んだのは悪かったよ。けど…君達が酒場じゃなくカフェで二人きりなんて、一体何があったんだ?」
突如として耳を劈く叫喚に、家主が八つ当たりにも等しい罵詈を容赦なくぶつける。
するとカーヴェは存外素直に非を詫び、仕事の話でもないだろうに何故二人が相席しているのかと疑問を投げ掛ける。
新たな光明を見出せる星の輝きにセノはニヤリと笑んで、彼もこの騒動に巻き込むべく手近な椅子を引く。
「丁度いいところに来たな、カーヴェ。今ならアルハイゼンに恩を売れるかもしれないぞ」
「うん? よくわからないが…仕方ない、困っているのならこの先輩が助けになってやろうじゃないか」
かつての"後輩"が珍しくも人に助けを求めているのだと知るや否や、嬉々としてセノの引いた椅子に座すカーヴェ。
アルハイゼンは他でもない彼にこの苦境を悟られるのは度し難いと身を乗り出すも、直球の正論には何も言い返せなかった。
「おいセノ、余計なことを…」
「サージュと和解したいんだろう。だったら、意見を出せる奴は一人でも多い方がいい」
「…チッ」
不機嫌さをまるで隠そうとせず、乱暴に音を立てて椅子に座り直し、首を突っ込んで来た青年を睨むアルハイゼン。
日々の生活態度の悪さから何度も諫言を受け、既に睨まれ慣れている彼はその眼光を意にも介さず、セノの零したヒントに耳を傾けては、意外だと言わんばかりに感嘆を告げる。
「和解…? へえ、普段あんなにお互いべた惚れ同士な君達でも、喧嘩することがあるんだな」
つい先刻もセノから全く同義のセリフを聞いた、と心の中でアルハイゼンが同居人へと毒づく。
確かに彼はサージュを誰よりも愛している自負こそあるが、それでも両者共に譲れない部分はある。
尤も普段であれば、言葉を武器とする者同士きちんと話し合った上で、互いが納得のいく落としどころを見つけられる筈だった。
だからこそ、今回の件で彼女をあそこまで深く傷つけていたとは予想だにせず、らしくもなく燻り続けてしまっているというのが現状で。
「…でもまあ、君が彼女の触れちゃいけないところに刃を立てて、それを自分の非だと認めたのなら、誠意を以て謝るしかない。プレゼントのひとつでも見繕ってみたらどうだ?」
「物で誤魔化すのは主義に反する。却下だ」
カーヴェによる案だからか、あるいは。出された意見をバッサリと切り捨て、ふてぶてしい態度で膝に足を乗せ腕を組む。
ところが否定的なのは彼だけで、セノもただ謝る以外にも尽くせる手は尽くすべきだと青年の主張に便乗する。
「待てアルハイゼン。あの状態のサージュが、お前の言葉だけで許してくれるかは…正味五分五分と言ったところだろう。なら、少しでも確率を上げる為にも、あいつの好きなものを用意するに越したことはない」
味方を得た優越からか、とうとう実行する本人の了承を訊く気すらなく、プレゼントを前提に思慮に耽るカーヴェ。
まずは事前のリサーチが肝要だとアルハイゼンへ恋人の好むものが何か問うと、彼はいくつもの候補を思い浮かべ、その中でも特に喜悦へ繋げやすいだろう存在を告げた。
「サージュが好きなもの、か…アルハイゼン、恋人である君の目から見て、彼女は何が好きなんだ?」
「まず第一に挙げられるのは犬だな。元々彼女が生論派を目指していた理由もそこにあるらしい」
「だが、生きた動物をプレゼントにするのは…流石に賛成出来ないな。犬をモデルにしたカードなら手元にあるが、どうだ」
いくら好きだと言えども、犬を贈呈品に定めるのは生命への冒涜だと否み、セノは代わりとして自身の魂を賭けているにも等しい趣味のひとつ、七聖召喚のカードを差し出す。
「却下だ。彼女を君の趣味に巻き込むな」
「ふむ、いい案だと思ったんだが」
しかしアルハイゼンは当然の如く即答し、カードを持っていたセノの手をそれとなく振り払う。
更なる代案としてカーヴェが発想を連鎖させ、名のある画家が描いた絵をポストカードにしたものならばと問うと、一考の余地ありと判断した男は小さく頷いてみせた。
「七聖召喚のカードは駄目でも、イラストカードなら有りなんじゃないか? 栞代わりにもなるし、写真立てに入れて飾るのも一興だ」
「…候補に加えておく」
「よし、一歩前進だな。次に思いつくのは?」
家主の首肯に笑んで別案を訊ねるカーヴェ、それに答えるのは本人ではなく隣で聞いていたセノ。
サージュが志望を生論派から因論派へ変えたきっかけたる"命の恩人"こと自国の神クラクサナリデビについてを記した本なら、非礼への詫びとして相応に満足度が高い筈だと口角を緩める。
「草神様に関する書物で、あいつが読んだことのないものがあれば…きっと目を輝かせて喜ぶんじゃないか」
「それは真っ先に僕も考えたけど…こいつと同じかそれ以上に本の虫な彼女に、そんな本があるか?」
「あるかないかで言えば、ない可能性の方が高いだろうな。少なくとも知恵の殿堂の蔵書なら、
セノの案に、サージュの読書家な一面をよく知る青年が、その恋人へと訝しげな視線を向ける。
すると彼は自分のことのように誇らしげに胸を張り、彼女も相応に聡明であることを改めて二人に強調する。
カーヴェはあまりにも堂々とした惚気に引き笑いし、セノから分けてもらっていた焼き菓子を見つめて呟く。
「…そうなると、そっち方面で攻めるのは難しそうだな。うーん、甘いものとか…?」
「悪くないと思う。俺もティナリと言い合いになった後、菓子や好物を持ち込んで和解の席を設けたことがある」
何気ない意見を実体験を以て肯定するセノだったが、アルハイゼンの顔は渋く、あまり肯定的ではないようで。
「否定はしないが、個人的には出来れば別のものにしたい」
「お前がそう思うのなら、やめておいた方がいい理由があるんだろう。とはいえ、ここまでいい案が出ないとなると、他に何があるか…」
表情の裏に潜む愁いを機敏に察知し、深くは追究しないまま現状の総括を脳内で繰り広げるセノ。
挙げられた内のどれもが決め手に欠けていて、妥協でしかないように思えてしまい、誠意が本当に伝わるか不安視せざるを得なかった。
目的を果たせぬまま議論が膠着しかけていた中、不意にアルハイゼンの目の色が変わったような感覚を抱く。
「…花は」
「花?」
どうやらその直感は正しかったらしく、彼は"これが駄目なら詫びの品を伴うのは諦める"とでも言いたげな眼差しを向ける。
花。草元素を司る神が統治するスメールでは普遍的過ぎる存在故か、人に生花をそのまま贈る文化はあまりなく、セノはオウム返しすることしか出来なかった。
が、母がフォンテーヌに在住しあちらの文化を多少なりとも知識として得ていたカーヴェは、不器用者の同居人からそのようなロマンティックな発想が出たことに感動しつつ肯定を示す。
「ああ。サージュは花も好きだ。ただ、贈り物として適しているものか判断しかねる」
「いいじゃないか! 花束でも一輪挿しでも、好きなら喜ぶと思うぞ」
「そうか」
極めて端的な返答の後すぐさま立ち上がって、アルハイゼンは二人に背を向けこの場を立ち去ろうとする。
「どこへ行く?」
「この流れで花屋以外にあると思うか?」
無言で立ち上がった理由も向かおうとしている先も明白ではあれど、逸る想いを落ち着かせる為にもとセノが男を呼び止める。
予定調和の返事を聞いた金狼の少年はクスリと笑んで彼の一途さを認め、問題が無事に解決の兆しを見せ始めたことに安堵を抱く。
「…相変わらず行動が突飛だな。まあ、お前らしいといえばお前らしいが」
そのまま静かに男を見送ろうとしたセノの姿を見つけ、サージュの元から戻って来たセトスが大きく手を挙げる。
追いついた先、ガンダルヴァー村での情報を共有しようと近寄ったところに、馴染みの面子の最後の一人がごく自然に同席していたことに感嘆を零す。
「あ、ここに居た! 探したよ、二人とも…あれ? カーヴェも合流してたんだ」
「やあセトス、君もこの件について協力していたとは」
意外だと驚いた様子で微笑みかけ、アルハイゼンごと彼を座らせようと手招きするカーヴェ。
セトスは仲間達と距離を縮めこそすれ、客ではない身として店への遠慮からか立ったままで自分が一枚噛んでいた理由を語り、簡潔にガンダルヴァー村側の状況を伝える。
「まあ、サージュには色々と世話になってるからね。それで報告だけど、彼女は今頃ティナリ達とキャンプしてるから安心して。あの様子なら、明日の朝…いや、昼くらいまでは向こうで過ごすと考えて大丈夫」
「…情報、感謝する」
「いいよいいよ、道中も楽しかったから。ちなみにこっちはどう? 仲直りの手は見つかった?」
アルハイゼンからの目礼に軽く手を振って恐縮を告げ、彼らの状況が好転しているかを問う。
晴れ晴れとした表情から判断する限りでは、少なくとも何かしらの打開策は見つけられたのだろうと予想して、その希望的観測を上回る返答に、セトスは彼への評価を改めなければと息を呑む。
「あぁ。これから、彼女に贈る為の花を買いに行くところだ」
他に用がなければ話はこれで終わりだと視線で訴えて、暗にそこを退けと告げるアルハイゼン。
少年は敢えてマイペースを装って納得を口にして、断られるのを前提に最後の助力を申し出る。
「ふうん、それが君の答えなんだね。花かあ…一軒いいお店を知ってるけど、案内してあげようか?」
「大丈夫だ、既に目星はついている」
不敵な笑みを以て返答とし、男はその場の全員を置いて去って行く。思慮深い彼にしては珍しく向こう見ずな猪突猛進ぶりに、砂漠の民の血を引く二人はすぐに反応出来なかった。
「あっ、おいアルハイゼン!」
脇目も振らず家主を追い掛けるカーヴェの背が見えなくなった頃、我に返ったセノが残った同胞へと意思を確かめる。
既に満足したセトスはこれ以上の介入は野暮だと肩を竦めてみせ、街に来た本来の目的を果たすべきことを思い出させる。
「どうする、俺達も追うか?」
「いいんじゃない? 好きにさせてあげなよ。僕だって、アルハイゼン達の痴話喧嘩を仲裁する為にシティに来た訳じゃないんだからさ」
「…それもそうだな。後はカーヴェに任せよう」
―
騒動の始まりから一夜明け、まだ陽が昇りきらぬ頃。コレイ達と同じテントで寝泊まりしていたサージュは、聞き覚えのあるふたつの足音で目を覚ます。
「…アルハイゼン、来たみたい。歩き方からして、一緒に居るのはカーヴェ先輩だけかな。ん…包み紙? 何かガサガサしてる音もする」
「ふぁぁ、そうだな…ってあれ、師匠は?」
起床から間もないことも相俟ってまだ音の判別には至らなかったコレイは、適当な相槌を返すしか出来ず。
大きな伸びをして眠い目を擦り、来訪者を迎える為に身なりを整えねばと周囲を見渡して、師匠たるティナリの姿が見当たらないことに違和感を覚える。
その彼はと言うと、先んじてテントの外で男達を待ち構えており、遠巻きに見えた緑と赤に手を挙げ牽制の意図を孕んだ棘を吐く。
「思ったより早かったね」
色とりどりの
普段はそういった風情を理解する気もない彼がわざわざ非礼の詫びを用意するという異常事態に、余程今回の件が堪えたのだろうと察して苦笑し、緊張を解すように揶揄する。
「これ以上すれ違うのはごめんだからな」
「ふふっ、それでその花束って訳か。君らしくもない」
「好きに解釈してくれ」
予想に反してアルハイゼンは泰然とした態度で答え、落ち着いた様子で抱えていた花束を握り直す。
包みの擦れる音でサージュを呼び立てる算段だと見抜いたティナリは、今はまだ彼女は心の準備が出来ていないからと時間稼ぎを試みる。
「ちなみにその花は、君が自分で選んだの? それともカーヴェ?」
「僕は何も…いや、今その話をするのは無粋だ。後で詳しく話すから」
早いところアルハイゼンとサージュを二人きりにしてやって欲しい――皆まで言わずに目だけでそう懇願するカーヴェに根負けし、少年は小さく息を吐いて背後のテントを一瞥する。
「…どう、サージュ。そろそろ出て来れそう?」
「ん…今出るから、ちょっと待って…」
「えいっ」
すぐに了承を伝えこそしたものの、顔を合わせるには勇気が足りずテントの布を握ったまま俯くサージュ。
出入口を塞がれ、 出るに出られなくなったコレイが痺れを切らし、隙を突いて少女の背中を突き飛ばす。
「わっ?!」
有無を言わさず外に放り出され、バランスを崩し転びそうになる。寸でのところで身体を支え事なきを得たところに、アルハイゼンは柔らかな笑みと共に手を差し伸べた。
「おはよう、サージュ。相変わらず忙しないな」
「違っ、今のはコレイちゃんが…」
お転婆ぶりを揶揄されたと捉えたサージュはそっぽを向いて不貞腐れ、差し出された手を阻む。
しかしすぐにそれはただの他責で八つ当たりでしかないと考えを改め、恐る恐る視線を戻す。
「…なんでもない」
口を尖らせつつアルハイゼンの手を取り、けれど気恥ずかしさから再び目を逸らしてしまう。
気まずい沈黙を破ったのは、テントの中からサージュを突き飛ばした後、出るタイミングを失っていたコレイ。
気配り上手なレンジャー長から学んだ対応力を存分に生かし、彼女達を二人きりにさせるべく青年を呼び寄せた。
「サージュ。あたし達は朝の訓練に行ってくる。せっかくだから、カーヴェさんも着いて来てくれ」
「わかった、すぐに行く」
発言の意図を察し、カーヴェはそそくさとティナリ達に続く。ただ少なくとも彼は、ルームメイトが恋人ときちんと和解出来るか気が気でなく、後ろ髪を引かれる思いだったが。
「アルハイゼン、それ…ヒヤシンス?」
先導するティナリは立ち去ったと見せかけて物陰に隠れ、三人は当たり前のようにサージュ達の動向を見守る。
彼女は監視に気付かぬふりをして口を開き、恋人が持ってきた似合わないにも程がある花束について問う。
風信子。色によって様々な花言葉を持つその可愛らしい品種について語った記憶を、まさか覚えていてくれたとは思えず、語尾には疑問符が残る。
「そうだ」
淡々と頷いて、事実だけを肯定する。余計な言い訳や感情の吐露は不要だとそれ以上は何も言わず、アルハイゼンはそっと彼女の手に花束を握らせる。
「…白、黄色、青、あ…紫も混ざってるんだ」
渡された花束を彩る花弁の色を指折り数えて、真意を知ったサージュの声色が変わる。
"心静かな愛"、"貴方となら幸せ"、"変わらぬ愛"――そして、"悲しみを越えた愛"もしくは"
直接口に出すには気障な愛の囁きに混じって、今回の件に関して少なからず罪悪感があったのだと察せられるその色のチョイスに、彼女の瞳が熱を帯びる。
「サージュ」
「ん…大丈夫。泣いてない、目にゴミ入っただけ」
胸を貸そうと腕を広げかけたアルハイゼンの優しさを突っ撥ねて、サージュは花束で巧妙に涙を覆い隠す。
「えっと、お花…ありがとう。選んだの、カーヴェ先輩?」
滲む涙を密かに拭う傍らで、彼が自ら風信子を選んだとはどうしても認められず、態とらしく同行者の名を挙げる。
しかしそれでもアルハイゼンが首を縦に振ることはなく、世話焼きの介入はその手前までだと腕を組む。
「花を買うに至るまでの紆余曲折にはあいつやセノも関わっているが、最終的に品種を決めたのは俺の意思だ」
「そ、そう…なん、だ」
真摯な眼差しに頬が熱くなり、まともに言葉を紡ぐことさえ儘ならなくなるサージュ。
感情の制御を手放して、今にも彼の胸元に飛び込んでしまいたいと思う傍ら、友人達が見ている手前それは絶対に出来ないと拳を握り締めて堪える。
「俺は紫色の風信子だけあればいいと言ったんだが、花屋の店主が他の色もと聞く耳を持たなかった。それ以外にも、詫びの気持ちを伝える花なら色々あると不要なものまで押し付けられそうになって…」
沈黙を嫌った男は恣意のままに言い訳を並べ立て、この花束を購入した際の苦悩を零す。
当時の彼が余程焦って見えたのか、あるいは。サージュは想像もつかない光景に思いを馳せ、くすりと笑んで恋人を揶揄う。
「ふふっ。アルハイゼンが気圧されるなんて相当だね。でも、他の花は混ざってないってことは…ちゃんと断れたんだ?」
「…うん」
「そっか、ならよかった。いくら花言葉が近くても、あれもこれも一緒くたにしちゃったら…見た目の調和が取れなくなるからね。キミはそういうの無頓着だから、あればあるだけ良いってならなかったの、偉いよ」
爪先立ちになって幼子をあやすように男の頭を撫で、少女は最善の選択を称賛する。
彼もまた誇らしげに首を傾けて掌の温もりを享受し、サージュがいつも通りの笑顔を取り戻した喜びを噛み締めた。
「あぁ」
「ちょっとアルハイゼン、ちゃんと聞いてる?」
生返事にしか聞こえぬ曖昧な相槌に、冗談めかして問うサージュ。アルハイゼンの答えは、彼女の想定を大きく覆すものだった。
「勿論。俺は君の言葉を聞き漏らしたことも、忘れたこともないよ」
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