短編集
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「サージュ。今日のデートが終わったら、君を抱こうと思っている」
レストランで食事をする最中、アルハイゼンは対面で共に食事を楽しむ恋人へとそう宣言する。
「? …うん、わかった」
しかし、当の彼女は男の一世一代の布告を正しく理解していないのか、至って平静を保ったまま頷くのみであった。
あまりの反応の薄さに肩透かしを食らった感覚に陥りつつも、行動を以て理解させてやるのが最も確実だと小さく嘆息を吐き、それ以上は発言については追及せず話題を転換させる。
「ところで、以前から君が話していた本を昨日ようやく読み終えたんだが」
「んと、どれのことだろ…フォンテーヌのクロックワーク技術発展の推移について纏めた本? それとも璃月の海灯祭テーマ集…あっ、もしかして二十九オーシャンデイズ同盟の?」
彼がそう告げた途端、薦めていた本を指折り数えて片っ端から列挙していく少女。
だがその当てずっぽうも虚しく男は静かに首を振り、そのどれでもないと否定を告げるのだった。
「…モンドの風神信仰についての本だ」
「ああ! あれねぇ…書いてあること自体はそんなに悪くはないんだけど、現地の人との温度差は少し感じたかな。実際はそこまで熱意のある人は今は多くないみたい」
「ふむ」
言われてすぐさま納得し、水を飲みながら嬉々として語り始める少女に、興味津々と言わんばかりに耳を傾ける。
職業柄、他国へ赴く機会のそう多くない彼にとって、研究の為にならどこにでも足を運ぶサージュの話は、並の本よりも余程価値の高いものであった。
「でも、モンド城は本当に風神様への信仰が浸透しているんだなぁ…って思うと、やっぱり憧れるよ。"風神様のご加護があらんことを"…そんな祝詞をごく普通に言える国に、スメールもなれたらいいのに」
自由の国への旅路を懐古していく内に込み上げてきた寂寞を押し隠すべく、少女は眉を下げて微笑む。
モンドの繁栄をその眼で見届けて以後、誰も姿を見た者のいない風神と、魔神戦争から現在に至るまでスラサタンナ聖処に籠りきりの草神とでは、状況自体はそう変わらない筈なのに、何故風神バルバトスはあれだけの強い信仰を保っているのか。
否、どうして草神クラクサナリデビへの敬意が失われて久しいのか。知恵の国に於ける歪みを受け入れられず、彼女は日々邁進し続けていた。
「…ごめん。暗い話になっちゃった。ね、パフェ頼んでもいい? カップル限定のおっきなやつ!」
自らが招いてしまった沈鬱な雰囲気を払拭しようと、敢えて道化を演じてそう強請る。
元より憧れであった甘味をここぞとばかりに注文しようとメニュー表のページまるごとを占めるその画を指差すも、糖分をあまり好まぬ二人で果たして完食出来るのかという不安が先行する巨大さに、アルハイゼンは易々とは頷けなかった。
「君が残さず食べきれると約束出来るのなら、俺は止めはしないが」
「えっ、一緒に食べてくれないの…?」
口許に両手を運んで脇を締め、更に首を傾げて瞳を潤ませるという、あまりにも露骨な仕草で甘える少女。
傍目から見ればいっそ滑稽だとすら感じられる希求だが、一周回ってそれすら愛らしいと思える男は、彼女の願いを拒むつもりは一切なくなっていた。
「いいだろう。ただ、元々それを食べることを計算に入れていなかったから、俺が手伝えるのは…精々三割が限界といったところか」
腹の満たされ具合と盛り付けられた器の大きさを考慮し、自分が問題なく食せるであろう量を示す。
申告が想定を下回っていたのか、少女は驚いたように一瞬だけ目を見開き、決断を先送りにしてメニュー表をテーブルに伏せる。
「上に乗ってるヴァルベリーはそこまで重くないとして、あとは生クリームとチョコレート、中身はスポンジが殆どだろうから…うん、明日以降の腹筋とスクワット増やせば多分大丈夫な筈…!」
「…」
顎に指を当て、パフェを構成する材料をぶつぶつと呟き、本当に注文しても問題ないか確かめる。
どうやら必死に摂取カロリーとそれを消費する為の運動量を計算しているらしいが、徒労でしかないと男の視線は冷ややかなものだった。
それもその筈、彼はとうの昔からサージュに惚れ込んでおり、多少見た目がふっくらとしたところで幻滅することなど有り得ないと断言出来る程である。
尤も、その熱情を伝えたところで、彼女が素直に受け入れてはくれないことも熟知していた。
故に静観する以外に取れる選択肢はなく、男はグラスに残っていた僅かばかりの水を喉奥に流し込んで待つ。
「じゃ、注文するよ。他に何か追加で頼むものある?」
伏せていたメニュー表を再び持ち上げ、ようやく覚悟を決めたらしい少女が、視線で店員を探す傍らでそう問い掛ける。
アルハイゼンは飲み干したグラスとテーブルの水差しを交互に見つめ、残った水では甘さに耐え切れないだろうと推測し、食後のデザートに合わせる飲料を求めた。
「そうだな…甘いものを食べるのなら、それを中和出来る飲み物が欲しい」
「うーん。無難なのはやっぱりコーヒーだけど、個人的には紅茶もいいかなって思ってる」
メニュー表のページをぱらりと捲り、彼女はこの店の豊富なドリンクの一覧を見せる。
珍しい素材を使っているからなのか、聞き慣れない呪文のような品名の羅列に、最適解を考える気力が失せた男はすぐに視線を上げる。
「では、今日は君に従って紅茶を飲むとしよう。お勧めはどれだ?」
「んと…私はこの…アップルティーにしようかな。あ、でもアルハイゼンはもう少し苦味のあるものの方が…」
「問題ない。たまには嗜好を合わせてみるのもいいだろう」
少女の懸念を遮って、恋人と同じ味を堪能したいと微笑む。日頃友人達には利己的だと称されている男からの意外な申し出に、彼女は表情を綻ばせた。
「…ふふっ。ありがとう、嬉しい」
近くを通りかかった店員を呼び止め、先述のパフェとアップルティーの注文を済ませる。
それらが運ばれてくるのを待つ間、今度はサージュが最近読み始めた本の内容を元に、再び議論を交わす。
「そう言えば…私が昨日の夜読んでた本では、スメール出身で他国に旅立った人が、大人になってから夢を見た…って記述があってさ」
「ほう、俄かには信じ難い話だが…有り得ないとは言い切れないか」
「共同著者に、その人を弟子にした稲妻の剣士さんが居て…師弟で寝食を共にしていて発覚したこの事実を、教令院での研究に役立てて欲しくて書いたものみたい」
スメール人は夢を見ない。より正確に言えば、スメールに暮らす人々は皆、大人になるにつれて夢を見なくなっていく。
いつの頃からか国内ではそれが常識となっており、教令院内でも夢に関する題材を扱おうとする者は皆無だった。
当たり前だと思っていた事象の認識を覆す本との出逢いに、彼女は今から読了後の満足感に期待を馳せているらしかった。
「まだ最初の方しか読んでないから、スメール人が見た夢がどんな風に書かれてるか…楽しみにしてるんだ」
「サージュ、それで思い出したんだが…君達の一家で各地を渡り歩いていた頃に、その話題が上がったことはなかったのか?」
自分には長らく無縁であった夢について、一考の余地があると悟ったアルハイゼンが、かつてフォンテーヌ出身の父に連れられて各国を旅していた少女へと問う。
「私はまだ子供だったし、お父さんはスメール人じゃないから…二人でなら、その日見た夢の話をしたことはあるよ。でも、お母さんは絶対に混ざって来なかった」
眉を下げそう語り、今となっては真実を知る術はないと寂寞をひた隠しにして微笑むサージュ。
母親は間違いなくスメール出身、アアル村で生まれ育った身だが、彼女が教令院に入学する前日に火事で亡くなっており、真相を確かめることは終ぞ叶わぬ願いとなってしまっていた。
「…そうか。ちなみに、当時の君達父娘がどんな夢を見た話をしたか、覚えているか?」
「んー…あっ、一回だけ同じ夢を見た日があったかな。前日に長い船旅をしてたからなのか、ずっと海の上で彷徨う夢…今思うと、結構恐かったなぁ」
恋人からの問いに旧懐を深め、過去にたった一度しか経験したことのない奇妙な偶然を語る。
その夢がどのような意味合いを持つのか、夢に関する見識の浅い彼らは知る由もなかったが、少なくとも幸福の感情とは程遠いことだけは察せられた。
「アルハイゼンは、小さい頃に見た夢…何か覚えてる?」
ごく自然に、少女は疑問を投げ返す。彼にも夢を見られる幼少期があった筈だと期待に満ちた目で見つめるも、残念ながら答えは否であった。
「いや。昔の俺には、そのような無意識下の光景を記憶する余裕はなかったからな」
「あははっ! アルハイゼンらしいね」
男は幼い頃より文明の利器たるアーカーシャに頼り切ることはなく、両親の遺した紙の書物と日々戦いを繰り広げていた。
そんな多忙を窮めていた彼が、睡眠時の深層心理に対して意識を割く暇はなく、故にいつかの日に見た夢を覚えていないのも当然と言えよう。
少女はその否定を現実主義者である彼らしいと笑い飛ばして、けれど夢を語り合えぬことに少しだけ寂寥を抱く。
「スメールでも、いつか誰もが夢を見られるようになるかな?」
「可能性はあるんじゃないか」
胸の内に残る寂しさを払拭しようと、サージュが感慨深げにそう呟く。ロマンチシズムに溢れた希望的観測に、彼は意外にも肯定的な反応を見せた。
「…へえ、てっきり"有り得ない"って言うのかとばかり」
「君の本がもし真実を書いているのなら、"スメール人は夢を見ない"と言う事象が、スメール人の種族的特徴ではなく、国内限定の現象だと仮定することが出来る」
「あ、そうなると、お父さんみたいに他国から来た人も、実はこの国にいる間は夢を見られなくなってたのかも…?」
アルハイゼンの理路整然とした仮説を聞く内に、己の父がそれを証明出来得る対象であることを思い出す。
とは言え彼女の父親は現在はスメールには居らず故郷フォンテーヌで暮らしており、夢について今すぐに確かめる術はなかった。
「恐らくはそうだろう。尤も、そこまで解明したところで、何故スメールで夢を見ることが叶わないか、までは依然として謎のままだが…ん?」
議論の終焉を告げるが如く、先程の彼女が注文したパフェと紅茶が二人の元に運ばれてくる。
想定していたよりも一回り大きなその器に、試算した許容量を下方修正する必要がありそうだと男は眉を顰めた。
「…予想外だ」
「とりあえず…頑張って食べようか」
「あまり期待はしないでくれ。この分だと、二割処理出来れば上々だと思っていい」
冷ややかな目でそう告げる男を余所に、彼女は一口目を味わった直後、間髪入れずに二口目を食す。
その表情は彼とは真逆と言っても良い程に輝いていて、アルハイゼンはどういうことかと訝しむ。
「大丈夫、これなら私一人でも食べ切れちゃいそうなくらい。キミも食べてみてよ」
したり顔で自信を示しつつも、やはり恋人と共に美味を堪能したい欲から、甘味を載せたスプーンを彼の眼前に差し出す。
二割に減らしこそしたが、食べないとは一度も言っていない彼は渋々それを口に含み、意外にもスッキリとした味に目を見開く。
「はい。あーん」
「む…思ったよりは甘さがくどくないな。見た目からして喉に纏わりつくタイプだと思っていたが」
視覚からの印象とは全く異なる爽やかな食後感に、これなら確かに彼女一人での完食も不可能ではないと密かに納得する。
サージュは恋人からの好反応に同意を示し、自宅で同じ味を楽しめないかと思慮を巡らせる。
「でしょ? どんな素材使ってるんだろう、後で再現してみたいな…」
そう独り言ちてすいすいと食べ進め、男は気紛れに分けてもらう程度で、彼女は最初に宣言した通り殆どを一人で平らげてしまった。
「ふう…美味しかった。でも、このバランスの良い甘さの秘訣は最後までわかんなかったな…」
食後のアップルティーを喉に注ぎ、パフェへの感動と未解明のまま帰結を迎えた程よい甘味への懐疑を呟く。
再現が困難ならまた食べに来ればいいのに、そう思うアルハイゼンだったが、その視線を見透かしていた彼女は頬を膨らませて反論を騒ぐのだった。
「あ、そうやってすぐお金に頼ろうとする! 私がキミに作って食べてもらいたいのに…もぅ」
「それなら別に、このパフェに拘る必要はないだろう。俺が君の手料理を喜ばなかったことがあるか?」
淡々と説き伏せられたことで完全に不貞腐れて口を尖らせ、それでも嘘だけは吐かず正直に答えるサージュ。
彼の言う通り、手製の菓子にしろ料理にしろ、それらを否定されたことは一度たりともなかった。
「ない、けど…」
「理解しているのならいい。君はもう少し、外食産業の重要性を学ぶべきだ」
諌めるような口振りでそう告げて、男はカップに手を伸ばす。少女は口角がいつもよりも上向いていたのを見逃さず、相変わらず照れ隠しが下手だと噴き出して微笑を零す。
「アルハイゼン、紅茶が気に入ったのなら素直にそう言えばいいんだよ」
その後、二杯ずつを追加で飲み干して十二分にアップルティーを堪能してから、彼らはようやく店を出る。
ゆったりとした時を過ごしたことも相俟って太陽はすっかり身を潜め、街灯に明かりが点る頃合となっていた。
二人はどちらからともなく少女の家へと歩き出し、往来を行く人々に見えないよう隠れて手を握る。
「…サージュ?」
「えへへっ」
握られた手の温かさと朗らかな笑みに、レストランでの宣誓はやはり彼女には伝わっていなかったのだと悟る。
独り善がりの虚しさに、発言を撤回し今夜はこのまま玄関先で別れを告げるべきかと考え始めていた男に、家の鍵を開けた少女が徐に手を引く。
「今日のデート、楽しかった。ありがとうアルハイゼン」
図らずも向き合って立つ形になり、妙な緊張感が漂う。アルハイゼンが感謝の言葉に頷くと、彼女は嬉しそうに笑みを返し、そして。
「それで…その」
一旦そこで言葉を止め、ゴクリと生唾を呑み込んで、サージュは恐る恐る両腕を広げる。
俯きがちに、けれど視線は真っ直ぐに恋人へと向け、可愛らしく首を傾げて恋人へとアピールしてみせた。
「…抱く?」
心臓が飛び出しかねない程に限界突破した愛しさに、男は力強い抱擁を以てその想いに応える。
言うまでもなく、ただその身を抱き締めるだけには留まらず、言葉の裏に隠された意図を理解させる行為に及ぶという覚悟の上で。
「勿論だ」