短編集
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「千霊祭に不穏なティナリあり」
「うーん、ちょっと微妙かなあ。ティナリ君、フォンテーヌのお祭りになんて行かないでしょ」
「そうか。ならこういうのはどうだ?」
知恵の殿堂の一角、氷牢の少女が籠城するいつもの場所に、アルハイゼンは意外な先客を見つける。
どうやら彼は自分の考えたギャグを精査してもらっているらしく、男は思わず本棚の陰に隠れ二人の様子を窺うことにする。
「さっきよりも酷いよ、全然掛け言葉になってない」
次に披露したのは、全く面白さの欠片もない稚拙なものだったが、そのつまらなさが逆に少女の琴線に触れたのか、彼女は笑みを堪え切れず肩を震わせていた。
「サージュ…どうして面白くないのに笑っている?」
陰で彼らのやりとりを聞いている男と同じ疑問を抱いたセノが、不思議そうな顔で少女を見つめる。
その問いに対し、彼女は治まらない笑いを懸命に鎮めようと大きく息を吸い、ようやく平静を取り戻し答えた。
「はぁ、なんでだろうね…いつも厳格な大マハマトラ様のセノ君が、裏ではこうして大真面目にダジャレを考えてるっていうギャップがいいのかな」
「…よくわからないな。もしお前の仮説が正しいとすれば、もっと多くの人間が俺のギャグで笑ってくれてもいいと思うんだが」
「他の人に笑えっていうのは難しいんじゃないかなあ…だってみんな、大マハマトラ様相手に委縮しちゃって、それどころじゃないだろうしさ。あ、でも…」
サージュから提示された理由に、言われた本人はその言葉の真意が掴めず首を傾げる。
彼女自身も明確な根拠のない持論には懐疑的な思いを抱きつつ、ふと他の友人達の反応を想起し、そして。
「その理論で行けば、カーヴェ先輩やアルハイゼンは…もう少しくらい、セノ君のダジャレで笑ってくれてもいいのにね」
「!」
唐突に名を呼ばれ、本棚の裏で盗み聞きしていた男が気取られたかと一瞬だけ警戒を強める。
しかしその不安は杞憂に終わり、彼女は変わらぬ様子で少年との何気ない会話を続けるのだった。
「二人なら、セノ君が大マハマトラだからって萎縮することもない筈でしょ?」
「どうだか。あいつらは最初から俺のギャグを聞いていない節があるからな。まともに聞いたとして、それで笑ってくれるかどうか…」
悲観に満ちた、けれど的確な自己分析に、物陰からつい同意せずにはいられなくなるアルハイゼン。
彼にとっては渾身のネタであろうとも、知論派――もとい言語のプロである身にしてみれば、等しく聞く価値のないものでしかないのだ。
「そっかぁ…確かに、聞いてもらうところから始めないといけないのは骨が折れそうだね…」
泣く子も黙る大マハマトラの密かな悲嘆に対し、眉を下げて同情心を露わにするサージュ。
彼の悩みが相談事としてはどれだけ瑣末であっても、決して無下にすることなく親身になって接する様に、男は胸の奥が軋むような錯覚を抱く。
「でも私は、セノ君のダジャレ…嫌いじゃないよ。どっちかと言うと…好き、かも」
ガタン。男の手元に握られていた本が滑り落ち、物音に気付いたセノが警戒心と共に立ち上がる。
音の正体を確かめるべく、迷いなくその方角へ向かおうとして、寸でのところで少女は彼を引き止める。
「誰か居るのか?」
「私、見てくるよ。セノ君はここで待ってて」
少女が一歩踏み出したのを見計らい、すかさずアルハイゼンは不意に物音を立ててしまった位置から距離を取る。
それから彼女が目指す場所とは全く別のところから姿を現し、二人の抱く疑念を可能な限り薄めさせる。
「ん? セノか。君がこちらに来ているとは、珍しいな」
更に、あくまで偶然を装ってそう声を掛け、本来のこの一帯の主たるサージュを探す素振りを見せる。
突如現れた友人――否、この場合は同僚と称するべきか――の、至って自然に振る舞う様に声も出ない彼は、無言のまま少女を一瞥し、何用かと目で訴える。
「アルハイゼンの方こそ、今日は来ないんだと思ってた。また仕事サボり?」
「サボりではない。ないものを処理することは出来ないからな」
「へえ、珍しいね。セノ君、明日雨降るよこれ」
職務放棄を揶揄されるも、それをものともせず、既に真っ当に向き合った結果が現状だと告げ、少女が元々座っていた席にどっかりと腰を下ろす。
彼女は男のマイペースぶりを認め、奪われた居場所の代わりに彼とで少年を挟むようにして座り、悪戯好きの悪童のような声で耳打ちする。
スキンシップに不慣れな少年は無防備な肩を突かれ、これは一体どういうことかと困惑に目を見開く。
そうしてわかりやすく驚きこそすれ、万が一にも背後の男にこの焦燥を悟られてはなるまいと懸命に堪えようと努め、彼女の声に頷いた。
「ッ…そうだな」
「君達…俺が仕事を早めに終わらせた程度で雨が降るのなら、スメールシティは延々と雨季が続くことになるが」
生返事に深々と溜息を吐いて、アルハイゼンは彼女達からの何の根拠もない散々な罵倒を咎める。
諫言を受けた少女は、あっけらかんとした様子で納得の首肯を示し、誠意の見えない謝罪を吐く。
「それもそっか。アルハイゼン、明日の雨をキミのせいにしてごめんね」
「…はぁ。どうしても雨を振らせたいのなら、素論派か妙論派にでも頼み込んだ方が確実だろう」
表面上は非を詫びてこそいるものの、尚も降雨を願い続けるサージュ。その執拗さに得体の知れぬ違和感を覚えた男は、投げ遣りな態度で彼女をそう突き放す。
「なるほど、頭いいね。じゃあちょっと、天気の操作を研究してるチームがないか探して…」
「待て、サージュ…こいつの言葉を本気にするな。お前達、いつもこうなのか?」
"助言"を聞くや否やそれを鵜呑みにし、本当に走り出そうとした彼女を引き止め、セノが呆れ眼で男を一瞥する。
憤慨する寸前といった表情で振り向いた少女も含めた二人の視線を受けた彼は、仏頂面を保ったまま肩を竦め、淡々と大マハマトラの尋問に答えるのだった。
「まさか。確かに彼女の突拍子もない言動には常々驚かされてはいるが、ここまで何を考えているか全くわからないのは、今日が初めてだ」
理解出来ないと言わんばかりの拒絶に唇を食み、少女は顔を背ける。諦め切れない願望を吐き捨てて、自分だけでその望みを叶える手段を模索しようと大きく息を吸う。
「別に…キミにわかってもらえなくたっていいよ。ただ…どうしても明日までに、スメールシティの空に架かる虹を見たかったってだけ」
「サージュ、残念だが今の時期は…」
「そうか。なら噴霧器を造るか借りるかすれば、君の願いが叶えられる可能性が増す。セノ、君の後輩にそういった当てはあるか?」
悲壮を聞いたアルハイゼンは掌を返したように身を乗り出し、素論派出身の専門家の否定を遮る。
彼が突如として見せた妙なやる気にあてられた少年は考えを改め、大切な友人のささやかな願いを叶えるべく、強力な助っ人の名を挙げて笑む。
「"後輩"にはない。だがあいつなら…稀代の大建築士であるカーヴェなら、その程度は造作もない筈だ」
「…! アルハイゼン、先輩の居場所わかる?」
セノから青年の名が挙がった途端、一寸の迷いなく彼の同居人である男の方へ向く少女。
彼らは紆余曲折を経てひとつ屋根の下で暮らしていると言えど、常に互いの行動を把握している訳もなく、その問いには答え難いというのが本音であった。
しかし、彼女にとっては幸いなことに、今日だけはその前提が覆され、男は居候が何をしているか知っていた。
「朝から上機嫌な様子で酒を飲んでいたから、今頃は…納期との戦いを終え、安らかに眠っているところだろう」
「そっか、じゃあ…起こしちゃ悪いよね」
家主からの報を聞き、その調子では助力を得るのは困難かと消沈する少女だったが、横からもうひとつの声がその落胆を否む。
「いや…俺は、後輩の手本になるべき先輩が、昼から飲んだくれて寝ている方が余程質が悪いと思うぞ」
そう言って意気揚々と立ち上がり、彼は今すぐにでもカーヴェの元に向かう意志を見せる。
少女はその思い切りの良さに驚愕しつつも微笑んで、善は急げと言わんばかりに男の手を引く。
「ふふっ、それもそうだね。行こ、アルハイゼン」
有無を言わさず腕を掴まれ、男はこういった状況での彼女達の行動力の高さを見誤っていたことを悟る。
たとえ多少なりとも心を許した友人達と言えど、ぞろぞろと連れ立って自宅にやって来られては堪ったものではないと、二人の熱意に水を差す覚悟で制止を求めた。
「待て。全員で家に来るより、手分けして行動した方が合理的だ」
「確かに、それも一理あるな。だとすれば、カーヴェへの説得はお前に任せてもいいということか?」
すぐに言葉の真意を察知し、暗に二人が暮らす家屋への訪問を控えるべきだと少女に示すセノ。
彼女は慮外の提案に一瞬だけ大きく目を見開くも即座に納得し、そっと手を離して男の返事を待つ。
「ああ、とりあえずはその認識で問題ない。どうしてもあいつが首を縦に振らないようだったら、君達にも来てもらう必要はあるかもしれないが」
離れて行った手を名残惜しく一瞥し、アルハイゼンは我ながら面倒な役割を買って出たものだと密かに自嘲する。
けれども、その面倒が不思議と嫌ではなかった。少女の為になら難儀な"先輩"を懐柔するという使命も易々と請け負える程度には、男は彼女に好意的な想いを抱いていた。
尤も、意外なことに彼がその事実を自覚したのは、たった今、まさにこの瞬間のことであった。
「…」
一向に動き出さない男を訝しんで、少女が首を傾げる。意識してしまったが最後、彼女の一挙手一投足が愛しく思えてしまい、今はそれどころではないと眉間に皺を寄せる。
「どうしたの?」
「何でもない。あの石頭をどう説得するか考えていただけだよ。君達は俺に構わず、他の準備をしてくるといい」
「わかった。そしたらキミは、カーヴェ先輩を連れて私の家で待ってて」
小さく嘆息を吐いて雑念を振り払い、それらしい言い訳を告げて少女の不安を取り除く。
彼女はその誤魔化しを疑うことなく信じ、己の望みを叶えるべくセノと共に駆け出して行った。
「また後でな」
――
「ふあ…ぁ。虹が見たいだなんて、あの子にも案外まだ子供らしい夢があったんだな」
サージュの家の前、うたた寝していたところを叩き起こされた青年が欠伸を咬み殺しながら呟く。
手には謹製の小型噴霧器を携えており、本人さえ来ればいつでも虹を見られる用意が整っていた。
「即席で作ったから、動作の保証はしかねるが…彼女の氷元素のエネルギーを用いれば、水がなくとも虹を拝める筈だ」
「ふむ。流石は妙論派の星、と言うべきか。突然の無茶振りにも難なく対応出来るフットワークの軽さは尊敬に値する」
「あのなあ…これはサージュの願いだから受け入れたんだ。いくら僕でも、誰彼構わず頼みを聞く余裕は…」
口論の火蓋が切って落とされる寸前、渦中の少女が慌ただしく二人の男達の元へ駆け寄る。
同行していたマハマトラも遅れて現れ、人工的に虹を作り出す装置の稼働申請に難航していたと愚痴を零す。
「ごめん、お待たせ!」
「思った以上に事務手続きに手間がかかった…教令院の書類管理の仕組みを見直した方がいいかもしれないな」
話があらぬ方向へ脱線する気配を機敏に察知し、その流れを作り出した少年を咎め、彼女は逸る気持ちを抑え青年へと向き直る。
「もうセノ君、今はそういうの後にしよ。先輩、その機械を使えばすぐに虹が出せるの?」
「いや、この装置は完全じゃない。水か、もしくは氷元素のエネルギーがないと動かない…つまり、君の力が必要になる」
同居人へと呟いたのと同じ説明を告げて、願いを叶えるのはあくまで彼女自身であるべきだと託すように装置を差し出す。
それを受け取った少女の横から、素論派として四人の内最も虹の仕組みに詳しいセノがアドバイスを授ける。
「虹が見えるようにする為には…そうだな、このくらいの角度に固定すれば丁度よくなる筈だ」
「うん、じゃあ…やってみるね」
教えの通りに噴霧器を構え、サージュは自らの手にありったけの氷元素の力を込める。
周囲一帯を冷気で覆い尽くすつもりかと疑いたくなる強大な力によって作られた薄霧、それが晴れる頃には、彼女が願った幻想的な光景が広がっていた。
「おぉ…! 想像以上だ、凄いじゃないかサージュ!」
「ほう。思っていたよりもハッキリと視認出来るものだな」
自分のことのように幸甚の笑みを浮かべる青年に釣られ、アルハイゼンもまた感嘆を零しては、蒼穹に架かる虹をじっと見つめる。
スメールシティでの生活ではそうそう目にかかることのない稀有な景色に、望みを叶えた当の本人は言葉も失いただ見惚れるばかりであった。
「…」
やがて空気中の水分が大気に混ざり、虹の煌めきが次第に弱まっていく。男達は何も言わずにその様を見守り、その輝きが完全に消失した頃、少女は気が抜けて尻餅を着いてしまう。
「サージュ。どうしてお前が、あれだけ虹を見たがっていたのか…聞いてもいいか?」
「あ、セノ君…ごめん」
彼女の隣に立っていた少年が、至って冷静さを保ったまま手を伸ばし、事の発端を問い掛ける。
サージュは差し出された手を取り立ち上がりながら、ずっと叶えられなかった"夢"の始まりを語る。
「…あの夜、お母さんと約束してたの。あれだけの雨なら…晴れたら虹が出るはずだから、起きたら一緒に見よう、って」
悲愴と共に紐解かれるのは、少女が瀕死の重傷を負い、そして母を喪った"あの夜"の記憶。
雷雨が過ぎ去った朝には虹が見えるだろうと微笑を浮かべる母との約束を、彼女は今も忘れることが出来ず胸を痞えさせていた。
「過去のことにいつまでも固執してちゃいけない、そう頭ではわかってても…それでも、諦めきれなくて」
「成程、だから毎年この時期になると降雨を願っていたのか」
例年の不審な挙動を想起して、一人納得した様子で頷くのは、最も彼女と長い期間共に過ごして来たアルハイゼン。
少女は今にも泣き出しそうな瞳で、けれど落涙を懸命に堪え頷き、謝意を込めて笑んでみせた。
「ん、そう。でも…今日これだけ綺麗な虹をこの目で見れたから…もう大丈夫。改めてありがとう、みんな」
深々と頭を垂れて精一杯の誠意を伝えるサージュへ、青年が顔を上げるよう促す。
「こちらこそ、いいものを見させてもらったよ。次にデザイン案を出す時は、今日の虹をモチーフに描こうと思う」
「カーヴェ先輩…」
完全に自分本位な事情で巻き込んだにも関わらず、己の糧になったと断言するカーヴェに、少女は感謝してもしきれない喜悦に言葉が出なくなる。
この溢れんばかりの想いをどう返すべきか、虹の消えた雲ひとつない空を見上げ思惟し、ここはやはり食事会を開くのが最善だと判断する。
「なんだろ、満足したからかな…お腹空いてきちゃった。今日のお礼に、ご飯奢らせてくれる?」
「え、それは流石に…」
「君がそうしたいのなら、俺達は構わないよ」
「なら決まりだな。どこにする?」
後輩からの施しを忌避して遠慮しようとする先輩を遮り、男は少女の望みを優先させる。
有無を言わさぬ為にとセノもすかさず同意を示し、突発的な宴の開催地を決めるべく今日の主役に目を向ける。
彼女はこのような幸福を共有するに相応しい場はひとつしかないと、声高らかに含羞み、そして。
「そりゃあ勿論、いつものところでしょ!」