短編集
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「そういう訳だから、先代水神エゲリア様とファラクケルトの花霊達には密接な関わりがあって…」
夜の酒場にて。酒を酌み交わす間にもいつものようにアルハイゼンと議論を交わしていたところに、突如としてその言葉は齎された。
「好きだ」
「…へ? あ…あぁ、確かに今日は…普段より魚が新鮮かもね!」
議論の最中に出てくるものとしては全く無関係かつ不適切な三文字に、サージュは困惑と共に適当な相槌を打つ。
彼女自身、この書記官への友として以上の淡い感情を一切抱いていない訳ではなく、それが本心からの想いなのであれば当然喜ばしいと感じる程度には気を許している相手であった。
が、彼がそうした色恋沙汰に現を抜かすような性分ではないことも、長い付き合いの中で重々承知していた。
故にその恋慕の念をひた隠しにし続け、男からの好意を好意であると素直に受け取ることが出来なかった。
「フィッシュロールの味はいつもと同じだろう。俺が指しているのは…」
「じゃ、じゃあフルーツだ。採れたてって感じがするもん!」
声を上擦らせながらも態とらしく男の言葉を遮って、真実から目を背けはぐらかそうとする少女。
互いの恋心を認めてしまえば最後、これまで通りの関係を保つのは不可能だと悟り、どうにか有耶無耶にせねばと張り付いた笑みを浮かべる。
「サージュ、どうした? もしや、酔っているのか」
アルハイゼンは突然様子のおかしくなった彼女を案じ、身を乗り出してその顔色を窺う。
それなりの酒精と極度の緊張から昂揚する頬は紅く染まり、問い掛けに頷く充分な証左となっていた。
「そそっ、そうかも! ごめんね、大丈夫だから心配しないで」
「いや、無理はよくない。酔い覚ましに水を飲むといい」
慌ただしく両手を振って配慮は無用だと伝えるも、男は構わず水差しを傾けコップに冷水を注ぎ、少女へとそれを突き出す。
真摯な眼差しからの厚意に、サージュは無愛想で他人に無頓着な彼らしくないと奇妙な感覚を抱く。
「…」
呆然と杯を受け取り、揺らぐ水面を見つめる。いっそこの状況が、都合の良い夢であったならと思ってしまう。
夢であれば、こんな現実味のない荒唐無稽なシーンも笑って受け流せるのに。そう考えてコップを呷る。
喉を潤す水はその願望を掻き消すかの如く、冷たさをこれでもかと身体に流し込み、紛うことなき現実だと示していた。
「少しは落ち着いたか」
「どう、だろ…まだちょっと心臓がドキドキしてるかも」
柔らかな声に応えるべく胸に手を当て、騒めく鼓動の音が静まりそうもないことを伝える。
それから彼を一瞥して見えた、心を射貫くようにこちらを見つめる翡翠の瞳に、動悸は更に激しくなる一方。
これまでは特段気に留めたこともなかった、男の精悍な面立ちが脳裏に焼き付いて離れず、少女は焦燥を隠し切れなくなっていた。
「…あっ、そうだ! デザート頼もうと思うんだけど、アルハイゼンは? もし何か追加があるなら、一緒に注文してあげる」
その場凌ぎの妙案を閃き、大げさに手を叩いては、テーブルの端に除けていたメニュー表で顔を隠す。
彼は慮外の提案に驚嘆の表情を見せこそしたものの、少女に釣られて自分も甘味を堪能しようと肯定的な態度を示す。
「まだ食べるのか…珍しいな。なら、俺もたまには甘いものでも試してみるとしよう」
そう微笑みつつ手を差し伸べて、暗にメニュー表を渡すようアピールするアルハイゼン。
自分から好んで糖分の過剰な摂取をしない彼にとっては、単に未知の領域をこの目で見てみたいという知識欲からなる要求だったが、己の安寧を奪われると勘違いした少女は断固としてその手を離そうとしなかった。
「…サージュ?」
「だ、だめ。まだ見てるんだから、もうちょっと待ってて」
握る手に力を込め、まじまじとデザート一覧を眺めるフリをする。実際には既に飽く程見尽くしたそれを凝視して羞恥を誤魔化し、逸る想いを強引に鎮めようと足掻くも、既にその抵抗は意味を成してはおらず。
「君のお勧めはどれだ? 折角の機会だから、同じものを共有するのも悪くない」
メニュー表を受け取れないと悟った男は、それならばとサージュの心を揺り動かす次なる一手を繰り出す。
砂糖よりも甘いとさえ感じさせる、優しさに満ちた声で首を傾げ、少女がどう出るかを待つ。
そんな予期せぬ一撃を受けた彼女はというと、顔面が燃焼反応を引き起こしたかの如く熱を帯び、耐えかねて机に突っ伏してしまうのだった。
「ッ…アルハイゼン」
くぐもった声で名前を呼び、そこでそのまま大きく息を吸う。それから少しだけ顔を上げ、彼を仰ぎ見る形で言葉を紡ぐ。
「なんだ」
「キミ、酔ってるでしょ」
「そう思うか?」
泰然と腕を組み笑みを浮かべ、彼女の指摘に対し意図的に質問で返し回答をはぐらかす。
長らくメニュー表の陰に隠されて見ることの叶わなかった少女の恥ずかしがる様を前に、男の声は愉悦を隠すこともなく上機嫌なものと変容していく。
「思うよそりゃ。普段のキミじゃ絶対しない言動ばっかり」
「ふむ。俺が告げた言葉に真実味がないから、それが本音ではなく、酩酊による戯言だと言いたい訳か」
潤んだ瞳でじっと無言で見つめ僅かに唇を噛み、少女はその動作を首肯の代わりとする。
教令院の先輩として、長年共に研鑽を重ねてきた友として。アルハイゼンを心の底から信じているからこそ、彼の告白が真実だと思いたくない気持ちが見え隠れしていた。
「結論から言えば…サージュ、君に伝えた言葉は俺の嘘偽りのない本心だ。ただ確かに、酒の勢いを借りて平常心では言えなかった想いを吐き出したことは否定しない」
杯を呷り、想いの丈を言の葉に乗せる。しかし相応の覚悟を以て告げたその恋情は、どういう訳か全く想定外の方向へと曲解されてしまうのだった。
「ほんとなんだ…じゃ、じゃあ、さっきの議論の最中や、それ以外にも…私のこと、いやらしい目で見てたってこと!?」
「は?」
胸元を押さえ、頬を真っ赤に染め身を捩り、微かに涙を滲ませてそう憤慨するサージュ。
尊敬する相手が本当は欲に塗れた色魔だったのかと疑う辛辣な目つきに、男はこの誤解を解くにはどれだけの言葉を尽す必要があるのだろうかと頭を抱えたくなっていた。
「だって昔お父さんが言ってた…! "男はみんなケダモノで、サージュはとびきり可愛いんだから気をつけなさい"って」
親元を離れ一人暮らしをしている娘にとってはある意味正常な防衛本能を持たせるに至った存在として、彼女は普段は忌み嫌っている筈の父の名を挙げる。
尤も、そう躾られたと言うよりは、幼少期の溺愛を真に受け、その忠言の本来の意味に気付くことなく生きてきた結果、純粋無垢な心のまま今日まで来てしまったのだろうと容易に推測出来る口振りではあるのだが。
「父親の教えに従うのなら、俺と交流を持つこと自体が忌避すべきものになるな」
「それは…キミはそういうのとは違うと思ってたんだもん。ずっと二人で一緒に居るのに、今まで一度もそんな雰囲気にならなかったから」
神格化と称するのが適切にも思える無意識下の特別扱いに、喜ぶべきか嘆くべきか判断に困り眉を顰める。
警戒を必要としない相手として認められていた幸甚は確かにあれど、今この状況においては彼女のその信頼を粉々に砕いてしまった憂苦が上回りつつあった。
「…その認識が正しいことは、今の内に念押しておこう。俺は確かに好意を伝えこそしたが、だからと言って無理矢理に君へのアクションを起こす気はない」
腕を組み直し、逸脱行為の意志はないと証明する。それから小さく溜息を吐いて、懇々と諭すような語り口で、先刻の告白についてを説く。
「好き、と一口に言っても…その感情には多くの意味が込められていることくらいは、君にもわかるだろう」
「ん…まあ。そのくらいは、流石に」
少しずつ視線を落とし、アルハイゼンに詳説された言葉の真意を己に当て嵌めて考える少女。
これまで秘め続けていた彼への"好き"が、犬猫に向けるそれと同義である筈がない。そう理解している以上、反論の余地はなかった。
「でもさアルハイゼン、もし…私が嫌じゃないって言えば、やっぱり色々なことしてみたいって思うの…?」
意を決してそう問い掛けるサージュの眼差しに、まさか好反応が返ってくるとは思っていなかった男は驚き言葉を失う。
驚愕から思考もままならない感情とは裏腹に、彼女の甘く切ない声を耳にした本能は奥底に宿る願望を想起させる。
その情景に期待を馳せる頬はみるみる内に熱を帯び、否が応でも疑念を肯定せざるを得なくなる。
これでは彼女が忌み嫌う不誠実な"男"そのものだ、と心の中で密かに自嘲してその妄想を振り払おうとして、今ここで首を横に振れば彼女の問いを否定するも同義だと気付き硬直する。
すうと息を吸い、改めて己がどういう感情を抱いているか、自ら省みる意も込めて口にする必要があると、彼は。
「…君と恋人同士として過ごす日々がどのようなものか、一度たりとも考えたことがないと言えば嘘になる」
「そ、そう…なんだ」
伏し目がちな上目遣いで見上げてそう零し、頬の赤らみと緩む口角を隠しつつ目を細める。
顔をほぼ全て腕の中に埋め表情の変化を窺い知れなかったアルハイゼンはその声を失望と捉え、もう一度念を押そうと唇を震わせる。
「ただ、さっきも言ったように…君が嫌悪する行為を強要するつもりは一切ないし、今回の件で俺を軽蔑するようになったとしても当然の結果だと思ってはいる」
「軽蔑なんてしないよ! だって私も…!」
慌てて飛び起きて、椅子を壊しかねない勢いで立ち上がり、情動のままに叫ぶサージュ。
倒れた椅子の衝撃音により周囲の視線を一同に集め、我に返った彼女は消沈した様子でテーブルの下に沈み非を詫びる。
「あ…えっと。取り乱してごめん」
いそいそと椅子を戻し、テーブルの下から宝盗イタチの如くひょっこりと顔を出して、男が憤懣に苛まれていまいかを確かめる。
当のアルハイゼンはと言うと、両の顳顬を押さえて顔を覆い、抱いてしまった煩悶を必死に堪えていた。
「アルハイゼン? もしかして、怒ってる…?」
「いや、君の父が言っていた言葉の意味を噛み締めていた」
彼女の父親が口にしていた溺愛――とびきり可愛いという表現、正にその通りの愛らしさを見せつけられたことで、男はこのまま行けば歯止めが効かなくなるのではないかと焦燥に駆られ始める。
「お父さんの? …え、やだ、恥ずかしい…」
そんな苦悩を余所に、椅子に座り直したサージュは火照る頬を手で挟み、照れ隠しにもならない否定を口にする。
幼少の己への戒めに同意を示されることは、彼女にとって、面と向かって歯の浮くような甘い囁きを告げられるよりもずっと鮮烈なものであった。
けれどもその慕情を本心から厭うつもりは微塵もなく、どころか喜ばしいとさえ思っていた。
「…」
「マスター。同じ酒をもう二杯」
訪れる沈黙を嫌い、アルハイゼンが徐に手を挙げて酒場の店主を呼び、注文を申し付ける。
多忙な店主はそれだけ承るとすぐに二人の傍を離れていき、少女はデザートを頼み損ねたことに気付く。
「あっ! デザート…」
「問題ない、酒が運ばれて来たタイミングに言えばいい。どれにする?」
咄嗟の反論の為に立ち上がった際に少女が手放していたメニュー表を広げ、どの甘味をオーダーするか訊ねる。
見せてもらった一覧を共に眺めるも、諸々の騒動によって既に気が削がれていた彼女は、共にデザートを食べるのは次回の楽しみにとっておくべきだと微笑む。
「ん…やっぱりいいや。今日はやめとく。また今度来たとき、一緒に食べよ」
「…サージュ。それはつまり、次を期待してもいいということで相違ないんだな?」
願ってもない申し出に、本当かどうか信じきれない男は、恐る恐る彼女の真意を改めて問う。
「うん。もちろん。いつがいいかな」
「俺はいつでも大丈夫だ」
ゆっくりと、けれど力強く頷き、次の約束を打診する少女へ、食い気味にそう告げるアルハイゼン。
ここで自分からリアクションを起こさない限り、二度とチャンスは訪れないと、彼は経験と本能から悟っていた。
「そっか、じゃあ…明後日ね。私、明日の夜は冒険者教会の依頼が入っちゃってるからさ」
スケジュールを書き込んでいるらしい手帳をチラリと見せ、比較的隙間の空いている日に宣言した通りの予定を加える。
どうやら一瞬見えた限りでは、どんな些細な予定でもしっかりと記入しているらしく、スケジュール帳には彼女の文字が所狭しと並んでいた。
「けど、朝は忙しくないし…まだ帰らなくても平気だよ?」
丁度良いタイミングで運ばれてきた追加の一杯を呷り、うっとりした目で微笑を浮かべる。
こちらを煽情しているようにしか思えないその笑みに、アルハイゼンは本当に踏み込んでいいものか逡巡する。
瞬間的な脳内シミュレーションによって考え得る最良のパターンを模索した結果、取るべき選択はひとつしかないと結論付け、そして。
「…いや、夜道は危険だ。今日は酔いもいつも以上に影響が大きいだろうし、家まで送ろう」
「! えへへ…嬉しいな。じゃあ、エスコートよろしくね」
サージュは慮外の提案に驚いて含羞みながらも、断る理由はないと了承を示し喜悦を露わにする。
その反応を見た男は満足げに頷き、帰宅の前に精算をとテーブル端に置かれた伝票を拾い上げる。
「あぁ。だがその前に、会計を済ませてくる。少し待っていてくれ」
「お会計? えっと、私の分いくらだっけ…」
「計算が面倒だ。後日覚えていたらで構わないよ」
慌てて財布を取り出そうとする少女をそっと制止し、カウンターに居る店主の元へ歩みを進める。
引き止めることも出来ず遠ざかる背を見つめ、彼女は酒精による眠気から堪え切れず欠伸を零す。
「ふ…ぁ」
急激に重みを増す瞼に抗えず舟を漕ぎ、首の傾いた衝撃ではっと目を覚ますのを繰り返す。
この状態で一人家路に着こうとするのは確かに不安だなと、回らない頭でぼんやり考えて、今日だけは帰路が孤独ではないことに鼓動が高鳴る。
「…ふふっ」
ぽかぽかと暖かな幸甚が込み上げてきて、自然と笑みが溢れる。支払いを済ませて己の元へ戻ってきたアルハイゼンを視界に捉えるや否や、少女は彼の腕に絡みついて幸甚を伝えるのだった。
「さて、帰るとしようか」
「うんっ」