短編集
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研究の一環と称し、とある遺跡に足を踏み入れたサージュ達。そこで起きた摩訶不思議な現象に、同行者である男は絶句していた。
「おじちゃん、お母さんのおともだち?」
己の膝程度の身長しかない小さな幼子にそう問われ、アルハイゼンが幼子と瓜二つの少女―勿論この幼子の母ではない―を無言で見遣る。
視線を向けられた少女は勢いよく首を振り否定し、異様としか言えないこの状況に混乱しているようだった。
「どういうことなの…子供の頃の私が、どうしてこんなところに…」
焦燥と共に齎された独白に、男は眼前の幼子が傍らで狼狽する少女の在りし日の姿なのだと実感する。
言われてみれば確かに、あどけない表情や眉を下げて困っている様に、彼女と出逢った当時の面影を感じ、どこか懐かしい気分になっていた。
「ん…でも、お父さんのおともだちは、みんなおじちゃんみたいに大っきくないし…」
そんな旧懐を突き崩すのは、幼子の何気ない言葉。一度目は黙認せざるを得なかった呼称をやはり許容出来ず、眉を顰める。
それから幼子の目線に合わせ膝を着き、己を指す呼び方が適切でないことを伝えるべく彼女の瞳を捉える。
「君の問いに答えるより前に、ひとつ訂正がある。俺はまだ"おじちゃん"と呼ばれる程の年齢ではない」
幼子の失態を諌める声に、彼らの後ろでそのやり取りを聞いていた少女が堪え切れず噴き出してしまう。
「ぷっ…おじちゃん…くく…っ」
「…はあ」
抱腹する少女を一瞥し、男は秘境の見せる幼子の幻影ではなく、意中の相手であるサージュ自身にまで不名誉な呼称を口にされ深々と嘆息を吐く。
だが、幼子にその憂苦を知られないよう瞬時に気持ちを切り替え、極めて優しい声で懇々と諭す。
「だからこの場合、"おじちゃん"ではなくもっと相応しい呼び方があるはずだ。わかるか?」
「あっ、ご、ごめんなさい! えっと…おにぃちゃんのお名前は…」
「…アルハイゼンだ」
翡翠の中心に朱を湛える瞳に訴えられ、幼子はすかさず非を詫び、改めて彼を正しく呼ぶべく名前を問う。
躊躇いなく答えようとして、過去の少女に自分を知られることで現在に影響を与える可能性を危惧し、男は一瞬だけ迷いを抱く。
しかし、彼女が幼子であった当時から旺盛な好奇心を鎮める為には、名を教える以外に解決手段はないだろうと、男の背後で見守る今のサージュ本人と頷き合い、意を決して唇を震わせる。
「わかった。アルハイゼンおにぃちゃんは、本当にお母さんのともだちじゃないの?」
「いや、さっきのは君の"お母さん"が驚いて首を振っただけで、君の推測は合っているよ」
自己紹介を受けて再度投げられた問いに、 彼は何食わぬ顔で首肯し、幼子の主張を認める。
すると幼子は晴れやかな笑みを浮かべ、傭兵稼業に携わっていた母の友人ならば彼自身も相応の実力を持つのだろうと目を輝かせる。
一方で少女は男の狂言に理解が追いつかず、ひどく困窮した様子で彼の名を呼び振り向かせる。
「そうなんだ! じゃあ、おにぃちゃんも、お母さんみたいにすっごく強いんだね!」
「ああ。実際に手合わせしたことはないから、どちらがより強いのかはわからないが」
「ちょっ…アルハイゼン!?」
勝手に幼子の母親と誤認させ、更にその友だと吹聴され、驚くばかりの少女を説き伏せるべく男は徐に立ち上がり、彼女へそっと耳打ちする。
「子供には、ある程度嘘を交えてでも話を合わせた方が後々動きやすい。君も覚えておくといい」
「けど…!」
衝動的に反論しようとして、その先に続く言葉が見つけられず押し黙るしかなくなるサージュ。
沈黙を悟った男は幼子へと向き直り再び身を屈め、この異質な環境について何か情報が得られないかと訊ねる。
「ところで、君はここがどういう場所か知っているか?」
「えっと…」
逡巡する幼子の背後から、聞き慣れた少女のものとよく似た、けれど僅かに異なる大人びた落ち着きのある声が響く。
「この秘境はね、入った女の子のありとあらゆる時間が具現化する…そういう秘境よ」
そう微笑んで的確過ぎる説明を口にするのは、少女と同じ髪と瞳の色、そして砂漠の民の血を引く証たる褐色肌を持つ女性。
天災による事故で若くして亡くなった、少女の生き写しのような姿だったという母がもしも存命であれば、疑うことなく彼女だと信じていたであろう。
「え…お母、さん…?」
「落ち着けサージュ。あの女性の言葉が真実なら、あれは君の母ではなく…未来の君自身だ」
困惑と憧憬、そして溢れる悔恨に涙を滲ませつつ、母の幻影へと駆け寄ろうと一歩踏み出す少女。
しかしアルハイゼンは声の主が告げた通り、これは少女の母ではないのだと察しており、咄嗟に彼女の手を掴み引き止める。
「ごめんね、実はそうなの。私は…いいえ、私"も"サージュ。ついでに、言わなくてもわかってるだろうけど…この子も勿論、小さい頃の私」
くすくすと笑い男の推測を肯定し、"サージュ"と名乗った淑女は傍らに立つ自らと同じ顔の幼子を抱き上げる。
慣れた様子で幼少期の己を宥める姿に、この年代の彼女は既に誰かと子を成した後なのかと男の背筋に密かな寒気が走る。
「ふふ…それにしても、若い頃のアルハイゼン…本当に懐かしいな」
旧懐に目を細め、少女の隣に立つ男を見つめる。その瞳に秘められた感情を読み解けず、彼は何も返すことが出来なかった。
「…"あなた"の隣には、アルハイゼンはいないの?」
「残念だけど、それは二人にとって未来にあたる話だから答えられない」
少女が成長した己へと臆することなく疑念をぶつけるも、彼女は静かに首を振って返答を曖昧に濁す。
尤も、この先何年経とうともサージュから離れるつもりのない彼にとって、恐らくは彼女の知る末は自分が願った通りなのだろうと容易に察することが出来た。
心を刺す痛烈な別離は、避けようがなかった"先輩"との一度だけで、二度と繰り返したくはない。
少女と出逢ってから交友を深める中でいつしかそう思うようになった男は、望みが叶う可能性が低くはないことを知り密かに胸を撫で下ろしていた。
「それで、俺達は一体どうすればこの空間から出られるんだ」
未来を知ることが不可能だと聞かされたことで、彼女から得られる情報はそれ程多くないと考えた男は、一刻も早く自らの心を惑わす状況から逃れようと周囲を見渡す。
一見何の変哲もないただの遺跡であるここは、元より調査段階でも特に危険視されていなかった場所であった。
だからこその油断が齎した異常現象に、アルハイゼンの胸中には彼女を巻き込んでしまったことへの焦慮が募っていく。
「あなたが…いえ、"キミ"が一人で出る分には、いつでも自由に出られる。ここはあくまで、若い女の人にしか影響のない場所だから」
わざとらしく今の少女と同じ二人称を用いて笑みを浮かべ、"サージュ"を騙る女性は男の苛立ちを加速させる。
彼女の言葉に偽りがないのであれば、どうやらこの秘境は足を踏み入れた妙齢の女性を捕らえる為のものらしい。
隣に立つのが何の感情も持たぬただの同行者であれば、容赦なく置き去りにし、救援を呼んで来ると断言出来ただろう。
しかし、そうはさせないと言わんばかりの含みのある怪しげな瞳を前に、疑念を晴らさぬまま去ることを本能的に忌避し、彼は緊張の面持ちで問いを投げ掛ける。
「ここに彼女を残し、俺一人で出た場合…俺達はどうなる?」
「キミ自身は何も変わらない。ただ、少しずつサージュという女の子のことを世界が忘れていく。ここを出た後のキミが変わらず覚えていられるか、それとも他の人と同じく忘れるかは…試してみないとわからない」
「ふうん…じゃあ、今まで男女でこの秘境に入った人はいないんだね。だから、女性にとってどういう危険が潜んでるかが全くわからなかったってことなのかな」
存外冷静に横槍を入れ、唐突に屈んで何やらメモを書き始める少女に、男が驚いて目を見開く。
どういうことかと様子を窺っていると、彼女はそのメモを手に載せ、全てを託す意志を見せるのだった。
「ねえアルハイゼン、これ持って外に出てみてよ。記憶だけでなく、私自身が書いたメモもあれば、忘れちゃう可能性を限りなく低く出来ると思うんだ」
「だが…」
万が一の危険を鑑み、すぐには頷けず奥歯を軋ませるアルハイゼン。彼女が一切の迷いなくここに留まる選択を示したことに、らしくない不安が過ってしまう。
「聞くまでもないと思ったから確かめなかったけど、どうせ私がアルハイゼンと一緒に出たいって言っても、そう簡単には出られないんでしょ?」
「ご明察。そう簡単に、というか…少なくとも私には、一度閉じ込められた子が出る手段は知らされてないわねぇ」
若干の加齢を感じさせる気の抜けた口調で、女性は過去の己へと末恐ろしい言葉を放つ。
だがそもそも、今の少女よりも明確に年老いた彼女の存在こそが、二人で脱出する突破口があることの証左でもある。
彼女はこの場所を"侵入した娘を閉じ込め、対象のありとあらゆる時間を具現化する秘境"と称した。
つまり、邂逅での男への懐かしむような反応も含め鑑みる限り、少女の未来は決して潰えることはなく、無事にこれから先も生き延びられることは自明なのだ。
サージュ自身もその真実を薄々感じ取ってはいるらしく、瞳に不安や畏怖の念は隠れていなかった。
「さてと…どうしよっか。アルハイゼンは何か名案思いついた?」
小さく溜息を吐いて、先刻試そうとした以外にいい方法が浮かび上がったかを問う少女。
最善手らしい最善手はなかったが、秘境攻略のセオリーであるギミック解除が可能であれば、まずはそうするべきだと説いてから、彼は淑女の方を一瞥する。
「一番確実なのは、この秘境を構成するギミックを解くことだが…周囲にそれらしき装置は見当たらない。どういうことか説明してもらおうか」
「この秘境にギミック装置なんてないわ。だって、そんな怪しいものを置いてたら壊されちゃうでしょう?」
「…つまりそうなると、残る択は"君達"を排除する以外になくなるが」
聴取を終えるや否や、男は二人の"サージュ"に刃を向ける。囚われた娘を外に出す為の手段が他にないのなら、愛する者と同じ顔でも手に掛けると覚悟を決め、そして。
「おにぃちゃん…サージュのこときらいなの?」
「君はサージュではない。よく出来た紛い物だ」
アルハイゼンが幼子の眼前に刃を突き付けた途端、周囲一体が煙に包まれ、彼らは"サージュ"達を見失ってしまう。
霞む視界の中で響いた声は、幼子や淑女のそれと比べて溌剌としており、この混乱に乗じて別の時代の彼女を具現化させたことを示していた。
「あらら。そう言われちゃ、こっちにも考えがあるよ。アルハイゼン、次はそこにいるふたりの私、どっちが本物か当ててみて!」
次第に薄れる煙の中、今度は出逢ったばかりの頃の娘が、瓜二つの少女二人の口元を塞ぎ妖しげに微笑んでいた。
「んぐ、んむう!」
「ッ…」
「サージュ!」
男から見て右手側の少女は、拘束から逃れようと懸命に暴れる。そして、もう一方の左手側は何を訴えるでもなく涙目で男を見つめる。
それぞれが見せた懇願を前に、すかさず手を伸ばそうとして、中央の娘が凍りつくような低さの声で制止を求めた。
「動いちゃダメ。無理矢理どっちも助けてから考えようなんて、キミにだけ都合のいいことは認めないよ」
そう告げて、男の頭上に氷塊を浮かべる。あと一歩でも近付けば、すぐにでもその氷を落とすと言わんばかりの牽制に、彼は渋々従う他なく。
ゆっくりと降ろされた剣を見て満足気に口角を歪め、娘は呼吸さえ困難にしていた拘束を緩め、今度は二人の首筋に指を添わせる。
「そうそう、素直でいいね。さて、このままお別れってのも可哀想だから…少しだけヒントをあげようか。あ、ちなみにホンモノの"私"に忠告だけど、この隙に逃げようとしたら…アルハイゼンの答えを待たずに殺すからね」
這わせた指先に少しずつ力を込め、悪魔が囁く。先に声を上げたのは、つい数秒前まで暴れていた右の少女。
苦しむ喉を押さえ咳き込み、言葉を何度も痞えさせながら、自分を置いてでも脱出するよう叫ぶ。
「ケホッ…アルハイゼン、私は大丈…夫、だから、キミ一人ででも、外へ…!」
「…信じてる」
右の彼女とは対照的に、左の少女は声の自由を得ても尚、 騒がしく助けを乞うこともなく、淡々とそれだけ告げて瞳を閉じる。
「本物は君だ」
そう呟いてアルハイゼンは娘の魔の手を阻むようにして刃を突き立て、冷静さを保つ少女へと歩み寄る。
娘は挑発的な目で男を見上げ、何故殆ど声を出さずにいた彼女が本物だと思ったかを問うた。
「ふぅん。どうしてそう思ったのか、聞いてもいいかな」
「彼女がこうした危機的状況に陥った際、どういう反応を見せるか…長年隣で見てきた俺が判別出来ないとでも?」
鬼気迫る表情で凄み、愛しの少女を危険に曝した罪を贖えと言わんばかりに娘の顎を刃先で持ち上げる。
彼が二人の少女の真偽を見極められた理由。それは文言通り、何年もの間共に過ごしたことで培ってきた絆によるものが大きい。
今回のような重大な危機に瀕した状況で騒ぎ立てることのリスクを彼女は熟知しており、危険性が高ければ高い程寡黙になる癖があった。
そしてアルハイゼンもまた、少女が密かに恐怖に抗い続け、不必要に喚かないよう努めているのを既に見抜いていたのだ。
「そっかあ…流石にキミにはバレちゃうか。だとしたら、そろそろ潮時かな」
鋭い隼のような眼光に潔く負けを認めたのか、娘達は霧散し、再び秘境の中が煙に包まれていく。
拘束していた娘が消えたことで解放されたサージュを抱き留め、男は即座に彼女の無事を確かめる。
「大丈夫か」
「ん…正直言うと、少しだけ怖かったけど…アルハイゼンなら、私のことわかるって信じてたから」
胸に顔を埋め、少女は心情を吐露する。微かに震える身体から伝わる熱に、男は彼女が生きている証を実感していた。
「…無事でよかった」
感情の昂りを抑えきれず、本心を零すアルハイゼン。もう二度とこんな肝の冷える思いはしたくないと、少女を抱擁する腕に力を込める。
それ程彼に強く想われているなど知る由もなかった当の本人は、突然の奇行にただただ困惑し続けるしかなく。
「え、あっ…アルハイゼン?」
「あらあらまあまあ、見せつけてくれちゃって。妬けちゃうわねぇ」
「チッ…まだ出てくるのか」
二人を揶揄する嗄れ声が影から聞こえ、舌打ちと共に男は抱擁を解く。それでも少女を庇い続けたまま、新たに姿を見せた老婆を睨みつける。
「邪魔してごめんなさいね。でも…そういう光景が見られる瞬間をずっと待っていたの。だから"私達"は素直に負けを認めます」
胸元に手を当てそう感慨深げに呟いては、老婆は若かりし頃の己と彼女を護る男へ微笑みかける。
そして、どこからともなく水晶玉にも似た輝く球状の物質を取り出し、少女へと差し出した。
「…これは?」
「この秘境を構成する核よ。これを壊せばここは、女の子が囚われることもない…ただの遺跡になる」
受け渡された球体を眼前に掲げ、サージュはひどく背の曲がった自分自身へとその正体を訊ねる。
彼女はそれをこの秘境が秘境たり得る為の超常の源だと告げ、二人に破壊させるよう仕向ける。
「あれだけ回りくどいことをさせた割に、随分と素直に差し出すんだな。何を企んでいる?」
「いいえ、何も。さっき私が告げた言葉こそが、噓偽りのない本音よ」
「そうか」
アルハイゼンは老婆の朗らかな声にこれ以上なく端的に返し、少女が持っていた核を掴み宙へ放り投げる。
その玉目掛けて、これまでの恨みを込めて刃の雨を降り注がせ、跡形もなく砕いてみせた。
すると、捕らえた少女を外へ逃がさない為に張り巡らされていたらしきバリアもまた砕け、老婆の姿が少しずつ薄れていく。
消え行く最中、先刻とは異なり人体に干渉することすら出来なくなった彼女が、少女の手を掴めずすり抜ける。
幻惑とは言え名残惜しさがあるのか、少女は老婆の意図を汲み歩み寄って、膝を少しだけ曲げて彼女の言葉に耳を傾ける。
「サージュ。あなたの未来は、あなた自身が掴み取るの。絶対に逃してはだめ。末永くお幸せにね」
己の行く末である老婆からそう耳打ちされ、その真意を知った少女の頬がみるみる内に紅く染まる。
尤も、これだけの激動を経た今、サージュ自身も自らの想いと向き合うべく腹を括る以外にはないと勘付いていた。
緊張を解すよう大きく手振りしつつ深呼吸し、それから背後に立つ男へとゆっくりと向き直り、彼女は開かれた扉へと連れ立って歩き出す。
「助けてくれてありがとう、アルハイゼン。迷惑かけちゃってごめん」
「君が謝る必要はない。事前の情報だけを鵜吞みにし、この秘境の真の恐ろしさを警戒しきれなかった俺にも落ち度がある」
「ううん、こんな複雑な罠…わかりっこないもの。一人で入ってなくて、本当に良かった」
閉所から出た解放感に伸びをして、吹き荒んだ風に身を震わせアルハイゼンの腕に絡みつく少女。
照れ臭さから直接愛を囁くには勇気が足りなかったものの、出来る限りの精一杯の熱情を以て笑みを浮かべ、そして。
「だから…これからも、私の隣に居て…守ってくれる?」
「…ああ、勿論。今回の件で様々な年代の君を見て…そのどれもが愛しいと、改めて思った。そういうわけだから、この先の未来も…余すことなく君を見続けさせてもらうとするよ」