右手にペン、左手にはノート。それぞれを険しい顔で見つめながら、少女が自分では答えの出せない問いを傍らの"恋人"に投げ掛ける。
「ねえアルハイゼン、コレイちゃんにプレゼントするならどっちがいいかな」
問うたのは、妹のように可愛がっているレンジャー見習いへの贈答品をどちらにするかについて。
師匠であるティナリやお人好しで世話焼きなカーヴェの手を借り、遂に当初の目標であった第一期のカリキュラムを修了した彼女を祝うべく、二人はパルディスディアイで行われる会食の招集を受けていたのだった。
「それを俺に聞いて、本当にいいのか」
「デザイン面や利便性でならともかく、全く用途が違うこの二択で外すとしたら相当だよ。ほら、時間ないんだから早く決めて」
日頃から友人間で美的感覚を疑われることの多いアルハイゼンは、少女の質問には直接答えず、それを訊ねる相手が正しいかを念押しして確かめる。
しかし、共に過ごした長さから男の個性的な一面を誰よりもよく知る彼女は、口を尖らせて反論を告げ、改めて選択を委ねる。
「ペンの方が贈り物らしくはあるが、既に彼女自身が使っているもので事足りる可能性も高い。だが、ノートなら何冊あっても困ることはないだろう」
「そうそれ、そういうのが聞きたかったの。よし、お会計してくるから少し待ってて」
理路整然と齎された建設的な意見に嬉々として頷いて、店主の元へと駆け寄っていく
サージュ。
会計を済ませるのを待つ間、ふと男が陳列棚に目を向けると、ある一箇所だけ商品が空になった欄が視界に入る。
強烈な違和感を抱かせるその場所を横目に、次に彼は己の元に戻ってきた少女が抱えている大量のノートを見つめ、苦笑を零す。
「うん? どうかしたかな」
「…いや、なんでもない。持つのを手伝おう」
予想通りノートを買い占めていた少女が、さも自分は何も悪いことなどしていないと言わんばかりに首を傾げていた。
最初に"何冊あっても困らない"と提言した以上、半分は持つべきかと手を差し伸べるも、彼女はその申し出を固辞し、肩にかけている鞄の中に仕舞い込む。
「重くないから大丈夫。ありがとね」
ワープ技術を用いて迅速にパルディスディアイに赴くべく、二人は少女の家の傍にある
古代の彫像を目指す。
トレジャーストリートの下り坂を歩む道中、アルハイゼンは、今回の会食の裏に隠された真の目的について呟く。
「コレイに学んでもらう第二期のカリキュラムに関して、だったか」
此度の会食の主催であるティナリからの頼まれ事は、彼の弟子に待ち受ける試練、その教える側からの苦悩に関する相談。
今回彼女が修了したカリキュラムが第一期と銘打たれているからには、必然的に次の段階も存在している。
難易度が急激に上がる第二期の行程に、コレイが押し潰されてしまわないか、姉気取りの少女は自分のことも忘れ憂苦を抱いていた。
「基礎的なことだけで簡単な一期と比べると、二期はいきなり難しくなるからねぇ。ティナリ君も、レンジャー隊の皆の面倒見ながらだから…大変なんだろうな」
「ふむ…そうだな。彼女自身も、レンジャーとしての責任と勉強を両立する重圧で苦しまずに済むといいが」
「あー確かに。ティナリ君、厳しいからなあ…それは心配かも。一応私も、来期からはなるべくマメに様子を見に行きたいなとは思ってるんだけど」
そう言って世話焼き気質の片鱗を見せ始める
サージュに、男は彫像に触れる寸前で足を止める。
「…それは、休学することで自由な時間が出来るからか?」
「理由のひとつには入ってる。でも一番はやっぱり、あの子が私の後輩になってくれる為に、今の内から色々やっておこう、ってね」
問い掛けによって生まれる真剣な話題を避けるべく、悪戯っぽく舌を出して笑んでは彼の手を握り、目的地となる場所の情景を思い浮かべる。
コレイへの尽力が後の布石でもあると知り納得した男は、必要以上の追及は控え静かに微笑み、彼女と共に目を閉じる。
二人が再び目を開く頃、そこにはシティとは異なる多くの花々に彩られた風景が広がっていた。
それと同時に、
東屋の立つ方角から騒がしい声が聞こえてくる。言うまでもなくその声の主はティナリ。その隣には、祝賀の主役であるコレイ本人以外の馴染みの顔が既に揃っていた。
「教材は作り直してあるんだ。本当は、アルハイゼン達からも意見が欲しかったけど…」
「ポイントは"俺達がどれだけ教えるか"じゃない、"コレイがどれだけ覚えられるか"だ」
彼らが話している最中へとごく自然に割って入り、アルハイゼンは自身の観点からの助言を呈する。
予想外の声に驚き、遅れてやって来た二人の方を見た一同が、それぞれ思い思いの反応を見せるのだった。
「やあ二人とも、来てくれてありがとう。確かにそれも一理あるね」
「アルハイゼン!
サージュはともかく、君まで律儀に顔を出すとは思わなかったな」
「…確かに、お前が食事会に来るのは本当に珍しい。どうして今日は来る気になったんだ」
誘いを素直に受ける頻度が限りなく低い男の来訪を訝しがり、疑念を隠し切れないセノが本人へと理由を訊ねる。
だが彼自身は至って飄々とした面持ちで腕を組み、他意や邪念など全く持ち合わせていないことを証明してみせた。
「ティナリに頼まれたから、以外に理由が必要か?」
人との交流を好まぬ男の意外としか思えぬ答えに、大マハマトラはその傍らに立つ少女を一瞥する。
以前であれば決して他人と群れようとはしなかったアルハイゼンが、こうして仲間の為にと柔和な態度を見せるようになったのも、やはり彼女が隣に居るからこそ、なのだろう。
その変容が確かに好循環を齎していると悟った彼は微かに笑み、静々と二人の話に耳を傾ける。
「コレイちゃんが教令院に入るとなったら、多分…ううん、間違いなく苦労すると思うからね」
「ああ。成長するにつれ、彼女が直面する悩みは増えていく」
自身の歩んで来た道を反芻し、少女は妹分の行く先も同じく過酷なものとなるだろうと考える。
そしてその苦難を誰より間近で見て来た男もまた、実感を伴った首肯を以て少女に同意を示す。
そんな彼らの声を、両腕を広げて遮るのはカーヴェ。彼女が何気なく告げた進路について、青年は思うところがあるらしく。
「ちょっと待った。もしコレイが教令院に入ることになっても、絶対に知論派は選ばせないぞ。妙論派の方があの子には合ってる」
「ほう? 随分と自信たっぷりだが、その根拠はどこから来ているのか聞かせてもらおうか」
「もう長いこと見習いレンジャーとして頑張ってるあの子なら、手先の器用さは十分だろ」
したり顔の先輩へ、かつて知論派に身を置いていた男は、何故彼が己の出身である妙論派へと推薦するのかを問う。
すると青年はコレイが細かな作業を得意としている点を挙げるものの、彼女をこのスメールに連れ戻した"恩人"が横からその企てを阻む。
「カーヴェ、何を寝ぼけたことを言ってる? コレイは素論派に行くべきだ。何故なら、俺が素論派出身だからだ」
「その理屈で言ったら、僕と同じ生論派になる筈なんだけど…」
過去に非人道的な実験を受け、その身に魔神の残滓が封じらているコレイにとっては、元素や地脈と言った、世界を構成する超常を研究する素論派へ進むという道も、勿論理に適ってはいる。
とは言え今の彼女の直接の師となるのは、レンジャー隊としての責務も含めて全てを請け負っているティナリである。
そんな彼に師事する以上は、やはり同じ生論派に入学するのが自然の道理ではないか。
本人も漠然とそう考えていたらしく、親友の熱の篭った専有に淡々と反論を零すのだった。
「いやいや! コレイちゃんには、因論派で私の後輩になってもらうから。前にそういう話をしたもん、私」
「え、そうなの? 本人からは聞いたことないよ」
現在も因論派に在籍する少女からの思わぬ否定に、初耳だと思わず驚嘆するティナリ。
彼女に対し、見習いレンジャーの娘が"いつかは後輩になりたい"と願ったこと自体は真実であり、全くの嘘ではなかった。
ただし実際はその主張には
サージュによる願望が多分に含まれており、コレイ自身は因論派に進むとは一言も言っていなかったのだが。
「さて、これで六大学派の内、五つの学派が出揃った。どうせだから、最後の明論派も含め…コレイに最も相応しい学派を決めるのも一興か」
「明論派か? コレイが星に興味を持っていた覚えはないな。当てずっぽうは良くないぞ、アルハイゼン」
遂に挙がってしまった明論派の名に、立ち耳の少年は話が脱線する気配を察知し、本題に戻すべく尾を逆立てて叫びを上げる。
「ってちょっと! まずは進路よりも、次のカリキュラムが無事乗り越えられるかについてだよ!」
「そうだった…ティナリの言う通りだ」
「…すまない、俺も少し熱くなりすぎてしまったな」
緩んだ空気を一瞬で張り付かせる咆哮を耳にした青年達は我に返り、諫言に消沈した様子で小さく呻く。
そして改めて、コレイがどうすれば第二期のカリキュラムを恙無く修了出来るか思慮を巡らせる。
「コレイには、第二期に向けて入念に準備をしてもらいたい。第一期と第二期では、履修する量も内容も段違いだからな」
アルハイゼンが案として挙げたのは、彼自身の周到な性分とも合致する事前準備。
一口に語るには困難なその手段について、具体的な例が本の読破しか思いつかなかったカーヴェは、そんな強引な方法が通用するのは彼や彼と同等に読書が好きな少女しか有り得ないと、肩を竦めて諌める素振りを見せる。
「何をする気だ? まさかと思うが、家中の本をあの子に押し付けたりしないよな」
仮にコレイが相応に読書家だったとしても、そうそう考えつかないだろう極端な発想に、男は冗談めかして笑い、腰の鞄を指し示す。
「就職の手引きなら、今ここに一冊あるが」
「じゃあ、最初のページに"デザイナーにはなるな"って書いておかないとな。この道は、生半可な気持ちで仕事にするものじゃない」
いつの間にかセノ達と共に食事の準備を進めていた
サージュが、徐に顔を上げて青年の方を見やる。
自らの携わる職業に対し否定的な言葉を吐きながらも、その表情はどことなく柔らかなものであった。
「…でも、カーヴェ先輩はデザイナーの仕事が好きだから続けられるんでしょ?」
「ははっ! まあ、そうなんだけどさ」
少女が胸の内に宿った温かさを伝えると、彼は心から喜悦を露わにしてに笑み、口許に拳を当て照れ臭そうに肯定してみせる。
そんな穏やかな談笑の横で、コレイが目指す最終的な到達点が不明瞭だと、鋭い指摘を臆さず投げ掛けるセノ。
しかし少年はそれはまだ遠い未来の話だと首を振り彼に火の番を任せ、遅れてやってきた二人へと視線を向ける。
「ところでティナリ。この計画の目標はどこに設定している? コレイが学院を卒業した後も、俺やアルハイゼンのように院内に残って働けるまでか?」
「そこまでは考えてないかなあ…あっ、そうだ。
サージュ達にも聞こうと思ってたことがあったんだ」
訊ねたのは、彼らが学院生活に於いて直面した難題に対して、どう立ち向かったかについて。
優れた才を持つ男は、そもそも少年の言う状況になったこと自体がないと、どこか誇らしげな顔で腕を組む。
サージュは彼とは異なり、根本的なところから当てにならない答えを返しはしなかったものの、教令院で長年荒波に揉まれてきた学者らしい熱量で憤るのだった。
「二人がわからない問題や終わらない課題があったとき、どうやって解決してきた?」
「そんな事態には陥らなかった」
「課題は終わらないものじゃなくて、何があっても終わらせるものでしょ。あ、でも…」
先んじて問うていた青年達とほぼ同じ返答に、ティナリがやはり彼らに聞くのも正解ではなかったかと頭を抱えようとしたその瞬間。
少女が人差し指を立てて意気揚々と、若芽の娘が問題に対しての解決法を既に身に着けていることを伝え、"師匠"を安堵させる。
「自分じゃわからないところは、わかる人に聞く。これはもう、だいぶ前から実践出来てるよ。だからそんなに心配しなくても大丈夫」
師弟間での距離が近過ぎたことで見えずにいた成長を気付かされ、少年は己の尾が自然と揺れ動くのを感じる。
それから鼻腔を擽る
馨しい香りに微笑んで、そろそろ祝賀会の主役を呼ぶべき頃合いだと腰を上げる。
「…そうかもね。ありがとう
サージュ。野菜もいい具合に焼けてきたし、コレイを迎えに行かないとかな」
「なら私も行くよ。これから使うと思って、ノート沢山買ってきたんだ」
「本当? 助かるよ。じゃ、一緒に来てくれる? あっちの温室で復習頑張ってるからさ」
連れ立って歩き出すふたつの背を見送り、残った三人が酒や取分け皿など、テーブルの用意を進めていく。
「学院祭の頃は本調子ではなかったようだが、最近は元気そうだな」
学院トーナメントの最中はどこか重苦しい面立ちばかりを見せていたが、今日は一変して晴れやかな表情が多くなった少女について、セノが感慨深げに呟く。
彼女とは肩を並べ競い合った機会が最も多かったにも拘らず、青年はその様子を全く把握していなかったらしく、驚きと共に"恋人"へと詰め寄る。
「え…そうだったのか? おいアルハイゼン、どうして何も言わなかったんだ」
「それを言えば、君は無意識に彼女に対して遠慮してしまうだろう」
だから敢えて伝えなかった――そう目で訴え、反抗的な態度の青年が二の句を紡ぐ隙を封じ込める。
己以外が全て敵となる勝負の場でそのような甘えは許されず、また彼女自身も不調を理由に手加減されることを望むはずもなく。
「カーヴェ。もう過ぎたことだ、お前が気に病む必要はない。どうしても気にしてしまうと言うのなら、先に飲むか?」
折角の会食に陰鬱な空気はそぐわないと、徐に酒瓶を掲げて真っ直ぐに青年を見つめる。
仲間内で最も酒に弱いながらも最も酒好きの彼は一度は目を輝かせるも、年長としてのプライドから咳払いしてその誘惑を断ち切る。
「おっ、随分上質なのが出てくるじゃないか! …ああいや、ゴホン。酒を飲むなら、皆が揃ってからじゃないと」
「わかった。なら、お前の意志を尊重しよう」
友人としてそれ以上は何も言わず、セノは静々と頷く。元より寡黙な男達が静寂を疎んじて話題を提供することはなく、罪悪感から青年が声を上げ、今日集まる前に家で見つけた一枚のスケッチを取り出す。
「えっと…そうだ。母さんが置いていった日記に、こんな絵が挟まっていたんだ」
「…それがどうかしたか?」
「見覚えがあると思わないか、この長い耳」
青年が広げたスケッチに描かれていたのは、教令院の学生服に身を包んだ数名の男性達。
そこに見えた人物を見た大マハマトラは驚愕から目を見開くが、彼とは対照的にアルハイゼンは全く興味がないらしく訝しげな眼差しを向ける。
「あの、待たせてごめん…って、みんな俯いて…一体どうしたんだ?」
ようやく戻ってきた一行が、残った男性陣が揃ってスケッチを囲んでいる様に何事かと困惑交じりに近付く。
彼らは注目の的であるピンと張った立ち耳、その絵に描かれている方を指して、同じ面影を持つ少年に血縁であるかを訊ねる。
「なぁティナリ、この絵の左で座って僕の父と語らっているのは…君の父親だったりしないか?」
「そうだよ。で、手前にいるの、
サージュのお父さんでしょ」
示された姿を一目見て少年は即答し、共に戻ってきた少女へと会話の手番を渡すかの如く同意を求める。
父に関してまだ禍根が残っており傷が癒えていない彼女は努めて笑みを浮かべつつ首肯し、特定するのが容易であった理由を告げる。
「…うん。ティナリ君のお父さんと私のお父さん、今でも手紙を送る仲だから」
「ほう? 君達の親も交友があったとは。随分と世間は狭いな」
親同士という意外な縁の結びつき。それは、初めは無関心であった男でさえも興味を惹かれるもので。
それぞれの学派に少なくない人数を抱え、余程でないと意図して交流することも困難である教令院での出会いに、彼らは運命の巡り合わせを感じずにはいられなかった。
「全くだ…お前達は知らないだろうが、壁に背を預けているのは、俺とリサ先輩の師匠だ」
「えっ、あ…ほ、本当だ、ジュライセン先生だ! じゃ、じゃあ実は、この本を読んでる人がアルハイゼンさんの父親だったり…あ、いや…いくら何でも、そんな都合のいい話なわけないか…」
次々と露わになっていく関係に、興奮気味に拳を握り、前のめりになって饒舌に語り出すコレイ。
画角の中心に陣取りながらも、談話の輪には入らず独り読書に勤しむ孤高の人物が想起させる男を、願望の混じった瞳で見つめる。
けれどすぐに考えを改め、流石にその可能性は限りなく低いだろうと項垂れてしまう。
消沈する彼女を宥める為か、あるいは彼自身も珍しく夢想に耽る想いがあったのか。男は悲観的な想像を決して肯定せず、穏やかな微笑を向ける。
「どうだかな。俺は父親の顔を知らないから断言は出来ないが、着けている学帽が知論派のものである以上、君の推測も有り得ないことではないよ」
「アルハイゼンさん…へへっ、ありがとう。あたしも、そうだったら嬉しいなって思う」
普段は現実味のない話を否定しがちな彼からロマンティックな希望的観測を認められたことにコレイがはにかみ、力強く頷く。
「ん…? なんだか焦げ臭い匂いが…」
カーヴェが持ち出してきた謎の解明も一段落し、ふと何かを忘れている気がすると思い至る一同。
種族的優位性から鼻の利く少年が漂う違和感を真っ先に察知し、その悪臭の先を辿っていく。
少女がそれを目で追いかけて、残っていた男達が果たすべき役割を放棄していたことに悲痛な叫びを響かせるのだった。
「あ! 野菜!」
Fête