「キャンディスさん、ディシアさん、こっちこっち!」
スメールシティの根幹と言ってもいい巨大な一本の大木"聖樹"の
洞にて栄える市場、グランドバザールにて。
普段は防砂壁を越えた先のアアル村で暮らすガーディアン達を出迎えるのは、二人の少女。
此度のショッピングの提案を受けた
サージュと、彼女と共にこのグランドバザールを案内することを快く受け入れた踊り子、ニィロウがバザーの入口を潜りやって来た二人の淑女へと微笑む。
「こんにちは、今日は色々見て楽しんでくれたら嬉しいな」
「本日はお招きいただきありがとうございます、ニィロウさん。それに
サージュも。ご教授よろしくお願いします」
「おいおいキャンディス、そんなに畏まらなくていいんだぜ? なぁ
サージュ?」
平時からの礼儀正しさからなる堅苦しい挨拶に、キャンディスとニィロウ両名の間に立つ熾鬣の獅子が苦笑を零す。
同意を求められた氷牢の少女はその通りだと力強く首肯し、事の発端がキャンディス自身にあると語る。
「そうですよ、ショッピングしようって誘ってくれたのはキャンディスさんだもの。遠慮なんてしなくていいのに」
信頼する友人達から口々にそう言われ、異なる色の双眸を持つ守護者が表情を綻ばせる。
慣れない雨林の街中に居る緊張がいくらか解れ、この貴重な機会を目一杯楽しもうと意気込んでみせた。
「二人の言う通りですね。では早速、市場を見て回りましょうか」
キャンディスがそう告げたのを機に皆が揃って市場へと目を向け、その中に少女達は見知った顔を見つける。
それは、数日前の学院祭で知論派代表として参加していた偉大な"先輩"ことファルザン。
彼女はすぐさま二人からの視線に気付き顔を上げ、相変わらずの堂々とした態度で歩み寄って来るのだった。
「おお、お前達か! 学院祭では世話になったのう。して、そっちの二人は…知り合いか? 街では見ない顔じゃが」
馴染みのある少女達の横に立つ、彼女らよりは年長らしき"娘"達を一瞥し、学院の関係者ではないと瞬時に悟る。
因論派の少女が恭しく先輩へと頭を下げ、続け様にニィロウが二人を紹介するも、初対面であるキャンディスに対する説明に自信が持てず首を傾げてしまう。
「こんにちは、ファルザン先輩」
「こちらの二人はディシアとキャンディスさん。ディシアは私の友達で、キャンディスさんはディシアの友達…で、いいんだよね?」
「ああ、合ってるよ。あんたは確か…知論派のファルザン、だったっけ。学院祭に出てた…」
踊り子の少女の困ったような笑みに頷いて、ディシアは初対面でこそあるものの多少は聞き覚えのある名を持つ彼女に対し、臆することなくそう問い掛ける。
仔細を知らぬ熾鬣の獅子から当然のように呼び捨てにされたファルザンだったが、彼女はその無礼も無知故と寛大な心で許容し、腕を組んで
太々しい態度を保ち正しい呼称を伝える。
「ワシのことはファルザン"先輩"と呼ぶがよい。たとえ教令院内の人間でなくとも、これは譲れぬ」
鼻を鳴らす勢いでそう求める理由が理解出来ず訝しむ女性陣に、"先輩"の事情を知る
サージュが補足を付け加える。
「…まあ確かに、ファルザン先輩は私達から見たら、人生の大先輩でもあるから…ある意味理に適った要求なのかな」
「なるほど…? でしたら、郷に入っては郷に従うべきですね。ファルザン先輩、あなたもこちらへは服を見に来たんですか?」
妹分のような少女から齎された、一見明快ながらも謎の深まる説明に半信半疑で了承し、キャンディスが早速その呼び名を口にする。
すると尊大な先輩は早々に上機嫌になって笑みを浮かべ、本来は少女達の役目であったグランドバザールの案内を嬉々として申し出るのだった。
「うむ。なんじゃ、皆も同じ目的じゃったのか。ではワシが先輩として先導してやろう、こういうのは大勢であればあるほどよいからの!」
意気揚々と足を踏み出し、彼女は最寄りの店に向かっていく。そこで品定めをする最中に、ふと遺跡に閉じ込められるよりも前の憧憬に耽る。
「当時…百年前の教令院内でも、ワシのコーデはサイコーにナウいと絶賛されておったんじゃよ」
「は…? 百年前!? どういうことだよ…」
「言葉の通りだよ、ディシアさん。ファルザン先輩は、百年もの間、遺跡に閉じ込められていて、つい最近そこから脱出した…教令院では伝説の存在として語られていた人なんだ」
うら若き少女然とした姿からは想像もつかない悠久の時の流れに、ディシアが驚愕し目を見開く。
隣に立った弟子が先刻よりも詳細な説明をしていると、それに気付いた"偉人"が少女の額を指で弾き諫める。
「…これ
サージュ、あまりワシの秘密を言いふらすでない。先輩の失敗を大勢に喧伝するなど、後輩としてあるまじき行為じゃぞ」
「あうっ! ごめんなさい…でも、先輩が凄い人だっていうのを伝えようとしただけなんですってば」
痛む額を
擦りながら、
サージュが弁明を告げる。少女から明解に説かれたことで納得が行った師匠も彼女を庇い、更にファルザンの顔を立てる荒業を魅せるのだった。
「まあまあ、ファルザン…先輩? 折角だから、あんたの言う流行りのスタイルで、あたしらの服も選んでくれないか」
正しい呼称を伴った穏やかな希求に力強く頷くものの、彼女の眼鏡に適うような品は見つけられず。
キャンディスは一軒目ですぐに目的が果たせるとは全く思っておらず、すぐに次の場所への移動を提案する。
そうして向けた視線の先に、またも学院祭で関わった知り合いの顔を見つけ、意外な縁の連鎖に驚嘆を零す。
「うむ。しかし、この店ではワシの馴染み深いスタイルのものはないのう」
「でしたら、他のところも覘いてみましょう。あちらのお店なんてどうでしょう…おや?」
店先で屈み込んで、半ば
蹲るようにして手に取った二つの装飾を眺めているのは、夢遊少女こと明論派代表レイラ。
「レイラちゃん! …あれ、レイラちゃんだよね…?」
「大丈夫? 具合が悪いなら、バザーのみんなに頼んでビマリスタンまで一緒に行くよ?」
サージュが率先して駆け寄り、鬼気迫る表情で俯く彼女の名を呼ぶも、すぐに反応はなく。
不安げな眼差しのニィロウが肩を叩いて手を差し伸べてようやく、レイラは己が声を掛けられていることに気付き顔を上げる。
「あっ、えっと…ごめんなさい、すぐに気付かなくて。私なら大丈夫、凄く素敵な飾りを見て…どっちを買おうか悩んでいただけだから」
そう言ってゆっくりと立ち上がり、一同に悩みの種となっていた装飾を見せるレイラ。
ファルザンが唸った通り、確かに彼女が持つ飾りはどちらも珠玉の逸品と称するに相応しい代物であった。
「ほう? うーむ、確かにどちらもなかなか捨て難いのう…」
「悩むくらいなら、どっちも買えばいいんじゃないのか?」
「そ…それはちょっと…私のお小遣いだと、両方買ったら生活が苦しくなっちゃう」
ディシアが何気なく放った案に、レイラは金色の瞳を見開いて首を振る。学者としての生活は決して華やかなものではなく、資金繰りに悩む苦学生は少なくない。
砂漠での暮らしばかりが過酷なものだと考えていたキャンディスは、そうではない現状に驚きを露わにする。
「…学業に従事するというのも、案外大変なんですね」
「生活だけじゃなくて、研究するにもお金はかかりますからねえ。経費で落ちない部分は、どうしても自腹で頑張らないとだから…」
その感嘆に同意を示したのは、砂漠と教令院、どちらの苦しみをもよく知る
サージュ。
あくまで本心からの辛さは出さないように努めつつ、共感を得られるよう願いを込めて溜息を吐いてみせた。
「なるほど、だから前に冒険者の仕事もあるって言ってたのか…けど
サージュ、それだけ忙しいと…誰かさんと二人で過ごす時間も中々取れないんじゃないか」
狭間に立つ少女の愁いの声に、彼女が自身との鍛錬以外にも多忙な理由を悟り納得するディシア。
常日頃時間に追われる日々を送っている身では、想い人との逢瀬も至難だろうと、肩を竦めて笑ってみせた。
「誰かさん…って?」
当事者である
サージュより先に、傭兵の発した揶揄に対し機敏な反応を見せるのはニィロウ。
突如として開幕したガールズトークの空気を察知し、それを搔き消すように少女が声を荒げるも、背後から腕を掴まれ阻まれてしまう。
「ちょっ、ディシアさ…んっ!?」
「ほ~お? 意外じゃな、寝ても覚めてもクラクサナリデビ様のことばかりだった筈のお前が、恋煩いとはのぉ」
意味深な笑みを浮かべるファルザンが、少女の真意を問うべくにじり寄る。彼女の隣に立つレイラもまた興味津々と目を輝かせ、本人からの言葉を今か今かと待っていた。
「…キャンディスさん、助けて」
「ごめんなさい
サージュ、私も少し興味があるので…あとでカフェでおやつをごちそうしてあげますから、ね?」
「そんなあ…」
救いを求め、
サージュは残った最後の一人である守護者に目を向ける。しかし彼女も静々と首を振り助けの声を拒み、あろうことか甘味で釣るという暴挙に出るのだった。
八方塞がりとなった少女は、深々と溜息を吐いて項垂れ、どこまで話すべきか思慮を巡らせる。
少女にとって幸いだったのは、己の事情を知る師以外のこの場に居る全員がまだ真実を知らず、一方的な恋慕だと勘違いしているということ。
今はそれよりも更に仲が深まっていると知られれば最後、根掘り葉掘りの質問攻めに遭うのは想像に難くない。
どうにか上手くことを収めようと、彼女は慎重に言葉を選びながら、改めて"恋人"との関係を振り返る。
「と言っても、最近は学院祭でもお互い忙しかったから…皆が期待するようなことは、特に何も…」
そう濁しつつも、頬が加速度的に熱を帯びていく。才識の冠や先代草神に関する件があったとはいえ、気付けばこの学院祭期間にもほぼ常に彼と行動を共にしていたのだと、少女は己の脇の甘さに頭を抱えたくなっていた。
「そうなの? じゃあ、ずっとろくに話も出来ないままで…けっこう淋しいでしょ」
「ううん、そんなことないよ。試合の後とか、他にも話す機会自体はあったし。だから、それについては問題ないんだけ…ど」
レイラからの同情を咄嗟に否定し両手を振って、次第にその反応がまさに墓穴だったと認識し喉が痞える。
鬼のような形相を見せる友へ、夢遊少女はしたり顔を向け、彼女の想い人が想定通りの人物であると確証を得たと微笑んでみせた。
「レイラちゃん?」
「えへへ…うまく引っかかってくれてありがとう。今ので、
サージュの好きな人が誰か、私にもわかった」
「うそ、今のやり取りだけで…? すごい…教令院の学者さんの中でも、天才って言われてるだけのことはあるんだね…」
明論派代表として参加した"レイラ選手"の巧みな話術に、驚愕の表情を露わにするニィロウ。
一介の踊り子である彼女からは想像もつかない思考の早さは、住む世界が違うと思わせるには充分過ぎた。
しかし、これはレイラが隠し持っていた手札をニィロウが認識していなかったからというだけである。
そのからくりを解くべく、レイラは隈だらけの目を細め、困惑の混じった笑みを浮かべて口を開いた。
「ああ、えっと…実は私、この前…
サージュが書記官の人と楽しそうに話しているところを見ちゃったんだ。それで察することが出来たというか…」
思わぬ目撃情報に、
サージュは滝のような汗を滴らせる。彼に先代草神について語ったあの場に、万が一この夢遊少女が潜んでいたとしたら、その影響は計り知れないものとなるだろう、そんな焦燥が込み上げてくる。
氷牢の少女は勢いのままに友人の肩を掴み、誰にも聞かれてはならない重要な話が漏れてはいまいか確かめる。
「レイラちゃん…それ、いつのこと…?! まさか第二ラウンドの後じゃないよね」
「え、うん…その日じゃなくて、もっと最近。二人が、ラザンガーデンの坂を下りていくところ」
恐々と頷いて、レイラは自分が見た情景を思い起こす。仲睦まじい様子で歩幅を合わせ歩く彼女達の姿は、とてもロマンティックだったと、密かに羨望を抱いていた。
「ああ、クラクサナリデビ様のところに行った日か…ならよかった。いや、良くはないか…はぁ」
最悪の事態は回避したと安堵の息を吐いて、これ以上の深堀に対し誤魔化し続けるのは不可能だと悟る。
ファルザンから投げかけられた予想通りの疑念に、少女はある程度は真実を語らざるを得ないだろうと覚悟を決めた。
「クラクサナリデビ様? 元は代理賢者だったあやつはともかく、お前まであのお方に用があったと?」
「ええ…まあ、一応。学院祭では本当に色々あったんで…報告しなくちゃいけないことが沢山あったんです」
眉を顰めて笑んで、重苦しく後ろ暗い空気を忌避すべく強引に話題を当初の本題――ショッピングへと戻す。
レイラの持っていた飾りの内、片方を手に取って、それが彼女によく合う造形だと同意を求めた。
「レイラちゃん。私は、こっちの方がレイラちゃんに似合うと思う。ね、キャンディスさんもそう思わない?」
「そうですね、砂嵐にも負けず目的に立ち向かう意志の強さを表しているようで…とても素敵だと思います」
「あ、ありがとう…ございます。じゃあ、これ…買っちゃおうかな」
二人からの後押しにレイラはようやく決心が着いたらしく、長らく保留となっていた支払いを済ませる。
その様子を見たファルザンが満足げに頷いて、別の店舗への移動を提案し先陣を切って歩き始めた。
「うむうむ、無事に決まったようで何よりじゃ。他の店も見て回るとするかの」
先導する先輩の背を見つめ、
サージュは学院祭を経て新たに得た貴重な絆の結びに、感慨深く笑みを浮かべ、そして。
「少ぉぉし、よろしいかしら?」
「ん? あ、あなたは…サングマハベイ様?」
仲間達の後を追おうとして、不意に背後からの声に呼び止められ、何事かと足を止める少女。
振り返っても姿が見えないことに違和感を覚え視線を落とすと、そこには草神とそう変わらぬ背丈の、一人の女性が立っていた。
「やや!
私の名を存じているなんて、教令院の小娘にしては中々見る目がありますわね」
少女が由緒ある名を呼んだことに喜悦の表情を見せ、偉大な商人ことドリー・サングマハベイは徐に手を差し伸べる。
「そんなあなたに、折り入って相談があるんですの。私、とある超! 重要人物の居所を探してまして」
「重要人物…? サーチェン氏のことだったら、あの人はもう亡くなっていて…」
「ノンノン! 私が探しているのは、私の大事な大事な冠を粉々に砕いたという、金髪の…」
ドリーが探しているという人物の特徴を聞き、
サージュは真っ先に今回の学院祭で栄えある優勝者となった青年を想起する。
しかし彼女の迫真の表情からなる憤怒を機敏に察知し、敢えて対象を違えた情報提供によって、密かに青年を庇い立てるのだった。
「旅人なら、もうスメールを発った筈です」
「ななな、なんですと!? ぐぬぬ…こうしちゃ居れませんわ、何としてもあの子分を見つけ出して、私の利益を取り返させてやらなくてはなりませんわぁ!」
旅人の行方を聞くや否や、ドリーは少女の存在さえ忘れ、嵐のように去って行ってしまう。
冠の件に関しては全くの無実である旅人に半ば無理矢理罪を擦り付けてしまったことへ一抹の不安を抱きつつ、彼女が何をそんなに焦っているのか思案を巡らせる。
ただ持ち得る情報が不足した少女がいくら考えたところで、答えを見つけることは出来ず。
「…なんだったんだろ、今の」
「
サージュ! 早くおいで、みんな待ちくたびれちゃう」
「ごめん、今行くよ!」
物陰に潜みドリーが去るのを待っていたニィロウに呼ばれ、
サージュは慌ただしく叫びを上げる。
全てが完璧に解決したとは言えずとも、今はこの平穏を満喫すべきなのだろう。そう思いながら、かけがえのない友の元へ駆け寄るのだった。
Occupé