概要+短編
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教令院の中央、数え切れない程の書籍が収蔵されている大図書館。通称"知恵の殿堂"、その一角で独り本を読み耽る女子に、男の視線が向く。
男の名はアルハイゼン、彼もまた教令院に属す学生の一人だ。だがひたすらに知識を欲する彼が、何の変哲もない同窓生を気に掛けることは極めて稀なことだった。
そんな彼の興味の対象は、あまり良いとは言えぬ姿勢で座る女子の腰に提げられた、中心に光る宝玉を携える装飾品。そう、神の目である。
「…」
アルハイゼンは、遠巻きに見える彼女のそれを視界に捉えた後、自身の持つ神の目と見比べる。
彼女の身につけている神の目は、若葉の象徴のような草元素の神の目とは明確に異なる色彩であった。
「こんにちは。また会えたね」
神の目に気を取られていた所を、唐突に声をかけられるアルハイゼン。少女の顔を見ると、恥ずかしそうに頬を染めて手を振っていた。
尤も、少女の方からしてみれば一定の距離から無言のまま凝視されていたも同然で、声を出したのは一種の自衛でもあるだろう。
これ以上怪しまれないようゆっくりと歩み寄って、彼は先の彼女の言葉の真意を確かめる。
「横、失礼するよ。しかし…また会えた、と言ったか?」
「うん、キミは前も私を見ていたことがある」
「…記憶にないな」
その時も彼女自身ではなく神の目にばかり気を取られていたのか、あるいは以前この少女は神の目を持っていなかった故に特徴を思い出せないのか。
どれだけ記憶を反芻しても彼女について思い出すことが出来ないアルハイゼン。考えるのを諦めて、隣で遠慮がちに笑む彼女に向き直った。
「ふーん…そっか。でもまあ、別にそれは気にしてないんだけど。あまりにも熱烈な視線だったから、流石に気になっちゃって」
自分が思っていた以上に視線を向けすぎてしまっていたことを指摘され、彼は誤解を生まぬようにすぐさま視線を逸らす。
そのわざとらしい仕草自体が、傍から見れば照れ隠しでしかないとも知らずに。
「それについては非を詫びよう。だが俺は…君自身というよりは、その腰に提げた物を見ていたと言った方が正しい」
「知ってる。神の目を持ってる学生さん、滅多に居ないもんね。私も見かけたら目で追うから気持ちはわかるよ」
周囲に非難されない程度にケタケタと笑い、それが治まった頃彼女はアルハイゼンへと鋭い視線を向ける。
否、鋭いと思ったのは彼だけで、彼女自身は他意のない底知れぬ笑みを湛えていた。
「で、キミは何元素の神の目を持ってるの?」
見透かすような視線に、隠し通したり誤魔化したりするのは無理だと瞬時に悟り、丁度彼女から死角に位置する肩に提げていた神の目を取り外して掌に載せて見せた。
「草元素だ。ってことはクラクサナリデビ様の加護だよね。いいなぁ」
「羨ましいのか?」
「そりゃそうだよ! だって私…クラクサナリデビ様のことをもっと知りたくて教令院に入ったんだから」
彼女は興奮気味にそう告げて、テーブルに積んでいた教本が須く歴史に関わる書物であることを知らせる。
つまり彼女の派閥は因論派にあたる。語学を中心として学ぶ知論派のアルハイゼンとは専攻が異なる。
「マハールッカデヴァータではなく、クラクサナリデビを信仰するというのも珍しいな」
「そうかな。確かにマハールッカデヴァータ様も凄い神だったみたいだけど、今のスメールはクラクサナリデビ様の国でしょう?」
彼女の問い掛けに、彼は答えられなかった。 教令院の賢者達がこの時代を治める草神である筈のクラクサナリデビを軽視しているのは、彼からすれば火を見るより明らかだったからだ。
「…ってごめんね、喋り過ぎちゃった。お互いの自己紹介もしてないのに」
一人でヒートアップしていた彼女が、そのことに気付き顔を赤らめる。そしてようやくそこで互いの名さえ知らぬことを思い出す。
「俺は…俺の名はアルハイゼン。君は?」
「サージュ。暇な時はいつもここで調べ物してるから、また会ったらよろしくね」
言い淀むことなくサージュと名乗った少女が、友好を求めて手を差し伸べる。屈託の無い笑みは一切の翳りを感じさせず、何の打算も思惑もなくアルハイゼンと親交を深めようとしているのだと窺い知れる。
研究の成果を己の手柄にすべく他者を押し退ける者達に辟易していた彼には、彼女の太陽のような明るさがとても眩しく思えた。
「ああ、よろしく。しかし…いつもここに居ると言うことは、アーカーシャ端末は使わないのか?」
サージュの手を取り握手を交わしながら、アルハイゼンは彼女や自らの耳を覆う神の智恵を指す。
マハールッカデヴァータが創造しクラクサナリデビによって維持されているシステムを彼女がどう感じているのかは、彼にとって興味深い疑問だった。
「もちろん活用してるよ。でも、歴史学で出てくるのはマハールッカデヴァータ様のことばかりで…クラクサナリデビ様のことについてはあんまりわからなくて」
アーカーシャ端末に手を当てて苦笑を零すサージュ。彼女はこのシステムが決して全能ではなく、欠陥だらけであることを既に見抜いているようだ。
それから本の山を掻き分けて、自身が書き留めたボロボロのノートを見せる。ノートには幾つもの付箋が貼り付けられ、長い時間をかけて見識を深めていった証明となっていた。
「だから…何が正しいのか、ちゃんと自分の目で見極めたいの」
「…そうだな、俺も同感だ。かつてのマハールッカデヴァータがどれだけ偉大な神であったとしても、クラクサナリデビを否定する現状には納得出来ずにいたからな」
彼女が見せた努力の結晶を認めるべく、アルハイゼンが深々と頷く。すると少女は喜びを露にすると共に、感極まって涙を流し始めた。
「ありがとう、今まで私に同意してくれる人なんて居なかったから…ちょっと泣けてきちゃった」
「ちょっとどころではないようだが」
「えっ、あ…あれ? おかしいな。ごめんねアルハイゼン、急にこんな…」
感情の制御が出来ぬまま、笑いながら泣き続けるサージュ。彼と出会うまでに抑圧され続けてきた想いが溢れ、止まらなくなっている様子だった。
顔を伏せ、サージュは暫し息を整える。その間アルハイゼンは何を言うでもなく、ただ静かに彼女を見守っていた。
「へぇ…絶好の機会なのに、口説いたりしないんだ」
机に突っ伏したままの姿勢で、サージュは冗談交じりに上擦った声で笑う。だが、彼にそんなジョークが通じることはなく、仏頂面のまま返されてしまう。
「そんなことをして、俺に何のメリットがある?」
「何にもない、ってことはないと思うけど」
売り言葉に買い言葉としか思えぬものの、彼女はあまりにもストレートな否定を受け入れられないらしく身を起こして男へと異論を唱える。
その反抗的な意志に興味が惹かれたアルハイゼンは、敢えてその挑発に乗り彼女の頬に手を伸ばす。
「…ほう。随分と自信があるようだな」
「あ、いや…あんまり…まじまじと見ないでよ」
「何故だ? 最初に誘ったのは君の方だろう」
泣き腫らした瞳を直視されることを拒み手で視線を遮りながらサージュは逃げ道を探すが、腕を掴まれて下ろされ、半ば強引にその醜態を晒すこととなる。
それでも尚アルハイゼンから視線を逸らし続けるが、それにより逆に彼の好奇心と加虐心を強く刺激していることに、彼女はどうやら気付いていないようだ。
「それで、君はどうしたい?」
掴んだ腕を引き寄せては少しずつ距離を詰め、アルハイゼンはじわじわと彼女を追い詰めていく。
好奇心の為ならば己の眉目秀麗な面立ちさえ武器と変える彼に、サージュは力量の差を思い知る。
「うぅ…」
とうとう言葉を失ってしまうサージュ。流石にこれ以上無為に彼女を弄ぶのは愚策だと判断したアルハイゼンは、深い嘆息と共に彼女へと謝罪の言葉を告げる。
「…仮に相当の嫌悪感を与えていたのならば、それについては詫びよう」
「えっと…その…嫌かと言われたら勿論違うんだけど、こんなに本気にするとは、思わなくてですね」
混乱しているのが容易に察せられる唐突な敬語混じりの口調で、彼女は弱々しく言葉を紡ぐ。
頬は熱を帯び、首筋からは汗が噴き出す。極度の緊張状態にある彼女に、アルハイゼンは更なる追い討ちをかける。
「嫌じゃないと言うのなら、どうして拒もうとする?」
「いくら私が言った言葉がきっかけでも、急に押しが強くなったら誰だってビックリするよ…!」
ここが公共の場であることを念頭に置いた上で、周囲に騒音と認識させない限界ギリギリまで力を込めた強い声でサージュが叫ぶ。
しかし彼にとってその叫声は屁理屈にも近く、理解こそすれ納得の行くものではなかった。
「ふむ…君の言い分は理解した」
「いや絶対わかってないでしょうその不貞腐れ顔は」
「そう見えるのならそうなのかもしれないな」
論議を放棄するようなアルハイゼンの投げやりな返答に頭を抱えるサージュ。どう足掻いても勝ち目のない戦いなのだと悟り、彼女は。
「ごめん、私が悪かった」
完全に諦念に身を投げ出し、少女は椅子の背に凭 れ掛かる。自分よりも弁の立つ相手を前に、彼女は迂闊な発言を悔いるしかなかった。
しかしアルハイゼンはと言うと、舌戦に勝利した愉悦を感じることもなく、それまでの無感情な表情を保ち続けている。
それもその筈、彼にとってはサージュが一人勝手に自己完結しただけで、結局彼女が自分をどうしたいかは全く見えて来ないのだ。
「…それは、俺に謝っているのか?」
「半分は。もう半分は自己嫌悪、かな…ヒトとこんなに長く話したのが久しぶり過ぎて、自分でも訳わかんないこと言ってた気がしてきたのは認める」
壁一面に敷き詰められた無数の蔵書から目的のものを探す学生達へと視線を向けて、彼らを同じ人として看做していないことを示すサージュ。
マハールッカデヴァータの意向を否定しているにも等しい彼女が凡百の者達からの理解を得られない所為なのか、愚昧な彼らが少女から見て些末な存在だからなのかは、男からは判断が困難だった。
ただ少なくとも、以前から互いの顔を認識していた前提があっただけの初対面に等しい筈のアルハイゼンが、サージュにとっては自分の思想を明け透けに語るに値する相手であるという事実だけは疑いようがなく。
「そうか」
言葉少なに返し、暫しの沈黙が訪れる。暇を持て余したアルハイゼンは彼女が乱雑に積み崩した書籍にでも手をつけようと腕を伸ばそうとしたが、本を掴むより先にサージュにそれを遮られる。
「待って。そっちの本は古文書だから読むの難しいよ、現代語訳されてるのがこっちに…」
「問題ない、俺は知論派だ」
古語に精通していなければまともに文を読むことさえままならない書物だったようだが、それらを専門とするアルハイゼンには無意味な忠告で。
それを聞いたサージュが不安材料の払拭を認識すると、みるみる内に表情を明るくさせる。
「あ、ほんと? じゃあ原語版でも読めそうだね。邪魔になるから辞書は避けて…と」
手際良く机上の環境を整え、自身の研究材料を何の憂いもなく提供するサージュに、思わず面食らってしまうアルハイゼン。
卒論に悩みあらゆる情報を独占したがる学生が多くを占める中、そんな愚直な様を目の当たりにするのは初めてのことだった。
「…君は自分の研究を他者に奪われることに抵抗がないのか?」
「奪われる、って言うのがまず語弊があるよ。私は院を卒業したくてクラクサナリデビ様の研究をしてる訳じゃないしさ」
至って平然とそう言ってのけるサージュ。その瞳の奥には確かな信念が宿っており、神の目を得るに至っただけはある意志の強さを感じさせた。
彼女もまた、自分と同じく学びへの探究心を持った人間なのだと知り、アルハイゼンは思いがけぬ同志の発見に密かな喜びを噛み締める。
「確かに、一理ある」
敢えて完全には同調せず、しかし理解を示すべく深い首肯で表す。サージュは照れ臭そうにはにかみながら感謝の意を露わにして、火照る頬を手で扇ぐ。
「ん。ありがと…」
開けた構造によって快適な温度が保たれてはいるものの、緊張により興奮冷めやらぬ状態にあるサージュの身体はひどく熱を籠らせていた。
尤も、教令院内どころかスメールシティ全土でも類を見ない優れた容貌の男が自分を肯定してくれる姿を前にして、平静を保ち続けられる方が恐ろしいとも言える。
まして彼は、一度は彼女の誘いを受け入れようとしたのだ。それを冗談だと吐き捨てて有耶無耶にしたのは紛れもないサージュ自身だが、交わした言葉までもが跡形もなく消え失せたわけではない。
だが、悶々と悩むサージュを余所にアルハイゼンは彼女が与えた文献を読み耽っており、隣に人が居ることさえ忘れているような風体にも見える。
サージュは言葉を失ったままページを捲る姿を見つめていると、彼は痺れを切らしたらしく訝しげな目で彼女へと圧力をかける。
「…意趣返しのつもりか」
「あぁいやそんなつもりは…って、私そんなにずっと見てた?」
「その視線によって、読書に集中出来なくなる程度には」
熱烈な視線が許容出来ないものだったことを告げると、彼女はすぐに頭を下げ非を詫びる。
「ならそれはごめん、謝る。そこまで熟読してくれてるとは思わなくて」
「君には言うまでもないことだろうが、今のスメールにおいてクラクサナリデビについて知る機会は限られている。貴重な時間を無駄にはしないよ」
そう言って異様なスピードで読み終えた本をサージュに返却しながら、次の書籍を要求するアルハイゼン。
自分の研究が認められる喜びに浮き足立った彼女は、クラクサナリデビについて語りたい欲求を滲ませつつも堪え、彼からの問いに答える形でその欲を満たそうと画策する。
「じゃあさ、質問があれば言って。何でも答えるから」
「何でも…か。いや…やめておこう」
他意のない彼女の笑みが眩しくて、アルハイゼンは自らに芽生えた邪な想いを封じ込める。
そして至ってありふれた、事前に考えていたと捉えられても仕方のないほどの模範的な問いを、サージュへと向ける。
「ならばサージュ、君がクラクサナリデビを敬愛するに至った理由を…詳しく聞かせてくれないか?」
男の名はアルハイゼン、彼もまた教令院に属す学生の一人だ。だがひたすらに知識を欲する彼が、何の変哲もない同窓生を気に掛けることは極めて稀なことだった。
そんな彼の興味の対象は、あまり良いとは言えぬ姿勢で座る女子の腰に提げられた、中心に光る宝玉を携える装飾品。そう、神の目である。
「…」
アルハイゼンは、遠巻きに見える彼女のそれを視界に捉えた後、自身の持つ神の目と見比べる。
彼女の身につけている神の目は、若葉の象徴のような草元素の神の目とは明確に異なる色彩であった。
「こんにちは。また会えたね」
神の目に気を取られていた所を、唐突に声をかけられるアルハイゼン。少女の顔を見ると、恥ずかしそうに頬を染めて手を振っていた。
尤も、少女の方からしてみれば一定の距離から無言のまま凝視されていたも同然で、声を出したのは一種の自衛でもあるだろう。
これ以上怪しまれないようゆっくりと歩み寄って、彼は先の彼女の言葉の真意を確かめる。
「横、失礼するよ。しかし…また会えた、と言ったか?」
「うん、キミは前も私を見ていたことがある」
「…記憶にないな」
その時も彼女自身ではなく神の目にばかり気を取られていたのか、あるいは以前この少女は神の目を持っていなかった故に特徴を思い出せないのか。
どれだけ記憶を反芻しても彼女について思い出すことが出来ないアルハイゼン。考えるのを諦めて、隣で遠慮がちに笑む彼女に向き直った。
「ふーん…そっか。でもまあ、別にそれは気にしてないんだけど。あまりにも熱烈な視線だったから、流石に気になっちゃって」
自分が思っていた以上に視線を向けすぎてしまっていたことを指摘され、彼は誤解を生まぬようにすぐさま視線を逸らす。
そのわざとらしい仕草自体が、傍から見れば照れ隠しでしかないとも知らずに。
「それについては非を詫びよう。だが俺は…君自身というよりは、その腰に提げた物を見ていたと言った方が正しい」
「知ってる。神の目を持ってる学生さん、滅多に居ないもんね。私も見かけたら目で追うから気持ちはわかるよ」
周囲に非難されない程度にケタケタと笑い、それが治まった頃彼女はアルハイゼンへと鋭い視線を向ける。
否、鋭いと思ったのは彼だけで、彼女自身は他意のない底知れぬ笑みを湛えていた。
「で、キミは何元素の神の目を持ってるの?」
見透かすような視線に、隠し通したり誤魔化したりするのは無理だと瞬時に悟り、丁度彼女から死角に位置する肩に提げていた神の目を取り外して掌に載せて見せた。
「草元素だ。ってことはクラクサナリデビ様の加護だよね。いいなぁ」
「羨ましいのか?」
「そりゃそうだよ! だって私…クラクサナリデビ様のことをもっと知りたくて教令院に入ったんだから」
彼女は興奮気味にそう告げて、テーブルに積んでいた教本が須く歴史に関わる書物であることを知らせる。
つまり彼女の派閥は因論派にあたる。語学を中心として学ぶ知論派のアルハイゼンとは専攻が異なる。
「マハールッカデヴァータではなく、クラクサナリデビを信仰するというのも珍しいな」
「そうかな。確かにマハールッカデヴァータ様も凄い神だったみたいだけど、今のスメールはクラクサナリデビ様の国でしょう?」
彼女の問い掛けに、彼は答えられなかった。 教令院の賢者達がこの時代を治める草神である筈のクラクサナリデビを軽視しているのは、彼からすれば火を見るより明らかだったからだ。
「…ってごめんね、喋り過ぎちゃった。お互いの自己紹介もしてないのに」
一人でヒートアップしていた彼女が、そのことに気付き顔を赤らめる。そしてようやくそこで互いの名さえ知らぬことを思い出す。
「俺は…俺の名はアルハイゼン。君は?」
「サージュ。暇な時はいつもここで調べ物してるから、また会ったらよろしくね」
言い淀むことなくサージュと名乗った少女が、友好を求めて手を差し伸べる。屈託の無い笑みは一切の翳りを感じさせず、何の打算も思惑もなくアルハイゼンと親交を深めようとしているのだと窺い知れる。
研究の成果を己の手柄にすべく他者を押し退ける者達に辟易していた彼には、彼女の太陽のような明るさがとても眩しく思えた。
「ああ、よろしく。しかし…いつもここに居ると言うことは、アーカーシャ端末は使わないのか?」
サージュの手を取り握手を交わしながら、アルハイゼンは彼女や自らの耳を覆う神の智恵を指す。
マハールッカデヴァータが創造しクラクサナリデビによって維持されているシステムを彼女がどう感じているのかは、彼にとって興味深い疑問だった。
「もちろん活用してるよ。でも、歴史学で出てくるのはマハールッカデヴァータ様のことばかりで…クラクサナリデビ様のことについてはあんまりわからなくて」
アーカーシャ端末に手を当てて苦笑を零すサージュ。彼女はこのシステムが決して全能ではなく、欠陥だらけであることを既に見抜いているようだ。
それから本の山を掻き分けて、自身が書き留めたボロボロのノートを見せる。ノートには幾つもの付箋が貼り付けられ、長い時間をかけて見識を深めていった証明となっていた。
「だから…何が正しいのか、ちゃんと自分の目で見極めたいの」
「…そうだな、俺も同感だ。かつてのマハールッカデヴァータがどれだけ偉大な神であったとしても、クラクサナリデビを否定する現状には納得出来ずにいたからな」
彼女が見せた努力の結晶を認めるべく、アルハイゼンが深々と頷く。すると少女は喜びを露にすると共に、感極まって涙を流し始めた。
「ありがとう、今まで私に同意してくれる人なんて居なかったから…ちょっと泣けてきちゃった」
「ちょっとどころではないようだが」
「えっ、あ…あれ? おかしいな。ごめんねアルハイゼン、急にこんな…」
感情の制御が出来ぬまま、笑いながら泣き続けるサージュ。彼と出会うまでに抑圧され続けてきた想いが溢れ、止まらなくなっている様子だった。
顔を伏せ、サージュは暫し息を整える。その間アルハイゼンは何を言うでもなく、ただ静かに彼女を見守っていた。
「へぇ…絶好の機会なのに、口説いたりしないんだ」
机に突っ伏したままの姿勢で、サージュは冗談交じりに上擦った声で笑う。だが、彼にそんなジョークが通じることはなく、仏頂面のまま返されてしまう。
「そんなことをして、俺に何のメリットがある?」
「何にもない、ってことはないと思うけど」
売り言葉に買い言葉としか思えぬものの、彼女はあまりにもストレートな否定を受け入れられないらしく身を起こして男へと異論を唱える。
その反抗的な意志に興味が惹かれたアルハイゼンは、敢えてその挑発に乗り彼女の頬に手を伸ばす。
「…ほう。随分と自信があるようだな」
「あ、いや…あんまり…まじまじと見ないでよ」
「何故だ? 最初に誘ったのは君の方だろう」
泣き腫らした瞳を直視されることを拒み手で視線を遮りながらサージュは逃げ道を探すが、腕を掴まれて下ろされ、半ば強引にその醜態を晒すこととなる。
それでも尚アルハイゼンから視線を逸らし続けるが、それにより逆に彼の好奇心と加虐心を強く刺激していることに、彼女はどうやら気付いていないようだ。
「それで、君はどうしたい?」
掴んだ腕を引き寄せては少しずつ距離を詰め、アルハイゼンはじわじわと彼女を追い詰めていく。
好奇心の為ならば己の眉目秀麗な面立ちさえ武器と変える彼に、サージュは力量の差を思い知る。
「うぅ…」
とうとう言葉を失ってしまうサージュ。流石にこれ以上無為に彼女を弄ぶのは愚策だと判断したアルハイゼンは、深い嘆息と共に彼女へと謝罪の言葉を告げる。
「…仮に相当の嫌悪感を与えていたのならば、それについては詫びよう」
「えっと…その…嫌かと言われたら勿論違うんだけど、こんなに本気にするとは、思わなくてですね」
混乱しているのが容易に察せられる唐突な敬語混じりの口調で、彼女は弱々しく言葉を紡ぐ。
頬は熱を帯び、首筋からは汗が噴き出す。極度の緊張状態にある彼女に、アルハイゼンは更なる追い討ちをかける。
「嫌じゃないと言うのなら、どうして拒もうとする?」
「いくら私が言った言葉がきっかけでも、急に押しが強くなったら誰だってビックリするよ…!」
ここが公共の場であることを念頭に置いた上で、周囲に騒音と認識させない限界ギリギリまで力を込めた強い声でサージュが叫ぶ。
しかし彼にとってその叫声は屁理屈にも近く、理解こそすれ納得の行くものではなかった。
「ふむ…君の言い分は理解した」
「いや絶対わかってないでしょうその不貞腐れ顔は」
「そう見えるのならそうなのかもしれないな」
論議を放棄するようなアルハイゼンの投げやりな返答に頭を抱えるサージュ。どう足掻いても勝ち目のない戦いなのだと悟り、彼女は。
「ごめん、私が悪かった」
完全に諦念に身を投げ出し、少女は椅子の背に
しかしアルハイゼンはと言うと、舌戦に勝利した愉悦を感じることもなく、それまでの無感情な表情を保ち続けている。
それもその筈、彼にとってはサージュが一人勝手に自己完結しただけで、結局彼女が自分をどうしたいかは全く見えて来ないのだ。
「…それは、俺に謝っているのか?」
「半分は。もう半分は自己嫌悪、かな…ヒトとこんなに長く話したのが久しぶり過ぎて、自分でも訳わかんないこと言ってた気がしてきたのは認める」
壁一面に敷き詰められた無数の蔵書から目的のものを探す学生達へと視線を向けて、彼らを同じ人として看做していないことを示すサージュ。
マハールッカデヴァータの意向を否定しているにも等しい彼女が凡百の者達からの理解を得られない所為なのか、愚昧な彼らが少女から見て些末な存在だからなのかは、男からは判断が困難だった。
ただ少なくとも、以前から互いの顔を認識していた前提があっただけの初対面に等しい筈のアルハイゼンが、サージュにとっては自分の思想を明け透けに語るに値する相手であるという事実だけは疑いようがなく。
「そうか」
言葉少なに返し、暫しの沈黙が訪れる。暇を持て余したアルハイゼンは彼女が乱雑に積み崩した書籍にでも手をつけようと腕を伸ばそうとしたが、本を掴むより先にサージュにそれを遮られる。
「待って。そっちの本は古文書だから読むの難しいよ、現代語訳されてるのがこっちに…」
「問題ない、俺は知論派だ」
古語に精通していなければまともに文を読むことさえままならない書物だったようだが、それらを専門とするアルハイゼンには無意味な忠告で。
それを聞いたサージュが不安材料の払拭を認識すると、みるみる内に表情を明るくさせる。
「あ、ほんと? じゃあ原語版でも読めそうだね。邪魔になるから辞書は避けて…と」
手際良く机上の環境を整え、自身の研究材料を何の憂いもなく提供するサージュに、思わず面食らってしまうアルハイゼン。
卒論に悩みあらゆる情報を独占したがる学生が多くを占める中、そんな愚直な様を目の当たりにするのは初めてのことだった。
「…君は自分の研究を他者に奪われることに抵抗がないのか?」
「奪われる、って言うのがまず語弊があるよ。私は院を卒業したくてクラクサナリデビ様の研究をしてる訳じゃないしさ」
至って平然とそう言ってのけるサージュ。その瞳の奥には確かな信念が宿っており、神の目を得るに至っただけはある意志の強さを感じさせた。
彼女もまた、自分と同じく学びへの探究心を持った人間なのだと知り、アルハイゼンは思いがけぬ同志の発見に密かな喜びを噛み締める。
「確かに、一理ある」
敢えて完全には同調せず、しかし理解を示すべく深い首肯で表す。サージュは照れ臭そうにはにかみながら感謝の意を露わにして、火照る頬を手で扇ぐ。
「ん。ありがと…」
開けた構造によって快適な温度が保たれてはいるものの、緊張により興奮冷めやらぬ状態にあるサージュの身体はひどく熱を籠らせていた。
尤も、教令院内どころかスメールシティ全土でも類を見ない優れた容貌の男が自分を肯定してくれる姿を前にして、平静を保ち続けられる方が恐ろしいとも言える。
まして彼は、一度は彼女の誘いを受け入れようとしたのだ。それを冗談だと吐き捨てて有耶無耶にしたのは紛れもないサージュ自身だが、交わした言葉までもが跡形もなく消え失せたわけではない。
だが、悶々と悩むサージュを余所にアルハイゼンは彼女が与えた文献を読み耽っており、隣に人が居ることさえ忘れているような風体にも見える。
サージュは言葉を失ったままページを捲る姿を見つめていると、彼は痺れを切らしたらしく訝しげな目で彼女へと圧力をかける。
「…意趣返しのつもりか」
「あぁいやそんなつもりは…って、私そんなにずっと見てた?」
「その視線によって、読書に集中出来なくなる程度には」
熱烈な視線が許容出来ないものだったことを告げると、彼女はすぐに頭を下げ非を詫びる。
「ならそれはごめん、謝る。そこまで熟読してくれてるとは思わなくて」
「君には言うまでもないことだろうが、今のスメールにおいてクラクサナリデビについて知る機会は限られている。貴重な時間を無駄にはしないよ」
そう言って異様なスピードで読み終えた本をサージュに返却しながら、次の書籍を要求するアルハイゼン。
自分の研究が認められる喜びに浮き足立った彼女は、クラクサナリデビについて語りたい欲求を滲ませつつも堪え、彼からの問いに答える形でその欲を満たそうと画策する。
「じゃあさ、質問があれば言って。何でも答えるから」
「何でも…か。いや…やめておこう」
他意のない彼女の笑みが眩しくて、アルハイゼンは自らに芽生えた邪な想いを封じ込める。
そして至ってありふれた、事前に考えていたと捉えられても仕方のないほどの模範的な問いを、サージュへと向ける。
「ならばサージュ、君がクラクサナリデビを敬愛するに至った理由を…詳しく聞かせてくれないか?」
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