えぺ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「今日は付き合ってくれてありがとう、クオレ。アニータとの事で気を遣ってるのか、最近カイリがつれなくてね」
「…ふぁい」
「あら大丈夫? 寝不足はお肌の天敵よ」
徹夜明けのせいで欠伸を我慢しきれなかった僕の前で微笑むは、クライアントでもあるレジェンドの一人、ローバ女史。
今日は彼女のショッピングに付き合って欲しいと頼まれたのが発端だった。最初は気後れしたものの、僕自身も久しく買い物なんてしていなかったことを思い出し、折角なので申し出を受けることにしたのだ。
彼女は僕が知る中でも特に恋愛関係をオープンにしていると感じる人で、彼女が今挙げた二人についても、どちらとも仲睦まじくしている姿を見たことがある。
僕は恋愛には疎いから大それたことは言えないが、全てが上手くいくのはやはり相応に困難なのだろう、淋しげな横顔からは二人への哀愁が垣間見えた。
「すみません、お気になさらず…昨晩も作業が立て込んでたもので、つい」
心配させてしまったことを詫びることは出来ても、この寝不足が夜な夜なレヴナントを修繕していたせいだ、とは口が裂けても言えなかった。
彼女は両親を目の前でレヴに殺され、彼への復讐を胸にゲームに参加した人でもある。
レヴと僕が密接な関わりを持っていると知られたら、僕でも殺されかねない。それ程までに強い恨みを、彼女はレヴに持っている。
彼女と並んで歩くのはそういう意味でも不安が残るものの、下手に断ったり距離を置いたりする方が怪しまれるだろう。自然に振る舞えば大丈夫だと信じ、僕は目的地について問う。
「ところで、今日はどちらまで? もし他の惑星に出るならチケットの予約を取りますよ」
「その心配はないわ、私の船があるから。気を遣ってくれてありがとね。どこに行くかは着いてからのお楽しみ」
個人でシップを保有しているのか。それもそうか、彼女はあらゆるセキュリティを掻い潜って金品を盗み出す技術を持った大怪盗、唯のエンジニアな僕とは住む世界さえ違う人だ。
しかし、結局どこまで行くのかは聞けなかった。目玉の飛び出る金額が飛び交う場所に行くのなら、心構えくらいはしておきたかったのだけれども。
「こっちよ」
言われるまま着いていくと、集合場所からそう遠くない場所に停泊させてあった彼女の船の元に辿り着く。
想定よりも小さく思えたのは、普段見慣れたバトルロワイヤル参加者用の大型ドロップシップを基準に考えてしまったせいだろうか。
「お邪魔します」
「遠慮しないで。二人で乗るにはちょっぴり狭いけど」
ローバ女史の言葉の通り、僕が入ると必然的に彼女と密着しそうな距離感になってしまった。
恐らく元々は一人用の座席を無理矢理二人でも座れるように改造したような、そうした雰囲気が感じられる環境だった。
そういう意味では、最初に抱いた印象はあながち間違っていないとも言える。運転に支障がなければいいのだが。
「…フフッ、照れなくてもいいのよ」
「は…はぁ。そう言われましても、こう近いと…」
高そうな香水の良い匂いが鼻腔をくすぐり、狭い船内も相まって変な気分になってくる。
「あら、私と密着するのは嫌?」
そんなつもりで言ったわけではないのに、わざとらしく哀しげな目で問いかけてくるローバ女史。
からかわれているとわかっていつつも、本心からそれを否定するしかなくなる。話術についても、彼女は高度な技術を持っているようだ。
「それは違います、ただ慣れてなくて…」
シップを操縦する都合からか、ローバ女史の腕が僕の肩の辺りに回る。図らずも更に身を寄せ合う形になり、とんでもない位置で身動きが取れなくなってしまった。
けれど彼女は全くそれを意に介さず、それどころか至って平然と操作を続け、更には笑みを浮かべていた。まさか、自分から仕組んでこの体勢を取ったのだろうか。
「…あの、ローバさん?」
「なぁにベイビー、そんなに顔を赤らめて」
「いや、だって…こんな状況でそうならない方が変でしょう」
どんな状況か端的に説明すると、僕の頬とローバ女史の胸部の距離が全くないと言っていい程近いのだ。
つまり否が応でも彼女の柔らかい感触を目の当たりにする形になり、いやそれが苦痛だとは全く思わないのだが、恥ずかしさを抱かないわけはなく、どうしていいか困惑するばかりだった。
「案外ウブなのね。カイリは喜んで顔を埋めてくれるわよ」
「それはヴァルクさんがおかしい」
思わず強めの語気で即答してしまった。しかし流石にそんなイレギュラーな反応を基準に話されてはこちらの身が持たない。
というか、本人の居ないところでそんな話をしていいものなのか。確かにヴァルクさんならやりかねないとは言え、そんな不埒な姿を想像するのは気が引ける。
「ウフフ、素直なのよあの子は。とてもわかりやすい子」
彼女のヴァルクさんに対する評価を聞き、僕はそれがあまりにもその通り過ぎて思い切り頷きたい衝動に駆られる。
今その動作をしたら最後、それこそヴァルクさんと同じになるので絶対にしないけれど。
「…僕も、彼女のそういうところ好きです」
「ええ、真っ直ぐすぎて…眩しいくらい」
半生を費やした仇討ちの旅から解放されている彼女は、今なおその呪いに囚われるローバ女史にとっては光の強すぎる存在でもある、そんな儚さを感じさせる口調に、僕はそれ以上は何も言えなかった。
「さあ着いたわ」
結局密着し続けた状態で船旅は続き、地名さえ聞けないまま目的地まで辿り着いてしまった。見覚えのある景色ではないが、予想とそう変わらぬ煌びやかな繁華街だった。
ローバ女史がシップを停泊させ扉を開くと、まるで僕のような生半可な入場者を阻むかのような高貴な空気に包まれていた。
場違いではないか急に不安になってきて、咄嗟に身なりを整える。慌てふためく姿を見兼ねてか、女史が徐に耳元へ囁く。
「そんなに不安がらなくても大丈夫よ。私がリードしてあげるから」
「うっ、はい…宜しくお願いします」
ローバ女史の背にくっつくように追従しながら、慣れない場に緊張しつつ足を踏み入れる。泥に塗れて日々を生きるのに必死な僕にとって、華美な世界は全くの未知なのだ。
戦々恐々の僕を少しでもリラックスさせようとしてくれているのか、彼女は僕の手を取って指を絡めてくる。
けれど細くしなやかな指先は感覚が麻痺したかと思うほど冷たく、少しだけ身震いしてしまう。
「どうかした?」
「…いえ、大丈夫です」
歩いている最中とは思えぬ冷たさの指に驚いたと悟られるのを避けるべく、慌てて適当な店舗に目を向けてそちらを見ていたふりをする。
お陰で別段疑われることも無く納得して貰い事なきを得た。こんなところで彼女の機嫌を損ねたくはなかったからありがたい。
「なら良かった。あぁそうそうクオレ、今さっき見てたお店、とても美味しいのよ。あとで一緒に食べましょうね」
僕が偶然目を向けていた小料理店を指し、絶賛しつつも素通りして行く。ここより先に向かうべき場所が別にあるということらしい。
まあ、今食事を摂れと言われたところで、萎縮した胃腸が食べ物を受け付けてくれる気がしないし、ある意味助かったと言える。
「最初の目的地はここよ」
そう言って立ったのは、見るからに高級なジュエリーショップ。宝石に興味のない、と言うよりもそんな贅沢なものを買えるほどの余裕のない僕には、自分からは絶対に足を運ぶことのない領域だ。
「…ここで待っていても良いですか」
「ダメ。買わないにしても、あなたも眼を肥やした方がいいわ。その為に連れてきたのもあるのだから」
有無を言わさず背を押され、不審者のような入店の仕方でショップの店員と対峙してしまう。店員、という呼び方すら正しいか不安になるような、高級店らしい佇まいの人だった。
上流らしい教育の賜物か、挙動が明らかに不釣り合いな僕にも驚くことなく平然と儀礼的な動作をして来店を歓迎した後、背後のローバ女史へと何やら声を掛ける。
会話は聞いてもわからないと思って聞き流して、その間に密やかに店舗の雰囲気を探ることにする。
ショーケースに並んでいる宝飾品も十二分に綺麗で高価なものが揃っているが、彼女達の様子から察するにここにあるものは序の口と思われる。恐ろしい世界だ。
「安物なんか見たって仕方ないわ、こっちよクオレ」
案の定と言うべきか、やはりローバ女史にとっては端金で買えてしまう代物には目もくれず、僕の手を引いて奥へと向かう。
案内された先の部屋には主を待つ宝石達が燦々と輝いており、目が眩みそうになるほどだった。
これらひとつとっても、それこそ目が眩む額なのだろうと思うと正直気が重い。何度でも言うが、僕はこんな場に居ていい人間ではないだろうと。
「素敵でしょう? やっぱりいい宝石は輝き方が違うのよね」
「…そうですね」
適当に話を合わせるべく相槌を打つ。今目の前で見ている宝石が綺麗だというのは全く否定することではないし、寧ろ僕も認めるところではある。吸い込まれそうな魅力を感じるのも確かだ。
「その子がお気に入り? いいわよね、タンザナイト。石言葉も貴方に合っていると思うわ」
「石言葉、へえ…そんなものもあるんですね」
「冷静、知性、神秘、希望…誇り高き人という意味もあったかしら。ピッタリでしょう?」
僕が見ていた内のひとつ、タンザナイトというらしい宝石について語ってくれるローバ女史。
教えてくれた宝石言葉に相応しい人間で居られている自信はないけれど、そうありたいと思うには充分過ぎるほど嬉しい言葉だった。
「ありがとうございます。ただ、それで買います…とは簡単に言えない額なのが残念ですが」
「そうね…折角付き合ってくれてるのだし買ってあげたいところだけど、カイリが拗ねるものね」
とんでもないことを言い出すローバ女史に絶句し、苦し紛れに笑するしかなくなる。
ヴァルクさんがどう反応するかなど関係なく、僕とローバ女史の立場を考えたら絶対に受け入れられない発言だった。
プライベートでの交流をする程にレジェンドの皆と親しくしてこそいるものの、あくまで一介のエンジニアでしかない僕に、そんな気軽に贈賄しようとしないで欲しい。
「…どうかした?」
「いえ、なんでも…」
「ならいいけど。とりあえず私の用は済んだから、行きましょうか」
いつの間にか手には紙袋を携え、彼女は少しだけ不安そうに微笑む。憂いを帯びた瞳が妙に綺麗に見えて、思わず心臓がドクリと跳ねる。
「は、はい」
去り際に店員へと軽く会釈して冷やかしとなってしまったことを詫びつつ、ローバ女史を追いかける。
ただ綺麗なものが欲しいからだけでなく、様々な意味合いを込めて御守り代わりにするという意味でも、人は宝石を欲するのだと気付いた。
そういう観点で見ると、今回はいい経験になった。あの店では手が届かなかったが、別の場所でまたタンザナイトに巡り会えたら、その時は僕も勇気を出してみるのも悪くないと思えたから。
「次はどこへ?」
「アンダーを見に行きたいわね。新作のフィット感を試したくて」
あまりにもナチュラルに、それこそ普通の服と同じようなテンションで言われたせいで思考が鈍り反応が遅れてしまった。
だが、いくらなんでも人前でそれを選ぶなんて恥ずかしすぎる。ローバ女史の頼みだとしても、こればかりは丁重にお断りさせてもらうしかない。
「…すみません、流石に遠慮させてください」
自分の顔が真っ赤になって熱を帯びているのを感じる。今日はずっと調子を狂わされ続けているせいか、厭になるほど思考が良くない方に堕ちていっている気がする。
「もう、照れ屋さんねぇ。可愛いから許しちゃうけど、もっと積極的になってもいいのに」
「そう言われましても…」
ここまで来ると、僕の方が意固地で恥ずかしがりなのかと錯覚しそうになってくる。奔放な彼女が正しくて、普通なのだと。
決してそんなことはないと信じたいが、二人きりの今の状況では誰かを味方につけることも叶わず、悶々と自問自答するしかなかった。
「仕方ないわね、それじゃ少し早いけどランチにしましょうか」
踵を返して進むのは、宝飾店より手前に位置している先述のレストラン。事前予約制ではないのか、それとも顔パスなのか時間に融通は効くようだ。
想像よりもずっとスムーズな入店を終え、席に案内される。外の景色を一望出来る、VIP席と見紛うようなそこに、ローバ女史は当然と言わんばかりの面持ちで座る。
僕自身も、先程までと比べると慣れてしまったのかあまり驚く程ではなかった。彼女と一緒ならそうなると、心のどこかで覚悟が出来ていたのかもしれない。
「このお店は味もいい上に、お値段がリーズナブルなの。クオレも安心して好きな物が食べられると思うわ」
「それは良かったです…ありがとうございます」
安堵の笑みを浮かべながらメニューを受け取ったものの、そもそもどういう食事なのか名称からすぐには想像出来ないような品が並んでいた。
やはりここでも、住む世界の違いを痛感してしまう。好きな物を選ぶ前に、どれが僕が好きな物かを調べるというのは些かハードルが高い。
かと言って、コース料理を選ぶのも博打に近い。それにローバ女史を待たせてしまう危険もある。一番堅実なのは彼女と同じ料理を頼むことだろうか。
「…えっと、ローバさんは何を頼むんですか」
「私? そうね…」
意外にも曖昧な返事に、却って気を遣わせてしまったかと後悔する。目的があってこの店に来たのだとばかり思っていたせいで、ローバ女史が決まっていないというのは完全に想定外だった。
「無難なのはパエリアかしらね」
彼女が僕でも知っている名の料理を呟いたのを聞き逃さず、メニューに目を走らせる。
金額もローバ女史の言う通り驚く程の高さではないことを確かめて、二つ目以降の候補として何かいいものがないか探す。
「いいですね、僕もそれにしようか…」
「あぁ、それならこっちにしてくれない? 食べ比べしましょ」
そう言って指した先には、アロスネグロと書かれていた。名前だけだと食べ物かどうかも疑問視したくなるが、彼女によるとイカ墨のパエリアをこう呼ぶらしい。
「わかりました。どう違うか楽しみですね」
ローバ女史の提案に乗り、二種のパエリアと適当な飲料で注文を済ませる。デザートを勧められたが、他で食べたいものがあるらしくローバ女史が断っていた。
料理が出来るまでの間、僕達の間には暫しの静寂が訪れる。窓越しに喧騒を眺めていた彼女が徐に口を開いたのは、僕がちょうど水を口に含んでいたタイミングで。
「クオレ、貴方はどうしてパートナーを作らないの?」
あまりにも突拍子のない問いに、思わず噎せてしまう。どうしてと言われても、そう簡単に見つかるものではないからとしか答えようがない。
「ゲホッ、ゲホ…いきなり何ですか…」
「そんなに驚くこと? 私からしたら、こんなにも皆から愛されている貴方が、わざわざ独りでいる方がよっぽど不思議よ」
「好きで独りでいるわけじゃありませんからね…そりゃあ僕だって、誰か傍に居てくれたらと思う時もあります」
たとえば風邪などでどうしても身体が動かない日には、MRVNを大量に呼んでどうにか窮地を切り抜けている。そんな時に誰かが看病してくれればどんなに楽かと思ったのは一度や二度ではない。
それに一人で過ごすこと自体が別段苦手ではなくとも、人恋しい時は僕にだってある。悩みを相談したいとか、楽しい気分を共有したいだとか。
ただそれらを、友人という境界を越えてまで誰かを求めるかと言われると、そこまでのことでもないようにも思う。
一人に慣れすぎて、人と合わせることに慣れていないのもある。生活リズムを特定の誰かと合わせて生きるのは、想像してみると結構苦痛な気もしてしまう。
「あら、案外貴方のファンは多いのよ。望めばすぐにでも恋人が出来ると思うけど」
「え…そ、そうでしょうか…」
レジェンドとして賞賛を浴びているローバ女史達ならともかく、裏方の僕がファンを得るようなことがあるのだろうか。
密かに想いを寄せてくれている人が居るというのなら、それに全く気付けていないのは確かに申し訳ないとは思うけれども。
「嘘は言ってないわ。でも、貴方自身がそれに気付いていないのなら、外野が下手なことはしない方がいいのかしらね…」
どういうことか問おうとして、運ばれた料理に遮られる。美味しそうな匂いには抗えず、一旦そちらに集中することにする。
「どう? 美味しい?」
「えぇ、流石ローバさんのお勧めだけあって、とても食べ応えのある味ですね」
アロスネグロ という聞き慣れない単語と見た目の黒々しさから敬遠しそうになるのが勿体ないと感じるような味の良さに舌鼓を打つ。
分けてもらったスタンダードなパエリアも勿論美味で、いい食材と優れた料理人が合わされば食事ひとつにこんなにも感動出来るものなのだと驚くばかりだった。
「ご飯を美味しそうに食べる子っていいわよね、餌付けしたくなっちゃう」
「? もしかして惚気ですか」
「それも少しあるけど、私自身…貴方のことも好きなのよ。じゃなきゃショッピングに誘ったりなんかしないもの」
酒気を帯びた訳でもないのに顔が火照る。パエリアの辛味によるものでもなく、当然ながらローバ女史の言葉によるものだ。
試合中も食い気の強いヴァルクさんのことを言っているのだとばかり思って茶化したつもりだったのに、思わぬ方向から撃ち抜かれてしまった。
「…あの、僕まだ死にたくないです」
「やぁねぇ、カイリはそんな物騒なヤキモチ焼かないわよ。寧ろ…あの子の方が私よりも貴方をよく見てるんじゃないかしら」
ヴァルクさんが僕に執着するのは、その陰に彼女の父を追っているからだ。決して僕を見ているわけではない。
そう伝えようとして、けれど言葉が出なかった。そうやって僕は、無意識の内に人からの好意を無下にして来たのかもしれないと思ってしまったのだ。
「お邪魔じゃ…ないですか?」
「ふふ。大丈夫よ、安心して」
奇妙な三角形を作ってはいまいかと不安になる僕に、曇りのない笑みでそう告げるローバ女史。少なくとも今は、二人から弄ばれているに過ぎないと解釈することにする。
「なら良いんですが…」
そうこうしつつ食事を終えて、次の目的地に向かう為に会計を済ませる。色々と腑に落ちない部分は残るが、問い質す機会は失われてしまった。
意味深な言葉を言い残して僕を置いて進んでいくローバ女史の背を追うのがその日の精一杯だった。悩む余地すらないけれど、足掻くしかないのだろう。
「クオレ、貴方を認めてる人は沢山いる。少しくらい攻めっ気があるくらいの方が丁度いいと思うわよ?」
「…ふぁい」
「あら大丈夫? 寝不足はお肌の天敵よ」
徹夜明けのせいで欠伸を我慢しきれなかった僕の前で微笑むは、クライアントでもあるレジェンドの一人、ローバ女史。
今日は彼女のショッピングに付き合って欲しいと頼まれたのが発端だった。最初は気後れしたものの、僕自身も久しく買い物なんてしていなかったことを思い出し、折角なので申し出を受けることにしたのだ。
彼女は僕が知る中でも特に恋愛関係をオープンにしていると感じる人で、彼女が今挙げた二人についても、どちらとも仲睦まじくしている姿を見たことがある。
僕は恋愛には疎いから大それたことは言えないが、全てが上手くいくのはやはり相応に困難なのだろう、淋しげな横顔からは二人への哀愁が垣間見えた。
「すみません、お気になさらず…昨晩も作業が立て込んでたもので、つい」
心配させてしまったことを詫びることは出来ても、この寝不足が夜な夜なレヴナントを修繕していたせいだ、とは口が裂けても言えなかった。
彼女は両親を目の前でレヴに殺され、彼への復讐を胸にゲームに参加した人でもある。
レヴと僕が密接な関わりを持っていると知られたら、僕でも殺されかねない。それ程までに強い恨みを、彼女はレヴに持っている。
彼女と並んで歩くのはそういう意味でも不安が残るものの、下手に断ったり距離を置いたりする方が怪しまれるだろう。自然に振る舞えば大丈夫だと信じ、僕は目的地について問う。
「ところで、今日はどちらまで? もし他の惑星に出るならチケットの予約を取りますよ」
「その心配はないわ、私の船があるから。気を遣ってくれてありがとね。どこに行くかは着いてからのお楽しみ」
個人でシップを保有しているのか。それもそうか、彼女はあらゆるセキュリティを掻い潜って金品を盗み出す技術を持った大怪盗、唯のエンジニアな僕とは住む世界さえ違う人だ。
しかし、結局どこまで行くのかは聞けなかった。目玉の飛び出る金額が飛び交う場所に行くのなら、心構えくらいはしておきたかったのだけれども。
「こっちよ」
言われるまま着いていくと、集合場所からそう遠くない場所に停泊させてあった彼女の船の元に辿り着く。
想定よりも小さく思えたのは、普段見慣れたバトルロワイヤル参加者用の大型ドロップシップを基準に考えてしまったせいだろうか。
「お邪魔します」
「遠慮しないで。二人で乗るにはちょっぴり狭いけど」
ローバ女史の言葉の通り、僕が入ると必然的に彼女と密着しそうな距離感になってしまった。
恐らく元々は一人用の座席を無理矢理二人でも座れるように改造したような、そうした雰囲気が感じられる環境だった。
そういう意味では、最初に抱いた印象はあながち間違っていないとも言える。運転に支障がなければいいのだが。
「…フフッ、照れなくてもいいのよ」
「は…はぁ。そう言われましても、こう近いと…」
高そうな香水の良い匂いが鼻腔をくすぐり、狭い船内も相まって変な気分になってくる。
「あら、私と密着するのは嫌?」
そんなつもりで言ったわけではないのに、わざとらしく哀しげな目で問いかけてくるローバ女史。
からかわれているとわかっていつつも、本心からそれを否定するしかなくなる。話術についても、彼女は高度な技術を持っているようだ。
「それは違います、ただ慣れてなくて…」
シップを操縦する都合からか、ローバ女史の腕が僕の肩の辺りに回る。図らずも更に身を寄せ合う形になり、とんでもない位置で身動きが取れなくなってしまった。
けれど彼女は全くそれを意に介さず、それどころか至って平然と操作を続け、更には笑みを浮かべていた。まさか、自分から仕組んでこの体勢を取ったのだろうか。
「…あの、ローバさん?」
「なぁにベイビー、そんなに顔を赤らめて」
「いや、だって…こんな状況でそうならない方が変でしょう」
どんな状況か端的に説明すると、僕の頬とローバ女史の胸部の距離が全くないと言っていい程近いのだ。
つまり否が応でも彼女の柔らかい感触を目の当たりにする形になり、いやそれが苦痛だとは全く思わないのだが、恥ずかしさを抱かないわけはなく、どうしていいか困惑するばかりだった。
「案外ウブなのね。カイリは喜んで顔を埋めてくれるわよ」
「それはヴァルクさんがおかしい」
思わず強めの語気で即答してしまった。しかし流石にそんなイレギュラーな反応を基準に話されてはこちらの身が持たない。
というか、本人の居ないところでそんな話をしていいものなのか。確かにヴァルクさんならやりかねないとは言え、そんな不埒な姿を想像するのは気が引ける。
「ウフフ、素直なのよあの子は。とてもわかりやすい子」
彼女のヴァルクさんに対する評価を聞き、僕はそれがあまりにもその通り過ぎて思い切り頷きたい衝動に駆られる。
今その動作をしたら最後、それこそヴァルクさんと同じになるので絶対にしないけれど。
「…僕も、彼女のそういうところ好きです」
「ええ、真っ直ぐすぎて…眩しいくらい」
半生を費やした仇討ちの旅から解放されている彼女は、今なおその呪いに囚われるローバ女史にとっては光の強すぎる存在でもある、そんな儚さを感じさせる口調に、僕はそれ以上は何も言えなかった。
「さあ着いたわ」
結局密着し続けた状態で船旅は続き、地名さえ聞けないまま目的地まで辿り着いてしまった。見覚えのある景色ではないが、予想とそう変わらぬ煌びやかな繁華街だった。
ローバ女史がシップを停泊させ扉を開くと、まるで僕のような生半可な入場者を阻むかのような高貴な空気に包まれていた。
場違いではないか急に不安になってきて、咄嗟に身なりを整える。慌てふためく姿を見兼ねてか、女史が徐に耳元へ囁く。
「そんなに不安がらなくても大丈夫よ。私がリードしてあげるから」
「うっ、はい…宜しくお願いします」
ローバ女史の背にくっつくように追従しながら、慣れない場に緊張しつつ足を踏み入れる。泥に塗れて日々を生きるのに必死な僕にとって、華美な世界は全くの未知なのだ。
戦々恐々の僕を少しでもリラックスさせようとしてくれているのか、彼女は僕の手を取って指を絡めてくる。
けれど細くしなやかな指先は感覚が麻痺したかと思うほど冷たく、少しだけ身震いしてしまう。
「どうかした?」
「…いえ、大丈夫です」
歩いている最中とは思えぬ冷たさの指に驚いたと悟られるのを避けるべく、慌てて適当な店舗に目を向けてそちらを見ていたふりをする。
お陰で別段疑われることも無く納得して貰い事なきを得た。こんなところで彼女の機嫌を損ねたくはなかったからありがたい。
「なら良かった。あぁそうそうクオレ、今さっき見てたお店、とても美味しいのよ。あとで一緒に食べましょうね」
僕が偶然目を向けていた小料理店を指し、絶賛しつつも素通りして行く。ここより先に向かうべき場所が別にあるということらしい。
まあ、今食事を摂れと言われたところで、萎縮した胃腸が食べ物を受け付けてくれる気がしないし、ある意味助かったと言える。
「最初の目的地はここよ」
そう言って立ったのは、見るからに高級なジュエリーショップ。宝石に興味のない、と言うよりもそんな贅沢なものを買えるほどの余裕のない僕には、自分からは絶対に足を運ぶことのない領域だ。
「…ここで待っていても良いですか」
「ダメ。買わないにしても、あなたも眼を肥やした方がいいわ。その為に連れてきたのもあるのだから」
有無を言わさず背を押され、不審者のような入店の仕方でショップの店員と対峙してしまう。店員、という呼び方すら正しいか不安になるような、高級店らしい佇まいの人だった。
上流らしい教育の賜物か、挙動が明らかに不釣り合いな僕にも驚くことなく平然と儀礼的な動作をして来店を歓迎した後、背後のローバ女史へと何やら声を掛ける。
会話は聞いてもわからないと思って聞き流して、その間に密やかに店舗の雰囲気を探ることにする。
ショーケースに並んでいる宝飾品も十二分に綺麗で高価なものが揃っているが、彼女達の様子から察するにここにあるものは序の口と思われる。恐ろしい世界だ。
「安物なんか見たって仕方ないわ、こっちよクオレ」
案の定と言うべきか、やはりローバ女史にとっては端金で買えてしまう代物には目もくれず、僕の手を引いて奥へと向かう。
案内された先の部屋には主を待つ宝石達が燦々と輝いており、目が眩みそうになるほどだった。
これらひとつとっても、それこそ目が眩む額なのだろうと思うと正直気が重い。何度でも言うが、僕はこんな場に居ていい人間ではないだろうと。
「素敵でしょう? やっぱりいい宝石は輝き方が違うのよね」
「…そうですね」
適当に話を合わせるべく相槌を打つ。今目の前で見ている宝石が綺麗だというのは全く否定することではないし、寧ろ僕も認めるところではある。吸い込まれそうな魅力を感じるのも確かだ。
「その子がお気に入り? いいわよね、タンザナイト。石言葉も貴方に合っていると思うわ」
「石言葉、へえ…そんなものもあるんですね」
「冷静、知性、神秘、希望…誇り高き人という意味もあったかしら。ピッタリでしょう?」
僕が見ていた内のひとつ、タンザナイトというらしい宝石について語ってくれるローバ女史。
教えてくれた宝石言葉に相応しい人間で居られている自信はないけれど、そうありたいと思うには充分過ぎるほど嬉しい言葉だった。
「ありがとうございます。ただ、それで買います…とは簡単に言えない額なのが残念ですが」
「そうね…折角付き合ってくれてるのだし買ってあげたいところだけど、カイリが拗ねるものね」
とんでもないことを言い出すローバ女史に絶句し、苦し紛れに笑するしかなくなる。
ヴァルクさんがどう反応するかなど関係なく、僕とローバ女史の立場を考えたら絶対に受け入れられない発言だった。
プライベートでの交流をする程にレジェンドの皆と親しくしてこそいるものの、あくまで一介のエンジニアでしかない僕に、そんな気軽に贈賄しようとしないで欲しい。
「…どうかした?」
「いえ、なんでも…」
「ならいいけど。とりあえず私の用は済んだから、行きましょうか」
いつの間にか手には紙袋を携え、彼女は少しだけ不安そうに微笑む。憂いを帯びた瞳が妙に綺麗に見えて、思わず心臓がドクリと跳ねる。
「は、はい」
去り際に店員へと軽く会釈して冷やかしとなってしまったことを詫びつつ、ローバ女史を追いかける。
ただ綺麗なものが欲しいからだけでなく、様々な意味合いを込めて御守り代わりにするという意味でも、人は宝石を欲するのだと気付いた。
そういう観点で見ると、今回はいい経験になった。あの店では手が届かなかったが、別の場所でまたタンザナイトに巡り会えたら、その時は僕も勇気を出してみるのも悪くないと思えたから。
「次はどこへ?」
「アンダーを見に行きたいわね。新作のフィット感を試したくて」
あまりにもナチュラルに、それこそ普通の服と同じようなテンションで言われたせいで思考が鈍り反応が遅れてしまった。
だが、いくらなんでも人前でそれを選ぶなんて恥ずかしすぎる。ローバ女史の頼みだとしても、こればかりは丁重にお断りさせてもらうしかない。
「…すみません、流石に遠慮させてください」
自分の顔が真っ赤になって熱を帯びているのを感じる。今日はずっと調子を狂わされ続けているせいか、厭になるほど思考が良くない方に堕ちていっている気がする。
「もう、照れ屋さんねぇ。可愛いから許しちゃうけど、もっと積極的になってもいいのに」
「そう言われましても…」
ここまで来ると、僕の方が意固地で恥ずかしがりなのかと錯覚しそうになってくる。奔放な彼女が正しくて、普通なのだと。
決してそんなことはないと信じたいが、二人きりの今の状況では誰かを味方につけることも叶わず、悶々と自問自答するしかなかった。
「仕方ないわね、それじゃ少し早いけどランチにしましょうか」
踵を返して進むのは、宝飾店より手前に位置している先述のレストラン。事前予約制ではないのか、それとも顔パスなのか時間に融通は効くようだ。
想像よりもずっとスムーズな入店を終え、席に案内される。外の景色を一望出来る、VIP席と見紛うようなそこに、ローバ女史は当然と言わんばかりの面持ちで座る。
僕自身も、先程までと比べると慣れてしまったのかあまり驚く程ではなかった。彼女と一緒ならそうなると、心のどこかで覚悟が出来ていたのかもしれない。
「このお店は味もいい上に、お値段がリーズナブルなの。クオレも安心して好きな物が食べられると思うわ」
「それは良かったです…ありがとうございます」
安堵の笑みを浮かべながらメニューを受け取ったものの、そもそもどういう食事なのか名称からすぐには想像出来ないような品が並んでいた。
やはりここでも、住む世界の違いを痛感してしまう。好きな物を選ぶ前に、どれが僕が好きな物かを調べるというのは些かハードルが高い。
かと言って、コース料理を選ぶのも博打に近い。それにローバ女史を待たせてしまう危険もある。一番堅実なのは彼女と同じ料理を頼むことだろうか。
「…えっと、ローバさんは何を頼むんですか」
「私? そうね…」
意外にも曖昧な返事に、却って気を遣わせてしまったかと後悔する。目的があってこの店に来たのだとばかり思っていたせいで、ローバ女史が決まっていないというのは完全に想定外だった。
「無難なのはパエリアかしらね」
彼女が僕でも知っている名の料理を呟いたのを聞き逃さず、メニューに目を走らせる。
金額もローバ女史の言う通り驚く程の高さではないことを確かめて、二つ目以降の候補として何かいいものがないか探す。
「いいですね、僕もそれにしようか…」
「あぁ、それならこっちにしてくれない? 食べ比べしましょ」
そう言って指した先には、アロスネグロと書かれていた。名前だけだと食べ物かどうかも疑問視したくなるが、彼女によるとイカ墨のパエリアをこう呼ぶらしい。
「わかりました。どう違うか楽しみですね」
ローバ女史の提案に乗り、二種のパエリアと適当な飲料で注文を済ませる。デザートを勧められたが、他で食べたいものがあるらしくローバ女史が断っていた。
料理が出来るまでの間、僕達の間には暫しの静寂が訪れる。窓越しに喧騒を眺めていた彼女が徐に口を開いたのは、僕がちょうど水を口に含んでいたタイミングで。
「クオレ、貴方はどうしてパートナーを作らないの?」
あまりにも突拍子のない問いに、思わず噎せてしまう。どうしてと言われても、そう簡単に見つかるものではないからとしか答えようがない。
「ゲホッ、ゲホ…いきなり何ですか…」
「そんなに驚くこと? 私からしたら、こんなにも皆から愛されている貴方が、わざわざ独りでいる方がよっぽど不思議よ」
「好きで独りでいるわけじゃありませんからね…そりゃあ僕だって、誰か傍に居てくれたらと思う時もあります」
たとえば風邪などでどうしても身体が動かない日には、MRVNを大量に呼んでどうにか窮地を切り抜けている。そんな時に誰かが看病してくれればどんなに楽かと思ったのは一度や二度ではない。
それに一人で過ごすこと自体が別段苦手ではなくとも、人恋しい時は僕にだってある。悩みを相談したいとか、楽しい気分を共有したいだとか。
ただそれらを、友人という境界を越えてまで誰かを求めるかと言われると、そこまでのことでもないようにも思う。
一人に慣れすぎて、人と合わせることに慣れていないのもある。生活リズムを特定の誰かと合わせて生きるのは、想像してみると結構苦痛な気もしてしまう。
「あら、案外貴方のファンは多いのよ。望めばすぐにでも恋人が出来ると思うけど」
「え…そ、そうでしょうか…」
レジェンドとして賞賛を浴びているローバ女史達ならともかく、裏方の僕がファンを得るようなことがあるのだろうか。
密かに想いを寄せてくれている人が居るというのなら、それに全く気付けていないのは確かに申し訳ないとは思うけれども。
「嘘は言ってないわ。でも、貴方自身がそれに気付いていないのなら、外野が下手なことはしない方がいいのかしらね…」
どういうことか問おうとして、運ばれた料理に遮られる。美味しそうな匂いには抗えず、一旦そちらに集中することにする。
「どう? 美味しい?」
「えぇ、流石ローバさんのお勧めだけあって、とても食べ応えのある味ですね」
分けてもらったスタンダードなパエリアも勿論美味で、いい食材と優れた料理人が合わされば食事ひとつにこんなにも感動出来るものなのだと驚くばかりだった。
「ご飯を美味しそうに食べる子っていいわよね、餌付けしたくなっちゃう」
「? もしかして惚気ですか」
「それも少しあるけど、私自身…貴方のことも好きなのよ。じゃなきゃショッピングに誘ったりなんかしないもの」
酒気を帯びた訳でもないのに顔が火照る。パエリアの辛味によるものでもなく、当然ながらローバ女史の言葉によるものだ。
試合中も食い気の強いヴァルクさんのことを言っているのだとばかり思って茶化したつもりだったのに、思わぬ方向から撃ち抜かれてしまった。
「…あの、僕まだ死にたくないです」
「やぁねぇ、カイリはそんな物騒なヤキモチ焼かないわよ。寧ろ…あの子の方が私よりも貴方をよく見てるんじゃないかしら」
ヴァルクさんが僕に執着するのは、その陰に彼女の父を追っているからだ。決して僕を見ているわけではない。
そう伝えようとして、けれど言葉が出なかった。そうやって僕は、無意識の内に人からの好意を無下にして来たのかもしれないと思ってしまったのだ。
「お邪魔じゃ…ないですか?」
「ふふ。大丈夫よ、安心して」
奇妙な三角形を作ってはいまいかと不安になる僕に、曇りのない笑みでそう告げるローバ女史。少なくとも今は、二人から弄ばれているに過ぎないと解釈することにする。
「なら良いんですが…」
そうこうしつつ食事を終えて、次の目的地に向かう為に会計を済ませる。色々と腑に落ちない部分は残るが、問い質す機会は失われてしまった。
意味深な言葉を言い残して僕を置いて進んでいくローバ女史の背を追うのがその日の精一杯だった。悩む余地すらないけれど、足掻くしかないのだろう。
「クオレ、貴方を認めてる人は沢山いる。少しくらい攻めっ気があるくらいの方が丁度いいと思うわよ?」
26/28ページ